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中原中也を歌う(曲と歌:桜木うさこさん)

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カテゴリー「中也が見た・歩いた」の記事

2015年10月25日 (日)

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺8

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本殿に通じる参道を、詩人は毎日歩いたのだろうか。ほかに通用する道があったのか、定かではありません。

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺7

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森閑(しんかん)とした参道はゆるやかな上り坂で、上り切った正面に本殿はある。中也は、本殿手前を右に折れる脇道に面した家に住んでいた。

通行止めになっているその道は、思索に耽(ふけ)りながら歩く詩人が、今にも現れそうな面影を残します。

2015年10月24日 (土)

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺6

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ぴーひょろろ、ぴーひょろろ。けだるい秋の日の午後に、中也も鳶(とんび)の声を聞くことがしばしばあったであろう。江の島から鎌倉、逗子……と、一帯は海に面した街だから、鳶が輪を描く光景は馴染みのものなのです。

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺5

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境内左手にあるこの木は、檜(ヒノキ)か? 山門を入らず、左へ回り込み源氏山へ抜ける道に覆うように生えている。中也は、このような大木を見なかったか。北条政子に招かれた栄西が創建したこの古寺が、中也の時代に鬱蒼(うっそう)とした樹木の森でなかった理由もない。

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺4

Photo_4

寿福寺の前の線路の向こうに、中也がいつも目にしていた切り岸(きりぎし)が見える。鎌倉は、あちこちに切り岸が見られるが中也の時代、この切り岸は町中に忽然(こつぜん)と現れる印象が現在よりも強くあったのではないか。手前の白い建物などは無かったはずだから。

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺3

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山門を抜け少し歩いた右手に、中也が住んでいたのとほぼ変わらない場所に、まるで今も中也が暮らしているかのような家がひっそりと建っているのが見える。

2015年10月22日 (木)

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺2

寿福寺山門。

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左脇の「五輪塔」は、実朝、政子の供養塔(墓)と同じ由来のものらしい。
常日頃、中也はこの山門を抜けたのか、ほかに専用の脇道があったのか、境内右手にあった住まいへ歩いたようです。

中也の晩年/鎌倉を歩く・寿福寺1

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中也の命日に先立つ18日、思い立って、晩年の住居を訪れました。

ここは「寿福寺踏切」です。左手に寿福寺はあり、踏み切りを渡って前方へ進んだ右手に、小林秀雄や大岡昇平らの住まいが、当時、ありました。

寿福寺敷地内にあった住まいから小林の住まいまで、「在りし日の歌」の清書原稿を抱えて、中也がこの道を辿(たど)ったのはこの年(1937年)9月のことでした。