再掲載/2013年1月 5日 (土) 「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」1
「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」は
昭和12年5月14日に作られ
同年の「四季」7月号に発表されました。
「四季」に発表されたとき
末尾に制作日の記載があります。
この頃、「在りし日の歌」の編集は急展開し
詩集タイトルを「在りし日の歌」とすることや
この「蛙声」を最終詩とし
「含羞(はじらい)」を詩集の冒頭詩とすることなど
詩集全体の構成が次々に
ほぼ同時的に決められたようです。
(新全集第1巻・詩Ⅰ解題篇)
「蛙声」は
詩集「在りし日の歌」の完成へ
スプリングボードの役割を果たしたようですが
その役割を果たすためには
内容やメッセージが重要であったことは
「山羊の歌」の最終詩「いのちの声」と同じような事情です。
◇
6月、近衛内閣発足
7月、盧溝橋事件
8月、上海事変
12月、南京陥落
――といった時代でした。
「蛙声」を読む前に
この程度のことを知っておいても害にはならないことでしょう。
中原中也はこの年の4月29日に30歳になります。
◇
詩が
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
――とはじめられるは
幾分か時代のニュアンスを込めようとしたものでしょうか。
池が存在するのは
天があり地がありという
大宇宙の作りの中の
その厳然とした存在である地に
たまたま(偶然)一つの池があり
その偶然の存在である池に棲んでいる蛙が
一夜限りの命とばかりに今鳴いている
いったいあれは何を鳴いているのだろう
――と遠撮(遠景)と近撮(近景)の往復の中で
蛙の声をとらえます。
蛙の声そのものがとらえられるのではなく
とらえられても
天や地を背景にし
空から来て
空へ去っていく声としてしか聞こえてきません。
◇
中原中也には
蛙をモチーフにした詩が幾つかありますが
それらは昭和5~8年に使われていた「ノート翻訳詩」に記されたものです。
「蛙声(郊外では)」
(蛙等は月を見ない)
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
(Qu'est-ce que c'est?)
――の4作ですが
これらの詩も蛙そのものがとらえられているのではなく
風景(状況とか背景とか関係とか)の中の蛙です。
当たり前のことのようですが
蛙そのものの姿態などは
これっぽっちも歌われていないのです。
(つづく)
*
蛙 声
天は地を蓋(おお)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?
その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。
よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》はれ、
頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )は全集委員会によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
蛙 声
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?
その声は、空より来り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。
よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》われ、
頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。
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