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2021年7月20日 (火)

再掲載/2012年12月 5日 (水) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」

存在感のうすいヒト・モノ・コトを扱っているという角度で
「幻影」
「月夜の浜辺」
「村の時計」
「或る男の肖像」
「米子」――を同じ流れにある詩群として見てきましたが
最終詩「蛙声」へと繋がっていくもう一つの流れに
「ゆきてかえらぬ」を起点として
「幻影」
「あばずれ女の亭主が歌った」
「言葉なき歌」を通じる一群があります。

これら詩のモチーフとなっているのは
言葉や詩や詩人といった「表現」に関わるコトです。

「ゆきてかえらぬ」の僕は
不思議な公園の中にいた夜に
銀色に輝く蜘蛛の巣を見ます。

「幻影」の私の頭の中には
薄命そうなピエロが棲んでいて
パントマイムで何かを必死に伝えようとしています。

「あばずれ女の亭主が歌った」の亭主は
病院の淡い匂いに引き込まれます。

「言葉なき歌」のおれが待っているものは
なんら具体的な形を指示されませんが
おれ(=詩人)がもっとも成し遂げたい重大なコトのようです。

この重大なコトは
「蛙声」でよりいっそう具体化されることになります。

「言葉なき歌」に
「言葉」を具体的に示すものはありませんが
タイトルになっていることから
詩の中で「あれ」と表現されているものが
「言葉」や「歌」に関する何かであるのは確実なことです。

このネーミングには少なくとも
詩人が影響を受けたフランスの詩人、ポール・ベルレーヌに
詩集「言葉なき恋歌」Romances sans parolesがあり
その影がこのタイトルにあることが見えます。

(つづく)

言葉なき歌
 
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡《あは》い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女《むすめ》の眼《め》のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛《フイトル》の音《ね》のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
 

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

言葉なき歌
 
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡《あわ》い

決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女《むすめ》の眼(め)のように遥かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい

それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛《フィトル》の音《ね》のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない

そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。

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