再掲載/2012年11月 7日 (水) 「永訣の秋」の月光詩群・「月夜の浜辺」6・生きているうちに読んでおきい名作たち
(前回からつづく)
普通の日本人が日常会話で使うような
「しゃべり言葉」みたいな現代口語で
「月夜の浜辺」はつくられています。
むずかしいと頭をひねることもないやさしい言葉を
ルフランを駆使し7・7音のリズムに乗せて
朗唱しやすい詩が組み立てられました。
◇
なんの疑問の余地もない詩のようですが
ふと立ち止まらざるをえない言葉に行き当たるのは
月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。
――という第5連です。
拾ったボタンが、なぜ、指先に沁み、心にも沁みたのでしょうか?
◇
月夜の浜辺の波打際で拾ったボタンを
何かのほころびを繕(つくろ)うためとか
記念品として持ち帰るためにとか
実用に役立てるために拾ったものでないことは分かりますが
なぜこれが指先に沁み、心にも沁みたのでしょうか?
この詩がたった一つ残す謎です。
◇
そこでこの詩を起承転結の流れにそって読んでみると、
第1連が起
第2、3、4連が承
第5連が転
第6連が結。
――という構成が見え
第5連が「転」に当たることが分かります。
この詩が、
月夜の浜辺でボタンを拾ったという
客観的事実を叙述したものでないことを
この第5連は明らかにしているのです。
◇
夜の海に来て僕=詩人が拾ったボタンが
心に沁みるというのは
詩人の内面が明らかにされているということで
さりげないようですが
ここでこの詩は「転」=質的な変化をとげているのです。
それを叙景から叙情への転換といってもおかしくありません。
しかし心に沁みる理由は明らかにされません。
◇
詩の行のどこを探しても
その理由を見つけることはできません。
それはもはや
詩の外、作品の外部に求めるしかないことです。
(この項終わり)
*
月夜の浜辺
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
月に向つてそれは抛《はふ》れず
浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。
月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
月夜の浜辺
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
月に向ってそれは抛《ほう》れず
浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
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