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カテゴリー「立原道造の詩を読む」の記事

2017年2月22日 (水)

立原道造の詩を読む/「暁と夕の詩」の5番詩「真冬の夜の雨に」

 

「未成年」は1935年創刊の同人誌で

1936年夏に廃刊になりました。

 

立原道造も創刊同人として参加していたが

同人の寺田透と立原とが対立したことが廃刊の原因でした。

 

その「未成年」第6号(1936年5月号)に発表したのが

「真冬の夜の雨に」でしたが

初出は物語「ちひさき花の歌」の「結びのソネット」に引用されました。

 

その時、副題に

「暁の夕の詩。第5番。」とありました。

(※「暁と夕の詩」の間違いらしいのですが、原文ママとするならいのようです。)

 

 

Ⅴ 真冬の夜の雨に

 

あれらはどこに行つてしまつたか?

なんにも持つてゐなかつたのに

みんな とうになくなつてゐる

どこか とほく 知らない場所へ

 

真冬の雨の夜は うたつてゐる

待つてゐた時とかはらぬ調子で

しかし帰りはしないその調子で

とほく とほい 知らない場所で

 

なくなつたものの名前を 耐へがたい

つめたいひとつ繰りかへしで――

それさへ 僕は 耳をおほふ

 

時のあちらに あの青空の明るいこと!

その望みばかりのこされた とは なぜいはう

だれとも知らない その人の瞳の底に?

 

(岩波文庫「立原道造詩集」より。)

 

 

【現代表記】

 

Ⅴ 真冬の夜の雨に

 

あれらはどこに行ってしまったか?

なんにも持っていなかったのに

みんな とうになくなっている

どこか とおく 知らない場所へ

 

真冬の雨の夜は うたっている

待っていた時とかわらぬ調子で

しかし帰りはしないその調子で

とおく とおい 知らない場所で

 

なくなったものの名前を 耐えがたい

つめたいひとつ繰りかえしで――

それさえ 僕は 耳をおおう

 

時のあちらに あの青空の明るいこと!

その望みばかりのこされた とは なぜいおう

だれとも知らない その人の瞳の底に?

 

 

第1連

なんにも持っていなかったのに

みんな とうになくなっている

――という

持っていなかったのに、なくなっている

――齟齬(そご)や

 

第2連

待っていた時とかわらぬ調子で

しかし帰りはしないその調子で

――という

待っていた時の調子が、帰りはしない調子で

――と飛躍になるような

こういう詩法(レトリック)を

詩人は完成の域に達成しています。

 

 

第3連

なくなったものの名前を 耐えがたい

――という時の、耐えがたい、も

つめたいひとつ繰りかえしで――

――という次行への連なりで捉えないと

いかにも矛盾したようなことになりますが

これも完成されたレトリックになりました。

 

 

前作「眠りの誘ひ」の

物語的な(一方向へ流れる時間の)詩の作り方を

わざと壊すような詩行の流れです。

 

 

(世界中はさらさらと粉の雪)であったのが

真冬の夜の雨が歌っているのですし。

 

あれらは、どこかに行ってしまったのですし。

 

耐えがたい

冷たい一つ繰り返しですし。

 

僕は、耳をおおいます。

 

 

それにしても最終行

だれとも知らない その人の瞳の底に?

――の、その人は謎です。

 

うしなった女性でしょうか。

 

 

あの青空の明るいこと!

――と歌わせる光のようなものが

詩人に見えていたことが

最終連3行の、この入り組んだレトリックの背後から

浮んでくるようではあります。

 

 

人間がそこでは金属となり結晶質となり天使となり、生きたる者と死したる者との中間者と

して漂う。死が生をひたし、僕の生の各瞬間は死に絶えながら永遠に生きる。

 

 

「風信子🉂」の一節がよみがえりますが

この詩に直(じか)に関係するかは不明です。

 

 

つづく。

 

2017年2月21日 (火)

立原道造の詩を読む/「暁と夕の詩」の4番詩「眠りの誘ひ」

4番詩「眠りの誘ひ」は

紫式部学会編集の教養雑誌「むらさき」の

1937年2月号に発表されました。

 

 

Ⅳ 眠りの誘ひ

 

おやすみ やさしい顔した娘たち

おやすみ やはらかな黒い髪を編んで

おまへらの枕もとに胡桃色(くるみいろ)にともされた燭台のまはりには

快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)

 

私はいつまでもうたつてゐてあげよう

私はくらい窓の外に さうして窓のうちに

それから 眠りのうちに おまへらの夢のおくに

それから くりかへしくりかへして うたつてゐてあげよう

 

ともし火のやうに

風のやうに 星のやうに

私の声はひとふしにあちらこちらと……

 

するとおまへらは 林檎(りんご)の白い花が咲き

ちひさい緑の実を結び それが快い速さで赤く熟れるのを

短い間に 眠りながら 見たりするであらう

 

(岩波文庫「立原道造詩集」より。)

 

 

【現代表記】

 

Ⅳ 眠りの誘い

 

おやすみ やさしい顔した娘たち

おやすみ やわらかな黒い髪を編んで

おまえらの枕もとに胡桃色(くるみいろ)にともされた燭台のまわりには

快活な何かが宿っている(世界中はさらさらと粉の雪)

 

私はいつまでもうたっていてあげよう

私はくらい窓の外に そうして窓のうちに

それから 眠りのうちに おまえらの夢のおくに

それから くりかえしくりかえして うたっていてあげよう

 

ともし火のように

風のように 星のように

私の声はひとふしにあちらこちらと……

 

するとおまえらは 林檎(りんご)の白い花が咲き

ちいさい緑の実を結び それが快い速さで赤く熟れるのを

短い間に 眠りながら 見たりするであろう

 

 

この詩で「私」は歌う人です。

 

子守唄でも歌うかのように

ともし火のように

風のように

星のように。

 

それを聞かせられる娘たちは眠りのなかで

林檎の白い花が咲き

小さい緑の実を結び

赤く熟れるのを見るであろうと歌うだけです。

 

 

僕の住んでいゐたのは、光と闇との中間であり、暁と夕との中間であつた。

――と「風信子🉂」で表白した詩人に通じる

おそれとおののきがここには存在するでしょうか。

 

ともし火とか

風とか星とか。

 

中間に存在してうたう詩人のおそれとおののきと――。

 

 

つづく。

 

立原道造の詩を読む/第2詩集「暁と夕の詩」の成り立ち・その3/風信子(ヒヤシンス)の苦悩

 

素手で詩を読む限界というものがあるでしょう。

 

そういうような場合に

背景とか環境とか状況とか

その詩を生んだ外的な契機とは別の

内的な動機を知り得れば

詩の中へよりいっそう親しく入り込むことが可能になります。

 

詩集「暁と夕の詩」をひもとくための重要な記述を

詩人自身が残してくれています。

 

 

失はれたものへの哀傷といい、何かしら疲れた悲哀といひ、僕の住んでいゐたのは、光と

闇との中間であり、暁と夕との中間であつた。形ないものの、淡々しい、否定も肯定も中止

された、ただ一面に影も光もない場所だつたのである。人間がそこでは金属となり結晶質

となり天使となり、生きたる者と死したる者との中間者として漂う。死が生をひたし、僕の生

の各瞬間は死に絶えながら永遠に生きる。すべてのものは壊されつくしている、果敢ない

清らかな冒険を言ひながら、僕がすべてのものを壊しつくしてその上に漂つた、と僕の心

がささやく。おそれとおののきとが、むしろ親しい友である、尖らされた危ない場所だつた、

と今の僕の心は何かさびしげにことあげする

 

 

これは「四季」1938年1月号、12月20日)発表された

随想「風信子🉂」の記述の一部です。

 

このような激しい内的興奮(おそれとおののき)を経て

詩集「暁と夕の詩」は生み落されました。

 

これは通常では

苦悩と呼ぶようなことではないでしょうか。

 

 

一度死んだ者は、二度生きねばならない。生よりも死について知つているからこそ生きて

ゐられると、もの忘れよと吹く南風をたのむな。決意と拒絶という二つの言葉が生きるとい

う事実にむかひあふ、生きるとは、限りなく愛し、限りなく激しくあることだと。光が誘う。ここ

に出発がある、たつた一度の意味で。おまへが死のうと生きようと、僕は生きていたいの

だ! と。

 

 

同じ文の中では

さらにこのように激しく

自らへ、あるいは、親しい人たちへ告白するかのように

訴えました――。

 

 

第1詩集「萱草に寄す」の

甘やかな調べは

どこへ行ってしまったのか。

 

不思議に感じていたものが

一気に溶けだしていくような

ショックを覚えざるを得ません。

 

 

つづく。

 

2017年2月20日 (月)

立原道造の詩を読む/第2詩集「暁と夕の詩」の成り立ち・その2/不思議なジグザグ

 

この本がイメージとなつて凝りかけた夏の日から今、かうしてひとつの物体になり終へて机

の上におかれる冬の夜までに、その短い間に、僕の生は、全く不思議なジグザグを描い

た。

――とある「不思議なジグザグ」とはどのようなものだったか?

 

1937年の夏から冬の間の

立原道造の足取りを年譜で見てみましょう。

 

立原道造は7月30日生まれですから

24歳になって以後、半年の軌跡になります。

 

 

1937年((昭和12年)。

 

4月に石本建築設計事務所に就職し

日々、建築図面を書いて生計を立てていました。

 

6月5日。

水戸部アサイを誘い、日帰りで軽井沢に行く。

追分駅近くの草むらで水戸部にプロポーズした。

 

7月はじめに

第1詩集「萱草に寄す」が刊行されました。

奥付は5月12日付けとなっていましたから

2か月ほど遅れたことになります。

 

「文芸」7月号に「溢れひたす闇に」発表。


「四季」8月号(7月20日)に詩「不思議な川辺で」、「編輯後記」発表。

軽井沢での避暑に出かける室生犀星に頼まれ

7月19日から大森馬込の犀星邸(魚眠洞)に住み

ここから勤務先の石本建築事務所へ通勤する。

9月上旬まで。

 

この間、8月5日には軽井沢の油屋で行われた「四季」の会へ参加。

土曜日の午後に上野を発ち

月曜日の朝帰京しそのまま出勤する日を繰り返した。

9月12日付け 「都新聞」に詩「真冬のかたみに」発表。

夏、徴兵検査、丙種不合格。

身長175センチ、体重49キロ。

 

この頃、キルケゴール「反覆」を読み、物語「鮎の歌」の最終章を下書き(未発見)。

 

「やがて秋に……」を「四季」10月号(9月20日)に発表。

 

10月、肋膜炎。

医師から安静を命じられ、建築事務所を欠勤。1か月自宅で静養。

 

10月22日、中原中也死去。

24日の葬儀に病を押して参列しました。

 

室生犀星を訪問した後、休養を兼ねて軽井沢の油屋に滞在中の11月19日、

油屋が全焼。九死に一生を得るという災難に遭遇しました。22日帰京。

 

12月上旬、丸山薫から「暁と夕の詩」の広告文を受け取ります。

かねて待望していたものでした。

12月上旬、神保光太郎の結婚披露宴に列席。

 

12月20日、「暁と夕の詩」発行。

9月に刊行予定でした。

 

12月、神保光太郎の住む浦和に「ヒアシンス(風信子)ハウス」を計画。

「四季」(1938年1月号、12月20日)に詩「初冬(けふ 私のなかで)」、随想「風信子

[二]」発表。

 

年明けて1938年1月16日。

「暁と夕の詩」の出版記念「風信子の会」が銀座で開催されました。

「四季」「未成年」同人ら25人が出席。

 

建築事務所の職員、水戸部アサイとの結婚話が進んでいます。

 

中原中也への追悼文「別離」、堀辰雄論「風立ちぬ」を発表したのは

「四季」6月号(5月20日発行、第37号)でした。

 

 

以上、筑摩書房「立原道造全集」第5巻巻末の年譜のほか、

一部、岩波文庫「立原道造詩集」年譜を参照しました。

 

「暁と夕の詩」の成り立ちを知る

一つの手がかりになることでしょう。

 

 

つづく。

 

2017年2月19日 (日)

立原道造の詩を読む/「暁と夕の詩」の3番詩「小譚詩」

3番詩「小譚詩」が発表されたのは
「四季」1936年(昭和11年)5月号でした。

そのとき
「(暁と夕の詩)・第3番」とタイトルに付記されていたのですから
第1詩集「萱草に寄す」の発行以前に
すでにこの第2詩集の編集がはじまっていたことを示す一例です。

譚詩は物語詩。

 小譚詩

一人はあかりをつけることが出来た
そのそばで 本をよむのは別の人だつた
しづかな部屋だから 低い声が
それが隅の方にまで よく聞えた(みんなはきいてゐた)

一人はあかりを消すことが出来た
そのそばで 眠るのは別の人だつた
糸紡ぎの女が子守の唄をうたつてきかせた
それが窓の外にまで よく聞えた(みんなはきいてゐた)

幾夜も幾夜もおんなじやうに過ぎて行つた……
風が叫んで 塔の上で 雄鶏が知らせた
――
兵士(ジアツク)は旗を持て 驢馬は鈴を掻き鳴らせ!

それから 朝が来た ほんとうの朝が来た
また夜が来た また あたらしい夜が来た
その部屋は からつぽに のこされたままだつた

(岩波文庫「立原道造詩集」より。)

【現代表記】

 小譚詩

一人はあかりをつけることが出来た
そのそばで 本をよむのは別の人だった
しずかな部屋だから 低い声が
それが隅の方にまで よく聞えた(みんなはきいていた)

一人はあかりを消すことが出来た
そのそばで 眠るのは別の人だった
糸紡ぎの女が子守の唄をうたってきかせた
それが窓の外にまで よく聞えた(みんなはきいていた)

幾夜も幾夜もおんなじように過ぎて行った……
風が叫んで 塔の上で 雄鶏が知らせた
――
兵士(ジャック)は旗を持て 驢馬は鈴を掻き鳴らせ!

それから 朝が来た ほんとうの朝が来た
また夜が来た また あたらしい夜が来た
その部屋は からっぽに のこされたままだった

前詩「やがて秋……」が
季節(とき)の巡りだけを歌ったかのようであるのに
バランスを取るかのように
この詩は生き物たちの暮らしの一コマが
渇望されたかのように歌われます。

追分村でのコミュニティーに似た体験が
モデルになっているのでしょうか。

それとも渇望そのものでしょうか。

あるいはやがて展開される物語「アンリエットとその村」への
架橋のためのイントロでしょうか。

夜の闇をさまよう魂が
パッと開けたような視界に立ちます。

しかし、
最後の1行
その部屋は からっぽに のこされたままだった
――
は、
ポカリと空いた詩人の内部の
空洞を映し出しているように見えなくもありません。

詩心は限りない円環へ向かうのでしょうか?

詩集「暁と夕の詩」は、

生涯のひとつの奇妙な時期に、僕の詩集《暁と夕の詩》が完成した。風信子叢書第二篇である。僕の憶ひのなかにこの本がイメージとなつて凝りかけた夏の日から今、かうしてひとつの物体になり終へて机の上におかれる冬の夜までに、その短い間に、僕の生は、全く不思議なジグザグを描いた。

――と詩人が記す「ジグザグ」の果ての産物でした。

つづく。

 

2017年2月18日 (土)

立原道造の詩を読む/「暁と夕の詩」の2番詩「やがて秋……」

第1番詩「或る風に寄せて」は

夕ぐれが夜に変るたび

――とすでに夜を歌いました。

 

おまえは 西風よ みんななくしてしまった と 

――とも。

 

 

2番詩は季節(とき)を巡らせます。

 

 

Ⅱ やがて秋……

 

やがて 秋が 来るだらう

夕ぐれが親しげに僕らにはなしかけ

樹木が老いた人たちの身ぶりのやうに

あらはなかげをくらく夜の方に投げ

 

すべてが不確かにゆらいでゐる

かへつてしづかなあさい吐息にやうに……

(昨日でないばかりに それは明日)と

僕らのおもひは ささやきかはすであらう

 

――秋が かうして かへつて来た

さうして 秋がまた たたずむ と

ゆるしを乞ふ人のやうに……

 

やがて忘れなかつたことのかたみに

しかし かたみなく 過ぎて行くであらう

秋は……さうして……ふたたびある夕ぐれに――

 

(岩波文庫「立原道造詩集」より。)

 





【現代表記】

Ⅱ やがて秋……

 

やがて 秋が 来るだろう

夕ぐれが親しげに僕らにはなしかけ

樹木が老いた人たちの身ぶりのように

あらわなかげをくらく夜の方に投げ

 

すべてが不確かにゆらいでいる

かえってしずかなあさい吐息にように……

(昨日でないばかりに それは明日)と

僕らのおもいは ささやきかわすであろう

 

――秋が こうして かえって来た

そうして 秋がまた たたずむ と

ゆるしを乞う人のように……

 

やがて忘れなかったことのかたみに

しかし かたみなく 過ぎて行くであろう

秋は……そうして……ふたたびある夕ぐれに――

 

 

夕ぐれが僕らにはなしかける。

(――とある僕らとは僕と誰のことでしょうか?)

 

樹木は夜の方へ遠のいている。

 

 

すべてが不確かに揺らいでいるところ。

かえって静かな浅い吐息のような時。

 

昨日ではない(のがはっきりしているのだから)

明日であるに違いない。

 

<過ぎ去った時が戻らないということのなかに明日はあるのだから>と

僕らの思いが重なりあう。

 

 

秋はここのようにして巡って来た

そうして秋はまたたたずむ。

 

許しを乞う人のように。

 

 

やがて忘れなかったことの形として

形もなく過ぎていく。

 

秋は再びある夕ぐれに巡りあう。

 

 

「暁と夕の詩」は組曲です。

 

そのことは第2詩集「暁と夕の詩」のために書かれた

詩人自身の名高い覚書に明らかにされています。

 

詩人はその中でこの詩集のことを

独逸風のフルート曲集と記しています。

 

 

第1番詩「やがて秋……」の主役は

夕ぐれ。

 

――という時間なのかもしれません。

 

人(の営み)は背景の中に後退し

夕ぐれだけが曲を奏でるかのようです。

 

 

つづく。

2017年2月16日 (木)

立原道造の詩を読む/「暁と夕の詩」の夕の歌「或る風に寄せて」

 

「失はれた夜に」がはじめ

「ある不思議なよろこびに」のタイトルで

中原中也の詩をエピグラフに引用していたという理由で

詩集「暁と夕の詩」をひもとくきっかけにして

詩集の後半部をざっと読んできました。

 

夜の闇をさまよう詩人は

朝の光りに辿りついたのでしょうか?

 

最終詩「Ⅹ 朝やけ」に至っても

夜は明けていないようでした。

 

前半部を読んでいきます。

 

 

Ⅰ 或る風に寄せて

 

おまへのことでいつぱいだつた 西風よ

たるんだ唄のうたひやまない 雨の昼に

とざした窗(まど)のうすあかりに

さびしい思ひを噛みながら

 

おぼえてゐた をののきも 顫(ふる)へも

あれは見知らないものたちだ……

夕ぐれごとに かがやいた方から吹いて来て

あれはもう たたまれて 心にかかつてゐる

 

おまへのうたつた とほい調べだ――

誰がそれを引き出すのだらう 誰が

それを忘れるのだらう……さうして

 

夕ぐれが夜に変るたび 雲は死に

そそがれて来るうすやみのなかに

おまへは 西風よ みんななくしてしまつた と

 

(岩波文庫「立原道造詩集」より。)

 

 

【現代表記】

 

Ⅰ 或る風に寄せて

 

おまえのことでいっぱいだった 西風よ

たるんだ唄のうたいやまない 雨の昼に

とざした窗(まど)のうすあかりに

さびしい思いを噛みながら

 

おぼえていた おののきも 顫(ふる)えも

あれは見知らないものたちだ……

夕ぐれごとに かがやいた方から吹いて来て

あれはもう たたまれて 心にかかっている

 

おまえのうたった とおい調べだ――

誰がそれを引き出すのだろう 誰が

それを忘れるのだろう……そうして

 

夕ぐれが夜に変るたび 雲は死に

そそがれて来るうすやみのなかに

おまえは 西風よ みんななくしてしまった と

 

 

西風は秋風でしょうか?

夕暮れのたびに陽の沈む方から吹いてくる。

 

どこからか あまり上手ではない(のんびりとした)歌が聞こえてきます。

雨の昼どき。

 

窓を閉ざしたうすらあかりの部屋で

僕はさびしい思いを噛みしめている。

 

 

おぼえていた おののきも 顫(ふる)えも

あれは見知らないものたちだ……

 

 

こういう詩行に

少し戸惑うのは致し方ないことでしょう。

 

おぼえていた、は

前連の、噛みながら、から連続しながら

 

おぼえていた、と

見知らない、と齟齬(そご)する関係。

 

見知らない(=初めてである)に重心をおいて

読みます、とりあえず。

 

夕暮れどきに日没する方角から吹いてくる風が

僕のこころを支配しています。

 

 

おまえ=西風が歌った遠い調べが

どんな調べ(メロディー)だったのか。

 

さびしい思いを掻き立てるのだけは

確かです。

 

誰が吹かせるのだろう?

そして

誰が忘れるのだろう?

 

 

夕暮れは夜に変わるたびに

雲は消え失せ

次第に濃くなってくる薄闇の中に

おまえ、西風よ

寂しさも憂(うれ)わしさもなにもかも

みんな失くしてしまった――。

 

 

3度現れる「おまえ」が

全て西風なのか。

 

女性の影が

見えなくもない。

 

女性でなくてはならないものでもなく。

 

 

つづく。

 

2017年2月15日 (水)

立原道造の詩を読む/第2詩集「暁と夕の詩」の成り立ち

 

「暁と夕の詩」に収録された詩は

「さすらひ」を除いて

すべてが雑誌や詩誌に発表されたものです。

 

それを見ておくと、

 

Ⅰ 或る風に寄せて 「四季」1935年(昭和10年)10月号

Ⅱ やがて秋……  「四季」1937年(昭和12年)10月号

Ⅲ 小譚詩      「四季」1936年(昭和11年)5月号

Ⅳ 眠りの誘ひ    「むらさき」1937年2月号

Ⅴ 真冬の夜の雨に 「未成年」1936年5月号

Ⅵ 失はれた夜に  「四季」1936年6月号

Ⅶ 溢れひたす闇に 「文芸」1937年7月号

Ⅷ 眠りのほとりに  「四季」1937年6月号

Ⅸ さまよひ 

Ⅹ 朝やけ      「四季」1936年春季号

 

――となります。

(以上、筑摩書房「立原道造全集」第1巻・解題より。)

 

 

このうち

「Ⅶ 失はれた夜に」は、

「四季」初出のときには

「ある不思議なよろこびに」のタイトルで

題詞(エピグラフ)に中原中也の詩「無題」の引用がありました。

 

「Ⅲ 小譚詩」が「四季」に発表されたときには

「暁と夕の詩・第3番」と題に付記されていました。

 

「Ⅴ 真冬の夜の雨に」は物語「ちいさき花の歌」に初出したとき

末尾に「結びのソネット」とあり

副題に「暁の夕の詩。第5番」(ママ)とありました。

(のちに「未成年」に発表され、「暁と夕の詩」に収録されました。)

 

「Ⅶ 溢れひたす闇に」は物語「鮎の歌」に初出したとき

「結びのソネット」として末尾にあり

副題に「暁と夕の詩・第7番」とありました。

 

 

全10作のうち

1936年5月号「四季」に発表した「小譚詩」に

「暁と夕の詩・第3番」と記されていることなどから

詩集「暁と夕の詩」はこの頃から構想され

編集がはじめられていたものと考えられています。

 

第1詩集「萱草に寄す」の刊行は

1937年7月ですから

それより以前にすでに第2詩集「暁と夕の詩」は

構想(編集)されていたということになります。

 

 

つづく。

 

立原道造の詩を読む/「暁と夕の詩」の最終詩「朝やけ」

 

朝やけよ! 早く来い――眠りよ! 覚めよ……

つめたい灰の霧にとざされ 僕らを凍らす 粗(あら)い日が

訪れるとき さまよふ夜よ 夢よ ただ悔恨ばかりに!

――と「さまよひ」で歌ってのちに、

 

「暁と夕の詩」の最終詩「朝やけ」では

夜を脱したのでしょうか?

 

さまよふ夜よ 夢よ ただ悔恨ばかりに!

――と歌った悔恨は

詩人のこころから立ち去ったでしょうか?

 

昨夜の眠りはよごれた死骸と化し

僕は亡霊のような女性の影を見ます。

 

 

Ⅹ 朝やけ

 

昨夜の眠りの よごれた死骸の上に

腰をかけてゐるのは だれ?

その深い くらい瞳から 今また

僕の汲んでゐるものは 何ですか?

 

こんなにも 牢屋(ひとや)めいた部屋うちを

あんなに 御堂のやうに きらめかせ はためかせ

あの音楽はどこへ行つたか

あの形象(かたち)はどこへ過ぎたか

 

ああ そこには だれがゐるの?

むなしく 空しく 移る わが若さ!

僕はあなたを 待つてはをりやしない

 

それなのにぢつと それのベツトのはしに腰かけ

そこに見つめてゐるのは だれですか?

昨夜の眠りの秘密を 知つて 奪つたかのやうに

 

(岩波文庫「立原道造詩集」より。)

 

 

【現代表記】

 

Ⅹ 朝やけ

 

昨夜の眠りの よごれた死骸の上に

腰をかけているのは だれ?

その深い くらい瞳から 今また

僕の汲んでいるものは 何ですか?

 

こんなにも 牢屋(ひとや)めいた部屋うちを

あんなに 御堂のように きらめかせ はためかせ

あの音楽はどこへ行ったか

あの形象(かたち)はどこへ過ぎたか

 

ああ そこには だれがいるの?

むなしく 空しく 移る わが若さ!

僕はあなたを 待ってはおりやしない

 

それなのにじっと それのベットのはしに腰かけ

そこに見つめているのは だれですか?

昨夜の眠りの秘密を 知って 奪ったかのように

 

 

よごれた死骸と言うほどに

昨夜の眠りはうだうだとした潔(いさぎよ)くないものだったのだけれども

その残骸の上にやってきて

今また腰かけている(離れようとしない)女性の幻影。

 

暗い瞳に

僕は何を読み取ろうとしているのだろう?

 

 

音楽であった

美しい形象(すがた)は

牢屋(ろうや)のようなこの部屋を去って

どこへ行ってしまったのか。

 

 

そこに座っているのは誰なの?

 

僕は老いてしまったし。

 

あなたを待っていやしないよ。

 

 

それなのに黙って 

ベッドのはしに腰かけて

見つめているのは だれですか?

 

僕の昨夜の眠りの秘密を知って 

僕(の心)を奪ったかのようにしている

おまえ。

 

 

詩集の最終詩にしても

恋の終りは訪れようとしていないような。

 

甘やかさが無くなったのが

恋の終りを告げているような。

 

 

「朝やけ」は

「四季」1936年春季号に発表され

「暁と夕の詩」に収録されました。

 

立原道造が生前に発表した詩集の

最終詩ということになります。

 

 

つづく。

2017年2月13日 (月)

立原道造の詩を読む/「暁と夕の詩」の夜の歌「さまよひ」

 

夜の歌が続きます。

 

第9番詩「さまよひ」は

「暁と夕の詩」に初出しました。

 

雑誌・詩誌などのメディアへの発表の後に

詩集に収録されたのではなく

「暁と夕の詩」に初めて発表された

この詩集のために書かれた詩になります。

 

 

Ⅸ さまよひ

 

夜だ――すべての窓に 燈はうばはれ

道が そればかり ほのかに明(あか)く かぎりなく

つづいてゐる……それの上を行くのは

僕だ ただひとり ひとりきり 何ものをもとめるとなく

 

月は とうに沈みゆき あれらの

やさしい音楽のやうに 微風もなかつたのに

ゆらいでゐた景色らも 夢と一しよに消えた

僕は ただ 眠りのなかに より深い眠りを忘却を追ふ……

 

いままた すべての愛情が僕に注がれるとしたら

それを 僕の掌(て)はささへるに あまりにうすく

それの重みに よろめきたふれるにはもう涸ききつた!

 

朝やけよ! 早く来い――眠りよ! 覚めよ……

つめたい灰の霧にとざされ 僕らを凍らす 粗(あら)い日が

訪れるとき さまよふ夜よ 夢よ ただ悔恨ばかりに!

 

(岩波文庫「立原道造詩集」より。)

 

 

【現代表記】

 

Ⅸ さまよい

 

夜だ――すべての窓に 燈はうばわれ

道が そればかり ほのかに明(あか)く よぎりなく

つづいている……それの上を行くのは

僕だ ただひとり ひとりきり 何ものをもとめるとなく

 

月は とうに沈みゆき あれらの

やさしい音楽のように 微風もなかったのに

ゆらいでいた景色らも 夢と一しょに消えた

僕は ただ 眠りのなかに より深い眠りを忘却を追う……

 

いままた すべての愛情が僕に注がれるとしたら

それを 僕の掌(て)はささえるに あまりにうすく

それの重みに よろめきたおれるにはもう涸ききった!

 

朝やけよ! 早く来い――眠りよ! 覚めよ……

つめたい灰の霧にとざされ 僕らを凍らす 粗(あら)い日が

訪れるとき さまよう夜よ 夢よ ただ悔恨ばかりに!

 

 

すべての窓に 燈はうばわれ

――というのは

家々の窓の灯りばかりは明るいことを歌っているでしょう。

 

あの灯りをほのかに映している道を

ひとり僕は歩いている。

 

先ほどまで見えていた月は

とっくに沈んでしまった……。

 

 

どのようにして眠りが僕を訪れたのでしょうか。

 

夜の中をさまよう魂が

深い眠りを追い忘却を追う。

 

心は涸ききって!

 

 

朝焼けよ!

 

眠りよ!

 

覚めよ

 

夜よ

 

夢よ

 

悔恨ばかりに!

 

――と叫んでいます。

 

 

最終行は謎めいた言葉使いですが

悔恨ばかりに

さまよう心のずたずた、なのか?

 

 

つづく。

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