再掲載/2012年12月17日 (月) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」4
(前回からつづく)
5次にわたる編集期は
全集委員会が考えた便宜的な「期間区分」であって
中原中也がいつからいつまでと期間を区切ったものではありません。
創作や編集的な作業を禁じられていた療養中にですら
「頭の中」には「在りし日の歌」の構想が進められていたかもしれないのに
それは表面に出てくることはありませんでした。
詩人は聞き分けがよかったのですし
療養所長の中村古峡という人物を信頼していたのかもしれません。
◇
「また来ん春……」が
昭和11年の年末に制作され
中村古峡療養所を退院して直後に発表されたという事実は見逃してなりません。
発表は第3次編集期に入る直前ということになりますが
これをすでに第3次編集期に入った時期と考えることも可能ですし
逆に第2次編集期に入れることも可能です。
文也の死後およそ1か月して作られた詩が
療養期間中に編集・印刷されて公表されたのです。
そして「また来ん春……」は
文也の死を直接的に歌った初めての作品です。
字義通り追悼詩と呼べるものです。
文学界の同じ2月号に「詩三篇」と題して
「月の光 その一」「その二」とあわせて発表されたのです。
◇
冬来たりなば春遠からじ
春よ来い早く来い
春は名のみの風の寒さや
……
春を待ち望む声は冬の間巷間に満ち溢れます。
またやって来る春、と世間の人はよく口にしますが
それを聞くのが辛くてしょうがない
春が来たからどうなるというんだ
あの子が帰ってくるわけじゃない――。
感じている核心にあるところを
ズバリと言い出すのは
「春日狂想」と同じです。
しかし、思いの丈を述べるだけに流そうとしない意思が
ソネット(4433)、75のリズムという定型に表われます。
叙情を情念のほとばしりにまかせるだけに終らせない。
定型の中に叙情を閉じ込めようとしているかのような。
◇
「また来ん春……」を制作したのと同じ頃
日記に「文也の一生」が書かれていますが
どちらが先に書かれたのか分かっていません。
(つづく)
*
また来ん春……
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない
おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた
最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた
ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
また来ん春……
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない
おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった
最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた
ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……
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