再掲載/2012年12月20日 (木) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」7
(前回からつづく)
「文也の一生」
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
「冬の長門峡」
――をインクのペン書きから毛筆に変えて書いたのは
特別な思いを込めたからに違いありません。
このことは愛児文也の突然の死が
詩人に与えた衝撃のすべてを物語るようです。
毛筆で書くなどは前例がないものでしたし
日記から詩へ
詩から詩へ
――という連続と非連続。
特に「夏の夜の博覧会はかなしからずや」から
「冬の長門峡」への連続(と非連続)に耳を澄ませば
ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。
――のポエジーによりいっそう深いところで触れることになるでしょう。
文也の死を過去の事実として
詩人は認めようと努力したのです。
◇
「また来ん春……」は
これら三つの追悼詩(文)とほぼ同時期に作られたものでありながら
どちらが先に作られたか断定できない作品ですが
東京・上野動物園へ文也を連れて行ったときの様子が描かれているのは
「冬の長門峡」以外に共通しています。
「また来ん春……」は
毛筆で書くという特別な心境に入る以前に
文也の死を悼んだ詩として作られたのかもしれません。
とすれば
文也追悼の初めての詩ということになります。
◇
「永訣の秋」に
「また来ん春……」
「月の光 その一」
「月の光 その二」
「冬の長門峡」
「春日狂想」
――と続く「わかれの歌」ですが
悲しみを詩の中に
閉じ込めようとしても
閉じ込めようとしても
滾々(こんこん)と湧き出るかのようなそれを
容易に手なずけることもできずに
詩人はそれをシュール(=超える)する姿勢をとったり……。
真正面から受け止めたり……。
たたかう気持ちを崩しません。
(つづく)
*
また来ん春……
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない
おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた
最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた
ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
また来ん春……
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない
おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった
最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた
ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……
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