再掲載/2012年11月 8日 (木) 「永訣の秋」の月光詩群・真昼のような「月の光」・生きているうちに読んでおきたい名作たち
「幻影」でピエロが浴びていた月光は
「私の頭の中」にあるために
スポット・ライトを浴びているのに似て、
しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かし
――という距離感があり、
「月夜の浜辺」の月光は
波打際とボタンとを浮かびあがらせる舞台装置(=背景)のようですが
「月の光」の月光は
あたりを皓々と照らします。
月の光が照っていた
月の光が照っていた
――と、まるで真昼の陽光のように
満遍(まんべん)なく庭を照らし出しているのです。
春の夜のことだから
靄(もや)がかかっているとはいいながら
庭の隅も芝生も境なく
照らしているのです。
その庭の隅にある草叢には
死んだ児が隠れているのですが
隠れた格好をしているだけで
丸見えの感じです。
◇
その同じ舞台の中央部の
月の光に照らし出された芝生に
突如現われるのがチルシスとアマント。
ギターを持ってきているが
芝生のうえに投げっぱなしにしてあるばかり――。
◇
死んだ子どもと
チルシスとアマントが
一方は隅っこに
一方は真ん中に
ともに同じ舞台に登場している
不可思議な世界が
どこかリアルでどこか夢のようなのは
なぜなのでしょうか?
(つづく)
*
月の光 その一
月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた
お庭の隅の草叢《くさむら》に
隠れているのは死んだ児だ
月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた
おや、チルシスとアマントが
芝生の上に出て来てる
ギタアを持つては来てゐるが
おつぽり出してあるばかり
月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた
*
月の光 その二
おゝチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる
ほんに今夜は春の宵
なまあつたかい靄(もや)もある
月の光に照らされて
庭のベンチの上にゐる
ギタアがそばにはあるけれど
いつかう弾き出しさうもない
芝生のむかふは森でして
とても黒々してゐます
おゝチルシスとアマントが
こそこそ話してゐる間
森の中では死んだ子が
蛍のやうに蹲(しやが)んでる
※「新編中原中也全集」より。《 》は原作者、( )は全集編集委員会によるルビです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
月の光 その一
月の光が照っていた
月の光が照っていた
お庭の隅の草叢《くさむら》に
隠れているのは死んだ児だ
月の光が照っていた
月の光が照っていた
おや、チルシスとアマントが
芝生の上に出て来てる
ギタアを持っては来ているが
おっぽり出してあるばかり
月の光が照っていた
月の光が照っていた
*
月の光 その二
おおチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる
ほんに今夜は春の宵
なまあったかい靄(もや)もある
月の光に照らされて
庭のベンチの上にいる
ギタアがそばにはあるけれど
いっこう弾き出しそうもない
芝生のむこうは森でして
とても黒々しています
おおチルシスとアマントが
こそこそ話している間
森の中では死んだ子が
蛍のように蹲(しゃが)んでる
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