再掲載/2012年10月31日 (水)「幻影」の過去形ナレーション2・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)
ナレーションの形をとることによって
詩人の歌おうとする詩世界は
詩人から一定の距離が置かれることになり
読者はナレーターの口を通じて
詩人のメッセージなり歌なりを聴くことになります。
詩人の赤裸々な内面や心の中は
ワンクッション置かれることになり
読者と作者との間にも一定の距離が置かれることになるため
読者はある意味で安心して詩を味わう姿勢を得ることができます。
これを物語の詩と呼ぶことができるなら
「一つのメルヘン」も「幻影」も
そのグループに入ることでしょう。
二つの詩は
過去形「でした」が
その物語を語る口調として使われ
絶妙な味を出している例です。
ですから
この二つの詩は切り離して読むことよりも
ペアの作品として読むと
新たに見えてくるものがあります。
◇
それにしても
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命そうなピエロがひとり棲んでいて、
それは、紗(しゃ)の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びているのでした。
――と、「私の頭の中」に現われるピエロは
「一つのメルヘン」の蝶の化身のように思えませんか?
水無し川の小石に舞い降り
淡く、くっきりとした影を落としていた蝶は
しばらくして消えてしまい
蝶が消えた途端に
川床に水が流れ出す。
水が流れ出すための触媒の役を果たすのですが
水が流れはじめたことの驚きや斬新な気持ちが強くて
蝶の「その後」などに関心がいくはずもなく
メルヘンは完結したかのようでした。
しかし、水が流れ出しただけのことで
物語はまだなにもはじまっていません。
そこで詩人は
物語の続き(内容)を「幻影」という詩に託した――。
◇
「幻影」を
このように読むのは
あまりにも荒唐無稽(こうとうむけい)というものでしょうか?
(この項終わり)
*
幻 影
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、
それは、紗(しゃ)の服かなんかを着込んで、
そして、月光を浴びてゐるのでした。
ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あはれげな 思いをさせるばつかりでした。
手真似につれては、唇(くち)も動かしてゐるのでしたが、
古い影絵でも見ているやう――
音はちつともしないのですし、
何を云つてるのかは 分りませんでした。
しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。
※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集委員会によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
幻 影
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命そうなピエロがひとり棲んでいて、
それは、紗(しゃ)の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びているのでした。
ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、ついぞ通じたためしはなく、
あわれげな 思いをさせるばっかりでした。
手真似につれては、唇《くち》も動かしているのでしたが、
古い影絵でも見ているよう――
音はちっともしないのですし、
何を云ってるのかは 分りませんでした。
しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしそうなのでした。
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