山羊の歌を読む・その2

ダダのデザイン<8>サーカス

幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
と、はじまる「サーカス」には、
道化は登場しませんが、
サーカスのイメージには
道化、ピエロ、クラウン……を
欠かすことはできませんから、
「サーカス」には
見えない道化の存在が感じられます、
と言ってしまえば、
荒唐無稽(こうとうむけい)なことでしょうか。

「山羊の歌」の
3番目におかれ、
ダダの影響から
抜け出た作品と言われる
「朝の歌」より前におかれた「サーカス」は、
ダダの詩だとは到底言えませんし、
ダダの詩などとわざわざ言う必要もありませんが、
ダダの世界に無縁とも言えません。

そこに
「道化」がいるからです。

「サーカス」には
道化は登場しませんが
サーカスという場の設定自体が
すでに
道化の存在を想像させますし、
「サーカス」という作品に、
道化の眼差しは希薄であっても
道化の気配を嗅ぎ取ることは容易です。
そこには
「道化」がいる、
と言ってもおかしくはないでしょう。

「サーカス」に出てこなかった
「道化」は、
やがて、
色々なところに
登場することになりますが、
とりわけ、1934年(昭和9年)には、
数多く現れます。

ここでまた、大岡昇平が「中原中也・1」で
書いているところに
注目しておきましょう。

ただし「道化の臨終」はダダ的なのであって、ダダそのものではない。この作品が書かれた1934年はほかに「ピチベの哲学」(2月発表、新発見)、「玩具の賦」(2月)、「狂気の手紙」(4月)、「お道化うた」(6月、これもほとんど確認された)、「秋岸清涼居士」(10月)、「星とピエロ」(12月)など、同じ傾向の道化歌が集中している。

時間と空間、対象と人称を意識的に混乱さすことによって、異様な嘲笑的で歪んだ詩的空間を造り出しているので、出まかせを言うダダの技法が、長々しいくどきとなって一つの完成したスタイルに達する。

一方あらゆる粉飾を捨て去ったような「骨」が書かれるのもこの狂燥の最中の4月28日である。

1年の後、「秋岸清涼居士」の凄惨な道化は、低温課程の中で、「含羞」の優雅な階調に転換される。
(略)

(略)多くの新発見の作品から見ると、ダダが彼が最も手足を伸び伸びと延ばせる環境であったこともたしかなようである。(略)

(大岡昇平「中原中也」角川書店、昭和49年、「中原中也・1」より)
*漢数字を洋数字に変えたり、改行を加えたりしています。

 *
 サーカス
幾時代かがありまして
  
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  
  今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
    
     今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  
  そこに一つのブランコだ

見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
  
  汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  
  安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯(いわし)
  
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)

夜は劫々と更けまする

落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

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ダダのデザイン/春の日の夕暮

中原中也が、
初めて世に問うた
自選詩集「山羊の歌」の冒頭に
「春の日の夕暮」を配置したことは
この詩への
詩人の並々ならぬ思いが
込められていることを想像させます。

その詩はダダイズムの詩でした。
後に「ノート1924」と
大岡昇平ら考証者によって呼ばれることになる
大学ノートに、
詩人は
1924年(大正13年)から1928年(昭和3年)の間に作った
詩篇や創作メモなどを綴っています。

その中から
詩集「山羊の歌」へ選んだのが
「春の日の夕暮」1篇だけなのですが
ノートでのタイトルは
「春の夕暮」でした。
詩集編集の段階で
タイトルと
内容の一部が変更されたのです。

両作品を読み比べて
大きな変更はないように見えますが……

世の中に広く伝わっている
第2連の「月の光のヌメランと」は
もと「月の光のノメランと」だったことを知り、
オノマトペの名手だった詩人の
繊細な語彙感覚が
あらためてわかるほか、

行分けや字空きの調整、
漢字をひらがなに変えたり、
その逆もあったり、
難解語を削除したり、
文語を口語に直したり、
その逆もあったり、

音数律を整えることも
この編集段階では、
自覚されていたといえるかも知れませんし、
色々と
細やかな創作意識で
詩全体に
フィニッシュワークを加えていることがわかり……

じっくり読み比べていると
うん、これだ! これだ!
やっぱり、ここには
すごいものがある! 
非凡なものがある! と、
中原中也という詩人に
惚れ直しを迫られるような
ちょっとした感動を覚えます。

「春の夕暮」は
「春の日の夕暮」になって
見違えるほどに
すっきりしていることに気づき、
多くのひとに記憶され
愛唱されることになったわけが
ここにあることを知って、
衝撃すら覚えることになるのです。

このあたり、
デザイナーが
自らの作品を完成形へと
最後の仕立て直しをするときの
呼吸というもの似ていて、
その息づかいの中にいる気分になります。

これは、
優れた編集感覚の底にある
優れたデザイン感覚が
見え隠れしているのに
触れるような経験とでもいえるものです。

 *
 春の夕暮

塗板(トタン)がセンベイ食べて
春の日の夕暮れは静かです

アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは穏やかです

あゝ、案山子(かかし)はなきか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ青色の月の光のノメランとするまゝに
従順なのは春の日の夕暮れか

ポトホトと臘涙(ろうるい)に野の中に伽藍は赤く
荷馬車の車、油を失ひ
私が歴史的現在に物を言へば
嘲る嘲る空と山とが

瓦が一枚はぐれました
これから春の日の夕暮れは無言ながら 
前進します
自(み)らの静脈管の中へです

 *   
 春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
自(み)らの 静脈管の中へです

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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「山羊の歌」の通奏低音/倦怠のメロディー

「倦怠に握られた男」、といい
「倦怠者」、といい、
「倦怠」が、この時期、
詩人の全生活を支配していたかのような
テーマであった、といっても
オーバーでもないようです。

倦怠の調べが、
同じ時期に書かれた「春の日の夕暮」に
流れ込まないわけがありません。

「倦怠者の持つ意志」の最終の2行、

思想と体が一緒に前進する
努力した意志ではないからです

は、「春の日の夕暮」の最終連、

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自らの 静脈管の中へです

に、通じるものがあります。

ダダ詩が、
「倦怠」と格闘していること自体が
大変に興味深いことですが
そのことよりも、
詩集「山羊の歌」の冒頭作品である「春の日の夕暮」が
「倦怠」のメロディーを奏でていることには
驚きを禁じ得ませんし、

「春の日の夕暮」ばかりか、
掉尾(とうび)を飾る「いのちの声」までの
多くの詩が「倦怠」を歌っているのは
ただごとではない、と、
言わざるをえませんし、
発見です!

「月」の、
あゝ忘られた運河の岸堤
胸に残つた戦車の地音
銹(さ)びつく鑵の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫つてゐる。

「朝の歌」の、
倦(う)んじてし 人のこころを
諫(いさ)めする なにものもなし。

「寒い夜の自我像」の、
蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諌(いさ)める
寒月の下を往きながら。

「夏」の、
血を吐くやうな 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ

「汚れつちまつた悲しみに…」の
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

「秋」の、
僕は倦怠を観念して生きてゐるのだよ、
煙草の味が三通りくらゐにする。
死ももう、とほくはないのかもしれない……

「憔悴」の、
腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ

「いのちの声」の、
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。

と、「春の日の夕暮」にはじまり、
「いのちの声」に終わる
詩集「山羊の歌」を通じて
「倦怠=ケンタイ」(ケダイでもある)の調べが流れ、
冒頭から結末に至るまで
通奏低音のように響き渡っている、
というわけですから、
これを、驚きと言わず、
発見と言わない理由はありません。

 *
 倦怠に握られた男

俺は、俺の脚だけなして
脚だけ歩くのをみてゐよう--
灰色の、セメント菓子を噛みながら
風呂屋の多いみちをさまよへ--
流しの上で、茶碗と皿は喜ぶに
俺はかうまで三和土(タタキ)の土だ--

 *
 倦怠者の持つ意志

タタミの目
時計の音
一切が地に落ちた
だが圧力はありません

舌がアレました
ヘソが凝視(みつ)めます
一切がニガミを喜びました
だが反作用はありません

此の時
夏の日の海が現はれる!
思想と体が一緒に前進する
努力した意志ではないからです

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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汚れつちまつた悲しみに…倦怠(けだい)の謎<3>

「憔悴」は、
「山羊の歌」の最終の章である
「羊の歌」に収められた3作品の一つです。

詩集の結末にある
「いのちの声」の一つ前に置かれ、
「いのちの声」に優るとも劣らない
絶唱の響きのある作品です。

その、第3節に、

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ

あゝ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!

と、あるのは、
やはり、
「倦怠=けだい」のメロディーとして
聴くべきものです。
ここでは、「怠惰」とされていますが
まぎれもなく、これは、
「倦怠=けだい」の同義語・同類語なのです。

昔から
自分の手に負えたものは
怠惰だけだったかも知れない
と、いうときの「怠惰」は、
怠け者、ボンクラというだけではなく
そこから、
生まれてくるものがあることを
感じさせる、
詩作の源泉とでもいえるような
ポジティブな意味が含まれていることを
見逃してはなりますまい。

このように
「山羊の歌」という詩集の結末部で、
「倦怠=けだい」は歌われて、
中原中也の詩の
コアを占めている「感情」であることが
明らかなのですが、

詩集の結末ばかりでなく、
たとえば、
詩集の冒頭の作品である
「春の夕暮」にも、すでに、
「倦怠=けだい」の調べが
奏でられていることに気づかされて、
驚かざるをえません。

「春の夕暮」の「倦怠=けだい」は
未だ、「倦怠」と名づけられてはいませんが、
その気分は、プンプン匂っていて、
多くの人に感じられていることは
想像するのに難しくはありません。

ダダイズムの詩を書いていた
若き日の詩人は
すでに「倦怠の人」だった、
ということができそうです。

(つづく)

 *
 憔悴

  Pour tout homme, il vient une èpoque
  où l'homme languit. ―Proverbe.
  Il faut d'abord avoir soif……
       ――Cathèrine de Mèdicis.

私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた
起きれば愁(うれ)はしい 平常(いつも)のおもひ
私は、悪い意志をもつてゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)はなかつた)
そして、夜が来ると私は思ふのだつた、
此の世は、海のやうなものであると。
私はすこししけてゐる宵の海をおもつた
其処を、やつれた顔の船頭は
おぼつかない手で漕ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく

   2

昔 私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

今私は恋愛詩を詠み
甲斐あることに思ふのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違つてゐるかゐないか知らないが
とにかくさういふ心が残つてをり

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起させる

昔私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない

   3

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ

あゝ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!

   4

しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ

人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配してゐるのだ

山蔭の清水(しみづ)のやうに忍耐ぶかく
つぐむでゐれば愉(たの)しいだけだ

汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな

やがては全体の調和に溶けて
空に昇つて 虹となるのだらうとおもふ……

   5

さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと

要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤(もつと)もと感じ
一生懸命郷(がう)に従つてもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに

さうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)ふ 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜(よる)とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。

   6

しかし またかうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。

そして理窟はいつでもはつきりしてゐるのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑(をくづ)が一杯です。
それがばかげてゐるにしても、その二つつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

と、聞えてくる音楽には心惹かれ、
ちよつとは生き生きしもするのですが、
その時その二つつは僕の中に死んで、

あゝ 空の歌、海の歌、
ぼくは美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

◇ローマ数字を、アラビア数字に変えました。(編者)

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」)

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汚れつちまつた悲しみに…倦怠(けだい)の謎<2>

中原中也の、
自他ともに認める会心作
「朝の歌」に、すでに、
「汚れつちまつた悲しみに……」の
「倦怠=けだい」に通じる感情が
歌われていたのですが、

「山羊の歌」の「少年時」にある
「夏」には、
よりいっそう「倦怠=けだい」に
近い感情が歌われます。

第1連冒頭行の、
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ

同第3行の、
睡るがやうな悲しさに、

同第4行の、
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ

第2連最終行の、
血を吐くやうなせつなさに。

最終連最終行の、
血を吐くやうなせつなさかなしさ。

この詩では、倦怠の「倦」を、
倦(もの)うさ、と読ませています。
そして、この、倦(もの)うさに、
たゆけさ
悲しさ
せつなさ…
を並列し、
これらに、
ほとんど、同格の、
ほとんど、同じ意味を込めているのです。

たゆけさ、せつなさ、悲しさ…は、
倦(もの)うさの、
他の表情に過ぎず、
根は同じものなのです。

この詩にはありませんが
むなしさも
この中に入っておかしくはないでしょう。

しかし、ここで
気に留めておきたいのは
悲しさです。
倦怠=けだいは、
あきらかに
悲しみの系譜に属する感情である、
という一事です。

(つづく)

 *
 夏

血を吐くやうな 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。

嵐のやうな心の歴史は
終焉(をは)つてしまつたもののやうに
そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののやうに
燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。

◇たゆけさ 緩んでしまりのない状態。だるさ。

 *
 朝の歌
          
天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。
 
小鳥らの うたはきこえず 
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諌(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな
 
ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」)

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汚れつちまつた悲しみに…/倦怠の謎

「汚れつちまつた悲しみに……」は
繰り返し繰り返し読んでも
最後のところで謎((なぞ)が残り、
いったんは
その謎を追求することを止めて、
しばらく放っておくと、
ふっと、あっ、これだ、なんて
謎が解けた瞬間があるので、
また、思い出して読み返し、
そうして、もう一度、
読んでみると、
こんどは、ほかの謎が浮かんできて……

というわけで
ここで、
第3連第4行の
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
の謎に迫ってみます。

そもそも、
初めてこの詩に触れ、
この行にさしかかって、
ケンタイではなくケダイなんだ、
何故かな? と
疑問を抱いたまま
そのままにしておきました。

普通は「けんたい」と読むところを
「けだい」と中原中也は読ませます。
何故でしょう?

多分、詩人は、
倦(う)み、飽きる、とか、
やる気が起きない、
気(け)だるい、
怠惰(たいだ)な気分、とか、

倦怠感ケンタイカンや
フランス語のアンニュイ(=倦怠)とか
一般に考えられるケンタイ=倦怠と
区別したかったのではないでしょうか

「山羊の歌」を注意深く読んでみると
倦怠=けだいに通じる詩句が、
詩人が詩人としてやっていける!
と自認した作品である
「朝の歌」の中に
すでに現れているのを
発見できます。

そうです
第2連の

小鳥らの うたはきこえず
   空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
   諌(いさ)めする なにものもなし。

です。

「朝の歌」と
「汚れつちまつた悲しみに……」は
作られた時期が違うし、
歌われた状況も違うし、
歌われている感情もまったく異なりますが、
「倦(う)んじてし」と
「倦怠(けだい)のうちに」とは、
通じるものがあります

(つづく)


 *
 朝の歌

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず 
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諌(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」

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「汚れつちまつた悲しみに…」の透明感

小林秀雄が
中也の詩は、
出来不出来を論じても無意味だ、
というようなことを記したのは

中原中也という詩人によって作られた詩が
ことごとく
生まの肉体、生身の感動を経て
選び取られた言葉の切れ端であり
その切れ端は
他人によっては分解できない
血のようなものへと変成され
それを詩(うた)にした、
そのことを抜きに
巧拙を云々することの馬鹿馬鹿しさを
言いたかったからで、

だからといって、
中原中也の詩に出来不出来がなかった、
ということではありません。

中也の詩の一つ一つに
中也という詩人の血脈が流れ
作品のどれもが
斬れば血しぶきのほとばしるようなものばかりであっても
それらには、出来不出来が
当然のことながらありました。

詩人は
自作の出来不出来のために
日々、苦闘し、
大都会を彷徨(さまよ)い、
酒場に通い、
討論し、
とっくみあいの喧嘩もし……
と言えるほどに
「言葉」や「詩句」と
たたかいました。

たたかう、という言葉が最も相応しい、
と言えるほどに、
悲しみの詩人が
詩を生み出す有様は
まさに、傷だらけ、
満身創痍(まんしんそうい)でした。

それゆえにこそ
中也作品のことごとくが
あの、名指し得ない、
なんともいえない、
透明感を帯びるにいたったというわけであります。

というわけで
あまりにも有名過ぎて
その切れ端は
日本人のだれもが知っている
代表作「汚れつちまつた悲しみに……」の
詩作品の全体に
じっくりと
向かい合ってみましょう。


 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」

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詩人論の詩<5>「寒い夜の自我像」と「修羅街輓歌」

「いのちの声」は
最終行の
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。
に至る全篇が
詩人論を展開している詩と
考えることができますし、

「曇天」の
ハタハタはためいている旗は
詩人そのものと考えることができますし、

「言葉なき歌」の
あれ、は、
詩そのものを表している、と、
考えることだってできます。

このように、
詩人論が述べられている詩と
考えて可能な作品は
中原中也にはたくさんありますが、
これらのほかに、
「山羊の歌」から、
もう二つの作品を
ここで、見ておきましょう。
「寒い夜の自我像」と
「修羅街輓歌」です。

「詩人は辛い」と
「現代と詩人」とは、
生前に中原中也が、
雑誌や新聞などで発表したものですから、
世の中に向かって
思い切って
詩人の立場を宣言した詩と
解することができるように

この、
「寒い夜の自我像」と「修羅街輓歌」の
2作品は
詩人自らが編集した詩集
「山羊の歌」に
選び取った作品なのですから
そこに詩人論が込められているとするなら
その叫びは
より強く
より完成度が高く
より出来のよいものと
いえるかもしれません。

 *

 寒い夜の自我像

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かず
人々の憔懆(せうさう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を
わが瑣細なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諫(いさ)める
寒月の下を往きながら。

陽気で、坦々として、而(しか)も己を売らないことをと、
わが魂の願ふことであつた!

*儀文 形式、型のこと。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

 *

 修羅街輓歌
    関口隆克に

   序歌

忌(いま)はしい憶(おも)ひ出よ、
去れ! そしてむかしの
憐みの感情と
ゆたかな心よ、
返つて来い!

  今日は日曜日
  縁側には陽が当る。
  ――もういつぺん母親に連れられて
  祭の日には風船玉が買つてもらひたい、
  空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……

  忌はしい憶ひ出よ、
  去れ!
     去れ去れ!

  2 酔生

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。

ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあむまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!

それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ……

   3 独語

器の中の水が揺れないやうに、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば
モーションは大きい程いい。

しかしさうするために、
もはや工夫(くふう)を凝らす余地もないなら……
心よ、
謙抑にして神恵を待てよ。

   4

いといと淡き今日の日は
雨蕭々(せうせう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡(あは)き空気にて
林の香りすなりけり。

げに秋深き今日の日は
石の響きの如くなり。
思ひ出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。

まことや我は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。

それよかなしきわが心
いはれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。

*修羅 阿修羅。インド神話に登場する闘いの神。
*輓歌 人の死を悼み悲しむ歌。
*パラドクサル paradoxal(仏)逆説的な。奇妙な。
*しみらの ひっきりなしに続くこと。あるいは、凍りつくこと、沁みいること。
*謙抑 ひかえめにして自分を抑えること。
*蕭々 ものさびしく雨が降る様子。
*あらぬがに ないのだが

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」

*ローマ数字は、アラビア数字に変えてあります。(編者)

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詩人論の詩<4>「秋の一日」のきれくづ

小林秀雄が、
どんな切れっぱしにも彼自身があった。
と、記すとき、
「秋の一日」という
中也の詩が頭にあったか、
この詩の最終連、

ぽけっとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出でて
今日の日の魂に合ふ
布切屑(きれくづ)をでも探して来よう。

を、思い出す人は多くいることに違いありません。

横浜に遊んだときの歌と
伝えられているこの作品、
中原中也の詩作法の一端を示していて
「山羊の歌」の中でも
印象に残るものの一つでしょうか、

散歩や遊興や旅行や……
詩人が動いているところには、
必ず、
詩を作ろうという意志があり、
詩の切れ端を捕まえようとする詩人があるのだな、と
誰もが、
この詩に触れて
詩人が、
まずは、詩の全体というより
詩の一部、
布の切れ屑が見つかれば
詩は生まれてくるもの、という
詩作法になじんでいることを知ります

すべての詩を
このように作ったとは言えないのでしょうが
詩句の1行でも浮かんだら
それを元にして
1篇の詩に作りあげていく詩人の姿が
目に浮かぶようで、
親しみが湧いてきます。

小林秀雄が言うのは
こうして得られた詩句の
どの一つにも
生ま身の詩人の声が通い
血が流れているから、
出来不出来などという
テクニックを云々することは意味のないことだ、
という洞察です。

 *
 秋の一日

こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によつて、
サイレンの棲む海に溺れる。 

夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はもうない。
あらゆるものは古代歴史と
花崗岩のかなたの地平の目の色。

今朝はすべてが領事館旗のもとに従順で、
私は錫(しやく)と広場と天鼓のほかのなんにも知らない。
軟体動物のしやがれ声にも気をとめないで、
紫の蹲(しやが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

(水色のプラットホームと
躁(はしや)ぐ少女と嘲笑(あざわら)ふヤンキイは
いやだ いやだ!)

ぽけっとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出でて
今日の日の魂に合ふ
布切屑(きれくづ)をでも探して来よう。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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詩人論の詩<3>詩の出来不出来

タペストリーとは、
麻、羊毛(ウール)、絹などを使い、
風景や模様を織り出した
つづれ織りのことです。

表は、完成された「絵」になって、
その絵を壁掛けなどとして楽しむのですが、
裏側は、描きかけの絵のような、
未完成で、荒削りな
乱れた織り目や、
布くずが散らばっている状態です。

裏は、人目に触れないから、
それでよいのです。

裏は、
表を完成させるために存在し、
表は裏がなければ存在しませんし、
双方がそれぞれを必要としていて、
どちらかが「偉い」という
関係ではありません。

「山羊の歌」や「在りし日の歌」に
選ばれた詩篇が表なら、
発表されなかった詩篇は裏であり、
どちらも、中原中也が歌った歌に
違いはありません。

表と裏とを、
たとえ、出来不出来の関係と見なしたとしても、
どちらも
中原中也の作品であることは
変わりません。

このような意味で、
小林秀雄が、
次のように言っていることは、
すこぶる、
重大な指摘であります。

――詩の出来不出来なぞ元来この詩人には大した意味はない。それほど、詩は彼の生ま身の様なものになっていた。どんな切れっぱしにも彼自身があった。
(「中原中也の遺稿」昭和十二年十二月「文学界」)

 *

 いのちの声

もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
――ソロモン

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上がりの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著(つ)く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。

時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

  Ⅱ
否何(いづ)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかは)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このやうに無私の境(さかひ)のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆(あほう)といふものであらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ

だが、それが此(こ)の世といふものなんで、
其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端はないとて、一先ず休心するもよからう。

  Ⅲ
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

  Ⅳ
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)


 曇天

 ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
 はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

 手繰り 下ろさうと 僕は したが、 
綱も なければ それも 叶(かな)はず、
 旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処(おくが)に 舞ひ入る 如く。

 かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶(おも)ふ。
 かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。

 かの時 この時 時は 隔つれ、
此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異れ、
 はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かは)らぬ かの 黒旗よ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より」

 *
 言葉なき歌

あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼(あを)く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡(あは)い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女(むすめ)の眼(め)のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方(かなた)で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音(ね)のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あへ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

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詩人論の詩<2>タペストリーの表裏・いのちの声

「山羊の歌」や「在りし日の歌」にも
詩人論を歌った詩はあります。

パラパラとめくるだけで、
「いのちの声」(山羊の歌)、
「曇天」(ありし日の歌)、
「言葉なき歌」(同)……と、
見つかります。

と、こんなふうな読み方を
大きく超えて
「いのちの声」は、
中原中也の全作品の中でも
巨大な存在感を放っている詩なので、
あえて、
詩人論の歌などと
呼ばないほうがよいかも知れませんが……。

「いのちの声」は、
詩人論を展開した詩であること以上に
中也作品を代表する詩でありますし、
傑作でありますし、
名作であります。

同じことは、
「曇天」にも
「言葉なき歌」にも、
言えます。

でも、
この3作品が、
「山羊の歌」「ありし日の歌」という、
詩人中原中也が、
自ら選んで、
自ら編集した詩集に収録されている、
という事実に大きな意味はある、
とは言えそうです。

発表されなかった詩篇の中にある
詩人論を歌った作品と、
この3作を比べ読みしてみると、
見えてくるものがあるのです。
その関係は、
いはば、
タペストリーの表裏の関係に似ています。

 *

 いのちの声

もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
――ソロモン

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上がりの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著(つ)く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。

時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

  Ⅱ
否何(いづ)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかは)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このやうに無私の境(さかひ)のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆(あほう)といふものであらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ

だが、それが此(こ)の世といふものなんで、
其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端はないとて、一先ず休心するもよからう。

  Ⅲ
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

  Ⅳ
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)


 曇天

 ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
 はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

 手繰り 下ろさうと 僕は したが、 
綱も なければ それも 叶(かな)はず、
 旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処(おくが)に 舞ひ入る 如く。

 かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶(おも)ふ。
 かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。

 かの時 この時 時は 隔つれ、
此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異れ、
 はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かは)らぬ かの 黒旗よ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より」

 *
 言葉なき歌

あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼(あを)く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡(あは)い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女(むすめ)の眼(め)のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方(かなた)で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音(ね)のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あへ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

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中也の詩のわかりやすさ

その詩が
朝という時間帯を歌ったものである、
ということを示す詩句を抜き出してみれば
なんと!
12篇中の2篇を例外として
10篇が
第1連もしくはタイトルの中にある、
ということを発見しました。

「朝の歌」は
第3連の、

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

「臨終」は、
第3連の、

窓際に髪を洗へば
その腕の優しくありぬ
  朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
  水の音したたりてゐぬ

で、朝の歌と判明しますが、

その他の朝の歌は、
すべて、第1連またはタイトルに、
朝を指示する詩句があります。

作品の冒頭部に
その詩の「時」を示した
詩人の律儀さを思わずにはいられません。

中原中也の詩が
わかりやすく、
親しみやすい、
ということの
一つのわけが
ここにある
ということを示すもの
であるかもしれません。

逆の意味で、
「朝の歌」や「臨終」は
基本から踏み出して
いわば「技巧」を凝らして作られた作品、
といえるのかもしれません。

多くの作品が
基本に忠実な作り方だからといって
技巧に欠ける、
とは、ただちにはいえませんが、
「朝の歌」「臨終」の完成度が
抜きん出ている、と
しばしば評されるのは
このあたりの事情にもあろうかと思われます。

以下に
朝という「時」を示した
第1連の詩句だけを
記します。

秋の一日

こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によつて、
サイレンの棲む海に溺れる。 

悲しき朝

河瀬の音が山に来る、
春の光は、石のやうだ。
筧(かけひ)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(をうな)にさも肖(に)てる。

宿酔

朝、鈍い日が照つてて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

修羅街輓歌
      関口隆克に
 1 酔生

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。

青い瞳

1 夏の朝

かなしい心に夜が明けた、
  うれしい心に夜が明けた、
いいや、これはどうしたといふのだ?
  さてもかなしい夜の明けだ!

2 冬の朝

それからそれがどうなつたのか……
それは僕には分らなかつた
とにかく朝霧罩(こ)めた飛行場から
機影はもう永遠に消え去つてゐた。

春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲(あが)る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舎から合唱は空にあがる。

冬の明け方

残んの雪が瓦に少なく固く
枯木の小枝が鹿のやうに睡(ねむ)い、
冬の朝の六時
私の頭も睡い。

秋の消息

麻は朝、人の肌(はだへ)に追い縋(すが)り
雀らの、声も硬うはなりました
煙突の、煙は風に乱れ散り

曇天

 ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
 はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

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「朝の歌」以外の朝の歌

ここで
「朝」が歌われた作品を
公刊2詩集である
「山羊の歌」と「在りし日の歌」から
ざっと、ながめておきます。

朝といっても
明け方、とか
目覚めた朝、とか
太陽がまだあがっていない時刻から
太陽が空にあがって、
陽光が降り注ぎはじめたあたりまでの朝で、
昼になっていない時間帯を指す「朝」。

その、微妙にあいまいでありそうな「朝」を
中原中也は、
厳密に使い分けていることが
見えてくるような「朝」。

その、
朝の歌の変遷が
わかります。

詩人が、
詩人としての出発点と自認した
「朝の歌」は、
大正15年(1926年)に作られ、
「曇天」は、昭和11年(1936)の作ですから、
この意味での「朝」の歌を、
詩人誕生から晩年にいたるまで
詩作活動の全般にわたって
作っていることがわかります。

これらの、朝の歌と、
「朝の歌」とを比べながら味わうと、
色々な朝の歌が聞こえてきます。

<山羊の歌>より

 *
 朝の歌

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

 *
 臨終

秋空は鈍色(にびいろ)にして
黒馬の瞳のひかり
  水涸(か)れて落つる百合花
  あゝ こころうつろなるかな

神もなくしるべもなくて
窓近く婦(をみな)の逝きぬ
  白き空 盲(めし)ひてありて
  白き風冷たくありぬ

窓際に髪を洗へば
その腕の優しくありぬ
  朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
  水の音したたりてゐぬ

町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
  しかはあれ この魂はいかにとなるか?
  うすらぎて 空となるか?

 *
 秋の一日

こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によつて、
サイレンの棲む海に溺れる。 

夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はもうない。
あらゆるものは古代歴史と
花崗岩のかなたの地平の目の色。

今朝はすべてが領事館旗のもとに従順で、
私は錫(しやく)と広場と天鼓のほかのなんにも知らない。
軟体動物のしやがれ声にも気をとめないで、
紫の蹲(しやが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

     (水色のプラットホームと
     躁(はしや)ぐ少女と嘲笑(あざわら)ふヤンキイは
     いやだ いやだ!)

ぽけっとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出でて
今日の日の魂に合ふ
布切屑(きれくづ)をでも探して来よう。

 *
 悲しき朝

河瀬の音が山に来る、
春の光は、石のやうだ。
筧(かけひ)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(をうな)にさも肖(に)てる。

雲母の口して歌つたよ、
背(うし)ろに倒れ、歌つたよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いはほ)の上の、綱渡り。

知れざる炎、空にゆき!

響の雨は、濡れ冠る!

……………………………

われかにかくに手を拍く……

 *
 宿酔

朝、鈍い日が照つてて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔ひだ。
もう不用になつたストーヴが
  白つぽく銹(さ)びてゐる。

朝、鈍い日が照つてて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

 *
 修羅街輓歌
      関口隆克に

   序歌

忌(いま)はしい憶(おも)ひ出よ、
去れ! そしてむかしの
憐みの感情と
ゆたかな心よ、
返つて来い!

  今日は日曜日
  縁側には陽が当る。
  ――もういつぺん母親に連れられて
  祭の日には風船玉が買つてもらひたい、
  空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……

  忌はしい憶ひ出よ、
  去れ!
     去れ去れ!

 1 酔生

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。

ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあむまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!

それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ……

 2 独語

器の中の水が揺れないやうに、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば
モーションは大きい程いい。

しかしさうするために、
もはや工夫(くふう)を凝らす余地もないなら……
心よ、
謙抑にして神恵を待てよ。

 3

いといと淡き今日の日は
雨蕭々(せうせう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡(あは)き空気にて
林の香りすなりけり。

げに秋深き今日の日は
石の響きの如くなり。
思ひ出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。

まことや我は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。

それよかなしきわが心
いはれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。

<在りし日の歌>より

 * 
 青い瞳

   1 夏の朝

かなしい心に夜が明けた、
  うれしい心に夜が明けた、
いいや、これはどうしたといふのだ?
  さてもかなしい夜の明けだ!

青い瞳は動かなかつた、
  世界はまだみな眠つてゐた、
さうして『その時』は過ぎつつあつた、
  あゝ、遐(とほ)い遐いい話。

青い瞳は動かなかつた、
  ――いまは動いてゐるかもしれない……
青い瞳は動かなかつた、
  いたいたしくて美しかつた!

私はいまは此処(ここ)にゐる、黄色い灯影に。
  あれからどうなつたのかしらない……
あゝ、『あの時』はあゝして過ぎつゝあつた!
  碧(あを)い、噴き出す蒸気のやうに。

   2 冬の朝

それからそれがどうなつたのか……
それは僕には分らなかつた
とにかく朝霧罩(こ)めた飛行場から
機影はもう永遠に消え去つてゐた。
あとには残酷な砂礫(されき)だの、雑草だの
頬を裂(き)るやうな寒さが残つた。
――こんな残酷な空寞(くうばく)たる朝にも猶(なほ)
人は人に笑顔を以て対さねばならないとは
なんとも情ないことに思はれるのだつたが
それなのに其処(そこ)でもまた
笑ひを沢山湛(たた)へた者ほど
優越を感じてゐるのであつた。
陽は霧に光り、草葉の霜は解け、
遠くの民家に鶏(とり)は鳴いたが、
霧も光も霜も鶏も
みんな人々の心には沁(し)まず、
人々は家に帰つて食卓についた。
  (飛行機に残つたのは僕、
  バットの空箱(から)を蹴つてみる)

 *
 春

春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲(あが)る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舎から合唱は空にあがる。

あゝ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸摶(う)つた希望は今日を、
厳(いか)めしい紺青(こあを)となつて空から私に降りかゝる。

そして私は呆気(ほうけ)てしまふ、バカになつてしまふ
――薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?
薮かげの小川か銀か小波か?

大きい猫が頸ふりむけてぶきつちよに
一つの鈴をころばしてゐる、
一つの鈴を、ころばして見てゐる。

 *
 冬の明け方

残んの雪が瓦に少なく固く
枯木の小枝が鹿のやうに睡(ねむ)い、
冬の朝の六時
私の頭も睡い。

烏が啼いて通る――
庭の地面も鹿のやうに睡い。
――林が逃げた農家が逃げた、
空は悲しい衰弱。
     私の心は悲しい……

やがて薄日が射し
青空が開(あ)く。
上の上の空でジュピター神の砲(ひづつ)が鳴る。
――四方(よも)の山が沈み、

農家の庭が欠伸(あくび)をし、
道は空へと挨拶する。
     私の心は悲しい……

 *
 秋の消息

麻は朝、人の肌(はだへ)に追い縋(すが)り
雀らの、声も硬うはなりました
煙突の、煙は風に乱れ散り

火山灰掘れば氷のある如く
けざやけき顥気(かうき)の底に青空は
冷たく沈み、しみじみと

教会堂の石段に
日向ぼつこをしてあれば
陽光(ひかり)に廻(めぐ)る花々や
物蔭に、すずろすだける虫の音(ね)や

秋の日は、からだに暖か
手や足に、ひえびえとして
此の日頃、広告気球は新宿の
空に揚りて漂へり

 *
 曇天

 ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
 はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

 手繰り 下ろさうと 僕は したが、 
綱も なければ それも 叶(かな)はず、
 旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処(をくが)に 舞ひ入る 如く。

 かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶(おも)ふ。
 かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。

 かの時 この時 時は 隔つれ、
此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異れ、
 はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かは)らぬ かの 黒旗よ。

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詩の入り口について/凄じき黄昏<6>

「白痴群」全6号に載った
中原中也の作品は
全部で25篇あります。
これは、詩集「山羊の歌」の全作品44篇の
半分以上です。
「白痴群」が、
中原中也という詩人にとって
いかに重要であったかを
端的に物語る事実です。

にもかかわらず、
僚友・大岡昇平が
以下のように記しているのは
気になりますし、変な感じがします。

結局「白痴群」六号を通じて、見るべきものは「寒い夜の自我像」「「修羅街輓歌」等中原の中期の重要な詩篇と、河上の「ヴェルレーヌの愛国詩」、阿部六郎の小説「放たれたバラバ」、それから河上が訳載したヴァレリイ「レオナルド・ダ・ヴィンチ序説」ぐらいなものであったといっても、当時の同人から不服は出ないものと思う。(「朝の歌」所収「白痴群」より引用)

同人から不服は出ない、というのは
中也がいないのだから、
中也から不服が出ることを想定しておらず
中也の詩の評価を
あらかじめ除外しての感想であって
それは公平ではない感じがあり
大岡昇平にしてはというか
大岡昇平だからというか
変!です。

見るべきものは「寒い夜の自我像」「「修羅街輓歌」等中原の中期の重要な詩篇

と、大岡は「等」の中に
どれほどの評価を込めているか
あまり評価していない感じがあります。

「ためいき」への河上徹太郎の評価や
大岡自らも「夕照」などへの
評価があることを考えると、
「重要な詩篇」とは、
詩作品への評価ではなく、
評伝を書くにあたって「重要」
と言っているに過ぎないようで
変です。

要するに
大岡昇平は
「白痴群」に文学作品としては
高い評価を与えなかったのですし、
そのことは理解できるにしても、
「山羊の歌」の半分以上を占める
「白痴群」への中也の発表作品の中の
「寒い夜の自我像」「「修羅街輓歌」等、
しか評価しなかったのです。

「白痴群」に中原中也が発表した全作品のタイトルを
再び載せておきます。
名作、傑作が
たくさんあります。

創刊号 昭和4年4月
    「寒い夜の自我像」
第2号 昭和4年7月
    「秋の一日」
    「深夜の思ひ」
    「凄じき黄昏」
    「夕照」
    「ためいき」
第3号 昭和4年9月
    「木蔭」
    「夏」
第4号 昭和4年11月
    「心象」
第5号 昭和5年1月
    「冬の雨の夜」
    「みちこ」
    「修羅街輓歌」
第6号 昭和5年4月
    「盲目の秋」
    「わが喫煙」
    「妹よ」
    「寒い夜の自画像」
    「失せし希望」
    「汚れつちまつた悲しみに……」
    「無題」
    「更くる夜」
    「雪の宵」
    「生ひたちの歌」
    「時こそ今は……」
「中原中也必携」(吉田凞生編、学燈社)調べ。

 *
 凄じき黄昏

捲き起る、風も物憂き頃ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とほ)き昔の隼人(はやと)等を。

銀紙(ぎんがみ)色の竹槍の、
汀(みぎは)に沿ひて、つづきけり。
--雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘はず、地の上の
敷きある屍(かばね)--
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿す。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/凄じき黄昏<5>

「白痴群」第2号に発表された
中原中也の詩を
まとめて載せておきます。    

(つづく)

 *
 秋の一日

こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によつて、
サイレンの棲む海に溺れる。 

夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はもうない。
あらゆるものは古代歴史と
花崗岩のかなたの地平の目の色。

今朝はすべてが領事館旗のもとに従順で、
私は錫(しやく)と広場と天鼓のほかのなんにも知らない。
軟体動物のしやがれ声にも気をとめないで、
紫の蹲(しやが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

(水色のプラットホームと
躁(はしや)ぐ少女と嘲笑(あざわら)ふヤンキイは
いやだ いやだ!)

ぽけっとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出でて
今日の日の魂に合ふ
布切屑(きれくづ)をでも探して来よう。


深夜の思ひ

これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑ぜない女の児の泣声だ、
鞄屋の女房の夕(ゆふべ)の鼻汁だ。

林の黄昏(たそがれ)は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交ふ梢のあたり、
舐子(おしやぶり)のお道化(どけ)た踊り。

波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向ふに運ぶ。
森を控へた草地が
  坂になる!

黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄する
ヴェールを風に千々にされながら。
彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!

崖の上の彼女の上に
精霊が怪しげなる条(すぢ)を描く。
彼女の思ひ出は悲しい書斎の取片附け
彼女は直きに死なねばならぬ。

 *
 凄じき黄昏

捲き起る、風も物憂き頃ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とほ)き昔の隼人(はやと)等を。

銀紙(ぎんがみ)色の竹槍の、
汀(みぎは)に沿ひて、つづきけり。
——雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘はず、地の上の
敷きある屍(かばね)——
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿す。

 *
夕照

丘々は、胸に手を当て
退けり。
落陽は、慈愛の色の
金のいろ。

原に草、
鄙唄(ひなうた)うたひ
山に樹々、
老いてつましき心ばせ。

かゝる折しも我ありぬ
小児に踏まれし
貝の肉。

かゝるをりしも剛直の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。


 ためいき
   河上徹太郎に

ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672―1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/凄じき黄昏<4>

「凄じき黄昏」は
昭和4年(1929)7月発行の
「白痴群」第2号に発表されました。

これは、後で知った発見だったのですが
「ためいき」も
同じ号に発表されています。

ということで
俄然、「白痴群」第2号が注目されまして、
探してみると、ほかに
「深夜の思ひ」
「秋の一日」
「夕照」がありました。

この5作品は、
なんらかの類縁性がある、
少なくとも、「白痴群」第2号に掲載された
という類縁性があることを知りました。

ことさらに
「ためいき」と「凄まじき黄昏」の類縁性は
まったく偶然ながら
「どこか似ている!」との直感を抱いたのですが
この直感は
中原のイメージは
決して生得環境的なものではなくて、
いわば教養的なもの……
と見なす河上徹太郎の説を
ヒントに導きだされたことは
特筆しておきたいことです。

ついでに
「白痴群」全6号に載った
中原中也の作品を
見ておきましょう。

創刊号 昭和4年4月
    「寒い夜の自我像」
第2号 昭和4年7月
    「秋の一日」
    「深夜の思ひ」
    「凄じき黄昏」
    「夕照」
    「ためいき」
第3号 昭和4年9月
    「木蔭」
    「夏」
第4号 昭和4年11月
    「心象」
第5号 昭和5年1月
    「冬の雨の夜」
    「みちこ」
    「修羅街輓歌」
第6号 昭和5年4月
    「盲目の秋」
    「わが喫煙」
    「妹よ」
    「寒い夜の自画像」
    「失せし希望」
    「汚れつちまつた悲しみに……」
    「無題」
    「更くる夜」
    「つみびとの歌」
    「秋」
    「雪の宵」
    「生ひたちの歌」
    「時こそ今は……」

以上、「中原中也必携」(吉田凞生編、学燈社)調べ。
    

(つづく)

 *
 凄じき黄昏

捲き起る、風も物憂き頃ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とほ)き昔の隼人(はやと)等を。

銀紙(ぎんがみ)色の竹槍の、
汀(みぎは)に沿ひて、つづきけり。
——雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘はず、地の上の
敷きある屍(かばね)——
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿す。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/凄じき黄昏<3>

歴史を題材にした作品、
であるからといって
歴史そのものを歌って
それで終わり、とは
到底、言えないのが
中原中也の詩であることは
言うまでもありません。

「凄じき黄昏」は、
最終連の2行、

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿す。

が、肝腎(かんじん)です。
この2行がなければ、
単なる、歴史の歌になってしまいますし、
ここを、読まなければ
詩人が、ここにいるよ〜って言っているのに
通り過ぎてしまうようなことになります。

戦を遠景でとらえ
まるで
戦場をサッカー試合を
観覧席から俯瞰しているかのように描き
行軍の様子をパンし、
屍(しかばね)の山を描き、
中世の戦の残酷さを歌った最後に
アップで
ニコチンで汚れた歯の家来(けらい)を
とらえる仕方は
映画的といってよいほどですが、
この、家来の気味悪さ!
を、言う前に
この、2行の意味を
どう解したらよいでしょうか……。

家々とは、
戦闘に加わらない民家、
農民のたちの家のことで
表面、どちらかの側に属し、
それなりに忠実を誓っている人々のことと取れるのですが
彼らは、賢い家来であり、
狡(ず)る賢い家来でもありますから、
ニコチンで汚れた歯を隠すようにして、
風向きを見ては、
どちらにもへつらいながら、
要領よく、
戦争の中を生き延びている
泳いでいる人々です。

ニコチンですから、
煙草のニコチンとしか取れず
戦国時代に煙草を吸うことは考えられませんから、
つまりは、現在のことを言い表している、
と考えられ
中世の非戦闘農民を歌いながら
現代人のことを歌っている
ということがわかります。

それでは、
この家来
この、賢き陪臣(ばいしん)とは、
だれのことを指すのでしょうか。

詩人は、
戦いの場に参じることができない
あわれな家来を、
自分に見立て
へりくだってみせたのでしょうか。
それとも
賢き陪臣は、詩人の嫌う
「お調子もの」の類(たぐい)で
批判したのでしょうか……。

どちらにでもとれる、
という、このような読みでは
詩の入り口から
すでに、詩の中の奥深い所へ
辿りついてしまって
もはや、迷子になっている
といえる状態であり、
詩から遠ざかっていることになるでしょうか……。

 *
 凄じき黄昏

捲き起る、風も物憂き頃ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とほ)き昔の隼人(はやと)等を。

銀紙(ぎんがみ)色の竹槍の、
汀(みぎは)に沿ひて、つづきけり。
——雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘はず、地の上の
敷きある屍(かばね)——
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿す。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/凄じき黄昏<2>

薩摩隼人の戦といえば、
たとえば
耳川の戦い。

ネットでは、
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に、
以下の記述が見つかります。

耳川の戦い(みみかわのたたかい)とは、天正6年(1578年)に、九州制覇を狙う豊後国の大友宗麟と薩摩国の島津義久が、日向高城川原(宮崎県木城町)を主戦場として激突した合戦。正確には「高城川の戦い」「高城川原の戦い」とも言う。

合戦の背景と概要

天正5年(1577年)、日向の大名伊東義祐が島津氏に敗北。日向を追われ、友好関係にあった大友氏に身を寄せた。これをうけ翌年、大友宗麟・義統は宿敵・島津氏との決着をつけるため三万とも四万ともいわれる大軍を率いて日向への遠征を決定する。

しかし、大友家内部では宗麟の狂信的なキリスト教への傾倒などから家臣団との間に不協和が生じていた。立花道雪らは開戦に時期尚早と強く反対していた。また、合戦直前の大友軍の軍議で田北鎮周は交戦を主張していたが、大将の田原親賢は裏で島津軍との和睦交渉を進めていたためこれに応じなかった。田北鎮周がこれを不服として島津軍に攻撃を仕掛けたため大友軍はこれを放置するわけにもいかず、やむなく島津軍と戦うことになった。また、大友軍の軍師角隈石宗は「血塊の雲が頭上を覆っている時は戦うべきでない」と主張するも結局交戦に至り、やむなく秘伝の奥義書を焼いて敵中に突入し戦死している。

当初は大友軍が島津軍を兵力の差で押していたが、徐々に大友軍の兵士に疲労の色が見え始め、また大友軍は追撃により陣形が長く伸びきっており、そこを島津軍が突いたことによって戦況は一転し、大友軍は敗走する。大友軍は3000人近い人数が戦死したが、これの大半は敗走後に急流の耳川を渡りきれず溺死した者や、そこを突かれて島津軍の兵士に殺されたものだという。

ここでは、大友軍の敗北が記されていますが、
薩摩隼人の死者も甚大であったことは
容易に想像できます。

この記述を、読んでいて
「凄まじき黄昏」の場面だ! と、
詩を再読することになりました。

この種の歴史書を
中原中也が読んだことも
容易に推測できます。

「凄じき黄昏」第3連の、
敷きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。
は、累々たる死体が
天に昇る様子を歌ったものではないか……。

ある日、突然、詩が、
初めて読んだ時とは違って
見えてくる、
ということがある例です。

 *
 凄じき黄昏

捲き起る、風も物憂き頃ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とほ)き昔の隼人(はやと)等を。

銀紙(ぎんがみ)色の竹槍の、
汀(みぎは)に沿ひて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘はず、地の上の
敷きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿す。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/凄じき黄昏<1>

捲き起る、風も物憂き頃ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とほ)き昔の隼人(はやと)等を。

これは、「山羊の歌」の中の
「凄まじき黄昏」という詩の
第1連です。

中原中也は、
書物とか歴史とかの「教養的なもの」から
1篇の詩を歌いあげることを
一つの詩法としていたことは
いくつかの例もあることですから、
まちがいはなく、
「ためいき」を
その詩法で作った作品という見方を
否定するものはありません。

と、記しながら、
この「凄じき黄昏」という作品が
思い出されていました。

この詩を読んだときの
苦闘がよみがえり、
「ためいき」を作っている詩人の視線と
「凄じき黄昏」を作っている詩人の視線は
どこかしら似ているものを
感じたのであります。
それは、
どこからくるのでしょうか。

ためいきは夜の沼へゆき、と、
捲き起る、風も物憂き頃ながら、という、
始まり方が、似ています。
二つの詩は、前ぶれもなく、
突如、読者を状況に投げ出す感じです。
いきなり、読者はその中にいますが、
その中とはどこか、
どこにいるのだろう、と
訝(いぶか)しがらざるを得ない状況です。
ここは、どこ? って感じになります。

詩人が
立っている場所が
イメージしにくい、というか、
どこか現実離れした感じがあり、
一瞬、どこにいるのかが
わからないのです。

「凄まじき黄昏」で、
詩人は、広々とした草原を眼下に見ている、
とすれば、それは、
芭蕉が、夏草やつわものどもが夢の跡、
と、詠んだような、
古戦場跡にでも立っているのだろうか、と
それをイメージしてみるのですが、
どうも、そこに実際立っているとは
感じにくいものがあります。

その理由を、
「中原中也のイメージは教養的なもの」と、
河上徹太郎のように
とらえられるのなら、
この「凄じき黄昏」も、
リアリズム(写実)ではなく、
詩人は、
その場所に、実際には、おらず、
歴史で学んだ事象を
詩作品に歌ったのではないか、と
考えられもしてくるのです。

風がビュービュー吹き
いい加減、うんざりするほどに吹き止まない
草々は横倒しに吹きつけられるままだ
こうも荒涼とした風景につつまれては
自ずと遠き時代の薩摩隼人らの
戦が思いだされる。

薩摩隼人の戦、
という「教養」から
この詩は出発しているようです。
薩摩隼人の歴史を繙(ひもと)けば
たとえば、
豊後の大友宗麟との戦いで、
何千人もの死者を出した
薩摩の行軍の様子が
浮かんできます。

(つづく)

 *
 凄じき黄昏

捲き起る、風も物憂き頃ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とほ)き昔の隼人(はやと)等を。

銀紙(ぎんがみ)色の竹槍の、
汀(みぎは)に沿ひて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘はず、地の上の
敷きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿す。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」角川文庫クラシックスより」

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詩の入り口について/ためいき<9>

中原のイメージは
決して生得環境的なものではなくて、
いわば教養的なもの……と、
河上徹太郎は認めたうえで、
「ためいき」の風景を、
19世紀ロシア文学、
そのなかのチェホフあたりの風物を日本の田園に翻訳して得たもの、
とほぼ断じています。

チェホフの短編小説だか戯曲だか
特定の作品の一場面を指示するわけではなく
河上徹太郎の中には、
それは具体的にあったのでしょうが
チェホフ的世界の風物を
中野、杉並、世田谷あたりのことでしょうか
それも指示しませんが
日本の田園に翻訳した、
置き換えた、
というのですから、
ギョッとしますし、
目が覚めますし、
モヤモヤは吹きとんでしまいます。

中也の生まれ故郷・山口の
どこかの風景なのかな、などとも
想像していたところ、
そもそも
中原のイメージは
決して生得環境的なものではなくて、
いわば教養的なもの……
と、いうところにさしかかり、
えっ? と驚き、
幼少年時を過ごした山口が
「原風景」ですらないとでもいわんばかりの、
この、河上の指摘に耳をそばだてたばかりなのです。

実にユニークではないですか!

それを、しかも、
ロシアの平原のノスタルジア、と
展開してゆき、
リルケとの比較です。
ここで、その行方を追うことをしませんが、
中原中也は、
書物とか歴史とかの「教養的なもの」から
1篇の詩を歌いあげることを
一つの詩法としていたことは
いくつかの例もあることですから、
まちがいはなく、
「ためいき」を
その詩法で作った作品という見方を
否定するものはありません。

それにしても
チェホフあたりの風物、とは
河上徹太郎が直感したものなのでしょうか?
中也からの手紙とか、会話とかに
なんらかの示唆があって
そう断言しているのでしょうか。
ドストエフスキーではなく
チェホフだったのは、
なにか理由があるのでしょうか。

この読みは、
たとえば
「中原中也必携」(吉田凞生編、学燈社)も
「中也を読む 詩と鑑賞」(中村稔、青土社)も、
そのまま踏襲し、
それ以降の読みも、
太田静一の読みのような
例外はあるものの、
おおよそ支持され、
現在にいたっている様子です。

詩は
色々な読みができるのだから
ここにも
よい読みがあるということの証でして、
先に読んじゃった者が勝ち!
ということがいえますが、
徒手空拳の
素朴な読者大衆は
こんなふうに読めるわけはなく
ためいきが
ふーっと漏れてしまいます。

(つづく)

 *
 ためいき
   河上徹太郎に
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672―1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/ためいき<8>

「ためいき」は、
チェホフあたりの風物を日本の田園に翻訳して得たものに違いない。 
とか、
この舞台は正しくロシアの平原のノスタルジアである。
とかと、
胸のすくような、
意表を衝くような読みが
どのようにして可能なのか。

これは、やはり、
中原中也という詩人と生の交流があり、
手紙などの言葉のやりとりもあり、
なおかつ、
詩というものを理解できる感性……
そして知性もあるような友人にしか
言えないコメントではないでしょうか。

こう、言われてしまうと
ああ、そうだそうだ、
どうも、日本離れした匂いが漂っている
などと、
かすかに異国のイメージを抱いたものの正体を
言い当てられたようで
妙に納得がいくものです。

詩を贈られた
本人である河上徹太郎が
作品としての、その詩へ、
オマージュを返した、
ということなのですが
それが、単に、
一個の詩へのオマージュにとどまらず、
「日本のアウトサイダー」の
起点になるような批評へと
展開していくのですから
ただごとではありません。

音楽でいったらアンダンティーノ八分の六拍子とでもいいたいリズムの揺れ方は無類である。

このあたりからはじまる
オマージュは、

この舞台は正しくロシアの平原のノスタルジアである。
というあたりから、
ライナー・マリア・リルケを引き合いにして
どうやら
カトリック詩人としての
中原中也を描くことに向かっていきますが、
ここでは
そんなこともどうでもいいことにします。

ここでは
「ためいき」の読みだけが関心の的(まと)です。

その読みは、
「日本のアウトサイダー」所収の
「中原中也」にあり、
河上徹太郎が昭和34年(1959年)に刊行したものです。

その中の
「ためいき」に関わるコメントだけを
ここに、引用しておきます。
わかりやすくするために
改行や行空きを加えてあります。

(以下引用)
(略)従って中原のイメージは決して生得環境的なものではなくて、いわば教養的なものである。

例えば彼は時の文学青年の常として十九世紀のロシア文学に負う所が多いが、
次の私に親しい詩も実はチェホフあたりの風物を日本の田園に翻訳して得たものに違いない。 

ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。……

これは「ためいき」という彼が二十歳の時の詩だが、この、音楽でいったらアンダンティーノ八分の六拍子とでもいいたいリズムの揺れ方は無類である。

ここにあって可見のイメージはすべて手なずけられて、一律に戦いでいる。 

ほとんど風景の書割だけで出来ているような、こんな叙情的な詩は中原の全作品の中で珍しいのである。

ところで、この舞台は正しくロシアの平原のノスタルジアである。(以下略)

(つづく)

 *
 ためいき
   河上徹太郎に
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672―1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/ためいき<7>

詩は、
ある特定の個人に向けて作られることがあり、
ラブレターになる場合や
この「ためいき」のように
献呈詩となる場合などがあります。

中原中也は
多くの「恋愛詩」を書きましたが
「献呈詩」もたくさん書きました。

このことをもって、
中也は、相手のいない詩を書かなかった、
などと批評する人もいるほどです。

そんなことは、
どうでもいいのですが
詩を贈られたり、
捧げられたりした人は、
どのような感情を抱くものか
悪い感情を抱くものでないことは明らかなのですが、
贈られ、捧げられて、
なお「作品」として
冷静に読むことができるものか
少し気になります。

詩を作った人と
贈られた人だけに通じる
いわば「秘め事」があり、
第三者が介入できない領域や、
想像できない
微妙なニュアンスなどが
こうした詩作品にあるとすれば
その当事者が勝ちです!

「ためいき」への、
河上徹太郎の批評が、
このようなものであるかどうかを
知り得ませんが
「日本のアウトサイダー」の
トップを飾る「中原中也」には、
「ためいき」を論じた
目の覚めるような
爽快なコメントがあり、
これを読まないでは、
「ためいき」の、ある重要なものを
読み過ごしてしまうのかもしれません。

「ためいき」には、
これを献呈された河上徹太郎本人による
他者の追随を許さない読みがあります。
この詩は、
この読みのように読む以外にない、とさえ、
広く受け入れられているようですから、
その、極めて有名な論考をみてみましょう。

「日本のアウトサイダー」は、
河上徹太郎が、昭和34年(1959年)に、
江湖に問うた論考集で、
序を含め全10章からなっています。
そのトップを飾るのが
「中原中也」で、
「日本のアウトサイダー」という書物自体が
「中原中也」を動機に構想された、
といわれるほど
中也は枢要な位置にあります。

中原中也と河上徹太郎は
小林秀雄を介して交友し、
「白痴群」ではともに、同人でした。
大岡昇平のあの冷たいような、
意地の悪いような物言いによると
「白痴群」は、
この二人だけが熱心だったのであり
ほかの同人は会費を払ってもらうための
数合わせみたいなものだった、
ということになる
車の両輪だったらしい。

中也は、「ためいき」を
昭和4年(1929)7月発行の
「白痴群」第2号に発表しました。
制作は、昭和2年(1927)もしくは3年とされているのは
まさしく、献呈された河上徹太郎が
そのように記憶し、
そのように記しているからですが、
断定できるものではなさそうです。

「白痴群」が解散・瓦解したのは、
昭和5年(1930)ですから、
まだ、同人の間に深い亀裂というようなものはなく、
意気揚々たる中也の姿が
彷彿としてくる時期。
河上徹太郎も、打ち込んでいた時期の作品といえるでしょうか。

(つづく)

 *
 ためいき
   河上徹太郎に
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672―1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/ためいき<6>

ピョートル大帝の目玉、とは何か?
ここでは、歴史を研究しているのではありません
ピョートル大帝は、
18世紀ロシアの絶対君主で、
身長が2メートルほどあったといわれる巨体……
この歴史的人物が、
なぜ、「ためいき」に登場するのでしょうか?
なぜ、目玉、なのでしょうか?

最終連は、
起承転結の結のはずですから
ここで、ためいきの行方が
はっきり見えることになるのですが
それが、
ピョートル大帝の目玉が、
雲の中で光っている
で、終わるのですから、

ためいきにとって、ピョートル大帝の目玉、とは何か?

ということになります。

1行目の、
イナゴの瞳、の対照として
ピョートル大帝の目玉、が現れているのですから、
イナゴとピョートル大帝は対立語といえるかもしれません。

空が曇り、
というのは、
状況が悪化し、困難なときがくれば、
という意味でしょうから、
小心なイナゴたちは砂の中に隠れてしまうが
ピョートル大帝のような絶対権力者の目玉は
雲のただ中に在って、
びくともしないで、光り輝いているばかりだ

最終連を
このように読むことができますが、
ためいきは、どこへ行ったのか
イナゴとためいきの関係、
ピョートル大帝とためいきの関係は、
どのようなものかが
新たな問いとして現れます。

そもそも
ためいき、とは、
何か、といえば、
詩人の、嘆息、吐息……であり、
詩そのもののことととるのが自然です。
倦怠、閑寂、むなしさなどの流れの
中原中也の詩のテーマの一群に
この、ためいきはあり、
ここで
それを歌っているのですから
それは、詩そのものです。

その、詩=ためいきは、
どこへ行ったのでしょうか
第1連で、
夜の沼へ行ったためいき、
第2連で、
百姓の引く荷車の音のようであったためいき、
第3連で、
松に見守られている私……

最終連では、
イナゴの瞳へ行き
ピョートル大帝の目玉へ行った、
ということになり、
詩人のためいきは
イナゴの瞳のように、
砂土の中にいるものなのか、
ピョートル大帝の目玉のように、
雲の中で光っているものなのか
……

ここで、もう一度、
ためいきにとって、イナゴの瞳、とは何か?
ためいきにとって、ピョートル大帝の目玉、とは何か?
と、問うことにして、
ずっと、問い続けることを
答にしておきます。

このような解釈が、
もはや迷路に入っていることを
示しているのかもしれませんから。

(つづく)

 *
 ためいき
   河上徹太郎に

ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672—1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/ためいき<5>

第2連も、
ためいきはなほ深くして、
と、3行目にあるように、
第1連とつながっていまして、
夜の沼の風景は、
夜が明けて、
広々とした風景
地平線の見える風景へと変わりますが、
時が経過し
風景も変わったのだけれど
ためいきは深まっています。

しかし、視界がパッと開けます。
窓を開けると、地平線が見え、
荷車を引いた百姓が、
この百姓というのは、
詩人自らのことでありましょう、
百姓が、町の方へ、
懸命に、荷車を引いていく姿があり、
しんどそうに
ときおり、深いためいきをつきます。
そのためいきは、ほんとうに深いもので
まるで丘にぶつかって反響する
荷車の音のようです。

実際に、地平線が見える広い野原がどこか
そんなことは特定しなくてよいでしょうが
たとえばロシアの平原であってもかまいません
昭和初期の東京杉並や世田谷や中野や……だって
広々とした武蔵野の風景がありました
夜が明けても、なお
ためいきは百姓=詩人の口を漏れ
町へ行けば、きっとなにか
ためいきをまぎらわすこともあるかもしれない

第3連になって
百姓の姿は消え、
私が登場します。
百姓は、私=詩人のことだったのです。
ということは
ためいきの主体も
私=詩人ということです

町へ向かう百姓=私=詩人を
松の木が、サポートしてくれるでしょう
どんなふうにサポートしてくれるかというと
あっさり、しつこくなく、さりげなく
笑って、小馬鹿にしたりしない
肉親である、おじさんのように、です。
それは、まるで、
神様が、空気の層の底で、
魚を捕まえているように、
あますところなく、
ぬかりなく、
ゆきとどいていることでしょう。

最終連は、難解というべきか……。
それとも、醍醐味といべきか……。

詩人は
ピョートル大帝を
どのようにイメージしているのか
それを判断する材料は
この詩の中にしかなく、
それゆえ、
この詩へのまったく異なった読みが生じるほどの
分岐点となります。

百姓は、まだ、
町へ向かう野原の道にいます。
空がかき曇ったら
イナゴたちは、いっせいに、砂の中にもぐり込み、
雨を避ける体勢です。
石造建築で密集する、
遠くの町が、俄然、石灰のように白っぽくなりました。
雲の中で
ピョートル大帝の、
いかめしい目玉がギラギラと光っている

ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

この断定が利いています。
夜の沼にはじまる
ためいきの運命が
雲の中で光る大帝の目玉によって
にらみつけられていて、
いっそ、すがすがしい!

(つづく)

 *
 ためいき
   河上徹太郎に
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672―1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)


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詩の入り口について/ためいき<4>

第1連の4行、

ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

というのは、
夜、しばしば通う場所である沼があって
そこへ来たころに必ず湧いてくる感情、
それは、ためいきの出るような失望感で、
それが、
楠(くすのき)とか、杉の木とかの
樹木から発する、
樟脳のようなツンとした香り
現代では、フィトンチッドとでもいう
木の香に満ちた沼のほとりの
林にさしかかると
そのためいきは、目をさまし、疼(うづ)きはじめ、
怨めし気につきまとっているけれど、
もちこたえられずに、パチンとはじけてしまいますよ。
まわりの木々が、若い学者仲間の
首筋のようにほっそり伸びて、
ちいさな驚きの表情を見せるでしょう。

というほどに解釈すれば
すこしは近くなったでしょうか
詩はそれほど遠いものではないはずで
ためいきと夜の沼の
絶妙といえる組み合わせに
はたと、感心することになるでしょう。

なんといっても
ためいきは夜の沼にゆき、
という、冒頭の、この1行への
滑り込むような入り方!
いきなり
夜の沼へ引きずり込まれた
ためいきは
まばたきし
底なし沼へ溺れるというのではなく
パチンとはぜるのです。

ためいきが、
夜の沼へゆき
まばたきし
パチンと音たてる

その時の、
木々が、
若い学者仲間のくびすじのようであるだろう、
という、
なんとも、唐突のようで、
ピタッと決まった
おかしみもある
これは
直喩ではないでしょうか
若い学者のくびすじ、とは!

ためいきを抱えた詩人は
井の頭池あたりへさしかかり
フーッとそれを吐き出すと
あたりの木々が
さわさわと揺れて
知り合いの学者仲間のくびすじをふっと思い出したのです

(つづく)

 *
 ためいき
   河上徹太郎に
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672―1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/ためいき<3>

わかったような
わからないような
モヤモヤが残りますが
一度、その詩世界へ入ると
なにかに触ります。
触ったものこそ詩そのものなのですが
これがなんであるのか
その詩以外の言葉で
言い替えることができないものが詩ですから
モヤモヤは大切なものです。

ですから、
モヤモヤしたものを
楽しめれば
詩を楽しむことができるということを
このことが示しています。
わからないことはわからないままにでよいのですが
だからといって
わからないものをわからないままにしてよいということでもなく、
わからないことを心の中で気に止めていると
いつか、あるとき、それがわかる、
というようなことが起こります。

知らない街を歩いて
迷子になって
ギロギロした眼で
その街のありさまを見つめ直していると
その街が分かってきて
段々、親しみがもてるようになってくる。
そのようなことを、
予想して、試みる、
というような方法といえるでしょうか。

たとえば、
このようにして
人は、ある一つの詩を読みます。
迷子になるのですから、
やっかいといえばやっかいですが、
詩を読まないのと読むのとでは
迷子にならないか、迷子になったか、
の違いほどの違いがあります。
迷子になったことのあるほうが
より豊かな時間を過ごした、と
言えることに間違いはないはずです。

「ためいき」は、
一読して、不思議さの残る詩ですが、
何度も繰り返して読んでいるうちに
名作であることに気づくような詩でもあります。
というわけで、もう少し、
この詩の中に分け入っていきます。

まずは、この詩に現れる風景(場所、場面)を
見てみると、
詩に現れる順に、

夜の沼、
地平線

荷車をひいた百姓


野原

気層の底
魚を捕っている
イナゴの瞳
砂土
……と、なります。

これらの風景のそれぞれが
相互にどのような関係なのか
有機的な関係が、そもそもあるのか、
または、これらの風景と、
ためいきという主格との関係を知れば
この詩が、少し、近づくでしょうか。

東京の、
石神井池とか、井の頭池とかの
夜の池を思わせる
「夜の沼」が、
なぜ、いつしか
イナゴが砂土から目を出す、
ロシアへ
飛んでいくのか?

こんな疑問が
湧いてきませんか?

(つづく)

 *
 ためいき
   河上徹太郎に

ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672―1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/ためいき<2>

ためいき、は、だれのだろう
若い学者仲間、とは、だれを指し、だれのだろう
荷車を挽いた百姓、とは、だれのことだろう
私、とは、詩人自身のことだろうか
ピョートル大帝、には、どんなメタファーが込められているのだろう

「ためいき」に出てくる人間たちの
まずは、位置関係を知ろうと、
ためいきを吐くのは、
詩人か、
この詩の献呈相手である河上徹太郎のことか、
そのどちらでもない、だれかのためいきか、
または、そんなことは特定しなくてもよいことか
手がかりのない状態で読んでみると……。

夜遅く散歩していると
ためいきが一つ出て
折しも通りかかった公園の沼のほとりの
フィトンチッドいっぱいの空気の中で
ためいきはまばたきして、
うらめしそうに流れては、
パチンと大きな音を立てるでしょう、

ためいきが瞬きする
それがパチンと音を立てる
なにやら、普通の溜息ではなくて、大きなためいき……、

それを
であろう、と、
未来・推測の意味をもたせて使い、
ためいきをはく本人が
だれであるかを明らかにしません。

それが止むとき、
パチンと音を立てるような
明快なためいきが漏れるでしょう、
夜の沼のほとり……。
森の木々は、
若い学者のお仲間たちの、
首筋のように、むさくるしさがなく
すっきり、ほっそりしていることでしょう

学者仲間となると、
中也の仲間の学者たちともとれるし
河上徹太郎の仲間ともとれるし
両者に共通の学者たちかもしれないし
学者を、文字通りの学者ととらず
お勉強好きなお友達、
くらいにとってもいいのでしょうか

第2連に進み
夜が明けると、地平線に窓が開く、
となると、これは、
新感覚派的な表現なのか
シュールなのか
夜が明けると、
地平線の見えるほどの広大な空間が
パッと眼前に開ける、という意味の
中也的な表現なのか

荷車をひいた百姓が
地平線の向こうのほうにある町へ
行くでしょう、と
ここでも、推測形です。
ためいきはなお深く、と
ここに出てきた百姓が吐く
ためいきであるかのように、
百姓がひく荷車の音のようである、と
ためいきが荷車の音に喩えられます。

第3連。
ここに、私、が登場します。
第3連は、起承転結の転にあたりますから
展開があるのでしょうか
私、が出てきたことが劇的な感じで、
広々とした野原に、
山の端っこから飛び出した松の木があって
その松が私を見守っていることでしょう、
その松は、あっさりしていて、無闇に笑わない、
父親の兄弟であるおじさんのようでしょう。

ここで、第3連3行、
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。
と、推測ではなく、
直喩で、そのおじさんを、
神様に喩(たと)えます。
その神様は、空気の底で、魚を捕まえているようです。

第4連1行は、
空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
と、暗示的で謎めいて、
空が曇ると、イナゴの目が、地面から覗く、
という不可思議な情景をはさみ、

第4連3、4行も、
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。
と、だろう、を使わず、
推測ではありません。

遠くに見える町は、
石造建築だからでしょう
白くて、石灰のように見えます。
ロシアの町なのでしょう
ピョートル大帝の目玉が、
ギロギロと、雲の中から町を
見下ろしているのが見えます。

ここで、
雲の中で光つてゐる。
と、断定の現在形で、
この詩は終わるのです。

3次元で時系列に沿ったドラマを
組み立てようとするのは
無理なのかもしれません。
イメージの世界で、
一貫したストーリーを作ろうとすると
失敗するのかもしれません。

詩は、
数学ではありません。

(つづく)

 *
 ためいき
   河上徹太郎に

ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672―1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/ためいき

「山羊の歌」
「在りし日の歌」を、
春の歌
夏の歌
秋の歌
冬の歌
海の歌
川の歌
山の歌
空の歌
月の歌
雪の歌
雨の歌
鳥の歌
風の歌
花の歌
植物の歌
蛙の歌
虫の歌
猫の歌
草の歌
雲の歌
星の歌
……と、
自分流に再分類していると、

花鳥風月
雪月花
飛花落葉
落花流水
行雲流水
森羅万象
天地玄黄
……
中原中也という詩人は、
色々な自然、
それも身近な自然を
折りあるごとに歌い、
その自然をモチーフにして
その自然よりも他の何かを
色々と歌っているのを
あらためて知ることになります。

この自然を
入り口に見立て
詩の中に入って
行かないという手はありません。

入り口は、そして、
自然ばかりではなく
ほかにも
思いつくだけで、

色がある歌
思い出を歌った歌
倦怠の歌
死の歌
恋愛を歌った歌
女の出てくる歌
長谷川泰子らしい女性の出てくる歌
お道化の歌
詩人論の歌
宗教的な歌
神の出てくる歌
喪失を歌った歌
疎外感を歌った歌
歴史的事件のある歌
歴史的人物が出てくる歌
地名のある歌
献辞のある歌
オノマトペのある歌
……
などと、
いくらでも、
見つけることができそうです。

文語調の歌
定型詩
口語自由詩
ダダイズムの詩
直喩を使った歌
隠喩を使った歌
擬人法を使った歌
七五調
五七調
歌謡調
俗謡調
漢文調
ソネット
北原白秋調
生田春月風
宮沢賢治的
ベルレーヌ風
ランボー的
ボードレール調
……。

「ためいき」は、
「山羊の歌」19番目の歌。
河上徹太郎への献辞が付された作品です。
この作品の入り口を
どこに見つけたらいいか、
あれやこれや、
考えていると、
すでにこの詩の世界に入っていることに
ふと気づき、驚きます。

(つづく)

 *
 ためいき
   河上徹太郎に

ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しやうき)の中で瞬きをするであらう。
その瞬きは怨めしさうにながれながら、パチンと音をたてるだらう。
木々が若い学者仲間の、頸すぢのやうであるだらう。

夜が明けたら地平線に、窓が開(あ)くだらう。
荷車を挽いた百姓が、町の方へ行くだらう。
ためいきはなほ深くして、
丘に響きあたる荷車の音のやうであるだらう。

野原に突出た山ノ端の松が、私を看守(みまも)つてゐるだらう。
それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだらう。
神様が気層の底の、魚を捕つてゐるやうだ。

空が曇つたら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土の中に覗くだらう。
遠くに町が、石灰みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光つてゐる。

*瘴気 熱病を起させる毒気。
*ピョートル大帝 ロシア皇帝ピョートル一世(1672―1724)。西欧文化を積極的に取り入れ、絶対主義帝政を確立した。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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詩の入り口について/汚れつちまつた悲しみに……

「山羊の歌」は
「初期詩篇」
「少年時」
「みちこ」
「秋」
「羊の歌」
という五つの「章」に分けられ、

「在りし日の歌」も、
「在りし日の歌」
「永訣の秋」
という二つの「章」に分けられています。

章を立てることによって
詩人は、
その章ごとに共通するもの、
それをテーマと呼んでいいかは別として、
一括りにすることができる要素を
見出していたに違いありません。

これは
読者にとって、
重要な手がかりです。
詩の入り口に立つ者が
詩(集)の中へ入っていく時の
頼りがいのある目印です。
このような目印が
たくさんあれば
詩は読みやすく
詩の中へ入ってゆくことは
もう少し容易かもしれませんが
そうはいきません。

詩は
詩であることの要請から
説明というものを極力排するものですし、
そのことによって
普遍的であろうとするものが
詩であるから、
詩は詩の説明をしません。
制作年時さえ、
詩は詩の中に
許さないのが普通です。

詩は、
この他にも
さまざまな理由で
詩以外を解釈の手がかりにしないような仕掛けをもっていますが
そのことによって
多様な味わい方が生まれるのを助けてもいます。

「汚れつちまつた悲しみに……」のような詩が
読まれる時や場所や状況や時代や……
読む人の年齢や世代や性別や職業や……
……
さまざまな条件を越えてしまって
読まれ続けるのは
一つには
この普遍性、
この詩を説明するものは
この詩以外にない、という、
普遍性(=作品)があるからです。

(つづく)

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」より)

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詩の入り口について/サーカス

そもそも「詩集」は
詩人が選び
配列を考えて
あるひとまとまりの表現を試みたものですから、
はじめからおわりまでを
並べられた順序に従って
読んでいけばよいのですが
そうとばかりもいっていられません。

読者は、
神様のようなもので
詩は、きっと、その読者、
神様のような読者のために作られるものですから
読者はどのように詩(集)を読んだって
自由であるということになっています。

こういうことを暗黙の前提としているから
たとえば、
詩集には、制作年月日が明記されませんし、
制作年月日順に作品が配列されるだけでもありませんし、
余計な説明はなく
読者には
ただ作品が差し出されるだけです。

作品だけを読んでくれ
詩だけを読んでください、と
詩人は考えて
何ら詩を読むための手がかりを明らかにしないで
詩集を編むことになっているようです。

少なくとも
文庫本化される前の詩集、
つまり、その詩集が世に生まれた時には
たまに、あいさつのようなものがあるほか
詩以外に詩を読む手がかりは何もありません。
「山羊の歌」も
「在りし日の歌」も例外ではありませんでした。
「在りし日の歌」の「後記」は
あいさつのようなものでした。

このような事情もあってか
詩人の決めた順序にしたがって
詩集を読むなどという読者は
読者のうちでも優等生で、
優等生ばかりが読者ではなく
それゆえに、多くの様々な
優等生ではない人々が
詩を読むことができます。

こうして
素手で詩と向き合う
徒手空拳で詩と相対する
なんの手がかりもなく詩を読む
……
読者はこのような場所に立たされます。
詩の入り口にいます。
この読者が
「サーカス」を読み
あるフレーズを気に入ります。

(つづく)

 *
 サーカス

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
  汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)
夜は劫々と更けまする
落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」より)

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空の歌・秋の夜空

あっちへ行ったり
こっちへ行ったりしますが
「秋の夜空」では、
詩人は空へ行ってしまいます。

行くといっても
下界から見上げているのですが
天上界の夜の宴のようすを
描きます。

そこは、
高貴な夫人たちが
賑わしくパーティーの真っ最中。
ああでもないこうでもない、と
おしゃべりしているのです。

磨かれてすべすべした床、
カンテラの灯りは金色です
小さな頭、とは、
中也らしい観察眼!
八頭身の美女を思わせる
日本人離れした女性たち。
彼女らが着ているのは、
床を引きずる長い裾のドレス。
みなさん立っていて、
椅子を置いていない
立食パーティーです。

ギラギラした明るさではなく
ほんのり明るい上天界は
遠い昔の影祭りのような
静かな夜の宴になっています。

ぼくはそっとその様子を見ていましたが……。

知らない間に、
みなさんいなくなってしまいました。
と、宴の終わりと同時に
ぼくが空想する
天上界も見えなくなります。

ぼくのいる下界は
寂しい秋の夜です……。

詩人の夜空では
ほんのりあかるく
しずかなにぎわしさの中で
夫人たちの宴が
行われていました。

この安らかで
はかないイメージは
詩人が空に求めたもの……。

(つづく)
 
 *
 秋の夜空

これはまあ、おにぎはしい、
みんなてんでなことをいふ
それでもつれぬみやびさよ
いづれ揃つて夫人たち。
    下界は秋の夜といふに
上天界のにぎはしさ。

すべすべしてゐる床(ゆか)の上、
金のカンテラ点(つ)いてゐる。
小さな頭、長い裳裾(すそ)、
椅子は一つもないのです。
    下界は秋の夜といふに
上天界のあかるさよ。

ほんのりあかるい上天界
遐(とほ)き昔の影祭、
しづかなしづかな賑はしさ
上天界の夜(よる)の宴。
    私は下界で見てゐたが、
知らないあひだに退散した。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

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空の歌・憔悴

季節を表す詩句が見られなかったり
あっても、春夏秋冬のどれかに入れることができなかったり
便宜的に「季節のない歌」とした詩も多様ですが、
便宜的に「空の歌」とした詩も
さまざまにあります。

「空」という文字がある詩を
便宜的にすべて「空の歌」として、
しかし、いかにも「空の歌」である
といった作品が見つかることもあり
偶然ながら、
まんざらでもありません。

というわけで、
「空の歌」というアングルで
通り過ぎてはもったいない作品が
いくつかあり、
その一つ「憔悴」を
あげておきます。

6章建ての長詩の5、
その第6、7連目に、

青空を喫(す)ふ 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜(よる)とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。

と、あります。

また、最終章6の最終連に、

あゝ 空の歌、海の歌、
ぼくは美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

と、あり、
この作品を終わっています。
なんと!
「空の歌」という詩句そのものが
ここに登場します。
「海の歌」と並置した
詩人の意図が
思いやられますし、
この、「述志の詩」といわれる作品を
その「述志」という方向に沿って
味わうだけでは
もったいなくはありませんか。

あゝ 空の奥、空の奥。
の、「空の奥」も意味深長といいましょうか
これと似た表現は、
あちこちで見られるのですが、
宗教性につながっていくものでしょう。

(つづく)

 

 *
 憔悴

  Pour tout homme, il vient une èpoque
  où l'homme languit. ―Proverbe.
  Il faut d'abord avoir soif……
       ――Cathèrine de Mèdicis.

私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた
起きれば愁(うれ)はしい 平常(いつも)のおもひ
私は、悪い意志をもつてゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)はなかつた)
そして、夜が来ると私は思ふのだつた、
此の世は、海のやうなものであると。
私はすこししけてゐる宵の海をおもつた
其処を、やつれた顔の船頭は
おぼつかない手で漕ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく

   2

昔 私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

今私は恋愛詩を詠み
甲斐あることに思ふのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違つてゐるかゐないか知らないが
とにかくさういふ心が残つてをり

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起させる

昔私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない

   3

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ

あゝ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!

   4

しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ

人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配してゐるのだ

山蔭の清水(しみづ)のやうに忍耐ぶかく
つぐむでゐれば愉(たの)しいだけだ

汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな

やがては全体の調和に溶けて
空に昇つて 虹となるのだらうとおもふ……

   5

さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと

要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤(もつと)もと感じ
一生懸命郷(がう)に従つてもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに

さうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)ふ 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜(よる)とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。

   6

しかし またかうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。

そして理窟はいつでもはつきりしてゐるのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑(をくづ)が一杯です。
それがばかげてゐるにしても、その二つつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

と、聞えてくる音楽には心惹かれ、
ちよつとは生き生きしもするのですが、
その時その二つつは僕の中に死んで、

あゝ 空の歌、海の歌、
ぼくは美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

*ローマ数字を、アラビア数字に変えました。(編者)

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空の歌・朝の歌

「朝の歌」は、
小自伝というべき「詩的履歴書」(昭和11年)に、
中原中也自らが、
「大正15年5月、『朝の歌』を書く。7月頃、小林に見せる。それが東京に来て詩を人に見せる最初。 つまり『朝の歌』にてほぼ方針立つ。(略)」
と記すほどに、
詩人としての自信作であり、

「それまでとはまったく違った詩風を示している」
と、大岡昇平も認める
独自の詩を確立した、
画期的作品ということで、
多くの人がそのように
認めてもいる作品です。

この詩を書いたころ、
詩人は
ダダからの脱皮を図っていた
といわれ、
富永太郎や小林秀雄らを
通じて知ることになった
フランス象徴詩の影響も感じられる
この作品に
「空」が見られるのは
早い時期から
「空」を特別扱いしていたのではないか
という想像を推し進めます。

ここでの「空」は
幾分か宗教的ですが
自然の「空」の方が
やや色濃いといえるでしょうか。

二日酔いで目覚めた
詩人が見た
天井に漏れ出でる
朝の光……。

悪友の安アパートへ
泊まり込んでの朝の風景。
だれにも覚えのある
青春の時が
よみがえり
この詩を人気のあるものにしています。

(つづく)

 *
 朝の歌

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」より)

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季節のない歌・空の歌4

「山羊の歌」
「在りし日の歌」の
二つの詩集を
一通り読み終えて、
うっすらと、この詩人の像が
浮かび上がってきた、
というところです。

作品を読む中で
人それぞれの魂に見合った歌は
見つかったでしょうか。
まだ、見つかっていないでしょうか。

1行でもいいのです。
1行が見つかれば
それは、その詩に触れたことですし
一つのその詩に出会うきっかけですし
その1行で終わってしまっても
その詩に出会ったと言ってもよい。

宗教詩人
自然詩人
叙情詩人
思想詩人
ダダイスト
……
さまざまな詩人が
浮かび上がってきます。

しかし、詩作品に関して、
ようやく、その3分の1を
読んだに過ぎません。
まだ、レッテルを貼るには
早すぎます。

中原中也には
「生前発表詩篇」
「未発表詩篇」
と分類されている詩作品や草稿が
「山羊の歌」「在りし日の歌」のほかに
およそ200篇あります。
これらを読んでいくことが先決ですし、
最終の目的でもあります。

読んでいくからといっても、
ここでは
学問をしません。
詩を読み
詩を楽しみ
詩を味わう
これが目的です。

さて、おおよその見当ですが、
未読の詩篇、
というのは、
「生前発表詩篇」
「未発表詩篇」ですが、
これを読んでいきますが、

「山羊の歌」
「在りし日の歌」の中で
読み足りなかった作品
読み間違えたと後で気づいた作品
新しい読みをしたくなった作品……など
時には、もう一度読むために、
後戻りしたりしながら、
また、未読作品を読み進める、
といった流れになることを
予想しておきます。

読み方としては、
これまでのように
春夏秋冬でくくれる、とか
月の歌、とか
空の歌、とかと
グループできる作品をまとめて
読んだりもしますが、
その日その時の
行き当たりばったりです。

「空の歌」などというグループが
グループ本来の意味で成立するかどうか
そんなことは、学問に任せておき
「空の歌」を
もう少し突っ込んで読みながら、
そろりそろりと
散歩です。

今回は、
「山羊の歌」中の「朝の歌」を
ここに載せておきます。
「空」に注目して……。

(つづく)

 *
 朝の歌

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」より)

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サーカス/山羊の歌・再読


サーカス

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
  汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

     屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)
     夜は劫々(こふこふ)と更けまする
     落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと
     ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)


幾時代かがありまして、
茶色い戦争がありました
僕ときたら
よくまあ、戦ってきたものです。
冬には、疾風(はやて)も吹いたというのに。

幾時代かがありまして、
こうして今宵、盛り上がり
賑わしく、一人酒といきましょう。

しばらく、やっていましたら、
現れたるは、サーカス小屋。
高い梁にブランコがかかって、
見えないけれど
見えるのです

二人の男女の空中ブランコ。
逆さづりの状態で、
手を地面に向けて広げています。
汚れたシートの屋根の下で
ゆやーんと右に揺れ
ゆよーんと左に揺れて、
真ん中にきて
ゆやゆよんと
からまります

暗闇に、白い光線が、
何本か、よぎっている。
それは、安っぽいリボンのようです。

観客は、みんな同じに、
鰯のような顔を並べて、
見上げています。
喉を大きく開けて、
ゴロゴロ鳴らしている。
牡蠣の殻が犇(ひし)めいているみたい。

屋外といえば
真っ黒、まっくら、
こうこうと、更けていきます
落下傘っちゅう戦争ノスタルジーとともに。

ゆあーんゆよーんゆやゆよん

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春の日の夕暮/山羊の歌・再読


春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか——あるまい
馬嘶(いなな)くか——嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自(みづか)らの 静脈管の中へです

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)


日没のいめーじ。
トタン屋根の密集する町。
電柱電線など、雑多な風景がシルエットになっている。
その風景のバックに巨大なまん丸の太陽。
まさに、トタンがセンベイを食べている光景です。
春の夕暮れは、穏やかです。

アンダースローされた灰とは、
太陽の向こうか周辺か、
靄とか煙みたいなもの(灰)が
青黒く(青白く)、
ただよっている。
静かな感じです。

そんなに穏やかで静かな春の夕暮れならばさあ
案山子はいるかい?
いやしまい。いないだろ。
そんじゃ、馬は嘶いているかい?
嘶いていやしないだろーよ。
ただ、東の空の月の光だけが、
ヌメッとして従順な
春の夕暮れなのです

ホトホトって感じで
伽藍のような、広い野原は
夕日で真っ赤に染まっているよ。
そこを、荷馬車がギシギシと、
油ぎれした車輪の音を立てて
通っていくよ

ぼくが、
歴史的現在、というのは、政治や世の中のことなのだが、
それについて発言すれば、
バカにされるは、バカにされるは!
てんで、相手になってくれない。

おーっと、瓦が1枚、
向こうの屋根からはがれました
これからです。
これから、静かに静かに、
春の夕暮れが進みます。
頂点をむかえます。
全部、ぼくの、
静脈の中へ入っていきます。

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汚れつちまつた悲しみに……再4

「汚れつちまつた悲しみに……」という詩は、
噛めば噛むほどに味が出てくる
底の深い作品ですね。
口ずさんだり、暗唱したりしていると、
ふっと、新しい解釈が見えてきたりします。

反面、
噛んでも噛んでも
味わい尽くせない深みがあります。

それに、
繰り返し、口ずさんでいると
悲しみが乗り移ってくるようなこともあります。

ところが、
繰り返していると
あっ、わかったと思える瞬間が訪れますが、
それを換言しようとすると、
消えてなくなっている、ということもあります。

そういえば、エリック・ドルフィーが
これに似たことを言っていますねえ。
ジャズみたいなものですよ
詩作もそうですが、
解釈にも、そんな瞬間性があります。

詩人が、いろいろな言い方で主張している、
あの、
名辞以前の世界とか、
言葉なき世界とか……、
ということが
そこにあるからでしょうか

元来、詩とは、
ほかの言葉に置き換えられない言葉でつくられたものですから、
中也の詩だから、いっそう、そうですから、
詩の言葉が
容易に他の言葉に置き換えられるわけがありません。
つかまえた! と思った途端に逃げてしまいます。

第3連の、
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

このあたりで、
以上のような感覚で
受け止めることが多いのですが

詩の最後は、
いたいたしくも怖気づき
なすところもなく日は暮れる……
と、傷つき、途方に暮れている青年の姿が現れ、
ストンと
その青年に共感している自分に出くわします。

このように、
この詩と出会った人々が
無数に存在するように思えてなりません。

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日は風さえ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとえば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる…

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

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汚れつちまつた悲しみに……再3

詩作品が、
ある特定の状況から生まれるものであるとすれば

長谷川泰子への失恋(小林秀雄との三角関係)、
同人誌の廃刊(同人との確執・離反)という
二つの事件は、大いに、
作品を生み出すきっかけ
になったことに違いありません。

「汚れつちまつた悲しみに……」は、
制作年月日の状況からいえば、
この二つの事件の影響下に歌われた、と、
考えるのがもっとも自然でしょう。

しかし、だからといって、
この詩を、
具体的な事件に結びつける決定的な証拠は、
ありません。

それどころか、
この詩が作られた時よりも、
ずーっと以前の詩人の経験を
元にしているのかも知れないのです。

この年23歳(4月29日誕生日)になる中原中也が、
それまで味わった悲しみの体験のすべてを
汚れつちまつた悲しみ、と、
歌ったのかも知れませんし、
もっと些細な、極く小さな出来事が
悲しみの元だったのかも知れません。

詩人は、ひょっとすると、
ある特定の経験をもとに、
この詩を歌ったのかも知れず、
その公算は大きいのですが、
それは、もはや、だれにもわからなくなってしまいました。

ここでは、
文学は学問じゃあないよ、と、
詩人が呼びかけているような気がしますから、
研究・考証や学問はしません。
文学もしないようにしておきますが……。

一つだけ。
汚れっちまった悲しみに……と
促音便の混じった詩句を、
冬の道を歩きながら口ずさんでいて、
「汚れ」は、どうも、
詩人のほうから、何事かを仕掛けて、
その結果、受けたもののように思えることを、
言っておくことにします。

どうも、他者から受けた
被害としての汚れではなくて、
だから、加害としての汚れが入っている、
とは言わないでおきますが、
自らすすんで何事かをした結果、
汚れてしまった、という
その悲しみが歌われているから、
その悲しみは深く透明だ、と
多くの読者が感じているのではないか、
と言っておきたいのです。

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

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汚れつちまつた悲しみに……再2

「汚れつちまつた悲しみに……」は、
「盲目の秋」
「わが喫煙」
「妹よ」
「更くる夜」
「つみびとの歌」
「雪の宵」
「生ひたちの歌」
「時こそ今は……」
などとともに、昭和5年(1930)1月から5月の間に
制作されたことがわかっています。

中也が中心になって発行されていた
文学同人誌「白痴群」は5号を出しましたが、
その打ち上げの同人会が
この年の1月に行われ、
その席での大岡昇平と中也の争いがもとで、
廃刊へと追い込まれてゆきます。

ようやく第6号が出せましたが、
原稿の集まりは、当然ながら、芳しくなく、
中也の作品が、
大半を占めました。

「白痴群」6号には、
「汚れつちまつた悲しみに……」をはじめ、
前記の作品のほかにも幾つかの作品が掲載され、
合計11作品が中也の詩でした。
それが一挙に掲載されたのです。
中也としては、ここは、がんばりどころでした。

東京に出てきた年である
1925年(大正14年)の11月には、
パートナーであった長谷川泰子が、
友人の小林秀雄の元へと去り、
大都会に一人投げ出される、
という孤立を強いられた詩人でした。

その孤立から立ち直る契機になった
文学同人誌の編集・発行……。
何よりも、自作の詩を自由に発表できる場をもった詩人は、
泰子を失った悲しみ・苦悩をまぎらわし、癒し、
それを題材にした詩を歌うこともあり、
それなりに充実した日々を送ることができていたのです。
その同人誌がポシャッてしまったのです。
わずか1年の短命でした。

詩人は、再び、大東京に
一人投げ出されることになりました。

(この稿つづく)

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

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汚れつちまつた悲しみに……再1

寒風の中を、
ポケットに両手を突っ込んで
急ぎ足で歩いていたら、
突然、汚れっちまった悲しみに……が、
口をついて出てきました。

それまで口笛を吹いていたのですが
口笛を吹くのにくたびれて、
それでも、くちびるがさびしくて
もてあそんでいた時のことでした。

早足で20分ほどは歩いたところでしたから
息が少しあがって、はあはあ言っていて、
その時に、汚れっちまった……と、
呟くような、低い声が、出てきて
あっ、これだっていう感じでした。

1日1回、30分ほどを歩く習慣があり、
その夜も、そうして歩いている時でしたが、
以来、汚れっちまった悲しみのフレーズとともに
歩く日が多くなりました。

繰り返し、繰り返して、
歩きながら、汚れっちまった悲しみに……と、
口ずさんでいて、
ようやく、この詩を味わっている自分に気づきます。

このようにして、浮かんできたことを、
少し、まとめてみました。

(この稿、つづく)

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

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中原中也と小林秀雄/大岡昇平の友情論

20080713_015

NHKの番組から離れて
もう少し、長谷川泰子事件について、
見ておきます。
参照するのは、当然、大岡昇平です。

大岡昇平は、
中也「我が生活」の、

友に裏切られたことは、見も知らぬ男に裏切られたより悲しい――というふのは誰でも分る。しかし、立去った女が自分の知ってる男の所にゐる方が、知らぬ所に行ったといふことよりよかつたと思ふ感情が、私にはあるのだつた。それを私は告白します。それは、私が卑怯だからだろうか? 

さうかも知れない。しかし私には人が憎みきれない底の、かの単なる多血質の人間の嗤ふに足る或る心の力――十分勇気を持つてゐて、而も馬鹿者か軟弱だと見誤る所のもの、かのレアリテがあるものでないと、誰が証言し得よう?

が、そんなことなど棄てて置いて、とも角も、私は口惜しかつた!

というくだりに、注目します。

中原中也が、
人を憎み切れない
多血質の人間が笑って軽蔑する心、
つまり、勇気があって、バカとか軟弱とかと、間違われる……
レアリテのある
などと、自身の性格を分析している部分を、
立ち直りととらえるのです。

そして、続けます。

しかし「口惜しき人」だけは、この断片が書かれた昭和3年には、既に消滅していたと私は思う。書き継がれなかったのは、実際それがなかったからである。(略) 

小林と中原の文通は大正15年11月に再開される。恐らく富永太郎の1周忌が機縁であったろう。そして中原の手紙には、まるで昨日別れた人に対するような、親愛の情が見られるのである。

中原が小林に「朝の歌」を見せるのは、この年のうちである。

立ち直りの例証として
1、「口惜しき人」という語句が、以後、現れないこと。
2、小林秀雄との文通が、事件の1年後には、再開されていること。
3、「朝の歌」が書かれ、小林秀雄に見せられていること。
の、3点があげられています。

大岡昇平は、
長谷川泰子の出奔によって
中也の受けた傷が深く、
晩年になっても、この傷を弄ぶ詩人の心境を
他のところでは記すのですが、
ここ、「友情」では、
詩人の立ち直りは
意外に早かったことを指摘するのです。

なによりも、それは、
「朝の歌」の誕生によって証明された、
という評伝へと
展開されていくことになります。

詩人とか文学者の
実人生というよりも
作品という地平において、
中原中也と小林秀雄は、
詩と散文というジャンルの違いはあるものの、
認め合う部分があった、
という解釈でしょうか。

二人の文学者の亀裂は、
終生消えなかったかもしれませんが、
中也は、小林秀雄以外に、
第2詩集「在りし日の歌」を託すほかにはなく、
小林秀雄は、その出版に力を注ぎました。

「朝の歌」を
載せておきます。

 *

 朝の歌

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

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いのちの声再その2

20080721_024

改めて、読んでみて
この詩への力のこもり方に
他の詩とは異なる重さがあるような
力み(りきみ)すら感じられますが
力んで当然とも思えます。

処女詩集の
掉尾(とうび)を飾る作品なのですから。

ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

この1行は
いろいろなところで紹介され
中原中也という詩人の
作品の基底を流れ
生き方の根本を形づくっている
目標であり理想であり
コンセプト(考え)であることを知ります

感じることは
そう簡単なことではなく
感じられなかったために
詩人は
自分を責め
感じないものを攻めました。

ぼくはバッハもモーツアルトも、
ジャズにもうんざりしちゃった
雨上がりの曇り空の下の
鉄橋のように
動じず頑強に生きている

不平一つ言うでもなく
じっとして生きていることを
雨上がりの、曇り空の下の鉄橋
と、表現したのでしょう

雨降って
地固まる、と少し似ているかな
地に対比される鉄橋は
その内部を、
手に負え難い寂寥に襲われている

そんなぼくに絶え間なく押し寄せている
寂漠とした気持ちを
キミにも分かってほしいものだ。

じっとしているけれど
内実はこんなものなのだ、と
告白するかのようです

寂漠は、「羊の歌」第4章の
「酷薄の、これな寂莫にほとぶなり……」の
「寂莫」と同じものでしょうか。
「しじま」と読ませていましたが
英語のサイレンスSilenceに
「寂」が加わっているところに中也がいます。

ぼくは、その寂漠の気持ちの中に沈静しているわけじゃない
いつも何かを求めている
恐ろしく形のない不動のものの中にだが、
大変な焦りをも抱いている
そのために、もはや食欲も性欲もないのと同じだ

その何かは、何であるかは分からない
いままで一度も分かったためしがない
それは、二つあるとも思えない
たった一つのことであろうとは思う

しかし、何であるかは分からない
一度とて分かったことはない
その何かに行き着くまでの
一か八かの賭けをやってみても
完全に分かったということはない

時には、ぼく自身をからかうように
自分に聞いてみる
それは女か、甘いものか、栄誉か、と。

すると、心は叫ぶ
それでもない
あれでもない
これでもない

それでは、空の歌か
朝、高い空に、鳴り響く
空の歌とでもいうのだろうか

第1の章はここで終わり
第2の章へ入ります
起承転結の承で
第1章を受け
さらに突っ込んで
何かについての思索が続けられます

いや、あれこれとははっきりと言えないものだ!
手短に、時には、説明したくなるものではあるけれど
説明など出来ないものであるからこそ
ぼくの人生は生きるに値するんだ、と信じる
それが現実というものだ!
汚れのない幸福というものだ!
現れているものは現れたままによいものであるということだ!

人は皆、知っている知っていないに関係なく
そのことを希望していて
勝ったり敗れたりすることに敏感であるだけの間は
知ることができないものであって
それは、だれでも知っている
放心の快感というものであって
だれもが望み
誰もが、この世に生きている限りは
完全には望み得ないもの!

ここで
一言で言うことができない何かについて
角度を変えての追究。
幸福論が少し持ち出されます

しかし、幸福というものが
このように無私の領域にあるものであり
あの、賢い商人から見れば、アホとでも呼ぶべきものであれば
飯を食わなければ生きていけない現実世界は
不公平なもであるなあ、と言わねばならない

だけど、それがこの世というもので
その中にぼくたちは生きているのであって
だから、不公平といっても任意の不公平ではなく
それによって、ぼくたち自身も構成されているのだから
この世に、それほどの極端はない、と
ひとまずは、ゆっくり休むというのもいいだろう

第3章へはいります。
起承転結の転です。

そうであるならば、要は、
熱情の問題ということになるのだ。

なんじ。キミよ!
心の底から腹が立つなら
怒れ! 怒れ!

そうは言っても
怒ることは
キミの最終目標の前にあるものであれよ
このことは決して忘れてはいけない

なぜなら熱情というものは、一時は続くけれど
やがて、止んでしまう
その社会的効果だけは続くものだから
キミの次の行為への転換の障害になることがあるから。

第4章
ついに、たどりつきます。
これが、言いたかった

ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

感じろよ
感じろよ

つべこべ言わずに
感じよう

夕方の空の下で
この身一つ
全身に感じることができるなら
何の文句はない

そのように
詩人は生きるものと思うのです。

 *

 いのちの声

もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
――ソロモン

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上がりの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著(つ)く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。

時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

  Ⅱ
否何(いづ)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかは)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このやうに無私の境(さかひ)のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆(あほう)といふものであらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ

だが、それが此(こ)の世といふものなんで、
其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端はないとて、一先ず休心するもよからう。

  Ⅲ
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

  Ⅳ
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)
*同書でルビのふられた箇所は( )の中に表記しました。

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いのちの声再その1

今年2008年5月末に読みはじめた
中原中也詩集「山羊の歌」の
最終に配置された
「いのちの声」に辿りつきました。

「山羊の歌」全作品を読むために
詩集末尾のこの作品を
真っ先に読みました。

どのような経過で
「いのちの声」が作られたのか

小説ならば
物語の結末を先に読んで
何が書かれているのかを
まず知ってから
はじめから読む
と、いうような読み方でした。

最後に置いた作品には
作者のそれなりの思い入れがあるだろう
と、大岡昇平もどこだかで言っていたように記憶します。

その作品を先に読んでしまってから
詩集の配列の順序に従って読み進め
じわじわと最後の作品に近づいて行こう

他意はありません。
はじめて中原中也の詩を読んでいこうとする者が
そのインナープラネットに入っていくための
一つの方法でしかありません。

こうして
「いのちの声」を読む
2回目になります。

初めて読んだ時と
どのような違いがあるでしょうか、
違いはないでしょうか。

まずは、再び、ここで
作品に触れてみましょう。

(つづく)

 *

 いのちの声

もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
――ソロモン

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上がりの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著(つ)く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。

時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

  Ⅱ
否何(いづ)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかは)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このやうに無私の境(さかひ)のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆(あほう)といふものであらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ

だが、それが此(こ)の世といふものなんで、
其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端はないとて、一先ず休心するもよからう。

  Ⅲ
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

  Ⅳ
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

*同書でルビのふられた箇所は( )の中に表記しました。

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