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2021年7月19日 (月)

再掲載/2012年12月 4日 (火) 「永訣の秋」もう一つの女のわかれ・「米子」2

(前回からつづく)

長谷川泰子の勝気なばかりではない側面を
「米子(よねこ)」で描いた――。

そう考えてもよいか
そう考えないほうがよいか。

米子は泰子のことを指しているという考えと
米子は泰子とは異なる女性をモデルにしているが
それが誰であるかは特定できないという考えとが対立しながら存在しますが
「泰子」はもはやこの時点で
実在の泰子以上(以外)の「恋人」になっているともいえますから
どちらでもおかしくはないことを頭に入れてこの詩を読んでみます。

ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿って、立っていた。

――と、米子(よねこ)は
人通りのない歩道に「ポプラ」の木のように立っているのですが
バス待ちなのか人待ちなのか
何かを待っているようで
所在なさそうで影がうすい感じなのが
逆に強烈な存在感を放っているのです。

どうしてそう感じられるかといえば
彼女は「肺病やみ」で「腓(ひ)」=ふくらはぎが細くて
すーっと背の高い姿形(すがたかたち)をしている、というところに
ギョッとさせられるからです。

彼女の名前まで知っており
かぼそい声を聞いたこともあるのですから
知り合いらしいのですが
気安く言葉を交わすほどでもなく
「お嫁にいったら元気になるさ」などと軽口を叩ける間柄でもない。

言い出しにくいわけでもなく
言って彼女の気持ち暗くさせてはまずいと思ったのでもなく
ただ言いそびれ言う機会を失った
――という必然(運命)にあっただけのことを言いたいらしい。

何年か、何十年か経った今、
それゆえに気になって仕方ないのです。
雨上がりの歩道に立つ彼女に
もう一度会ってみたいのです。
もう一度そのかぼそい声を聞きたいのです。

そして今度こそ
わかれの最後の言葉をかけて……。

いまや遠い日のことになったあの時の
あの何ということもない日常の一断面に現われた女性。

彼女が誰であるかという関心は消えていかないものですが
それを詮索(せんさく)しなくても
この詩を味わうことができます。

泰子である、
泰子ではない、
泰子以外の女性で詩人が一時心を動かしたことがある女性――などと
想像しながら読んでもまた楽しからずや、です。

「米子」は
昭和11年12月1日付け発行の「ペン」に初出、
昭和12年4月1日付け発行の「文芸懇話会」に再出、
「在りし日の歌」の「永訣の秋」に
「冬の長門峡」と「正午」に挟まって置かれました。

永遠のわかれのあいさつを
女性にもうひとこと言っておきたいという意図を
この配置から感じ取ることができます。

(この項終わり)

米 子
 
二十八歳のその処女《むすめ》は、
肺病やみで、腓《ひ》は細かつた。
ポプラのやうに、人も通らぬ
歩道に沿つて、立つてゐた。

処女《むすめ》の名前は、米子と云つた。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであつた。
――かぼそい声をしてをつた。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なお)るかに思はれた。と、そう思いながら
私はたびたび処女《むすめ》をみた……

しかし一度も、さうと口には出さなかつた。
別に、云い出しにくいからといふのでもない
云つて却《かえ》つて、落胆させてはと思つたからでもない、
なぜかしら、云はずじまいであつたのだ。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
歩道に沿つて立つてゐた、
雨あがりの午後、ポプラのやうに。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思ふのだ……

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

米 子
 
二十八歳のその処女《むすめ》は、
肺病やみで、腓《ひ》は細かった。
ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿って、立っていた。

処女《むすめ》の名前は、米子と云った。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであった。
――かぼそい声をしておった。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なお)るかに思われた。と、そう思いながら
私はたびたび処女《むすめ》をみた……

しかし一度も、そうと口には出さなかった。
別に、云い出しにくいからというのでもない
云って却《かえ》って、落胆させてはと思ったからでもない、
なぜかしら、云わずじまいであったのだ。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
歩道に沿って立っていた、
雨あがりの午後、ポプラのように。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思うのだ……

 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

 

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