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2021年7月30日 (金)

再掲載/2012年12月20日 (木) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」7

(前回からつづく)

「文也の一生」
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
「冬の長門峡」
――をインクのペン書きから毛筆に変えて書いたのは
特別な思いを込めたからに違いありません。

このことは愛児文也の突然の死が
詩人に与えた衝撃のすべてを物語るようです。

毛筆で書くなどは前例がないものでしたし
日記から詩へ
詩から詩へ
――という連続と非連続。

特に「夏の夜の博覧会はかなしからずや」から
「冬の長門峡」への連続(と非連続)に耳を澄ませば

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

――のポエジーによりいっそう深いところで触れることになるでしょう。

文也の死を過去の事実として
詩人は認めようと努力したのです。

「また来ん春……」は
これら三つの追悼詩(文)とほぼ同時期に作られたものでありながら
どちらが先に作られたか断定できない作品ですが
東京・上野動物園へ文也を連れて行ったときの様子が描かれているのは
「冬の長門峡」以外に共通しています。

「また来ん春……」は
毛筆で書くという特別な心境に入る以前に
文也の死を悼んだ詩として作られたのかもしれません。
とすれば
文也追悼の初めての詩ということになります。

「永訣の秋」に
「また来ん春……」
「月の光 その一」
「月の光 その二」
「冬の長門峡」
「春日狂想」
――と続く「わかれの歌」ですが
悲しみを詩の中に
閉じ込めようとしても
閉じ込めようとしても
滾々(こんこん)と湧き出るかのようなそれを
容易に手なずけることもできずに
詩人はそれをシュール(=超える)する姿勢をとったり……。
真正面から受け止めたり……。

たたかう気持ちを崩しません。

(つづく)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

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