再掲載/2012年11月17日 (土) 「永訣の秋」京都のわかれ・「ゆきてかえらぬ」2・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)
僕は此の世の果てにいた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺っていた。
――という「ゆきてかえらぬ」の冒頭行は
そこが、地の果てでありながら温暖で花々が風に揺らいでいる
背反するするような場所であったことを歌います。
地の果てとは、
まだ16歳になる前にやって来た京都との距離感を示すものであっても
僻地(へきち)とか流刑地とかを指しているものではありません。
このあたりは
もろにランボーの詩の影響ですが
孤独な感情とか疎外された意識とかを物語っていることに
偽(いつわ)りがあるわけでもありません。
詩人は寄宿舎に入ったわけでもなく
遠く離れた生地を後に
中学生でよくも一人暮らしをはじめられたものと感心しますが
落第した現実は
きっと想像以上に深刻なものがあって
「地の果て」という意識が大げさではなかった時間を経験したのでしょう。
にもかかわらず
温暖な陽の光と風にそよぐ花々があったのですから
地の果ては結構過ごしやすい土地だった――。
◇
実際の暮らしはどうだったか。
第2連は街の風景
木橋、埃り、ポスト、風車を付けた乳母車……とメタファーで描写します。
第3連は街の中の詩人
街に住む人に親類縁者がいるわけでもなく
風見の上の空ばかり見ている孤独なときを「仕事」と言っています。
第4連は
孤独でありながら退屈ばかりではなく
空気には「蜜」があったし
飲み食い暮らすよい場所だったと楽しかった思い出へ。
第5、6連はその中身。
煙草を吸うにも自分を律し
布団もなく、歯ブラシ1本、本1冊という質素さ。
第7連は女たちとの関係。
慕わしかったがみだりに会うことはなかった。
◇
名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。
――と第8連では
暮らしの実態を総括します。
ここいらは
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めていた……
嗚呼、生きていた、私は生きていた!
――という「少年時」とピタリと対応しています。
(つづく)
*
ゆきてかへらぬ
――京 都――
僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺つてゐた。
木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停つてゐた。
棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。
さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。
煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。
さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持つていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらゐは持つてもいたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。
女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会いに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。
名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。
* *
*
林の中には、世にも不思議な公園があつて、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。
さてその夜には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いてゐた。
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
◇
ゆきてかえらぬ
――京 都――
僕は此の世の果てにいた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺っていた。
木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停っていた。
棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であった。
さりとて退屈してもいず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食)すに適していた。
煙草くらいは喫ってもみたが、それとて匂いを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかった。
さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持っていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらいは持ってもいたが、たった一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだった。
女たちは、げに慕わしいのではあったが、一度とて、会いに行こうと思わなかった。夢みるだけで沢山だった。
名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。
* *
*
林の中には、世にも不思議な公園があって、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩していて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情していた。
さてその空には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いていた。
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