再掲載/2012年12月 5日 (水) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」
存在感のうすいヒト・モノ・コトを扱っているという角度で
「幻影」
「月夜の浜辺」
「村の時計」
「或る男の肖像」
「米子」――を同じ流れにある詩群として見てきましたが
最終詩「蛙声」へと繋がっていくもう一つの流れに
「ゆきてかえらぬ」を起点として
「幻影」
「あばずれ女の亭主が歌った」
「言葉なき歌」を通じる一群があります。
これら詩のモチーフとなっているのは
言葉や詩や詩人といった「表現」に関わるコトです。
◇
「ゆきてかえらぬ」の僕は
不思議な公園の中にいた夜に
銀色に輝く蜘蛛の巣を見ます。
「幻影」の私の頭の中には
薄命そうなピエロが棲んでいて
パントマイムで何かを必死に伝えようとしています。
「あばずれ女の亭主が歌った」の亭主は
病院の淡い匂いに引き込まれます。
「言葉なき歌」のおれが待っているものは
なんら具体的な形を指示されませんが
おれ(=詩人)がもっとも成し遂げたい重大なコトのようです。
この重大なコトは
「蛙声」でよりいっそう具体化されることになります。
◇
「言葉なき歌」に
「言葉」を具体的に示すものはありませんが
タイトルになっていることから
詩の中で「あれ」と表現されているものが
「言葉」や「歌」に関する何かであるのは確実なことです。
このネーミングには少なくとも
詩人が影響を受けたフランスの詩人、ポール・ベルレーヌに
詩集「言葉なき恋歌」Romances sans parolesがあり
その影がこのタイトルにあることが見えます。
(つづく)
*
言葉なき歌
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡《あは》い
決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女《むすめ》の眼《め》のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい
それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛《フイトル》の音《ね》のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない
さうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
言葉なき歌
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡《あわ》い
決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女《むすめ》の眼(め)のように遥かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい
それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛《フィトル》の音《ね》のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない
そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。
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