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2021年7月30日 (金)

再掲載/2012年12月21日 (金) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」8

(前回からつづく)

中原中也は中村古峡療養所に入院中の一定期間に
創作を禁じられていたのですが
なにも書いてはならないという厳格な禁止期間はそう長くはなく
特に後半期には
詩篇さえ残していますから
創作意欲は旺盛にあったものの
療養に専念したといえることでしょう。

昭和12年2月27日、鎌倉へ引っ越した日から
「蛙声」が制作された5月14日までが
「在りし日の歌」の第3次編集期とされていますが
この期間には
当初からの詩集タイトル「去年の雪」が維持され
冒頭詩篇は「むなしさ」でした。

「蛙声」の制作が
大きな節目になります。

この詩を「在りし日の歌」の最終詩篇と決めることによって
詩集全体の構成がほぼ完成するのです。
これが第4次編集期です。

「亡き児文也の霊に捧ぐ」の献辞を添えた「在りし日の歌」というタイトルが決まり
「含羞」が冒頭詩篇とされ
そこには「在りし日の歌」のサブタイトルが置かれ
最終詩篇を「蛙声」とする
――とした大枠が次々に決められました。

これらはほぼ同時に決められたと考えるのが
編集という作業という面からみても妥当でしょうから
前後関係はあっても無いのと同然です。

この作業の中で
かねて「別れの秋」という題を候補にしていた第2章を
「永訣の秋」と決め
第1章を「在りし日の歌」としますが
「在りし日の歌」が
詩集全体のタイトルであり
第1章のタイトルであり
冒頭詩「含羞」のサブタイトルでもあるというくどさを
詩人は受け容れました。

詩人は
「これでよし!」としたのです。

ああしようこうしようと
配置を試行錯誤し
ようやく「在りし日の歌」全体の構造が決まったときには
個々の詩篇の配列も
ほとんど決まっていました。

(つづく)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

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