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カテゴリー「中原中也と「四季」」の記事

2017年2月 6日 (月)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/立原道造の「別離」という追悼・最終回

 

 これは「詩」である。しかし決して「対話」ではない、また「魂の告白」ではない。このやうな完璧な芸術品が出来上るところで、僕ははつきりと中原中也に別離する。詩とは僕にとつて、すべての「なぜ?」と「どこから?」の問ひに、僕らの「いかに?」と「どこへ?」との問ひを問ふ場所であるゆゑ。僕らの言葉がその深い根源で「対話」となる唯一の場所であるゆゑ。
 
(筑摩書房「立原道造全集」第5巻より。)

 

 

「別離」は

いよいよ最終段落へたどり着きます。

 

これは「詩」である。

しかし決して「対話」ではない、

また「魂の告白」ではない。

――という断定が飛躍のなかで行われ

この断定は「汚れつちまつた悲しみに……」という詩が

完璧な芸術品であるという理由によることが述べられます。

 

そして意外にも(?)

立原道造は

このような完璧な芸術品である詩との

別離を宣言するのです。

 

 

別離は目ざすべき詩のあり方(詩論)が

異なるところから生じることが宣言されますが

僕にとって、と立原道造が展開する詩論は

ここでも立原流のユニークなやや独断的な用語(詩法)によって

固められています。

 

立原は――。

 

すべての「なぜ?」と「どこから?」の問いに、

僕らの「いかに?」と「どこへ?」との問いを問う場所であり

僕らの言葉がその深いところで対話となる唯一の場所

――と詩のありかを説明します。

 

すべてのWhy? Where from? という問いに

僕らのHow? Where to? という問いを問う場所が詩でなければならないのは

そこでこそ対話が成り立つ唯一の場所であるからと述べるのです。

 

 

こう述べた後で

記される最後の段落の言葉は

これまで述べてきた反発(共鳴を含む?)と別離が繰り返されることを予見し

この繰り返しのなかでも親近する時があることを明かします。

 

 

 僕らの反発と別離は、くりかへされてやまないであらう。そして僕らが親近するのは、雑沓のなかで、ただ一度二重にかさなつただれもゐない氷の景色のまへで出会ふときだけ。そして、その出会を無力にする、「あれかこれか」の日に僕らは別離する。なぜならば、深い淵をあなたの孤高な嘆きが埋めつくし、あなたの倦怠が完成するゆゑに、言葉なき歌となるゆゑに。
(同。)

 

 

ここは重要なところですから

現代表記でも読んでおきましょう。

 

 

 僕らの反発と別離は、くりかえされてやまないであろう。そして僕らが親近するのは、雑沓のなかで、ただ一度二重にかさなっただれもいない氷の景色のまえで出会うときだけ。そして、その出会を無力にする、「あれかこれか」の日に僕らは別離する。なぜならば、深い淵をあなたの孤高な嘆きが埋めつくし、あなたの倦怠が完成するゆえに、言葉なき歌となるゆえに。
 

 

 

「汚れつちまつた悲しみに……」が投げ出された

あの雑沓のなかで一度は重なったことのある

だれもいない氷の景色の前での出会いが示されました。

 

過去にも現在にも未来にも

この出会いはあるであろうけれど

この出会いが無力になるのは

「あれかこれか」を互いに相手に迫るような時が訪れた時であり

そのような時には僕らは別離する。

 

その時こそは

(孤独の)深い淵をあなた(中原中也)の孤高の嘆きが埋めつくし

倦怠は完成し

言葉なき歌となる。

 

 

最後の最後で

「言葉なき歌」を誤解しているのは致し方のないことですが

目の覚めるような別離が宣言され

同時に魂の交感の時が明らかにされたことは

驚き以外のなにものでもありません。

 

このように

詩人・立原道造は詩人・中原中也と別離し

別離することで追悼としました。

 

 

途中ですが 

今回はここまで。

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/立原道造の「別離」という追悼・その3

 

倦怠のなかに寝ころんでしまった、というのなら親しみやすくありますが

復讐の中に寝ころんでしまった

――と立原道造が捉えた「汚れっちまった悲しみ」は

さらには、「涙の淵の深さ」へと捉え直されて飛躍し

反発の対象に成り代わります。

 

イロニーをイロニーのままで終わらせてはならないのですから

立原流に破壊する必要が生じたのでしょうし

反発はイロニーの壊し方の一つでした。

 

中原中也は「汚れっちまつた悲しみ」の詩人として

立原道造に捉え続けられ

「汚れつちまつた悲しみに……」という詩は

いっそう反発(と親近)の対象になっていきます。

 

 

 心のあり方をそのままうたひはしたが、あなたはすべての「なぜ?」と「どこから?」とには執拗に盲目であつた。孤独な魂は告白もしなかつた。その孤独は告白などむなしいと知りすぎてゐた。ただ孤独が病気であり、苦しみがうたになつた。だから、そのうたはたいへんに自然である。しかし、決して僕に対話しない。僕の考へてゐる言葉での孤独な詩とはたいへんにとほい。(ここでこの詩人が死んだのは今日と、ばかばかしい言葉をおもひ出したまへ。今日という言葉はだいぶ曖昧になる。ヴェルレーヌなどは昨日死に、カロッサは明日死ぬ。ではリルケやゲオルゲやニイチエはいつ死んだか。)

(筑摩書房「立原道造全集第5巻」より。)

 

 

「なぜ?」と「どこから?」が

立原道造独特の用語(思惟)のスタイルであって

その範囲内で中也は盲目的であったのかもしれませんが。

 

孤独な魂は告白をしなかったのだろうか?

告白のむなしさを知りすぎていたために告白しなかっただろうか?

孤独は病気だろうか?

苦しみ(ばかり)を歌っただろうか?

 

この段落の飛躍と断定には

ついていけないものがあります。

 

 

そうであるから――。

 

そうであるから自然であるという言い方には

そのようにレトリックも技術も(リリシズムさえも)認められないという

立原の志向が露出しています。

 

そのような自然であるならば

僕(立原)に対話して来ないし

このような詩は、孤独な詩と僕が考えるものではない。

 

 

詩人(中原中也)が死んだのは今日、という言い方の馬鹿々々しさ(俗な不正確さ)を

ここに( )付きで注釈するのは

今日という言葉の曖昧さへの言及が

まだ不足と感じたからでしょうか

先に、誰よりも先に復讐するのは、あなた、中原中也だと記した流れを

想起させたいからでしょうか。

 

 

飛躍を含んだロジックは

立原道造自ら意識した方法のようですから

「汚れつちまつた悲しみ」についての批評は

このロジックに沿ってさらに積み重ねられていきます。

 

そこで「汚れつちまつた悲しみに……」は

全行引用されます。

 


 

汚れっちまった悲しみに……

 

汚れっちまった悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れっちまった悲しみに

今日も風さえ吹きすぎる

 

汚れっちまった悲しみは

たとえば狐の革裘(かわごろも)

汚れっちまった悲しみは

小雪のかかってちぢこまる

 

汚れっちまった悲しみは

なにのぞむなくねがうなく

汚れっちまった悲しみは

倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

 

汚れっちまった悲しみに

いたいたしくも怖気(おじけ)づき

汚れっちまった悲しみに

なすところもなく日は暮れる……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

途中ですが 

今回はここまで。

 

2017年2月 4日 (土)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/立原道造の「別離」という追悼・その2

 

中原中也が鎌倉で絶命したころ

立原道造は肋膜炎を発症、

11月には信濃追分で静養しますが

止宿先の油屋旅館が火災になり

九死に一生を得るという災難に見舞われています。

 

建築事務所での仕事を

病をおして続けるなかで

堀辰雄論を書き

同じ頃に「別離」を書き

ともに「四季」6月号へ発表しました。

 

「別離」第2段落は

おそらくはベルレーヌやランボーらをイメージして

フランスの詩人が死んだ遠い昨日なら

日本の詩人あなた(中也)が死んだのは今日ということで

(こうして)二つを並べる無意味さのなかで

この文章が書かれたことが吐露されます。

 

 

 僕らはフランスの言葉でうたはれた近代の詩のいくつかを嘗て読んだ。あれはフランスの言葉で、

これは日本の言葉である。日本の言葉がこんな歌をうたった、つまりひとりの日本の詩人が。

フランスのあれらの詩人たちが死んだのはずつと昨日のことである。しかし日本のあなたが死んだのは今日である。僕の今書いた今日といふ言葉は大変に無意味である。そんなばかばかしさで、昨日と今日とを並べて言ふようなところで、この文章を書く。何かしらむなしく、だれかが復讐する。だれよりも先に、あなたが。

(筑摩書房「立原道造全集」第5巻より。)

 

 

昨日と今日とを並べるようなところで文章を書くことは

とてもむなしく

このむなしさを知る人は鋭敏にそれを感じ取り復讐する。

 

真っ先に復讐するのは詩人よ、あなただ。

 

 

立原道造の言おうとするところは

わかりやすいものではありません。

 

詩と散文(エッセイ)の間を

区別をしていないような飛躍の中に

詩人(中原中也)は今日死んだ、という時の

「今日」のあいまいさを

詩的に(厳密に?)ただそうとしているからでしょうか。

 

呼びかける相手が

「山羊の歌」の詩人に絞(しぼ)られたとき

幾分か馴染みやすい会話を聞いている感じになりますが

そもそも復讐という言葉は

どこからどのように引き出されてきたのでしょうか。

 

 

 心のなかに雨が降つてゐる。そして、詩人は帰郷した。それゆゑここはふるさとであり、「縁側には陽が当る。」そして「幸福は厩の中にゐる、藁の上に。」山羊は倦怠してゐる。「これがどうならうと、あれがどうならうと、そんなことはどうでもいいのだ。」と。詩集のこの前景はどれくらゐの深さの氷にささへられているだらうか。氷山は海のなかに沈んだ部分に水の表面に浮んだ部分の七倍もの容積を持つと言ふ。信じられていい伝説である。このやうなことを伝説とおもはせるのは山羊の歌をよんだあとの心のやうすである。そしてこの詩集の深さは、詩人の傷のふかさほどと言ふ。つまり復讐のはげしさ。何かしらこの世の中は気にいらない。しかし、そのなかに寝ころんでしまつた。あなたの「汚れつちまつた悲しみ」。僕はこの涙の淵の深さに反撥する。イロニイのもうひとつのものの壊し方である。

 

 

この段落は現代かなでも読みましょう。

改行も加えて。

 

 

 心のなかに雨が降っている。そして、詩人は帰郷した。それゆえここはふるさとであり「縁側には陽が当る。」そして「幸福は厩の中にいる、藁の上に。」山羊は倦怠している。「これがどうなろうと、あれがどうなろうと、そんなことはどうでもいいのだ。」と。

詩集のこの前景はどれくらいの深さの氷にささえられているだろうか。氷山は海のなかに沈んだ部分に水の表面に浮んだ部分の7倍もの容積を持つという。信じられていい伝説である。このようなことを伝説とおもわせるのは山羊の歌をよんだあとの心のようすである。

 

そしてこの詩集の深さは、詩人のふかさほどと言う。つまり復讐のはげしさ。何かしらこの世の中は気にいらない。しかし、そのなかに寝ころんでしまった。あなたの「汚れっちまった悲しみ」。

 

僕はこの涙の淵の深さに反発する。イロニイのもうひとつのものの壊し方である。

 

 

「帰郷」

「無題」

「盲目の秋」

――の一節をそれぞれ引用しますが

それは詩人の直観的な(部分的な)読みです。

 

「盲目の秋」ですらが

倦怠の声調が聞き取られた様子です。

 

そして次には

「詩集の前景の氷」に眼差しは向けられ

その深さが推し測られ

深さは氷山の沈んだ部分にたとえられ

この深さは復讐の深さであることが断定されます。

 

「山羊の歌」の深さが

復讐の一語にこうしてシンクロ(同期)していきます。

 

 

復讐とは

何かしらこの世の中が気にいらない

――というルサンチマン(感情)のことと指摘したいらしい。

 

そのルサンチマンのなかに寝ころんでしまった、のだ。

あなたの「汚れっちまった悲しみ」は、と。

 

 

詩集の前景(氷山)にあるものを

復讐と見た詩人は

この涙の淵の深さ(復讐)に反発し

自らの詩の方法にも触れようとしていきます。

 

 

途中ですが 

今回はここまで。

 

 

2017年2月 3日 (金)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/立原道造の「別離」という追悼

 

立原道造が「別離」を発表したのは

1938年「四季」6月号(5月20日発行)。

 

中原中也が急逝して半年ほど後のことでした。

 

 

ときどきむなしい景色が眼のまへにひらける。僕らはたいへんに雑沓にゐる。しかし、そのときにすら、だれもゐない、倦怠と氷との景色は二重にかさなつて眼のなかにさしこんでゐる。僕らは脅かされ、そして慰められる。「山羊の歌」といふ詩集の題は雑沓にはふさわしくなく、たいへんに素朴に美しい、しかしその詩集もまた雑沓のなかにゐる。詩人の傷ついた淨らかさと、ふかい昏睡と悲しみと幻想と。そのような言葉で名づけられるものを群衆はおそらくはじき去る。そのとき、この本が雑沓のなかにあること、これはイロニイである。山羊の歌はたいへんにむなしい。このイロニイのようなところで倦怠がうたつている。倦怠といふ心のあり方は、その心の上でかなしいリズムや踊りを噛みしめてゐる。

(筑摩書房「立原道造全集」第5巻より。)

 

 

これは、「別離」書き出しの1段落です。

 

歴史的仮名遣いがもどかしいほどに

言葉のモダンなトーンに驚く人は少なくないに違いありません。

 

誤解を恐れずに言えば

この文体は現代に通じています。

 

詩人の書いた散文という理由もあるかもしれませんが

言葉に宿る内的なもの――。

 

追悼の意味もあったのでしょうけれど

中也の内部の声に

語りかけているような

詩人の声(文体)が新鮮です。

 

別離を告げているにもかかわらず

一時(いっとき)、中也の心を撃ったような。

 

 

現代表記で読み直してみましょう。

 

 

ときどきむなしい景色が眼のまえにひらける。僕らはたいへんに雑沓にいる。しかし、そのときにすら、だれもいない、倦怠と氷との景色は二重にかさなって眼のなかにさしこんでいる。僕らは脅かされ、そして慰められる。

 

「山羊の歌」という詩集の題は雑沓にはふさわしくなく、たいへんに素朴に美しい、しかしその詩集もまた雑沓のなかにいる。詩人の傷ついた浄らかさと、ふかい昏睡と悲しみと幻想と。そのような言葉で名づけられるものを群衆はおそらくはじき去る。そのとき、この本が雑沓のなかにあること、これはイロニイである。

 

山羊の歌はたいへんにむなしい。このイロニイのようなところで倦怠がうたっている。倦怠という心のあり方は、その心の上でかなしいリズムや踊りを噛みしめている。

(同。改行を加えました。編者。)

 

 

立原道造が語っているのは

「山羊の歌」の詩人のようです。

 

その詩人の、傷ついた浄らかさ、深い昏睡と悲しみと幻想とが

雑沓に投げ出されてあり

雑沓の中では群衆に弾き返されてしまうであろうことの

イロニーを語りはじめる胸には

ふるえのようなものがあります。

 

都会の雑沓に育ち

幾分かそれを忌避して生きてきた詩人の眼差しは

イロニーのようなところで

倦怠を歌うことのむなしさを述べ

「別離」を語り出します。

 

 

三好達治が「詩集『在りし日の歌』」を著わし

少し遅れた追悼とした少し前に

「別離」を立原道造は書きました。

 

何かしら、先を急ぐような詩人のこころがただよう

このエッセイを読みましょう。

 

 

途中ですが 

今回はここまで。

 

2017年2月 1日 (水)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/三好達治の「在りし日の歌」批評・その3

 

三好達治の「詩集在りし日の歌』」というタイトルの批評文冒頭部の

後半部を読みましょう。

 

前半部で

中也の詩人としての出発に

ダダイズムの影響があったことが指摘されました。

 

ダダイズムは破調、破格も

一つの方法でしたが

三好達治は中也の詩にたびたび現れる破調、破格を

自己矛盾的な破壊作業と断じ

さらに断言は強い声調を帯びます

 

 

中原中也の詩歌のほとんどが

絶望と苦悩の、

聞き手もない淋しい孤独者の挽歌であった。

 

孤独なのは

思想が深遠なためでも、高邁(こうまい)なためでもなさそうである。

 

中原中也は、深遠とか、高邁とかを目ざして

自らを愛護し、発展させ成長させて高所に至った、というような詩人ではなかったのだから。

 

最初から、歌の外の一切を見失った詩人だった。

(歌にしか活路はなかった。)

 

出発当時を知らないから想像しがたいのだが

この詩人にはありきたりな変化や発展というものが起こりようがなかったのであろう。

(正統の学問をしなかったことを三好は言っているのだろうか?)

 

そのために30歳になっても20歳の日の「在りし日の歌」を歌い続けていた。

 

こうして中原中也の詩歌は

独自の、一種深沈たる趣をそなえて

成年者の悲哀と同時に壮年者のもの足りなさを含めた

奇妙な、そして奇妙ななりに確乎とした

抒情的詩境に達したのである。

 

 

独自で、深沈たる趣があり

成年者の悲哀も、壮年者のもの足りなさも(歌い込まれ)

奇妙であり確乎とした

抒情的詩境に達した

――というこのくだりは

中也詩の抒情の成立(過程)やありかを

三好が積極的に肯定している部分です。

 

こういうところで

三好は中也を認めざるを得なかったのですし

個々の詩を「根こそぎ否定する」わけにはいきませんでした。

 

そして続けます。

 

 

そうなのだ。

 

中原中也の詩の第一の魅力は

確乎とした、中原中也の主観にあり

悲哀の重量にある。

 

(この)一本調子の、単一な、

純粋な詩境を保持した

自信に満ちた詩人が存在したことは

驚異であり、称賛に値する。

 

中原中也は、自信を秘かに胸の奥に持っていたのだ。

 

それは生活の一挙一動、作品を見ればわかる。

 

(私が)不可解と先に言った

調子の破格、詩語の唐突な使用などは

この自信の結果であり

主我的な見解の偏狭さから生じているのかも知れない。

 

 

――と結んでいます。

 

三好には

エゴイスティック(主我的)なものの見方の狭さが受け入れがたく

何かしら「学問」みたいなもの

高度な教養みたいなものが

詩人には必要なのだと言いたくて仕方のないような

流れの結語です。

 

この流れの中に

幾分かは肯定的評価が含まれているところは

ほとんど相容れることのなかった二人の詩人に

響き合うものがあったことを示しますから

よろこばしいことと言うべきでしょう。
 

この結語が

なんとも迫力に欠けるものであるにしても。

 


 

個々の詩への

三好達治の親近の度合いが

この後、具体的に述べられたのは

先に読んできた通りです。
 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年1月30日 (月)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/三好達治の「在りし日の歌」批評・その2

 

間然とするところなし

――というのが

三好達治の最高の賛辞なのだとすれば

中原中也の詩の幾つかに見られる

破調、破格あるいは乱調までを含めた詩篇が

よい評価を受けることはあり得ないことでしょう。

 

中也詩のなかでも傑作の一つに違いのない「正午」は、

 

哀傷の詩魂が内に高まり顫動して、

外には温雅な詩語の美衣をまとった作風

――であるという理由で

「老いたる者をして」が非の打ちどころがないのに比べれば

劣っていると三好は考えました。

 

 

二つ(四つ)の詩を比較したのかどうか。

 

その点は断じることができませんが

この批評文の構成(流れ)から見て

やはり、比較して後の評価であると言うことはできるようです。

 

 

四つの詩の個々の鑑賞に入る前の

この批評文の書き出しには

すでに総論(詩人論)が置かれてあり

各論(四つの詩の鑑賞)は

それ自体が独立した形になっているとはいえ

この書き出しの流れの中にあります。

 

このフレーム(枠)の中で

各論は書かれています。

 

前後しましたが

総論の部分を読みましょう。

 

 

詩集「在りし日の歌」の紹介と

中原中也の詩風に就いて私見を述べるという前置きに続いて

本論に入ります。

 

本論は大きく前半と後半に分けることができます。

 

前半の冒頭では

ダダイストとして出発した中原中也の作品は

最後までダダイストの魂魄(こんぱく)に支配されたことが

結論的に指摘され

その理由が説明されます。

 

 

それ(=ダダイストの魂)は意識的であり

半ば無意識的であった。

 

中原式とも言えるもので

音数上の特異な調子ひとつを見ても

調子は意識と無意識が半分半分で

不意に中断されたり攪乱されたり

ついには壊されてしまう。

 

詩語の調子でしか詩想を繰り広げられなかった詩人が

どのような目的があって

こうした自己矛盾する破壊作業を作品の所々に仕掛けたのか。

 

作詞上の巧拙の問題ではなさそうだ。

 

そこに詩人の意図があったのだろうが

その意図は(私に)見えない。

 

言ってみれば

それは、中原中也という詩人が

全く孤独の世界に住んでいたからだろう。

 

 

詩の調子についてのこのような疑問は

詩語、そのうちの形容詞(の使い方)にも感じられるから

それは各論の中で言及しよう。

 

 

――というのが、総論の前半で述べられていることのあらましです。

 

詩語の調子を重んじた詩人が

破調を度々使うのを認めることはできない、

いまだにダダイズムを抜け切れていない

――と言いつづめることができるでしょう。

 

 

ここまでが

総論の前半部です。

 

 

途中ですが 

今回はここまで。

2017年1月29日 (日)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/「老いたる者をして」/三好達治の否定と肯定・その4

 

「正午」批評の3番目のセンテンス(文)は

次の「老いたる者をして」の批評の導入部の副詞句に組み込まれます。

 

「かくも主題の露骨なるものよりも」と「正午」よりは

これから読む「老いたる者をして」のほうが好ましいことを述べるのです。

 

 

老いたる者をして

    ――「空しき秋」第十二――

 

老(お)いたる者をして静謐(せいひつ)の裡(うち)にあらしめよ

そは彼等(かれら)こころゆくまで悔(く)いんためなり

 

吾(われ)は悔いんことを欲(ほっ)す

こころゆくまで悔ゆるは洵(まこと)に魂(たま)を休むればなり

 

ああ はてしもなく涕(な)かんことこそ望ましけれ

父も母も兄弟(はらから)も友も、はた見知らざる人々をも忘れて

 

東明(しののめ)の空の如(ごと)く丘々をわたりゆく夕べの風の如く

はたなびく小旗(こばた)の如く涕かんかな

 

或(ある)はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入(い)り、野末(のずえ)にひびき

海の上(へ)の風にまじりてとことわに過ぎゆく如く……

 

   反 歌

 

ああ 吾等怯懦(われらきょうだ)のために長き間(あいだ)、いとも長き間

徒(あだ)なることにかからいて、涕くことを忘れいたりしよ、げに忘れいたりしよ……

 

〔空しき秋二十数篇は散佚(さんいつ)して今はなし。その第十二のみ、諸井三郎の作曲によりて残りしものなり。〕

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。原文の「はたなびく」の傍点は で替えました。編者。)

 

 

哀傷の詩魂が内に高まり顫動して、

外には温雅な詩語の美衣をまとつた作風を最も喜ぶ

――と「老いたる者をして」に高得点をつけます。

 

「老いたる者をして」はよく知られるように

北沢時代の若き中也が

懐(ふところ)に入れて持ち歩き

友人知人に読ませたりしているうちに紛失してしまった20篇近くの連作詩の

一つだけ残った1篇です。

 

三好達治は

中也が紛失してしまった多くの詩篇のことを思い

中也にとってこの上もなく遺憾なことという感想を加えます。

 

取り上げた4篇の詩の中で

もっとも高く評価したのが

この「老いたる者をして」でした。

 

間然とするところのない出来栄えである

――と1行、断言して批評の結語とします。

 

 

途中ですが 

今回はここまで。

2017年1月28日 (土)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/「正午」/三好達治の否定と肯定・その3

 

3番目に三好達治が読むのは

「在りし日の歌」最終詩の二つ手前に配置された「正午」です。

 

 

正 午

       丸ビル風景

  

ああ12時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

月給取(げっきゅうとり)の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振って

あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口

空はひろびろ薄曇(うすぐも)り、薄曇り、埃(ほこ)りも少々立っている

ひょんな眼付(めつき)で見上げても、眼を落としても……

なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな

ああ12時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口

空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かな、洋数字に変えました。編者。)

 

 

いったい、三好達治は

ほめているのか、けなしているのか

よくわからないところがあるのですが

何度も何度もじっくり読んでいると

言わんとしていることが見えてくるのは

文体のせいでもあるようです。

 

そういう文体なのです。

 

一つの文(センテンス)が長いのは

「源氏物語」以来(?)の伝統の一方の峰(みね)ですから

そういう文体に慣れれば

それほど苦になりません。

 

根気よく読んでいきましょう。

 

「正午」については

三つのセンテンスで作品を読んでいます。

 

最後の一つは

次の「老いたる者をして」の読みの中にわずかに触れられるものですから

二つのセンテンスを読めば済みますし

この二つのうち、一つ目は単文構造ですから

意味明瞭です。

 

一つ目は次のような文です。

 

 

中原君の作品に一貫して繰かへされる絶望的な虚無感、居ても立ってもゐられない虚無的な哀傷感は、この作品などに最も露骨に現れてゐる。
 
(筑摩書房「三好達治全集」第5巻より。)

 

 

中也作品に一貫している虚無感、虚無的な哀傷感(=主語)が

この作品「正午」には露骨に現われている(=述語)

――という読みは

「正午」の核心をズバリ突いていて

寸分の狂いもないと言えるでしょうが

ここに「露骨に」という副詞が

次のセンテンスへの導きになっています。

 

三好は

露骨であることの過剰さみたいなことを

一つ目の文の中に匂わせているのです。

 

そして、次の文が続きます。

 

 

それは、一種諧謔的な手法で歌われてゐるかのやうに見うけられるが、常に彼の場合には、実はそれが大真面目の真骨頂以外のものでないのは、たとへば、最後の1行「空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな」の結語の余韻によって明であらう。

 

(同上書。)
 

 

それは=虚無的な哀傷感が露骨に現れていること

――を主語と取れば

述語は、「明であらう」です。

 

最後の1行「空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな」が放つ余韻が

それを明らかにしている

――と説明します。
 

 

この余韻が露骨であると

三好達治は感じたのでしょう。

 

それを、次に取り上げる「老いたる者をして」に触れる三つ目の文で
「かくも主題の露骨なるもの」と
明記していますし
二つ目の文でも

諧謔的な手法のようで(そうではなく)

実は大真面目の真骨頂、と述べているのです。

 

その感じ方に

鋭さがあり正確さがありますが。

 

 

「正午」という詩の魅力は

こういう感じ方、こういう読みで

損なわれるものではありません、よね。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年1月27日 (金)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/「湖上」/三好達治の否定と肯定・その2

 

 

詩集「在りし日の歌」の紹介をかねて

中原中也の詩風についての私見を述べる

――という意図で書かれた「詩集『在りし日の歌』」(文学界1938年9月号)で

三好達治が2番目に読むのは「湖上」です。

 

 

湖 上

 

ポッカリ月が出ましたら、

舟を浮べて出掛けましょう。

波はヒタヒタ打つでしょう、

風も少しはあるでしょう。

 

沖に出たらば暗いでしょう、

櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音(ね)は

昵懇(ちか)しいものに聞こえましょう、

――あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

 

月は聴き耳立てるでしょう、

すこしは降りても来るでしょう、

われら接唇(くちづけ)する時に

月は頭上にあるでしょう。

 

あなたはなおも、語るでしょう、

よしないことや拗言(すねごと)や、

洩(も)らさず私は聴くでしょう、

――けれど漕(こ)ぐ手はやめないで。

 

ポッカリ月が出ましたら、

舟を浮べて出掛けましょう、

波はヒタヒタ打つでしょう、

風も少しはあるでしょう。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

この「湖上」については

わずかな感想をしか記しません。

 

それも、肯定の評価です。

 

評価というより

好きだ、と言っているだけのようです。

 

三好の言葉をそのまま引いておきます。

 

 

処々に稚拙なくだりは見つかるにしても、私はこのやうな作品を、彼の作品中でも特に愛誦するものである。

 

 

ここでは

稚拙な詩句(くだり)はあるにしても

口ずさんでみて楽しい、というほどの気持ちを述べて

作品論には踏み込みません。

 

安心して読んでいられる範囲である、というような

ニュアンスが感じられますが

愛誦されるというのは

詩にとって最高の賛辞であるとも言えますし
ここにイロニーは含まれていないのかもしれません。

 

 

途中ですが 

今回はここまで。

2017年1月26日 (木)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/「六月の雨」/三好達治の否定と肯定

 

 

三好達治が「詩集『在りし日の歌』」で取り上げる詩は

六月の雨

湖上

正午

老いたる者をして――「空しき秋」第十二――

――の4作品。

 

その詩一つ一つの鑑賞に入る前に

中也作品への総論、詩人論が

否定的な論調の中に展開され

各個の詩は

この総論(詩論・詩人論)の実例として引き出されます。

 

個々の詩への批評は

この総論の中に囲われていくことになりますが

他愛のない、取るに足りないことばかりなのに

三好達治は

その他愛のないことを針小棒大にあげつらいます。

 

詩の調子の乱調とか破調とかの破壊、

同じように、使う詩語、形容詞の破壊について

それが中原中也が意図したものであっても

受け入れられないことを表明します。

 

まるで測量士ででもあるかのように

微細な誤差をも許容しません。

 

 

六月の雨

 

またひとしきり 午前の雨が

菖蒲(しょうぶ)のいろの みどりいろ

眼(まなこ)うるめる 面長(おもなが)き女(ひと)

たちあらわれて 消えてゆく

 

たちあらわれて 消えゆけば

うれいに沈み しとしとと

畠(はたけ)の上に 落ちている

はてしもしれず 落ちている

 

       お太鼓(たいこ)叩(たた)いて 笛吹いて

       あどけない子が 日曜日

       畳の上で 遊びます

 

       お太鼓叩いて 笛吹いて

       遊んでいれば 雨が降る

       櫺子(れんじ)の外に 雨が降る

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩は1936年(昭和11年)7月号の「文学界」誌上で発表になった

第6回文学界賞で選外1席となった作品として有名です。

 

岡本かの子の「鶴は病みき」が受賞し

中也の作品は2位でした。

 

 

この詩単体について

三好達治の指摘するところは

簡単明瞭ですし

むしろ肯定的な評価です。

 

この詩が発表された時には

いまだにこのようにナイーブな作品を書けている詩人の心情を羨ましく感じたし

この詩にはある時期のベルレーヌの作風に通じるものがあると看取したものが

継続されればよいと期待していたものが

今では空しくなった、と述べるのです。

 

そう言いながら

第1連第3行、

眼(まなこ)うるめる 面長(おもなが)き女(ひと)

――を、一種奇妙な調子外れ、と評し

第2行、

菖蒲(しょうぶ)のいろの

――を、菖蒲の色は何も特別ないろではない、という理由で

形容詞の使い方が不可解であることを述べるのですが

それだけのことです。

 

それだけのことが

三好達治には気に入らなかったのですが

それだけのことです。

 

よく読めば

菖蒲(しょうぶ)のいろの みどりいろ

――と中也は歌っているのを理解しないだけです。
 

 

そのように詩語の使い方の不可解さを指摘しただけですが

第3連の、

畳の上で 遊びます

――を、

この作者ならではの、詩眼の特異さが仄見え

何の巧みを弄したわけでもないのに

不思議に切実な実感がある、と褒め上げています。

 

 

「六月の雨」は

眼(まなこ)うるめる 面長(おもなが)き女(ひと)

――と

菖蒲(しょうぶ)のいろの

――とによって

三好達治にNGを出されるのですが

結語としては高評価が下されているということになり

これも意外な感じであり驚きです。

 

 

些細(ささい)と思われるようなところを

三好達治は執拗(しつよう)に過大に言う傾向があるようですが

それがスタイルでした。

 

 

途中ですが 

今回はここまで。

 

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