再掲載/2012年12月11日 (火) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」7
(前回からつづく)
中原中也が「現代と詩人」に
さあさあ僕は、詩集を読もう。フランスの詩は、なかなかいいよ。
――と記したとき念頭にあったのは
真っ先にアルチュール・ランボーとポール・ベルレーヌの二人の詩人のはずでした。
ほかにボードレールやラファルグや
ネルバルやデボルト=バルモールがいたとしても
この二人は別格の存在のはずでした。
「ランボオ詩集」の後記のランボー論は
ランボーを論じるためにはベルレーヌを登場させないではいられないものでした。
この二人の詩人が
「あれ」=「宝島」への最も近い存在でした。
◇
ここでベルレーヌの「言葉なき恋歌」をすこしだけ齧(かじ)ってみたいのですが
中原中也の翻訳はありませんから
鈴木信太郎訳で読んでみます。
◇
鈴木信太郎訳
言葉なき恋歌より
そは やるせなく蕩くる心地
野には風
息を已む。
(ファヴァアル)
そは やるせなく蕩(とろ)くる心地
恋痴(し)れし身のつかれ、
微風(そよかぜ)に抱擁(だきし)められし
森の戦慄(おののき)、
鈍色(にびいろ)に翳(かす)む梢に
幽(かそ)けくも歌ふ声なり。
おお 爽やかの繊弱(かよわ)き私語(ささやき)。
そは ひそひそと しのびしのびに、
そは 草の そよぎて息も絶え絶えの
粛(しめ)やかの泣く音に似たり……
せせらぎの水の底なる 礫(さざれいし)の
にぶき揺鳴(ゆらぎ)と 君は言ふらむ。
おろ睡る嘆きの中に
すすり哭(な)く この霊魂(たましい)は、
われらが心と 思(おぼ)さずや 君。
わが心と君が心よ、心より
この暖かき夕闇に 仄(ほの)かに昇り
煙と消ゆる つつましき祈の歌。
(「ヴェルレエヌ詩集」岩波文庫、1987年 第31刷より、一部、新漢字に改めてあります。)
◇
中原中也が鈴木信太郎のこのベルレーヌ訳を読んだという形跡はありませんが
ベルレーヌ最高峰の「言葉なき恋歌」に目を通したことは間違いありません。
◇
ここで注目したいのは
冒頭や各所に出てくる「そ」という指示代名詞です。
古語の「そ」ですが
現代語で「それ」です。
「言葉なき歌」を書いた中原中也の頭の中で
ランボーとベルレーヌのことが駆け巡っていたのであれば
この「そ」が何度となく去来したことも想像に難(かた)くはありません。
◇
「言葉なき歌」には
もろにランボーとベルレーヌの影があるのです。
(この項終わり)
*
言葉なき歌
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡《あは》い
決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女《むすめ》の眼《め》のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい
それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛《フイトル》の音《ね》のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない
さうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
言葉なき歌
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡《あわ》い
決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女《むすめ》の眼(め)のように遥かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい
それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛《フィトル》の音《ね》のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない
そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員
会によるものです。
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