再掲載/2012年11月23日 (金) 「永訣の秋」女のわかれ・「あばずれ女の亭主が歌った」2・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)
「永訣の秋」の16篇の中で
長谷川泰子らしき女性が登場するのは
「あばずれ女の亭主が歌った」
「或る男の肖像」の2作品ですから
これが「泰子のわかれ」を歌った最終作品ということができるかもしれません。
◇
中原中也は「生涯にわたる恋人・長谷川泰子」を
実にさまざまに表現していますが
「あばずれ女」と悪(あ)しざまに言うのは
二人が初めて京都で出会ったころに
「あれはおれの柿の葉13枚だ」と
知人に泰子のことを紹介していたのにやや似通っているようですが
詩作品の中で「あばずれ女」というには
その亭主である私=詩人が
その女と同等の位置にいなければならず
「亭主」になって歌った詩であるところを読まねばならないでしょう。
10数年も前に「柿の葉13枚」と
夜郎自大(やろうじだい)ぶって知人に語った女性と
「永訣の秋」に「亭主」の眼を通じて現われる「あばずれ女」とは
同じモデルの女性であったとしても
自ずと異なります。
◇
どう異なるか――。
何にもまして、一筋縄(ひとすじなわ)ではいかない存在であることを
この10数年の間に詩人は知りました。
とうてい「柿の葉13枚」ではあり得ませんでした。
それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があって、
いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思うのだ。
――と浮気心も対等ですし、愛の気持ちをうるさく思うのも対等です。
◇
通俗的な「女房と亭主」の関係ではあっても
その関係を「二人」と呼び
どっちかがどっちかの上位にある関係にしていません。
狸(たぬき)と狐(きつね)か、
化(ば)かし合いする世間一般の夫婦に見立てて
泰子との来し方を振り返り
わかれの歌を歌ったのです。
もはやそれを恋とは言わず
愛というほかにありません。
◇
佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。
そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあう。
――と、これはまるで「愛の不可能」を歌っている
現代詩とかフランス映画かなにかの領域に入っているといえるものではありませんか。
(つづく)
*
あばずれ女の亭主が歌つた
おまへはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。
おれもおまへを愛してる。前世から
さだまつてゐたことのやう。
そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合ふ
もう長年の習慣だ。
それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があつて、
いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思ふのだ。
佳い香水のかほりより、
病院の、あはい匂ひに慕ひよる。
そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあふ。
そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。
あゝ、二人には浮気があつて、
それが真実《ほんと》を見えなくしちまう。
佳い香水のかほりより、
病院の、あはい匂ひに慕いよる。
※「新編中原中也全集」より。《》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は角川全集編集委員
によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
*
あばずれ女の亭主が歌った
おまえはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。
おれもおまえを愛してる。前世から
さだまっていたことのよう。
そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合う
もう長年の習慣だ。
それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があって、
いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思うのだ。
佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。
そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあう。
そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。
ああ、二人には浮気があって、
それが真実《ほんと》を見えなくしちまう。
佳い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。
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