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カテゴリー「萩原朔太郎「氷島」/賛否両論を読む」の記事

2015年1月19日 (月)

寺田透の「氷島」支持論11/戦争詩「南京陥落の日に」へ一言

(前回からつづく)

 

「氷島」は「月に吠える」や「青猫」の詩世界を自ら否定し

自然主義の末流に行き着いたものでありながらも

そのことは詩心の涸渇に結びつくものではなく

それどころか

詩の究極のイデヤに近づいた

――というのが寺田透の鑑賞ということになりますが

この「朔太郎管見」の結びで

これだけは言っておかなければならないという主張を込めるかのように

朔太郎の戦争詩「南京陥落の日に」について

一言、コメントを加えます。

 

 

「氷島」の詩境へ舵(かじ)を切った朔太郎が

では「南京陥落の日に」を書いたのは必然だったと見られるかもしれない。

 

この詩は

杜子美(杜甫)風の、

軍旅の苦痛に寄せた憂いの詠唱にはじまり

強い響きをもたない祝賀の言葉で終わる戦争肯定詩であることは確かである

――という読みを示した寺田は

しかし、と言って

朔太郎がこれを制作した頃を振り返って

思い返すのです。

 

これは詩人が昭和12年というその時に

なお生きていたために起こった偶発事に過ぎなかったものではないか、と。

 

かれは、朝日新聞に出たこの詩のほかに

戦争詩を書いていないのである、と。

 

 

「氷島」と直接関係することではなく、

紙数も尽きてしまったということもあるでしょうが

「南京陥落の日に」を読めば一目瞭然の

「だるい」「気乗りのしない」詩は

「氷島」詩篇の「鬼気」といっこうに繋(つな)がりません。

 

「朔太郎管見」の中に引用し

比較を試みれば

その異なり具合ははっきりしたことでしょう。

 

 

寺田透の論考の案内を

「南京陥落の日に」を読みながらおしまいにします。

 

 

南京陥落の日に


歳まさに暮れんとして
兵士の銃剣は白く光れり。
軍旅の暦は夏秋をすぎ
ゆうべ上海を拔いて百千キロ。
わが行軍の日は憩わず
人馬先に争い走りて
輜重は泥濘の道に続けり。
ああこの曠野に戦うもの
ちかって皆生帰を期せず
鉄兜きて日に焼けたり。

天寒く日は凍り
歳まさに暮れんとして
南京ここに陥落す。
あげよ我等の日章旗
人みな愁眉をひらくの時
わが戦勝を決定して
よろしく万歳を祝うべし。
よろしく万歳を叫ぶべし。

(「青空文庫」より。現代表記に変えました。編者。)

 

 

今回はここまで。

 

2015年1月18日 (日)

寺田透の「氷島」支持論10/「蝶を夢む」にはじまる

(前回からつづく)

「愛憐詩篇」の序文には、

やさしい純情にみちた過去の日を記念するために、このうすい葉っぱのような詩集を出すことにした。(略) この詩集を世に出すのは、改めてその鑑賞的評価を問うためではなく、まったく私自身への過去を追憶したいためである。あるひとの来歴に対するのすたるじやとも言えるだろう

――とあり、


「氷島」には、

……著者は、すべての芸術的野心を廃棄し、単に「心のまま」に、自然の感動に任せて書いたのである。したがって著者は、決して自ら、その詩集の価値を世に問おうと思って居ない。この詩集の正しい批判は、おそらく芸術品であるよりも、著者の実生活の記録であり、切実に書かれた心の日記であるのだろう

 ――とあります。

(現代表記に直してあります。編者。)

 

 

ここに見られるように

「来歴」と「心の日記」は

老若の差、

乾湿の差、

甘美辛苦の差はあっても

骨組みは符号している

――と読めるでしょう。

 

 

「氷島」への寺田の読み解きは

このあたりでほぼ終えられるのですが

結びに「氷島」の詩風は朔太郎の作品歴のいつごろ芽生えたのだろうか

――という問いを加えます。

 

「氷島」と「愛憐詩篇」の序文に述べられている内容が相似していても

「氷島」の詩篇を作らせた詩風や詩法が

なお具体的に実作としてはじめられたのはいつのどの詩(集)なのか

 

その見当をつけようとします。

 

 

「郷土望景詩」には

パテティックで慷慨調である点で

「氷島」を予感させるものがあるけれど

もう少し遡(さかのぼ)って

「蝶を夢む」にはじまりがある

――というのが寺田の主張です。

 

 

それを例証するために取り出されるのが

「蝶を夢む」中の「まずしき展望」です。

 

げにきょうの思いは悩みに暗く
そはおもたく沼地に渇きて苦痛なり
いずこに空虚のみつべきありや
風なき野道に遊戯をすてよ
われらの生活は失踪せり。

――という「まずしき展望」の後半部ですが

この詩にめぐり逢った思索者・寺田透が抱いたのは

解放感でした。

 

 

花のすえる匂い

なまあたたかい夜

軟体動物という言葉の呼びさます感覚

閉された庭

羊歯類

ほのじろい、うつけたような桜

透けて見える草の根

流れすぎる春の潮の肌ざわり。

 

そういう幻想が醸成する

さびしいという言葉さえエロティックな

明暗を定めがたい

けだるげな無限旋律による輪舞のような

「青猫」の詩境を僕とて感じられないわけではない

 

その架空の詩世界を作り出した詩人の技術が

そのからだの内部から分泌された

有機的な、体液のような技法であることを

わからないものではない

 

しかしまだそこには

辿りついていない、もどかしさを感じさせる何か

借り物めいた

決定的でない何かがある

 

 

「青猫」というご馳走(という言葉を寺田は使っていませんが)をしたたかに振舞われた後に

「まずしき展望」を読んだからという理由だけでないことは

すでに延々と述べてきたとおり。

 

より明確にいえば

「『青猫』以後」こそが芸術的かつ現代的である

――という結論に至るのです。

 

「まずしき展望」の全行を上げておきましょう。

 

 

まずしき展望

まずしき田舍に行きしが
かわける馬秣(まぐさ)を積みたり
雑草の道に生えて
道に蝿のむらがり
くるしき埃のにおいを感ず。
ひねもす疲れて畔(あぜ)に居しに
君はきゃしゃなる洋傘(かさ)の先もて
死にたる蛙を畔に指せり。
げにきょうの思いは悩みに暗く
そはおもたく沼地に渇きて苦痛なり
いずこに空虚のみつべきありや
風なき野道に遊戯をすてよ
われらの生活は失踪せり。

(青空文庫より。現代表記に直しました。編者。)


 

今回はここまで。

 

2015年1月17日 (土)

寺田透の「氷島」支持論9/筋肉質の人間・朔太郎

(前回からつづく)

 

脂肪酸につつまれたような詩人から

筋肉質の爽やかな人間へ!

 

萩原朔太郎の変化を

寺田透はこのように表現しました。

 

 

そこで持ち出された「氷島」の「詩篇小解」には

恋愛詩4篇……凡て昭和5―7年の作。今は既に破き捨てたる、日記の果敢なきエピソードなり。我れの如き極地の人、氷島の上に独り住み居て、そもそも何の愛恋ぞや。過去は恥多く悔多し。これもまた北極の春夜に見たる、侘しき極光(オーロラ)の幻燈なるべし

――とあり、

 

「序文」には

近代の抒情詩、概ね皆感覚に偏重し、イマヂズムに走り、或は理智の意匠的構成に耽って、詩的情熱の単なる原質的表現を忘れている。

 

却ってこの種の詩は、今日の批判で素朴的なものに考えられ、詩の原始形態の部に範疇づけられている。しかしながら思うに、多彩の極致は単色であり、複雑の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は、無技巧の自然的単一に帰するのである

――とあります。

 

これらの記述が反映されたかのように

「氷島」には

詩的情熱の素朴純粋な詠嘆が

損なわれず飾られぬ姿で表白されている、というのです。

 

それは

涸渇どころか

詩の究極のイデヤに

詩が最も近づいた場合である、と。

 

 

夢見られただけで真に自分のうちに根づいていない、

近代的なエキゾチックな

ふさわしくないところで爛熟し腐敗し

ふさわしくない粉黛(ふんたい)を帯びた

――と見なされた「青猫」までの詩風は

このようにして朔太郎自身によって否定されたものと寺田は読みます。

 

 

朔太郎のこの変化は(詩史的に見れば)

自然主義の感情蔑視を敵と見なした出発を自ら否定し

自然主義の末流と同じところに行き着いたことを意味している

 

告白を表現の動機とするというのはその現れであり

「月に吠える」や「青猫」が実現した

感情世界を創造するフィクションとしての役割や面白みなどを

自ら否定したことになる。

 

 

これは角度を変えてみれば

「氷島」で朔太郎は「愛憐詩篇」へ帰った

――ということ。

 

「帰郷」の

いかんぞ故郷に独り帰り

さびしくまた利根川の岸に立たんや。

汽車は曠野を走り行き

自然の荒寥たる意志の彼岸に

人の憤怒を烈しくせり。

――は、

 

「愛憐詩篇」の「こころ」と相似形をなしている。


「こころ」は、

こころをばなににたとえむ

こころはあじさいの花

ももいろに咲く日はあれど

うすむらさきの

――というように甘美で憂愁なストローフ(連)ではじまるのに

最後には

こころは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言うことなければ

わが心はいつもかくさびしきなり

――と無味索漠たる説明口調の自覚の表明で結ばれているのだ


どちらも

自己存在の分裂を示している。

 

 

自己分裂は、

若き日には

甘美な嘆きの種であり

ナルシシスムの母胎であったものが

老いの迫った日には

苦しみの種

自分へのあいそづかしの根拠でしかない

 

「極北の住人」は

あいそづかしを強烈に劇的に行っただけで

自己分裂をよりいっそう推し進めているにすぎない

 

自己分裂は

応答というものもなく

前進という可能性もないもので

虚無(の深み)は

自分を極北の住人と見なす場合も

自分のこころを「あじさい」にたとえる場合も

変わるところはない。

 

 

このことを証明するために

今度は「氷島」と「愛憐詩篇」の二つの序文が

互いに近似しているものとして呼び出されるのです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

「帰郷」と「こころ」の全行を

引いておきます。

 

 

帰郷

    昭和4年の冬、妻と離別し2児を抱えて故郷に帰る

 

わが故郷に帰れる日

汽車は烈風の中を突き行けり。

ひとり車窓に目醒むれば

汽笛は闇に吠え叫び

火焔(ほのお)は平野を明るくせり。

まだ上州の山は見えずや。

夜汽車の仄暗き車燈の影に

母なき子供等は眠り泣き

ひそかに皆わが憂愁を探(さぐ)れるなり。

鳴呼また都を逃れ来て

何所(いずこ)の家郷に行かむとするぞ。

過去は寂寥の谷に連なり

未来は絶望の岸に向えり。

砂礫(されき)のごとき人生かな!

われ既に勇気おとろえ

暗憺として長(とこし)なえに生きるに倦みたり。

いかんぞ故郷に独り帰り

さびしくまた利根川の岸に立たんや。

汽車は曠野を走り行き

自然の荒寥たる意志の彼岸に

人の憤怒(いきどおり)を烈しくせり。

 

 

こころ

 

こころをばなににたとえん

こころはあじさいの花

ももいろに咲く日はあれど

うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。

 

こころはまた夕闇の園生のふきあげ

音なき音のあゆむひびきに

こころはひとつによりて悲しめども

かなしめどもあるかいなしや

ああこのこころをばなににたとえん。

 

こころは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言うことなければ

わがこころはいつもかくさびしきなり。

 

(青空文庫より。現代表記に直し、適宜、洋数字に変えました。編者。)

 

 

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2015年1月14日 (水)

寺田透の「氷島」支持論8/シェストフ的実存

(前回からつづく)

 

今日の思惟するものを断絶して

百度(たび)もなお昨日の悔恨を新たにせん。

 

「新年」は

末行でこの2行を歌って閉じます。

 

 

何度でも何度でも同じ情念に苦しもうという心情の表白

――と、この詩行を読んで

寺田はここに歌われる思惟について考察し

またも「弁証法」を呼び出します。

 

ここで思惟とは

恒常不変の弁証法を軌道とし、方法とするもの、

つまり理性ということになる

 

合理、連続、明証、それらを手がかりとして

きのうによってきょうを、

きょうによってあすを予想し説明する、

持続的なもの体系的なもの、

それらを信奉することになるだろう

 

「大井町」に歌われた

貧しくうすよごれた日常的な姿をとるにせよ

持続し体系的なものは理性である

 

それを断絶して

百度もなお昨日の悔恨を新たにすると歌うのは

詩人がシェストフの徒になったからである

――と指摘するのです。

 

 

「新年」に現われる実存はシェストフに由来するということが

「氷島」評価が頂点に至ろうとするときに

寺田によって主張されたことは記憶されてよいことでしょう。

 

しかし、詩はそのように読まれたからといって

近くなるものではないことも銘記しておかねばなりません。


シェストフの名が挙がったからといって

詩が読めるものではないはずですから。

 

 

この決意。

 

何度でも何度でも

百度でも悔恨してみせるという決意。

 

それは涸渇ではなく、

自己への覚醒を語っている。

 

ここに寺田の鑑賞の到達点があります。

 

 

この覚醒は、

やわらかいもの変現(ママ)するもの、

甘美なものの断念が必要である

 

そのことが覚醒を涸渇と見誤られただけの話ではなかったか。

 

 

覚醒とは

宮沢賢治風に言えば

脂肪酸につつまれた詩人・朔太郎が

筋肉質の爽やかな人間になったということである。

 

 

シェストフが登場し

宮沢賢治が登場し。

そして、

「氷島」の「詩篇小解」と「序文」が

呼び出されます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。


「大井町」をあげておきます。

 


大井町


おれは泥靴を曳きずりながら

ネギや ハキダメのごたごたする

運命の露地(ろじ)をよろけあるいた。

ああ 奥さん! 長屋の上品な嬶(かかあ)ども

そこのきたない煉瓦の窓から

乞食のうす黒いしゃっぽの上に

鼠(ねずみ)の尻尾でも投げつけてやれ。

それから構内の石炭がらを運んできて

部屋中いっぱい やけに煤煙でくすぼらせろ。

そろそろ夕景が薄(せま)ってきて

あっちこっちの家根の上に

亭主の”しゃべる”が光り出した。

へんに紙屑(かみくづ)がべらべらして

かなしい日光のさしてるところへ

餓鬼共(がきども)のヒネびた声がするではないか。

おれは空腹になりきっちゃって

そいつがバカに悲しくきこえ

大井町織物工場の暗い軒から

わあっと言って飛び出しちゃった。


(「日本の詩歌 萩原朔太郎」より。現代表記に直してあります。編者。)

 

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2015年1月13日 (火)

寺田透の「氷島」支持論7/「青猫」詩人の必然

(前回からつづく)

 

「新しき弁証の非有」を

どうにか読み解いたところで

「新年」にはまだ未解明の詩行が

大岩のように聳えています。

 

 

この詩を詩と認めない人々が

読解を放棄してしまった詩行が

詩の終わりに入ろうとするところに

また立ち現われるのです。

 

わが感情は飢えて叫び

わが生活は荒寥たる山野に住めり。

いかんぞ暦数の回帰を知らむ。

――と。

 

とりわけこの3行中の最後の行。

 

 

この行は

この詩の前の方に置かれた

地球はその週暦を新たにするか。

――と呼応しているのですが

これを読み解く寺田の口調は

なにが表明されているのかはっきりしない独白(独創)のようなものをはさんで

一つの断言へと至ります。

 

自分は十分に理解しているから自明であることが

他者には見えないでいるときに起こりがちな

伝達の一方通行みたいなことがここにあります。

 

 

寺田のその一方通行的な(と思われる)読み解きの部分を

ここで原文のまま載せておきましょう。

 

 

この最後の句は前の「地球はその週暦を新たにするか」とともに、歌われている事柄の現実性、必然性を認識者としては肯定しながら、しかし一回きりこの世に生きる特殊な個として、その肯定がおのれ自身にとってなんらの価値ももたないということの歌い上げである、と言うほかあるまい。

 

かれの生きているのは、自分と自分と係わりなきものの二元である。係わりなきものがかれにとっては、おのれの存在の敵だというところにかれの不幸がある。かれはかれの白眼視するものを見下すことができず、むしろかえってそれに切りさいなまれる。

 

「氷島」一巻の、苛立たしい、激越な朗吟風の声調は、その決裂の声だと言っていいだろう。「乃木坂倶楽部」がよくそのことを語っている。

 

だから、「いかんぞ」「いかなれば」「いずこに」と歌い出しても、かれは、その問いの形式に、答があろうとは全然考えていない。

 

 

だから

――と寺田はこの一方通行的な主張(独白・独創)を

「順接」で受けて断言するのです。

 

「いかんぞ」も

「いかなれば」も

「いづこに」も

詩人がその問いへの答えを用意しているものではなく

むしろ答えのないことを知っているからこそ

真情を問いの形で言い表した

――という断言です。

 

それは独特の個性的な読みといえるものでしょうが

なぜ「だから」なのかが伝わってきません。


よく読めば「決裂」がキーワードのようですが。

 

 

(一方通行の部分をはさんでいるものの)

「青猫」の典雅で優艶な詩人は「こういうもの」になった

それは必然のことであったと僕には思われる

――と末行2行を残していますが)「新年」の読みを終え

一定の結論へ至ります。

 

 

「新年」をこのように読んだ寺田はやがて

「氷島」の諸詩篇は、

涸渇の様相どころか、他でもなく、

詩の究極のイデヤに詩がもっとも近づいた場合

――という最高の賛辞を表明することになります。



途中ですが

今回はここまで。


 

乃木坂倶楽部

 

十二月また来れり。

なんぞこの冬の寒きや。

去年はアパートの五階に住み

荒漠たる洋室の中

壁に寝台(べっと)を寄せてさびしく眠れり。

わが思惟するものは何ぞや

すでに人生の虚妄に疲れて

今も尚家畜の如くに飢えたるかな。

我れは何物をも喪失せず

また一切を失い尽せり。

いかなれば追わるる如く

歳暮の忙がしき街を憂い迷いて

昼もなお酒場の椅子に酔わむとするぞ。

虚空を翔け行く鳥の如く

情緒もまた久しき過去に消え去るべし。

 

十二月また来れり

なんぞこの冬の寒きや。

訪うものは扉(どあ)を叩(の)っくし

われの懶惰を見て憐れみ去れども

石炭もなく暖炉もなく

白亜の荒漠たる洋室の中

我れひとり寝台(べっと)に醒めて

白昼(ひる)もなお熊の如くに眠れるなり。

(青空文庫「氷島」より。現代表記に直してあります。編者。)

2015年1月12日 (月)

寺田透の「氷島」支持論6/「虚無の時空」の奇蹟

(前回からつづく)

 

詩の鑑賞を記すのは散文ですから

散文に目を奪われてしまって

肝心の詩をそっちのけにする危険な傾向があります。

 

あくまで詩を読もうとして

他者の鑑賞記録を読むのですから

詩から離れないようにすることが大切です。

 

 

新年


新年来り

門松は白く光れり。

道路みな霜に凍りて

冬の凜烈たる寒気の中

地球はその週暦を新たにするか。

われは尚悔いて恨みず

百度(たび)もまた昨日の弾劾を新たにせむ。

いかなれば虚無の時空に

新しき弁証の非有を知らんや。

わが感情は飢えて叫び

わが生活は荒寥たる山野に住めり。

いかんぞ暦数の回帰を知らむ

見よ! 人生は過失なり。

今日の思惟するものを断絶して

百度(たび)もなお昨日の悔恨を新たにせん。


(青空文庫「氷島」より。現代表記に直してあります。編者。)


 

思想者・寺田透の「新年」読解は

まだまだ続きます。

 

 

朔太郎にとって現世は

自然界も人間界も

かれを救い慰め明日への活力を与えてくれるものではなく、

 

我れ既に生活して、長く疲れたれども、帰すべき港を知らず。

暗澹として碇泊し、心みな錆びて牡蠣に食われたり。

――と「品川沖観艦式」に自註(詩篇小解)しているような境地にあり、

虚無以外ではなかった。

 

虚無は与えず励まさぬものであった。

 

 

であるから

「新しき弁証の有」(「新しき弁証の非有」にではなく!)

――それは進歩や成長の安泰を打ち砕くもの!――に

はかなくも熱烈な望みをかけることしかなくなっている。

 

生き延びる可能性はそこにしかない。



「弁証の有」は変化(進歩)、

「弁証の非有」は非・変化(進歩)

――ということでしょうか。


 

昨日の悔恨、昨日の弾劾を新たにする間に

「新しき弁証」の発生を期待できるのではなかろうか。


悔恨、弾劾を繰り返すことに

懲りることはない。

なんら苦にならない。


むしろその中から

光は見えるかもしれない。

 

 

「新しき弁証の有」と「新しき弁証の非有」と。

 

 

朔太郎の存在を否定しにかかる外部存在、

すなわち変化をとどめるもの。


それに対峙する「止揚形態以外の変化の発生」を

奇蹟を待つように期待する


止揚形態以外の変化とは

弁証法以外の運動法則ということですから

とても稀な変化ということになります。

 

ディアレクティケー(弁証法)の一般法則を超える奇蹟

――を朔太郎は望んでいたのであり

その望みを「新年」の(あの)2行

いかなれば虚無の時空に

新しき弁証の非有を知らんや。

――で歌ったのである。

 

 

「新しき弁証の非有」を

ようやく読み解いてなお

「新年」は読み終えられていません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

2015年1月11日 (日)

寺田透の「氷島」支持論5/「弁証の非有」という詩語

(前回からつづく)

 

新年

 

新年来り

門松は白く光れり。

道路みな霜に凍りて

冬の凜烈たる寒気の中

地球はその週暦を新たにするか。

われは尚悔いて恨みず

百度(たび)もまた昨日の弾劾を新たにせむ。

いかなれば虚無の時空に

新しき弁証の非有を知らんや。

わが感情は飢えて叫び

わが生活は荒寥たる山野に住めり。

いかんぞ暦数の回帰を知らむ

見よ! 人生は過失なり。

今日の思惟するものを断絶して

百度(たび)もなお昨日の悔恨を新たにせん。

 

(青空文庫「氷島」より。現代表記に直してあります。編者。)

 

 

朔太郎の「新年」第8、9行に

いかなれば虚無の時空に

新しき弁証の非有を知らんや。

――とあり

とりわけ第9行中の「弁証の非有」を詩語らしからぬものと読む人は多くあるらしく

ここでも「氷島」評価の分かれ目となるのですが

寺田透は積極的にこれを読み解こうとします。

 

 

それがまたむずかしいのです。

 

そもそも「弁証」を説明しようとすれば

空疎な哲学用語の語彙解説になり

あらかじめこのあたりを了解済みであると前提すれば

これが何を言っているのかわからなくなって

詩から離れていくばかりです。


ここはしかし重要なところなので

飽きずに追いかけてみましょう。

 

 

およそ進歩があるためには、即自と対自の対立、抗争と止揚という

ディアレクティックの形式は、

不変でなければならないだろう。

――とおもむろに寺田は語りはじめます。

 

進歩があるということは

弁証法(という運動)の形が不変でなければならない。

 

その運動の形(式)は

即自、対自の対立、抗争、そして止揚

――と一般に説明されるところを

いちいち寺田は説明しません。

 

 

形式は不変であらねばならないときに

この形式に盛られる事実は進化する。


弁証の項の内容は

歴史的に進化していく。

 

それだけのこと。

 

 

次の段階を

新しい弁証の形式が律する(統制し支配し)というようなことになれば

前代後代との比較は不可能になり

進歩の概念そのものも成立しなくなる。

 

このことを

「新しき弁証の非有」と朔太郎は言った。

 

 

どうすれば

虚無の時空に

新しい弁証の非有を

知ることがあるか。

 

知ることはない。

知る。

 

どちらの意味にも取れそうです。

 

 

できれば他の言葉に置き換えて説明してくれれば

解りやすくなったかもしれないところを寺田は控えました。

 

 

(わたくし=朔太郎という)実存あるいは人間の存在は

虚無の時空に棲(す)んで久しく

……

 

進歩もしない退歩もしない。

しかし

変化しない世界なんてあるものか。


進歩しないのがわかっている以上

何度でも何度でも

昨日の弾劾を新たにし

昨日の悔恨を新たにする。

弾劾し

悔恨も繰り返す。

  

このあたりに

望みはあるかもしれない。

……というように読み替えることができるかもしれません。

 

 

朔太郎がその中にあった虚無は深かったのです。

 

「新年」はそれ(虚無)を歌いますが

そこに埋没する歌ではありません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年1月 9日 (金)

寺田透の「氷島」支持論4/ねじまげられた言葉使い

(前回からつづく)

 

「いかんぞ」という起句は

通常なら「や」という結句と呼応して反語表現(否定)とするものですから

文法的には「立たずや」「立たざらんや」とするところですが

ここに否定句がないのはおかしいと

三好達治なら指摘するところです。

 

 

ところが寺田は

ここには「いずこに家郷はあらざるべし!」と同様の

「ねじまげられた使いざま」があるのであって

反語的機能は成立しないと読み直します。

 

いかんぞ故郷に独り帰り

さびしくまた利根川の岸に立たんや。

――を「立つ」意志として取ることが可能とするのです。

 

起句「いかんぞ」は結句「や」とともに

肯定・強調の役をするだけである、と。

 

 

「帰郷」の詩人は

にっちもさっちも行かない混迷の渦の中にありました。

 

昭和7年制作の「新年」がこうして

「帰郷」と同じように誤解され易い(または理解され難い)表現が現われる例として

呼び出されます。

 

 

道路みな霜に凍りて

冬の凛烈たる寒気の中

地球はその週暦を新たにするか。

われは悔いて恨みず

百度もまた昨日の弾劾を新たにせむ。

 

 

賛否の分かれるこの詩を読み解く寺田の論法は

熟慮に熟慮を重ねたことが想像される

核心を突いたものになります。

 

かつてこの詩をめぐって

帝大生である杉浦民平らと議論を重ねた時間が

現在(「朔太郎管見」発表の1958年当時)も尾を引いているとでもいうように

杉浦の最近(同)の発言を寺田は引きながら

誤解されやすく理解し難い詩行を解釈してみせます。

 

杉浦民平がかつて理解不能としたところです。

 

 

寺田の読み解きを要約することは至難であるのは

詩行そのものが多様な解釈の可能な難解さをもつからですが

「『青猫』以後」の序文を読みながら

ディアレクティケー(弁証法)のレトリックに共感できるのは

杉浦よりも自分であると言って

果敢に「新年」を読み進みます。

 

 

「青猫以後」の序文には

「進歩はどこにもない。実にあるのはただ変化のみ」とあり

「進歩史観」(という語を朔太郎は使っていません)へのアンチ・テーゼが宣言されているのですが

このことは利根川のほとりに帰ることも

あす東京に出て来ることも等価の

流転の一局面にすぎないものかもしれないとして

いかなれば虚無の時空に

新しき弁証の非有を知らんや

――という詩行をよみほぐします。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

「新年」全行を

現代表記で掲出しておきます。

 

 

新年

 

新年来り

門松は白く光れり。

道路みな霜に凍りて

冬の凜烈たる寒気の中

地球はその週暦を新たにするか。

われは尚悔いて恨みず

百度(たび)もまた昨日の弾劾を新たにせむ。

いかなれば虚無の時空に

新しき弁証の非有を知らんや。

わが感情は飢えて叫び

わが生活は荒寥たる山野に住めり。

いかんぞ暦数の回帰を知らむ

見よ! 人生は過失なり。

今日の思惟するものを断絶して

百度(たび)もなお昨日の悔恨を新たにせん。

 

(青空文庫「氷島」より。)


寺田透の「氷島」支持論3/弁証法のレトリック

(前回からつづく)

 

「いかんぞ」という起句は

通常なら「や」という結句と呼応して反語表現(否定)とするものですから

文法的には「立たずや」「立たざらんや」とするところですが

ここに否定句がないのはおかしいと

三好達治なら指摘するところです。

 

 

ところが寺田は

ここには「いずこに家郷はあらざるべし!」と同様の

「ねじまげられた使いざま」があるのであって

反語的機能は成立しないと読み直します。

 

いかんぞ故郷に独り帰り

さびしくまた利根川の岸に立たんや。

――を「立つ」意志として取ることが可能とするのです。

 

起句「いかんぞ」は結句「や」とともに

肯定・強調の役をするだけである、と。

 

 

「帰郷」の詩人は

にっちもさっちも行かない混迷の渦の中にありました。

 

昭和7年制作の「新年」がこうして

「帰郷」と同じように誤解され易い(または理解され難い)表現が現われる例として

呼び出されます。

 

 

道路みな霜に凍りて

冬の凛烈たる寒気の中

地球はその週暦を新たにするか。

われは悔いて恨みず

百度もまた昨日の弾劾を新たにせむ。

 

 

賛否の分かれるこの詩を読み解く寺田の論法は

熟慮に熟慮を重ねたことが想像される

核心を突いたものになります。

 

かつてこの詩をめぐって

帝大生である杉浦民平らと議論を重ねた時間が

現在(「朔太郎管見」発表の1981年当時)も尾を引いているとでもいうように

杉浦の最近(同)の発言を寺田は引きながら

誤解されやすく理解し難い詩行を解釈してみせます。

 

杉浦民平がかつて理解不能としたところです。

 

 

寺田の読み解きを要約することは至難であるのは

詩行そのものが多様な解釈の可能な難解さをもつからですが

「『青猫』以後」の序文を読みながら

ディアレクティケー(弁証法)のレトリックに共感できるのは

杉浦よりも自分であると言って

果敢に「新年」を読み進みます。

 

 

「青猫以後」の序文には

「進歩はどこにもない。実にあるのはただ変化のみ」とあり

「進歩史観」(という語を朔太郎は使っていません)へのアンチ・テーゼが宣言されているのですが

このことは利根川のほとりに帰ることも

あす東京に出て来ることも等価の

流転の一局面にすぎないものかもしれないとして

いかなれば虚無の時空に

新しき弁証の非有を知らんや

――という詩行をよみほぐします。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

「新年」全行を

現代表記で掲出しておきます。

 

 

新年

 

新年来り

門松は白く光れり。

道路みな霜に凍りて

冬の凜烈たる寒気の中

地球はその週暦を新たにするか。

われは尚悔いて恨みず

百度(たび)もまた昨日の弾劾を新たにせむ。

いかなれば虚無の時空に

新しき弁証の非有を知らんや。

わが感情は飢えて叫び

わが生活は荒寥たる山野に住めり。

いかんぞ暦数の回帰を知らむ

見よ! 人生は過失なり。

今日の思惟するものを断絶して

百度(たび)もなお昨日の悔恨を新たにせん。

 

(青空文庫「氷島」より。)


2015年1月 8日 (木)

寺田透の「氷島」支持論2/思惟する詩のはじまり

(前回からつづく)

 

「漂泊者の歌」を、

 

日は断崖の上に登り

憂いは陸橋の下を低く歩めり。

無限に遠き空の彼方

続ける鉄路の棚の背後(うしろ)に

一つの寂しき影は漂う。

 

――と読みはじめる寺田に現われる帝大生の杉浦民平の下宿の風景。

 

そこには立原道造が登場します。

 

 

今でもそう読んで行くと、僕の眼前には、本郷菊坂の杉浦の下宿の一間にさしこむ赤茶けた日のいろだの、掛け机とならんでおいてあった杉浦には不似合と思うひともあるかも知れないやさしいデザインの坐り机、

 

そのそばで早口に言いあいをしている色の黒い長身の立原と色白で背の低い杉浦の姿が浮び、その声まで聞えて来るような気がする。

 

(※「近代文学鑑賞講座」中の「朔太郎管見」より。)


 

学生服の寺田は少し離れた床の間の前で

二人の討論を聞いています。

 

二人のやりとりに

寺田は疎隔(そかく)を感じています。

 

やさしい、繊細な、軟かな感情を表現する

詩的な口舌の技術がかれらにはあって、

 

それがみずからを「感性上の貴族」とするための楯(たて)のように見えて

攻撃の材料としたのでしょうか

寺田はいつも立原を傷つける役を演じる「田舎侍」になってしまいます――。

 

 

文京区の本郷菊坂は

樋口一葉や宮沢賢治の旧居跡などで知られる古い家並みが多く

近くに東京大学へ通じる正門や赤門もあるため

周辺には学生街も抱えている

現在もかわらぬ歴史的風景の残る街です。

 

その一角に

杉浦の下宿もありました。

 

 

「青猫」ではなく

「氷島」に心を奪われるというのは

田舎侍だからであろうか

そうではないことを言いたいのだ

――と寺田は遠い日を思い出しながら主張し

本論へと入っていきます。

 

そして

朔太郎が詩人として思惟するひとで真にありえたのは

「氷島」という詩集においてであった

――という全面的な「氷島」支持論の結論が

まずは述べられます。

 

思惟のひと。

その始原へ。

 

 

そこで遡(さかのぼ)られるのは

大正6年作とされる遺稿「都会と田舎」に、

 

ありとあらゆる官能のよろこびとそのなやみと、

ありとあらゆる近代の思想とその感情と

およそありとあらゆる「人間的なるもの」のいっさい

――と歌われた「都会」でした。

 

その「都会」と

荒涼とした自然と貧困で不活発な人間しか存在しない「田舎」。

 

二つの世界の往還(行きつ戻りつ)をやめた詩人が

かれ自身に、

上州人らしいかれ自身になった

――ことを詩集「氷島」に読むことができるというのです。

 

それは

第1詩集「月に吠える」よりも古い詩篇がしめすところに

朔太郎が戻ったことではないか。

 

寺田がそしてまた遡るのは

朔太郎が大正2年晩夏に歌った

「利根川のほとり」の次のくだりです。

 

 

きのふまた身を投げんと思ひて

利根川のほとりをさまよひしが

水の流れはやくして

わがなげきせきとむるすべもなければ

おめおめと生きながらへて

今日もまた河原に來り石投げてあそびくらしつ。

 

 

だから、

 

ああ汝 漂泊者!

過去より来りて未来を過ぎ

久遠の郷愁を追い行くもの。

――と自分自身へ呼びかける「漂泊者の歌」は

今日もまた河原に来り石投げてあそびくらしつ。

――と歌った利根川の河原へ帰ることを夢見て歌われた歌ではなかったかと読むのです。

 

そして、

 

ああ汝 寂寥の人

悲しき落日の坂を登りて

意志なき断崖を漂泊(さまよ)い行けど

いずこに家郷はあらざるべし。

汝の家郷は有らざるべし!

――の「家郷は有らざるべし!」は

家郷を持ったこともなく

持たないことを悲しみもしない心での叫びであるはずがない

 

この投げつけるような調子は

家郷をしのんでやまない自分の心に投げつける

礫(つぶて)の音だ。

 

 

また、

 

「いずこに」も

はじめから否定を想定しているものではなく

「いずこにかあらん!」という

やがて否定され悲嘆となることへの期待を示していて、

 

それは「帰郷」の

まだ上州の山は見えずや。

――というフレーズが、

 

過去は寂寥の谷に連り

未来は絶望の岸に向えり。

砂礫のごとき人生かな!

…………

いかんぞ故郷に帰り

さびしくまた利根川の岸に立たんや。

汽車は曠野を走り行き

自然の荒寥たる意志の彼岸に

人の憤怒を烈しくせり。

――と続けられていることに注目します。

 

ここで歌われているのは

傷ついた戦士が

車に乗せられて故郷へ運ばれる途中で言う言葉である。

 

 

いかんぞ故郷に独り帰り

さびしくまた利根川の岸に立たんや。


「いかんぞ……や」は

「どうして……するわけがない」という反語表現のはずですから

どうして故郷に独り帰り

さびしくまた利根川の岸に立たないことがあろう

――という意味になります。


 

立とうとする

立つのである

利根川の岸に立つのである。

――と寺田はこのくだりに詩人の意志を汲み取ります。

 


「帰郷」も

「漂泊者の歌」に

つながっている。


「漂泊者の歌」に

上州への恋慕(という言葉は使われていませんが)を

寺田は読み取ろうとするかのようです。

 


今回はここまで。

 

「利根川のほとり」全行の

現代かな表記を掲出しておきましょう。


 

利根川のほとり

 

きのうまた身を投げんと思いて

利根川のほとりをさまよいしが

水の流れはやくして

わがなげきせきとむるすべもなければ

おめおめと生きながらえて

今日もまた河原に来り石投げてあそびくらしつ。

きのうきょう

ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ううれしさ

たれかは殺すとするものぞ

抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。

  

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