2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

カテゴリー

ブログランキング参加中です

中原中也を歌う(曲と歌:桜木うさこさん)

電子書籍

無料ブログはココログ

カテゴリー「はじめての中原中也」の記事

2011年6月20日 (月)

「むさしさ」からはじまる<10>

「むなしさ」には
ポール・ベルレーヌの「ダリア」の影響がみられ
その日本語訳を参考にしたかもしれないということで
上田敏
鈴木信太郎
堀口大学ら

また、措辞や詩の調子の類縁という点から
宮沢賢治
富永太郎
北原白秋
岩野泡鳴らの名前が挙げられていますが

最も大きな特徴は
文語定型詩や
五七調(およびその破調としての七七など)へ
いはば回帰をみせているということがいえます

ダダイズムの詩から
もっとも遠い地平にあるのが
日本の古語の世界ではないか、と
詩人が考えた形跡は見つかりませんが
ダダからの脱皮を示す
目に見える形として
文語定型詩が存在することを見出すのに
たいした苦労はなかったはずでした

第1連第2行

心臓はも 条網に絡(から)み

この「はも」は
「古事記」に

さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも

とある有名な
オトタチバナヒメの詠んだ歌の末尾の
「君はも」の「はも」を
すぐさま連想させますが
中原中也が
この歌を思い描きながら
「むなしさ」を歌ったかどうかは別にしましても
上代の和歌で使用された接尾語を
このように駆使しているという事実は

最終連第1行

偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも

の「そも」が
「雨夜の品定め」として有名な
「源氏物語」の「帚木の巻」の冒頭に

そもまことにその方を取り出でむ選びにかならず漏るまじきは、いと難しや。

とあるくだりの「そも」を
詩人が記憶していたことをも
推測させますが
これは想像の範囲を超えるものではまったくありません。

どちらのケースにしても
少年時代から
短歌制作に打ち込んでいた中原中也が
その過程で古語に親しんだことに間違いはなく
「古事記」も「源氏物語」も
一度くらい目に通しても
不思議なことではありませんから
自作の詩の中に使用するほどの
身についた素養であって自然でした。

このようにして
「むなしさ」には
昭和初期の中原中也の
からだの中にあった
全ての「詩の技(わざ)」が
投げ込まれてあった、と
見ることができます。

摂取や受容に
詩人は必死なのでしたし
摂取や受容を自己のものにするのにも必死でしたし
自己の詩が確立されるのは
もう一息というところにいました。

 *
 むなしさ

臘祭(らふさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
 心臓はも 条網に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなち)も露(あら)は
 よすがなき われは戯女(たはれめ)

せつなきに 泣きも得せずて
 この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とほ)き空 線条に鳴る
 海峡岸 冬の暁風

白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(くわべん)
 凍(い)てつきて 心もあらず

明けき日の 乙女の集(つど)ひ
 それらみな ふるのわが友

偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
 胡弓の音 つづきてきこゆ

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)

2011年6月15日 (水)

「むなしさ」からはじまる<9>

「むなしさ」は当初
第2詩集「在りし日の歌」の冒頭詩篇でしたが
詩集編集の間に
長男の文也が急死したために
「含羞(はぢらひ)」に取って変えられました。

それまで
すなわち昭和11年(1936)11月10日に
文也が死ぬまでは
「むなしさ」が「在りし日の歌」の冒頭に置かれていたのですが
詩集編集は一時中断し
この中断の間には
詩人自身が千葉の中村古峡療養所へ
入退院するというハプニングもあって
再び開始されるのは
翌12年の夏になってからですから
再開されたこの詩集編集の時に
「含羞」を冒頭詩篇とする改編が行われたということが
角川新全集編集により考証されているのです。

こうして
「在りし日の歌」を
中原中也は「在りし日」に手に取ることもなく
文学仲間である小林秀雄に託してすぐに
他界してしまいます。
昭和12年10月22日のことです。
長男文也の死亡から
1年余の後のことでした。

このため、
「在りし日の歌」は「著者校正」が行なわれなかった
稀有な詩集ということにもなります。

 *
 むなしさ

臘祭(らふさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
 心臓はも 条網に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなち)も露(あら)は
 よすがなき われは戯女(たはれめ)

せつなきに 泣きも得せずて
 この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とほ)き空 線条に鳴る
 海峡岸 冬の暁風

白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(くわべん)
 凍(い)てつきて 心もあらず

明けき日の 乙女の集(つど)ひ
 それらみな ふるのわが友

偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
 胡弓の音 つづきてきこゆ

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)

2011年6月14日 (火)

「むなしさ」からはじまる<8>

「むなしさ」は
昭和26年(1951)に発行された
創元社版全集第3巻では
大正15年2月制作と記録されていますが
この時に存在した初稿は現在では失われているため
初めて制作された日がいつであったか
確証するものはありません。

横浜を舞台にしているというところから
ほかの「横浜もの」と同じ時期で
さらに内容が冬を歌っていることから
大正15年2月の制作とみなされています。

この初稿が推敲されて
昭和10年の「四季」3月号に
発表されたものが初出となり
やがては
「在りし日の歌」に収録されて第二次形態になります。

「在りし日の歌」の収録にあたっては
詩集編集の当初から
「むなしさ」を冒頭に配置する計画でしたが
発行に至る間に
長男文也が急逝したことによって
「在りし日の歌」全体の構成を変えざるを得ず
急遽、「含羞(はぢらひ)」が冒頭に置かれることになり
「むなしさ」は2番目になったのでした。

こうして第2詩集「在りし日の歌」の
2番目に「むなしさ」は配置されたのですが
中原中也が
いかにこの作品に重きを置いたかを
知っておくことは無意味なことではありません。

「在りし日の歌」は
元はといえば
「むなしさ」にはじまったのです。

遠い過去の作品のうちの
最も近い作品として
「むなしさ」は
「在りし日の歌」の冒頭に配置されるべき詩でした。

 *
 むなしさ

臘祭(らふさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
 心臓はも 条網に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなち)も露(あら)は
 よすがなき われは戯女(たはれめ)

せつなきに 泣きも得せずて
 この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とほ)き空 線条に鳴る
 海峡岸 冬の暁風

白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(くわべん)
 凍(い)てつきて 心もあらず

明けき日の 乙女の集(つど)ひ
 それらみな ふるのわが友

偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
 胡弓の音 つづきてきこゆ

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)

 

2011年6月13日 (月)

<再読>時こそ今は……/彼女の時の時

「山羊の歌」の中の
「秋」の章を読み直しています。
「時こそ今は……」は
一度、読みましたが
わずかな修正を加えています。

  ◇

ボードレールのファンだから知る、か
上田敏を通じて知る、か
中原中也のこの詩を通じて知る、か

シャルル・ピエール・ボードレールの
「悪の華」の中の
「薄暮(くれがた)の曲」の上田敏訳を
中原中也は、
見事に受容しました。

それも
一人の女性、
長谷川泰子という
固有名を詩に登場させ
その女性への恋歌へと
作り直したのです。

花が芳香を放つ
その時の時の
花のシステム。

まるで香炉に
蜜が分泌され
次から次へと
溢れ出てくる
甘やかな香り
その様子が

時こそ今は花は香炉に打薫じ

と、歌われました。

やがて香りは
空気に広がり
立ちこめる。

こんな時だから
泰子よ
しずかに
一緒に過しましょう。

詩人の
求愛の声は悲痛ですが
諦めが交ざって
さめざめとした響きすらあります。

夏だろうか
秋だろうか
秋の章に入っているのだから
秋だろう、きっと。

では、花は、何の花なのか
百合ではないのか
などと想像するのは勝手ですが……

そこはかとない気配のする
水に濡れ、雫のしたたる花。

家路を急ぐ人々
遠くの空を飛ぶ鳥は
いたいけない
情にあふれている。

夕方のまがき
群青の空
と、あるから
ここは、
東京の閑静な住宅地ではないでしょうか。

こんな今こそ
泰子の髪の毛は
やわらかに揺れて
花が香りを発散するような
絶頂の時を迎えるのになあ。

花は芳香を放ち、
「、」で
この詩は終わりますが
「、」は、この詩の内部の時間が
終わらないことを示します。

ここでは
上田敏訳の「薄暮の曲」全4連の
第1連と第2連を載せておきます。

 時こそ今は水枝(みずえ)さす、こぬれに花の顫ふころ。
 花は薫じて追い風に、不断の香の炉に似たり。
 匂も音も夕空に、とうとうたらり、とうたらり、
 ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈(くるめき)よ、
 花は薫じて追い風に、不断の香の炉に似たり。
 痍(きず)に悩める胸もどき、ヸオロン楽(がく)の清掻(すががき)や、
 ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたれ眩暈(くるめき)よ、
 神輿(みこし)の台をさながらの雲悲みて艶(えん)だちぬ。

 (「角川新全集第1巻・詩Ⅰ本文篇」より)

 *

 時こそ今は……

時こそ今は花は香炉に打薫じ
       ボードレール

時こそ今は花は香炉に打薫(うちくん)じ、
そこはかとないけはひです。
しほだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。

いかに泰子、今こそは
しづかに一緒に、をりませう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情け、みちてます。

いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青(ぐんじやう)の
空もしづかに流るころ。

いかに泰子、今こそは
おまへの髪毛(かみげ)なよぶころ
花は香炉に打薫じ、

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)

2011年6月12日 (日)

<再読>生ひ立ちの歌/雪で綴るマイ・ヒストリー

「山羊の歌」の中の
「秋」の章を読み直しています。
「雪の宵」は
一度、読みましたが
わずかな修正を加えています。

  ◇

ここで詩人は
自己の履歴を
幾分かまとめて明らかにします。

詩人としてのスタンスを述べることを
中原中也は
折りあるごとに行ってきましたが
この詩もその流れのものでしょう。

自己の歴史を
「私の上に降る雪は」と
雪の形態・姿態の変容に結びつけて
回顧します。

雪のメタファー
とでもいうべきレトリックは
世間へ強い浸透力をもって広まった
「汚れつちまつた悲しみに……」もそうでした。

いや、レトリックなどという
技術の領域というより
雪は
中原中也の詩を形づくる
骨格とか血肉とかのようなものの
一つです。

第1章で
「私の上に降る雪」は
幼児期 真綿まわた
少年時 霙みぞれ
17~19 霰あられ
20~22 雹ひょう
23   吹雪ふぶき
と形容され、
24では、いとしめやかになりました……
と、落ち着きます。

第2章に入って
24歳以降の現在の雪の姿態をうたいますが。

ふと
この雪は
泰子のようである
長谷川泰子との時や場所の記憶……
と、自然に感じられてくる
仕掛けに気付きます。

1連
花びらのように
2連
いとなよびかになつかしく
3連
熱い額に落ちもくる
涙のやう
5連
いと貞潔で

ところで
第2章第4連は
私の上に降る雪に、と、
雪が主語でなく、
目的語になります。

雪は、感謝の対象になります。
いとねんごろに感謝して
じゅうぶんに感謝して
神様に
長生きしたいと祈りました
と、詩句にされないまでも
主語は私=詩人に変わります。

私が雪に感謝するのです。
雪とは
泰子以外にありません。

この詩のポイントは
ここにあります。

「雪の宵」や
「汚れつちまつた悲しみに……」の雪に
かすかにただよう甘やかさの元
そこに女性の存在があります。

 * 

 生ひ立ちの歌

   Ⅰ

    幼年時
私の上に降る雪は
真綿(まわた)のやうでありました

    少年時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のやうでありました

    十七―十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のやうに散りました

    二十―二十二
私の上に降る雪は
雹(ひよう)であるかと思はれた

    二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪とみえました

    二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……

   Ⅱ

私の上に降る雪は
花びらのやうに降つてきます
薪(たきぎ)の燃える音もして
凍るみ空の黝(くろ)む頃

私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額に落ちもくる
涙のやうでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生したいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞潔でありました

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)

2011年6月11日 (土)

<再読>雪の宵/ひとり酒

「山羊の歌」の中の
「秋」の章を読み直しています。
「雪の宵」は
一度、読みましたが
わずかな修正を加えています。

  ◇

北原白秋の詩集「思い出」の中の作品
「青いソフトに」は
七五調の4行詩です。

 青いソフトに降る雪は
 過ぎしその手か、ささやきか、
 酒か、薄荷か、いつのまに
 消ゆる涙か、なつかしや。

中原中也は、
その冒頭の2行の中の
「青いソフト」を
「ホテルの屋根」と置き換えて
「雪の宵」の導入に使いました。

ホテルに降る雪ならば
かつての帝国ホテルのようなのが
昭和初期にはあったに違いありませんが
今、中也は、
ホテルを眼前にしているわけでもありません。

第6連
徐かに私は酒のんで
悔と悔とに身もそぞろ。
これが、詩人の現在なのです。

またしても
ひとり酒……。

いまごろどうしているのやら
いつかは帰ってくるのかなあ、と
酒をグイっとやっては
煙草をプカプカ……。
酔いが回るにつれ
つい、泰子への追憶にひたります。

「汚れつちまつた悲しみに……」の雪のように
ここでも、
雪はやわらかい。

ほのかな熱があり
冷たいだけの雪ではありません。

雪は冷たいのですが
なぜか、
冷たいだけの雪ではないのです。

その上

ふかふか煙突煙吐いて
赤い火の粉も刎ね上る。

のですが……

ふかふか煙突も
赤い火の粉も
僕には遠く
僕の心は
凍える寒さの中にあるのです。

 *

 雪の宵

青いソフトに降る雪は
過ぎしその手か囁(ささや)きか  白秋

ホテルの屋根に降る雪は
過ぎしその手か、囁きか
  
  ふかふか煙突煙(けむ)吐いて、
  赤い火の粉も刎(は)ね上る。

今夜み空はまつ暗で、
暗い空から降る雪は……

  ほんに別れたあのをんな、
  いまごろどうしてゐるのやら。

ほんにわかれたあのをんな、
いまに帰つてくるのやら

  徐(しづ)かに私は酒のんで
  悔と悔とに身もそぞろ。

しづかにしづかに酒のんで
いとしおもひにそそらるる……

  ホテルの屋根に降る雪は
  過ぎしその手か、囁きか

ふかふか煙突煙吐いて
赤い火の粉も刎ね上る。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)

2011年6月10日 (金)

<再読>修羅街輓歌/あばよ!外面(そとづら)だけの君たち

「山羊の歌」の中の
「秋」の章を読み直しています。
「修羅街輓歌」は
一度、読みましたが
読み足りなかった部分を
少しだけ補いました。

  ◇

「中原中也全集」解説・詩Ⅰ(1967年10月)で
大岡昇平は、

(略)高森文夫の証言によれば最初に考えた題は
「修羅街輓歌」だったという。

と、「山羊の歌」という詩集名が、
はじめ「修羅街輓歌」だったことを
明らかにしています。

戦略的に
重要な位置にあった詩であるということです。
その詩にたどりつきました。
これも献呈されています。
相手は関口隆克です。

関口隆克は
後に、文部省大臣秘書課長を振り出しに
国立教育研究所長などを経て
開成学園中学、高校の校長となる人物で
1987年に亡くなります。

昭和3年(1928年)9月、中原中也は
豊多摩郡高井戸町(現杉並区)の関口の下宿に合流し
石田五郎と3人の共同生活を経験しました。

修羅は、
「春と修羅」(宮沢賢治)の修羅らしいのですが
修羅街としたところが中也です。

修羅街とは、東京のことでしょうか?
その街への挽歌とは
そもそも逆説でありましょうか。
それとも
あばよ!東京!
さよなら、グッバイ!
ストレートな
東京への離別宣言なのでしょうか。

詩集「在りし日の歌」の
後記の最終行
さらば東京! おゝ わが青春!へと、
まっしぐらに連なる意識が
すでにここに胚胎(はいたい)している
といえるのでしょうか。

いずれは
東京に別れを告げる詩人ですが
早くもこの時点での挽歌です。

4連に分けられたⅠは
「序の歌」。

のっけから激しく
暗い思い出が
消えてなくなることを望む
詩人の心情が吐き出されます。

なくなれ! と命令して
なくなるものではありませんが
命令するのです。

思い出したくもない
いまわしい思い出よ
消えてなくなれ!
そして、昔の
憐れみの感情と豊かな心よ
戻って来い!

こう思っている今日は
穏やかな日曜日です。
ときおり、少年時代が懐かしく
思い出されもするのです。

Ⅱは「酔生」と題されています。
ただちに「酔生夢死」という
四字熟語が浮かびます。

その「夢死」のほうが気になるのですが
題は「酔生」のほうが採られました。

僕の青春は過ぎていった。
――おお、この、寒い朝の鶏の鳴き声よ
しぼり出すような叫びよ。
ほんとのこと
前後も省みず
がむしゃらに生きてきたものだ。
僕はあまりにも陽気だった。
――無邪気な戦士だったなあ、僕のこころよ

それにしても僕は憎む
上辺(うわべ)をとりつくろい
対外意識だけで生きている人々を。
――なんと逆説的な人生であることよ。
いま、ここに傷つき果てて
――この、寒い朝の鶏鳴よ
しぼり出すような叫びよ
おお、霜に凍えている鶏鳴よ……

「しみらの」は、凍りつくこと。

Ⅲは「独語」。

器の中の水が揺れないように
器を持ち運ぶことは重要であり
そうであるならば、
大きなモーションで運ぶがいい。

しかしそうするために
もはや工夫することさえやめてしまうのは
いかんいかん。
そんなふうになるんだったら
心よ
謙虚に神の恵みを待つがいい。

Ⅳは、題なし。
文語調に転じます。

とてもとても淡い今日
雨がわびしげに降り注いでいる。

「雨蕭々と」は
「史記」「刺客列伝」の
風蕭々として易水寒し、
を意識しているのでしょうか。

空気は水よりも淡く
どこからか林の香りがしてくる。
ほんとに秋も深くなった今日は
石の響きのような
無機質な生気のない日になった。

思い出さえもないのに
夢なんてあるものか。
ほんとに僕は石のように
影のように生きてきた。

何かを語ろうとしたときには言葉がなく
空のように果てしなく
とらえどころなく
悲しい僕の心よ
理由もなく拳をあげて
誰を責めようとするのか。
ああ切ない切ない。

「あらぬがに」は、「ないのだが」の意。

 *

 修羅街輓歌
    関口隆克に

   序歌

忌(いま)はしい憶(おも)ひ出よ、
去れ! そしてむかしの
憐みの感情と
ゆたかな心よ、
返つて来い!

  今日は日曜日
  縁側には陽が当る。
  ――もういつぺん母親に連れられて
  祭の日には風船玉が買つてもらひたい、
  空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……

  忌はしい憶ひ出よ、
  去れ!
     去れ去れ!

  2 酔生

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。

ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあむまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!

それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ……

   3 独語

器の中の水が揺れないやうに、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば
モーションは大きい程いい。

しかしさうするために、
もはや工夫(くふう)を凝らす余地もないなら……
心よ、
謙抑にして神恵を待てよ。

   4

いといと淡き今日の日は
雨蕭々(せうせう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡(あは)き空気にて
林の香りすなりけり。

げに秋深き今日の日は
石の響きの如くなり。
思ひ出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。

まことや我は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。

それよかなしきわが心
いはれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

*ローマ数字は、アラビア数字に変えてあります。(編者)

Senpuki04
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)

2011年6月 9日 (木)

<再読> 秋/黄色い蝶の行方

「山羊の歌」の中の
「秋」の章を読み直しています。
「秋」は
一度、読みましたが
読み足りなかった部分を
少しだけ補いました。

  ◇

「みちこ」の章の次は
「秋」の章で、
5篇の作品が
配されています。

章と同じタイトルの「秋」という作品は
「死」を扱っていて
妙にリアルです。

「汚れつちまつた悲しみに……」第3連第4行の
「倦怠(けだい)のうちに死を夢む」が
ここに突如よみがえったかのようです。

そのイメージが具体化され……。
終わりでは蝶々が
詩集「在りし日の歌」の「一つのメルヘン」へ
続くかのように
草の上を飛んでゆきます。

死んでしまったぼくを
もう一人のぼくが見ている。
(「骨」の萌芽がここにあります)
見ているのはぼくのほかにもう一人
泰子らしき女性です。

二人が会話し
逝ったぼくを回顧する
そういう構造になっています。

第1連。
昨日まで灼熱の陽に燃えていた野原が
今日はぼおーっとして
曇り空の下に続いている。

一雨ごとに秋になるのだ
と世間の人は言う。
秋蝉が、すでにあちこちで鳴いている、
草原の、一本の木立ちの中でも鳴いている。

ぼくが煙草を吸うと
煙が澱んだ空気の中を揺られて昇ってゆく。

地平線は目を凝らしても見ることができない
陽炎の亡霊たちが
立ったり座ったりせわしないので
ぼくは、しゃがみ込んでしまう。

不気味なイメージに
中也独特のリアルさが滲みます。

空は、鈍い金色に曇っている
相変わらず!
とても高いので、ぼくはうつむいてしまう

ぼくは、倦怠(けだい)を観念して生きているんだよ
煙草の味は三通りほどあるのさ
死というやつも、そんなに遠いものじゃないかもしれない

第2連は会話。

それではさよなら、と言って
真鍮の光沢みたいな妙にはっきりした笑みをたたえて
あいつは
あのドアのところから立ち去って行ったんだよな
あの笑いからしてがどうも、
生きている者のようじゃなかったんだよ
あいつの目は
沼の水が澄んだ時かなんかのように
おそろしく冷たく光っていたよ
話している時も、他のことを考えているようだったさ
短く切って、ものを言う独特のクセがあったさ
つまらないことを、くどくど覚えていたよなあ

そうね
死ぬってこと分かっていたのよ
星を見ていると
星がぼくになるんだなんて言って
笑っていたわ
ついさっきのことよ

…………

ついさっきよ、
自分の下駄を、これはぼくのじゃないって言い張るのよ

第3連は女の独白。

草がちっとも揺れなかったのよ
その上を蝶々が飛んでいったのよ
浴衣を着て、あの人、縁側に立って、それを見ているのよ
あたしはこっちからあの人の様子を見てたの
あの人、じっと見てるのよ、黄色い蝶々を。
豆腐屋さんの笛が方々で聞こえていたわ
あの電信柱が、夕空にくっきり見えて
ぼく、って言って、あの人あたしの方を振り向くのよ
きのう30貫くらいある石をこじあげちゃった、って言うのよ
まあ、どうして? どこで?って、わたし聞いたのよ
するとね、あの人、あたしの目をじっと見るのよ
怒っているようなのよ、まあ
あたし、怖かった

死ぬ前って、変なものねえ……

 *

 秋

   1

昨日まで燃えてゐた野が
今日茫然として、曇つた空の下(もと)につづく。
一雨毎に秋になるのだ、と人は云ふ
秋蝉は、もはやかしこに鳴いてゐる、
草の中の、ひともとの木の中に。

僕は煙草を喫ふ。その煙が
澱(よど)んだ空気の中をくねりながら昇る。
地平線はみつめようにもみつめられない
陽炎(かげろふ)の亡霊達が起(た)つたり坐つたりしてゐるので、
――僕は蹲(しやが)んでしまふ。

鈍い金色を帯びて、空は曇つてゐる、――相変らずだ、――
とても高いので、僕は俯(うつむ)いてしまふ。
僕は倦怠を観念して生きてゐるのだよ、
煙草の味が三通りくらゐにする。
死ももう、とほくはないのかもしれない……

   2

『それではさよならといつて、
みように真鍮(しんちゆう)の光沢かなんぞのやうな笑(ゑみ)を湛(たた)へて彼奴(あ
いつ)は、
あのドアの所を立ち去つたのだつたあね。
あの笑ひがどうも、生きてる者のやうぢやあなかつたあね。
彼奴の目は、沼の水が澄んだ時かなんかのやうな色をしていたあね。
話してる時、ほかのことを考へてゐるやうだつたあね。
短く切つて、物を云ふくせがあつたあね。
つまらない事を、細かく覚えていたりしたあね。』

『ええさうよ。――死ぬつてことが分かつてゐたのだわ?
星をみてると、星が僕になるんだなんて笑つてたわよ、たつた先達(せんだつて)よ。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
たつた先達よ、自分の下駄を、これあどうしても僕のぢやないつていふのよ。』

   3

草がちつともゆれなかつたのよ、
その上を蝶々がとんでゐたのよ。
浴衣(ゆかた)を着て、あの人縁側に立つてそれを見てるのよ。
あたしこつちからあの人の様子 見てたわよ。
あの人ジッと見てるのよ、黄色い蝶々を。
お豆腐屋の笛が方々で聞えてゐたわ、
あの電信柱が、夕空にクッキリしてて、
――僕、つてあの人あたしの方を振向くのよ、
昨日三十貫くらゐある石をコジ起しちやつた、つてのよ。
――まあどうして、どこで?つてあたし訊(き)いたのよ。
するとね、あの人あたしの目をジッとみるのよ、
怒つてるやうなのよ、まあ……あたし怖かつたわ。

死ぬまへつてへんなものねえ……

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)

 

2011年6月 8日 (水)

「むなしさ」からはじまる<7>

臘祭(ろうさい)の「臘」は
「陰暦12月」をさし
簡単にいえば
「12月のお祭り」のことです。

横浜の中華街の年末には
このようなお祭りが
行われていたものか
現在も行われているのでしょうか。

横浜は
詩人の母フクが生まれ、
7歳まで育った土地でしたし
祖父助之が客死した土地でした。
東京に遠縁の中原岩三郎が居住していたように
横浜にも由縁があり
時あらば訪れては
一人身の淋しさを癒したのです。

こうして作られたのが
「横浜もの」といわれる
1連の作品です。

「むなしさ」のほかには
「山羊の歌」所収の
「臨終」
「秋の一日」
「港市の秋」
「未発表詩篇」の
「かの女」
「春と恋人」があります。

「むなしさ」については
大岡昇平が
次のように評しているのを
超える発言はめったにお目にかかれません――

「詩句には岩野泡鳴流の小唄調と田臭を持ったものであるが、「遐き空」「偏菱形」等の高踏的な漢語は、富永太郎や宮沢賢治の影響である。これだけでもダダの詩とは大変な相違であるが、重要なのは、ここで中原がよすがなき戯女に仮託して叙情していることであろう」
(新全集Ⅱ解題篇より)

「むなしさ」に現れる戯女=たわれめに
詩人は
己の孤独を重ね合わせ
ふるえるような悲しみの旋律を
シンクロさせているのです。

岩野泡鳴流というのが
具体的にどの詩句をさしているのかわかりませんが
花街には
三味線の音が
どこからともなく聞こえ
その音にあわせて小唄の一つが
奏でられていて自然です。

孤独の魂には
心細げに聞こえながら
芯のある三味線、小唄の響きは
心からの慰めになりました。

女たちから
「いき」な話を聞くことがあって
それもこの街へ立ち寄る理由の一つだったのかもしれません。

この詩では
胡弓の音が前面に立ち
三味線の音など
いっこうに聞えてこないようですが
大岡昇平が「岩野泡鳴流の小唄調」というのは
そのあたりのことを含んでのこととも受け取れて
読みの深さに脱帽するばかりです。

 *
 むなしさ

臘祭(らふさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
 心臓はも 条網に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなち)も露(あら)は
 よすがなき われは戯女(たはれめ)

せつなきに 泣きも得せずて
 この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とほ)き空 線条に鳴る
 海峡岸 冬の暁風

白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(くわべん)
 凍(い)てつきて 心もあらず

明けき日の 乙女の集(つど)ひ
 それらみな ふるのわが友

偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
 胡弓の音 つづきてきこゆ

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)

2011年6月 7日 (火)

<再読> つみびとの歌/愛という名の支配

「山羊の歌」の中の
「みちこ」の章を読み直しています。
「つみびとの歌」は
一度、読みましたが
読み足りなかった部分を
少しだけ補いました。

  ◇

献呈詩が続きます。
今度は、阿部六郎へ捧げます。
「三太郎の日記」の著者として有名な
哲学者・阿部次郎の弟の六郎への献呈です。

六郎は、同人誌「白痴群」のメンバーで、
大岡昇平のいう成城グループの一人です。

ぼくの生涯は
下手くそな植木師たちに
若いうちから、手を入れられ、
剪定されてしまった悲しさでいっぱい!

というわけで
ぼくの血の大部分は
頭にのぼり、煮え返り、たぎり、泡立つ
そういう方向に消費されます。

落ち着きがなく
焦ってばかりで
いつも外界に色々なことの答えを見い出そうとする
その行動は愚かなことばかり
その考えはだれの考えとも分かち合うことができない。

こうして、
この可愛そうな木は
粗くて硬い樹皮を、空と風に剥き出しにして
心はいつも、惜しがっている。
怠けていて、一貫した行いが出来ず
人には弱々しく、へつらい
こうして、
自分で思ったこともない愚行を仕出かしてしまう。

昭和3年(1928年)、
父謙助が亡くなります。
中也は、父の溺愛を受けて育ちました。
生家の近くの川で遊ぶことを禁じられたために
生涯、水泳が出来なかったのは
危険だからという理由で
自転車に乗ることを許されなかった
都会の子に似たところがあります。
今様に言えば、愛という名の支配。

訃報を聞いた中也は、
母フクに「帰らないでいい」と助言され
葬儀のためには帰郷しませんでした。

下手くそな植木師たちの筆頭に、
父謙助の名があげられても
仕方はないはずでした。

でも、
植木師は一人ではありません。
複数の植木師がいたのです。
「キミのためを思って言うんだよ」
といった類の助言、忠告……は
中也を窒息させるものでした。

阿部六郎よ
キミはこのことを理解するだろう
詩人は、そう感じていたに違いありません。



つみびとの歌
     阿部六郎に

わが生は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
由来わが血の大方は
頭にのぼり、煮え返り、滾(たぎ)り泡だつ。

おちつきがなく、あせり心地に、
つねに外界に索(もと)めんとする。
その行ひは愚かで、
その考へは分ち難い。

かくてこのあはれなる木は、
粗硬な樹皮を、空と風とに、
心はたえず、追惜のおもひに沈み、

懶懦(らんだ)にして、とぎれとぎれの仕草をもち、
人にむかつては心弱く、諂(へつら)ひがちに、かくて
われにもない、愚事のかぎりを仕出来(しでか)してしまふ。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

さまざまな中也体験・中也論 | はじめての中原中也 | はじめての中原中也/「在りし日の歌」 | ニュース | 三好達治の戦争詩 | 中也が見た・歩いた | 中原中也が使ったオノマトペ | 中原中也が使った色々な色 | 中原中也が訳したランボー | 中原中也と「ランボーという事件」 | 中原中也と「四季」 | 中原中也とベルレーヌ | 中原中也とラフォルグ | 中原中也のダダイズム詩 | 中原中也の同時代 | 中原中也の手紙/終生の友・安原喜弘へ | 中原中也の詩に出てくる人名・地名 | 中原中也の詩に現れる動物たち | 中原中也の詩に現れる植物たち | 中原中也の鎌倉 | 中原中也/「山羊の歌」の世界 | 中原中也/「山羊の歌」の世界/「少年時」以後 | 中原中也/「山羊の歌」の世界/「汚れっちまった悲しみに……」の周辺 | 中原中也/「山羊の歌」の世界/「羊の歌」から「いのちの声」へ | 中原中也/「生活者」の詩群 | 中原中也/「白痴群」のころ | 中原中也/未発表詩篇のすべて | 中原中也/生前発表詩篇 | 中原中也/絶唱「在りし日の歌」 | 中原中也/芸術論覚書 | 戦後詩の海へ/茨木のり子の案内で/山之口貘 | 戦後詩の海へ/茨木のり子の案内で/岸田衿子 | 戦後詩の海へ/茨木のり子の案内で/滝口雅子 | 戦後詩の海へ/茨木のり子の案内で/石垣りん | 戦後詩の海へ/茨木のり子の案内で/谷川俊太郎 | 戦後詩の海へ/茨木のり子の案内で/高良留美子 | 戦後詩の海へ/茨木のり子の案内で/黒田三郎 | 折りにふれて読む名作・選 | 新川和江・抒情の源流 | 現代詩の証言者・金子光晴を読む | 現代詩の長女/茨木のり子の世界 | 生きているうちに読んでおきたい中也の名作 | 立原道造の詩を読む | 萩原朔太郎「氷島」/賛否両論を読む | 詩と映画と | 面白い!中也の日本語