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カテゴリー「中原中也の鎌倉」の記事

2016年11月 5日 (土)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「ひからびた心」の風景

 

 

「ひからびた心」は

「文芸懇話会」1937年(昭和12年)4月号に発表されました。

 

中村古峡療養所を同年2月15日に退院して後

初めての新作詩と推定される作品です。

 

制作日は3月16日と推定されていますから

鎌倉に転居後の初作品ということになります。

 

 

ひからびた心

 

ひからびたおれの心は

そこに小鳥がきて啼(な)き

其処(そこ)に小鳥が巣を作り

卵を生むに適していた

 

ひからびたおれの心は

小さなものの心の動きと

握(にぎ)ればつぶれてしまいそうなものの動きを

掌(てのひら)に感じている必要があった

 

ひからびたおれの心は

贅沢(ぜいたく)にもそのようなものを要求し

贅沢にもそのようなものを所持したために

小さきものにはまことすまないと思うのであった

 

ひからびたおれの心は

それゆえに何はさて謙譲(けんじょう)であり

小さきものをいとおしみいとおしみ

むしろその暴戻(ぼうれい)を快(こころよ)いこととするのであった

 

そして私はえたいの知れない悲しみの日を味(あじわ)ったのだが

小さきものはやがて大きくなり

自分の幼時を忘れてしまい

大きなものは次第(しだい)に老いて

 

やがて死にゆくものであるから

季節は移りかわりゆくから

ひからびたおれの心は

ひからびた上にもひからびていって

 

ひからびてひからびてひからびてひからびて

――いっそ干割(ひわ)れてしまえたら

無の中へ飛び行って

そこで案外安楽(あんらく)に暮せらるのかも知れぬと思った

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

同じ「文芸懇話会」誌には「米子」が同時に発表されましたが

「米子」は1936年12月1日付け発行の「ペン」に初出したものの再発表でした。

 

 

心の状態を詩にするものですから

自然の景色の描写が希薄(きはく)になるのは必然と言えるでしょうか。

 

ひからびた心に訪れるのは小鳥でしたが

小鳥は小さなものの象徴であり

動作や表情は必要以上に描写されていません。

 

 

小鳥の外形や周辺の風景よりも

この詩、

 

小さきものはやがて大きくなり

自分の幼時を忘れてしまい

大きなものは次第(しだい)に老いて

 

――というところに展開があり

大きなもの(おれ=詩人)の老いに意識は向い

ついには無になる

そして安楽に暮せるかもしれないという希望が語られ閉じるのです。

 

 

早春の、鎌倉の

扇川あたりの野原に

雲雀(ひばり)は鳴いていたでしょうか?

 

詩を生むきっかけが

風景になかったとは言えません。

 

 

中途ですが

今回はここまで。

 

 

 

2016年11月 3日 (木)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「子守唄よ」の風景

 

「子守唄よ」は

「新女苑」の1937年(昭和12年)7月増大号(7月1日発行)に発表されました。

 

発行日から逆算して2か月前の

5月中旬に制作されたものと推定されています。

 

同月号の「四季」に「蛙声」が発表されていることから

二つの詩は同時期に作られ

相互に「照応」していることが案内されています。
「新編中原中也全集」)

 

 

子守唄よ

 

母親はひと晩じゅう、子守唄(こもりうた)をうたう

母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう

然(しか)しその声は、どうなるのだろう?

たしかにその声は、海越えてゆくだろう?

暗い海を、船もいる夜の海を

そして、その声を聴届(ききとど)けるのは誰だろう?

それは誰か、いるにはいると思うけれど

しかしその声は、途中で消えはしないだろうか?

たとえ浪は荒くはなくともたとえ風はひどくはなくとも

その声は、途中で消えはしないだろうか?

 

母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう

母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう

淋しい人の世の中に、それを聴くのは誰だろう?

淋しい人の世の中に、それを聴くのは誰だろう?

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

いっぽうが蛙声

いっぽうが母親の声。

 

その声に

それを聴くのは誰だろう?(子守唄よ)

あれは、何を鳴いているのであろう?(蛙声)

――と疑問を呈している詩です。

 

 

なぜこの時期に

子守唄、なのか

子守唄よ、なのか。

 

「蛙声」との照応ということがヒントになり

わかったような気になりますが

溜飲が下がるほどではありません。

 

 

「子守唄よ」は14行の詩ですが

半分の7行に行末「?」があり

詩(人)はその疑問を投げかけたまま

答えを明らかにしないままに(できないまま)終わります。

 

「蛙声」の方が疑問への答えが明確で

「子守唄よ」は

疑問ではじまり疑問で終わっています。

 

「子守唄よ」は

母親の唄が消えてしまわないか

心配する心持ちが歌われているだけです。

 

 

これほど外景というものがない詩は

中也の詩には珍しい。

 

季節も風景も色彩を失って

暗い海を渡る子守唄だけが

母親によって歌われ

その声の行く先が心配されます。

 

 

風景があるとすれば

内面の風景というほかになく

そこに鎌倉は現れません。

 

 

中途ですが

今回はここまで。

2016年11月 2日 (水)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「渓流」の風景

 

「渓流」が作られたのは


「夏と悲運」が作られた3日後のことでした。

 

1937年7月18日付けの「都新聞」に発表されました。

 

 

「渓流」は

本文中に「たにがわ」のルビが詩人によって振られていますが


タイトルを「けいりゅう」とは読まないという掟(おきて)があるものでもなく


どちらかであるかは


読む人に任せられるものでしょう。

 

「新全集」解題篇も


そのようなヒントを案内しています。

 



渓流



 

渓流(たにがわ)で冷やされたビールは、


青春のように悲しかった。


峰(みね)を仰(あお)いで僕は、


泣き入るように飲んだ。

 

ビショビショに濡(ぬ)れて、とれそうになっているレッテルも、

青春のように悲しかった。


しかしみんなは、「実にいい」とばかり云(い)った。


僕も実は、そう云ったのだが。

 

湿った苔(こけ)も泡立つ水も、

日蔭も岩も悲しかった。

やがてみんなは飲む手をやめた。


ビールはまだ、渓流の中で冷やされていた。

 

水を透かして瓶(びん)の肌(はだ)えをみていると、

僕はもう、此(こ)の上歩きたいなぞとは思わなかった。


独り失敬(しっけい)して、宿(やど)に行って、


女中(ねえさん)と話をした。


                (1937・7・15)

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かな・洋数字に変えました。編者。)

 

 

回想の流れの詩というよりは


直近の経験を歌ったような詩行の印象があります。

 

青春(という言葉)が

これほど鮮烈に抽象化されつつ


たった今過ぎ去った過去のものとして具体的に歌われてあり


あっと息を飲む衝撃が起こります。

 

さらば青春!

――の現場を見るような。

 

 


宿(やど)


女中(ねえさん)


――は、いかにも旅先のムードですが


深山幽谷の旅情ではなく


都市近郊へのピクニックが想像されます。

 

その土地を

鎌倉近辺と特定するまでもありませんが。

 

 

中途ですが

今回はここまで。

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「夏と悲運」の風景

 

 

回想は


懐かしくほがらかなものばかりではなく


苦々しく不運に満ちた経験を


呼び覚ますことさえあります。

 

 

それも


現在の心境にクロスオーバーして。

 

 

 

 

夏と悲運



 

とど、俺としたことが、笑い出さずにゃいられない。

 

 

思えば小学校の頃からだ。


例えば夏休みも近づこうという暑い日に、


唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイー、


すると俺としたことが、笑い出さずにゃいられなかった。


格別、先生の口唇が、鼻腔が可笑(おか)しいというのではない、


起立して、先生の後から歌う生徒等が、可笑しいというのでもない、


それどころか俺は大体、此の世に笑うべきものが存在(ある)とは思ってもいなかった。


それなのに、とど、笑い出さずにゃいられない、


すると先生は、俺を廊下に出して立たせるのだ。


俺は風のよく通る廊下で、淋しい思いをしたもんだ。


俺としてからが、どう解釈のしようもなかった。


別に邪魔になる程に、大声で笑ったわけでもなかったし、


然(しか)し先生がカンカンになっていることも事実だったし、


先生自身何をそんなに怒るのか知っていぬことも事実だったし、


俺としたって意地やふざけで笑ったわけではなかったのだ。


俺は廊下に立たされて、何がなし、「運命だ」と思うのだった。

 

 

大人となった今日でさえ、そうした悲運はやみはせぬ。


夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。


やがて俺は人生が、すっかり自然と游離(ゆうり)しているように感じだす。


すると俺としたことが、もう何もする気も起らない。


格別俺は人生が、どうのこうのと云うのではない。


理想派でも虚無派でもあるわけではとんとない。


孤高を以て任じているなぞというのでは尚更(なおさら)ない。


しかし俺としたことが、とど、笑い出さずにゃいられない。

 

 

どうしてそれがそうなのか、ほんとの話が、俺自身にも分らない。


しかしそれが結果する悲運ときたらだ、いやというほど味わっている。


   
                              (1937・7)

 

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かな・洋数字に変えました。編者。)

 

 

 

 

運命といい


悲運という。

 

 

詩人自身にも分らない


笑えてくるような断絶。

 

 

この断絶は長い人生の一瞬に起きたことですが


双方が互いに理解したことのない


永遠の断絶――。

 

 

その一瞬の一コマが


今になって蘇るのです。

 

 

 

 

似たような経験のある人は


世の中に案外多く存在しそうな事件です。

 

 

どのようにしても


それを解決することはできない。

 

 

永遠の悲しみ――。

 

 

 

 

それは、今でも途絶えることはないのです。

 

 

第3連冒頭、


大人となった今日でさえ、そうした悲運はやみはせぬ。


夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。


やがて俺は人生が、すっかり自然と游離(ゆうり)しているように感じだす。


――とある風景の中ではじまります。

 

 

鎌倉の。

 

 

夏の暑い日


庭先の樹の葉


蝉の声。

 

 

 

 

中途ですが


今回はここまで。

2016年11月 1日 (火)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「梅雨と弟」の風景

 

 

「梅雨と弟」が作られたのは


1937年(昭和12年)5~6月と推定されています。



「少女の友」の同年8月号(発行8月1日付け)に発表された時


「梅雨二題」というタイトルでした。

 

 

その第1節です。

 

降り続く雨に


詩人はあたかも身を任せ


遠い日の中に舞い立ちますが


茫然自失しているのではありません。

 

 



 

梅雨と弟



 

毎日々々雨が降ります


去年の今頃梅の実を持って遊んだ弟は


去年の秋に亡くなって


今年の梅雨(つゆ)にはいませんのです

 

 

お母さまが おっしゃいました


また今年も梅酒をこさおうね


そしたらまた来年の夏も飲物(のみもの)があるからね


あたしはお答えしませんでした


弟のことを思い出していましたので

 



去年梅酒をこしらう時には


あたしがお手伝いしていますと


弟が来て梅を放(ほ)ったり随分(ずいぶん)と邪魔をしました


あたしはにらんでやりましたが


あんなことをしなければよかったと


今ではそれを悔んでおります……

 



(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

 

 

弟は、長男・文也のことで


亜郎や恰三のことではありません。

 

 

昨年の秋に亡くなった文也に


もっと先に亡くなった弟たちが重なり


弟に仕立てたのです。

 

 

 

 

錯覚ではなく


創意(フィクション)がここに見られます。

 

 

文也の死を乗り越えようとする


秘めたる意志とも呼んでよいでしょう。

 

 

 

 

しとしと降る雨は


鎌倉の雨でしょうが


そのように読む必要もないほどに


雨の固有性(映像性)はありません。

 

 

 

 

中途ですが


今回はここまで。

 

 

2016年10月31日 (月)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「少女と雨」の風景

 

 

「雨」を歌った詩の流れに


「梅雨と弟」


「少女と雨」


――の2篇があり


この2篇、元は「梅雨二題」という一つの詩でした。
 



 

少女と雨

 

少女がいま校庭の隅に佇(たたず)んだのは


其処(そこ)は花畑があって菖蒲(しょうぶ)の花が咲いてるからです

 

菖蒲の花は雨に打たれて

音楽室から来るオルガンの 音を聞いてはいませんでした

 

しとしとと雨はあとからあとから降って

花も葉も畑の土ももう諦めきっています

 

その有様をジッと見てると

なんとも不思議な気がして来ます

 

山も校舎も空の下(もと)に

やがてしずかな回転をはじめ

 

花畑を除く一切のものは


みんなとっくに終ってしまった 夢のような気がしてきます

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩のめまいのするような感覚は


どこから生じるのか?

 

じっくり読んでいると

 

少女がいま校庭の隅に佇(たたず)んだのは


――という第1行と、

 

その有様をジッと見てると


なんとも不思議な気がして来ます


――という第4連との


目の混乱、いわば錯覚から来ていることに気づきます。

 

 

校庭に佇んで菖蒲の花を見ているのは少女なのですが……。

 

その菖蒲の花は雨に打たれ


音楽室から聞こえてくるオルガンの音を聞いていない。

 

菖蒲の花は


いつしかオルガンを聞いていない詩人に成り代わり


次には


その有様をじっと見ている詩人が現れ


その詩人が不思議な感覚を抱いているのです。

 

もちろん、これは詩人が意図した混乱です。

 

 

雨に打たれ続ける菖蒲の花を


じーっと、ずーっと見ている。

 

詩人はそういう時をもったのでしょうか。

 

もたなくても


この詩は書けるのかもしれません。

 

もったとしたら


そこは鎌倉でしょうか。

 

そんなこと考えるのは無用でしょうか。

 



 

中途ですが


今回はここまで。

 

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「雨の朝」の風景

 

鎌倉で制作した詩篇のうち


風景や自然の描写が混ざらないものがあり


それらは大抵が回想する詩です。

 

 

ほかに、思索し内省する詩があり


これらに風景描写は希薄(きはく)になります。

 

 

回想するのは幼少期の家族や


学校での思い出になります。

 


(成人して後の経験を歌った詩もあります。)

 

 

回想するのは過去のことですから


ここに現れる風景が


鎌倉であるはずはありません。

 

 



 

 

雨の朝

 



⦅麦湯(むぎゆ)は麦を、よく焦(こ)がした方がいいよ。⦆


⦅毎日々々、よく降りますですねえ。⦆


⦅インキはインキを、使ったらあと、栓(せん)をしとかなきゃいけない。⦆


⦅ハイ、皆さん大きい声で、一々(いんいち)が一……⦆


         上草履(うわぞうり)は冷え、


         バケツは雀の声を追想し、


         雨は沛然(はいぜん)と降っている。


⦅ハイ、皆さん御一緒に、一二(いんに)が二……⦆


         校庭は煙雨(けぶ)っている。


         ――どうして学校というものはこんなに静かなんだろう?


         ――家(うち)ではお饅(まん)じゅうが蒸(ふ)かせただろうか?


         ああ、今頃もう、家ではお饅じゅうが蒸かせただろうか?

 

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

 

 

この詩は


1937年(昭和12年)「四季」6月号に発表されました。

 

 

小学校時代の思い出を歌った名作の一つです。

 

 



 

 

ここにある「現在」は何でしょうか。

 

 

過去は⦅  ⦆で括られた会話体の中にあり


地の文に詩人の現在はあります。

 

 

 

――どうして学校というものはこんなに静かなんだろう?

――家(うち)ではお饅(まん)じゅうが蒸(ふ)かせただろうか?


ああ、今頃もう、家ではお饅じゅうが蒸かせただろうか?

 

 

3か所出てくる「?」で終る詩行を


詩人は何によって喚起(かんき)されたのでしょう。

 

 

この疑問は空しいでしょうか。

 

 



 

 

途中ですが


今回はここまで。

2016年10月30日 (日)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「初夏の夜に」の風景

 

「初夏の夜に」は

「四季」1937年(昭和12年)10月号(9月20日付け発行)に発表されました。

 

第1次形態の草稿末尾に「一九三七、五、一四」とあり

これは「蛙声」の制作日と同じ日でした。

 

 

初夏の夜に

 

オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か――

死んだ子供等は、彼(あ)の世の磧(かわら)から、此(こ)の世の僕等を看守(みまも)ってるんだ。

彼の世の磧は何時(いつ)でも初夏の夜、どうしても僕はそう想(おも)えるんだ。

行こうとしたって、行かれはしないが、あんまり遠くでもなさそうじゃないか。

窓の彼方の、笹藪(ささやぶ)の此方(こちら)の、月のない初夏の宵(よい)の、空間……其処(そこ)に、

死児等(しじら)は茫然(ぼうぜん)、佇(たたず)み僕等を見てるが、何にも咎(とが)めはしない。

罪のない奴等(やつら)が、咎めもせぬから、こっちは尚更(なおさら)、辛(つら)いこった。

いっそほんとは、奴等に棒を与え、なぐって貰(もら)いたいくらいのもんだ。

それにしてもだ、奴等の中にも、10歳もいれば、3歳もいる。

奴等の間にも、競走心が、あるかどうか僕は全然知らぬが、

あるとしたらだ、何(いず)れにしてもが、やさしい奴等のことではあっても、

3歳の奴等は、10歳の奴等より、たしかに可哀想(かわいそう)と僕は思う。

なにさま暗い、あの世の磧の、ことであるから小さい奴等は、

大きい奴等の、腕の下をば、すりぬけてどうにか、遊ぶとは想うけれど、

それにしてもが、3歳の奴等は、10歳の奴等より、可哀想だ……

――オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か……

                        (1937・5・14)

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かな・洋数字に変えました。編者。)

 

 

第1次形態のタイトルは

「初夏の夜に おもへらく」となっていましたが

「四季」に発表した時に

「おもへらく」は削除されました。
 
「おもへらく」は漢文系文語。

 

現代表記にすると「おもえらく(思えらく)」で

「思うことには」「僕は思う」の意味。

 

 

オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か

 

――という、この冒頭行と最終行によって

この詩が誘(いざな)うのは

死んだ子の回想であり

「おもえらく」は回想であることの強調でした。

 

蚊が飛んできたという現在は

鎌倉であったことが想像できます。

 

ここでも

鎌倉でなければならないというものではありませんが。

 

 

回想の対象は

1931年(昭和6年)9月26日に亡くなった弟・恰三。

昨1936年11月10日に亡くなった長男・文也。

一人は10歳、一人は3歳で現れますが

どちらも実年齢ではありません。

 

恰三は10歳に満たず

文也は数え年で3歳ですが。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「夏(僕は卓子の上に)」の風景



「夏日静閑」と同じころに作られ

夏という季節をモチーフにした詩が

「夏(僕は卓子の上に)」

「初夏の夜に」

――の2篇あり

どちらも生前発表されています。

 

「夏(僕は卓子の上に)」は

1937年(昭和12年)の「詩報」第1年第2号(9月15日付け)に初出、

1937年(昭和12年)10月号「文学界」(12月1日付け)に再発表されました。

 

「夏日静閑」は

10月1日付け発行の「文芸汎論」が初出でした。
 


 


 

僕は卓子(テーブル)の上に、


ペンとインキと原稿紙のほかなんにも載(の)せないで、


毎日々々、いつまでもジッとしていた。

 

いや、そのほかにマッチと煙草(たばこ)と、

吸取紙(すいとりがみ)くらいは載っかっていた。


いや、時とするとビールを持って来て、


飲んでいることもあった。

 

戸外(そと)では蝉がミンミン鳴いた。

風は岩にあたって、ひんやりしたのがよく吹込(ふきこ)んだ。

思いなく、日なく月なく時は過ぎ、

 

とある朝、僕は死んでいた。


卓子(テーブル)に載っかっていたわずかの品は、


やがて女中によって瞬(またた)く間(ま)に片附(かだづ)けられた。


――さっぱりとした。さっぱりとした。

 

(「中原中也全集」第1巻「詩」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

どこか見覚えのあるイメージの元をたどれば

「在りし日の歌」中「永訣の秋」の「或る男の肖像」に行き着きます。

 

 

彼女は


壁の中へは這入ってしまった。

 

それで彼は独り、


部屋で卓子(テーブル)を拭いていた。

 

――という最終連の流れが


この詩に至るのか分かりませんが


或る男がいた「庭に向って、開け放たれた戸口」は


鎌倉のものではなくとも


似ている状況を思わせます。

 

「卓子(テーブル)」も


同じ部屋ではなくとも


詩人の使用していた文机(ふづくえ)であるような匂いを放ちます。

 

 

どころか、第3連――。

 
戸外(そと)では蝉がミンミン鳴いた。

風は岩にあたって、ひんやりしたのがよく吹込(ふきこ)んだ。

 

――に至って

 これは鎌倉そのものである詩行に巡りあい

身を乗り出します。

 

風が岩にあたるのは

海辺の光景ではなく

鎌倉の切り通しや切岸の岩に違いありません。

 

 
途中ですが

今回はここまで。

2016年10月28日 (金)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「夏日静閑」の風景

 

「正午 丸ビル風景」が「文学界」に発表されたのは


1937年(昭和12年)10月号。

 

 

店頭には8月末には出回るでしょうか。

 

 

同じころに書かれた詩に「夏日静閑」があり


「文芸汎論」10月特大号に発表されました。

 

 

詩篇末尾に「1937、8、5」の日付があります。

 

 

 

 

夏日静閑

 

 


暑い日が毎日つづいた。


隣りのお嫁入前のお嬢さんの、


ピアノは毎日聞こえていた。


友達はみんな避暑地(ひしょち)に出掛け、


僕だけが町に残っていた。


撒水車(さんすいしゃ)が陽に輝いて通るほか、


日中は人通りさえ殆(ほと)んど絶えた。


たまに通る自動車の中には


用務ありげな白服の紳士が乗っていた。


みんな僕とは関係がない。


偶々(たまたま)買物に這入(はい)った店でも


怪訝(けげん)な顔をされるのだった。


こんな暑さに、おまえはまた


何条(なんじょう)買いに来たものだ?


店々の暖簾(のれん)やビラが、


あるとしもない風に揺れ、


写真屋のショウインドーには


いつもながらの女の写真。


              1937、8、5

 


(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かな・洋数字に変えました。編者。)

 

 

 

 

この詩の夏も


鎌倉の夏と読んで間違いないことでしょう。

 

 

鎌倉の夏であると


読まねばならないということではありませんが。

 

 

 

 

隣りのお嫁入前のお嬢さん


彼女が弾くピアノ


僕だけが町に残っていた


撒水車(さんすいしゃ)が陽に輝いて通る


人通りさえ殆(ほと)んど絶えた日中


たまに通る自動車


用務ありげな白服の紳士が乗っている

 

買物にはいった店


怪訝(けげん)な顔にあう


店の暖簾(のれん)やビラ


あるとしもない風


写真屋のショウインドー


いつもながらの女の写真


……

 

 

みんな鎌倉の町の匂いがしませんか?

 

 

 

 

目に見えるもの


触れるもの


聞こえるもの


出会うもの。

 

 

みんな僕とは関係がない。


――のです。

 

 

 

 

「夏日静閑」は


生前発表された詩の


最も最後のものです。

 

 

 

 

途中ですが


今回はここまで。

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