再掲載/2012年12月 6日 (木) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」2
(前回からつづく)
「言葉なき歌」には
いくつかの指示代名詞や
場所・方角を表わす名詞(句)・形容詞が使われ
近くから遠くから
本体(場所)に代わってその内容が指し示されますが
本体の内容は具体的に示されるところまでいきません。
「あれ」
「ここ」(此処)
「あすこ」
「とおいい」(遠いい)
「遙か」
「彼方」
「その方」
――がそれですが
なんといっても重要なのは
「あれ」と「ここ」です。
◇
「あれ」は遠いところにある
「あれ」は遠い彼方で夕陽にけぶっている
「あれ」は号笛(フィトル)の音のように繊弱
「あれ」は煙突の煙のように、茜の空にたなびいている
――が「あれ」の状態ですが、
「ここ」は空気もかすかで蒼く、葱の根のように仄かで淡い状態で、
根気強く待っていなければならず
待ってさえいれば
そのうち喘ぎも平静に復すような場所です。
「あれ」を「ここ」で「待つ」ことの大事さが歌われるのですが
「待つ」というのは
急いではならない
娘の眼のように遙かなものを見るように見やってはならない
その方へ駆け出してはならない
――という否定形でのみ説明される受動的な行為です。
そのようでありながら
堅固な意思を試される「主体的営為」のようでもあり
詩人はそのようにでもしなければ
詩の言葉などが生まれることはないとの確信を記述しているかのようです。
◇
「あれ」は当面「あれ」としか言いようにないコトなのですが
詩はそれを言い表わすことがミッションであり
ミッションなどと概括した途端に
その内容は消えていってしまったり
言い表そうとしたときにすでに別物に変化してしまう場合が多いから
それ「以前」の「それ」を言い表わすためには
まず「感じ」なければならない――。
◇
「言葉なき歌」は
中原中也が「芸術論覚え書」で綿密に述べている詩論の
実践例のような詩です。
(つづく)
*
言葉なき歌
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡《あは》い
決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女《むすめ》の眼《め》のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい
それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛《フイトル》の音《ね》のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない
さうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
言葉なき歌
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡《あわ》い
決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女《むすめ》の眼(め)のように遥かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい
それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛《フィトル》の音《ね》のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない
そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。
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