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2021年7月 6日 (火)

再掲載/2012年11月 8日 (木) 「永訣の秋」の月光詩群・真昼のような「月の光」・生きているうちに読んでおきたい名作たち

「幻影」でピエロが浴びていた月光は
「私の頭の中」にあるために
スポット・ライトを浴びているのに似て、

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かし

――という距離感があり、

「月夜の浜辺」の月光は
波打際とボタンとを浮かびあがらせる舞台装置(=背景)のようですが
「月の光」の月光は
あたりを皓々と照らします。

月の光が照っていた
月の光が照っていた

――と、まるで真昼の陽光のように
満遍(まんべん)なく庭を照らし出しているのです。

春の夜のことだから
靄(もや)がかかっているとはいいながら
庭の隅も芝生も境なく
照らしているのです。

その庭の隅にある草叢には
死んだ児が隠れているのですが
隠れた格好をしているだけで
丸見えの感じです。

その同じ舞台の中央部の
月の光に照らし出された芝生に
突如現われるのがチルシスとアマント。

ギターを持ってきているが
芝生のうえに投げっぱなしにしてあるばかり――。

死んだ子どもと
チルシスとアマントが
一方は隅っこに
一方は真ん中に
ともに同じ舞台に登場している
不可思議な世界が
どこかリアルでどこか夢のようなのは
なぜなのでしょうか?

(つづく)

月の光 その一
 
月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた

  お庭の隅の草叢《くさむら》に
  隠れているのは死んだ児だ

月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた

  おや、チルシスとアマントが
  芝生の上に出て来てる

ギタアを持つては来てゐるが
おつぽり出してあるばかり

  月の光が照つてゐた
  月の光が照つてゐた
 

月の光 その二
 
おゝチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる

ほんに今夜は春の宵
なまあつたかい靄(もや)もある

月の光に照らされて
庭のベンチの上にゐる

ギタアがそばにはあるけれど
いつかう弾き出しさうもない

芝生のむかふは森でして
とても黒々してゐます

おゝチルシスとアマントが
こそこそ話してゐる間

森の中では死んだ子が
蛍のやうに蹲(しやが)んでる

※「新編中原中也全集」より。《 》は原作者、( )は全集編集委員会によるルビです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

月の光 その一
 
月の光が照っていた
月の光が照っていた

  お庭の隅の草叢《くさむら》に
  隠れているのは死んだ児だ

月の光が照っていた
月の光が照っていた

  おや、チルシスとアマントが
  芝生の上に出て来てる

ギタアを持っては来ているが
おっぽり出してあるばかり

  月の光が照っていた
  月の光が照っていた
 

月の光 その二
 
おおチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる

ほんに今夜は春の宵
なまあったかい靄(もや)もある

月の光に照らされて
庭のベンチの上にいる

ギタアがそばにはあるけれど
いっこう弾き出しそうもない

芝生のむこうは森でして
とても黒々しています

おおチルシスとアマントが
こそこそ話している間

森の中では死んだ子が
蛍のように蹲(しゃが)んでる

 

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