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2021年7月19日 (月)

再掲載/2012年12月 3日 (月) 「永訣の秋」もう一つの女のわかれ・「米子」

「米子」は「よねこ」ですから
なぜまたこんなところに女性の固有名を冠した詩が配置されたのかと
首をひねることになりそうですが
作品内容で見れば
「村の時計」の流れで連続していることが見えてきました。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
肺病やみで、腓《ひ》は細かった。
ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿って、立っていた。

――という書き出しですから
ひっそりと健気(けなげ)そうに生きている女性で
「村の時計」に引けをとらない影のうすい存在感です。

この女性は誰のことを歌っているのか?
――と現実のモデルを探すのは無意味なことでしょう。
そうとは知りながら
あくまで一つの見方ですが
詩人の「永遠の恋人」長谷川泰子とは異なる女性のようだなどと
自然に憶測の羽根が広がります。

しかし、米子(よねこ)は泰子ではなさそうと思った途端に
いや泰子であってもおかしくはないというもう一つの考えが出てきます。

「或る夜の幻想」の「3 彼女」の最終連
  夢の中で、彼女の臍《おへそ》は、
  背中にあった。

――とシュールな表現で
元気のよさそうな女性が長谷川泰子をモデルにしているのなら
「米子(よねこ)」の影のうすいのとは対照的に見えますが
いやここで泰子のもう一つの顔が描かれたとしても変ではないと考え直したらどうなるか。

なかなか捨てがたいアイデアとして
浮かんでくるではありませんか。

そうとなると
「或る夜の幻想」の再構築の際
一度は排除した「彼女」を
別の形でよみがえらせたと考えることができます。

(つづく)

米 子
 
二十八歳のその処女《むすめ》は、
肺病やみで、腓《ひ》は細かつた。
ポプラのやうに、人も通らぬ
歩道に沿つて、立つてゐた。

処女《むすめ》の名前は、米子と云つた。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであつた。
――かぼそい声をしてをつた。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なお)るかに思はれた。と、そう思いながら
私はたびたび処女《むすめ》をみた……

しかし一度も、さうと口には出さなかつた。
別に、云い出しにくいからといふのでもない
云つて却《かえ》つて、落胆させてはと思つたからでもない、
なぜかしら、云はずじまいであつたのだ。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
歩道に沿つて立つてゐた、
雨あがりの午後、ポプラのやうに。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思ふのだ……

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

米 子
 
二十八歳のその処女《むすめ》は、
肺病やみで、腓《ひ》は細かった。
ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿って、立っていた。

処女《むすめ》の名前は、米子と云った。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであった。
――かぼそい声をしておった。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なお)るかに思われた。と、そう思いながら
私はたびたび処女《むすめ》をみた……

しかし一度も、そうと口には出さなかった。
別に、云い出しにくいからというのでもない
云って却《かえ》って、落胆させてはと思ったからでもない、
なぜかしら、云わずじまいであったのだ。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
歩道に沿って立っていた、
雨あがりの午後、ポプラのように。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思うのだ……

 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

 

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