再掲載/2012年11月26日 (月) 「永訣の秋」女のわかれ2・「或る男の肖像」・生きているうちに読んでおきたい名作たち
「或る男の肖像」は
1、2、3の番号が振られた3部仕立ての短詩ですが
1と2、3との間のつながりが見えにくい断片のような作品です。
1に現われる「洋行帰りのその男」が
タイトルの「或る男」であり
2、3に現われる「彼と彼女」の「彼」でもあるらしいのですが
「その男」は1で死んでいます。
死んだ男について回想した詩ということになりますが
同時に「その男」と同一の人物であるらしい「彼」が
「彼女」と別れたとき(=秋)を歌った詩でもあります。
◇
彼と彼女は別れたのですが
そんなことどこにも書かれておらず
それらしいのは
彼は戸外に出て行った(2)
彼女は壁の中へ這入ってしまった(3)
――とあるところだけです。
◇
長谷川泰子が中原中也と暮らしていた住まいの荷物をたたんで
小林秀雄の住まいへ引っ越したのは
大正14年(1925年)11月のある日のことでした
折りあるごとに
詩人はこの「11月の事件」を
詩にしたり小説にしたり日記に書いたりもしていますが
「或る男の肖像」もその一つと言えそうです。
「永訣の秋」にも
「11月の事件」にかかわる詩を配置したということになります。
(つづく)
*
或る男の肖像
1
洋行帰りのその洒落者(しゃれもの)は、
齢をとつても髪に緑の油をつけてた。
夜毎喫茶店にあらはれて、
其処(そこ)の主人と話してゐる様はあはれげであつた。
死んだと聞いてはいつそうあはれであつた。
2
――幻滅は鋼《はがね》のいろ。
髪毛の艶《つや》と、ランプの金との夕まぐれ
庭に向つて、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。
剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。
開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。
読書も、しむみりした恋も、
暖かいお茶も黄昏《たそがれ》の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。
3
彼女は
壁の中へ這入(はい)つてしまつた。
それで彼は独り、
部屋で卓子《テーブル》を拭いてゐた。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
或る男の肖像
1
洋行帰りのその洒落者(しゃれもの)は、
齢をとっても髪に緑の油をつけてた。
夜毎喫茶店にあらわれて、
其処(そこ)の主人と話している様はあわれげであった。
死んだと聞いてはいっそうあわれであった。
2
――幻滅は鋼《はがね》のいろ。
髪毛の艶《つや》と、ランプの金との夕まぐれ
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行った。
剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も
どこもかしこもそわそわと、
寒かった。
開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでいた。
読書も、しんみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏《たそがれ》の空とともに
風とともにもう其処にはなかった。
3
彼女は
壁の中へ這入(はい)ってしまった。
それで彼は独り、
部屋で卓子《テーブル》を拭いていた。
※「新編中原中也全集」より。《 》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は全集編集委員会がつけたものです。
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