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2021年8月 7日 (土)

再掲載/2013年1月 7日 (月) 「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」3

(前回からつづく)

「ノート翻訳詩」に書かれた
「蛙声(郊外では)」
(蛙等は月を見ない)
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
(Qu'est-ce que c'est?)
――は、みんな昭和8年(5月~8月)の制作と推定されていますから
「在りし日の歌」の「蛙声」まで丸4年の歳月が流れたことになります。

両者にどのような違いがあり
どのような共通項があるでしょうか――。

「蛙声(郊外では)」は
遠景で蛙をとらえ
蛙の鳴きっぷりを
宿命のように
沼のような
儀式のように義務のように
唱歌のように
――と直喩(ような)で表わします。

(蛙等は月を見ない)は
月(と雲)を登場させて
蛙と月の関係や違いを明らかにして
僕の存在に言い及びます。

(蛙等が、どんなに鳴こうと)は
僕に接近し接写し
月でも蛙でもない僕の仕事へと目を向け
僕は蛙を聴き、月を見て立っていれば
いつかは甲斐のある仕事があるだろう、と
仕事へフォーカスしてゆきます。

仕事とは
いうまでもなく詩を作ることです。

Qu'est-ce que c'est? は
前作を継いで
何時までも立っていることを
蛙が鳴き月が空を泳ぐことと同列のものに見なすものの
蛙の声を聞くと
何か、やむにやまれぬ気持ちで
思い出すことがあり
何かは分からない何かを思い出す

――といったような詩です。

四つの詩のうち
二つはタイトルが付けられ
二つは「未題」です。

4作は連続して作られたようで
実際に蛙の鳴くシーズンに
鳴き声を聴きながら作ったにしては
動物(生き物)としてのカエルのイメージはさほど鮮明ではなく
夜(暗闇)にシルエットとして浮かんでいる感じです。

蛙(声)は
詩人が何かを託そうとする象徴として登場し
月や雲も自然現象そのものではありません。

(つづく)

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )は全集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであろう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであろう?
天は地を蓋い、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》われ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。

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