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カテゴリー「詩と映画と」の記事

2019年4月 2日 (火)

テオ・アンゲロプロス「アレクサンダー大王」鑑賞記

このシーンの意味するところは明快である。「大理石の像=神話は、歴史をつくるものではなく、歴史をつくるのは人間である」というテーゼである。
――テオ・アンゲロプロス「アレクサンダー大王」の希望

アレクサンダー大王
1981
ギリシア・イタリア・西ドイツ

妙に滑稽であり、妙に神々しく、陰気であり、淫乱であり、獰猛であり、気弱であり、鬱々としていながら、猛々しく、癲癇という病があり、妙にリアルである。そして、ついに専制権力者である。

テオ・アンゲロプロス「アレクサンダー大王」が描くアレクサンドロスは、矛盾を撞着(どうちゃく)したまま、一種、聖性を有するに至った世界に名高い歴史的人物を、その「神話化」から解き放ち、「人間化」する試みである。人間へと奪回する試みである。

世に言われるように、マルクス主義思想が「解放者」として把握してきたアレクサンダー像を、このようにして打ち壊し、「偶像化」から救出しにかかった。

そう読み取るのが正しい見方であろう。アンゲロプロスのテキストに沿った見方というものであろう。映画の見方に正しい見方というものがあるとすれば、そう見るのが「正統」な見方であり、「正当」な見方であるだろう。ここでは、この見方になんらの異議を唱えるものでもない。

アレクサンダーは、この映画の中の数少ない台詞で、「わたしは、目を覚ましたとき、大理石の頭部像を手にしていた。重い。わたしにはわからない。これをどうしろと言うのか」と語っている。終盤のシーンのこの発言の後、彼は、民衆に取り囲まれ、やがて民衆に飲み込まれて姿を消し、民衆が引いた後に、この大理石の像だけが、敷石に取り残される。

このシーンの意味するところは明快である。「大理石の像=神話は、歴史をつくるものではなく、歴史をつくるのは人間である」というテーゼである。映画「アレクサンダー大王」は、4時間を越える物語を通じて、この1点に向かいながら、現代ギリシアの歴史のはじまりに政府やイギリスに対してたたかった「こちら側」の「内部矛盾」を描いてきた。

アレクサンダーの娘(であり「妻」でもある)が斬殺され、社会主義思想のよき部分を代弁していた「教師」も処刑され、いよいよ軍隊の介入を招くという状況の中で、アレクサンダーはどこへ行ってしまうのか――というと、民衆の中に姿を飲み込まれてしまうのである。そうして、民衆が見えなくなったとき、大理石の像として立ち現れる。

ギリシア現代史が辿った誤った方向を、一人、少年アレクサンダーが見届け、混乱の最中、民衆の一人の女性に馬をあてがわれて、脱出する。夕陽に染まったアテネの街が映し出されてこの映画は終わる。そのアテネの街から少年アレクサンダーの疾駆する馬の蹄(ひづめ)の音が聞こえてくる。

(2001.7.15鑑賞&記)

テオ・アンゲロプロス「霧の中の風景」鑑賞記

「(この時間が)ずっと続くのがいい」と思うヴーラの心には、「恋」が芽生えてしまったのだろうか。それとも、全ギリシア的苦悩とでもいうべきものが、ヴーラとオレステスの関係に負わされたのだろうか。

霧の中の風景
1988
ギリシア

 テオ・アンゲロプロス「霧の中の風景」は、ドイツにいる父を訪ねて、アテネに住む姉弟が、母の目を盗んで2人で長い旅に出る物語である。姉ヴーラ12歳、弟アレクサンドロス6歳が、毎夜、就眠のベッドの寝物語に語りあってきた父親探しの旅を決行するのである。持っているのは、姉のショルダーバックだけであり、1銭の現金も持たない。

無賃乗車で、アテネ中央駅に飛び乗ったものの、鉄道警官に見咎められ、次の駅で降ろされてしまい派出所に連れて行かれる。姉弟が口に出した伯父がやってきたが、2人の引き取りを拒む。警官と伯父のやり取りを見ていて愕然とした姉弟は、スキをついて、その場を逃げ出すことに成功する。

雪の氷結する街路。近くで、結婚式のパーティーが賑やかに行われている。姉弟は、花嫁が宴席を逃げ出し、花婿が花嫁を追いかけて、なにやらいさかいするのを見る。その直後、トラックに引きずられた瀕死の馬が、雪の上に置き去りにされ、やがて死んで行く場面に立ち会う。しくしくと泣き出す弟を抱きとめる姉ヴーラ。

2人は、徒歩で、山道を行くと、旅劇団の送迎バスを運転する青年オレステスに会い、バスに便乗して、一座が稽古に余念のない砂浜へ同行する。一座は、「旅芸人の記録」の劇団であり、いまも「羊飼いの少女ゴルフォ」1本を演じながら、ギリシア全土を巡回公演しているのであった。エバ・コタマニドゥが、「アテネの33日間戦争」のくだりを稽古し、座長のアガメムノンはよりいっそう年老いている。

オレステスと姉弟は、山道で偶然に出会い、この映画の終焉まで関係は続くことになるが、オレステスとヴーラの出会い(=恋と呼んでいいかもしれない)は、この作品の重要なテーマに結びついている。

山を歩き、高速道路を歩き、また列車に無賃乗車し……。くたびれて、もう歩けないという弟を思い、ヴーラは、高速道路で強雨に打たれながら長距離トラックをヒッチした。運転手は、はじめ、腹を空かせた姉弟を行き着けの安レストランに誘い、情深くもてなすのだったが、やがて荷役桟橋にトラックを駐車すると、仮眠すると偽ってヴーラを荷台に導き、陵辱してしまうような男であった。血まみれの手を見つめる姉ヴーラは、なにを思うのであろうか。

癒しきれぬ傷を負ったヴーラであったが、父親に会うという目的は捨てない。再び列車に飛び乗るが、再び警官に追われ、いつしか荒涼とした工場地帯に姉弟は紛れ込んでしまっていた。しかし、ここでも、偶然にバイクにまたがったオレステスと会い、近くの海に遊ぶ。どこからか流れてくるロック。オレステスはヴーラと踊る……。

「(この時間が)ずっと続くのがいい」と思うヴーラの心には、「恋」が芽生えてしまったのだろうか。それとも、全ギリシア的苦悩とでもいうべきものが、ヴーラとオレステスの関係に負わされたのだろうか。まもなく、芝居をやめて軍隊に入ることになっているオレステスの優しさに耐え切れずに、ヴーラは突然、踊るのを止めて、オレステスの目をじっと見つめる。「なにか大事なことを見つけたんだ、一人にしてあげよう」と、何かを察知した弟アレクサンドロスに言うオレステス。

アテネ発テリッサ、カラリーニ経由ドイツ行き国際特急の出発を知らせるアナウンスを聞き、オレステスは、「3人の旅は終りだね」と別れのあいさつをするが、ヴーラは「終わらないわ」と毅然として投げ返す。オレステスも、終わらないことがウキウキした気持ちになっていることを自覚する。こうして、また一座の元へ寄ると、彼らは経済的ピンチを切り抜けるために劇に使う衣装をう競売にかけているところであった。オレステスは、「葬式は嫌いだ」と叫んで、一座に別れを告げるのである。

夜、弟とともにするベッドを抜け出し、オレステスの部屋を訪ねるヴーラ。空のベッドが、明かりの付けはなしたままの部屋で白々しく輝いている。

その頃、オレステスは、海辺に佇(たたず)んでいる。目前の海から、巨大な石膏の手首が現れ、ヘリコプターに吊り上げられ、やがて薄明のビルディングの彼方に飛び去っていく。(あれは、「ユリシーズの瞳」に出てきたレーニン像の一部なのだろうか)。神妙に、かつ茫然として、手首が浮遊し遠ざかってゆくのを、オレステス、ヴーラ、アレクサンドロスの3人が見送っている……。「もしも私が叫んだとて、天使たちのだれが聞くだろう」と、オレステスはリルケの詩の1節を吐き捨てる。

オレステスは愛車をバイク集団の若者に売る交渉を成立させた後、姉弟と、最後の夜をディスコで過ごす。しかし、ヴーラはほっておかれ、弟とともにディスコを抜け出し、また、旅の人となる。夜の高速道路を、ヴーラは弟の手を引っ張り、怒ったように、進んで行く。オレステスが、今夜限りのバイクに乗って2人に追いつき、ヴーラを抱きしめる。「最初のときはだれでもそうなんだ。最初のときはだれでもそうなんだ。心臓は破れそうになる。最初のときはだれでもそうなんだ。息が乱れ、死にそうな気がする」と、ヴーラに語る。

姉弟は、ドイツを目指す。金を持たないヴーラは、とある駅で兵隊を見つけ、385ドラクマを所望する。兵隊は、少女を「買う」心押さえがたく、右往左往した上、ついに紙幣をヴーラに渡すだけにとどまる。

暗闇に、ヴーラの声がする。「川を渡ったところがドイツよ」。小船を漕ぐヴーラとアレクサンドロスに、「止れ」という国境警備員の声がかかった直後、「ドン」という銃声。しかし、2人は助かった。朝が訪れ、2人はドイツにいる。靄が次第に解け、輪郭の明確な景色が現れると、広大な原野に一本の木が立っているのが見える。駆け寄って、その木を抱きしめるヴーラとアレクサンドロス。

(2001.7.14鑑賞&記)

2019年4月 1日 (月)

テオ・アンゲロプロス「シテール島への船出」鑑賞記

頑固一徹で時代遅れとばかり思えていた老人が艫綱を解く段になって、観客はようやくその心根に触れ、深い共感を覚えている自分を見い出すことになる 。

シテール島への船出
1984年
ギリシア

長い旅から帰国する男がいる。求婚者を振り払い、待ちわびる妻がいる。というだけで、これはもう、オデュッセウスとペネロペイアの物語ということになるのだが、この作品ほどもろにその原典の物語と結びついている他の作品を知らない。後の作品「ユリシーズの瞳」が、「4人のペネロペイア」を登場させることになるのに比べて、本作の妻カテリーナはペネロペイアそのもののようであり、スピロはオデュッセウスそのもののようである。

映画「シテール島への船出」を撮影中の監督アレクサンドロスは、オーディションでスピロ役の俳優を選ぼうとするが、応募した多数の老人に存在感は感じられずにいるところ、ラベンダー売りの老人を見初める。

この冒頭のシーンは、映画の外の現在形だが、次の場面からは、監督であると同時に映画の主人公であるスピロ=オデュッセウスの息子の役をあわせ負う。時に監督、時にスピロとカテリーナの息子という二重性を演じる、自在な役を担って登場する。撮影中の映画「シテール島への船出」は、それを監督している人物の、映画の外の現在形と映画の内部の時間との境目がない。

映画は、32年振りに帰国した元革命戦士スピロが、故郷の村に所有する山がデベロッパーの手に売られようとしているのに抵抗し、結果、村を追われ、国外追放されるというストーリーを追う。単純明快なストーリーの中で、現代ギリシアの悲しみ、矛盾、退廃を抉(えぐ)り出していく。その眼差しは、スピロおよび妻カテリーナに置かれている、と言ってよい。カテリーナが感じている辛苦、スピロが感じている居心地の悪さが、この映画を映画の外側から見ている眼差しである。

撮影中の監督は、劇場で女優と情交し、妻ヴーラは、水夫と情交する。そんなシーンが挿まれるが、それを「見ることが可能なのは」、映画の中の映画を撮る監督(情交する監督)ではなく、アンゲロプロスその人である。その眼差しは、映画の中にいるスピロ=カテリーナへの共振にしかない。その眼差しには、現代ギリシアへの深い悲しみと深い愛情があり、静かな怒りもあり、絶望もある。

そして、希望があるとすれば、スピロがカテリーナを乗せた「はしけ」の艫綱(ともづな)を解き、海へ、シテール島へ漂いはじめるという行為そのものの中にある。その行為を仕立てたのは、アンゲロプロス監督である。その行為によって、靄(もや)のかかった海へ、2人の老人、オデュッセウスとペネロペイアは投げ出されるのであるが、「陸」にとどまっている限りは、なんともやりきれない現実があるばかりであるからである。

頑固一徹で時代遅れとばかり思えていた老人が艫綱を解く段になって、映画の観客は、ようやくその心根に触れ、深い共感を覚えている自分を見い出すことになる。


(2000.11.24鑑賞、11.27追記)

テオ・アンゲロプロス「ユリシーズの瞳」鑑賞記

銃撃音が聞こえたのは、その直後のことだった。老人家族のすべてが、殺される。

ユリシーズの瞳
1995
フランス・イタリア・ギリシア

35年間、留守にした祖国の街アテネから、映画監督の旅ははじまる。今世紀初頭から約60年を要して、マナキス兄弟が撮った写真や映画のうち、未現像の「動く写真」3巻を求めての旅である。アテネ市映画博物館から依頼された仕事であるが、「映画の眼(Gaze)」を取り戻そうとする個人的な希求心・衝動からでもある。マナキス兄弟は、バルカンおよびギリシアで最初の映画を撮った人物だ。

ハーヴェイ・カイテル扮する監督は、アンゲロプロスその人と見て差し支えないであろう。アテネの街は、監督が制作した映画の公開を巡り、市を2分する騒ぎが起こっている。

長い亡命生活の末、帰還した高名な映画監督は、長い遠征から故郷イタカに帰ったオデュッセウス(ユリシーズ)に擬せられており、監督もまたオデュッセウスさながら旅の人である。その旅に、終わりはない。

眼差し(映画では、「眼」(まなざし)と作家・池澤夏樹が翻訳している)の復権・奪回が、この映画のテーマであり、映画監督アンゲロプロスのテーマでもある。映画の眼差しの奪回を、マナキス兄弟の未現像フィルムを求める旅で果たそうとするのである。

ゆったりとした時間が流れていく。とうとうとして、悠大で、静かな時間が、映画の画面を流れていく。しかし、その時間はバルカンの歴史を内包し、戦争の悲劇に彩られる。マナキス兄弟が写し取ったような「バルカンのすべて」であるように、悠大さと矛盾に満ちる。風景、結婚式、習慣、政治の変化、村祭り、革命、闘い、公式行事、サルタン、王、首相(モナステイル博物館の女性の言葉)……をマナキス兄弟が撮ったように、「すべての曖昧さ、すべての矛盾や衝突や混沌」を、切り取ろうとする。

アテネでの狂信派のデモ、アルバニア国境では内戦以来47年間会っていない妹を訪れるという老婦人、雪原を行く難民の群れ……にはじまる、3巻のフィルムを求めての旅。コリツア、モナステイル、スコピエ、ソフィア、ブカレスト、ベオグラード、そして、1994年12月のサラエボへ。

ドナウを、巨大なレーニン像を乗せた船が行く。モナステイルの女性と交わした短い愛の時間を振り切った監督が、その船に潜んでいる。川べりに群がる人々が、豆のように小さな黒点の集まりだ。よく見ると、なにやら胸のあたりで手を動かしている。十字を切っている人々がいるのである。ドナウの静かな流れ。美しい風景は人々の心の中にある、とでもいいたげなシーンが続くが、あくまで美しいのは風景そのものだ。レーニン像の「白」が、悠揚としたドナウの流れに溶け込む。

ベオグラードでは、かつての僚友であるジャーナリストと再会。2人は、失われた希望に、逝ってしまった仲間に、68年5月に……乾杯するが、それらは「過去」のことではない。深い悲しみが乾杯の底にある。監督は、3巻のフィルムが戦火の只中のサラエボへあることを知り、エブロス川を行く。

同僚ジャーナリストの手配で、監督を案内するのはサバ村の女性であり、扮するマヤ・モルゲンステルンは、アテネのデモの中に消えたかつての恋人、モナステイルの博物館職員である女性、このサバの女性、サラエボで映画保存に骨身を削る老人の娘ナオミの4役をこなしている。これら4人の女性は、監督がその都度出会う「永遠の妻・ペネロペイア」であるかのようである。

空襲警報が発令されるサラエボに、3巻の未現像フィルムはあった! 表向き廃墟と見えるこの街には、地下でマーケットが開かれ、買出しや水を汲みにポリタンクをもった人々が集う賑わいが失われていない。中に、映画技術者の老人(エルランド・ヨセフソン)がおり、彼は、スコピエ映画博物館の収蔵品を熱心に保護しているのだった。長い旅の疲れに、求めていたフィルムが見つかった興奮が重なり、監督は言う。「フィルムを闇の中に閉じ込めておく権利はあなたにはない」。監督を理解した老人は、現像に着手し、成功したはじめの部分を見せ、2人は感激して抱擁する。

霧に包まれたサラエボの街。霧の中では、セルビア、クロアチア、回教徒の別なく構成された「民族混声交響楽団」の演奏会が行われている。映画技術者である老人が言う。「霧は人間の友なのだ」。老人の娘が、「踊りましょう」と監督を誘い、監督は応じる。3巻の未現像フィルムに巡り会えた監督は、そのこと以上に「この協和」に心撃たれる。「眼」を奪還した思いに至る。娘ナオミと踊り、結婚を誓った監督だが、「眼」を公開するために、いったんサラエボを去らねばならない。

銃撃音が聞こえたのは、その直後のことだった。老人家族のすべてが、殺される。下手人は明らかだが、映像はそれを追おうとしない。「神様も間違いなされる」という軍人の声と、銃撃音と悲鳴、川に死体が放り込まれる音、そしてジープの発進音だけが聞こえる。人々の友のはずの霧の風景が、画面いっぱいに広がるだけである。

順を追うのに精一杯になってしまった。結末のシーンは2度見るのが辛い。記さねばならないことは、手に負えないほどあるが、それはもう「書き言葉」の世界を超えるものを持っている。映画を見る上はないのである。

映画作品には、映画ならではの手法・文法が採用されていて、映画とは何か自体を問いかけることがよくある。作家主義的な流れは、絶えずその問いに満ちているが、この作品もそうである。この作品はその答を、映画監督を「主人公」にして、その「眼」(まなざし)自体の回復・奪還というテーマとして、前面に据えた。

映画の中の監督は、しばしば、マナキス兄弟に同化し、化身となるシーンがあるが、これも映画の手法のひとつである。現在と過去を自在に行き来し、交叉させることも、映画では簡単である。この技術は、しかし、失敗すると幻滅だ。観客の想像力を台無しにしてしまう。回想シーンや夢が、現在や現実と融合して、その境目が明瞭でない場合にも、同じことが言える。その点、「ユリシ-ズの瞳」は、完全に近い「編集」に成功している。ギリシア劇の伝統的手法を取り入れた「踊り」や「群衆の動き」などのシーンも、アンゲロプロス独特の不思議なテーストがあり、映像の振幅を深くしている。

この作品で、何よりも深いのは「悲しみ」である。

(2000.11.18鑑賞、11.19記)

2019年3月31日 (日)

テオ・アンゲロプロス「旅芸人の記録」鑑賞記

これら三つの時間は、ある時は画然として切り分けられ、ある時は渾然として融合し、「劇中劇」を形作るが、そのポリフォニックな全体の中に、テオ・アンゲロプロスの眼差しは投げ込まれる。

旅芸人の記録
1975

ギリシア 旅芸人一座は、ざっと20人くらいで構成されているだろうか。中でも、名のある者は、エレクトラ、アイギストス、クリュタイメストラ、アガメムノン、オレステス、ピュラデス、クリュソデミスらである。「ら」としたのは、ヴァシリやアコーデオン奏者らも登場するからであり、彼ら以外は、列記したようにギリシア古典悲劇の登場人物であり、その名を、旅芸人一座の座員がそれぞれ名乗っている。この映画は、アイスキュロス、エウリピデス、ソフォクレスの三大悲劇作家が、揃って書き、しかも作品が揃って現存する「エレクトラ=オレステスの悲劇」をストレートに下敷きにしている。

アンゲロプロスが、アイスキュロス、エウリピデス、ソフォクレスのうちの、いづれの「エレクトラ=オレステス伝説」を下敷きにしたのかは、ここで詮索しても無意味であろう。ギリシア古典悲劇の中にギリシア現代史をとらえようとしたのか、ギリシア現代史の中に古典ギリシア悲劇をとらえようとしたのか――という問いも、同じように無意味であろう。

ここでは、エレクトラ伝説とは、「ギリシア軍の総大将としてトロイアに遠征し、トロイアを滅ぼして帰国したミュケナイ王アガメムノンが、留守中、妻のクリュタイメストラに接近していたアイギストス(アガメムノンの従兄弟にあたる)とクリュタイメストラとの謀略によって討たれたが、娘のエレクトラとその弟オレステスによって、報復される」(「ギリシア悲劇入門」中村善也、岩波新書)という内容をもった物語であることを知っておくにとどめたい。

一座は、ペレシアドスという作者の田園詩劇「羊飼いの少女ゴルフォ」を演じながら、ギリシア各地を巡演してきた。1939年のエギオンから1952年のエギオンに再び戻ってくるまでの10数年が、映画が「物理的にとらえた」時間である。

ゴルフォの物語を演じる座員は、エレクトラ、アイギストスら古典悲劇の登場人物と同名であり、エレクトラにエヴァ・コタマニドゥ、アイギストスにヴァンゲリス・カザン、アガメムノンにストラトス・パキス、オレステスにペトロ・ザルカディスといった俳優が扮している。観客は、コタマニドゥの演技を見ながら、ゴルフォの物語を追い、古典悲劇のエレクトラの物語を追い、現代のエレクトラの物語を追う。

つまり、おおざっぱにいって、三つの時間がこの映画を流れている。一つは、古典悲劇の時間、二つは、ゴルフォの物語の時間、三つは、以上の二つの「虚構の時間」を演じながら現代ギリシア史を生きている1939年から1952年までの旅芸人の時間。これら三つの時間は、ある時は画然として切り分けられ、ある時は渾然として融合し、「劇中劇」を形作るが、そのポリフォニックな全体の中に、テオ・アンゲロプロスの眼差しが投げ込まれる。

冒頭、母クリュタイメストラの姦通の現場を見てしまったエレクトラの衝撃。あさぼらけに、あたりを伺いながら自室へ戻るクリュタイメストラ。夫アガメムノンの寝ているベッドに横たわるクリュタイメストラを、帰還した息子のオレステスが訪ねる。「顔を見ないで。朝は醜いから」と言ってからクリュタイメストラが息子に語る夢が、暗示的だ。「3、4歳のオレステスがわたしの体の中に入る」と、クリュタイメストラは語るのである。エレクトラが、この、母親の情交を覗き見てしまうシーンからオレステスの訪問のシーンまで、例によってワンカットの長回しである。

1952年秋。
1939年。
1940年10月28日。
1941年正月。
1941年4月27日。
1943年。
1944年。
1945年正月。
(1945年2月12日)
1946年年。
1949年。
1950年。
1952年。

以上は、字幕が告げる旅芸人の歴史=現在である。クリュタイメストラの姦通のシーンは冒頭に置かれるが、それが1952年の現在なのか、1939年のことなのか、古典悲劇の順序から言えば、1939年の事件になるが、そのあたりは「自在」に往復する。1952年の選挙を意味する「パパゴス元帥に勝利を!」という宣伝カーの連呼が聞こえるシーンが、1941年正月のシーンの中にも「混入」(=回想される)するといった具合である。すなわち、アンゲロプロス監督は、1952年に右翼独裁政権が樹立するまでのギリシア現代史に焦点を当てていることは間違いない。

中盤1945年正月のシーンでのゴルフォの劇。恋人タソスを、今は、アイギストスが演じている。その劇の中へオレステスが入り込み、クリュタイメストラとアイギストスを銃殺する。観客は、劇と現実を見分けられず、万来の拍手を送る。エレクトラは、ひとり、ホテルのベッドでシャンソンを聴きながらほくそえむ――というシーンがある。エレクトラ=オレステスの報復劇が達成されたことになるが、このシーンの直後、エレクトラは右翼に部屋から拉致され、4人の男に強姦される。「地中海的右翼」とアンゲロプロスが表現する野蛮な男たちにレイプされたエレクトラは、川べりに投げ捨てられるが、果敢に立ち上がり、長い、長い語りに入る。

エレクトラ=エヴァ・コタマニドゥが語るのは、アテネの33日戦争へと至る歴史である。以下、全文を書き取っておいた。

44年の秋―。10月に独軍が撤退した直後、スコビー将軍の英国軍が来たわ。パパンドレウの第一次国民統一政府ができて、英軍を熱狂的に歓迎した。解放を信じて誰もが喜んだ。当然なくらい…。皆、犠牲を払った。同盟国や連合軍を心から信じた。でもスコビー将軍が、人民軍の武装解除を政府につきつけて―、左派の閣僚が辞任させられ、裏では、ファッショ派がスコビーの武器供与を受けて、武力で復権していた。裏切られていた。

抗議の呼びかけはあったけど、その頃、抗議した人は少なくて、組織的にはならなかった。英軍の思いのままだった。ギリシア人同士の抗争…。よく分からないまま、いろんな旗の党派が対決し、感情で対立し、あの44年12月3日の大衝突になった。血の日曜日…。子ども連れの人が多いデモで、老人も多かった。広場も警官隊に包囲されてて、誰かが叫んだ。一斉射撃がはじまったわ。

私は広場の中央あたりにいた。無名戦士の墓の前で、若者が撃たれて死んだ。誰かが旗を若者にかぶせて、彼の血に染まった旗をかざした。広場の人々が叫び、歌いはじめた。「占領はいらない!自由がほしい!」 銃声がいっそう激しくなった。誰かが血を吹いて倒れた。皆、地面に伏せた。近くで一人、傷ついた少年がラッパをもって、立ち上がって叫んだ。「何度でも叫ぶぞ!」「何度もラッパを吹くぞ!」 少年が倒れ、皆で運び去った。

それから隊列を組み直して、警官隊に向かって行った。警官隊を逆包囲して銃を奪ったけど、屋上からの銃撃が続いて、凄惨な前進だった。それをホテルからイギリス人たちがのんびりと見ていたわ。アメリカ人も見てた。私たちは、オモニア広場まで進んだけれど、そこでも一斉射撃で、10人以上、銃弾で倒れた。民家の戸を担架にして、重傷者を病院へ運んだ。それでも足りず、重傷者でも、這って病院へ行った。

その翌日、12月4日、犠牲者の葬式の集まり。その日も、広場で王党派と警官隊が無差別に銃撃してきた。いま憶えているのは、地面を這って逃げたこと。真正面のホテルに並んだ銃砲の列だけ。2日にわたる虐殺、死者28人、200人以上の負傷者。その日の夜、人民軍側が警察を襲撃した。バリケードが築かれ、市内戦争―。アテネの33日戦争がはじまった。

1950年の字幕のあるカット。エレクトラは、オレステスの消息に一縷(いちる)の希望を抱きつつ、再び芝居をはじめようとかつての同志に呼びかける。ヴァシリを訪れたエレクトラは、「障害を数えあげよう」という彼の言葉を聞きながら、「傷だらけの自由に希望をもて!」とも言うヴァシリの真意を汲み取る。こうして劇団の再出発を果たそうとする矢先、処刑されたオレステスの遺体と対面するエレクトラ。朝の光の降り注ぐ監獄で、エレクトラ=ゴルフォは、オレステスに呼びかける。「おはよう、タソス」と…。

結末は、エレクトラの妹クリュソテミスの息子オレステスが、エレクトラ=ゴルフォの恋人役タソスを初演する劇の開幕だ。そこに、「1939年に、エギオンにきた。みな疲れていた。2日間、眠っていなかった」というナレーションが入る。冒頭のシーンへ、繋(つな)がっていくのである。


(2000.12.24記)

テオ・アンゲロプロス「永遠と一日」鑑賞記

イングマール・ベルイマンの「野いちご」と双璧をなすと言って過言ではない、「身近に迫った死」をテーマにした作品と言えるだろう。

永遠と一日
1998
ギリシア・フランス・イタリア

テオ・アンゲロプロス脚本・監督、ヨルゴス・アルヴァニティス撮影、ヨルゴス・バッツァス、エレニ・カラインドルー音楽。
ブルーノ・ガンツ、イザベル・ルノー、アキレアス・スケヴィス

「明日の時の長さは(どれくらいある)?」と尋ねられたら、なんと答えようか。あるいは、自問したとき、どんな答が見つかるだろうか。テオ・アンゲロプロス監督「永遠と一日」は、重い病にかかり、「最期の1日」を意識した詩人の「人生最後の日」を描いた作品。イングマール・ベルイマンの「野いちご」と双璧をなすと言って過言ではない、「身近に迫った死」をテーマにした作品と言える。

「長い旅」に出ようとする詩人が、人身売買組織に拉致されたアルバニア難民の子と「偶然に」出会い、そして、別れるまでの1日を「実時間」として、亡き母、亡き妻、友人らとの光あふれる過去、19世紀初頭ギリシアの国民詩人ソロモスの登場など、過去、現在の境目を飛び越えた「幻想的時間」を交差させつつ、カメラは詩人の意識の赴くままを追う。

ベルイマンの「死」は、政治ということとひとかけらも無関係であるのに比べ、アンゲロプロスの「死」は、政治との関係の中でしかとらえられていない。この点が決定的に異なるが、どちらの作品も、「身の毛のよだつ」ようなリアルさを、その幻想的シーンのなかにとらえる。

歳を経るに連れて、誰しもが、このリアルさを感じるようになり、次第には、息苦しさを覚えるほどに生々しい衝撃を受けることになる。

(2001.7.8鑑賞&記)

雪の降り積もる山肌が遠くまで広がっている国境地帯。霧がかかる風景の中に、鉄条網の柵が見え、宙吊りになった死体が、何体も何体も、映し出される。 


 
アルバニア難民の少年が、アレクサンドレに語って聞かせた「国境越え」の様子を拾っておこう。

 
銃を持ったやつらがきた。一晩中撃った。家の中にも入ってきた。赤ん坊が泣いた。村は空になった。

道はこの上。前にセリムと通った。大人がつけた道しるべがある。木に結わえたビニール袋。知らないと雪で迷子になる。袋から袋をたどって、木のない広いところに出た。

僕が歩き出そうとしたら、「動くな!」とセリムが怒鳴った。「地雷ふがあるんだ!バカ!しゃがめ!」

しゃがんだ。セリムは石を拾う。石を投げてすぐにしゃがむ。何も起こらない。僕たちは石のところまで進む。彼は僕をしゃがませて、また石を拾って、また石を投げる。

怖かった。寒かった。

石を投げ続けて、前に進んで行った。そして向こう側に出た。遠くに光が見えた。

アレクサンドレは、少年を故郷(くに)へ帰還させるために、テッサロニキから2時間かけて、アルバニア国境へきたのである。雪の降り積もる山肌が遠くまで広がっている国境地帯。霧がかかる風景の中に、鉄条網の柵が見え、宙吊りになった死体が、何体も何体も、映し出される。監視塔に立つ人影と旗(国旗らしいが、どこの国のものかは不明である)だけが、かすかに揺れ動いている。少年たちが、突破してきたのは、ここに連なる「脱出の道」である。

アレクサンドレは、少年を帰還させることの意味を、この時、はじめて悟るのである。監視塔から降り立った兵士に呼び止められたとき、アレクサンドレは、咄嗟(とっさ)に少年の手を取り、一目散に逃げ去るのである。こうして、少年と詩人との1日が、「その真実の巡り合い」がはじまる。

(2002.3.31発)
 
アレクサンドレは、明日、入院すれば、再び「この世界」に戻れる日がないことを知っている。

アレクサンドレは、明日、入院すれば、再び「この世界」に戻れる日がないことを知っている。この世界を謳歌できるのは、今日1日限りなのだ。「明日の時間の長さはどれくらいあるだろうか?」という問いが、いつも想念に渦巻いているのはそのためである。

愛犬の面倒をみるものがいなくなるので、はじめに娘カテリーナの家を訪ねるのだが、娘婿(むすめむこ)のニコは動物嫌いで、あっさりと断られてしまう。アレクサンドレには、愛犬の面倒のほかにもう一つ大切な頼みをカテリーナにしなければならなかった。妻アンナからの手紙を読んでもらい、考えを聞き出すことだ。手紙の1966年9月20日の日付は、カテリーナの誕生日である。妻アンナは、すでに40年ほど前になるこの日、夫アレクサンドレに手紙を書いた。その手紙は、「夫の不在」を嘆く妻の声に満ちていた。

家族・親族が一堂に会して、生命の誕生を祝った海岸沿いの瀟洒(しょうしゃ)な家は、現在ニコの管理下にあり、最近、手放すことになっていた。地震(アテネを襲った大地震のことであろう)で傷みが激しくなり、住むに耐えなくなったと、カテリーナは弁解するが、アレクサンドレはショックを隠し切れない。余命幾許(いくばく)もないアレクサンドレにとって、この世界=現世の些事(さじ)に過ぎない「家」のことだが、それでも、売り払われ、無縁のものと化してしまうことは、悲しいことに違いなかった。

アレクサンドレの脳裡(のうり)には、妻アンナの手紙の声が飛び交ったままである。「いつになったら二人になれるの?」。

ギリシア北部の町テッサロニキに住む作家アレクサンドレは、愛犬を愛車にのせたままで、生まれ育ったテッサロニキの街中に出る。娘カテリ-ナの充足した暮らしを見て、妻アンナからの手紙の感想を聞き出す心は失せてしまった。所在なく街中を運転するアレクサンドレは、こうして、アルバニア難民の少年と出会う。

映画は、この、アルバニアの少年との1日を現在進行中の「実時間」として、アンナの手紙が書かれた1966年の海岸のシーンなどをアレクサンドレの「幻想的時間」(過去の回想やイメージの飛来)として、自在に往来する手法を駆使して進んでいく。「実時間」のほうは、アレクサンドレと少年が出会い、そして、1日を過ごし、最後に少年が護送車に乗り込み故国アルバニアへ去って行くシーンと、それを見届けるアレクサンドレの「死相」に満ちたアップまでを追う。

この実時間の最中(さなか)に、アレクサンドレの脳裡を去来(きょらい)する海岸での1日やギリシアの国民詩人ソロモスが登場するシーンなどが挿まれる。アレクサンドレは、この「幻想時間」に、実時間のアレクサンドレと同じ姿形・服装で登場する。
未完(2002.3.31発) 

家族(妻)との時間をほとんど持たずに生きてきた作家が、その犠牲の上でしてきた「社会的営為」の意味が問われていることが空しくもあるからである。

「永遠と一日」(テオ・アンゲロプロス監督)の「流れ」を「おさらい」しておこう。これで、3度見たことになる。3度見たということは、この映画の「作品現実」に3度分け入り、その「現実」を3度追体験したということである。約2時間、作品の中に溶け込みながら、それを「見ている自分」があり、その自分は作品の意図を知ろうとしている自分でもあるが、今、その「溶け込んだ」時間からは離れている自分である。

この体験は、作品体験というものであり、いわゆる「ヴァーチャル・リアリティー」を体験したものではない。アンゲロプロス作品ともなれば、よりリアルな体験として、思惟の中枢にかぶさってくるからである。そのかぶさり具合は、作品に溶け込めば溶け込むほど重たくなり、重たくなれば重たくなるほど、解釈の深度を要請する。

ギリシアの高名な詩人・作家のアレクサンドレ(ブルーノ・ガンツ)は不治の病にかかり、明日、入院することになっているが、「死」を強く意識するのと同じ程度に、過ぎ去りし日の妻アンナとの暮らしに悔いを抱いている。「いつになったら二人になれるの?」という妻からの手紙の言葉が、作家である彼を苦しめるからである。「抱きしめ方が足りなかった」という思いや、家族(妻)との時間をほとんど持たずに生きてきた作家が、その犠牲の上でしてきた「社会的営為」の意味が問われていることが空しくもあるからである。

薬を胸ポケットにしまって、アレクサンドレは、テッサロニキの街に出る。
*未完(2002.3.30発)
 

2016年7月13日 (水)

アッバス・キアロスタミ追悼・その4/再録「オリーブの林をぬけて 」鑑賞記

オリーブの林をぬけて

1994 イラン



前作「そして人生はつづく」の1シーンを撮影する風景に、そのシーンに登場する青年が相手の

娘に求婚する物語をからませて、「劇外劇」「劇中劇」の様相を見せるキアロスタミ作品。


震災後4年を経たコケル村は、復旧が進んだが、山間に住んでいた人々の多くは、幹線道路

沿いに引っ越している。「そして人生につづく」で、監督役ファルハッドが新婚の若者に取材する

シーンがあったが、本作は、そのシーンの撮影現場を撮影しながら、そのシーンに起用された

若者ホセインが熱心に相手役の娘タヘレに求婚する様を追う。



「君のおかげで撮影が中止になった。彼女との間に何があった。話してくれ」という、監督の問

いに答えるホセインの「現在」を、ホセインに語らせよう。




エイノラの家で仕事をしていたときです。少し前のことです。その向かいが彼女の家

だったんです。彼女は階段に座って、勉強していたんです。僕が働いている目の前

で勉強していたんです。



彼女がおとなしく、よい娘に思え、きっとよい妻になる。彼女と結婚したいと思いました。

僕は仕事を続け、夕方まで働きました。帰る前に手足を洗いに行くと、彼女の母親も

泉にやってきました。水を汲みにきたんです。娘のことをはなすと、すごく怒って。


(なぜ?)


たぶん、彼女の母親には僕が本気じゃないとか、不真面目だとか、彼女に相応しくないと。


(わかった。それで?)


夜、服を着替えているとエイノラがやってきて、明日から来ないでいいと。きっと彼女

の母親に頼まれたんです。もっとよく働くひとを紹介するとか言われて。

地震が起こったのはその夜でした。エイノラの家族もお気の毒に。あの娘の家族も死にま

した。


(タヘレの両親が?)


ええ。


(それで?)


皆、死んだんです。喪に服して3日後にお墓へ行ってみると、人が大勢いたけど、彼

女とは会えませんでした。喪に服して7日後に彼女が両親のお墓にいるのを見つけ

ました。話をしようと思って近づいていくと、おばあさんにお祈りしろと言われた。僕

がお祈りを終えないうちに行ってしまいました。


(その後に会ったのか?)


ええ。喪に服して40日目に1度だけ会いました。


(どんな話をした?)


その日、お墓に行くとおばあさんがいて、僕は思いました。もし死ぬと知ってたら短

い人生を大切に思い、僕を傷つけなかった。もし僕に優しくしてくれていたら、きっと

彼女の家族は死なずにすんだろう。僕は思いました。僕の悲しい心が、皆の家族を

壊したと。


簡単に家を買えるわけないです。そのとき僕はやけをおこして言ってしまったんで

す。「今はもう誰にも家がない。僕もあんた方も、これで平等になった。たしかに僕に

は家がないけど、あんた方にもない。結婚の申し込みに返事をくれ」と。

そしたらこんな返事が返ってきました。本当に傷つきました。「皆、新しい家を建てて

いる。見えないのか」って。


(なるほどな)


僕は11歳のときから、家を建ててきたんです。


(君の職業はなに?)


レンガ職人の手伝いです。


(というと?)


レンガを積んだり、泥とわらを混ぜたり、なんでもやりました。皆、僕に言いました。

「家なしに嫁なし。お前には家がないから娘を嫁にやれないと。家なんて買えません。


(その後、彼女に会った?)


会いました。今日じゃなくて、先週の木曜日に撮影現場で監督さんに会ったときです。


(それで?)


もう1度、結婚の申し込みを、気が進まなかったけど、決心して行きました。


(どこへ?)


お墓です。そこで会いました。





この会話は、突然、ホセインがタヘレに最近会ったシーンの回想に転じた後、そのシーン

に「カット」という撮影中断の合図がかぶさるのである。ホセインがタヘルに会った「先週の

木曜日」=過去が、撮影している今日の木曜日=「現在」に直接連なって行き、連なった場

所は撮影で演技しているホセインとタヘレ、撮影中断で演技と離れているホセインとタヘレ

である。演技上(2人は新婚夫婦である)と現実上(ホセインがタヘレに一方的に求婚してい

る)のホセインが、演技上と現実上のタヘレと交錯するのである。



映画は、ホセインのプロポーズの執拗(しつよう)さ、熱心さ、熱烈振りに焦点をしぼっていくが、

「タヘレの心の変化」は不明だ。このシーンで、ホセインがタヘレに「OKなら本のページをめくっ

てくれ」と返事を迫るが、タヘレがめくりかけたページは戻されてしまう。タヘレが、本のページ

をめくりかけ、また元に戻してしまうこのしぐさは、なかなか暗示的であり、タヘルの心が開きか

けたことを示すのかもしれない。



エンディングは、撮影終了後に、独り徒歩で帰途につくタヘルを追うホセインをとらえる。緑なす

丘を越え、オリーブの林を抜け、野原を行くタヘレを追うホセイン。ホセインもタヘレも撮影用の

純白の衣服をまとい、野原を行く2人は緑の中の白2点になっている。ホセインの饒舌なほど

のプロポーズの声はもはや聞こえてこない。白い点は、ときに1点になり、また2点になり、野

原の端までホセインはタヘレを追うが、急に引き返す。



例によって、このシーンは遠撮され、ホセインの表情、タヘレの顔つきを見ることはできないが、

冒頭にしか流れなかった音楽がBGMとして流れ、ホセインが戻ってくる足取りに心もち軽快な

感じを与えていることに「恋の行方」が表現されているかのようだ。

(2001.5.11鑑賞&5.13記)

2016年7月12日 (火)

アッバス・キアロスタミ追悼・その3/再録「そして人生はつづく」鑑賞記

そして人生はつづく

1992 イラン

渋滞する幹線道路を、父と子が行く。目指すは、コケル村。父は、前作「友だちのうちは

どこ?」の監督、コケルはそのロケ地である。1990年、イランを襲った大地震で、コケル

村も壊滅的被害を蒙(こうむ)った。映画に出演してもらった少年アハマッドや村の老人

たちは、無事でいられただろうか。とるものもとりあえず、監督は、ややくたびれた愛車

に息子を同乗させ、コケルに向かっている。


映画は、道行く人々に、道を尋ね尋ねし、ときには降車して、復旧作業に追われ、テン

ト生活を強いられている被災者と語らう父子を追うだけの、ノン・ストーリー作品であ

る。だからといって、この作品をドキュメンタリーとは呼べない。緻密な演出、計算され

た会話、構成されたカメラワークなど、映画製作の技法が随所に散りばめられた映画

である。1990年の大地震から2年後の1992年に完成し、公開されていることからも、

そのことは推測できる。


プロの俳優を使わず、ほとんどが市井(しせい)の生活者を起用するキアロスタミ監督

の映画作りの手法は、この作品でも顕著に現われるが、だからといって「出演者」にな

んの注文をつけないわけではない。その典型が、「友だちのうちはどこ?」にも出演し

たルヒ老人に見られる。


渋滞をそれて山道に入った父子が見るのは、何本もの亀裂が入った山肌である。長さ

100メートル以上もある亀裂を前にして立ち往生する車が、豆粒のように俯瞰される。

まさしく地震の「爪跡(つめあと)」であるが、人々は子を失い、親兄弟を失い、親族を失

い、家財産を失う中で、悲嘆に明け暮れているばかりではない。テント生活を強いられ

ながらも、遠い山道を往復し、生活物資を運び、洗濯し……復旧に懸命だ。


ルヒ老人も、トイレの便器を運んでいるところを、通りすがった父子の車に同乗すること

になる。という、実際は「演出」が入ったわけで、カメラが、偶然にも、便器を運ぶルヒ老

人をとらえたのではない。「映画が与えたルヒ老人の家」に着くまでの、ルヒ老人の語り

に耳を傾けてみよう。





(お忘れですか?)

わしをご存知ですか?

(覚えていませんか?)

わしが?はいはい、思い出しましたよ。

(本当に?)

はいはい。

(あなたがご無事で何よりです)

地震ですべてが壊れ、不便で大変ですが、幸いいまだ生きていますよ。神のご加護

でね。

(マハマドブールの家は?)

どのマハマドブール?

(一緒に映画に出た……)

あの人たちはコケルだから、わしの村ではない。

(そうですね。この道でコケルへ行けます?)

地震の前には道があったんだが、今はもうなくなってしまったよ。

(この大変なときに、何を運んでるんです?)

口に出して言うまでもない物だよ。何に使うか、見ればわかるだろ?死んだ人は死

んだ人、生きる人にはなくてはならぬ物だよ。<笑>やれやれ。だがね、わしが思う

に、罪のない人々が死んで、沢山の家が壊れたのに、わしの家だけ無事だったな

んて、神様はわしを特別扱いしてくださったのかね。

(すごい幸運の持ち主なんですね)

そんなことはない。

(なぜですか?)

わしが考えるのは、地震とは腹を空かせた狼のようなもので、手当たり次第に人を

食べてしまうんだよ。神の仕業ではない。

(ルヒさん!=これは子の言葉)

なんだね?

(「友だちのうちはどこ?」では、もっとお年寄りでしたよね?=これも子の声)

映画の人たちが、背中にこぶをつけたからだよ。「もっと年寄りに見せなくちゃ」なん

て言って。それでわしも言う通りにしたんだよ。本当は気に入らなかったがね。公平

じゃない。<笑>

映画がどんな芸術か知らないが。年寄りをもっと年寄りに見せるのが芸術かね。若

くきれいに見せるのが芸術ってものじゃないかね。人は年寄りになって初めて若さ

がわかるのさ。

(でも無事だったし、若く見えますよ)

死んではじめて生きてるありがたさがわかる。もし墓に入ったものが生きてくるな

ら、その人はよりよく生きるようになる。





会話は、まだ続き、「ルヒさんの家」に着くが、ここでもルヒさんは、ルヒさんの家とされ

ている家が、実は映画が設定した「ルヒさんの家」であることを暴露するのである。観客

は、映画がこうして創られていることを知るが、どこまでが「事実」に則した内容である

のかを戸惑うまでもない。映画表現の手法として、このような方法もあることを受容でき

るのであるし、何よりも映画が伝えたかったことが伝わればよいのであるから。


コケルを目指し、父子の車は行く。途中、何度も何度も、コケルへの道を尋ね、コケル

の状況を尋ねる。そして、アハマドブールの消息を尋ねながら、コケルはもうひとやま

を越えたところに近づいている。


キアロスタミの映画は、結果を明らかにしない(場合が多い)。しかし、目標=テーマを

放棄するわけではない。テーマを、この映画を見た人々に、より鮮明に、より多く自らの

想像力で考えてほしいと考えているかのように、結果を明らかにしないのである。結果

は、あきらかに、「この今」の中にある。「この細部」にある。このプロセスに隠されてい

る、露出している、とでもいわんばかりである。


アハマドブールの消息、コケルの状況は、もうすぐ、目にすることが可能だ。もうひと息

だ。車は、急坂を登りきれず、後退し、しかし、再びエンジンを最大限ふかして、登りは

じめる。ひとやま越えた。また急坂が立ちはだかる。また登りきれず、押し戻され、坂の

とば口まで後退する。そこへ、生活物資を背負った青年が通りかかり、車を押す。また

再び、車は急坂を登り、ひとやま越えた……。


これらを、カメラが遠撮し、それは、まるで「シジフォス神話」でシジフォスが岩を山頂に

運んでは落とされ、また運んでは落とされる、あの繰り返しのようであるが、まったく異

なる行為である。ここに来るまで、何人もの家族兄弟を失ってなお、懸命に生きようと

する少年少女や老人や青年男女との対話のプロセスを経てきた観客、そして映画の

作り手には、「希望」が捕まえられているのである。

(2001.5.4鑑賞&5.6記)

2016年7月11日 (月)

アッバス・キアロスタミ追悼・その2/再録「友だちのうちはどこ? 」鑑賞記

友だちのうちはどこ?

1987 イラン



小学校の授業風景にはじまり、授業風景で終わる物語。ラストシーンの授業風景では、じわ

じわーっと感動のようなものが立ち上ってきて、いつまでもいつまでもその感動が反芻される

ような作品だ。



成長経済下のイランの山村コケル。隣村のボシュテは、山を一つ越えたところにあるという感

じだろうか。山というより、丘を一つ越えたと言ったほうが適切かもしれない。コケルの小学校

には、遠地ボシュテから登校する子供たちもいる。



主人公のアハマッドはコケルに住み、親友のネマツアデはボシュテに住むが、ネマツアデの

父親はドアの取り付け販売のために、ロバに乗ってコケルを訪れる関係にある。


ネマツアデが、書き取りのノートをアハマッドに間違えて持ち帰られたために宿題をできず

に、教師にひどく叱られる。叱られたその日にも、同じ間違えでアハマッドは、ネマツアデのノ

ートを持ち帰ってしまった。2人のノートは、表紙がそっくりで間違えやすかったのである。


物語は、アハマッドが、ネマツアデのノートを返しに、ボシュテの村を探しまわり、夜になっても

ネマツアデを見つけられずに、仕方なくコケルに戻り、翌日の授業にのぞむ……というシンプ

ルなものだが、この過程で見聞きする人々の生活や少年同士の繋がりあいに、キアロスタミ

の眼差しが散りばめられる。



どの子供たちも、「家父長的共同体」の中にあり、親たちは生活に追われている。学校から戻

った子供たちは、「近代教育」を受けながら、家に帰れば、その共同体の規範に従い、また、

親たちの労働の手助けに参じている。アハマッドは、母親の手伝いや祖父の称する「しつけ」

に素直に応じる、心根の優しい少年である。そのマハマッドが、母親からのパンを買う「お使

い」と、ネマツアデのノートを返しに行かなければならない、というディレンマに陥った。



アハマッドは、このディレンマを突破する。ボシュテのネマツアデに会いに行く。パンを買うお

使いを忘れたわけではない。結果は、しかし、そのどちらも成就できなかったのである。


夜遅く、マハマッドは、夕飯を食べる気持ちになれない。ノートをネマツアデに届けられなかっ

たことに、胸が痛むのである。帰宅した父親は、何も、言わない。母親も、昼間の母親ではな

く、穏やかな声で、食事をしないマハマッドを労(いた)わる。



翌日の授業風景。マハマッドの姿がない。ネマツアデの心は、今にも、潰(つぶ)れそうであ

る。教師が、後ろの席の生徒たちの宿題を点検しはじめているのだ。もうすぐ、教師がネマツ

アデの宿題を点検する。


その教室へ、マハマッドが、到着した。一時は、くたびれ果て、落ち込んだマハマッドが病気に

でもなって、欠席したのだろうか、と思っても仕方のない事態であった。そのマハマッドが、ネ

マツアデの隣りの席に着くと、丁度、教師が2人のところへやってきた。


パラパラと、マハマッドのノートをめくる音。静かだ。OK、OK。今度は、ネマツアデのノートであ

る。マハマッドの書いた「書き取り」を、教師は気づかない。OK、OK……。ネマツアデのノート

に、花が一輪、押し花になっている。昨夜、ボシュテの村で親切にしてくれた老人が手折って

くれた花である。

(2001.5.3鑑賞、5.4記)

2016年7月 9日 (土)

アッバス・キアロスタミ追悼/再録「桜桃の味」鑑賞記

桜桃の味 

1997 イラン


自殺に関しての、長い長い映画である。昨2000年末、NHKの番組で長谷川肇久さんが、

引き合いにしていたのを聞いて、見よう見ようと思っていたのを、ようやく見た。


舞台は、テヘラン郊外の丘陵地。というより、主人公バディの運転する車の中が大半で

ある。自殺を決意した初老の男バディが、自家用車でその手助けを求め、街中や近郊の

村を彷徨し、ときに助手席へ誘って、交渉する。「夜に睡眠薬を飲んで穴の中に横たわる。

あなたは次の朝に来て、穴の中の私を呼んでほしい。返事がなかっ たら、土をかけて、

埋めてほしい」というのが、男の頼みである。その交渉の会話が主軸となっている作品

である。

 
会話はしかし、それだけが独立した世界を形成しているわけではない。荒地をジグザグ

しながら進む車を遠撮し、俯瞰する映像をともなっていたり、男の目に映る山肌、子供

たち、村人たち、カラスの群れ、飛行機雲、猫、落日……などの風景が、会話に重なる。

会話と映像は、巧みに絡まりあい、映像の中に言葉が沁み込み、言葉の中に映像が入り

込む関係にあり、そこにまた作品の眼差しはある。男の目に映る風景は、男の内面をシ

ンボリックに反映し、ひとつひとつ「意味」を付与されているようである。

 
セメント採掘現場を覗き込んだ男が、自分の影が、落下する瓦礫に重なるのにショック

を受け、その場にしゃがみ込んでしまうシーンは、この映画の中で、映像と内面の最も

緊張したシンボリックな表現になっている、といえるであろう。運転席から、男が見る

風景は、荒々しい生のシンボルなのか、死のイメージがかぶさっているものなのか、ひ

とつひとつが何ものかを語っていて、緊迫感がみなぎる。その、男の視界と異なる、作

品の視界(神学生と男の会話のシーンは、荒地を行く車を遠景でとらえる)には、キア

ロスタミ監督の眼差しがある。

 
クルドの若い訓練兵、神学を学ぶアフガンの青年らに、断られた男は、ついに自然史博

物館で動物の剥製製作を仕事にしている老人ハゲリに巡り会う。ハゲリの子息は白血病

で治療費の捻出に逼迫(ひっぱく)している、という設定だが、真偽のほどは問題では

ない。ハゲリが、男の手助けに応じたのは、男が「生きる」ためにであって、自殺の手

助けではない、ということは、映画の中で断言されているわけではないが、そう感じさ

せる「生への確信」がハゲリに漂っている。ハゲリとは、「普通のおじさん」であるよう

にみえながら、「ひとかど」の人物であるから、そう理解できるのである。

 
若き日に、ハゲリ自身、自殺を試みた。そのときの様子を、男の運転する車の中で、語

りはじめたハゲリにも、男の決意は揺らがない。揺らがないが、身心のどこかに「ボデ

ィーブロー」を与えているかのようでもある。荒れた丘陵の土煙は、男の目に「死」の

イメージとして映っているのだろうか。ハゲリと会う直前、男は、セメント採掘場で、

自らの「死の影」に怯(おび)えたばかりであった。

 
ハゲリが車の中で男に語った言葉を、書き出しておこう。







「思い出を話そう。結婚したばかりのことだ。生活は貧しく、すべてが悪くなるばかり

だ。わしは疲れ果て、死んだら楽になると思った。もう限界だとね。ある朝、暗いうち

に車にロープを積んで家を出た。わしは固く決意してた。自殺しようと。1960年のこと

で、わしはミネアに住んでいた。

 
わしは家の側の果樹園に入って行った。1本の桑の木があった。まだ辺りはまっ暗でね。

ロープを投げたが枝に掛からない。1度投げてだめ、2度投げてもだめ。とうとう木に登

ってロープを枝に結んだ。すると手になにか柔らかい物が触れた。熟した桑の実だった。

 
1つ食べた。甘かった。2つ食べ、3つ食べ……。いつの間にか夜が明け、山の向うに日

が昇ってきた。美しい太陽!美しい風景!美しい緑!学校へ行く子供たちの声が聞こえ

てきた。子供たちが木を揺すれと。わしは木を揺すった。皆、落ちた実を食べた。わし

はうれしくなってきた。

 
それで桑の実を摘んで家に持って帰った。妻はまだ眠っていた。妻も起きてから桑の実

を食べた。美味しいと言ってね。わしは死を置き忘れて、桑の実を持って帰った。桑の

実に命を救われた。」

 
(ここで、男が問う。「桑の実を食べたら万事うまくいったとでも?」)

 
「そうとは言わない。わしが変わった。わしの気持ちが変わったし、考え方も変わった。

すべて変わった。この世の人間はだれでも悩みを抱えて生きている。生きている限り仕

方ない。人間が何億いようと、悩みのない人間はいない。悩みを教えてくれたら、もっ

と上手く話ができたが。

 
あんただって病院に行けば、医者に病むところを教えるだろ。あんたはトルコ人じゃな

いから、一つ、笑い話をしよう。怒らないで。

 
トルコ人が医者に行って訴えた。「先生、指で体を触るとあらゆるところが痛い。頭を触

ると頭が痛い。足を触ると足が痛い。腹も痛い、手も痛い、どこもかしこも痛い。」


医者は男を診察して、こう言った。「体はなんともない。ただ指が折れてる」と。

あんたの体はなんともない。ただ考えが病気なだけだ。わしも自殺しに行ったが、桑の

実に命を救われた。ほんの小さな桑の実に。あんたの目が見てる世界は、本当の世界と

違う。見方を変えれば、世界が変わる。幸せな目で見れば、幸せな世界が見えるよ。


 
そんなに若いのに。つまらない悩みで死んでしまうなんて。たったひとつの悩みで。人

生は汽車のようなものだ。前へ前へ、ただ走って行く。そして最後に終着駅に着く。そ

こが死の国だ。死はひとつの解決法だが、旅の途中で実行してしまったらだめだよ。

初めはいいと思っても、間違っていることもある。まず、よく考えること。正しいと信

じていても、後で間違っていることに気づくものだ。

 
希望はないのかね?

朝起きたとき、空をみたことはないかね。夜明けの太陽を見たいとは思わないかね?赤

と黄に染まった夕焼け空をもう1度見たくないか?月はどうだ?星空を見たくないか?

夜空にぽっかり浮かんだ満月を見たくない?

 
目を閉じてしまうのか?

あの世から見に来たいほど、美しい世界なのに、あんたはあの世に行きたいのか。もう

1度、泉の水を飲みたくはないかね?泉の水で顔を洗いたくないかね?

 
自然には四季があるが、四季はそれぞれで違った果物がとれる。夏には夏の果物。秋に

は秋の果物。冬は冬の果物、春には春の果物。この世のどんな母親も、それほど果物を

備えられない。どんなに子供を愛する母親も、神には適わない。それほど神は人を慈(い

つく)しんでいる。

 
すべてを拒み、すべてを諦めてしまうのか?

桜桃の味を忘れてしまうのか?

だめだ、友達として頼む。諦めないでくれ。」








車は、赤茶けた山肌の露出する丘陵の道を、右に折れ、左に折れ、やがて街中に出て、

ハゲリの職場である自然史博物館へ辿(たど)り着く。ハゲリを降ろしてまもなく、男

はハゲリのもとへ引き返し、死の手助けを確実に実行するように、ハゲリに念押しする。

ハゲリの言葉は、男に、届いていないかのようだ。

 
やがて夜が来て、男は自殺を決行する「穴」へ入る。暗闇から、男は、満月に行き交う

雲を凝視している――。


このシーンで男の物語は断絶し、一転、緑たわわな丘陵での撮影シーンとなり、キアロ

スタミ監督自らも登場、撮了を告げる。キアロスタミが言う。「これから音入れに入る」

と。主人公の男も、撮影隊やエキストラがくつろぐ丘にまぎれている。そして、この映

画で初めて、BGMが流れ、エンディングとなる。

 
男は、自殺を決行してしまったのだろうか?そこを、映画は見せない。それは、観客が

この作品をどう見るか、見たかにかかっていることを問いかけているかのようである。

桑の実が救った命の話は、男に通じたのだろうか。桜桃の味が男の生きる力に響いたで

あろうか。

 
「死」へ向かう生存にとって、では、「生きる」とはどういうことか。ハゲリと男の「巡

り会い」そのもの、会話そのもの、対話そのものの中に、ヒントが隠されている気がし

てならない。「自殺願望の男の物語」というより、これは、一種、「友情の物語」として

見ることができるのかもしれない。

 
登場する人々は、微塵も曲がったところのない誠実さを滲(にじ)ませている。その意

味では、「悪」というものが、何ひとつ存在しない、人間賛歌を聴いた感じが強く残る作

品でもある。

(2001.4.28鑑賞&記、4.30追補)

※この鑑賞記録は、「花琳党シネマ館」からコピーし、一部変更を加えました。2016年7月9日。合地。

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