再掲載/2012年10月30日 (火)「幻影」の過去形ナレーション・生きているうちに読んでおきたい名作たち
「幻影」は
「在りし日の歌」の最終章「永訣の秋」の中で
「一つのメルヘン」に続いて配置されていることと
「でした」で終わる行末の語り口調(ナレーション)によって
連続しているような錯覚を抱くような詩です。
そのうえ、
「幻影」の月光下のピエロの映像と
「一つのメルヘン」の夜の陽光のシーンとは
ともにスポットライトを投じられた舞台を見ているかのよう。
二つの似かよった詩世界が連続し
一瞬、めまいに襲われるような不思議な気持ちになります。
あの蝶がピエロに変身したのではないか?
――という錯覚にとらわれるのです。
◇
中原中也の全詩を通じても
「です・ます調」の過去形「でした」を使う例はめずらしく
その「でした」が2作品に続いているのです。
「在りし日の歌」をざっとめくっても
「ぽっかり月が出ましたら、舟を浮べて出掛けましょう」(湖上)
「みなさん今夜は静かです 薬鑵の音がしています」(冬の夜)
「赤ン坊ではないでしょうか」(春と赤ン坊)
「――色々のことがあったんです」(初夏の夜)
「あれは人魚ではないのです」(北の海)
「山羊の歌」を見ても
「春の日の夕暮は穏かです」(春の日の夕暮)
「幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました」(サーカス)
「なんだか父親の映像が気になりだすと一歩一歩歩みだすばかりです」(黄昏)
「水汲む音がきこえます」(更くる夜)
「私の上に降る雪は 真綿のようでありました」(生ひ立ちの歌)
「そこはことないけはいです」(時こそ今は…)
「九歳の子供がありました 女の子でありました」(羊の歌)
――といった具合に
みんな現在形の「です」「ます」と
過去形は「ました」ばかりで
過去形「でした」はありません。
「でした」は
「一つのメルヘン」と「幻影」だけに使われているのです。
(※新かな表記で示しています。編者。)
◇
それが何を意味しているのかなどと
分析したり研究したりするつもりではありません。
「一つのメルヘン」や「幻影」が
いっぽうは「メルヘン」(童話)
いっぽうは「イリュージョン」(幻想)の形で
詩人が語るやさしい口ぶりに
「でした」がこの上もなくピタリと決まっていることを味わいたいだけのことです。
ただでさえ
「だ」「なのだ」を多く使う詩人が
ここ「在りし日の歌」の最終章(最晩年の詩作)へきて
静かなやさしい口調で歌う調べの安らかな響き――。
それを感じるだけで
これらの詩に近づいた気分になります。
(つづく)
*
幻 影
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、
それは、紗(しゃ)の服かなんかを着込んで、
そして、月光を浴びてゐるのでした。
ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あはれげな 思いをさせるばつかりでした。
手真似につれては、唇(くち)も動かしてゐるのでしたが、
古い影絵でも見ているやう――
音はちつともしないのですし、
何を云つてるのかは 分りませんでした。
しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。
※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集委員会によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
幻 影
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命そうなピエロがひとり棲んでいて、
それは、紗(しゃ)の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びているのでした。
ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、ついぞ通じたためしはなく、
あわれげな 思いをさせるばっかりでした。
手真似につれては、唇《くち》も動かしているのでしたが、
古い影絵でも見ているよう――
音はちっともしないのですし、
何を云ってるのかは 分りませんでした。
しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしそうなのでした。
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