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2019年8月15日 (木)

金子光晴「寂しさの歌」を読む/終戦記念日に寄せて

今日は2019年の8月15日です。
日本の敗戦が決まった日から
74年目になります。

この戦争の日本人の死者は
300万人を超えました。

日本が侵略したアジア太平洋ほか
世界各地の被害は
測り知れない数に及びます。

戦争は
人が生きている間に味わう
最も悲惨で愚かな行いですが
生きている間に
人は本当に知ることがあるでしょうか。

毎年この日を迎える度に
戦争のことを考えるのですが
日本の詩人、金子光晴が作った「寂しさの歌」は
僕たちの暮らしの中に始まっている
戦争へのこころに目を向けていて
背筋の伸びる思いをさせてくれます。

今年も
この詩を
読んでみました。
 

寂しさの歌   

国家はすべての冷酷(れいこく)な怪物のうち、もっとも冷酷なものとおも
われる。それは冷たい顔で欺(あざむ)く。欺瞞(ぎまん)はその口から這い出る。
「我国家は民衆である」と。
                     ニーチェ ツァラトゥストラはかく語る。

       一

どっからしみ出してくるんだ。この寂しさのやつは。
夕ぐれに咲き出たような、あの女の肌からか。
あのおもざしからか。うしろ影からか。

糸のようにほそぼそしたこころからか。
そのこころをいざなう
いかにもはかなげな風物からか。

月光。ほのかな障子明(あか)りからか。
ほね立った畳を走る枯葉からか。

その寂しさは、僕らのせすじに這いこみ、
しっ気や、かびのようにしらないまに、
心をくさらせ、膚にしみ出してくる。

金でうられ、金でかわれる女の寂しさだ。
がつがつしたそだちの
みなしごの寂しさだ。

それがみすぎだとおもってるやつの、
おのれをもたない、形代(かたしろ)だけがゆれうごいている寂しさだ。
もとより人は土器(かわらけ)だ、という。

十粒ばかりの洗米(あらいごめ)をのせた皿。
鼠よもぎのあいだに
捨てられた欠(かけ)皿。

寂しさは、そのへんから立ちのぼる。
「無」にかえる生の傍(かたわ)らから、
うらばかりよむ習いの
さぐりあうこころとこころから。

ふるぼけて黄ろくなったものから、褪(あ)せゆくものから、
たとえば 気むずかしい姑めいた家憲から、
すこしづつ、すこしづつ、
寂しさは目に見えずひろがる。
襖(ふすま)や壁の
雨もりのように。
涙じみのように。

寂しさは、目をしばしばやらせる落葉焚くけぶり。
ひそひそと流れる水のながれ。
らくばくとしてゆく季節のうつりかわり、枝のさゆらぎ
石の言葉、老けゆく草の穂。すぎゆくすべてだ。

しらかれた萱菅(かやすげ)の
丈なす群をおし倒して、
寂しさは旅立つ。
つめたい落日の
鰯雲(いわしぐも)。

寂しさは、今夜も宿をもとめて、
とぼとぼとあるく。

夜もすがら山鳴りをききつつ、
ひとり、肘(ひじ)を枕にして、
地酒の徳利をふる音に、ふと、
別れてきた子の泣声をきく。

        二

寂しさに蔽われたこの国土の、ふかい霧のなかから、
僕はうまれた。

山のいただき、峡間を消し、
湖のうえにとぶ霧が
五十年の僕のこしかたと、
ゆく末とをとざしている。

あとから、あとから湧きあがり、閉ざす雲煙とともに、
この国では、
さびしさ丈けがいつも新鮮だ。

この寂しさのなかから人生のほろ甘さをしがみとり、
それをよりどころにして僕らは詩を書いたものだ。

この寂しさのはてに僕らがながめる。桔梗紫苑。
こぼれかかる露もろとも、しだれかかり、手おるがままな女たち。
あきらめのはてに咲く日蔭草。

口紅にのこるにがさ、粉黛(ふんたい)のやつれ。――その寂しさの奥に僕はきく。
衰えはやい女の宿命のくらさから、きこえてくる常念仏を。
……鼻紙に包んだ一にぎりの黒髪。――その髪でつないだ太い毛づな。
この寂しさをふしづけた「吉原筏。」

この寂しさを象眼した百目砲(ひゃくめづつ)。

東も西も海で囲まれて、這い出すすきもないこの国の人たちは、自らをとじこめ、
この国こそまず朝日のさす国と、信じこんだ。

爪楊枝をけずるように、細々と良心をとがらせて、
しなやかな仮名文字につづるもののあはれ。寂しさに千度洗われて、
目もあざやかな歌枕。

象潟(きさがた)や鳰(にお)の海。
羽箒(はぼうき)でえがいた
志賀のさざなみ。

鳥海、羽黒の
雲につき入る峯々、

錫杖(しゃくじょう)のあとに湧出た奇瑞(きずい)の湯。

遠山がすみ、山ざくら、蒔絵螺鈿(らでん)の秋の虫づくし。
この国にみだれ咲く花の友禅もよう。
うつくしいものは惜しむひまなくうつりゆくと、詠嘆をこめて、
いまになお、自然の寂しさを、詩に小説に書きつづる人々。
ほんとうに君の言うとおり、寂しさこそこの国土着の悲しい宿命で、寂しさより他なにものこさない無一物。

だが、寂しさの後は貧困。水田から、うかばれない百姓ぐらしのながい伝統から
無知とあきらめと、卑屈から寂しさはひろがるのだ。

ああ、しかし、僕の寂しさは、
こんな国に僕がうまれあわせたことだ。
この国で育ち、友を作り、
朝は味噌汁にふきのとう、
夕食は、筍(たけのこ)のさんしょうあえの
はげた塗膳(ぬりぜん)に坐ることだ。

そして、やがて老、祖先からうけたこの寂寥を、
子らにゆずり、
櫁(しきみ)の葉のかげに、眠りにゆくこと。

そして僕が死んだあと、五年、十年、百年と、
永恆(えいごう)の末の末までも寂しさがつづき、
地のそこ、海のまわり、列島のはてからはてかけて、
十重に二十重に雲霧をこめ、
たちまち、しぐれ、たちまち、はれ、
うつろいやすいときのまの雲の岐れに、
いつもみずみずしい山や水の傷心おもうとき、
僕は、茫然とする。僕の力はなえしぼむ。

僕はその寂しさを、決して、この国のふるめかしい風物のなかからひろい出したのではない。
洋服をきて、巻きたばこをふかし、西洋の思想を口にする人達のなかにもそっくり同じようにながめるのだ。
よりあいの席でも喫茶店でも、友と話しているときでも断髪の小娘とおどりながらでも、
あの寂しさが人々のからだから湿気のように大きくしみだし、人々のうしろに影をひき、
さら、さら、さらさらと音を立て、あたりにひろがり、あたりにこめて、永恆から永恆へ、ながれはしるのをきいた。

          三

かつてあの寂しさを軽蔑し、毛嫌いしながらも僕は、わが身の一部としてひそかに執着していた。
潮来節を。うらぶれたながしの水調子を。
廓うらのそばあんどんと、しっぽくの湯気を。

立廻り、いなか役者の狂信徒に似た吊上がった眼つき。
万人が戻ってくる茶漬の味、風流。神信心。
どの家にもある糞壺のにおいをつけた人たちが、僕のまわりをゆきかうている。
その人達にとって、どうせ僕も一人なのだが。

僕の坐るむこうの椅子で、珈琲を前に、
僕のよんでる同じ夕刊をその人たちもよむ。
小学校では、おなじ字を教わった。僕らは互いに日本人だったので、
日本人であるより幸はないと教えられた。
(それは結構なことだ。が、少々僕らは正直すぎる。)

僕らのうえには同じように、万世一系の天皇がいます。

ああ、なにからなにまで、いやになるほどこまごまと、僕らは互いににていることか。
膚のいろから、眼つきから、人情から、潔癖から、
僕らの命がお互いに僕らのものでない空無からも、なんと大きな寂しさがふきあげ、
天までふきなびいていることか。

         四

遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。
君達のせいじゃない。僕のせいでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。

寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあって、旗のなびく方へ、
母や妻をふりすててまで出発したのだ。
かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、
風にそよぐ民くさになって。

誰も彼も、区別はない。死ねばいいと教えられたのだ。

ちんぴらで、小心で、好人物な人々は、「天皇」の名で、目先まっくらになって、腕白のようによろこびさわいで出ていった。

だが、銃後ではびくびくもので
あすの白羽の箭(や)を怖れ、
懐疑と不安をむりにおしのけ、
どうせ助からぬ、せめて今日一日を、
ふるまい酒で酔ってすごそうとする。
エゴイズムと、愛情の浅さ。
黙々として忍び、乞食のように、
つながって配給をまつ女たち。
日に日にかなしげになってゆく人々の表情から
国をかたむけた民族の運命の
これほどさしせまった、ふかい寂しさを僕はまだ、生まれてからみたことはなかったのだ。
しかし、もうどうでもいい。僕にとって、そんな寂しさなんか、今は何でもない。

僕、僕がいま、ほんとうに寂しがっている寂しさは、
この零落の方向とは反対に、
ひとりふみとどまって、寂しさの根元をがっきとつきとめようとして、世界といっし
ょに歩いているたった一人の意欲も僕のまわりに感じられない、そのことだ。その
ことだけなのだ。 

                    昭和20・5・5 端午の日)

(「金子光晴全集」第2巻「落下傘」より。読みやすくするために、「新かな」に改めました。編者。)

大河のうねりのように迫力のある長編詩
けれど少しのたるみもなく
読む人を乗せて大海へと流れ入るような感銘をあたえてくれます

――と茨木のり子は
「詩のこころを読む」でこの詩を鑑賞しました。

ここでは
詩行の1行1行にじっくり分け入って
時間をかけて読んでみましょう。

「寂しさの歌」は口語体非定型詩です。

普通の人が経験しない
特別の場所や風習を表わす言葉が
詩語として現われたり
金子光晴独特の用語があったりするために
取っつきにくい部分がありますが
主述関係や文法や
詩行の1行1行や詩語の1語1語(用語)に
意味不明の難解さが多量にあるものではなく
ほとんどが類推(想像)のできる範囲にありますから
わかりやすい詩のうちに入るといえるでしょう。

ただなにぶんにも長いので
読むのに時間がかかりますが
よく読めば
金子光晴固有の
膨大で該博な知識・経験が織り込まれているので
それだけを読みこなすうちに
いつしか身も心も
独特の詩世界に浸っていることになります。

構成も4節の起承転結が比較的に明確です。

ニーチェの「ツアラトストラ――」がプロローグに配置されたところくらいが
仰々しいといえば仰々しい印象ですが
本文内容の思想性に見合うには
19世紀最大のこの哲学者(現代哲学の源流でもある)を
引用する以外になかったのかもしれません。

末尾に「昭和20・5・5 端午の日」とありますから
この日が
東京(3月10日)
名古屋(3月12日)
大阪(3月14日)
神戸(3月16日)
名古屋(3月25日)
――と大空襲が続き、
4月には沖縄戦開始と
列島各地が焦土と化す状況下で書かれた詩であることがわかります。

一億玉砕、七生報国が叫ばれる中で
このような詩が作られていたこと自体が歴史の一コマであり
その奇跡はいまや伝説です。

官憲に見つかれば
どのような仕打ちに遭ったか
想像に絶します。

吉原筏(よしわらいかだ)
百目砲(ひゃくめづつ)
水調子(みずちょうし)
常念仏(じょうねんぶつ)
形代(かたしろ)
洗米(あらいごめ・あらいよね)
……などの聞きなれない名詞や

おもざし
うしろ影
障子明り
みすぎ
涙じみ
……などの古語っぽい用語は
頑張って辞書を引くなり
WEBで検索したりして
意味を知る必要があるものもあります。

これらは2019年現在の大都会では
ほとんど見ることのできなくなった風物であり
使われなくなった言葉ですが
戦前の日本社会では
それほど疎遠なものではなかったものです。

言葉や風物が
昭和20年(1945年)と現在とでは
歴史の彼方に風化してしまったようなものもありますが
詩の中で蘇(よみがえ)るというようなことが起こるのも
詩の醍醐味(だいごみ)の一つといってよいでしょうから
じっくりゆっくり味わうことにしましょう。

そんなチャンス(機会)は
めったにないのですから。

「寂しさの歌」の「一」。

冒頭「どっから」は
「どこから」ですが
「どっから」と詩人がしたかったのは
「汚れっちまった」と中原中也が歌った言語意識と
似ているようなことでしょう。

しゃべり言葉で入ることによって
この詩は
読者に親しみのある世界となって現れます。

いきなり引きずり込まれる感じで
寂しさの生まれてくるところを探している詩人の気持ちに
同期するのです。

どっから来るんだろう?

それは
夕暮れの中に
ポッと咲き出したような
あの女の肌からか
面差しからか
後ろ姿からか
――と
ふだん美しいと感じている女の湯上りの姿のような
そこはかとない幽玄の存在(の色気)。

ここは「あの女の」「肌」ではなく
「あの」「女の肌」と読むべきところでしょう。

糸のように細々とした心からか。
その心を誘う周囲の風景からか。

月光からか。
障子明りからか。

古くなって節目(ふしめ)浮き出た畳に吹き飛ばされてきて走る枯葉からか。

寂しさは
僕の背筋に這いこみ
湿気や黴(かび)のように
僕の知らないまま
心を腐らせ
皮膚に沁み出てきます。

寂しさの風景が
こうして
次から次に繰り返しくりかえし
クレッシェンドしデクレッシェンドし
螺旋的に下降し上昇し
歌われていきます。

次に現れる女も
先ほど夕闇に現れた女でしょうか。

金で売られ金で買われる
苦界の女の寂しさ。

飢えの中で育った
孤児(みなしご)の寂しさ。

それを生業(なりわい)と思っているやつの
己のない
心のない
人形が揺れ動いている寂しさ。
元々
人は土器(かわらけ)だと言われるが――。

人は皆、元来(もとより)かわらけ(土器)であるといわれる
――という詩行は
自己(おのれ)を持たない
形代(かたしろ)だけが揺れ動いている
――という前の行を受けて歌われるのですから
かたしろ(形代)もかわらけ(土器)も
同じようなことなのでしょう。

形代とか土器とかが
次のスタンザの「皿」へとつながっていきます。

使われなくなった不用の皿(欠けている場合が多い)に洗い米が一つまみ載せられて
ネズミヨモギ(鼠蓬)の生い茂る庭のつづきにひっそり置かれてある
とある田舎の風景が浮かんできます。

都会の片隅の民家にも
かつてこのような光景が庭先で見られたのを
戦後生まれ(1946年)の記憶に
うっすらととどめています。

十粒ばかりの洗米(あらいごめ)をのせた皿。
鼠よもぎのあいだに
捨てられた欠(かけ)皿。

寂しさが立ちのぼってくる
幾つかの風景・風物が歌われてきて
この洗い米の風景には
ドキンとさせられるものがあります。

このうすら寂しいといえばうすら寂しい光景は、
「無」にかえる生の傍らから(死の世界に接した、そのそばから)、
うらばかりよむ習いの(裏ばかりを読むことに慣れた)
さぐりあうこころとこころから(互いに探りを入れあう心と心から)。
――と補強されるのですから。

民草(たみくさ)にこびりついたような祈りの風習の底に
探り合う心が生まれている――。

これらは我が身のことのように
歌われていきます。

寂しさは
ふるぼけて黄ろくなったもの
褪(あ)せゆくもの
気むずかしい姑めいた家憲から
すこしづつ目に見えずひろがる。

襖(ふすま)や壁の雨もり。
涙じみ。

落葉炊きの煙り。
小川の水のながれ。
季節のうつりかわり、枝のさゆらぎ
石の言葉、老けゆく草の穂。

すぎゆくすべて。

寂しさは
旅立つ。

鰯雲(いわしぐも)。

今夜も宿をもとめて、
とぼとぼとあるく。

夜もすがら山鳴りをきき
肘(ひじ)を枕にして
地酒の徳利をふる音に、
別れてきた子の泣声が重なります。

この詩が昭和20年の端午の日に書かれた事実を
詩人は何としても刻みたかったのでしょう。

象徴詩法の詩ですが
「別れてきた子」には実際の息子のイメージが露出し
覚悟のようなものが込められていることが想像できます。

「寂しさの歌」の「二」。

蓬(よもぎ)が生えた庭先に
洗い米を供(そな)える民の暮らしの一コマも
寂しさに蔽(おお)われた国土の
深い霧の風景の一つでした。

その中から詩人=僕は生まれたのです。

霧は、
山頂や峡谷を消すように覆(おお)い
湖上を飛び
生まれて50年もの僕の過去と未来とを閉ざしている。

後から後から湧き上がっては
行く手を閉ざしてしまう雲煙とともに
この国では
さびしさだけが新鮮だ、いつも。

この寂しさの中から
人生のほろ甘さを搾(しぼ)り取り
それを素(もと)にして
僕らは詩を書いてきたものだ。

詩の根拠(よりどころ)が
寂しさにあると
ここで自らもよりどころとしてきたものが
寂しさにほかならないことを
明らかにします。

 

寂しさだけが新鮮なわけ(理由)が
解き明かされていると言えるでしょう。

詩を書いてきたのは僕だけのことではない。
僕らみんなだ。

寂しさの果てに
桔梗(ききょう)よ紫苑(しおん)よと、
花を愛(め)でてきた。

零(こぼ)れ落ちる露と
一体になってしだれ
手折(たお)られるがままの女たち。
諦(あきら)めた果てに咲く日陰の花。
(そんな寂しさを歌いあげてきた。)

接吻(キス)の後に残る口の苦さ、化粧のやつれほころび。

その寂しさの奥にあるもの。

衰えることが
人並み以上に早い(苦界の)女の宿命の暗さから
聞こえてくる常念仏(じょうねんぶつ)を僕は聞く。

鼻紙に包んだ一房の黒髪。
(吉原の女は死んで初めて娑婆に出られる。女の遺髪が間に合わせのちり紙にくるまれて舟で送られていく情景です。)

その髪で繋(つな)いだ太い毛綱。
――この寂しさに曲づけして歌われる
「吉原筏(よしわらいかだ)の物語」。

この寂しさを象嵌(ぞうがん)した(=嵌め込んだ)ような
「百目砲(ひゃくめづつ)」。

百目砲(ひゃくめづつ)の「百目」は
「百匁(ひゃくもんめ)」でおよそ375グラムの重さのこと。

百目砲は大砲の一種で
さまざまなデザインが施され
象嵌(眼)の技法も使われていました。

吉原筏も百目砲も
寂しさを閉じ込めたような
音曲であり工芸です。

四方を海で囲まれ
這(は)いだす隙間(すきま)もないこの国の人たちは
外へ向かわず自らを閉じ込め
この国こそ
朝日ののぼる国(日の本=ひのもと)と信じ込んだのだ。

爪楊枝(つまようじ)を削るように
細かい作業に打ち込み
しなやかな仮名文字(ひらがな)に
もののあわれを綴り、
寂しさで何万回何千回と洗って作り上げた
歌枕(うたまくら)の数々。

象潟(きさがた)
鳰の海(におのうみ)
志賀のさざなみ
鳥海山、羽黒山の雲に突き入る山々。
――は、古今、新古今以来の旧跡でしょう。

奇瑞(きずい)の湯は、
弘法大師、伝教大師や日蓮ら
高僧の行脚(あんぎゃ)の結果現れた奇跡の温泉が
各地に残ることを指しているのでしょう。

遠山がすみ、山桜、蒔絵螺鈿(まきえらでん)の秋の虫づくし
――は室町の美意識でしょうか。

万葉の時代を越えて
中世、江戸をも含む
日本美のすべてが
拾い出されています。

この国に
みだれ咲く花の友禅もよう。

うつくしいものは
惜しむひまなくうつりゆくと、
詠嘆をこめて、
いまになお、
自然の寂しさを、
詩に小説に書きつづる人々。

ほんとうに君の言うとおり、
寂しさこそ
この国土着の悲しい宿命で、
寂しさより他
なにものこさない無一物。

――となるに及んでは
紫式部、
清少納言、
小野小町ばかりでもなさそうで
「いまになお」詩に小説に書く人々とは
現在なお寂しさをよりどころにしている
「君」や
あるいは「僕」をも
射程に入れているのでしょう。

古代から現代にいたる
この国の詩歌全般、
芸能全般、
暮らし全般に
眼差しが向けられています

遠大なスケールの中に
詩は入り込んでいます。

ほんとうに君の言うとおり
――の「君」とはいったい誰のことでしょうか。

寂しさこそは
この国=日本という国に
根っから住み着いた(=土着の)
悲しい宿命なのだ

寂しさのほかに何も無い
寂しさだけがある無一物
――と言う「君」は
僕=詩人の分身である以外に
考えることはできません。

寂しさだけが新鮮だ。
寂しさだけの無一物。

だが、
(無一物の)寂しさの後(あと)には貧困があった。

水田の暮らし。
百姓暮らしの長い伝統から
無知と諦めと卑屈から
寂しさは広がる。

ああ、
でも僕の寂しさは
そんな国に
生まれあわせてしまったことなのだ。

この国で育ち、
友だちをつくり
朝は味噌汁にふきのとうを浮かしたやつ
夕には竹の子の山椒和えが載る
はげた塗り膳に座る。

こうして祖先から譲り受けた寂寥を
子らに譲り
やがて死んでいく(樒の葉陰に眠る)こと。

僕が死んだあとも
5年、10年、100年と
未来永劫、寂しさが続き
地の底、
海の周辺、
列島の果てから果てへ
十重二十重(とえはたえ)に雲霧を込めて
あっという間に時雨れ、
また晴れる
うつろいやすい時の雲の千切れには
山や水の傷心を見るような気持ちになり
僕は茫然とする。
萎える。

さてさて。

いままで述べてきた寂しさは
この国の
古めかしい風物の中にあったものとして
拾い出してきたものではないのです。

洋服を着て、
葉巻を吸い、
西洋乞食みたいに暮らす人の中にも
この寂しさを見ることができるのだ。

寄り合いでも
喫茶店でも
友と話しているときでも
娘とダンスしているときでも
あの寂しさが
人々のからだから
とっかえひっかえ
湿気(しっけ)のように沁みだし
人々の後ろに影をつくり
サラサラサラと音を立てて
あたりに広がり、
立ち込めて
永劫から永劫へ流れていくのを聞いたのだ。

「寂しさの歌」「三」。
 
僕は実はあの寂しさを軽蔑しつつも
僕自身(の美意識)を形作るものとして
秘かに愛着をもっていたことを告白しよう。

潮来節(いたこぶし)を。
うらぶれた流しの水調子(みずちょうし)を。
「水調子」は三味線を使った音曲というほどの意味。

巷を行く流しのうらぶれた調子を
詩人=僕はかつて(今も)愛好していたのです。
その得も言われぬ寂しい音調、風体を。
 
廓(くるわ)の裏手の街の
あんどん(行灯)やしっぽく(卓袱)の湯気を。
 
立ち回りの、田舎役者が見せる
狂気で吊り上がったまなじり。
 
茶漬の味。
風流。
神信心。
 
糞壺のにおいをつけた人たちが、
僕のまわりを行き来する日常。
僕もその一人なのだが。
 

 
僕が座っているところの
むこうの椅子で
珈琲を飲みながら、
僕の読んでいるのと同じ夕刊をその人たちも読む。
 
小学校では、
同じ字を教わった。
僕らは互いに日本人だったので、
日本人であるより幸はないと教えられた。
(それは結構なことだが、少々僕らは正直すぎる。)
 

 
何もかも同じような習慣、暮らし。
その根源にあるもの。
 
万世一系の天皇。
 

 
ああ、なにからなにまで、
いやになるほどこまごまと、
僕らは互いに似ていることか。
 
膚のいろから。
眼つきから。
人情から。
潔癖から。
 

 
僕らの命がお互いに僕らのものでない空無からも、
なんと大きな寂しさがふきあげ、
天までふきなびいていることか。
 

 
僕らの命が
どうしたというのでしょう?
 
僕らのものでない空無とは
何でしょう?

天皇(制)のことでしょうか?

空無から
強大な寂しさが吹き上げ
天に届いている。


 
「寂しさの歌」「四」。

遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。
――と、
いま行われている戦争が
はじまったわけ(理由)が冒頭行で歌われます。

寂しい精神のうぶすな。

うぶすなは「産土」と書き
正規には「産土神(うぶすながみ)」です。

人にはみな
生まれた土地の守護神があり
生まれる前から死んだ後まで
その神=産土神(うぶすながみ)に守られるという
神道の信仰が
民草(たみくさ)の暮らしに根付いているというのは
この国のありふれた姿です。
 
日本固有の慣わしなのでしょうか。
農耕社会特有の習いなのでしょうか。
淵源は
原始宗教とか
シャーマニズムとか
アニミズムとかに遡(さかのぼ)ることができるのでしょうか。
 
産土信仰は
現在でも農村の暮らしの中に息づいています。
 

 
ここで金子光晴が言っている「うぶすな」は
もっと広い意味をもっているようです。
 
「寂しさを美と感じる土壌」
――という意味ほどに受け取ってよいもののようです。
 
日本人の美意識の根っこにあるもの。
 
今行っているこの戦争へと
人々を突き動かしていった
寂しさの精神(土壌)を
延々と歌ってきた詩は
ここでズバリと
「寂しい精神のうぶすな(産土)たち」
――とその正体を明かしたのです。
 

 
戦争をもってきたのは
君たちじゃない。
僕でもない。
 
みんな寂しさのせいなんだ。
うぶすなのせいなんだ。
 

 
銃をかつがせ
寂しさの「釣り出し」にあって
旗がはためいている方へ
母や妻(家族)を捨ててまでして出発した。
 
錺(かざり)職人も
洗濯屋も
手代(商人)たちも
学生も
……
みんな風にそよぐ葦(あし)になっちゃった。
 

 
誰彼の別なく
死ねばよいと教えられたのだ。
 
ちんぴらで、
小心で、
好人物である人々はみな
「天皇」の名を持ち出されると
目先が真っ暗になって
腕白小僧のように
喜び勇んで出て行った(出征した)。
 

 
だが。
 
土地に残った者たちはびくびくし
明日は自分に白羽の矢が向けられるかもしれないと
懐疑と不安に襲われるのを
無理やり考えまいとし
どっちにしろ助からない命、
せめて今日1日でもと
近くにいる人と振るまい酒して
酔い過ごそうとする。
 
エゴイズムと愛情の浅さ。
沈黙し我慢し、
乞食のように生きている。
 
配給の食糧を列を作って
待つのは女たち。
 

 
日に日に悲しげになってゆく人々の表情から
国を傾ける民族の運命の
これほどまでに差し迫った深い悲しみを
僕は生まれてこの方見たことはなかった。
 
しかし、もう、どうでもいい。
そんな寂しさなんか
今の今、何でもない。
 

 
僕が。
僕が今、
本当に寂しがっている寂しさは――。

この国の零落、
民草の暮らしの荒廃の方向とは反対に
一人踏み止まって
寂しさの根っ子を
“がっき”と突き止めようとして
まともな世界と一緒に歩いていこうとする
一人の意欲ある人がいない。
僕の近辺に


一人もまともな意欲(ある人)を見つけられないことだ。
 
そのことだ。
そのことだけなのだ。
 

 
今回は読み切りです。

2015年6月12日 (金)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・金子光晴の「寂しさの歌」再3

(前回からつづく)

 

貧困のさびしさ、世界で一流国とは認められないさびしさに、耐えきれなかった心たちを、上手に釣られ一にぎりの指導者たちに組織され、内部で解決すべきものから目をそらさされ、他国であばれればいつの日か良いくらしをつかめると死にものぐるいになったのだ
(岩波ジュニア新書「詩のこころを読む」)

――と茨木のり子が記した「上手に釣られ」の「釣られ」という言葉は

「寂しさの歌」の最終連(第4連)の冒頭に、

 

遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。

君達のせいじゃない。僕のせいでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。

寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあって、旗のなびく方へ、

母や妻をふりすててまで出発したのだ。

かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、

風にそよぐ民くさになって。

 

――とある「寂しさの釣出し」を受けたものです。

 

 

上手に釣られ、組織されたのは、

貧しさゆえのさびしさや

一流国と認められないさびしさが狙われたもの。

 

丁度、エサで魚が釣られるように

さびしさが釣り出しに利用された。

 

エサに釣られてパクリとやる呼吸で

他国を攻めた戦争。

――と、釣る人間、釣られる魚、そして釣られる人間の関係を金子光晴の詩に読みました。

 

 

茨木のり子は「釣出し」を噛み砕いて

さらに卑近な例をあげます。

 

 

さびしさにいたたまれなくなって、

友人に電話して声をききたくなったり、

旅に出たり、

衝動買いをしてしまったり、

……というような身近な例。

 

そういうことなら自分を許してあげることができますが

もっと大事なことで決断する時、

出所進退を明らかにしなければならない時、

そんな時こそ注意しなくちゃ。

 

寂しさの釣出しは

まずおいしいエサとして目の前にぶら下げられるので

パクリとやってしまいますしね。

 

いつも戦争という形でやってくるものでもないので

油断できませんよ。

――と(こんな詠嘆詞を使っていませんが)

語りかけるような口調で述べています。

 

 

「寂しさの歌」はエンディング(結部)に差し掛かり

詩人が孤絶する中で最も強く感じていた本当の寂しさについて

次のように吐露(とろ)します。

 

 

僕、僕がいま、ほんとうに寂しがっている寂しさは、

この零落の方向とは反対に、

ひとりふみとどまって、寂しさの根元をがっきとつきとめようとして、世界といっし

ょに歩いているたった一人の意欲も僕のまわりに感じられない、そのことだ。その

ことだけなのだ。 

(昭和20・5・5 端午の日)

 

 

第1連、第2連、第3連、そして第4連と歌われてきた

寂しさの風景と

第4連の最終節で歌われる寂しさとは

まったく異なる寂しさがここで歌われているように見えます。

 

そうだとすれば

詩人は同じ仲間の詩人たちや

詩人でなくとも知識人・文化人のことを嘆いたのでしょうか?

 

 

そのように読むことは大いに可能で

この詩が終わって

末尾に「昭和20・5・5 端午の日」とある日付が

そのことを語って余りあるからです。

 

この日付の日に

敗戦の色は濃かったのですし

戦争の原因となり動力となった寂しさの風景は

もはやすでに後の祭り。

 

そんな寂しさなんか、今はなんでもない寂しさであったのですし

やがては終わるであろう戦争の根っ子にあるものは

これからもあり続けるのであろうし

そのことを「がっき」と受け止めて

世界の人々とともに歩んでいこうとする意欲のあるものが

僕の周辺には今いない、

そのことが寂しい――。

 

ここに唐突な感じで現れる「世界」は

「日本」の彼方にあるものであることは疑うことができませんから

それは「西洋」と読み替えてもよい彼方を指します。

そう読んでもおかしくありませんし 

戦争が終わって後のこの国の風景をも

最終連のこの最終句は見透かしているのかもしれません。

 

 

国家に言及した冒頭のニーチェのエピグラフ(序詞)に呼応する最終句を

茨木のり子はキャッチしたのでしょう。

 

パスポートなしでどんなところにも行ける

はるか彼方を夢みさせてくれる詩であることを述べて

「寂しさの歌」を読み終えます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

2015年6月10日 (水)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・金子光晴の「寂しさの歌」再2

(前回からつづく)

 

「詩のこころを読む」で茨木のり子はどのようなことを記しているのか

――という角度に絞って

 ようやく「寂しさの歌」へアクセスすることができる段取りになりました。

 

 

茨木のり子が「最晩年」を書いたのは1975年。

「詩のこころを読む」を書いたのは1979年。

 

 

ということは

 「共同体」という言葉を金子光晴が呟いたのを聞いた時が先で

 「詩のこころを読む」を書く頭の中には

 このことが意識されていたということになりそうですが 

「共同体」の言葉は現れません。

 

では

茨木のり子は「寂しさの歌」」をどのように読んだか――。

 

 

戦争によって損なわれた青春については

胸にわだかまるものが積もりに積もっていて

書きたいこと、吐き出してしまいことは渦巻いていたに違いませんし

だから(と断言してよいでしょう)

「詩」へ向かったのでしょうし

「わたしが一番きれいだったとき」や「根府川の海」のような詩を書き

「はたちが敗戦」のようなエッセイを書いたのでしょうが

詩やエッセイを書いても

戦争とは何だったのかについての思索は完成されなかったのでしょう。

 

 

そのようなときに

「詩のこころを読む」を書く機会を得て

これは初心者向けの案内という性格でしたから

できるだけわかり易く噛み砕いて

 読む人に伝えなければならないという目的に加えて

 (私の)戦争とはどんなことだったのかを

あらためて茨木のり子に考えさせるところとなったのです。

 

そこで即座に現れたのが

金子光晴でした。

 

 

ずいぶんと色々なことを書こうとしている様子がありますが

ここで読んでおきたいところは一つです。

 

かんたんに贋金(にせがね)をつかんでしまう日本人の心の風景――その心臓部を射ぬいている

――と「寂しさの歌」を読むところです。

 

 

 

第2次世界大戦時における日本とは何だったのか、なぜ戦争をしたのか、その理由が本を読んでも記録をみても私にはよくわかりません。

頭でもわからないし、まして胸にストンと落ちる納得のしかたができませんでした。

――という2行にはじまり、

東洋各国との戦争は侵略であることがはっきりしましたが、アメリカとの戦いは結局なんだったのか、原爆をおとされたことで被害国でもあり、全体は実に錯綜(さくそう)しています。そんなわけのわからないもののために、私の青春時代を空費させられてしまったこと、いい青年たちがたくさん死んでしまったこと、腹がたつばかりです。

――と続け、

 

私の子供の頃には、娘をつぎつぎ売らなければ生きていけない農村社会があり、人の恐れる軍隊が天国のように居心地よく思われるほどの貧しい階層があり、うらぶれた貧困の寂しさが逆流、血路をもとめたのが戦争だったのでしょうか。

 

貧困のさびしさ、世界で一流国とは認められないさびしさに、耐えきれなかった心たちを、上手に釣られ一にぎりの指導者たちに組織され、内部で解決すべきものから目をそらさされ、他国であばれればいつの日か良いくらしをつかめると死にものぐるいになったのだ、と考えたとき、私の経験した戦争(12歳から20歳まで)の意味がようやくなんとか胸に落ちたのでした。

――と締めくくったところです。

 

 

 

この、最後の行の、

 私の経験した戦争(12歳から20歳まで)の意味がようやくなんとか胸に落ちたのでした。

――というところ。

 

ここが大事です。

この1行が茨木のり子の金子光晴との出逢いの意味の全てです。

 

 

私の青春を奪った戦争とは何だったのか――。

 

本や記録を読んでもわからなかったことが

金子光晴の詩を読んで

胸に落ちた、と茨木のり子は書いたのです。

 

その詩の一つが「寂しさの歌」でした。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 「寂しさの歌」は、

 即興的ではありましたがかなりじっくりと読みましたから

 蛇足ながらその記事へリンクしておきます。

 茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・金子光晴の「寂しさの歌

 

2015年6月 5日 (金)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・金子光晴の「寂しさの歌」再1

(前回からつづく)

 

茨木のり子には「はたちが敗戦」というエッセイがあり

この詩人の輪郭(りんかく)をくっきりとさせるものの一つとしてとりわけ有名です。

 

「茨木のり子集 言の葉Ⅰ」(ちくま文庫)で読むことができますが

同文庫の巻末資料「初出一覧」には

たいまつ新書36「ストッキングであるく時」(堀場清子編、1978・5)への書き下ろしとありますから

純然たる詩誌への発表ではなかったことが理解できます。

 

この新書を読んでいませんからはっきり言えませんが

戦争で失われた青春を敗戦と同時に取り戻した

――といった内容のアンソロジーと想像できますから

茨木のり子にぴったりしたテーマだったのでしょう。

 

茨木のり子という詩人が

そのように位置づけられて

詩誌以外のメディアに登場したことを示しているものと見てよいはずです。

 

 

その「はたちが敗戦」の中に

薬剤師への道を捨てて戯曲作家を志し

その後、詩の道へ転じた経緯(いきさつ)が書かれてあります。

 

 

茨木のり子は

昭和21年にあった読売新聞の「戯曲」募集に応募し

選外佳作に選ばれたのですが

これをきっかけに新劇女優・山本安英と相知ることになり

多くの芝居を見、戯曲を読む中で

詩を勉強しようと決意します。

 

なぜ詩だったのか。

 

そこのところは

茨木のり子自身の言葉で読んでおかないといけません。

 

 

沢山の芝居を観、戯曲を読むうち、台詞の言葉がなぜか物足らないものに思えてきた。生意気にもそれは台詞の中の<詩>の欠如に思われてきたのである。詩を本格的に勉強してみよう、それからだなどと詩関係の本を漁るうち、金子光晴氏の詩に出逢った。

(ちくま文庫「はたちが敗戦」より。)

 

 

戯曲(台詞で作られている)の中の「詩の欠如」が

詩人・茨木のり子のモチベーションとなったのでした。

 

 

急ぎ足で書かれてあるせいか

詩誌への発表ではないせいか

回想であり整理されてあるせいか

余計なことはちっとも書かずに

山本安英と金子光晴の二人の固有名だけにズバリ触れているところは

いかにも茨木のり子らしいところですが

詩人として出発しようとしていたまさにこの時に

自然に金子光晴の名があげられているところに

驚きを感じる人は多いことではないでしょうか。

 

 

驚こうと驚くまいと

茨木のり子は詩を書こうとしていた当初に

金子光晴の詩に出会ったのでした。

その詩が実際にはどの詩であったか
「金子光晴――その言葉たち」(1972年5月「ユリイカ」)などに
若干、具体例が記されていますが
それは記憶に残った一部の詩であることでしょう。

中に「洪水」の6行が引用されているところがありますから
詩集「落下傘」を読んだことは間違いありません。

「寂しさの歌」も
この時に目を通したことも容易に想像できます。

 

 

「落下傘」の最終詩「寂しさの歌」を

茨木のり子はどう読んだか。

 

ようやく

そこへ辿りつきました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月28日 (木)

金子光晴「落下傘」の時代・茨木のり子の「最晩年」その2

(前回からつづく)

 

金子光晴は戦争が終わってから

立て続けに詩集を幾つか刊行します。

 

「落下傘」(1948年)

「蛾」(同)

「女たちのエレジー」(1949年)

「鬼の児の唄」(同)です。

 

読んでみないことには

これらの詩集の内容を比較することはできませんが

「落下傘」は日中戦争がはじめられ太平洋戦争が終わるまでの

戦争真っ只中に書かれた詩を集めたものであり

しかも戦争を真っ向から批判しているところに

めまいを覚えるような斬新さ(鮮烈さ)があります。

 

 

すべて発表の目的をもって書かれ

実際にこの詩集のおよそ半分が発表されたと詩人自らが「跋」に記す詩篇は

象徴主義の詩法が色濃いものとはいえ

よくも権力の網の目にかからないでいられたものと

驚かざるを得ません。

 

(同じ「跋」に、「犬等5篇は、雑誌社から返された。」と記したのは、自主規制へのイロニーなのでしょうか。)

 

 

茨木のり子はこのあたりのところを

見つかれば死刑という状態でこれらの詩を書きついでいました。

――とズバリとシンプルにコメントしています。

(「詩のこころを読む」)

 

 

詩集タイトルが

鮫でもなく蛾でもなく落下傘とされたのは

戦後だからできたことなのかもしれませんが

詩篇単体には「落下傘」もあり

「真珠湾」もあったのですから

目をつけられなかったはずがありません。

 

詩集題を「落下傘」とネーミングしたのには

ほかのタイトルにしなかった理由があったからのことでしょう。

 

 

共同体など信じていなかったのが金子さんではなかったか。

――と茨木のり子が「最晩年」で記した自身の感慨(認識)は

多くの金子光晴の読者の感慨(認識)でもあったはずでしょう。

 

もしも茨木のり子によるこの記述がなかったら

その感慨(認識)は

ずっとそのままであり続けていたのかもしれない。

 

そのことを感じて

茨木のり子のこの記述は残されたのですから

やっぱり感受性の詩人です。

 

感受性とは勇敢なことです。

 

歯に衣を着せず

歯切れのよいことです。

 

 

というわけですから

詩集「落下傘」からもう1篇を読みたくなりました。

 

「湾」は

「真珠湾」に続き詩集の3番目に配置されています。

 

 

 

 

ピストルを食べよう。

春の早蕨(さわらび)のような、

 

風は爽やかに

湾を吹いて、

漣立つ

光はうつらうつら。

君よ。きょうはなにごともなしというか。

心は凪ぎ

世はやすらけく

幸福ゆえに、時はひまどるとおもうのか。

 

とどろきをきこう。

さあ、目をとじて、

 

蒼穹の奥の

いずくのはてにか

巨砲巨艦がむらがり立ち

天に朝するそのもの音を。

 

 

君よ。

ここにあるものは、もはや風景ではない。

それは要塞。

 

光でいぶる灌木林のかげに隠見する

島嶼(とうしょ)は、布陣。

地平は、音のないいかずち、

砲口の唸(うなり)で埋まる。

 

もはや、戦場ならぬ寸土もない。

一そよぎの草も

動員されているのだ。

 

地を這う虫にも

死と破滅が言渡される。

 

ここにある分秒は

刻々の対峙なのだ。

 

なんというきびしい

いたましい景観だ。

 

文明と権力を一元した

息もつまるこの静謐。

 

君よ。それでも猶、

きょうを無為だというか。

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に変え、適宜、ルビを加えました。編者。)

 

 

ここに歌われる風景を

共同体の風景を思い描きながら読むことは

それほど無理なことではなさそうです。

 

すでにその風景は失われ

要塞と化していますが。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月25日 (月)

金子光晴「落下傘」の時代・茨木のり子の「最晩年」

(前回からつづく)

 

茨木のり子に「最晩年」というエッセイがあります。

 

「現代詩手帖」の「追悼特集・金子光晴」(1975年9月初出)に寄せたものですが

中に印象に残る記述がこのエッセイの結びにあり

いま「落下傘」の鑑賞を離れるにあたって

不意に思い出されて

どうしても紹介したくなりました。

 

 

「最晩年」とは

茨木のり子が

夫、安信の死に続いた金子光晴の死のことを

ともどもに回想し記録したことから命名された

エッセイのタイトルです。

 

二人の死は

1975年4月18日にあった山本安英の会主催の「ことばの勉強会」の模様から

説き起こされます。

 

金子光晴、谷川俊太郎と茨木のり子による鼎談が

岩波ビル9階会議室でこの日行われ

200人あまりの聴衆の熱気で溢れた今や歴史的なシーンですが

その翌日、病床にあった茨木の夫・安信の容態が急変し

肝臓癌が発見された末

およそ1か月後に他界してしまいます。

 

鼎談の内容や

帰り道での金子の様子、

小康を得た夫に金子の近況を語って聞かせる様子など

茨木の散文の筆先は冴えに冴え

息を飲む場面が続きますが

夫の告別式を済ませた茨木に金子光晴がふっと漏らした言葉を

このエッセイは書きとどめたのです。

 

「最晩年」は

「茨木のり子集 言の葉2」(ちくま文庫)に収められています。

 

 

足の悪い金子さんは骨箱の前に座り遺影に見入り「幾つ? ふうん、56ねえ、仏式でもないようですね」無宗教でやった告別式の残影をちらちら眺め、鉦もならさず線香も立てず、合掌もされなかった。「いま花屋から花が届きますからね、<いささか>からのいささかの志です」

 

 「いささか」というのは金子光晴、中島可一郎、岩田宏、私とで2号迄出していた小詩誌の名である。香奠を供えてふっと私のほうを振りかえり、「いまは八方ふさがりに思うでしょうが、そんなことは何でもないの、心配しなくっていいの、僕だって八方ふさがりばかりだったけどね、こうして生きてきたんだから。その人間になんらかの美点があれば、かならず共同体が助けてくれるもンです」ふしぎなことを聞くものかな。

(※改行を加え、洋数字に変換しました。編者。)

 

 

――とここまでを引用して来たブログ編者は

ここで引用を打ち切って

金子光晴の共同体意識について感想なり意見なりを述べたいところですが

それよりもこの件(くだり)に続けられる部分に

気を惹かれるところなのです。

 

 

 私のカランとした頭はそう思っていた。共同体など信じていなかったのが金子さんではなかったか。しかし時が経って何度か反芻するうち、やっぱりこの中には彼の人間認識なり哲学なりがかっきり嵌め込まれてるのを感じ、自分一人の所有にしておくことは勿体ないと思われてくる。私以上に打ちのめされている人も多い筈である。風のように軽い、そして体験の裏打ちのある故にずしりと重くもあるこの言葉を、敢えて書き記しておくことにする。

 

 それだけ言うと、ひらりと身をかわすように帰ろうとされた。(後略)

 

 

共同体という言葉を残して

茨木宅を後にした5月末から1か月後の6月30日に

金子光晴の訃報が茨木のり子にもたらされますから

これが最後に聞いた言葉になりました。

 

 

詩集「落下傘」に充満する日本主義への痛烈な批判を読んできた者には

もう一度、この詩集を読み返してみることを薦めているような

詩人・茨木のり子のエッセイではありませんか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月20日 (水)

金子光晴「落下傘」の時代・「鷹」その2

(前回からつづく)

 

正覚坊(しょうがくぼう)はアオウミガメのことですが

大酒飲みの意味を持ちます。

 

 

大酒のみが

海の藻くずにからまれ浮いたり沈んだりしているように

わが地球よ!

頭から血のぼろを浴びて、何度流転しなければならないのだ。

 

空で繰り広げられる死の恐怖を見上げて暮らす人々に

安堵はなく、まるでツンドラにでも起き伏しするようだ。

 

なぜ人は鷹を放したのだ。

その日から、人は天の高さを失った。

自分の放した猛鳥の影に脅えて、さすらうのだ。。

 

 

分別というものを誰も持たない。

泥まみれの奴らが、爆弾で開けられた大穴の周りに集まり

殺人(むごたらしさ)の新兵器とばかりに楽しんでいる(図)。

 

血の滲んだ剥がれ雲よ。

 

剥がれ雲は、はぐれ雲にかなり近い雲でしょうか。

大きな雲から剥がれて、孤立した状態の雲か。

 

鷹の比喩ではなく

人間の比喩でしょうか。

 

 

胃袋までもとりあげられて

呆然と

なすところをしらない人間よ。

 

(食べる元気も奪われて

自分を見失い

何をしてよいかわからないでいる人間よ)

 

 

 

怖れる馬鹿があるか!

もともと、おまえたちがはじめたことじゃないか!

 

ふるえるな。

みっともない。

 

おまえたちが加担して、

人の夫や人の子を戦争に追いやったんじゃないか!

 

 

おまえたちの手で空へ放たれて

すでに戻ることのできないのを

気づかないもの。

いたいけなもの。

 

鷹――。

 

 

ヨーグルトかなにか乳酸のように

空を濁(にご)す。

 

(のすり)だ!

隼(はやぶさ)だ!

 

 

天翔(あまがけ)る鷹が

青空を汚していく。

 

空から

美しいものが消え失せ

鷹が飛ぶたびに

死が飛翔するように

詩人の眼には見えたのでしょう。

 

憤懣の詩です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2015年5月19日 (火)

金子光晴「落下傘」の時代・「鷹」その1

(前回からつづく)

 

振り返れば

全22篇の詩を

「寂しさの歌」(22番)

「短章三篇」(11番)

「落下傘」(7番)

「風景」(5番)

「真珠湾」(2番)

「さくら」(18番)

――とアトランダムに拾って読んできました。

(※番号は詩集の配列順序で、読んだ順ではありません。)

 

なんの脈絡もないようですが

読んだ詩のイメージがすんなりと思い返せるのは

それぞれの詩が歌う風景が鮮烈だからでしょうか。

 

 

「――東京の廃墟に立って」を次に読むつもりでしたが

「鷹」の風景にも

触れてみたくなりました。

 

 

 

 

あのそらの奥の天国は

こわれちゃった!

 

あそこはいまいちめんに

青草がざわめいている。

 

あの青さは凍りついて

魚一尾棲めない。

ひっつったような湖面の光

 

芝居の小道具のように

どっかのすみへ忘られて

ほこりをかぶって

面やつれした

月や星。

 

その空のまんなかへ舞いあがる鷹!

義眼(いれめ)をした蒼鷹!

 

鉤(かぎ)なりの嘴につららをさげた

硝子のような

透明な大鷹!

 

もはや、あの天は、救いをもとめて

人がみあげる神座ではない。

 

あれは、重たいふた石だ。

磨ぎあげた

首斬刀(くびきりがたな)だ。

あれをみているといらいらする。

澄んでなんかいるものか。

酢のようにとごってるじゃないか。

 

あのむなしさを一ぱいにしてるのは鷂(はいたか)らの

死の飛翔だ。

羽ばたきの恐怖だ。

 

 

藻くずをかついで浮きつしずみつしている正覚坊のように、

地球よ。頭から血ぼろを浴びて、何度流転しなければならないのだ。

 

空の恐怖をみあげてくらす人々に、安堵はなく、まるで凍土帯にでも起伏するようだ。

なぜ人は鷹を放した。その日から人は天の高さを失い、じぶんの放した猛鳥の影に脅えて、さすらうのだ。

 

分別らしいものは誰ももっていない。泥まみれな奴らが、爆弾で穿(うが)たれた大穴のまわりにあつまり、

斬新なむごたらしさの到来をたのしんでいる。

 

血のにじんだ

剥がれ雲よ。

胃袋までもとりあげられて

呆然と

なすところをしらない人間よ。

怖れる馬鹿があるか。もともと、

おまえたちがはじめたことじゃないか。

ふるえるな。みっともない。

おまえたちが加擔して、

人の夫を、人の子を戦争に追いやったんじゃないか。

 

おまえたちの手で空へ放たれて

すでに戻ることのできないのを

気づかないもの。

いたいけなもの。

 

酸乳のように空をかきにごす

(のりす=ママ)だ!

隼(はやぶさ)だ!

 

                    昭和20・5月。特別攻撃隊のニュースをきいて憤懣やる方なく。

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に改め、適宜、ルビを加えました。編者。)

 

 

「一」に出てくる「とごってる」は

「にごってる」の誤植ではありません。

「濁(にご)る」「沈殿する」という意味の方言です。

 

末尾の鵟(のりす)とあるルビは

「のすり」の間違いらしい。

 

鷂(はいたか)と同じ猛禽類で、

日本ではトビについでふつうに見られるタカ。

 

 

冒頭、「こわれちゃった!」とあるのは

冷笑して落着いている感情というより

爆発的な気持ちを伝えるものでしょう。

 

憤懣は、それでも抑制されているか。

 

空が、

それまでの天国の空ではなくなってしまったのを

慨嘆(がいたん)しているのです。

 

 

いま空は、一面に青草がざわめいている。

――と青空に異変が起きていることから歌い出されるのですが

その青空はすぐに海に変わります。




青は凍りつき

魚一尾も生きられない。

湖面の光は引きつっている。

 

月や星も。

 

芝居の小道具のように

どっかの隅に忘れられて

埃(ほこり)をかぶって

面(おも)やつれしてしまった。

 

 

その空へ鷹!

義眼(いれめ)をした蒼鷹(あおたか)!

 

くちばしに氷柱(つらら)をさげた

硝子(ガラス)のような

透明な大鷹!

 

 

自爆攻撃がこの時行われたのか。

決死の突撃機が鷹に見立てられました。

 

 

空は、もはや、救いをもとめて

人がみあげる神座、天国ではない。

 

重たいふた石だ。

 

磨(と)ぎあげた

首斬刀(くびきりがたな)だ。

 

あれをみているといらいらする。

 

澄んでなんかいるものか。

酢のようにとごってるじゃないか。

 

 

空をむなしさで満たす。

死の飛翔。

鷹。

 

 

特攻機の飛ぶ空は

とごってる(=にごってる)のです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年5月17日 (日)

金子光晴「落下傘」の時代・「さくら」その2

(前回からつづく)

 

「さくら」は

「二」に入ると男が現れます。

 

戦争から帰って来た男たちですが

その男たちは豹変(ひょうへん)したかのように

放蕩者(ほうとうもの)が放蕩者ではなくなっています。

 

根性が変りでもしたかのように

大和心(やまとごころ)の衣(ころも)をかぶった男になるのです。

 

 

同時に、あの弱々しかった女たちは

軍神の母になり、銃後の妻に成り変わります。

 

 

時あたかも桜花真っ盛り。

 

(出征する兵士を送る)

涙を太陽の光が祝福する。

 

 

ちりばめる螺鈿(らでん)、

落花の卍(まんじ)、

こずえを嵐のわたるときは、ねりあるく白象かともながめられ、

――というのはいずれも桜花の姿態か。

 

巨大なさくらが花吹雪を飛ばし

散り乱れ

枝々を春嵐が吹く様は

白象が練り歩く姿に見まごう(美しさ)。

 

 

桜花の向こうに聳える天守閣。

――という絵葉書のステレオタイプに

胸おどらせて、飽きもせず人は言う。

さくらは、お国とともにある人ごころだ、と。

 

 

(そうだろか?)

におやかなさくらしぐれに肌をうずめて

馬鹿な私は、うっとりとして、ただ思います。

 

桜花の中を泳ぎながら

思うことは淫(みだ)らなことばかり。

 

雪のように散り舞う鼻紙。

ぬけ毛。

落ち櫛。

あぶらのういた化粧のにごり水。

ふまれたさくら。

泥になったさくら。

 

みんな同じじゃないか。

 

 

ここは

美しいばかりではない桜の

ありのままの姿を受け入れる自然な感じ方を

痴れ者(馬鹿)の私に語らせるヤマです。

 

 

鼻紙(はながみ)や

脱け毛や

落ち櫛や

あぶらのういた化粧のにごり水や

……が

生存の必然であるのと同じように

踏まれたり、泥になったりするさくらもまた

さくら。

 

生存は美しいばかりではない。

美しくあらんとする観念の以前に

生きるために格闘するのだし

万物はやがては死を迎える

――ということまでは歌っていないのかもしれませんが

生きることの内実から眼をそむけて

見失うものがあることへの注意を呼びかけていることは確かでしょう。

 

もののあわれを観念の死へとショート(短絡)

美化する危なさ。

  

 

さくらよ。

だまされるな。

 

あすのたくわえもないという

さくらよ。

 

忘れても、

世の俗説にのせられて

烈女節婦となるな。

 

散り際がよいとおだてられて、

女のほこり、よろこびを、

かなぐりすてるな。

 

汚いもんぺをはくな。

 



最後には

「さくら」は女を励ます歌のようになりますが

その女の背後には同じ道を行く男の存在があることを

読み取らねばならないようです。

 

男よ!

女にもんぺをはかすな、と。 

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2015年5月16日 (土)

金子光晴「落下傘」の時代・「さくら」その1

(前回からつづく)

 

「さくら」は

詩集末尾の「寂しさの歌」から数えて5番目に配置されていて

末尾に昭和19・5・5の日付のある詩。

 

続く「鷹」の末尾には、

昭和20・5月。特別攻撃隊のニュースをきいて憤懣やる方なく。

――とあり、

続く「――東京の廃墟に立って」は、

昭和20・6・20。

 

「わが生に与う」に日付はなく

「寂しさの歌」に、

昭和20・5・5 端午の日

――と詩集の結びに入って記録の傾向がやや強調されたのか

その意図はなかったのか。

 

 

桜花(さくら)が

女性そのものとして歌われ出すのに

抵抗感はなく自然なのは

象徴詩法の世界に馴染(なじ)んだからでしょうか。

 

 

さくら

 

 

おしろいくずれ、

紅のよごれの

うす花桜。

 

酔わされたんだよう。

これもみすぎ世すぎさ。

 

あそばれたままの、しどけなさ。

雨にうたれ、色も褪(さ)めて、

汗あぶら、よごれたままでよこたわる

雲よりもおおきな身の疲憊(つかれ)よ。

 

女はなんたる弱いものだろう。

 

家柄とあい性でむすばれる

よい花嫁。

しきたりのまえの伏し目がち。

鉄気くさい貞操、女 今川。

水仕業、ぬい針、世帯やつれて、

あるいは親たちのために身うりして、

あるいは愛するがゆえにしりぞいて、

あきらめに生きる心根のいじらしさ。

 

それこそは、花の花。

花の下の小ぐらさ。哀しい仄(ほの)明かり。

 

近々と花はおもてをよせながら

かたらいもえで

はやちりかかる風情。

 

染井、よし野。

遠山桜。

糸ざくら。

 

ことしの春を送る花。

この国のやさしい女たちの

いのちのかぎり、悔もなく

天にも地にも咲映えて。

 

八重一重

手鞠(てまり)、緋ざくら、

遅桜。

 

 

戦争がはじまってから男たちは、放蕩ものが生まれかわったように戻ってきた。

敷島のやまとごごろへ。

 

あの弱々しい女たちは、軍神の母、銃後の妻。

 

日本は桜のまっ盛り。

 

涙をかざる陽の光、

 

ちりばめる螺鈿(らでん)、落花の卍、こずえを嵐のわたるときは、ねりあるく白象かともながめられ、

 

花にうく天守閣。――その一枚のえはがきにも

胸おどらせて、人はいう。

さくらは、みくにのひとごごろと。

 

におやかなさくらしぐれに肌うずもれて

世のしれものの私は、陶然として、

ただおもう。

 

さくらのなかをおよぎながら

おもうことは淫らなことばかり。

雪とちりまう鼻紙よ

ぬけ毛、落ち櫛、

あぶらのういた化粧のにごり水。

ふまれたさくら。

泥になったさくら。

 

さくらよ。

だまされるな。

あすのたくわえなしという

さくらよ。忘れても、

世の俗説にのせられて

烈女節婦となるなかれ。

 

ちり際よしとおだてられて、

女のほこり、よろこびを、

かなぐりすてることなかれ。

きたないもんぺをはくなかれ。

 

(中央公論社版「金子光晴全集」第2巻より。「新かな」に改め、適宜、ルビを加えました。編者。)

 

 

化粧の白が崩れ

口紅は乱れる

うす花桜の女。

 

うす花桜は

咲き初めというより

盛りをすぎてうすら白くなった桜でしょうか。

 

 

酔わされたんだ。

みすぎ世すぎのためなのさ。

 

あそばれて、しどけなく。

雨にうたれ、色も褪(さ)めて、

汗あぶら、よごれたままでよこたわっている

雲よりも大きい疲れ。

 

汚れたままで横たわっている

――のは桜ですが女でもあります。

 

疲れをためた女の存在が

この詩行によって

ブローアップされます。

 

 

詩人は

女がそこに存在するかのように

さくらを見ています。

 

 

その女は

なんと弱いものか。

 

家柄とあい性でむすばれる花嫁。

 

しきたりの伏し目。

 

鉄気くさいの鉄気は、「かなけ」「かなっけ」か?

 

堅苦しく貞操を守ろうとし

教訓書「女今川」のいう通りに

生きようとする。

 

水仕業(水仕事)や、ぬい針やで、世帯やつれして、

あるいは親たちのためにと説き伏されて身売りして、

あるいは愛するがゆえにと思わされて身を引いて、

あきらめに生きる心根がいじらしい。

 

 

これが、花の中の花。

 

花の小ぐらさだ。

哀しい仄(ほの)明かりだ。

 

 

近々と花(女)はおもて(顔)を寄せながら

語らいもえで(語らって燃えもせず?)

早くも散りかかる風情(様子)である。

 

染井、よし野。

遠山桜。

糸ざくら。

……。

 

色々な姿態(すがた)を見せて。

 

 

ことしの春を送る花。

 

この国のやさしい女たちは

いのちのかぎり、悔いもなく

天にも地にも咲き映える。

 

八重一重

手鞠(てまり)、

緋ざくら、

遅桜。

……

色々に形を変えて。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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