山羊の歌を読む・その2

ダダのデザイン<26>「朝の歌」のダダ

大岡昇平の次の記述、

「土手づたひ きえてゆく」という比喩は再びわかりにくいが、恐らくここで我々を焦立ちから救うものは、「土手づたひ」という俗にして稚拙な成句である。

は、

「朝の歌」の詩句を
一字一句味わった挙句に、
「土手づたひ」という用語を
「俗にして稚拙な成句」と断じ、
さらに、

 少年時から我々に馴染深いこういう句を、中原はダダの時代から慣用していたから、お経の文句が坊主の口から出て来るように、すぐ筆に乗って来たに相違ない。

と、
解釈してみせます。

「土手づたひ」という語句は、
完成の域に達していた
ソネット文語七語調にしっくりとは馴染まない。
それは、
中原中也が
京都時代に身に着けた
ダダの癖を現したものだ
坊主がお経の文句を吐き出すような
習慣が
ついつい口をついて出たものに違いない

と、
断定するのですが、
さらに加えて、

 そして中原はその誇称する「手間」にも拘らずそういう風に出て来た句を、推敲で圧し殺した形跡はない。むしろ自分の独創のしるしとして、そのまま「破格」として詩の中に残すことを、彼の中の隠れた力が命じたに違いないのである。

と、
結論するところの
優れて深い洞察を
見逃してはなりません。

簡単に要約すれば
「土手づたひ」という詩句の選択は、
詩人が「よかれ!」と自己に命じた方法、
破格という意識された方法であった、
と、
大岡昇平は言っているのであります。

「彼の中の隠れた力が命じたに違いない」
というのは、
ダダと言われても構うものか、
と命じるものが
詩人の心の中にあったのだ、
ということを言っているのです。

このことを
消極的に
「ダダの痕跡」というのなら
それは
「痕跡」には違いありませんが
積極的になれば
「ダダのデザイン」と
捕らえなおすことは可能ではありませんか。

大岡昇平は
この「朝の歌」から
10数年を経た1969年に、
「中原中也・1」(「季刊芸術」第9号)を発表し、
中原中也のダダイスムを考察するのですが、
そこでも
最後は
「しかしこれらはもっと慎重に検討すべき問題である。」
と筆を置きます。

ついに
結論を出さなかったのですが、
中原中也自身が
ダダイズムを否定したことがなかったことを
否定することはなく、

「朝の歌」の中に
ダダを嗅ぎ出す
法律家のような感性でもって、
「中原の思考はダダ的方向において、最も自由に働くことが一貫して認められる」
と、
中原中也のダダイズムを
認めているのです。

 *
 朝の歌
天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。
小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。
樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな
ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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ダダのデザイン<25>「朝の歌」の破格

「秋の愁嘆」
「むなしさ」
「月」
「春の日の夕暮」
「サーカス」
「春の夜」
の一つひとつを鑑賞し、
「朝の歌」誕生への道筋を辿る
大岡昇平の「朝の歌」(1956)は、

京都時代のダダイスト中原中也が
いかにして
ダダイズムの詩から脱皮していったかを
無駄のない文体の中に
明快克明に論証して
中也評伝の一つの核心を
形作っています。

これら6作品をたどりながら
ダダ色が
クレッシェンドして
次第に消えてゆく様子を

詩人富永太郎の臨終の場にはじまる
長谷川泰子=中原中也=小林秀雄の
「奇妙な三角関係」という
ドラマの進行とともに分析する
スリリングと言ってよい
文章の流れは

大岡昇平の膨大な中也評伝の中でも
核心の部分で
何度読んでも
息が詰まり、手に汗握り
目が開かれる思いを
経験するところのものです。

ここでは、
「朝の歌」を1行1行鑑賞しながら
ダダイズムへ言及しているくだりがあるものの
ドラマの進行のスリリングさの陰になって
忘れられがちな一つのコメントに
目を向けておきましょう。

大岡昇平は
次のように記しています。

 「森並は 風に鳴るかな」と読者の想像は外へ出される。「ひろごりて たひらかの空」の下を、「土手づたひ きえてゆく」という比喩は再びわかりにくいが、恐らくここで我々を焦立ちから救うものは、「土手づたひ」という俗にして稚拙な成句である。
 少年時から我々に馴染深いこういう句を、中原はダダの時代から慣用していたから、お経の文句が坊主の口から出て来るように、すぐ筆に乗って来たに相違ない。
 そして中原はその誇称する「手間」にも拘らずそういう風に出て来た句を、推敲で圧し殺した形跡はない。むしろ自分の独創のしるしとして、そのまま「破格」として詩の中に残すことを、彼の中の隠れた力が命じたに違いないのである。<「朝の歌」(1956)より>

 *
 朝の歌

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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ダダのデザイン<8>サーカス

幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
と、はじまる「サーカス」には、
道化は登場しませんが、
サーカスのイメージには
道化、ピエロ、クラウン……を
欠かすことはできませんから、
「サーカス」には
見えない道化の存在が感じられます、
と言ってしまえば、
荒唐無稽(こうとうむけい)なことでしょうか。

「山羊の歌」の
3番目におかれ、
ダダの影響から
抜け出た作品と言われる
「朝の歌」より前におかれた「サーカス」は、
ダダの詩だとは到底言えませんし、
ダダの詩などとわざわざ言う必要もありませんが、
ダダの世界に無縁とも言えません。

そこに
「道化」がいるからです。

「サーカス」には
道化は登場しませんが
サーカスという場の設定自体が
すでに
道化の存在を想像させますし、
「サーカス」という作品に、
道化の眼差しは希薄であっても
道化の気配を嗅ぎ取ることは容易です。
そこには
「道化」がいる、
と言ってもおかしくはないでしょう。

「サーカス」に出てこなかった
「道化」は、
やがて、
色々なところに
登場することになりますが、
とりわけ、1934年(昭和9年)には、
数多く現れます。

ここでまた、大岡昇平が「中原中也・1」で
書いているところに
注目しておきましょう。

ただし「道化の臨終」はダダ的なのであって、ダダそのものではない。この作品が書かれた1934年はほかに「ピチベの哲学」(2月発表、新発見)、「玩具の賦」(2月)、「狂気の手紙」(4月)、「お道化うた」(6月、これもほとんど確認された)、「秋岸清涼居士」(10月)、「星とピエロ」(12月)など、同じ傾向の道化歌が集中している。

時間と空間、対象と人称を意識的に混乱さすことによって、異様な嘲笑的で歪んだ詩的空間を造り出しているので、出まかせを言うダダの技法が、長々しいくどきとなって一つの完成したスタイルに達する。

一方あらゆる粉飾を捨て去ったような「骨」が書かれるのもこの狂燥の最中の4月28日である。

1年の後、「秋岸清涼居士」の凄惨な道化は、低温課程の中で、「含羞」の優雅な階調に転換される。
(略)

(略)多くの新発見の作品から見ると、ダダが彼が最も手足を伸び伸びと延ばせる環境であったこともたしかなようである。(略)

(大岡昇平「中原中也」角川書店、昭和49年、「中原中也・1」より)
*漢数字を洋数字に変えたり、改行を加えたりしています。

 *
 サーカス
幾時代かがありまして
  
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  
  今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
    
     今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  
  そこに一つのブランコだ

見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
  
  汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  
  安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯(いわし)
  
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)

夜は劫々と更けまする

落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

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ダダのデザイン/春の日の夕暮

中原中也が、
初めて世に問うた
自選詩集「山羊の歌」の冒頭に
「春の日の夕暮」を配置したことは
この詩への
詩人の並々ならぬ思いが
込められていることを想像させます。

その詩はダダイズムの詩でした。
後に「ノート1924」と
大岡昇平ら考証者によって呼ばれることになる
大学ノートに、
詩人は
1924年(大正13年)から1928年(昭和3年)の間に作った
詩篇や創作メモなどを綴っています。

その中から
詩集「山羊の歌」へ選んだのが
「春の日の夕暮」1篇だけなのですが
ノートでのタイトルは
「春の夕暮」でした。
詩集編集の段階で
タイトルと
内容の一部が変更されたのです。

両作品を読み比べて
大きな変更はないように見えますが……

世の中に広く伝わっている
第2連の「月の光のヌメランと」は
もと「月の光のノメランと」だったことを知り、
オノマトペの名手だった詩人の
繊細な語彙感覚が
あらためてわかるほか、

行分けや字空きの調整、
漢字をひらがなに変えたり、
その逆もあったり、
難解語を削除したり、
文語を口語に直したり、
その逆もあったり、

音数律を整えることも
この編集段階では、
自覚されていたといえるかも知れませんし、
色々と
細やかな創作意識で
詩全体に
フィニッシュワークを加えていることがわかり……

じっくり読み比べていると
うん、これだ! これだ!
やっぱり、ここには
すごいものがある! 
非凡なものがある! と、
中原中也という詩人に
惚れ直しを迫られるような
ちょっとした感動を覚えます。

「春の夕暮」は
「春の日の夕暮」になって
見違えるほどに
すっきりしていることに気づき、
多くのひとに記憶され
愛唱されることになったわけが
ここにあることを知って、
衝撃すら覚えることになるのです。

このあたり、
デザイナーが
自らの作品を完成形へと
最後の仕立て直しをするときの
呼吸というもの似ていて、
その息づかいの中にいる気分になります。

これは、
優れた編集感覚の底にある
優れたデザイン感覚が
見え隠れしているのに
触れるような経験とでもいえるものです。

 *
 春の夕暮

塗板(トタン)がセンベイ食べて
春の日の夕暮れは静かです

アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは穏やかです

あゝ、案山子(かかし)はなきか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ青色の月の光のノメランとするまゝに
従順なのは春の日の夕暮れか

ポトホトと臘涙(ろうるい)に野の中に伽藍は赤く
荷馬車の車、油を失ひ
私が歴史的現在に物を言へば
嘲る嘲る空と山とが

瓦が一枚はぐれました
これから春の日の夕暮れは無言ながら 
前進します
自(み)らの静脈管の中へです

 *   
 春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
自(み)らの 静脈管の中へです

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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「山羊の歌」の通奏低音/倦怠のメロディー

「倦怠に握られた男」、といい
「倦怠者」、といい、
「倦怠」が、この時期、
詩人の全生活を支配していたかのような
テーマであった、といっても
オーバーでもないようです。

倦怠の調べが、
同じ時期に書かれた「春の日の夕暮」に
流れ込まないわけがありません。

「倦怠者の持つ意志」の最終の2行、

思想と体が一緒に前進する
努力した意志ではないからです

は、「春の日の夕暮」の最終連、

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自らの 静脈管の中へです

に、通じるものがあります。

ダダ詩が、
「倦怠」と格闘していること自体が
大変に興味深いことですが
そのことよりも、
詩集「山羊の歌」の冒頭作品である「春の日の夕暮」が
「倦怠」のメロディーを奏でていることには
驚きを禁じ得ませんし、

「春の日の夕暮」ばかりか、
掉尾(とうび)を飾る「いのちの声」までの
多くの詩が「倦怠」を歌っているのは
ただごとではない、と、
言わざるをえませんし、
発見です!

「月」の、
あゝ忘られた運河の岸堤
胸に残つた戦車の地音
銹(さ)びつく鑵の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫つてゐる。

「朝の歌」の、
倦(う)んじてし 人のこころを
諫(いさ)めする なにものもなし。

「寒い夜の自我像」の、
蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諌(いさ)める
寒月の下を往きながら。

「夏」の、
血を吐くやうな 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ

「汚れつちまつた悲しみに…」の
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

「秋」の、
僕は倦怠を観念して生きてゐるのだよ、
煙草の味が三通りくらゐにする。
死ももう、とほくはないのかもしれない……

「憔悴」の、
腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ

「いのちの声」の、
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。

と、「春の日の夕暮」にはじまり、
「いのちの声」に終わる
詩集「山羊の歌」を通じて
「倦怠=ケンタイ」(ケダイでもある)の調べが流れ、
冒頭から結末に至るまで
通奏低音のように響き渡っている、
というわけですから、
これを、驚きと言わず、
発見と言わない理由はありません。

 *
 倦怠に握られた男

俺は、俺の脚だけなして
脚だけ歩くのをみてゐよう--
灰色の、セメント菓子を噛みながら
風呂屋の多いみちをさまよへ--
流しの上で、茶碗と皿は喜ぶに
俺はかうまで三和土(タタキ)の土だ--

 *
 倦怠者の持つ意志

タタミの目
時計の音
一切が地に落ちた
だが圧力はありません

舌がアレました
ヘソが凝視(みつ)めます
一切がニガミを喜びました
だが反作用はありません

此の時
夏の日の海が現はれる!
思想と体が一緒に前進する
努力した意志ではないからです

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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汚れつちまつた悲しみに…倦怠(けだい)の謎<3>

「憔悴」は、
「山羊の歌」の最終の章である
「羊の歌」に収められた3作品の一つです。

詩集の結末にある
「いのちの声」の一つ前に置かれ、
「いのちの声」に優るとも劣らない
絶唱の響きのある作品です。

その、第3節に、

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ

あゝ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!

と、あるのは、
やはり、
「倦怠=けだい」のメロディーとして
聴くべきものです。
ここでは、「怠惰」とされていますが
まぎれもなく、これは、
「倦怠=けだい」の同義語・同類語なのです。

昔から
自分の手に負えたものは
怠惰だけだったかも知れない
と、いうときの「怠惰」は、
怠け者、ボンクラというだけではなく
そこから、
生まれてくるものがあることを
感じさせる、
詩作の源泉とでもいえるような
ポジティブな意味が含まれていることを
見逃してはなりますまい。

このように
「山羊の歌」という詩集の結末部で、
「倦怠=けだい」は歌われて、
中原中也の詩の
コアを占めている「感情」であることが
明らかなのですが、

詩集の結末ばかりでなく、
たとえば、
詩集の冒頭の作品である
「春の夕暮」にも、すでに、
「倦怠=けだい」の調べが
奏でられていることに気づかされて、
驚かざるをえません。

「春の夕暮」の「倦怠=けだい」は
未だ、「倦怠」と名づけられてはいませんが、
その気分は、プンプン匂っていて、
多くの人に感じられていることは
想像するのに難しくはありません。

ダダイズムの詩を書いていた
若き日の詩人は
すでに「倦怠の人」だった、
ということができそうです。

(つづく)

 *
 憔悴

  Pour tout homme, il vient une èpoque
  où l'homme languit. ―Proverbe.
  Il faut d'abord avoir soif……
       ――Cathèrine de Mèdicis.

私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた
起きれば愁(うれ)はしい 平常(いつも)のおもひ
私は、悪い意志をもつてゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)はなかつた)
そして、夜が来ると私は思ふのだつた、
此の世は、海のやうなものであると。
私はすこししけてゐる宵の海をおもつた
其処を、やつれた顔の船頭は
おぼつかない手で漕ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく

   2

昔 私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

今私は恋愛詩を詠み
甲斐あることに思ふのだ

だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

その心が間違つてゐるかゐないか知らないが
とにかくさういふ心が残つてをり

それは時々私をいらだて
とんだ希望を起させる

昔私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと

けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない

   3

それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか

腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ

ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ

真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ

あゝ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!

   4

しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ

人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配してゐるのだ

山蔭の清水(しみづ)のやうに忍耐ぶかく
つぐむでゐれば愉(たの)しいだけだ

汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな

やがては全体の調和に溶けて
空に昇つて 虹となるのだらうとおもふ……

   5

さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと

要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、

僕はあなたがたの心も尤(もつと)もと感じ
一生懸命郷(がう)に従つてもみたのだが

今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに

さうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇のかたちに食指をひろげ

青空を喫(す)ふ 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙さながら水に泛(うか)んで

夜(よる)は夜(よる)とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。

   6

しかし またかうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。

そして理窟はいつでもはつきりしてゐるのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑(をくづ)が一杯です。
それがばかげてゐるにしても、その二つつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

と、聞えてくる音楽には心惹かれ、
ちよつとは生き生きしもするのですが、
その時その二つつは僕の中に死んで、

あゝ 空の歌、海の歌、
ぼくは美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

◇ローマ数字を、アラビア数字に変えました。(編者)

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」)

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汚れつちまつた悲しみに…倦怠(けだい)の謎<2>

中原中也の、
自他ともに認める会心作
「朝の歌」に、すでに、
「汚れつちまつた悲しみに……」の
「倦怠=けだい」に通じる感情が
歌われていたのですが、

「山羊の歌」の「少年時」にある
「夏」には、
よりいっそう「倦怠=けだい」に
近い感情が歌われます。

第1連冒頭行の、
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ

同第3行の、
睡るがやうな悲しさに、

同第4行の、
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ

第2連最終行の、
血を吐くやうなせつなさに。

最終連最終行の、
血を吐くやうなせつなさかなしさ。

この詩では、倦怠の「倦」を、
倦(もの)うさ、と読ませています。
そして、この、倦(もの)うさに、
たゆけさ
悲しさ
せつなさ…
を並列し、
これらに、
ほとんど、同格の、
ほとんど、同じ意味を込めているのです。

たゆけさ、せつなさ、悲しさ…は、
倦(もの)うさの、
他の表情に過ぎず、
根は同じものなのです。

この詩にはありませんが
むなしさも
この中に入っておかしくはないでしょう。

しかし、ここで
気に留めておきたいのは
悲しさです。
倦怠=けだいは、
あきらかに
悲しみの系譜に属する感情である、
という一事です。

(つづく)

 *
 夏

血を吐くやうな 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦(もの)うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。

嵐のやうな心の歴史は
終焉(をは)つてしまつたもののやうに
そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののやうに
燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。

◇たゆけさ 緩んでしまりのない状態。だるさ。

 *
 朝の歌
          
天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。
 
小鳥らの うたはきこえず 
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諌(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな
 
ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」)

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汚れつちまつた悲しみに…/倦怠の謎

「汚れつちまつた悲しみに……」は
繰り返し繰り返し読んでも
最後のところで謎((なぞ)が残り、
いったんは
その謎を追求することを止めて、
しばらく放っておくと、
ふっと、あっ、これだ、なんて
謎が解けた瞬間があるので、
また、思い出して読み返し、
そうして、もう一度、
読んでみると、
こんどは、ほかの謎が浮かんできて……

というわけで
ここで、
第3連第4行の
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
の謎に迫ってみます。

そもそも、
初めてこの詩に触れ、
この行にさしかかって、
ケンタイではなくケダイなんだ、
何故かな? と
疑問を抱いたまま
そのままにしておきました。

普通は「けんたい」と読むところを
「けだい」と中原中也は読ませます。
何故でしょう?

多分、詩人は、
倦(う)み、飽きる、とか、
やる気が起きない、
気(け)だるい、
怠惰(たいだ)な気分、とか、

倦怠感ケンタイカンや
フランス語のアンニュイ(=倦怠)とか
一般に考えられるケンタイ=倦怠と
区別したかったのではないでしょうか

「山羊の歌」を注意深く読んでみると
倦怠=けだいに通じる詩句が、
詩人が詩人としてやっていける!
と自認した作品である
「朝の歌」の中に
すでに現れているのを
発見できます。

そうです
第2連の

小鳥らの うたはきこえず
   空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
   諌(いさ)めする なにものもなし。

です。

「朝の歌」と
「汚れつちまつた悲しみに……」は
作られた時期が違うし、
歌われた状況も違うし、
歌われている感情もまったく異なりますが、
「倦(う)んじてし」と
「倦怠(けだい)のうちに」とは、
通じるものがあります

(つづく)


 *
 朝の歌

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず 
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諌(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」

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「汚れつちまつた悲しみに…」の透明感

小林秀雄が
中也の詩は、
出来不出来を論じても無意味だ、
というようなことを記したのは

中原中也という詩人によって作られた詩が
ことごとく
生まの肉体、生身の感動を経て
選び取られた言葉の切れ端であり
その切れ端は
他人によっては分解できない
血のようなものへと変成され
それを詩(うた)にした、
そのことを抜きに
巧拙を云々することの馬鹿馬鹿しさを
言いたかったからで、

だからといって、
中原中也の詩に出来不出来がなかった、
ということではありません。

中也の詩の一つ一つに
中也という詩人の血脈が流れ
作品のどれもが
斬れば血しぶきのほとばしるようなものばかりであっても
それらには、出来不出来が
当然のことながらありました。

詩人は
自作の出来不出来のために
日々、苦闘し、
大都会を彷徨(さまよ)い、
酒場に通い、
討論し、
とっくみあいの喧嘩もし……
と言えるほどに
「言葉」や「詩句」と
たたかいました。

たたかう、という言葉が最も相応しい、
と言えるほどに、
悲しみの詩人が
詩を生み出す有様は
まさに、傷だらけ、
満身創痍(まんしんそうい)でした。

それゆえにこそ
中也作品のことごとくが
あの、名指し得ない、
なんともいえない、
透明感を帯びるにいたったというわけであります。

というわけで
あまりにも有名過ぎて
その切れ端は
日本人のだれもが知っている
代表作「汚れつちまつた悲しみに……」の
詩作品の全体に
じっくりと
向かい合ってみましょう。


 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」

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詩人論の詩<5>「寒い夜の自我像」と「修羅街輓歌」

「いのちの声」は
最終行の
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。
に至る全篇が
詩人論を展開している詩と
考えることができますし、

「曇天」の
ハタハタはためいている旗は
詩人そのものと考えることができますし、

「言葉なき歌」の
あれ、は、
詩そのものを表している、と、
考えることだってできます。

このように、
詩人論が述べられている詩と
考えて可能な作品は
中原中也にはたくさんありますが、
これらのほかに、
「山羊の歌」から、
もう二つの作品を
ここで、見ておきましょう。
「寒い夜の自我像」と
「修羅街輓歌」です。

「詩人は辛い」と
「現代と詩人」とは、
生前に中原中也が、
雑誌や新聞などで発表したものですから、
世の中に向かって
思い切って
詩人の立場を宣言した詩と
解することができるように

この、
「寒い夜の自我像」と「修羅街輓歌」の
2作品は
詩人自らが編集した詩集
「山羊の歌」に
選び取った作品なのですから
そこに詩人論が込められているとするなら
その叫びは
より強く
より完成度が高く
より出来のよいものと
いえるかもしれません。

 *

 寒い夜の自我像

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かず
人々の憔懆(せうさう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を
わが瑣細なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諫(いさ)める
寒月の下を往きながら。

陽気で、坦々として、而(しか)も己を売らないことをと、
わが魂の願ふことであつた!

*儀文 形式、型のこと。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

 *

 修羅街輓歌
    関口隆克に

   序歌

忌(いま)はしい憶(おも)ひ出よ、
去れ! そしてむかしの
憐みの感情と
ゆたかな心よ、
返つて来い!

  今日は日曜日
  縁側には陽が当る。
  ――もういつぺん母親に連れられて
  祭の日には風船玉が買つてもらひたい、
  空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……

  忌はしい憶ひ出よ、
  去れ!
     去れ去れ!

  2 酔生

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。

ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあむまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!

それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ……

   3 独語

器の中の水が揺れないやうに、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば
モーションは大きい程いい。

しかしさうするために、
もはや工夫(くふう)を凝らす余地もないなら……
心よ、
謙抑にして神恵を待てよ。

   4

いといと淡き今日の日は
雨蕭々(せうせう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡(あは)き空気にて
林の香りすなりけり。

げに秋深き今日の日は
石の響きの如くなり。
思ひ出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。

まことや我は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。

それよかなしきわが心
いはれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。

*修羅 阿修羅。インド神話に登場する闘いの神。
*輓歌 人の死を悼み悲しむ歌。
*パラドクサル paradoxal(仏)逆説的な。奇妙な。
*しみらの ひっきりなしに続くこと。あるいは、凍りつくこと、沁みいること。
*謙抑 ひかえめにして自分を抑えること。
*蕭々 ものさびしく雨が降る様子。
*あらぬがに ないのだが

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より」

*ローマ数字は、アラビア数字に変えてあります。(編者)

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