再掲載/2012年12月30日 (日) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」3
(前回からつづく)
「春日狂想」の1は
内容は強烈でありながら
詩が詩人の心のうちを明らかにするという形の上では普通にはじめられていますが
2の後半の《 》でくくられた
まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。
――にさしかかって
詩のその形(構造)に変質が生じています。
この《 》の前に
参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。
――と、「わたし」が登場しますから
すくなくもとこの行までは
わたし=詩人が心のうちを明かし
愛する者を亡くしたら自殺しなきゃあならないと行き場を失っていたところを
生き永らえているわたしがこの後も生きていくためには
奉仕の気持ちにならなくてはならないことを述べ、
奉仕の気持ちになるといっても格別なこともできないので
以前より本を読むときは熟読し
以前より人には丁寧に接し
テンポ正しい散歩を心がけ
麦稈真田(ばっかんさなだ)を編むように敬虔な気持ちで
まるで毎日を日曜日のように
まるで毎日を玩具(おもちゃ)の兵隊のようにして、
鎌倉らしい街を歩いて
色とりどりの光景や行き交う人々との交渉を
一つひとつ歌いはじめて
神社(きっと鶴岡八幡宮でしょう)にやってきて、
人生は
一瞬の夢
ゴム風船の
美しさ
――というコロス(合唱)を聞くのです。
それはどこからともなく聞こえてきたというより
テンポ正しい散歩をしてきた詩人の胸の内にあった感慨が
大人数の男性女性の声に成り変って
地の底から湧いてきたかのように現われるものですから違和感はなく
これが誰のものであるかなどという疑問は生じませんが
よく読めば地(じ)の声とは異なります。
詩の形の上では
地の声とは異なりますが
これは詩人の声でもあります。
◇
神社の境内を
ゴム風船がふわりふわりと飛んでいったのを
詩人は目にしたのかもしれませんが
それはただの風景描写に置き換える以上の思いを抱かせたのでしょう。
コロスの合唱に仕立てる技が
自然の流れで出てきたのでした。
(つづく)
*
春日狂想
1
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながらうことともなつたら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
2
奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。
そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。
テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばつかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――
まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。
神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)へば、につこり致し、
飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、
まぶしくなつたら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。
苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。
参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。
《まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。》
空に昇つて、光つて、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。
久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましよ。
勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。
煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――
戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、
外国《あつち》に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。
馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。
まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?
それでも心をポーツとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。
3
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしませう。
つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。
ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしませう。
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
春日狂想
1
愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながろうことともなったら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
2
奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。
そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。
テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばっかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――
まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。
神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)えば、にっこり致し、
飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、
まぶしくなったら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。
苔はまことに、ひんやりいたし、
いわうようなき、今日の麗日。
参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。
《まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。》
空に昇って、光って、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。
久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましょ。
勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。
煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――
戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、
外国《あっち》に行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。
馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。
まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?
それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。
3
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。
つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。
ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしましょう。
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