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2021年7月 3日 (土)

再掲載/2012年11月 4日 (日) 「永訣の秋」の月光詩群・「月夜の浜辺」3・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

「月夜の浜辺」は
どのような風景の場所なのだろうか
――という疑問にこの詩は答えてくれません。
それが夜の景色であるから、というのでは答えていることになりません。
夜であっても風景がないなどということはあり得ませんから。

この詩に月夜の浜辺の風景を描写することは
邪魔だったのです。
詩の効果から不要だったのです。

人っ子ひとりもいない夜の海辺の砂の上に
月光に照らされて浮き出たボタン――。

この詩は
偶然、砂浜で見つけたボタンと
作者=詩人の心理的ドラマが描かれているものですから
余計な風景描写は邪魔だったのです。

仮にこの場所が
都会の自転車置き場か何かの夜の風景だったとすれば
そんな場所でボタンを拾う詩人の心のドラマは
別の展開を見せることになるでしょう。

町の雑踏の中でボタンを拾うなんて
まったくの偶然ですから
月夜の浜辺でボタンを拾う
必然のような偶然、偶然のような必然とは異なり
要求される言葉の量さえ違ってくるはずです。

ボタンと詩人の心理劇が成り立つためには
ボタンは月夜の浜辺で拾われねばならなかったとさえ言えるものです。

(つづく)

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛《はふ》れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
 
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛《ほう》れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

 

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