生前発表詩篇を読む

ダダのデザイン<10>ピチベの哲学

「ピチベの哲学」は、
1934年2月、
「紀元」に発表されました。

ピチベは、
名無しの権兵衛(ごんべい)の兵衛とか
清兵衛(せいべい)さんとか
野次郎兵衛(やじろうべえ)とか、の
べい、べえにつながったり、

遠い外国、
たとえばイタリアあたりの、
古代ローマの都市の一つであった町に
住んでいた兵士の名前とかを
思わせたりしますが
ほんとのところは
なんだかわかりません。

人名と考えるのが妥当で
詩人が
想像の世界で親しい「道化」の
中の一人に付けた名前と
ここでは考えておきましょう。

俺は愁(かな)しいのだよ。
の俺は、道化である俺、ピチベで、
ピチベは詩人のことでもあり、
その俺が、
いきなり、悲しい、と歌い出します。

京都時代のダダ詩は
「道化」を介在しないで
歌われていましたが
1934年になると、
「道化」の口を借りて
歌われるようになるケースが増えるのです。

各連の冒頭の、
チヨンザイチヨンザイピーフービーも、
ジュゲムジュゲムゴコーノスリキリー
アブラカタブラ
エコエコアザラク
エロイムエッサイムエロイムエッサイム
とかの呪文のつもりなのか

その呪文を否定し
揶揄(やゆ)するものなのか
ラテン語の1節なのか
サンスクリットなのか
ヘブライ語なのか……

意味するものがなんだかは
はっきりとはわかりません
わかろうとすれば
ますますわからなくなることで
目的を達したような言葉です。

反面、どのような意味を与えても
通じるようでもある語句の連なりは
これこそ
ダダ的なボキャブラリー
といってよいでしょうが
ま、これも深追いしないで
語呂や語感を味わっているに
越したことはありません。

月が、
俺には
中にお姫様がいて
チャールストンを踊っているのに、
それは見えないから、
静かなんだがなあ。

だれも
このことをわかっていないようだなあ
このことをわかろうとしないなあ
チヨンザイチヨンザイピーフービーだよなあ
チヨンザイチヨンザイピーフービーだよなあ

さて俺は落付かう、なんてな、
さういふのが間違つてゐるぞォ
チヨンザイチヨンザイピーフービーだよなあ

月が美しいのはさ、
あのお月様の中のお姫様のようにさ
なんにも考えずに絶えず踊っているからさ

月の美しさを歌う中で
濡れ落ち葉にでもなろうとしている
凡人を痛撃します
しかし
その口調は
京都時代の激しさは消えて
穏やかです。
道化の口振りです。

 *
 ピチベの哲学

チヨンザイチヨンザイピーフービー
俺は愁(かな)しいのだよ。
――あの月の中にはな、
色蒼ざめたお姫様がゐて……
それがチャールストンを踊つてゐるのだ。
けれどもそれは見えないので、
それで月は、あのやうに静かなのさ。

チヨンザイチヨンザイピーフービー
チャールストンといふのはとてもあのお姫様が踊るやうな踊りではないけども、
そこがまた月の世界の神秘であつて、
却々(なかなか) 六ヶ敷(むつかし)いところさ。

チヨンザイチヨンザイピーフービー
だがまたとつくと見てゐるうちには、
それがさうだと分つても来るさ。
迅(はや)いといへば迅い、緩(おそ)いといへば緩いテムポで、
ああしてお姫様が踊つてゐられるからこそ、
月はあやしくも美しいのである。
真珠のやうに美しいのである。

チヨンザイチヨンザイピーフービー
ゆるやかなものがゆるやかだと思ふのは間違つてゐるぞォ。
さて俺は落付かう、なんてな、
さういふのが間違つてゐるぞォ。
イライラしてゐる時にはイライラ、
のんびりしてゐる時にはのんびり、
あのお月様の中のお姫様のやうに
なんにも考へずに絶えずもう踊つてゐれあ
それがハタから見れあ美しいのさ。

チヨンザイチヨンザイピーフービー
真珠のやうに美しいのさ。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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ダダのデザイン<7>道化の臨終<6>

中也が
「山羊の歌」の編集にかかったのは
1932年(昭和7年)4月。
それから
丸3年、
「白痴群」の盟友、安原喜弘の
献身的なサポートを得ながら、
いくつかの出版社に原稿を持ち込みますが
OKの声は容易には聞けませんでした。
しかし、
1934年(昭和9年)、
青山二郎の仲立ちもあり、
文圃堂から
「山羊の歌」は出版されました。

長男文也が誕生するのも
この頃で、
ランボーの翻訳のために帰省し
辞書と首っ引きで、
その詩世界と格闘、
しばらく、
東京の喧噪から遠ざかる生活を送るのも
この年ですし、
「道化の臨終」が作られたのも
この年でした。

詩人が詩人として世に立つためには
詩集を持つこと、
詩集を発行することが大きな証となりますが
その第1詩集が
公刊されたこの年

1934年、昭和9年という年は
中原中也27歳、
大きな区切りの年であるようでした。

この節目の年に
中也の中で
ダダイズムはどのように生きていたのか
どのような形をとっていたのか……
その答が
「道化の臨終(Etude Dadaistique)」にあります。

「道化の臨終」は
中原中也という詩人の
ダダのデザインの実践の
1934年という時点の現在形ということになり、
その核心にあるのは、
道化という存在です。

*      
 道化の臨終(Etude Dadaistique)

   序 曲

君ら想はないか、夜毎何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍がゐるかもしれぬと。
君ら想はないか、曠野(こうや)の果に、
夜毎姉妹の灯ともしてゐると。

君等想はないか、永遠の夜(よる)の浪、
其処(そこ)に泣く無形(むぎやう)の生物(いきもの)、
其処に見開く無形(むぎやう)の瞳、
かの、かにかくに底の底……

心をゆすり、ときめかし、
嗚咽(おえつ)・哄笑一時(いつとき)に、肝に銘じて到るもの、
清浄こよなき漆黒のもの、
暖(だん)を忘れぬ紺碧(こんぺき)を……

     *     *
        *

空の下(もと)には 池があつた。
その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、
空はかほりと はるけくて、
今年も春は 土肥やし、
雲雀(ひばり)は空に 舞ひのぼり、
小児が池に 落つこつた。

小児は池に仰向(あおむ)けに、
池の縁〈ふち〉をば 枕にて、
あわあわあわと 吃驚(びつくり)し、
空もみないで 泣きだした。

僕の心は 残酷な、
僕の心は 優婉(ゆうえん)な、
僕の心は 優婉な、
僕の心は 残酷な、
涙も流さず 僕は泣き、
空に旋毛(つむじ)を 見せながら、
紫色に 泣きまする。

僕には何も 云はれない。
発言不能の 境界に、
僕は日も夜も 肘(ひじ)ついて、
僕は砂粒に 照る日影だの、
風に揺られる 雑草を、
ジツと瞶(みつ)めて をりました。

どうぞ皆さん僕といふ、
はてなくやさしい 痴呆症、
抑揚の神の 母無(おやな)し子(ご)、
岬の浜の 不死身貝、
そのほか色々 名はあれど、
命題・反対命題の、
能(あた)ふかぎりの 止揚場(しやうぢやう)、
天(あめ)が下なる 「衛生無害」、
昔ながらの薔薇(ばら)の花、
ばかげたものでも ござりませうが、
大目にあづかる 為体(ていたらく)。

かく申しまする 所以(ゆえん)のものは、
泣くも笑ふも 朝露の命、
星のうちなる 星の星……
砂のうちなる 砂の砂……
どうやら舌は 縺(もつ)れまするが、
浮くも沈むも 波間の瓢(ひさご)、
格別何も いりませぬ故、
笛のうちなる 笛の笛、
——次第に舌は 縺れてまゐる——
至上至福の 臨終(いまは)の時を、
いやいや なんといはうかい、
一番お世話になりながら、
一番忘れてゐられるもの……
あの あれを……といつて、
それでは誰方(どなた)も お分りがない……
では 忘恩悔ゆる涙とか?
えゝまあ それでもござりまするが……
では——
えイ、じれつたや
これやこの、ゆくもかへるも
別れては、消ゆる移り香、
追ひまはし、くたびれて、
秋の夜更に 目が覚めて、
天井板の 木理(もくめ)みて、
あなやと叫び 呆然(ぼうぜん)と……
さて われに返りはするものの、
野辺の草葉に 盗賊の、
疲れて眠る その腰に、
隠元豆の 刀あり、
これやこの 切れるぞえ、
と 戸の面(おもて)、丹下左膳がこつち向き、
——狂つた心としたことが、
何を云ひ出すことぢややら……
さはさりながら さらばとて、
正気の構へを とりもどし、
人よ汝(いまし)が「永遠」を、
恋することのなかりせば、
シネマみたとてドツコイシヨのシヨ、
ダンスしたとてドツコイシヨのシヨ。
なぞと云つたら 笑はれて、
ささも聴いては 貰へない、
さればわれ、明日は死ぬ身の、
今茲(ここ)に 不得要領……
かにかくに 書付けましたる、
ほんのこれ、心の片端〈はしくれ〉、
不備の点 恕(ゆる)され給ひて、
希(ねが)はくは お道化(どけ)お道化て、
ながらへし 小者にはあれ、
冥福の 多かれかしと、
神にはも 祈らせ給へ。
             (一九三四・六・二)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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ダダのデザイン<6>道化の臨終<5>

「道化の臨終(Etude Dadaistique)」は
1934年(昭和9年)に作られ、
1937年(昭和12年)「日本歌人」9月号に発表されました。

制作された1934年は、
中也27歳の年ですが、
制作の年よりも
発表された1937年は、
詩人が死去する年である
ということには、
おやっと、
思わずにいられないものがあります。

世の中に向けて発表するということは
その作品が遠い過去に作られたものであっても、
その作品の現在を示すものである以上
「道化の臨終(Etude Dadaistique)」は、
中原中也という詩人の
最晩年の作品に属するということなのですから。

ダダイズムの詩が
詩人の死去する3年前に作られ
死去するおよそ2か月前に発表された、
ということは大変興味深いことです。
詩人の死は、
1937年10月22日です。

大岡昇平は、
やや驚愕気味に
この事実をもって
中原中也はダダイストであったか、どうか
という問いを自ら立て
中也評伝では最後になった「中原中也・1」を
1971年から書きはじめましたが、
途中でプツンとやめてしまいました。

この論考「中原中也・1」を所収している
「中原中也」(1974年初版、角川書店)のあとがきには
この間の経緯が次のように記されています。

私は本巻五巻を通して解説を書き、また新しい観点を強いられる結果になりました。例えば『朝の歌』に「日本のダダイスムは中原がそこから出て来たも のとしてしか興味はない」と書きましたが、案外そこに中原の生に対する基本的態度があるのではないか、という疑問が生じました。そこで一九七一年から再出 発したのが「中原中也・1」ですが、ここで私の根気はぷっつり切れた感じになりました。

かくて、結論は出されずじまいになったのですが
「道化の臨終」について、
「ダダ的ではあるが、ダダイズムそのものではない」と
書いたのはこの「中原中也・1」の中でのことでした。

中也のダダイズムへの関わりについて
例によって
骨までしゃぶるような論究が展開されたのですが、
「道化の臨終」については、
(Etude Dadaistique)の
傍題があるにもかかわらず
最後まで、「ダダ的」とし、
そのほかの「朝の歌」以降の作品についても
「ダダ的」とする以上の断言をしませんでした。



*      
 道化の臨終(Etude Dadaistique)

   序 曲

君ら想はないか、夜毎何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍がゐるかもしれぬと。
君ら想はないか、曠野(こうや)の果に、
夜毎姉妹の灯ともしてゐると。

君等想はないか、永遠の夜(よる)の浪、
其処(そこ)に泣く無形(むぎやう)の生物(いきもの)、
其処に見開く無形(むぎやう)の瞳、
かの、かにかくに底の底……

心をゆすり、ときめかし、
嗚咽(おえつ)・哄笑一時(いつとき)に、肝に銘じて到るもの、
清浄こよなき漆黒のもの、
暖(だん)を忘れぬ紺碧(こんぺき)を……

     *     *
        *

空の下(もと)には 池があつた。
その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、
空はかほりと はるけくて、
今年も春は 土肥やし、
雲雀(ひばり)は空に 舞ひのぼり、
小児が池に 落つこつた。

小児は池に仰向(あおむ)けに、
池の縁〈ふち〉をば 枕にて、
あわあわあわと 吃驚(びつくり)し、
空もみないで 泣きだした。

僕の心は 残酷な、
僕の心は 優婉(ゆうえん)な、
僕の心は 優婉な、
僕の心は 残酷な、
涙も流さず 僕は泣き、
空に旋毛(つむじ)を 見せながら、
紫色に 泣きまする。

僕には何も 云はれない。
発言不能の 境界に、
僕は日も夜も 肘(ひじ)ついて、
僕は砂粒に 照る日影だの、
風に揺られる 雑草を、
ジツと瞶(みつ)めて をりました。

どうぞ皆さん僕といふ、
はてなくやさしい 痴呆症、
抑揚の神の 母無(おやな)し子(ご)、
岬の浜の 不死身貝、
そのほか色々 名はあれど、
命題・反対命題の、
能(あた)ふかぎりの 止揚場(しやうぢやう)、
天(あめ)が下なる 「衛生無害」、
昔ながらの薔薇(ばら)の花、
ばかげたものでも ござりませうが、
大目にあづかる 為体(ていたらく)。

かく申しまする 所以(ゆえん)のものは、
泣くも笑ふも 朝露の命、
星のうちなる 星の星……
砂のうちなる 砂の砂……
どうやら舌は 縺(もつ)れまするが、
浮くも沈むも 波間の瓢(ひさご)、
格別何も いりませぬ故、
笛のうちなる 笛の笛、
——次第に舌は 縺れてまゐる——
至上至福の 臨終(いまは)の時を、
いやいや なんといはうかい、
一番お世話になりながら、
一番忘れてゐられるもの……
あの あれを……といつて、
それでは誰方(どなた)も お分りがない……
では 忘恩悔ゆる涙とか?
えゝまあ それでもござりまするが……
では——
えイ、じれつたや
これやこの、ゆくもかへるも
別れては、消ゆる移り香、
追ひまはし、くたびれて、
秋の夜更に 目が覚めて、
天井板の 木理(もくめ)みて、
あなやと叫び 呆然(ぼうぜん)と……
さて われに返りはするものの、
野辺の草葉に 盗賊の、
疲れて眠る その腰に、
隠元豆の 刀あり、
これやこの 切れるぞえ、
と 戸の面(おもて)、丹下左膳がこつち向き、
——狂つた心としたことが、
何を云ひ出すことぢややら……
さはさりながら さらばとて、
正気の構へを とりもどし、
人よ汝(いまし)が「永遠」を、
恋することのなかりせば、
シネマみたとてドツコイシヨのシヨ、
ダンスしたとてドツコイシヨのシヨ。
なぞと云つたら 笑はれて、
ささも聴いては 貰へない、
さればわれ、明日は死ぬ身の、
今茲(ここ)に 不得要領……
かにかくに 書付けましたる、
ほんのこれ、心の片端〈はしくれ〉、
不備の点 恕(ゆる)され給ひて、
希(ねが)はくは お道化(どけ)お道化て、
ながらへし 小者にはあれ、
冥福の 多かれかしと、
神にはも 祈らせ給へ。
             (一九三四・六・二)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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ダダのデザイン<5>道化の臨終(4)

いよいよ
道化の僕が語り出します。
第3章あたり、
起承転結の転あたりから結へと進みます。

どうぞ皆さん、という語りかけの口調は
これも
ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テムポ正しく、握手をしませう。
という「春日狂想」の
語り口調と同じものです。

どうぞみなさん、僕という
バカやさしい、痴呆症とか
抑揚を知らない、母なし子とか
岬の浜の不死身貝とか……
その他にもいろいろ呼び名はありまして、

お得意の地口(じぐち)が
しばらく続きます
あんまり意味はなさそうですが
設定が臨終ですから
人の命のはかなさについて
延々延々と

命題、反対命題の
トコトン、弁証し、止揚した場所とか、
天下の「衛生無害」とか、
昔ながらのバラの花とか、
馬鹿げたものでございますが
どうぞ大目にみていただきたく……

このように申しますわけと言えばですが、
泣くも笑うも、朝露の命でありまして、
人の命ははかないものでありまして、
星の中の、星の星の、その一つ、
砂の中の、砂の砂の、その一つ、
舌がもつれてしまいますな、

浮くも沈むも、
波間のヒョウタンみたいなもので
格別になにも必要としませんので、
笛の中の、笛の笛の、
段々、舌がもつれてきますね

至上至福の、
ご臨終の時、いまわの際を、
いやはや、なんと申しましょうか
一番お世話になりながら、
一番忘れていられるもの、
あの、あれです、とかいっても、
これじゃあ、どなたもピンとこないですよね
お分かりにならないですよね

じゃあ、忘恩を後悔する涙、とか?
ええ、まあ、それでもよいのですけれど……

では……、では……
えい、じれったいなあ
これやこれ、行くも帰るも、
別れては、消える移り香(うつりが)、
追い回して、くたびれて、
秋の夜長に、目が覚めて、
天井の板の木目に目を凝らし、
ああ、と叫び声さえあげて、
呆然と……昔のことを思い出し……

ああ、ここにも、
泰子さんが出てきましたねえ!

はっと、我に返りはするものの、
野辺の草葉に、盗賊が、
疲れて眠っていて、その腰に、
インゲン豆の形をした刀が差してあって、
こりゃあ、こりゃあ、何者ぞ
切るぞー、と声をあげると、
戸の外に、丹下左膳がこちらを向いて、

狂った心の仕業だからって
われながら何を言い出すことやら

そうかそうならば、
人よ、あなたの永遠の命を
恋することが、もしないのだったら、
シネマを見たからといってドッコイショノショ、
ダンスをしたからといってドッコイショノショ、
などと言ったら、笑われてしまって、
ちっとも聞いてもらえない

そうならば僕、
どうせ明日は死ぬ身、
いまここに、要領を得ないままですが……
とにもかくにも、書き付けましたのは、
これはほんとに、心の一部分です
どうぞ不備の点は、お許しお願いしたく、
願わくは、僕、おどけおどけて
生き長らえてきた、小者(こもの)ですので、
死んだら、冥福も大きいものと、
神さまに、祈ってやってくださいませんか


(つづく)



 *      
 道化の臨終(Etude Dadaistique)   

   序 曲

君ら想はないか、夜毎何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍がゐるかもしれぬと。
君ら想はないか、曠野(こうや)の果に、
夜毎姉妹の灯ともしてゐると。

君等想はないか、永遠の夜(よる)の浪、
其処(そこ)に泣く無形(むぎやう)の生物(いきもの)、
其処に見開く無形(むぎやう)の瞳、
かの、かにかくに底の底……

心をゆすり、ときめかし、
嗚咽(おえつ)・哄笑一時(いつとき)に、肝に銘じて到るもの、
清浄こよなき漆黒のもの、
暖(だん)を忘れぬ紺碧(こんぺき)を……

     *     *
        *

空の下(もと)には 池があつた。
その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、
空はかほりと はるけくて、
今年も春は 土肥やし、
雲雀(ひばり)は空に 舞ひのぼり、
小児が池に 落つこつた。

小児は池に仰向(あおむ)けに、
池の縁〈ふち〉をば 枕にて、
あわあわあわと 吃驚(びつくり)し、
空もみないで 泣きだした。

僕の心は 残酷な、
僕の心は 優婉(ゆうえん)な、
僕の心は 優婉な、
僕の心は 残酷な、
涙も流さず 僕は泣き、
空に旋毛(つむじ)を 見せながら、
紫色に 泣きまする。

僕には何も 云はれない。
発言不能の 境界に、
僕は日も夜も 肘(ひじ)ついて、
僕は砂粒に 照る日影だの、
風に揺られる 雑草を、
ジツと瞶(みつ)めて をりました。

どうぞ皆さん僕といふ、
はてなくやさしい 痴呆症、
抑揚の神の 母無(おやな)し子(ご)、
岬の浜の 不死身貝、
そのほか色々 名はあれど、
命題・反対命題の、
能(あた)ふかぎりの 止揚場(しやうぢやう)、
天(あめ)が下なる 「衛生無害」、
昔ながらの薔薇(ばら)の花、
ばかげたものでも ござりませうが、
大目にあづかる 為体(ていたらく)。

かく申しまする 所以(ゆえん)のものは、
泣くも笑ふも 朝露の命、
星のうちなる 星の星……
砂のうちなる 砂の砂……
どうやら舌は 縺(もつ)れまするが、
浮くも沈むも 波間の瓢(ひさご)、
格別何も いりませぬ故、
笛のうちなる 笛の笛、
――次第に舌は 縺れてまゐる――
至上至福の 臨終(いまは)の時を、
いやいや なんといはうかい、
一番お世話になりながら、
一番忘れてゐられるもの……
あの あれを……といつて、
それでは誰方(どなた)も お分りがない……
では 忘恩悔ゆる涙とか?
えゝまあ それでもござりまするが……
では――
えイ、じれつたや
これやこの、ゆくもかへるも
別れては、消ゆる移り香、
追ひまはし、くたびれて、
秋の夜更に 目が覚めて、
天井板の 木理(もくめ)みて、
あなやと叫び 呆然(ぼうぜん)と……
さて われに返りはするものの、
野辺の草葉に 盗賊の、
疲れて眠る その腰に、
隠元豆の 刀あり、
これやこの 切れるぞえ、
と 戸の面(おもて)、丹下左膳がこつち向き、
――狂つた心としたことが、
何を云ひ出すことぢややら……
さはさりながら さらばとて、
正気の構へを とりもどし、
人よ汝(いまし)が「永遠」を、
恋することのなかりせば、
シネマみたとてドツコイシヨのシヨ、
ダンスしたとてドツコイシヨのシヨ。
なぞと云つたら 笑はれて、
ささも聴いては 貰へない、
さればわれ、明日は死ぬ身の、
今茲(ここ)に 不得要領……
かにかくに 書付けましたる、
ほんのこれ、心の片端〈はしくれ〉、
不備の点 恕(ゆる)され給ひて、
希(ねが)はくは お道化(どけ)お道化て、
ながらへし 小者にはあれ、
冥福の 多かれかしと、
神にはも 祈らせ給へ。
             (一九三四・六・二)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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ダダのデザイン<4>道化の臨終(3)

序曲が終わり、
始まるのは、
第1章なのでしょうか

空の下には池があった。
池の周りには花々が咲き
風に揺らいでいた
空には香りがあふれ、
遙かな向こうまでかすみがかかったようだ

今年も春がやってきて
土が鮮やかに色づいている
雲雀が空に舞いのぼり
子どもは池に落っこちた

穏やかな春の風景に
ドラマが突如生じます
子どもが池に落ちるのです

菜の花畑で眠つてゐるのは……
赤ン坊ではないでせうか?
という
「春と赤ン坊」のモチーフと
どこか似ているのか
似ていないのか……

穏やかなものが
その頂点に達し破裂し……
ここに死のイメージが忍び込む……

子どもは、
池に仰向けになって
空を仰ぐように
池の縁を枕にして
あわあわあわてふためいて
空なんて見ていられなくなって
泣き出したよ

しかし、
ここでテーマは
僕です
そして、僕とは、
詩人のことでしょう
道化である僕であり
詩人である僕……
その心は、

残酷で
優しい
単に優しいというほどではなく
優婉な優しさで
涙も出さないで泣きました
空につむじを向けて
というのは、
さして意味を追わなくていいのですが
空の方には向かないで
一心に
紫色になるほど
赤黒い顔を作って
泣きました

泣きましたけれど
僕は何も言うことができない。
発言できない。
言おうとするのだけれど
ギリギリのところでできないのでした
来る日も来る日も
肘をついて
砂に照りつける陽光だの
風に吹かれて揺れる草だのを
じっと眺めているばかりでした。



(つづく)



 *      
 道化の臨終(Etude Dadaistique)   

   序 曲

君ら想はないか、夜毎何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍がゐるかもしれぬと。
君ら想はないか、曠野(こうや)の果に、
夜毎姉妹の灯ともしてゐると。

君等想はないか、永遠の夜(よる)の浪、
其処(そこ)に泣く無形(むぎやう)の生物(いきもの)、
其処に見開く無形(むぎやう)の瞳、
かの、かにかくに底の底……

心をゆすり、ときめかし、
嗚咽(おえつ)・哄笑一時(いつとき)に、肝に銘じて到るもの、
清浄こよなき漆黒のもの、
暖(だん)を忘れぬ紺碧(こんぺき)を……

     *     *
        *

空の下(もと)には 池があつた。
その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、
空はかほりと はるけくて、
今年も春は 土肥やし、
雲雀(ひばり)は空に 舞ひのぼり、
小児が池に 落つこつた。

小児は池に仰向(あおむ)けに、
池の縁〈ふち〉をば 枕にて、
あわあわあわと 吃驚(びつくり)し、
空もみないで 泣きだした。

僕の心は 残酷な、
僕の心は 優婉(ゆうえん)な、
僕の心は 優婉な、
僕の心は 残酷な、
涙も流さず 僕は泣き、
空に旋毛(つむじ)を 見せながら、
紫色に 泣きまする。

僕には何も 云はれない。
発言不能の 境界に、
僕は日も夜も 肘(ひじ)ついて、
僕は砂粒に 照る日影だの、
風に揺られる 雑草を、
ジツと瞶(みつ)めて をりました。

どうぞ皆さん僕といふ、
はてなくやさしい 痴呆症、
抑揚の神の 母無(おやな)し子(ご)、
岬の浜の 不死身貝、
そのほか色々 名はあれど、
命題・反対命題の、
能(あた)ふかぎりの 止揚場(しやうぢやう)、
天(あめ)が下なる 「衛生無害」、
昔ながらの薔薇(ばら)の花、
ばかげたものでも ござりませうが、
大目にあづかる 為体(ていたらく)。

かく申しまする 所以(ゆえん)のものは、
泣くも笑ふも 朝露の命、
星のうちなる 星の星……
砂のうちなる 砂の砂……
どうやら舌は 縺(もつ)れまするが、
浮くも沈むも 波間の瓢(ひさご)、
格別何も いりませぬ故、
笛のうちなる 笛の笛、
――次第に舌は 縺れてまゐる――
至上至福の 臨終(いまは)の時を、
いやいや なんといはうかい、
一番お世話になりながら、
一番忘れてゐられるもの……
あの あれを……といつて、
それでは誰方(どなた)も お分りがない……
では 忘恩悔ゆる涙とか?
えゝまあ それでもござりまするが……
では――
えイ、じれつたや
これやこの、ゆくもかへるも
別れては、消ゆる移り香、
追ひまはし、くたびれて、
秋の夜更に 目が覚めて、
天井板の 木理(もくめ)みて、
あなやと叫び 呆然(ぼうぜん)と……
さて われに返りはするものの、
野辺の草葉に 盗賊の、
疲れて眠る その腰に、
隠元豆の 刀あり、
これやこの 切れるぞえ、
と 戸の面(おもて)、丹下左膳がこつち向き、
――狂つた心としたことが、
何を云ひ出すことぢややら……
さはさりながら さらばとて、
正気の構へを とりもどし、
人よ汝(いまし)が「永遠」を、
恋することのなかりせば、
シネマみたとてドツコイシヨのシヨ、
ダンスしたとてドツコイシヨのシヨ。
なぞと云つたら 笑はれて、
ささも聴いては 貰へない、
さればわれ、明日は死ぬ身の、
今茲(ここ)に 不得要領……
かにかくに 書付けましたる、
ほんのこれ、心の片端〈はしくれ〉、
不備の点 恕(ゆる)され給ひて、
希(ねが)はくは お道化(どけ)お道化て、
ながらへし 小者にはあれ、
冥福の 多かれかしと、
神にはも 祈らせ給へ。
             (一九三四・六・二)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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ダダのデザイン<3>道化の臨終(2)

大岡昇平が、

「道化の臨終」は、ダダ的なのであって、ダダそのものではない

と言ったからといって
「道化の臨終(Etude Dadaistique)」が、
ダダイズムの詩ではない、
ということにはなりません。

大岡昇平の考えるダダイズムと
中原中也の考えるダダイズムとは
同じモノであるとは言えないのですし、
そもそも
大岡昇平は
なにを「ダダ的」と言い、
なにを「ダダイズムそのもの」と言っているのか
あいまいなところがあります。

中原中也は、この詩を
Etude Dadaistiqueと副題をつけたのですから、
これを、
ダダ風の練習曲、と訳すか、
ダダの練習曲、と訳すのか、という問題ではなく、
この詩は、
ダダの詩、と解するのが自然です。

中原中也は、この詩を
ダダの詩の練習曲と
「謙遜」して副題をつけたのだ、
と積極的に解する方が自然です。

「道化の臨終(Etude Dadaistique)」は、
もはや、
1924年ころのダダイズムの詩とは、
かけ離れたものになっていますが、
そのことは
1924年当時のダダイズムと
異なるダダイズムの詩であることを示しはするものの
1934年のダダイズムの詩であることを
否定するものではなく、
それを、
ダダイズムの詩であり、
その練習曲であった、と
受け取れる作品と言っても
おかしくありません。

とにかく
読んでみましょう。

なにやら、物語を期待させる
はじまり……

君ら想はないか、夜毎何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍がゐるかもしれぬと。

火を吹くドラゴンが
海の沖に住んでいる
ということを、
キミ、想像してみたまえ

荒野の果てに
暮らしている姉妹のことを
思ってみたまえ

永遠の夜の海で
繰り返す波
そこで泣く
形のない生き物
そこで見開かれた形のない瞳……を
キミは、思ってみたことがあるか

心を揺する
ときめかす
嗚咽し哄笑し
肝に染みいる
このうえなく清浄な暗闇(くらやみ)、漆黒(しっこく)
暖かい紺碧のそら……を
想像してみたまえ!

これを語っているのは
道化です。

(つづく)


 *      
 道化の臨終(Etude Dadaistique)    

   序 曲

君ら想はないか、夜毎何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍がゐるかもしれぬと。
君ら想はないか、曠野(こうや)の果に、
夜毎姉妹の灯ともしてゐると。

君等想はないか、永遠の夜(よる)の浪、
其処(そこ)に泣く無形(むぎやう)の生物(いきもの)、
其処に見開く無形(むぎやう)の瞳、
かの、かにかくに底の底……

心をゆすり、ときめかし、
嗚咽(おえつ)・哄笑一時(いつとき)に、肝に銘じて到るもの、
清浄こよなき漆黒のもの、
暖(だん)を忘れぬ紺碧(こんぺき)を……

     *     *
        *

空の下(もと)には 池があつた。
その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、
空はかほりと はるけくて、
今年も春は 土肥やし、
雲雀(ひばり)は空に 舞ひのぼり、
小児が池に 落つこつた。

小児は池に仰向(あおむ)けに、
池の縁〈ふち〉をば 枕にて、
あわあわあわと 吃驚(びつくり)し、
空もみないで 泣きだした。

僕の心は 残酷な、
僕の心は 優婉(ゆうえん)な、
僕の心は 優婉な、
僕の心は 残酷な、
涙も流さず 僕は泣き、
空に旋毛(つむじ)を 見せながら、
紫色に 泣きまする。

僕には何も 云はれない。
発言不能の 境界に、
僕は日も夜も 肘(ひじ)ついて、
僕は砂粒に 照る日影だの、
風に揺られる 雑草を、
ジツと瞶(みつ)めて をりました。

どうぞ皆さん僕といふ、
はてなくやさしい 痴呆症、
抑揚の神の 母無(おやな)し子(ご)、
岬の浜の 不死身貝、
そのほか色々 名はあれど、
命題・反対命題の、
能(あた)ふかぎりの 止揚場(しやうぢやう)、
天(あめ)が下なる 「衛生無害」、
昔ながらの薔薇(ばら)の花、
ばかげたものでも ござりませうが、
大目にあづかる 為体(ていたらく)。

かく申しまする 所以(ゆえん)のものは、
泣くも笑ふも 朝露の命、
星のうちなる 星の星……
砂のうちなる 砂の砂……
どうやら舌は 縺(もつ)れまするが、
浮くも沈むも 波間の瓢(ひさご)、
格別何も いりませぬ故、
笛のうちなる 笛の笛、
――次第に舌は 縺れてまゐる――
至上至福の 臨終(いまは)の時を、
いやいや なんといはうかい、
一番お世話になりながら、
一番忘れてゐられるもの……
あの あれを……といつて、
それでは誰方(どなた)も お分りがない……
では 忘恩悔ゆる涙とか?
えゝまあ それでもござりまするが……
では――
えイ、じれつたや
これやこの、ゆくもかへるも
別れては、消ゆる移り香、
追ひまはし、くたびれて、
秋の夜更に 目が覚めて、
天井板の 木理(もくめ)みて、
あなやと叫び 呆然(ぼうぜん)と……
さて われに返りはするものの、
野辺の草葉に 盗賊の、
疲れて眠る その腰に、
隠元豆の 刀あり、
これやこの 切れるぞえ、
と 戸の面(おもて)、丹下左膳がこつち向き、
――狂つた心としたことが、
何を云ひ出すことぢややら……
さはさりながら さらばとて、
正気の構へを とりもどし、
人よ汝(いまし)が「永遠」を、
恋することのなかりせば、
シネマみたとてドツコイシヨのシヨ、
ダンスしたとてドツコイシヨのシヨ。
なぞと云つたら 笑はれて、
ささも聴いては 貰へない、
さればわれ、明日は死ぬ身の、
今茲(ここ)に 不得要領……
かにかくに 書付けましたる、
ほんのこれ、心の片端〈はしくれ〉、
不備の点 恕(ゆる)され給ひて、
希(ねが)はくは お道化(どけ)お道化て、
ながらへし 小者にはあれ、
冥福の 多かれかしと、
神にはも 祈らせ給へ。
             (一九三四・六・二)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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ダダのデザイン<2>道化の臨終(1)

中原中也が
「山羊の歌」の編集にかかったのは
1932年(昭和7年)4月、
といわれていますから
「ノート1924」が
書き出された頃から7、8年、
その間、詩人は、
様々な経験をしました。

京都に住み、長谷川泰子と同棲、そして上京、
詩人富永太郎との邂逅および死別、
小林秀雄と泰子をめぐる三角関係、
泰子の離反、
音楽集団「スルヤ」との親交、
「白痴群」創刊と廃刊、
東京での孤絶した暮らし……

ダダイズムの詩「春の夕暮」は、
詩人が経験したこれらの時代を経て、
7、8年後に
詩集「山羊の歌」の編集をはじめた頃に
ふたたび、
詩人によって
ピックアップされ、

読者へ届けられるための
新たなデザインをほどこされて、
「春の日の夕暮」として
再生しました。

「ノート1924」に書かれた
この作品は、この間、
詩人によって
読み返されたことがあったのでしょうか
放りっぱなしにされていたのでしょうか
7、8年の間、眠っていたのでしょうか……。

この疑問は、ただちに、
ダダイズムは、
中原中也の中で
どのような状態にあったのか
眠っていただけなのか
絶えず活動を続ける活火山のようではなかったにせよ
休火山のようなものだったのか、
というような問いへと繋がっていきます

そこで、しばしば、
引き合いに出されるのが、
1934年(昭和9年)年に作られた
「道化の臨終(Etude Dadaistique)」です。

タイトルを補足するかのように
「ダダイスティックな練習曲」
という意味の副題をつけられた
この作品は、
中原中也のダダイズムのその後を探る
手がかりになる
重要な位置にあります。

 *      
 道化の臨終(Etude Dadaistique)

   序 曲

君ら想はないか、夜毎何処(どこ)かの海の沖に、
火を吹く龍がゐるかもしれぬと。
君ら想はないか、曠野(こうや)の果に、
夜毎姉妹の灯ともしてゐると。

君等想はないか、永遠の夜(よる)の浪、
其処(そこ)に泣く無形(むぎやう)の生物(いきもの)、
其処に見開く無形(むぎやう)の瞳、
かの、かにかくに底の底……

心をゆすり、ときめかし、
嗚咽(おえつ)・哄笑一時(いつとき)に、肝に銘じて到るもの、
清浄こよなき漆黒のもの、
暖(だん)を忘れぬ紺碧(こんぺき)を……

     *     *
        *

空の下(もと)には 池があつた。
その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、
空はかほりと はるけくて、
今年も春は 土肥やし、
雲雀(ひばり)は空に 舞ひのぼり、
小児が池に 落つこつた。

小児は池に仰向(あおむ)けに、
池の縁〈ふち〉をば 枕にて、
あわあわあわと 吃驚(びつくり)し、
空もみないで 泣きだした。

僕の心は 残酷な、
僕の心は 優婉(ゆうえん)な、
僕の心は 優婉な、
僕の心は 残酷な、
涙も流さず 僕は泣き、
空に旋毛(つむじ)を 見せながら、
紫色に 泣きまする。

僕には何も 云はれない。
発言不能の 境界に、
僕は日も夜も 肘(ひじ)ついて、
僕は砂粒に 照る日影だの、
風に揺られる 雑草を、
ジツと瞶(みつ)めて をりました。

どうぞ皆さん僕といふ、
はてなくやさしい 痴呆症、
抑揚の神の 母無(おやな)し子(ご)、
岬の浜の 不死身貝、
そのほか色々 名はあれど、
命題・反対命題の、
能(あた)ふかぎりの 止揚場(しやうぢやう)、
天(あめ)が下なる 「衛生無害」、
昔ながらの薔薇(ばら)の花、
ばかげたものでも ござりませうが、
大目にあづかる 為体(ていたらく)。

かく申しまする 所以(ゆえん)のものは、
泣くも笑ふも 朝露の命、
星のうちなる 星の星……
砂のうちなる 砂の砂……
どうやら舌は 縺(もつ)れまするが、
浮くも沈むも 波間の瓢(ひさご)、
格別何も いりませぬ故、
笛のうちなる 笛の笛、
——次第に舌は 縺れてまゐる——
至上至福の 臨終(いまは)の時を、
いやいや なんといはうかい、
一番お世話になりながら、
一番忘れてゐられるもの……
あの あれを……といつて、
それでは誰方(どなた)も お分りがない……
では 忘恩悔ゆる涙とか?
えゝまあ それでもござりまするが……
では——
えイ、じれつたや
これやこの、ゆくもかへるも
別れては、消ゆる移り香、
追ひまはし、くたびれて、
秋の夜更に 目が覚めて、
天井板の 木理(もくめ)みて、
あなやと叫び 呆然(ぼうぜん)と……
さて われに返りはするものの、
野辺の草葉に 盗賊の、
疲れて眠る その腰に、
隠元豆の 刀あり、
これやこの 切れるぞえ、
と 戸の面(おもて)、丹下左膳がこつち向き、
——狂つた心としたことが、
何を云ひ出すことぢややら……
さはさりながら さらばとて、
正気の構へを とりもどし、
人よ汝(いまし)が「永遠」を、
恋することのなかりせば、
シネマみたとてドツコイシヨのシヨ、
ダンスしたとてドツコイシヨのシヨ。
なぞと云つたら 笑はれて、
ささも聴いては 貰へない、
さればわれ、明日は死ぬ身の、
今茲(ここ)に 不得要領……
かにかくに 書付けましたる、
ほんのこれ、心の片端〈はしくれ〉、
不備の点 恕(ゆる)され給ひて、
希(ねが)はくは お道化(どけ)お道化て、
ながらへし 小者にはあれ、
冥福の 多かれかしと、
神にはも 祈らせ給へ。
             (一九三四・六・二)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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ダダイズム詩の倦怠メロディー

「ノート1924」は
1924年(大正13年)から1928年(昭和3年)の
5年間、中原中也が使っていたノートで
大岡昇平ら新編中原中也全集の編集委員は
「未発表詩篇」の中に1項目として分類しています。

詩篇は、全部で51篇。
「春の日の夕暮」の草稿は、
前半部にあり、
その「春の日の夕暮」の数篇前に
「倦怠に握られた男」
「倦怠者の持つ意志」の2作品があります。

この「倦怠」は、
「けだい」であったかわかりませんが、
ルビは振られていないので
「けんたい」であったと考えるのが自然です。

「春の日の夕暮」の
気だるい調べと
この「倦怠2作品」が
同じ時期に作られたことは、
ダダイズムの詩と
「倦怠のメロディー」が、
同根であることの証(あかし)
を示しているものです。

さらに、「倦怠」は、
「生前発表作品」に
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」と
「倦怠(へとへとの、わたしの肉体(からだ)よ)の
2作品があり、
発表作品であることをみても、
詩人の主要なテーマを形成していたことは
確かなことです。

「倦怠」は、
「朝の歌」を経て、
「汚れつちまつた悲しみに…」に至るまでも
歌い継がれていく
通奏低音もしくは主調音
といってもよいほどのものなのです。

(つづく)

 *
 倦怠に握られた男

俺は、俺の脚だけなして
脚だけ歩くのをみてゐよう——
灰色の、セメント菓子を噛みながら
風呂屋の多いみちをさまよへ——
流しの上で、茶碗と皿は喜ぶに
俺はかうまで三和土(タタキ)の土だ——

 *
 倦怠者の持つ意志

タタミの目
時計の音
一切が地に落ちた
だが圧力はありません

舌がアレました
ヘソが凝視(みつ)めます
一切がニガミを喜びました
だが反作用はありません

此の時
夏の日の海が現はれる!
思想と体が一緒に前進する
努力した意志ではないからです

  *    
 倦 怠

倦怠の谷間に落つる
この真ッ白い光は、
私の心を悲しませ、
私の心を苦しくする。

真ッ白い光は、沢山の
倦怠の呟(つぶや)きを掻消(かきけ)してしまひ、
倦怠は、やがて憎怨となる
かの無言なる惨(いた)ましき憎怨………

忽(たちま)ちにそれは心を石と化し
人はただ寝転ぶより仕方もないのだ
同時に、果されずに過ぎる義務の数々を
悔いながらにかぞへなければならないのだ。

はては世の中が偶然ばかりとみえてきて、
人はただ、絶えず慄(ふる)へる、木の葉のやうに
午睡から覚めたばかりのやうに
呆然(ぼうぜん)たる意識の裡(うち)に、眼(まなこ)光らせ死んでゆくのだ


 *
 倦 怠

へとへとの、わたしの肉体(からだ)よ、
まだ、それでも希望があるといふのか?
(洗ひざらした石の上(へ)に、
今日も日が照る、午後の日射しよ!)

市民館の狭い空地(あきち)で、
子供は遊ぶ、フットボールよ。
子供のジャケツはひどく安物、
それに夕陽はあたるのだ。

へとへとの、わたしの肉体(からだ)よ、
まだ、それでも希望があるといふのか?
(オヤ、お隣りでは、ソプラノの稽古、
たまらなく、可笑(おか)しくなるがいいものか?)

オルガンよ!混凝土(コンクリート)の上なる砂粒(さりふ)よ!
放課後の小学校よ! 下駄箱よ!
おお君等聖なるものの上に、
——僕は夕陽を拝みましたよ!

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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詩人論の詩/「詩人は辛い」「現代と詩人」

詩は、
その詩を歌った詩人が
どのように感じたり、
考えたりする詩人であるのかを
明らかにする
詩人論をたえず含むものでありますが、

詩は、
いつも、理解されなかったり、
同じく、詩人も、
理解されなかったりするもので、
冗談じゃないよ、と
ひとこと言いたくなることが
しばしばあるようです。

ひとことどころじゃなくて、
思いっきり言いたいときに
詩人論の詩ができます。

その意味で、
生前に発表された詩篇である
「詩人は辛い」と「現代と詩人」は、
「酒場にて」の流れの作品と
同じものと見ることができます。

この2作品は、
中原中也という詩人が、
世の中に向かって
思い切って
詩人の立場を宣言したものということになります。

 *
 詩人は辛い

私はもう歌なぞ歌はない
誰が歌なぞ歌ふものか

みんな歌なぞ聴いてはゐない
聴いてるやうなふりだけはする

みんなたゞ冷たい心を持つてゐて
歌なぞどうだつたつてかまはないのだ

それなのに聴いてるやうなふりはする
そして盛んに拍手を送る

拍手を送るからもう一つ歌はうとすると
もう沢山といつた顔

私はもう歌なぞ歌はない
こんな御都合な世の中に歌なぞ歌はない

    (一九三五・九・一九)

 *
 現代と詩人

何を読んでみても、何を聞いてみても、
もはや世の中の見定めはつかぬ。
私は詩を読み、詩を書くだけのことだ。
だつてそれだけが、私にとつては「充実」なのだから。

——そんなの古いよ、といふ人がある。
しかしさういふ人が格別新しいことをしてゐるわけでもなく、
それに、詩人は詩を書いてゐれば、
それは、それでいいのだと考ふべきものはある。

とはいへそれだけでは、自分でも何か物足りない。
その気持は今や、ひどく身近かに感じられるのだが、
さればといつてその正体が、シカと掴めたこともない。

私はそれを、好加減に推量したりはしまい。
それがハツキリ分る時まで、現に可能な「充実」にとどまらう。
それまで私は、此処を動くまい。それまで私は、此処を動かぬ。

われわれのゐる所は暗い、真ッ暗闇だ。
われわれはもはや希望を持つてはゐない、持たうがものはないのだ。
さて希望を失つた人間の考へが、どんなものだか君は知つてるか?
それははや考へとさへ謂(い)へない、ただゴミゴミとしたものなんだ。

私は古き代の、英国(イギリス)の春をかんがへる、春の訪れをかんがへる。
私は中世独逸(ドイツ)の、旅行の様子をかんがへる、旅行家の貌(かほ)をかんがへる。
私は十八世紀フランスの、文人同志の、田園の寓居への訪問をかんがへる。
さんさんと降りそそぐ陽光の中で、戸口に近く据えられた食卓のことをかんがへる。

私は死んでいつた人々のことをかんがへる、——(嘗(かつ)ては彼等も地上にゐたんだ)。
私は私の小学時代のことをかんがへる、その校庭の、雨の日のことをかんがへる。
それらは、思ひ出した瞬間突嗟(とっさ)になつかしく、
しかし、あんまりすぐ消えてゆく。

今晩は、また雨だ。小笠原沖には、低気圧があるんださうな。
小笠原沖も、鹿児島半島も、行つたことがあるやうな気がする。
世界の何処(どこ)だつて、行つたことがあるやうな気がする。
地勢と産物くらゐを聞けば、何処だつてみんな分るやうな気がする。

さあさあ僕は、詩集を読まう。フランスの詩は、なかなかいいよ。
鋭敏で、確実で、親しみがあつて、とても、当今日本の雑誌の牽強附会(けんきょうふかい)の、陳列みたいなものぢやない。それで心の全部が充されぬまでも、サツパリとした、カタルシスなら遂行されて、ほのぼのと、心の明るむ喜びはある。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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「曇天」までのいくつかの詩<25>我がヂレンマ

Dilemmaは、
もとギリシア語で、
diは、二つのこと、
lemmaは、仮説のこと。
現代日本語では、ジレンマだが、
中也は、ヂレンマとしました。
板挟み(イタバサミ)の状態を表します。

俺の血は、もう、
孤独の方へ孤独の方へと
流れていた
けれど、
俺は、よくまあ、
人と会い、
人と議論することが多かった
俺の、孤独好きの血は、
だから、どうしてよいか、
戸惑うばかりだった
お人好しだから、
付き合いに乗り
酒がはいり、
くだらん話に熱中するのだった

後になって
いつも悔やむのだった
とはいうものの、
孤独に浸っていることも怖いのだった
とはいうものの、
孤独でいることを捨てられないのだった
このように
生きるってことは、
それについてを考えるだけで苦痛だった

閉じこもっていないで
野原に出て遊んだらどうか
という声があって
俺も、そう思い、
遊ぼう、遊ぼう、と思った。
でも、そう思うことが、すでに、俺が、
社会からますます遠ざかることになることだった

そうして俺は
野原に出ることもやめるのだったが
だからといって
人と付き合いをよくするということでもなかった
俺は、書斎にこもっていた
書斎で、腐っていた
腐っている自分をどうすることもできないでいた

 *
 我がヂレンマ

僕の血はもう、孤独をばかり望んでゐた。
それなのに僕は、屡々(しばしば)人と対坐してゐた。
僕の血は為(な)す所を知らなかつた。
気のよさが、独りで勝手に話をしてゐた。

後では何時でも後悔された。
それなのに孤独に浸ることは、亦(また)怖いのであつた。
それなのに孤独を棄(す)てることは、亦出来ないのであつた。
かくて生きることは、それを考へみる限りに於て苦痛であつた。

野原は僕に、遊べと云つた!
遊ばうと、僕は思つた。--しかしさう思ふことは僕にとつて、
既に余りに社会を離れることを意味してゐるのであつた。

かくて僕は野原にゐることもやめるのであつたが、
又、人の所にもゐなかつた……僕は書斎にゐた。
そしてくされる限りにくさつてゐた、そしてそれをどうすることも出来なかつた。
                 ——二・一九三五——

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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