再掲載/2012年12月29日 (土) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」2
「春日狂想」は
「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」の前にあり
「正午」に続いています。
「永訣の秋」のラインアップを
ここで再度見ておきますと
ゆきてかえらぬ
一つのメルヘン
幻影
あばずれ女の亭主が歌った
言葉なき歌
月夜の浜辺
また来ん春……
月の光 その一
月の光 その二
村の時計
或る男の肖像
冬の長門峡
米子
正午
春日狂想
蛙声
――の16篇です。
このうち文也の死を直接追悼したのは
「また来ん春……」とこの「春日狂想」、
間接的に歌ったのが「月夜の浜辺」と「月の光」の2作と「冬の長門峡」ということになります。
(※「月夜の浜辺」は、文也の死以前の制作と推定する説が最近の研究では有力のようです。)
◇
まず「春日狂想」をざっと読んでみましょう。
次に何度も何度も繰り返し読んでみましょう。
そうでもしないとこの詩を味わうのは無理ですから。
◇
愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。
――の冒頭行のインパクトが強烈なため
読み終えてもこの詩句が頭の中にこびりつくようなことになりますから
それだけではこの詩を読んだことにはならないので
全体を最後まで読むのです。
すると
1、2、3の3節で構成されている、
1は詩の導入部ですんなり読めるけれど
2はなかなか味わい深くて
汲めども汲めども尽きせぬ奥深さを感じて
繰り返し読んでいるとどんどんどんどん味が出てきて
同時に幾つもの疑問も出てきて
その疑問を解こうと熱中していて
いつしか呆けたような時間の中にいて
まことに、人生、花嫁御寮と詩の一節を諳(そら)んじていたり
3ではっと我に帰ったり……
特に2の《 》の中の
まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。
――という文句はだれの言葉なのか。
だれが喋っているのかと釘付けにされます。
◇
まことに人生というフレーズは
この《 》内のほかに
地の文(=詩の本文)にも2回現われますから
これはいったいどういうことかと思い巡らせば
アルチュール・ランボーの詩のドラマ仕立てか!
ギリシア悲劇のコロス(合唱)なのか!
それにしても
全篇77音(ときに8音)で貫(つらぬ)いて
狙われたのは何なのだろうなどと
詩の構造および詩を作る技(わざ)へ関心を引きつけられますが。
◇
詩人は
詩の技の完成度など
てんで気にしていないように
この詩を作っているようで
では何をもっとも大切にしたのかと
繰り返し読む度(たび)に
繰り返し考えさせられるのです。
(つづく)
*
春日狂想
1
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながらうことともなつたら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
2
奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。
そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。
テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばつかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――
まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。
神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)へば、につこり致し、
飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、
まぶしくなつたら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。
苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。
参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。
《まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。》
空に昇つて、光つて、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。
久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましよ。
勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。
煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――
戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、
外国《あつち》に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。
馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。
まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?
それでも心をポーツとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。
3
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしませう。
つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。
ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしませう。
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
春日狂想
1
愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながろうことともなったら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
2
奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。
そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。
テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばっかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――
まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。
神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)えば、にっこり致し、
飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、
まぶしくなったら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。
苔はまことに、ひんやりいたし、
いわうようなき、今日の麗日。
参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。
《まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。》
空に昇って、光って、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。
久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましょ。
勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。
煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――
戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、
外国《あっち》に行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。
馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。
まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?
それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。
3
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。
つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。
ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしましょう。
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