再掲載/2012年12月18日 (火) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」5
(前回からつづく)
やや迂回(うかい)しますが
「文也の一生」というタイトルのある「日記」を読んでみましょう。
文也が死んだのは昭和11年11月10日でしたが
翌々日の12日付けで
届けられた香典の内訳をメモして以来途絶えていた日記が
1か月後の12月12日付けで再開されます。
再開されても年明けてすぐに療養生活を余儀なくされるので
自前の日記は書き継がれず
このノートによる日記は
「文也の一生」の3日後に書かれた次男愛雅(よしまさ)の誕生と
戯歌と称した2行詩を記しただけで終りとなります。
◇
読みやすくするために「新字・新かな」表記に変え、適宜(てきぎ)行アキを加えます。
◇
日記(昭和11年12月12日)
文也の一生
昭和9年(1934)8月 春よりの孝子の眼病の大体癒ったによって帰省。9月末小生一人上京。文也9月中に生れる予定なりしかば、待っていたりしも生れぬので小生一人上京。10月18日生れたりとの電報をうく。八白先勝みづのえという日なりき。その午後1時山口市後河原田村病院(院長田村旨達氏の手によりて)にて生る。生れてより全国天気一か月余もつづく。
昭和9年12月10日(ママ)小生帰省。午後日があたっていた。客間の東の6畳にて孝子に負われたる文也に初対面。小生をみて泣く。それより祖母(中原コマ)を山口市新道の新道病院に思郎に伴われて面会にゆく。祖母ヘルニヤ手術後にて衰弱甚だし。(12月9日(ママ)午後詩集山羊の歌出来。それを発送して午後8時頃の下関行にて東京に立つ。小澤、高森、安原、伊藤近三見送る。駅にて長谷川玖一と偶然一緒になる。玖一を送りに藤堂高宣、佐々木秀光来ている。)
手術後長くはないとの医者の言にもかかわらず祖母2月3日まで生存。その間小生はランボオの詩を訳す。1月の半ば頃高森文夫上京の途寄る。たしか3泊す。二人で玉をつく。高森滞在中は坊やと孝子方部屋の次の次の8畳の間に寝る。祖母退院の日は好晴、小生坊やを抱いて祖母のフトンの足の方に立っていたり、東の8畳の間。
3月20日頃小生腹痛はげしく34日就床。これよりさき1月半ば頃坊や孝子の乳房を噛み、それが膿みて困る。3月26日呉郎高校に合格。この頃お天気よく、坊やを肩車して権現山の方へ歩いたりす。一度小生の左の耳にかみつく。
4月初旬(?)小生一人上京。4月下旬高森敦夫上京アパ-トに同居す。6月7日谷町62に越す。高森も一緒。6月末帰省。7月10日頃高森文夫を日向に訪ぬ。34にち滞在。7月末祇園祭。花火を買い来て坊やにみす。8月10(ママ)日母と女中と呉郎に送られ上京。湯田より小郡まではガソリンカー。坊や時々驚き窓外を眺む。3等寝台車に昼間は人なく自分達のクーペには坊やと孝子と自分のみ。関西水害にて大阪より関西線を経由。桑名駅にて長時間停車。上京家に着くや坊や泣く。おかゆをつくり、少し熱いのをウッカリ小生1匙口に入れまた泣く。
9月ギフの女を傭う。12月23日夕暇をとる。坊や上京四五日にして匍ひはじむ。「ウマウマ」は山口にいる頃既に云う。9月10日頃障子をもって起つ。9月20日頃立って一二歩歩く。間もなく歩きだし、間もなく階段を登る。降りることもじきに覚える。拾郎早大入試のため3月10日頃上京。間もなく宇太郎君上京、同じく早大入試のため。坊や此の頃誰を呼ぶにも「アウチャン」なり。拾郎合格。宇太郎君山高合格。8月の10日頃階段中程より転落。そのずっと前エンガワより庭土の上に転落。7月10日拾郎帰省の夜は坊やと孝子と拾郎と小生4人にて谷町交番より円タクにて新宿にゆく。ウチワや風鈴を買う。新宿一丁目にて拾郎に別れ、同所にて坊やと孝子江戸川バスに乗り帰る。小生一人青山を訪ねたりしも不在。すぐに帰る。坊やねたばかりの所なりし。
春暖き日坊やと二人で小澤を番衆会館アパートに訪ね、金魚を買ってやる。同じ頃動物園にゆき、入園した時森にとんできた烏を坊や「ニャーニャー」と呼ぶ。大きい象はなんとも分からぬらしく子供の象をみて「ニャーニャー」という。豹をみても鶴をみても「ニャーニャー」なり。やはりその頃昭和館にて猛獣狩をみす。一心にみる。6月頃四谷キネマに夕より敦夫君と坊やをつれてゆく。ねむさうなればおせんべいをたべさせながらみる。7月敦夫君他へ下宿す。8月頃靴を買いに坊やと二人で新宿を歩く。春頃親子3人にて夜店をみしこともありき。8月初め神楽坂に3人にてゆく。7月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。
※「新編中原中也全集 第5巻」より。文中(ママ)とあるのは、考証の結果、詩人の記憶違いであることが判明しているものです。
(つづく)
*
また来ん春……
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない
おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた
最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた
ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
また来ん春……
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない
おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった
最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた
ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……
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