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2021年7月21日 (水)

再掲載/2012年12月 7日 (金) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」3

(前回からつづく)

「芸術論覚え書」は
昭和9年(1934年)12月から翌10年3月に書かれたらしいことが分かっています。
「山羊の歌」刊行後で
この期間に詩人は生地・山口に帰省中でした。

内容は「名辞」「名辞以前」「現識」という概念を軸にした
詩論であり硬軟の混ざった芸術論であり
第一詩集をようやく発行し
さらに本格的な詩活動へ乗り出そうとする詩人の意気込みに満ちていて
折りあるごとに引用され照会されるこの詩人独特の表現論になっています。

「言葉なき歌」は
他のいくつかの詩作品とともに
この詩論・表現論そのものを韻文=詩で展開したものといえますが
「芸術論覚え書」が「山羊の歌」刊行直後に書かれたのに対し
詩人の死の直前(最晩年)に作られた点に注目したいところです。

詩論の詩である「言葉なき歌」に別格の趣(おもむき)があるが
それは何か――。

「言葉なき歌」ははじめ「文学界」の昭和11年12月号に発表され(第1次形態)、
昭和12年8月から9月の間に行われた「在りし日の歌」の最終編集過程で
わずかに手直しされて「永訣の秋」に収録されました(第2次形態)。

「ランボオ詩集」の翻訳・発行を昭和12年9月に果たし
ただちに「在りし日の歌」編集・清書に取り組み
小林秀雄にその清書原稿を託したのも9月という
慌ただしい日々を詩人は鎌倉の地で送って
それらを成し遂げた後で結核性脳膜炎を発病
10月22日に永眠します。

「ランボウ詩集」と「在りし日の歌」には「後記」が添えられ
「ランボウ詩集」は「昭和12年8月21日」、
「在りし日の歌」は「1937、9、23」と
どちらにも日付けが記されました。

死の直前といってよい時期に
散文による後記が二つ残されたのです。

「在りし日の歌」の後記は
「おおわが東京! さらば青春!」と結ばれたわかれのあいさつみたいなものですが
「ランボウ詩集」の後記は
ランボーおよびベルレーヌに言及した表現論を含み
その意味では「芸術論覚え書」と連続しています。

分析を試みればこのようなことになりますが
「言葉なき歌」を書いた詩人の頭の中には
「ランボウ詩集」の後記で書いたランボーとベルレーヌのことが駆け巡っていた
――というようなことが言えるのではないでしょうか。

すぐれた小説や
すぐれた絵や
すぐれた音楽や
あらゆるすぐれた芸術は
その作品の中に自ずと
小説とは何か
絵とは何か
音楽とは何か
芸術とは何かという問いを含み
それに答えようとしていることがよくありますが
「言葉なき歌」は
そうした問いと答えとを内包する詩です。
それを書く動機にランボーとベルレーヌがあったということになります。

(つづく)

言葉なき歌
 
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡《あは》い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女《むすめ》の眼《め》のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛《フイトル》の音《ね》のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
 

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

言葉なき歌
 
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡《あわ》い

決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女《むすめ》の眼(め)のように遥かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい

それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛《フィトル》の音《ね》のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない

そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員
会によるものです。

 

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