再掲載/2012年11月16日 (金) 「永訣の秋」京都のわかれ・「ゆきてかえらぬ」・生きているうちに読んでおきたい名作たち
「正午」が「東京のわかれ」であれば
「ゆきてかえらぬ」は「京都のわかれ」と読むことができます。
「永訣の秋」に
二つの「街へのわかれ」は不可欠でした。
(※原詩は文語「ゆきてかへらぬ」ですが、ここでは口語表示にしました。編者。)
◇
「大正十二年春、文学に耽りて落第す。京都立命館中学に転校する。生れて始めて両親を離れ、飛び立つ思ひなり」
――と後に「詩的履歴書」に京都の生活のはじまりは記されますが
この時からおよそ2年間が
中原中也の京都時代です。
「ゆきてかえらぬ」は
サブタイトルに「京都」とあるように
この京都時代を10余年後に回想する詩ですが
「永訣の秋」に収められて
自ずと回想を超えた意味を持つことは、
僕は此の世の果てにゐた。
――という、ただならぬ1行で
「永訣の秋」の冒頭詩がはじめられることで
すぐにもに理解できます。
◇
このフレーズもどこかで聞いた覚えがあるので記憶をたどれば
「少年時」に思いいたるのは容易なことです。
地平の果に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆のようだった。
(第2連)
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めていた……
嗚呼、生きていた、私は生きていた!
(最終連)
――が、すぐさま浮かんできます。
(つづく)
*
ゆきてかへらぬ
――京 都――
僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺つてゐた。
木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停つてゐた。
棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。
さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。
煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。
さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持つていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらゐは持つてもいたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。
女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会いに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。
名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。
* *
*
林の中には、世にも不思議な公園があつて、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。
さてその夜には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いてゐた。
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
◇
ゆきてかえらぬ
――京 都――
僕は此の世の果てにいた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺っていた。
木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停っていた。
棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であった。
さりとて退屈してもいず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食)すに適していた。
煙草くらいは喫ってもみたが、それとて匂いを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかった。
さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持っていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらいは持ってもいたが、たった一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだった。
女たちは、げに慕わしいのではあったが、一度とて、会いに行こうと思わなかった。夢みるだけで沢山だった。
名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。
* *
*
林の中には、世にも不思議な公園があって、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩していて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情していた。
さてその空には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いていた。
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