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2021年7月26日 (月)

再掲載/2012年12月14日 (金) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」

「在りし日の歌」の編集はどのような経過で行われたか――。

「永訣の秋」を集中して読んできて残すのは
「また来ん春……」
「春日狂想」
「蛙声」の3作品というところにさしかかりました。

「永訣の秋」の読みがフィニッシュ段階に入るということで
「在りし日の歌」の編集が
愛息・文也の死によって被(こうむ)ったある変更について
ここで目を向けておきます。

「在りし日の歌」は
文也の死(昭和11年11月10日)以前から編集が開始されていましたが
文也の死によって追悼の目的をあわせ持つようになって
「含羞」を冒頭詩とするなどの変更が行われたのですが
そのあたりのこととも関連することです。

「新編中原中也全集」(角川書店)が
他に類例をみない綿密な考証の成果をふんだんに盛り込んでいるのは
小林秀雄による中原中也の死直後の評価の仕事以来
戦後にはじまった大岡昇平や安原喜弘らの仕事へつながれ、
そしてこれらの基礎工事の上に築かれた3次にわたる全集編集へつながれたという
長い歴史的所産であるからです。

新全集(新編中原中也全集)には
大岡が中村稔に参加を呼びかけた第1次(~第3次)
次に吉田凞生(ひろお)が参画した第2次(~第3次)
そして宇佐美斉、佐々木幹郎が参画した第3次編集委員会のメンバーらによる
幾人もの仕事が積み重なっています。

この新全集に
「在りし日の歌」の「成立過程」と「編集過程」がくわしく記述されていますから
それを読んでみれば
「在りし日の歌」は昭和11年前半に編集が開始され
小林秀雄に清書原稿が託される昭和12年9月まで
5回に期間分類できる編集期を経たことが分かります。

(つづく)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

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