あんな中也こんな中也

元パンクの小説家・町田康の中也読み/エラン・ヴィタールの詩人<3>

中原中也が死んだ1週間後、
安原喜弘は、中也からの手紙を受け取ります。
「発病の前日最後に綴られた由にて」
投函されなかったものを、死後に、母親フクが見つけ、
投函した中也の手紙でした。

10月5日付けの手紙でした。
安原を訪れた翌日です。
それは、こんなふうに書き出されています。

昨日は失禮しました。(序で乍ら失禮といへば却て失禮になるというふやうな場合、どんな語法があるのでせうか)
ですが安さんには、相手に観念運動を起させ過ぎるといふくせがあると思ひます 観念運動とは相手をジーッとみてゐて急に手を上げると相手もフト手を上げかけるといふあれです
(安原喜弘編著「中原中也の手紙」より)

きのうの話の延長という流れなのですが
それは、続きというよりも、
中也が語れなかった話を
ここで初めて話している、
という感じの書き出しです。

中也は、続けて、書きます

相手に観念運動を起させ過ぎるといふ一つのくせは、生活的以外にはあんまり物を考へなさ過ぎるといふことに該当すると思ひます (略)
安さんの生活の見方は、現在的で持続的でもあると思ひますが、つまり安さんの時々刻々の観察を統制しているものはあまりに現世的知識に限られてはゐますまいか。言葉が不十分だと思ひますが、エラン・ヴィタールに乏しいです。

「白痴群」廃刊後、孤立を深める中也を
献身的にサポートした安原喜弘。
中也の第一詩集「山羊の歌」の刊行は、
安原なくしては成功しなかったといわれるほどに
骨身を削って中也を助けました。

中也は、その安原の寡黙さに苛立ち、
もっと喋ってくれよ、と思いつつも、
その寡黙さ故に安らぐところもあったらしく、
たいへん有り難い友だちと考えていたようです。

その安原を、「相手に観念運動を起させ過ぎる」と指摘し、
そういう人は「生活的以外」のことを考えない、
つまり、生活のことばかりを考えている、そして、
ついには、「エラン・ヴィタールに乏しい」と評しました。

その言葉が届けられた時、
詩人はこの世に存在しませんでした。

町田康は、
「すでに命が尽きかけていたのに、主張は相変わらずだったわけです。」
と、20歳の詩人が説いた「エラン・ヴィタール」が
死を間近にした詩人によっても
(といっても、中也が死を意識していたことを意味してはいません)
主張されていることに目を向けました。

エラン・ヴィタール!

今や懐かしく、
忘れかけていた言葉、
この古びた言葉が
中也もろともに、
よみがえります。

新たな命を吹き込んだ
町田康という詩人の眼差しにも、乾杯です。


NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第4回 詩人という人生」
10月28日22時25分~22時50分放送。

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元パンクの小説家・町田康の中也読み/エラン・ヴィタールの詩人<2>

中原中也が、
安原喜弘の横浜の住まいを訪ねたのは
昭和12年1937年10月4日土曜日。
亡くなるのは、10月22日午前零時10分でした。

安原喜弘編著の「中原中也の手紙」(玉川大学出版部)には、
合計99通の、
中也の手紙・葉書が載せられていますが、
同年9月28日付け、98通目のはがきへのコメントは、
中也が安原を訪れた10月4日から
中也の臨終にいたる
20日間ほどの消息に言い及んでいます。

番組テキストでも若干触れていますが
ここのところを少し詳しく、引いておきます。

十月四日土曜日。詩人は横浜の私の家を訪ねた。出した酒も手をつけようとせず、帰郷の決意を語つたりした。しきりに頭痛を訴え、視力の困難を述べ、乱視の気味があると言い、頭痛もそのせいかもしれぬと語つた。電線などがハッキリ二つに見え、往来の歩行も不確かであるとのことだつた。熱もあるとのことだつた。暮れてから私は弘明寺終点のバスの乗場まで彼を送つて行つた。詩人はバスの窓から振り返えり振り返えり、やがて鎌倉の方に去つて行つた。私は今も窓ガラスの向うに浮いた詩人の白い顔を想い出すのである。これが私の健康な詩人を見た最後であつた。
詩人はこの翌々日病の床に就き、そして再び立上れなかつたのである。私が報せにより彼を見舞つたとき、彼は鎌倉駅の近くの病院にベッドの人となつていた。急性脳膜炎ということであつた。眼球は異様に膨れ上り、最早正常な意識はなかつた。しきりと囈言を言つていた。側に付添った関口が、詩人の耳に口を寄せ、私が来たことを告げたとき「安原か、あいつは……」とかすかに言つたがその言葉もあとは判断し難かつた。
(前掲書から)

さて、エラン・ヴィタールという言葉が
中也の手紙の中に登場するのは
死の直前に安原に書き送った
99番目の手紙の中でのことになります。
(この稿つづく)

NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第4回 詩人という人生」
10月28日22時25分~22時50分放送。

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元パンクの小説家・町田康の中也読み/エラン・ヴィタールの詩人

「エラン・ヴィタール」というのは、哲学者のベルクソンが提唱した概念で、「生の躍動」といった言葉で訳されていますが、中也にとってはまさにぴったりくる言葉だったんじゃないでしょうか。早いうちから、この言葉を自分の人生に重ね合わせていますよ。

と、語った後で、町田康は、
中原中也20歳の日記を紹介します。
「中原中也 口惜しき人」最終回で、

二十歳のときの日記にこうあります。
「我はエラン・ヴィタール!/
かく言ふを嗤(わら)ふものは我が書を読まざれ。/
嗤はざる素朴の者は熟読せよ」

と。

中也は、ベルクソンを
富永太郎や小林秀雄や
河上徹太郎や
辰野隆らを通じて知ったのでしょうか、
後に、小林秀雄がベルクソン論を
著わし、未完のままで終わるのですが、
20歳の中也の周辺で
ベルクソンは
見過ごせない存在のようではありました。

それは、盛んに読まれていながら
実践するものでは到底ありえなかった
「哲学」に過ぎませんでしたが、
中也は、それを、「実践」する人になってゆくのです。

ゆうがた、空の下で、
身一点に感じられれば、
万事において文句はないのだ
と、「いのちの声」で、歌う詩人のことです。

エラン・ヴィタールに、
中也の目が向けられないわけがない、
とは、中也の読者ならば、
誰しも思うに違いないのですが、
そこのところを、町田康は、
中也には「ぴったりくる」
と、語ります。
「ぴったりくる」のです。

さて、
このエラン・ヴィタールという言葉が
再び登場するのは
中也が死の直前に、
親友・安原喜弘に書き送った
手紙の中でのことでした。

(この稿つづく)

NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第4回 詩人という人生」
10月28日22時25分~22時50分放送。

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元パンクの小説家・町田康の中也読み/信念の詩人

200807062_002

「中原中也 口惜しき人」最終回での
町田康の発言は、
聞き流すと、ありきたりのようですが、
じっくり聞き耳を立てると、
そうだ、そうだ、と合点し、
合点どころか脱帽させられるものが
幾つかありました。

その一つ。
中原中也が、早い時期に自分の生き方を決め、
その生き方に沿って、その通りに生きた、
その結果、あのような詩が生れた、
と話すくだり。
最終回の番組の最終部で語られる部分です。

こう語ります。

中也という人は、人生のかなり早い時期に、かなり厳密に、「自分はこういう人間である」と決めてしまったような気がするんです。そして、こういう人間であると決めたことに、ものすごく忠実に生きた。(略)

それは、たいへんな困難とともにあった。なぜなら、自分はこうである、というのはなかなか決められないことであって、普通は周囲の人間とか両親とか環境とかによって決められる。もっと言えば、宇宙とか神様とかによって決められることかもしれない。

しかし、中也の場合は自分で決めて、そのとおりに生きた。あるいは生きようとした。これはすごい信念ですよ。

その結果、あのような詩が生れた。(略)

と、以上のように、
中也が、人生の早い時期に
自分の生き方を自分一人で決め、
ふつうなら、
周囲、両親、環境……
宇宙、神様……が決めるところなのに、
ときたから、
運命という言葉が
飛び出すのかと思ったところを、
そうは言わず、

自分で自分の生き方を決めて、
その通りに生き、または、生きようとした
それは、信念によるものだ

信念! と断じたのです。
すごい信念ですよ、というのです。

信念の詩人、中原中也の誕生! 
です。

こんなこと、これまでに、誰も、
言わなかったんじゃないでしょうか。

いまだに、無視し、黙殺し、排斥し続ける
というか、
許容できない、包容できない現代詩壇はおろか
中也党といわれる理解者たちも
こんな言い方はしなかった
のではないでしょうか。

曇りのない眼差し
既成の評論に左右されない解釈
詩壇文壇の色眼鏡を通さない素直な読み
若い世代の中也像
……
大げさですが
そんな感じの捉え方が生れているようです。

あらためて
元パンクの小説家・町田康に
心から、拍手を送ります。

パチパチパチパチパチパチパチ。

NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第4回 詩人という人生」
10月28日22時25分~22時50分放送。

中也の作品で、もっともポピュラーと思われる詩をここに載せておきます。

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」より)

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中原中也とマレーネ・ディートリッヒ2

中也は、吉田秀和とともに
新宿の武蔵野館で「嘆きの天使」を見ましたが、
多分、その日のうちに、
1作、歌います。

よく読むと
やはり、中也の詩になっています。

仲良しグループの
タメ語と愛想笑い、
そのうすら幸福顔の
底に隠れた貧困な精神

そんな奴らの言葉を気にするなんて、
そんな奴らの言葉に気をとられるなんて、
と、浮世にあわせて苦労する
マルレネよ
つまらんです。
無駄だよ、徒労だよ。

セミチックは、セム族の意でしょう。

昭和5年(1930)から12年(1937)頃まで使われていた
「早大ノート」にある作品です。

 *
 マルレネ・ディートリッヒ

なあに、小児病者の言ふことですよ、
そんなに美しいあなたさへ
あんな言葉を気にするなんて、
なんとも困つたものですね。

合言葉、二週間も口端にのぼれば、
やがて消えゆく合言葉、
精神の貧困の隠されてゐる
馬鹿者のグループでの合言葉。

それがあなたの美しさにまで何なのでせう!
その脚は、形よいうちにもけものをおもはせ、
あなたの祖先はセミチック、
亜米利加(アメリカ)古曲に聴入る風姿(ふぜい)、

ああ、そのやうに美しいあなたさへ
あんな言葉に気をとられるなんて、
浮世の苦労をなされるなんて、
私にはつまんない、なにもかもつまんない。

(「中原中也全詩集」角川ソフィア文庫より)

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芥川賞作家・町田康の中也読み/戦士

神に愛された詩人、
面倒くさい奴、
そして、最後に、町田康は、
止(とど)めを刺します。

それは
戦士・中原中也です。

「中原中也 口惜しき人」の最終回は
終わってしまいましたが
まだ、第3回の中での
芥川賞作家・町田康の発言で
記しておかなければならないこと、
それが
修羅街の戦士です。

町田康は、

中也は神に愛された詩人だったとさっき言いましたけれども、中也がそれで幸福だったかというと、ぜんぜんそうではなかった。神に愛されてるなんてことは現実の社会の中では通らない。証明もできない(略)……。

しかし、証明できないけれども、中也は議論という形で、そのことを一生懸命説明しようとしていたんではないでしょうか。(略) 説明しないと、自分というものの存在が保てなくなる。

だから、議論という形で必死に主張しつづけていたのではないか。戦うようにして訴えつづけていたのではないでしょうか。

(略)
安原は中也が夜の盛り場で喧嘩することを「市街戦」などと呼んでいたんですけれども、まさに、中也にとって、文学者との議論は芸術のための戦場だったわけですよね。

と、戦う中也像を、描き出すのです。

修羅街は、東京の街。
似非(えせ)芸術家のはびこる街。
対外意識にだけ生きる人々の元気な街。
修羅の中の無邪気な戦士・中也。

関口隆克に献呈された
「修羅街輓歌」は
はじめ、第一詩集のタイトルになるところでしたが、
「山羊の歌」にとって変えられたことは、
大岡昇平の中也評伝などで
明らかにされています。

詩集のタイトルが、
安原喜弘に献呈された「羊の歌」でもなく
「山羊の歌」であらねばならなかったのは、
羊の従順ではなく、
山羊の戦闘性を選んだから、
という詩人の意図が明らかになっています。

詩人のこの意志を
きわめて自然に、素直に読んだに違いのない
町田康の中原中也・戦士論は、
無闇に喧嘩ばかりしていたという
詩人のイメージを葬り去ります。

パチパチパチ……。

パチパチパチパチ。

パチパチパチパチ。

NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第3回 去りゆく友への告白」
10月21日22時25分~22時50分放送。

 *

 修羅街輓歌
    関口隆克に

   序歌

忌(いま)はしい憶(おも)ひ出よ、
去れ! そしてむかしの
憐みの感情と
ゆたかな心よ、
返つて来い!

  今日は日曜日
  縁側には陽が当る。
  ――もういつぺん母親に連れられて
  祭の日には風船玉が買つてもらひたい、
  空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……

  忌はしい憶ひ出よ、
  去れ!
     去れ去れ!

  2 酔生

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。

ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあむまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!

それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ……

   3 独語

器の中の水が揺れないやうに、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば
モーションは大きい程いい。

しかしさうするために、
もはや工夫(くふう)を凝らす余地もないなら……
心よ、
謙抑にして神恵を待てよ。

   4

いといと淡き今日の日は
雨蕭々(せうせう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡(あは)き空気にて
林の香りすなりけり。

げに秋深き今日の日は
石の響きの如くなり。
思ひ出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。

まことや我は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。

それよかなしきわが心
いはれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。

*修羅 阿修羅。インド神話に登場する闘いの神。
*輓歌 人の死を悼み悲しむ歌。
*パラドクサル paradoxal(仏)逆説的な。奇妙な。
*しみらの ひっきりなしに続くこと。あるいは、凍りつくこと、沁みいること。
*謙抑 ひかえめにして自分を抑えること。
*蕭々 ものさびしく雨が降る様子。
*あらぬがに ないのだが

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」より)

*ローマ数字は、アラビア数字に変えてあります。(編者)

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芥川賞作家・町田康の中也読み/面倒くさい奴

青春時代には、
だれもみな、
中也に似た友人や知人を知るだろう。
極く親しい友人になったり、
遠くのほうから眺めているだけであったりもするが、
ある日、忽然と、消えてしまったりもする。

近くで付き合ってみると、
そいつに、自分の領域を侵されて、
逃げ出したくなったり、
追い返したくなったり、
しかし、いなくなってみると、
無性に懐かしい……。

中原中也は、そんじょそこらにはいないが、
似た人はいるものです。
中也の詩を読みながら、
その似た人が頭の中にあることに
驚くことがあります。

町田康にも、そんな友人や知人が
いるかもしれません。
いたかもしれません。
友人が、中也を去って行ったわけを、
解き明かす町田康の口ぶりは、
友人を語るかのように、
遠慮がありません。

町田康は、

結局、彼らは自分の身を守りたかったのではないでしょうか。中也からというよりも、中也の言っていることから身を守りたかったんですね。

では、中也は何を言っていたかというと、それは、芸術の世界に身を置く以上、真実とか美とかいったものに奉仕しなければならない、ということなんです。(略)

みんな食うためにものを書いたり何か作ったりしている。それはまだ正直なほうで、食うための仕事は別に持って、余技として芸術的なことをやっていたりする。そこのところを、中也は突いていくわけです。

言われたほうは迷惑なんですけど、正論だから何も言い返せない。すると、中也のほうは「あ、こいつまだわかってないのかな」と、もっと真剣に教えてあげたりする。そばに来られたら面倒くさい奴ですよ。
(以上、テキストからの引用。)

と、語ります。

ここです!
そばに来られたら面倒くさい奴ですよ。
と、ズバリ、
中也の相手になった側の気持ちを表明するところ。
中也を深く知らなければ
こうは言えません。

しかも、中也の相手になった、
いわば敵の気持ちも汲(く)んでいます
ここが、町田康ならではの、
遠慮なさ、デリカシー……非凡さ。

そして、
ここでほとんどの人が反論できないのは、
「中也の場合、驚くべきことに本当に、
純粋に真実と美に奉仕していた」からで、
「相手としてはつらい」し、
「だから、中也から離れていかざるを
えなかったんじゃないでしょうか」
と結論するところ、
完璧ですね。

また、パチパチパチです。

NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第3回 去りゆく友への告白」
10月21日22時25分~22時50分放送。

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芥川賞作家・町田康の中也読み/神に愛された詩人

20080721_010

3回目になって、
町田康が乗ってきたな、という感じです。

一つは、中原中也が献辞をつけて、
友人らに贈った詩、
すなわち献呈詩を読む中での発言です。

中也の献呈詩は、よくあるものとは異なり、
相手を選んで、
その相手にわかってほしい
という願いを込めた詩が多いのではないか、
と、とらえる件(くだり)です。

それは、
神への告白みたいなところもあった、
と考えるのです。
「あなたにすべてを告白します」
だから、ぼくを、わかってください、と。

そして、ポイントは、

この人は神に愛された人だったんだな、と感じることがあります。必ずしも比喩的な意味ではなくて、ほんとうに神に愛されてしまった人なんじゃないかと思うことがある。

そうとしか思えないような詩がいっぱいありますよね。

全能の神によって与えられた感性ですべて感じ取り、そうやって書いた詩を、また、神に告白するように友人に捧げていたのかもしれないですね。

と、語るところです。

ここに唸りませんか。
ここは、鋭く、深い理解ではないですか。
芥川賞や谷崎賞を受賞した作家の読みが
ここにあるとは思いませんか。

普通、神を見た、とか、神に導かれた、とか……。
そのように、言うことはあります。
中也の若き日の「見神」は、
よく言われることでもあります。

そこのところを、
神を愛した、と言わず、
逆に、神に愛された、と言うのですから、
ハッとさせられますし、
ちょっと、考えてから、
ハタと手を打って、パチパチパチです。
納得しちゃいます。

河上徹太郎、
内海誓一郎、
阿部六郎、
関口隆克、
安原喜弘、
小林秀雄、
青山二郎、
大岡昇平
……

中也に詩を献じられた友人たちは、
いかに詩を読み、向き合い、
そして、その後
いかなる気持ちで、
詩人と対面したのでしょうか。

テキストでは、
安原喜弘宛の「羊の歌」、
関口隆克宛の「修羅街輓歌」を掲載し、
番組中に、朗読します。

大岡昇平宛の「玩具の賦」は、
テキストに、大岡批判の詩として記され、
番組中、一部を、町田康が朗読します。

NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第3回 去りゆく友への告白」
10月21日22時25分~22時50分放送。


 玩具の賦
    昇平に

どうともなれだ
俺には何がどうでも構はない
どうせスキだらけぢやないか
スキの方を減(へら)さうなんてチャンチャラ可笑(をか)しい
俺はスキの方なぞ減らさうとは思はぬ
スキでない所をいつそ放りつぱなしにしてゐる
それで何がわるからう

俺にはおもちやが要るんだ
おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利権と幸福とは大体は混(まざ)る
だが究極では混りはしない
俺は混ざらないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ
月給が増(ふ)えるからといつておもちやが投げ出したくはないんだ
俺にはおもちやがよく分つてるんだ
おもちやのつまらないとこも
おもちやがつまらなくもそれを弄(もてあそ)べることはつまらなくはないことも
俺にはおもちやが投げ出せないんだ
こつそり弄べもしないんだ
つまり余技ではないんだ
おれはおもちやで遊ぶぞ
おまへは月給で遊び給へだ
おもちやで俺が遊んでゐる時
あのおもちやは俺の月給の何分の一の値段だなぞと云ふはよいが
それでおれがおもちやで遊ぶことの値段まで決まつたつもりでゐるのは
滑稽だぞ
俺はおもちやで遊ぶぞ
一生懸命おもちやで遊ぶぞ
贅沢(ぜいたく)なぞとは云ひめさるなよ
おれ程おまへもおもちやが見えたら
おまへもおもちやで遊ぶに決つてゐるのだから
文句なぞを云ふなよ
それどころか
おまへはおもちやを知つてないから
おもちやでないことも分りはしない
おもちやでないことをただそらんじて
それで月給の種なんぞにしてやがるんだ
それゆゑもしも此(こ)の俺がおもちやも買へなくなった時には
写字器械奴(め)!
云はずと知れたこと乍(なが)ら
おまへが月給を取ることが贅沢だと云つてやるぞ
行つたり来たりしか出来ないくせに
行つても行つてもまだ行かうおもちや遊びに
何とか云へるものはないぞ
おもちやが面白くもないくせに
おもちやを商ふことしか出来ないくせに
おもちやを面白い心があるから成立つてゐるくせに
おもちやを遊んでゐらあとは何事だ
おもちやで遊べることだけが美徳であるぞ
おもちやで遊べたら遊んでみてくれ
おまえに遊べる筈はないのだ

おまへにはおもちやがどんなに見えるか
おもちやとしか見えないだろう
俺にはあのおもちやこのおもちやと、おもちやおもちやで面白いんぞ
おれはおもちや以外のことは考へてみたこともないぞ
おれはおもちやが面白かつたんだ
しかしそれかと云つておまへにはおもちや以外の何か面白いことといふのがあるのか
ありそうな顔はしとらんぞ
あると思ふのはそれや間違ひだ
北叟笑(にやあツ)とするのと面白いのとは違ふんぞ

ではおもちやを面白くしてくれなんぞと云ふんだろう
面白くなれあ儲かるんだといふんでな
では、ああ、それでは
やつぱり面白くはならない写字器械奴(め)!
――こんどは此のおもちやの此処(ここ)ンところをかう改良(なほ)して来い!
トットといつて云つたやうにして来い!
                     (1934.2.)

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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中也とマレーネ・ディートリッヒ/吉田秀和

本日の朝日新聞朝刊「音楽展望」で吉田秀和が、
中原中也と映画「嘆きの天使」を見たことを記しています。

(略)北海道小樽の中学を出て東京の高校に通い出したころはよく映画を見た。学校が小田急沿線にあったので、新宿に出て武蔵野館という洋画の封切館に行った。

ここはよく人が入っていて、私は二階の通路の階段に腰を下ろし、中原中也とマレーネ・ディートリッヒ主演の《嘆きの天使》を見たのを覚えている。ルネ・クレール監督の《巴里の屋根の下》もそんなふうにして見たはずである。(略)

と、無声映画が
トーキーに変わりつつあった
昭和初期の映画の中の
音楽についての思い出を書くリードに、
中也との思い出を、
さらっと挟んでいる感じです。

中原中也と生前に親交があり、
中也を知る数少ない生き証人でもある人の
さりげないエピソードが
貴重です。

昨日の中也忌に、
どんなことが、この、大の字のつく音楽評論家の
脳裏に去来したのか、
「ソロモンの歌」中の「中原中也のこと」では、
中也のことをむやみに書くべきではない、
と述べているのを知っている読者には、
ありがたく、また、ほっとするのです。

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中也忌/南無放光院賢空文心居士

昨日は、中也忌。中原中也忌でした。
1937年(昭和12年)10月22日、鎌倉の住まいで、30歳の命を終えました。戒名は、南無放光院賢空文心居士。

いまごろ、あっ、あれは、僕の骨だ! なんて、お道化していますかね。

 *
 骨

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。

それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。

生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑(をか)しい。

ホラホラ、これが僕の骨——
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?

故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて、
見てゐるのは、——僕?
恰度(ちやうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
 *原文のルビは、( )内に表記しました。

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