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2021年7月29日 (木)

再掲載/2012年12月18日 (火) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」5

(前回からつづく)

やや迂回(うかい)しますが
「文也の一生」というタイトルのある「日記」を読んでみましょう。

文也が死んだのは昭和11年11月10日でしたが
翌々日の12日付けで
届けられた香典の内訳をメモして以来途絶えていた日記が
1か月後の12月12日付けで再開されます。

再開されても年明けてすぐに療養生活を余儀なくされるので
自前の日記は書き継がれず
このノートによる日記は
「文也の一生」の3日後に書かれた次男愛雅(よしまさ)の誕生と
戯歌と称した2行詩を記しただけで終りとなります。

読みやすくするために「新字・新かな」表記に変え、適宜(てきぎ)行アキを加えます。

日記(昭和11年12月12日)
文也の一生

 昭和9年(1934)8月 春よりの孝子の眼病の大体癒ったによって帰省。9月末小生一人上京。文也9月中に生れる予定なりしかば、待っていたりしも生れぬので小生一人上京。10月18日生れたりとの電報をうく。八白先勝みづのえという日なりき。その午後1時山口市後河原田村病院(院長田村旨達氏の手によりて)にて生る。生れてより全国天気一か月余もつづく。

 昭和9年12月10日(ママ)小生帰省。午後日があたっていた。客間の東の6畳にて孝子に負われたる文也に初対面。小生をみて泣く。それより祖母(中原コマ)を山口市新道の新道病院に思郎に伴われて面会にゆく。祖母ヘルニヤ手術後にて衰弱甚だし。(12月9日(ママ)午後詩集山羊の歌出来。それを発送して午後8時頃の下関行にて東京に立つ。小澤、高森、安原、伊藤近三見送る。駅にて長谷川玖一と偶然一緒になる。玖一を送りに藤堂高宣、佐々木秀光来ている。)
 
 手術後長くはないとの医者の言にもかかわらず祖母2月3日まで生存。その間小生はランボオの詩を訳す。1月の半ば頃高森文夫上京の途寄る。たしか3泊す。二人で玉をつく。高森滞在中は坊やと孝子方部屋の次の次の8畳の間に寝る。祖母退院の日は好晴、小生坊やを抱いて祖母のフトンの足の方に立っていたり、東の8畳の間。
 
 3月20日頃小生腹痛はげしく34日就床。これよりさき1月半ば頃坊や孝子の乳房を噛み、それが膿みて困る。3月26日呉郎高校に合格。この頃お天気よく、坊やを肩車して権現山の方へ歩いたりす。一度小生の左の耳にかみつく。
 
 4月初旬(?)小生一人上京。4月下旬高森敦夫上京アパ-トに同居す。6月7日谷町62に越す。高森も一緒。6月末帰省。7月10日頃高森文夫を日向に訪ぬ。34にち滞在。7月末祇園祭。花火を買い来て坊やにみす。8月10(ママ)日母と女中と呉郎に送られ上京。湯田より小郡まではガソリンカー。坊や時々驚き窓外を眺む。3等寝台車に昼間は人なく自分達のクーペには坊やと孝子と自分のみ。関西水害にて大阪より関西線を経由。桑名駅にて長時間停車。上京家に着くや坊や泣く。おかゆをつくり、少し熱いのをウッカリ小生1匙口に入れまた泣く。
 
 9月ギフの女を傭う。12月23日夕暇をとる。坊や上京四五日にして匍ひはじむ。「ウマウマ」は山口にいる頃既に云う。9月10日頃障子をもって起つ。9月20日頃立って一二歩歩く。間もなく歩きだし、間もなく階段を登る。降りることもじきに覚える。拾郎早大入試のため3月10日頃上京。間もなく宇太郎君上京、同じく早大入試のため。坊や此の頃誰を呼ぶにも「アウチャン」なり。拾郎合格。宇太郎君山高合格。8月の10日頃階段中程より転落。そのずっと前エンガワより庭土の上に転落。7月10日拾郎帰省の夜は坊やと孝子と拾郎と小生4人にて谷町交番より円タクにて新宿にゆく。ウチワや風鈴を買う。新宿一丁目にて拾郎に別れ、同所にて坊やと孝子江戸川バスに乗り帰る。小生一人青山を訪ねたりしも不在。すぐに帰る。坊やねたばかりの所なりし。
 
 春暖き日坊やと二人で小澤を番衆会館アパートに訪ね、金魚を買ってやる。同じ頃動物園にゆき、入園した時森にとんできた烏を坊や「ニャーニャー」と呼ぶ。大きい象はなんとも分からぬらしく子供の象をみて「ニャーニャー」という。豹をみても鶴をみても「ニャーニャー」なり。やはりその頃昭和館にて猛獣狩をみす。一心にみる。6月頃四谷キネマに夕より敦夫君と坊やをつれてゆく。ねむさうなればおせんべいをたべさせながらみる。7月敦夫君他へ下宿す。8月頃靴を買いに坊やと二人で新宿を歩く。春頃親子3人にて夜店をみしこともありき。8月初め神楽坂に3人にてゆく。7月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。

※「新編中原中也全集 第5巻」より。文中(ママ)とあるのは、考証の結果、詩人の記憶違いであることが判明しているものです。

(つづく)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

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