再掲載/2012年11月25日 (日) 「永訣の秋」女のわかれ・「あばずれ女の亭主が歌った」4・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)
おまえはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。
おれもおまえを愛してる。前世から
さだまっていたことのよう。
そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合う
もう長年の習慣だ。
――というはじまりが示す「二人」の相思相愛の関係は
それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があって、
いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思うのだ。
――という「二人」の不安定な関係と
前後関係なのではなく同時的な関係です。
○○であって、だから○○であるという前後を示すのではなく
○○であり、○○でもあるという同時的関係を示しています。
完璧な愛の関係が
すでに愛の不可能な関係を孕(はら)んでいるということを
この詩は歌っているのです。
いちばん親しい二人が時にいちばん憎みあうのです
◇
そしてこの詩を歌っているのは「亭主」(=詩人)の方です。
「亭主」は
佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。
――と愛憎が表裏になっている関係の理由を歌います。
◇
相思相愛であることに満足できない浮気な心を
香水の香りに満足しないで
病院の匂いに引かれてしまうからと自ら分析して見せるのです。
この「病院のあわい匂い」が
読みどころです。
この詩の味わいどころです。
◇
病院の廊下に漂う消毒薬のにおいを好む習性が
二人にはあるのだろうかなどと考えてしまいそうですが
きっとそういうことではないでしょう。
日向より日蔭を好む志向ということでもないし。
自然な愛の気持ちをうるさく思う浮気な心が
一時的刹那的にであれ
表と裏の関係のように必ず出現してしまう
「病院のあわい匂い」についつい引かれていく
いかんともしがたい愛。
愛し合っていてこそ
「病院のあわい匂い」を嗅(か)いでは
次から次に生まれてくる憎しみを弄(もてあそ)ぶ。
そんじょそこらにいる男と女の幸せと不幸とは
いまにも「神のいない世界の愛」を歌っているようにさえ思えてきます。
そうであるからその後はお決まりのように
得体の知れない後悔に襲われ
絶えず不安にさいなまれてもいる女と男――。
◇
全行が現在形で書かれ
タイトルだけが過去形であるところに
おやっと思わせられますが
永訣の歌であることに変わりはありません。
(この項終わり)
*
あばずれ女の亭主が歌つた
おまへはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。
おれもおまへを愛してる。前世から
さだまつてゐたことのやう。
そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合ふ
もう長年の習慣だ。
それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があつて、
いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思ふのだ。
佳い香水のかほりより、
病院の、あはい匂ひに慕ひよる。
そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあふ。
そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。
あゝ、二人には浮気があつて、
それが真実《ほんと》を見えなくしちまう。
佳い香水のかほりより、
病院の、あはい匂ひに慕いよる。
※「新編中原中也全集」より。《》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は角川全集編集委員
によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
*
あばずれ女の亭主が歌った
おまえはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。
おれもおまえを愛してる。前世から
さだまっていたことのよう。
そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合う
もう長年の習慣だ。
それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があって、
いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思うのだ。
佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。
そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあう。
そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。
ああ、二人には浮気があって、
それが真実《ほんと》を見えなくしちまう。
佳い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。
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