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カテゴリー「現代詩の証言者・金子光晴を読む」の記事

2015年6月12日 (金)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・金子光晴の「寂しさの歌」再3

(前回からつづく)

 

貧困のさびしさ、世界で一流国とは認められないさびしさに、耐えきれなかった心たちを、上手に釣られ一にぎりの指導者たちに組織され、内部で解決すべきものから目をそらさされ、他国であばれればいつの日か良いくらしをつかめると死にものぐるいになったのだ
(岩波ジュニア新書「詩のこころを読む」)

――と茨木のり子が記した「上手に釣られ」の「釣られ」という言葉は

「寂しさの歌」の最終連(第4連)の冒頭に、

 

遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。

君達のせいじゃない。僕のせいでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。

寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあって、旗のなびく方へ、

母や妻をふりすててまで出発したのだ。

かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、

風にそよぐ民くさになって。

 

――とある「寂しさの釣出し」を受けたものです。

 

 

上手に釣られ、組織されたのは、

貧しさゆえのさびしさや

一流国と認められないさびしさが狙われたもの。

 

丁度、エサで魚が釣られるように

さびしさが釣り出しに利用された。

 

エサに釣られてパクリとやる呼吸で

他国を攻めた戦争。

――と、釣る人間、釣られる魚、そして釣られる人間の関係を金子光晴の詩に読みました。

 

 

茨木のり子は「釣出し」を噛み砕いて

さらに卑近な例をあげます。

 

 

さびしさにいたたまれなくなって、

友人に電話して声をききたくなったり、

旅に出たり、

衝動買いをしてしまったり、

……というような身近な例。

 

そういうことなら自分を許してあげることができますが

もっと大事なことで決断する時、

出所進退を明らかにしなければならない時、

そんな時こそ注意しなくちゃ。

 

寂しさの釣出しは

まずおいしいエサとして目の前にぶら下げられるので

パクリとやってしまいますしね。

 

いつも戦争という形でやってくるものでもないので

油断できませんよ。

――と(こんな詠嘆詞を使っていませんが)

語りかけるような口調で述べています。

 

 

「寂しさの歌」はエンディング(結部)に差し掛かり

詩人が孤絶する中で最も強く感じていた本当の寂しさについて

次のように吐露(とろ)します。

 

 

僕、僕がいま、ほんとうに寂しがっている寂しさは、

この零落の方向とは反対に、

ひとりふみとどまって、寂しさの根元をがっきとつきとめようとして、世界といっし

ょに歩いているたった一人の意欲も僕のまわりに感じられない、そのことだ。その

ことだけなのだ。 

(昭和20・5・5 端午の日)

 

 

第1連、第2連、第3連、そして第4連と歌われてきた

寂しさの風景と

第4連の最終節で歌われる寂しさとは

まったく異なる寂しさがここで歌われているように見えます。

 

そうだとすれば

詩人は同じ仲間の詩人たちや

詩人でなくとも知識人・文化人のことを嘆いたのでしょうか?

 

 

そのように読むことは大いに可能で

この詩が終わって

末尾に「昭和20・5・5 端午の日」とある日付が

そのことを語って余りあるからです。

 

この日付の日に

敗戦の色は濃かったのですし

戦争の原因となり動力となった寂しさの風景は

もはやすでに後の祭り。

 

そんな寂しさなんか、今はなんでもない寂しさであったのですし

やがては終わるであろう戦争の根っ子にあるものは

これからもあり続けるのであろうし

そのことを「がっき」と受け止めて

世界の人々とともに歩んでいこうとする意欲のあるものが

僕の周辺には今いない、

そのことが寂しい――。

 

ここに唐突な感じで現れる「世界」は

「日本」の彼方にあるものであることは疑うことができませんから

それは「西洋」と読み替えてもよい彼方を指します。

そう読んでもおかしくありませんし 

戦争が終わって後のこの国の風景をも

最終連のこの最終句は見透かしているのかもしれません。

 

 

国家に言及した冒頭のニーチェのエピグラフ(序詞)に呼応する最終句を

茨木のり子はキャッチしたのでしょう。

 

パスポートなしでどんなところにも行ける

はるか彼方を夢みさせてくれる詩であることを述べて

「寂しさの歌」を読み終えます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

2015年6月10日 (水)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・金子光晴の「寂しさの歌」再2

(前回からつづく)

 

「詩のこころを読む」で茨木のり子はどのようなことを記しているのか

――という角度に絞って

 ようやく「寂しさの歌」へアクセスすることができる段取りになりました。

 

 

茨木のり子が「最晩年」を書いたのは1975年。

「詩のこころを読む」を書いたのは1979年。

 

 

ということは

 「共同体」という言葉を金子光晴が呟いたのを聞いた時が先で

 「詩のこころを読む」を書く頭の中には

 このことが意識されていたということになりそうですが 

「共同体」の言葉は現れません。

 

では

茨木のり子は「寂しさの歌」」をどのように読んだか――。

 

 

戦争によって損なわれた青春については

胸にわだかまるものが積もりに積もっていて

書きたいこと、吐き出してしまいことは渦巻いていたに違いませんし

だから(と断言してよいでしょう)

「詩」へ向かったのでしょうし

「わたしが一番きれいだったとき」や「根府川の海」のような詩を書き

「はたちが敗戦」のようなエッセイを書いたのでしょうが

詩やエッセイを書いても

戦争とは何だったのかについての思索は完成されなかったのでしょう。

 

 

そのようなときに

「詩のこころを読む」を書く機会を得て

これは初心者向けの案内という性格でしたから

できるだけわかり易く噛み砕いて

 読む人に伝えなければならないという目的に加えて

 (私の)戦争とはどんなことだったのかを

あらためて茨木のり子に考えさせるところとなったのです。

 

そこで即座に現れたのが

金子光晴でした。

 

 

ずいぶんと色々なことを書こうとしている様子がありますが

ここで読んでおきたいところは一つです。

 

かんたんに贋金(にせがね)をつかんでしまう日本人の心の風景――その心臓部を射ぬいている

――と「寂しさの歌」を読むところです。

 

 

 

第2次世界大戦時における日本とは何だったのか、なぜ戦争をしたのか、その理由が本を読んでも記録をみても私にはよくわかりません。

頭でもわからないし、まして胸にストンと落ちる納得のしかたができませんでした。

――という2行にはじまり、

東洋各国との戦争は侵略であることがはっきりしましたが、アメリカとの戦いは結局なんだったのか、原爆をおとされたことで被害国でもあり、全体は実に錯綜(さくそう)しています。そんなわけのわからないもののために、私の青春時代を空費させられてしまったこと、いい青年たちがたくさん死んでしまったこと、腹がたつばかりです。

――と続け、

 

私の子供の頃には、娘をつぎつぎ売らなければ生きていけない農村社会があり、人の恐れる軍隊が天国のように居心地よく思われるほどの貧しい階層があり、うらぶれた貧困の寂しさが逆流、血路をもとめたのが戦争だったのでしょうか。

 

貧困のさびしさ、世界で一流国とは認められないさびしさに、耐えきれなかった心たちを、上手に釣られ一にぎりの指導者たちに組織され、内部で解決すべきものから目をそらさされ、他国であばれればいつの日か良いくらしをつかめると死にものぐるいになったのだ、と考えたとき、私の経験した戦争(12歳から20歳まで)の意味がようやくなんとか胸に落ちたのでした。

――と締めくくったところです。

 

 

 

この、最後の行の、

 私の経験した戦争(12歳から20歳まで)の意味がようやくなんとか胸に落ちたのでした。

――というところ。

 

ここが大事です。

この1行が茨木のり子の金子光晴との出逢いの意味の全てです。

 

 

私の青春を奪った戦争とは何だったのか――。

 

本や記録を読んでもわからなかったことが

金子光晴の詩を読んで

胸に落ちた、と茨木のり子は書いたのです。

 

その詩の一つが「寂しさの歌」でした。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 「寂しさの歌」は、

 即興的ではありましたがかなりじっくりと読みましたから

 蛇足ながらその記事へリンクしておきます。

 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・金子光晴の「寂しさの歌

 

2015年6月 5日 (金)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・金子光晴の「寂しさの歌」再1

(前回からつづく)

 

茨木のり子には「はたちが敗戦」というエッセイがあり

この詩人の輪郭(りんかく)をくっきりとさせるものの一つとしてとりわけ有名です。

 

「茨木のり子集 言の葉Ⅰ」(ちくま文庫)で読むことができますが

同文庫の巻末資料「初出一覧」には

たいまつ新書36「ストッキングであるく時」(堀場清子編、1978・5)への書き下ろしとありますから

純然たる詩誌への発表ではなかったことが理解できます。

 

この新書を読んでいませんからはっきり言えませんが

戦争で失われた青春を敗戦と同時に取り戻した

――といった内容のアンソロジーと想像できますから

茨木のり子にぴったりしたテーマだったのでしょう。

 

茨木のり子という詩人が

そのように位置づけられて

詩誌以外のメディアに登場したことを示しているものと見てよいはずです。

 

 

その「はたちが敗戦」の中に

薬剤師への道を捨てて戯曲作家を志し

その後、詩の道へ転じた経緯(いきさつ)が書かれてあります。

 

 

茨木のり子は

昭和21年にあった読売新聞の「戯曲」募集に応募し

選外佳作に選ばれたのですが

これをきっかけに新劇女優・山本安英と相知ることになり

多くの芝居を見、戯曲を読む中で

詩を勉強しようと決意します。

 

なぜ詩だったのか。

 

そこのところは

茨木のり子自身の言葉で読んでおかないといけません。

 

 

沢山の芝居を観、戯曲を読むうち、台詞の言葉がなぜか物足らないものに思えてきた。生意気にもそれは台詞の中の<詩>の欠如に思われてきたのである。詩を本格的に勉強してみよう、それからだなどと詩関係の本を漁るうち、金子光晴氏の詩に出逢った。

(ちくま文庫「はたちが敗戦」より。)

 

 

戯曲(台詞で作られている)の中の「詩の欠如」が

詩人・茨木のり子のモチベーションとなったのでした。

 

 

急ぎ足で書かれてあるせいか

詩誌への発表ではないせいか

回想であり整理されてあるせいか

余計なことはちっとも書かずに

山本安英と金子光晴の二人の固有名だけにズバリ触れているところは

いかにも茨木のり子らしいところですが

詩人として出発しようとしていたまさにこの時に

自然に金子光晴の名があげられているところに

驚きを感じる人は多いことではないでしょうか。

 

 

驚こうと驚くまいと

茨木のり子は詩を書こうとしていた当初に

金子光晴の詩に出会ったのでした。

その詩が実際にはどの詩であったか
「金子光晴――その言葉たち」(1972年5月「ユリイカ」)などに
若干、具体例が記されていますが
それは記憶に残った一部の詩であることでしょう。

中に「洪水」の6行が引用されているところがありますから
詩集「落下傘」を読んだことは間違いありません。

「寂しさの歌」も
この時に目を通したことも容易に想像できます。

 

 

「落下傘」の最終詩「寂しさの歌」を

茨木のり子はどう読んだか。

 

ようやく

そこへ辿りつきました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月28日 (木)

金子光晴「落下傘」の時代・茨木のり子の「最晩年」その2

(前回からつづく)

 

金子光晴は戦争が終わってから

立て続けに詩集を幾つか刊行します。

 

「落下傘」(1948年)

「蛾」(同)

「女たちのエレジー」(1949年)

「鬼の児の唄」(同)です。

 

読んでみないことには

これらの詩集の内容を比較することはできませんが

「落下傘」は日中戦争がはじめられ太平洋戦争が終わるまでの

戦争真っ只中に書かれた詩を集めたものであり

しかも戦争を真っ向から批判しているところに

めまいを覚えるような斬新さ(鮮烈さ)があります。

 

 

すべて発表の目的をもって書かれ

実際にこの詩集のおよそ半分が発表されたと詩人自らが「跋」に記す詩篇は

象徴主義の詩法が色濃いものとはいえ

よくも権力の網の目にかからないでいられたものと

驚かざるを得ません。

 

(同じ「跋」に、「犬等5篇は、雑誌社から返された。」と記したのは、自主規制へのイロニーなのでしょうか。)

 

 

茨木のり子はこのあたりのところを

見つかれば死刑という状態でこれらの詩を書きついでいました。

――とズバリとシンプルにコメントしています。

(「詩のこころを読む」)

 

 

詩集タイトルが

鮫でもなく蛾でもなく落下傘とされたのは

戦後だからできたことなのかもしれませんが

詩篇単体には「落下傘」もあり

「真珠湾」もあったのですから

目をつけられなかったはずがありません。

 

詩集題を「落下傘」とネーミングしたのには

ほかのタイトルにしなかった理由があったからのことでしょう。

 

 

共同体など信じていなかったのが金子さんではなかったか。

――と茨木のり子が「最晩年」で記した自身の感慨(認識)は

多くの金子光晴の読者の感慨(認識)でもあったはずでしょう。

 

もしも茨木のり子によるこの記述がなかったら

その感慨(認識)は

ずっとそのままであり続けていたのかもしれない。

 

そのことを感じて

茨木のり子のこの記述は残されたのですから

やっぱり感受性の詩人です。

 

感受性とは勇敢なことです。

 

歯に衣を着せず

歯切れのよいことです。

 

 

というわけですから

詩集「落下傘」からもう1篇を読みたくなりました。

 

「湾」は

「真珠湾」に続き詩集の3番目に配置されています。

 

 

 

 

ピストルを食べよう。

春の早蕨(さわらび)のような、

 

風は爽やかに

湾を吹いて、

漣立つ

光はうつらうつら。

君よ。きょうはなにごともなしというか。

心は凪ぎ

世はやすらけく

幸福ゆえに、時はひまどるとおもうのか。

 

とどろきをきこう。

さあ、目をとじて、

 

蒼穹の奥の

いずくのはてにか

巨砲巨艦がむらがり立ち

天に朝するそのもの音を。

 

 

君よ。

ここにあるものは、もはや風景ではない。

それは要塞。

 

光でいぶる灌木林のかげに隠見する

島嶼(とうしょ)は、布陣。

地平は、音のないいかずち、

砲口の唸(うなり)で埋まる。

 

もはや、戦場ならぬ寸土もない。

一そよぎの草も

動員されているのだ。

 

地を這う虫にも

死と破滅が言渡される。

 

ここにある分秒は

刻々の対峙なのだ。

 

なんというきびしい

いたましい景観だ。

 

文明と権力を一元した

息もつまるこの静謐。

 

君よ。それでも猶、

きょうを無為だというか。

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に変え、適宜、ルビを加えました。編者。)

 

 

ここに歌われる風景を

共同体の風景を思い描きながら読むことは

それほど無理なことではなさそうです。

 

すでにその風景は失われ

要塞と化していますが。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月25日 (月)

金子光晴「落下傘」の時代・茨木のり子の「最晩年」

(前回からつづく)

 

茨木のり子に「最晩年」というエッセイがあります。

 

「現代詩手帖」の「追悼特集・金子光晴」(1975年9月初出)に寄せたものですが

中に印象に残る記述がこのエッセイの結びにあり

いま「落下傘」の鑑賞を離れるにあたって

不意に思い出されて

どうしても紹介したくなりました。

 

 

「最晩年」とは

茨木のり子が

夫、安信の死に続いた金子光晴の死のことを

ともどもに回想し記録したことから命名された

エッセイのタイトルです。

 

二人の死は

1975年4月18日にあった山本安英の会主催の「ことばの勉強会」の模様から

説き起こされます。

 

金子光晴、谷川俊太郎と茨木のり子による鼎談が

岩波ビル9階会議室でこの日行われ

200人あまりの聴衆の熱気で溢れた今や歴史的なシーンですが

その翌日、病床にあった茨木の夫・安信の容態が急変し

肝臓癌が発見された末

およそ1か月後に他界してしまいます。

 

鼎談の内容や

帰り道での金子の様子、

小康を得た夫に金子の近況を語って聞かせる様子など

茨木の散文の筆先は冴えに冴え

息を飲む場面が続きますが

夫の告別式を済ませた茨木に金子光晴がふっと漏らした言葉を

このエッセイは書きとどめたのです。

 

「最晩年」は

「茨木のり子集 言の葉2」(ちくま文庫)に収められています。

 

 

足の悪い金子さんは骨箱の前に座り遺影に見入り「幾つ? ふうん、56ねえ、仏式でもないようですね」無宗教でやった告別式の残影をちらちら眺め、鉦もならさず線香も立てず、合掌もされなかった。「いま花屋から花が届きますからね、<いささか>からのいささかの志です」

 

 「いささか」というのは金子光晴、中島可一郎、岩田宏、私とで2号迄出していた小詩誌の名である。香奠を供えてふっと私のほうを振りかえり、「いまは八方ふさがりに思うでしょうが、そんなことは何でもないの、心配しなくっていいの、僕だって八方ふさがりばかりだったけどね、こうして生きてきたんだから。その人間になんらかの美点があれば、かならず共同体が助けてくれるもンです」ふしぎなことを聞くものかな。

(※改行を加え、洋数字に変換しました。編者。)

 

 

――とここまでを引用して来たブログ編者は

ここで引用を打ち切って

金子光晴の共同体意識について感想なり意見なりを述べたいところですが

それよりもこの件(くだり)に続けられる部分に

気を惹かれるところなのです。

 

 

 私のカランとした頭はそう思っていた。共同体など信じていなかったのが金子さんではなかったか。しかし時が経って何度か反芻するうち、やっぱりこの中には彼の人間認識なり哲学なりがかっきり嵌め込まれてるのを感じ、自分一人の所有にしておくことは勿体ないと思われてくる。私以上に打ちのめされている人も多い筈である。風のように軽い、そして体験の裏打ちのある故にずしりと重くもあるこの言葉を、敢えて書き記しておくことにする。

 

 それだけ言うと、ひらりと身をかわすように帰ろうとされた。(後略)

 

 

共同体という言葉を残して

茨木宅を後にした5月末から1か月後の6月30日に

金子光晴の訃報が茨木のり子にもたらされますから

これが最後に聞いた言葉になりました。

 

 

詩集「落下傘」に充満する日本主義への痛烈な批判を読んできた者には

もう一度、この詩集を読み返してみることを薦めているような

詩人・茨木のり子のエッセイではありませんか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月20日 (水)

金子光晴「落下傘」の時代・「鷹」その2

(前回からつづく)

 

正覚坊(しょうがくぼう)はアオウミガメのことですが

大酒飲みの意味を持ちます。

 

 

大酒のみが

海の藻くずにからまれ浮いたり沈んだりしているように

わが地球よ!

頭から血のぼろを浴びて、何度流転しなければならないのだ。

 

空で繰り広げられる死の恐怖を見上げて暮らす人々に

安堵はなく、まるでツンドラにでも起き伏しするようだ。

 

なぜ人は鷹を放したのだ。

その日から、人は天の高さを失った。

自分の放した猛鳥の影に脅えて、さすらうのだ。。

 

 

分別というものを誰も持たない。

泥まみれの奴らが、爆弾で開けられた大穴の周りに集まり

殺人(むごたらしさ)の新兵器とばかりに楽しんでいる(図)。

 

血の滲んだ剥がれ雲よ。

 

剥がれ雲は、はぐれ雲にかなり近い雲でしょうか。

大きな雲から剥がれて、孤立した状態の雲か。

 

鷹の比喩ではなく

人間の比喩でしょうか。

 

 

胃袋までもとりあげられて

呆然と

なすところをしらない人間よ。

 

(食べる元気も奪われて

自分を見失い

何をしてよいかわからないでいる人間よ)

 

 

 

怖れる馬鹿があるか!

もともと、おまえたちがはじめたことじゃないか!

 

ふるえるな。

みっともない。

 

おまえたちが加担して、

人の夫や人の子を戦争に追いやったんじゃないか!

 

 

おまえたちの手で空へ放たれて

すでに戻ることのできないのを

気づかないもの。

いたいけなもの。

 

鷹――。

 

 

ヨーグルトかなにか乳酸のように

空を濁(にご)す。

 

(のすり)だ!

隼(はやぶさ)だ!

 

 

天翔(あまがけ)る鷹が

青空を汚していく。

 

空から

美しいものが消え失せ

鷹が飛ぶたびに

死が飛翔するように

詩人の眼には見えたのでしょう。

 

憤懣の詩です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2015年5月19日 (火)

金子光晴「落下傘」の時代・「鷹」その1

(前回からつづく)

 

振り返れば

全22篇の詩を

「寂しさの歌」(22番)

「短章三篇」(11番)

「落下傘」(7番)

「風景」(5番)

「真珠湾」(2番)

「さくら」(18番)

――とアトランダムに拾って読んできました。

(※番号は詩集の配列順序で、読んだ順ではありません。)

 

なんの脈絡もないようですが

読んだ詩のイメージがすんなりと思い返せるのは

それぞれの詩が歌う風景が鮮烈だからでしょうか。

 

 

「――東京の廃墟に立って」を次に読むつもりでしたが

「鷹」の風景にも

触れてみたくなりました。

 

 

 

 

あのそらの奥の天国は

こわれちゃった!

 

あそこはいまいちめんに

青草がざわめいている。

 

あの青さは凍りついて

魚一尾棲めない。

ひっつったような湖面の光

 

芝居の小道具のように

どっかのすみへ忘られて

ほこりをかぶって

面やつれした

月や星。

 

その空のまんなかへ舞いあがる鷹!

義眼(いれめ)をした蒼鷹!

 

鉤(かぎ)なりの嘴につららをさげた

硝子のような

透明な大鷹!

 

もはや、あの天は、救いをもとめて

人がみあげる神座ではない。

 

あれは、重たいふた石だ。

磨ぎあげた

首斬刀(くびきりがたな)だ。

あれをみているといらいらする。

澄んでなんかいるものか。

酢のようにとごってるじゃないか。

 

あのむなしさを一ぱいにしてるのは鷂(はいたか)らの

死の飛翔だ。

羽ばたきの恐怖だ。

 

 

藻くずをかついで浮きつしずみつしている正覚坊のように、

地球よ。頭から血ぼろを浴びて、何度流転しなければならないのだ。

 

空の恐怖をみあげてくらす人々に、安堵はなく、まるで凍土帯にでも起伏するようだ。

なぜ人は鷹を放した。その日から人は天の高さを失い、じぶんの放した猛鳥の影に脅えて、さすらうのだ。

 

分別らしいものは誰ももっていない。泥まみれな奴らが、爆弾で穿(うが)たれた大穴のまわりにあつまり、

斬新なむごたらしさの到来をたのしんでいる。

 

血のにじんだ

剥がれ雲よ。

胃袋までもとりあげられて

呆然と

なすところをしらない人間よ。

怖れる馬鹿があるか。もともと、

おまえたちがはじめたことじゃないか。

ふるえるな。みっともない。

おまえたちが加擔して、

人の夫を、人の子を戦争に追いやったんじゃないか。

 

おまえたちの手で空へ放たれて

すでに戻ることのできないのを

気づかないもの。

いたいけなもの。

 

酸乳のように空をかきにごす

(のりす=ママ)だ!

隼(はやぶさ)だ!

 

                    昭和20・5月。特別攻撃隊のニュースをきいて憤懣やる方なく。

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に改め、適宜、ルビを加えました。編者。)

 

 

「一」に出てくる「とごってる」は

「にごってる」の誤植ではありません。

「濁(にご)る」「沈殿する」という意味の方言です。

 

末尾の鵟(のりす)とあるルビは

「のすり」の間違いらしい。

 

鷂(はいたか)と同じ猛禽類で、

日本ではトビについでふつうに見られるタカ。

 

 

冒頭、「こわれちゃった!」とあるのは

冷笑して落着いている感情というより

爆発的な気持ちを伝えるものでしょう。

 

憤懣は、それでも抑制されているか。

 

空が、

それまでの天国の空ではなくなってしまったのを

慨嘆(がいたん)しているのです。

 

 

いま空は、一面に青草がざわめいている。

――と青空に異変が起きていることから歌い出されるのですが

その青空はすぐに海に変わります。




青は凍りつき

魚一尾も生きられない。

湖面の光は引きつっている。

 

月や星も。

 

芝居の小道具のように

どっかの隅に忘れられて

埃(ほこり)をかぶって

面(おも)やつれしてしまった。

 

 

その空へ鷹!

義眼(いれめ)をした蒼鷹(あおたか)!

 

くちばしに氷柱(つらら)をさげた

硝子(ガラス)のような

透明な大鷹!

 

 

自爆攻撃がこの時行われたのか。

決死の突撃機が鷹に見立てられました。

 

 

空は、もはや、救いをもとめて

人がみあげる神座、天国ではない。

 

重たいふた石だ。

 

磨(と)ぎあげた

首斬刀(くびきりがたな)だ。

 

あれをみているといらいらする。

 

澄んでなんかいるものか。

酢のようにとごってるじゃないか。

 

 

空をむなしさで満たす。

死の飛翔。

鷹。

 

 

特攻機の飛ぶ空は

とごってる(=にごってる)のです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月17日 (日)

金子光晴「落下傘」の時代・「さくら」その2

(前回からつづく)

 

「さくら」は

「二」に入ると男が現れます。

 

戦争から帰って来た男たちですが

その男たちは豹変(ひょうへん)したかのように

放蕩者(ほうとうもの)が放蕩者ではなくなっています。

 

根性が変りでもしたかのように

大和心(やまとごころ)の衣(ころも)をかぶった男になるのです。

 

 

同時に、あの弱々しかった女たちは

軍神の母になり、銃後の妻に成り変わります。

 

 

時あたかも桜花真っ盛り。

 

(出征する兵士を送る)

涙を太陽の光が祝福する。

 

 

ちりばめる螺鈿(らでん)、

落花の卍(まんじ)、

こずえを嵐のわたるときは、ねりあるく白象かともながめられ、

――というのはいずれも桜花の姿態か。

 

巨大なさくらが花吹雪を飛ばし

散り乱れ

枝々を春嵐が吹く様は

白象が練り歩く姿に見まごう(美しさ)。

 

 

桜花の向こうに聳える天守閣。

――という絵葉書のステレオタイプに

胸おどらせて、飽きもせず人は言う。

さくらは、お国とともにある人ごころだ、と。

 

 

(そうだろか?)

におやかなさくらしぐれに肌をうずめて

馬鹿な私は、うっとりとして、ただ思います。

 

桜花の中を泳ぎながら

思うことは淫(みだ)らなことばかり。

 

雪のように散り舞う鼻紙。

ぬけ毛。

落ち櫛。

あぶらのういた化粧のにごり水。

ふまれたさくら。

泥になったさくら。

 

みんな同じじゃないか。

 

 

ここは

美しいばかりではない桜の

ありのままの姿を受け入れる自然な感じ方を

痴れ者(馬鹿)の私に語らせるヤマです。

 

 

鼻紙(はながみ)や

脱け毛や

落ち櫛や

あぶらのういた化粧のにごり水や

……が

生存の必然であるのと同じように

踏まれたり、泥になったりするさくらもまた

さくら。

 

生存は美しいばかりではない。

美しくあらんとする観念の以前に

生きるために格闘するのだし

万物はやがては死を迎える

――ということまでは歌っていないのかもしれませんが

生きることの内実から眼をそむけて

見失うものがあることへの注意を呼びかけていることは確かでしょう。

 

もののあわれを観念の死へとショート(短絡)

美化する危なさ。

  

 

さくらよ。

だまされるな。

 

あすのたくわえもないという

さくらよ。

 

忘れても、

世の俗説にのせられて

烈女節婦となるな。

 

散り際がよいとおだてられて、

女のほこり、よろこびを、

かなぐりすてるな。

 

汚いもんぺをはくな。

 



最後には

「さくら」は女を励ます歌のようになりますが

その女の背後には同じ道を行く男の存在があることを

読み取らねばならないようです。

 

男よ!

女にもんぺをはかすな、と。 

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2015年5月16日 (土)

金子光晴「落下傘」の時代・「さくら」その1

(前回からつづく)

 

「さくら」は

詩集末尾の「寂しさの歌」から数えて5番目に配置されていて

末尾に昭和19・5・5の日付のある詩。

 

続く「鷹」の末尾には、

昭和20・5月。特別攻撃隊のニュースをきいて憤懣やる方なく。

――とあり、

続く「――東京の廃墟に立って」は、

昭和20・6・20。

 

「わが生に与う」に日付はなく

「寂しさの歌」に、

昭和20・5・5 端午の日

――と詩集の結びに入って記録の傾向がやや強調されたのか

その意図はなかったのか。

 

 

桜花(さくら)が

女性そのものとして歌われ出すのに

抵抗感はなく自然なのは

象徴詩法の世界に馴染(なじ)んだからでしょうか。

 

 

さくら

 

 

おしろいくずれ、

紅のよごれの

うす花桜。

 

酔わされたんだよう。

これもみすぎ世すぎさ。

 

あそばれたままの、しどけなさ。

雨にうたれ、色も褪(さ)めて、

汗あぶら、よごれたままでよこたわる

雲よりもおおきな身の疲憊(つかれ)よ。

 

女はなんたる弱いものだろう。

 

家柄とあい性でむすばれる

よい花嫁。

しきたりのまえの伏し目がち。

鉄気くさい貞操、女 今川。

水仕業、ぬい針、世帯やつれて、

あるいは親たちのために身うりして、

あるいは愛するがゆえにしりぞいて、

あきらめに生きる心根のいじらしさ。

 

それこそは、花の花。

花の下の小ぐらさ。哀しい仄(ほの)明かり。

 

近々と花はおもてをよせながら

かたらいもえで

はやちりかかる風情。

 

染井、よし野。

遠山桜。

糸ざくら。

 

ことしの春を送る花。

この国のやさしい女たちの

いのちのかぎり、悔もなく

天にも地にも咲映えて。

 

八重一重

手鞠(てまり)、緋ざくら、

遅桜。

 

 

戦争がはじまってから男たちは、放蕩ものが生まれかわったように戻ってきた。

敷島のやまとごごろへ。

 

あの弱々しい女たちは、軍神の母、銃後の妻。

 

日本は桜のまっ盛り。

 

涙をかざる陽の光、

 

ちりばめる螺鈿(らでん)、落花の卍、こずえを嵐のわたるときは、ねりあるく白象かともながめられ、

 

花にうく天守閣。――その一枚のえはがきにも

胸おどらせて、人はいう。

さくらは、みくにのひとごごろと。

 

におやかなさくらしぐれに肌うずもれて

世のしれものの私は、陶然として、

ただおもう。

 

さくらのなかをおよぎながら

おもうことは淫らなことばかり。

雪とちりまう鼻紙よ

ぬけ毛、落ち櫛、

あぶらのういた化粧のにごり水。

ふまれたさくら。

泥になったさくら。

 

さくらよ。

だまされるな。

あすのたくわえなしという

さくらよ。忘れても、

世の俗説にのせられて

烈女節婦となるなかれ。

 

ちり際よしとおだてられて、

女のほこり、よろこびを、

かなぐりすてることなかれ。

きたないもんぺをはくなかれ。

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に改め、適宜、ルビを加えました。編者。)

 

 

化粧の白が崩れ

口紅は乱れる

うす花桜の女。

 

うす花桜は

咲き初めというより

盛りをすぎてうすら白くなった桜でしょうか。

 

 

酔わされたんだ。

みすぎ世すぎのためなのさ。

 

あそばれて、しどけなく。

雨にうたれ、色も褪(さ)めて、

汗あぶら、よごれたままでよこたわっている

雲よりも大きい疲れ。

 

汚れたままで横たわっている

――のは桜ですが女でもあります。

 

疲れをためた女の存在が

この詩行によって

ブローアップされます。

 

 

詩人は

女がそこに存在するかのように

さくらを見ています。

 

 

その女は

なんと弱いものか。

 

家柄とあい性でむすばれる花嫁。

 

しきたりの伏し目。

 

鉄気くさいの鉄気は、「かなけ」「かなっけ」か?

 

堅苦しく貞操を守ろうとし

教訓書「女今川」のいう通りに

生きようとする。

 

水仕業(水仕事)や、ぬい針やで、世帯やつれして、

あるいは親たちのためにと説き伏されて身売りして、

あるいは愛するがゆえにと思わされて身を引いて、

あきらめに生きる心根がいじらしい。

 

 

これが、花の中の花。

 

花の小ぐらさだ。

哀しい仄(ほの)明かりだ。

 

 

近々と花(女)はおもて(顔)を寄せながら

語らいもえで(語らって燃えもせず?)

早くも散りかかる風情(様子)である。

 

染井、よし野。

遠山桜。

糸ざくら。

……。

 

色々な姿態(すがた)を見せて。

 

 

ことしの春を送る花。

 

この国のやさしい女たちは

いのちのかぎり、悔いもなく

天にも地にも咲き映える。

 

八重一重

手鞠(てまり)、

緋ざくら、

遅桜。

……

色々に形を変えて。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月13日 (水)

金子光晴「落下傘」の時代・「真珠湾」その2

(前回からつづく)

 

金子光晴は、

1929年(34歳)と1932年(37歳)にマレー周辺を放浪に似た旅をした詩人ですから

勘のようなものがあって

日本が真珠湾を攻めるということを予感していたのでしょうか。

 

太平洋戦争は

マレー作戦に続いて行われた南方作戦の早い時期の実践でしたから

ハワイ作戦がくっきりと見えていたのかもしれません。

 

 

南方放浪の中で

日本軍がハワイあたりを狙うであろうことを自然に感じていたということは

分かる気がしますが

それにしても「真珠湾」は奇跡のような詩です。

 

 

なんら戦争らしきものは明示されていません。

 

あっても

ことごとくが暗喩です。

 

 

くらやみのなかで草木までが咬みあう

 

いのちあるものも、ないものもみな、ぶざまに、虫けらのように匍出す

 

平安の海は均衡を失ってなだれ、

舟足はたゆたい、ゆく先が絶壁なしてきって落され、

舟もろともにいまにも落込むか

 

波のこげるにおい

 

鍋や皿のぶつかる音

 

……。

 

詩の後半部「二」のこれらの詩行が

ふとランボーの「酔いどれ船」を想起させるし

戦争のメタファーであることを思わせますが

断定もできません。

 

 

でも

詩集「落下傘」の冒頭2番目に配置されているのです。

 

冒頭詩は「あけがたの歌 序詩」ですから

詩集編集のための戦略的配置の意味があることを考えれば

「真珠湾」は1番詩とみなしてもよい詩なのです。

 

戦争以外の暗喩であろうはずがないのです。

 

 

白日夢のようなまばゆさの真芯が地獄と化す

――というような事件を

この詩に読んで大いに可能であると言わざるを得ません。

 

満ち溢れる光と歓喜のアポロンの島に

突如として訪れる「無意味」。

 

この「無意味」はしかし……。

 

私(僕)のこころの風景をゆきすぎる「無意味」であり

末行で

絶望に似た安堵

しらじらしさ

――と結ばれる果てしない寂寥感をともなうものでした。

 

後になって

詩人は真珠湾攻撃のニュースを聞いたときの様子を

回想記に記します。

 

 

自叙伝「詩人」は1956年に詩誌「ユリイカ」に書きはじめたものを

翌57年に単行発行した回想記ですが

中に真珠湾攻撃のことが当然ながら記録されているところがあります。

 

先に日本主義の研究にとりかかった頃のことを紹介し

宣長(のりなが)、篤胤(あつたね)、佐藤信淵(のぶひろ)などを読みはじめたと記された

その続きに書かれています。

 

 

其頃、不拡大方針をうたっていた戦争は、底なし沼に足をつっこんで、12月8日、ラジオは、真珠湾奇襲を報道した。僕の一家が、そのとき、吉祥寺1831番地の家へ移ってまもなくであった。母親も、子供も、ラジオの前で、名状できない深刻な表情をして黙っていた。

 

「馬鹿野郎だ!」

 

 噛んで吐き出すように僕が叫んだ。戦争が不利だという見通しをつけたからではなく、まだ、当分この戦争がつづくといううっとうしさからであった。どうにも持ってゆきどころがない腹立たしさなので、僕は布団をかぶってねてしまった。「混同秘策」がはじまったのだ。

 

丁度、その日、新劇に出ていた元左翼の女優さんだった女の人がとびこんできて、

「東条さん激励の会を私たちでつくっているのよ」

 と、いかにも同意を期待するように、興奮して語った。東条英機は、女たちの人気スターになっていたのだ。

 

僕は床のなかで、その話をききながら眼をとじた。国土といっしょにそのまま、漂流しているような孤独感――無人の寂寥に似たものを心が味わっていた。

(略)

 

(旺文社文庫「詩人」より。改行・行空きを加えてあります。編者。)

 

 

※「混同秘策」は佐藤信淵の著作です。

 

 

これは作品「真珠湾」への記述ではありません。

 

「真珠湾」が作られた動機を

この記述は何も語っていませんが

最後の行で述べられた「無人の寂寥」という孤独感は

「真珠湾」の「無意味」とまっすぐに繋がっているもののように思えてなりません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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