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カテゴリー「戦後詩の海へ/茨木のり子の案内で/谷川俊太郎」の記事

2015年7月 3日 (金)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その5

(前回からつづく)

 

よく読めば

「愛」に示されたイマージュの例示はほかにもあります。

 

塹壕(ざんごう)を古い村々に

空を無知な鳥たちに

お伽話を小さな子らに

蜜を勤勉な蜂たちに

世界を名づけられぬものに

――という詩行ですが、これらが、

いつまでも

どこまでも、や

むすばれている

たちきられている、や

そんなに

――などのルフラン(繰り返し)の中に置かれ

連で分割されない全行を

ブレス(息継ぎ)のヒマもなく

一気に読むことになるために

詩の塊(かたまり)にぶつかるような

濃密な時間を味わう仕掛けになります。

 

一語一語、一行一行は難解ではないけれど

一つ一つの結合が緊密にできているからか

これらの例示が詩の中に溶け込んでいて

しっかり読まないとイマージュを見失いがちになるほど滑らかなのは

まるでクレーの絵の構成そのもので

これも意図された技法の一つのようです。

 

比喩、メタファー、象徴などが洗練され

都会的、都市的なイメージを作り出す

これも新しさの一つでした。

 

 

谷川俊太郎は

日本美のなかに吸収されてしまう詩人ではない存在として登場したことが

これらのことからも理解できるのですが

茨木のり子は、

新緑のころ、窓々をあけはなち、

家中に風を通わせるように、

詩の世界でつぎつぎ窓をひらいていった

――とその新しさに言及します。

 

攘夷(じょうい)の名分で閉じた島国を

開国したようなものだった、と。

 

 

こうしてようやく

「寂しさの歌」と「愛」という二つの詩が双子座であると

茨木のり子が指摘する意味はじわじわと見えてきます。

 

 

「かなしみ」から「芝生」へ。

「芝生」から「愛」へ。

 

「詩のこころを読む」は

若者に向けて今から30数年前に書かれたものであるけれど

これから現代詩・戦後詩を読もうとしているすべての読者への扉の役割を

ますます大きくしている位置にあって

たとえば谷川俊太郎のこの詩3作への案内だけでも

この詩人を真芯に受け止める正確さは比類するものがありません。

 

海のように広がる現代詩の領域へ

スムースに誘導されていくことになります。

 

現代詩・戦後詩へのとっかかりの発条(ばね)として

安定し安心できるのは

茨木のり子の目利きの選択が大きいからですが

その上、

「かなしみ」「芝生」を読みながら

「愛」へたどり着く道のりに「寂しさの歌」を置いて

そのつながりを通過した(読んだ)という

(ここは繰り返すようですが、)

構成(プロセス)の手際(わざ)が冴えわたっているからでもあります。

 

 

「愛」は

「生きるじたばた」の章に配置され

この章は、

 

岸田衿子

牟礼慶子

黒田三郎

川崎洋

大岡信

工藤直子 

濱口國雄

岩田宏

石川逸子

金子光晴

谷川俊太郎

――という詩人が登場します。

 

「生きるじたばた」は第3章にあたりますが

これまで読んできたのは

この第3章の金子光晴「寂しさの歌」を起点に

つづく「愛」を読むために

 第1章にあたる「生まれて」冒頭の谷川俊太郎(「かなしみ」「芝生」)へ目を向け

谷川俊太郎の3作を読むという流れでした。

 

谷川俊太郎はこの本「詩のこころを読む」のトップに登場していることを

ここにきて気づいて

はじめあっと驚くのですが

すぐに成程(なるほど)と合点することになります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年6月30日 (火)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その4

(前回からつづく)

 

ぼくは妖精のように人々の間をとびまわっていたい――。

 

茨木のり子は谷川俊太郎が 

どこにだか明示していませんが

このように書いていることを紹介して

立ち止まります。

 

女の子ならともかく、大の男が妖精とは?

 

 

妖精……。

フェアリー……。

 

「ピ-ター・パン」のあのティンカー・ベルをすぐさま思い出してしまいますから

女の子ならともかく、と茨木のり子はおどけてみせたのでしょうが

谷川俊太郎はきっと本気だったのでしょう。

 

 

突然ですがここで

中原中也の詩に出てくるコボルトを呼んでみましょう。

 

 

この小児

 

コボルト空に往交(ゆきか)えば、

野に

蒼白(そうはく)の

この小児(しょうに)。

 

黒雲(くろくも)空にすじ引けば、

この小児

搾(しぼ)る涙は

銀の液……

 

     地球が二つに割れればいい、

     そして片方は洋行(ようこう)すればいい、

     すれば私は“もう片方”に腰掛けて

     青空をばかり――

 

花崗(かこう)の巌(いわお)や

浜の空

み寺(でら)の屋根や

海の果て……

 

 (「新編中原中也全集」第1巻より。新かなに変えてあります。編者。)

 

 

中也のコボルトにも

茨木のり子が「愛」に読み取った

詩のありかとか、詩人の覚悟とかが

幾分か歌われていることを想起しないわけにはいきませんから

この連想はとんでもない的外れではないでしょう、きっと。

 

谷川俊太郎のイメージのなかに

このコボルトが浮かんでいなかったともいえませんし。

 

 

妖精のように

どんな場所へも気軽に入ってゆき、

 

映画の台本

作詞

絵本

マザーグースやスヌーピーの翻訳

自作詩朗読

……などの異なった分野に進出する谷川俊太郎の多彩な活動は

あたかも「タレント」のようですが

まったくタレントとは異なるものです。

 

茨木のり子は

そのことを十分に知っていながら

さらにそのことにひねりを加えて

次のように語ります。

 

 

これも結ばれよう結ばれようとしている動きに力を貸したいというあらわれで、

かるがるとやってのけているようにみえますが、

すべては全力投球で、

肉体労働者と同じくらいの消耗をともなう勤勉さです。

 

(改行を加えてあります。編者。)

 

 

「詩のこころを読む」を書いた1970年代当時の妖精ぶりは

2015年現在、いっそう旺盛であることは周知のことです。

 

肉体労働にもタレントにも比肩(ひけん)する活動は

それまでの詩人のイメージをぶちこわしました。

 

 

茨木のり子によればそれまでの詩人は、

俗物を軽蔑し孤高、

世に容れられず、

ひねくれもの、

破滅型、

借金の名人、

大酒のみ

――といったイメージでしたが

谷川俊太郎はこれらのイメージをことごとく覆(くつがえ)してしまったのです。

 

谷川俊太郎の

これが新しさでした。

 

それは

「愛」の新しさでもありました。

 

 

イマージュという言葉は

「愛」に詩語として歌われたのですが

実は詩の中に具体的に例示されています。

 

樹がきこりと

少女が血と

窓が窓と

歌がもうひとつの歌と

あらそうことのないように

――という詩行(詩語)を茨木のり子は取りあげて、

 

このイメージは世界とつながっていて、

フランスの少女を連想してもいいし、

きこりはシベリアでもよく、

窓はメキシコ、

歌と歌は江差追分とファド……

まったく自由です。

――と読み解きます。

 

全世界にむかって開かれた詩は

前代未聞であったことを断言するのです。

 

 

Paul Klee



いつまでも

そんなにいつまでも

むすばれているのだどこまでも

そんなにどこまでもむすばれているのだ

弱いもののために

愛し合いながらもたちきられているもの

ひとりで生きているもののために

いつまでも

そんなにいつまでも終わらない歌が要(い)るのだ

天と地をあらそわせぬために

たちきられたものをもとのつながりに戻すため

ひとりの心をひとびとの心に

塹壕(ざんごう)を古い村々に

空を無知な鳥たちに

お伽話を小さな子らに

蜜を勤勉な蜂たちに

世界を名づけられぬものにかえすため

どこまでも

そんなにどこまでもむすばれている

まるで自ら終ろうとしているように

まるで自ら全(まった)いものになろうとするように

神の設計図のようにどこまでも

そんなにいつまでも完成しようとしている

すべてをむすぶために

たちきられているものはひとつもないように

すべてがひとつの名のもとに生き続けられるように

樹がきこりと

少女が血と

窓が窓と

歌がもうひとつの歌と

あらそうことのないように

生きるのに不要なもののひとつもないように

そんなに豊かに

そんなにいつまでもひろがってゆくイマージュがある

世界に自らを真似させようと

やさしい目差でさし招くイマージュがある

 

(「詩のこころを読む」より。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2015年6月28日 (日)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その3

(前回からつづく)

 

この世には面(おもて)をそむけるような残酷なことが平然とおこなわれ、

その反面、涙のにじむようなやさしさもまた、人知れず咲いていたりします。

(岩波ジュニア新書「詩のこころを読む」より。)

 

 

世界は、

断ち切る力(残酷な)=前者と

結ばれる力(やさしさ)=後者が渦を巻いている。

 

芸術は、

結ばれようとする力(後者)を形にする精神活動の一つ。

 

茨木のり子は

「愛」の独自な読みに入り

このような解を述べます。

 

「愛」の最終行、

世界に自らを真似させようと

やさしい目差でさし招くイマージュ。

――とある「イマージュ」を読み解くために。

 

 

イマージュ。

 

それはたとえば、

モーツアルトを聴く時に全身をひたしてくる、この世ならぬ恍惚感、とか

百済観音(くだらかんのん)のほほえみに引き寄せられるこころ、とか

舞踏の跳躍や静止の瞬間に魂をうばわれる時、とか。

 

これらを

誘い出すもの。

その力。

そのやさしさ。

 

クレーの絵にあるものも

このイマージュ。

このやさしさ。

――と「愛」が歌うところを読むのです。

 

 

詩は

クレーの絵のただ中にいきなり入って

クレーの世界にいる状態を歌っているようですが

終わりになって

そんなにいつまでもひろがってゆくイマージュがある

やさしい目差でさし招くイマージュがある

――という詩行にぶつかっては

クレーの絵を距離をおいて見ている詩人が現われることになります。





ここで詩人は絵の外側にいて

怜悧(れいり)な眼差しを絵に向けています。



茨木のり子のいう

詩のありか、詩人の覚悟が

ここに姿を現わします。

 

 

谷川俊太郎のクレーとの出会いは

やがて「クレーの絵本」や「クレーの天使」を生みますし

「モーツアルトを聴く人」の挿画や表紙にクレーを使うなど

繰り返し繰り返し登場しますし

詩作の重要な契機(エレメント)になり

モチーフになりヒントになりテーマになります。

 

 

「愛」を書いたときには

啓示といえるようなものだったのかもしれません。

 

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

2015年6月27日 (土)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ・その2

(前回からつづく)

 

「愛」には

Paule Kleeに」という献辞がつけられています。

 

クレーの絵の一つを見ているのか、

何枚か見たのか。

クレーという画家(の存在)へ向けて贈ったものか。

そのどちらでもあるのか。

 

「二十億光年の孤独」から3年後の「愛について」で

「愛」を歌った詩人は

副題にパウル・クレーへのオマージュ(賛歌)を付したのです。

 

 

茨木のり子はそこのところを

クレーの絵の何かを見てハッとし、それにうながされて出来あがったからでしょうか、しかし、作者はここで自分自身をもよく語ってしまっています。詩を書くいわれ、、そして、覚悟のようなものを。

――と書いて、谷川俊太郎のアウトラインを語りはじめます。

 

18歳くらいからはじめた詩作は

「かなしみ」のような自然発生的に生まれるナイーブさにはじまり、

だんだん自覚的なものになっていった。

 

学校嫌いの結果、高校卒。

大学は行けるのに行かなかった、という流れのハシリ的存在だった。

 

――などと詩人の誕生課程を手短かに語り、

 

 

荒廃した世相のなかで、

みんな打ちひしがれて、しょぼくれて、絶望的な詩ばかりあふれていた時、

そんな世の中でもたしかに存在する、

自分のたった1回きりの青春を思うさま謳歌しました。

(岩波ジュニア新書「詩のこころを読む」より。改行を加えてあります。編者。)

 

――と青春を謳歌した詩人像を浮きぼりにします。

 

この部分は前に一度引きましたが

詩や生き方や経歴などへの世間の風当たりは強く

賛嘆の声があがるいっぽうきびしいものもあったのです。

 

 

詩壇での評価をここで詳しく見るわけにはいきませんが

詩人で評論も書く北川透が

「危機のなかの創造――谷川俊太郎論」のなかで、

 

それにしても、谷川俊太郎はまともに論じられることの少い詩人である。

 

第一級の詩人や思想家はなぜ、現代詩と人間状況の危機をもっとも鋭敏に反映している詩人の一人として、谷川俊太郎の詩を緻密な批評の俎上にのせないのだろうか。

 

――などと不満気に書いたのは1965年のことです。

(「現代詩手帖」同年5月号、後に「詩と思想の自立」所収。)

 

「二十億光年の孤独」が1952年。

「六十二のソネット」が1953年。

「愛について」が1955年。

 

北川透のこの評論は

時事風刺詩を集めた「落首九十九」(1964年)の刊行をきっかけに書かれたものでした。

 

 

この評論をたまたま読んだのですが

これにどのような反響があったのでしょうか。

 

「詩のこころを読む」が刊行されたのは1979年でしたから

北川透の谷川俊太郎評価は

早い時期に属するものだったのでしょう。

 

 

しゃにむに書いてゆくうち、なんのために生まれてきたか、自分はどんな詩を書いてゆくべきかがつかめてきたように見えます。

――と茨木のり子が記すのは

詩の同人誌「櫂」を通じて

身近な交流を続ける中での観察も含まれているからのことでしょう。

 

 

これを、詩人の覚悟というふうに茨木のり子はとらえました。

 

覚悟の定まった域に入って出されたのが

第3詩集「愛について」でした。

 

「愛」は

その詩集の主旋律を形成する詩ということになります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

2015年6月21日 (日)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む/谷川俊太郎の「愛」へ

(前回からつづく)

 

敗戦の年に14歳(12月15日に誕生)だったのですから

谷川俊太郎は2015年6月の今83歳。

 

折しも、先日(6月19日)の朝日新聞朝刊記事は

歳月を感じさせる谷川俊太郎と大岡信の友情を伝えています。

 

 

詩友・大岡信が今月出したばかりの選集「丘のうなじ」(童話屋・刊)で

谷川俊太郎が詩作品の選者を担当し

本の最後には谷川の「微醺(びくん)をおびて」という新作詩を載せていることを案内しています。

 

 

「微醺をおびて」は

40年前の1975年、谷川俊太郎特集を組んだ雑誌(「現代詩手帖」10月臨時増刊「谷川俊太郎」か)に寄せた

大岡の詩への返詩であるそうです。

 

大岡は「初秋午前五時白い器の前にたたずみ/谷川俊太郎を思ってうたふ述懐の唄」という
長いタイトルの詩を贈ったのですが、

朝日の記事にはその一部が紹介されています。

 

君のうたを眼で逐ふと

涼しい穴がぽかりとあいた

牧草地の雨が

糞(ふん)を静かに洗ふのが君のうたさ

 

――は、その一部です。

 

詩誌「詩学」そして詩のグループ「櫂」にはじまる

長い交流の中でこそ

1975年の大岡のこの詩は生まれたものなのでしょう。

 

 

この詩から40年。

「おおおかぁ」

「君」

――と互いを詩の中で呼び合う親密な時間が

2015年現在にも実現したことになります。

 

 

谷川俊太郎の返詩の一部も紹介されています。

その一部の中に、

 

でもおれたち二人の肉だんごもいつかは

おとなしくことばと活字に化してしまうのかな

――という詩行はあります。

 

 

かつて「いつか死ねることの慰め」(「対詩」1981~1983年)を歌ったり

ほかにも幾つかの死に関する詩を歌った詩人が

83歳の今、「もうちょっと具体的になってきている」(同朝日記事の詩人の発言)テーマを

ここでも言葉にしていて

ギクリとしないではいられません。

 

エッセイ集「ひとり暮らし」(2001年)では、

1999年12月に69歳になった感想を述べていました(「ある日」)が

それから早くも10余年の歳月が流れました。

 

 

茨木のり子が「詩のこころを読む」で読んでいる

「かなしみ」は詩集「二十億光年の孤独」(1952年)に、

「芝生」は詩集「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」(1975年)に、

「愛」は「愛について」(1955年)にそれぞれ収められていますが

「愛」が歌われてから60年、

今年は、戦後70年です。

 

何もかもが

歴史化されていくようですが

詩はその時々に作られたものでありながら

その時々の時をとらえ

後になって読んでも

その時の中に人々を誘い込んでしまうのは

どのような仕掛けがあるからでしょうか。

 

 

Paul Klee

 

いつまでも

そんなにいつまでも

むすばれているのだどこまでも

そんなにどこまでもむすばれているのだ

弱いもののために

愛し合いながらもたちきられているもの

ひとりで生きているもののために

いつまでも

そんなにいつまでも終わらない歌が要(い)るのだ

天と地をあらそわせぬために

たちきられたものをもとのつながりに戻すため

ひとりの心をひとびとの心に

塹壕(ざんごう)を古い村々に

空を無知な鳥たちに

お伽話を小さな子らに

蜜を勤勉な蜂たちに

世界を名づけられぬものにかえすため

どこまでも

そんなにどこまでもむすばれている

まるで自ら終ろうとしているように

まるで自ら全(まった)いものになろうとするように

神の設計図のようにどこまでも

そんなにいつまでも完成しようとしている

すべてをむすぶために

たちきられているものはひとつもないように

すべてがひとつの名のもとに生き続けられるように

樹がきこりと

少女が血と

窓が窓と

歌がもうひとつの歌と

あらそうことのないように

生きるのに不要なもののひとつもないように

そんなに豊かに

そんなにいつまでもひろがってゆくイマージュがある

世界に自らを真似させようと

やさしい目差でさし招くイマージュがある

 

(「詩のこころを読む」より孫引きです。)

 

 

「寂しさの歌」が終わり

「愛」がはじまる――。

 

茨木のり子は

「詩のこころを読む」で

金子光晴の長詩「寂しさの歌」と双子座のように似ているという読みをほどこしたのが

谷川俊太郎の「愛」でした。

 

こんなスケールの中で

いつしか谷川俊太郎の詩を読むことに

もはや何の異和感もありません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

2015年6月16日 (火)

谷川俊太郎の14歳と金子光晴の三つの戦争/同時代について・2

(前回からつづく)

 

茨木のり子は

昭和初年に生まれた世代の典型でしたが

14歳の時に敗戦を迎えたのが

疎開世代と茨木のり子が呼ぶ谷川俊太郎です。

 

20歳が敗戦だった茨木のり子。

14歳が敗戦だった谷川俊太郎。

 

金子光晴は敗戦の年、50歳でした。

 

 

自分の身に引き替えて

小学校高学年から中学、高校、大学2・3年生あたりまでの人生を考えれば

茨木のり子の無念さを少しくらいは想像できるでしょう。

 

14歳の時に敗戦を迎えた谷川俊太郎は

だから戦争の打撃はさほど大きくはなかったと言っては乱暴でしょうか。

 

成人が敗戦を経験したのと

少年(青年)が経験したのとの違いを比べて

その経験の深浅を単純に推しはかるのはナンセンスです。

 

それにしても

6歳も年長の茨木のり子からすれば

損傷された青春という点では

谷川俊太郎の打撃は軽度なものに見えて自然なことであったでしょう。 

 

もちろん、そんなふうに発言しているわけではありませんが。

 

 

荒廃した世相のなかで、

みんな打ちひしがれて、

しょぼくれて、

絶望的な詩ばかりあふれていた時、

谷川俊太郎はそんな世の中でもたしかに存在する、

自分のたった一回きりの青春を思うさま謳歌しました

――と茨木のり子が「詩のこころを読む」で谷川俊太郎を紹介したのは

そのような背景があってのことでしょう。

 

青春を謳歌する時間が

谷川俊太郎には残されていたのでした。

 

 

1944年(昭和19) 12~13歳

都立豊多摩中学校(旧、府立第十三中学校)に入学する。帽子に付ける徽章は、もう金属製ではなくて、瀬戸物だった。カーキ色のスフのべらべらの制服を着て、ゲートルを巻かされた。

 

1945年(昭和20) 13~14歳

空襲が激しくなり、5月に東京山の手大空襲があった。友人と自転車で近所の焼け跡へ行き、焼死体を見る。7月、母とともに、その里である京都府久世郡淀町に疎開した。9月、京都府立桃山中学校に転学。

 

1946年(昭和21) 14~15歳

3月、東京の杉並の家に帰り、豊多摩中学校(のちの都立豊多摩高校)に復学。ベートーベンの音楽に感激して夢中で聴き始めた。

 

(岩波文庫「谷川俊太郎詩集」巻末年譜より。)

 

 

谷川俊太郎の年譜から

敗戦前後の3年間をピックアップしてみると

こんなふうに記録されています。

 

谷川俊太郎の経験にも

戦争の影が及んでいます。

 

 

金子光晴の場合はどうだったか。

 

それをきちんと見るには

全著作に当たってみなければなりませんが

いまとりあえず自伝「詩人」から拾うことができるところを拾っておきましょう。

 

 

もともと、もらわれっ子であり、親たちの気まぐれの御相伴で、赤ん坊のときから、ちやほや祭りあげられたり、忘れたように放任されたりして、感情をもてあそばれてきたために、極端な得意と、奈落の淋しさうぃ味わされ、感じやすい少年になっていたうえ、日清戦争にうまれ、日露戦争を小学校の時に、さらに中学時代に第一次欧州大戦を経験したということは、その過剰な刺激のために、感性のささくれ立った子供を、異常性格にするに充分な条件であったかもしれない。

 

 

自伝「詩人」の

まだ序章のうちにある中学校までの来歴を語る途中で

金子光晴はこのように振りかえっています。

 

別のところでも。

 

 

明治、大正、昭和と、三つの時代に跨って、僕は生きてきた。明治、大正、昭和の三時代の複雑な変転に添うて生きてきたことは、やはり問題で、僕の成長にも世相の変転相がからんでいて、一一にらみあわさなければわからないし、日清、日露の戦争のあいだに人となった人物ということを度外視しては、僕一個の人間を考えることができない。僕の感情の起伏の歴史は、戦争の好景気や、その反動、周囲の人間の気風に密接につながっているのだ。

(旺文社文庫「詩人」より。)

 

 

数奇にして波乱万丈の人生を

具体的に詳細に回想する自伝の折々に

このような述懐がはさまれるのです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2015年3月31日 (火)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・谷川俊太郎の「芝生」

(前回からつづく)

 

この「忘れものの感覚」は、詩の大きなテーマの一つですが、

日本語でこれほど澄みきったものとして提出された例は、

今までになかったようば気がします。

――と記して「かなしみ」へのありったけのオマージュを述べた後

次に茨木のり子が挙げるのは

「芝生」という短詩です。 

 

こちらもまたわずか7行の詩で

「かなしみ」から20年余を経て作られました。

 

 

芝生

 

そして私はいつか

どこかから来て

不意にこの芝生の上に立っていた

なすべきことはすべて

私の細胞が記憶していた

だから私は人間の形をし

幸せについて語りさえしたのだ

 

       ――詩集「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」

 

 

とてもスケールの大きな時間が流れている感じがするのは

「二十億光年の孤独」の印象が続いているからでしょうか――。

 

「どこかから来て」の詩行に

宇宙的な時間や空間を感じてしまうからでしょうか。

 

 

茨木のり子はそこのところを

「なんだか宇宙人が書いたような詩だ」という批評があることを紹介し

それならば「かぐや姫」の話に通じるものではないか

――と想像の翅(はね)をひろげ

ああだこうだと繰り返し繰り返し考えたり思ったりして

面白がっています。

 

面白がっていること自体が詩を読むことであるような

詩の楽しみを案内しているかのように。

 

詩が好きで好きでたまらないといった口ぶりが

このあたりに滲(にじ)みます。

 

 

茨木のり子は面白がって詩を読むことを隠そうともせず

新しい発見でもあるかのように

自慢げに披瀝するといってもよいほどですが

20年以上も隔てて作られた二つの詩がつながっている感じがするというのも

その発見の一つのようです。

 

この発見がまた見事に決まっていて

あっと声を出しそうになります!

 

 

「かなしみ」で記憶喪失になったような「僕」が

「芝生」では「細胞が記憶していた」ために

人間のすることを遂行することが出来て

その人間=私が「幸せ」について語ることさえ出来た。

 

このように読めることを

提案するかのようです。

 

 

復活とか再生とか蘇(よみがえ)りとか

光とか希望とか愛とか

……に通じる世界が歌われているのが

「芝生」なのですが

そんな風に詩人は書きません。

 

「かなしみ」は今、「芝生」の上の幸福をつかんでいるのですが

そんな風にも詩人は書きません。

 

 

「あなたの細胞が記憶していたのは何だったのですか?」とたずねても、

作者にもうまく答えられないでしょう。

でも、谷川俊太郎が書いたたくさんの詩のなかに、その答はちゃんと潜んでいますから、

後でふれたいと思います。

――と答えを後述に預けます。

 

 

今回はここまで。

 

 

2015年3月28日 (土)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・谷川俊太郎の「かなしみ」その3

(前回からつづく)

 

茨木のり子が谷川俊太郎の「かなしみ」を読みながら援用するのが

同じ作者の第2詩集「六十二のソネット」中の「41」という作品。

 

茨木のり子が引用するのは

冒頭の2行ですが

ここでは「41」全行に目を通しましょう。

 

 

41

 

空の青さをみつめていると

私に帰るところがあるような気がする

だが雲を通ってきた明るさは

もはや空へは帰ってゆかない

 

陽は絶えず豪華に捨てている

夜になっても私達は拾うのに忙しい

人はすべていやしい生まれなので

樹のように豊かに休むことがない

 

窓があふれたものを切りとっている

私は宇宙以外の部屋を欲しない

そのため私は人と不和になる

 

去ることは空間や時間を傷つけることだ

そして痛みがむしろ私を責める

私が去ると私の健康が戻ってくるだろう


(角川文庫「現代詩人全集 第10巻 戦後Ⅱ」より。)

 

 

多くの詩人が

「空」へ特別な関心を寄せることに触れて

茨木のり子は谷川俊太郎もその例にもれず

自らの出生(生存)の探求へと向かい

「青い空」を幾つか歌っていることに注目しました。

 

その一つがこの詩。

 

冒頭の

空の青さを見つめていると

私に帰るところがあるような気がする

――がここに呼び出されます。

 

 

この2行が呼び出されのは

「かなしみ」の青い空との類縁を指摘するためにですが

「帰るところ」としての空というテーマともクロスして

「かなしみ」という詩が扱う生存(または死)は

「帰るところ」との類縁に気づくことを促しているようです。

 

 

生まれいずるところは

死して帰るところとおなじところなのである

――などと、身も蓋(ふた)もないようなことを

詩(谷川俊太郎)や茨木のり子が言っているものではありません。

 

 

茨木のり子が持ち出す

小さな子の引例は

ここでもあざやかです。

 

 

小さな子供が自分の家にいるのに「お家へ帰ろう、お家へ帰ろう」と、

じだんだふんで泣いたりすることがあって、おとなは笑いますが、

幼ければ幼いだけ、郷愁(ノスタルジー)と名づけられるこの思いは鮮烈なのかもしれません。

 

 

谷川俊太郎初期の詩の要素の一つに

「郷愁=ノスタルジー」を見い出し

そのことをさりげなく

幼い子供がわけもなく「帰ろう帰ろう」と泣いて聞き分けのないひとときの例を重ねます。

 

 

幼ければ幼いだけ、郷愁(ノスタルジー)と名づけられるこの思いは鮮烈――。

 

少年(青年)が見詰めている青空は

郷愁=ノスタルジーの鮮烈さで

激しく少年(青年)を突き動かしているようです。

 

 

「かなしみ」は谷川俊太郎10代の作品。

 

若い時でなければ書けないまじりっけなしの純粋さを湛(たた)えている

――と茨木は評しますが

この純粋さの由来が

あたかも「お家に帰ろう」と駄々をこねて泣く子供の

「存在の不安」と同質のものであるとでも言いたげで

そうは断言しないところがほがらかです。

 

 

「かなしみ」も「六十二のソネット」の「41」も

傾向として同じ流れの中の詩であり

すべてではないのはもちろんですが

第1詩集「二十億光年の孤独」も

第2詩集「六十二のソネット」も

重なったテーマを歌っている部分があることを

こうして知ることができます。

 

 

今回はここまで。

 

 

かなしみ

 

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに

何かとんでもないおとし物を

僕はしてきてしまったらしい

 

透明な過去の駅で

遺失物係の前に立ったら

僕は余計に悲しくなってしまった

 

 

 

2015年3月27日 (金)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・谷川俊太郎の「かなしみ」その2

(前回からつづく)

 

かなしみ

 

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに

何かとんでもないおとし物を

僕はしてきてしまったらしい

 

透明な過去の駅で

遺失物係の前に立ったら

僕は余計に悲しくなってしまった

 

 

少年が原っぱで遊び呆(ほお)けていて

ふとした瞬間、息をひそめて

草むらに仰向けに倒れ込んで見上げた青空――。

 

その青空が

青年の眼に今、あります。

 

 

誰しもこんなふうにして青空を見た思い出を持つはずですし

誰しもこの詩に似た感傷を抱いたはずですが

この詩の言葉のようには結ばれなかっただけのことで

その感傷を詩人・谷川俊太郎が代わりに歌ってくれたような気持ちになって

親しく懐かしく感じられる詩といえるでしょう。

 

その感傷を

やや哲学的といいますか

カフカ的といいますか

存在論的といいますか

宇宙論的といいますか

……

 

物思う少年(青年)の

もやもやとした心のうちが

都会を感じさせる「僕」を通して呟(つぶや)かれます。

 

 

もやもやとしているものの正体を

「僕」は今まさにつかまえたような所(時)にいますが

つかまえたものは悲しみなのでした。

 

それは、仰向けになって空を見上げた

その時以前から「僕」に巣食っているもので

だんだん形になってくるようなものでした。

 

「僕」のこの悲しみには

センチメンタルな響きもなく

どちらかといえば乾いた響きがあり

それが生存の悲しみであっても

思索的なトーンを帯びています。

 

 

「あの青い空の波の音」は

確かに青い空を見ていると見えてくるような音ですし

音かと思えば空であって

ことさら都会の少年(青年)の眼差しに映る空(である音)で

この言葉自体が

繊細さ洗練さを表わしていてユニークです。

 

 

茨木のり子の着眼するのは

遺失物係です。

 

遺失物とは落とし物のことですが

「遺失物」といっただけで

カフカやベケットや

何やら不条理な世界へ誘われるようですが

茨木のり子がそちらの方向へ向かうわけではありません。

 

 

遺失物係のいる場所(時間)が

「透明な過去の駅」と設定されているからでしょうか。

 

この遺失物係は

無人であったような気がします

――と茨木のり子は読み取ります。

 

しかも、おとし物が何だったかも忘れてしまって、

忘れたという感覚だけが残っていて。

途方にくれて。

すべてが曖昧(あいまい)で、

それなのに、へんに澄んだ世界です。

――と読んでいきます。

 

 

そして「ものごころがつく」という日本語を引き合いにして

この詩は

ものごころがついた少年(青年)が

自分を客観的にとらえようとして

さまざまな欠落感に悩まされ

その悩みの一つを歌ったものかもしれません

――と青春の歌であることを明らかにします。

 

 

青春の歌

――というにはあまりにも洗練された詩行に満ちていますが

悲しみが歌われるにしても

「僕」が抱いた悲しみには

湿潤(しつじゅん)なものがありません。

 

デビューのころ、

谷川俊太郎はこんな詩を書いていたのです

 

 

今回はここまで。

 

 

2015年3月25日 (水)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・谷川俊太郎の「かなしみ」

(前回からつづく)

 

茨木のり子が「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)を上梓したのは

1979年ですから52歳のときです。

 

自ら言う「峠」の年齢ということになりますが

戦後に詩作をはじめて

すでに30余年の歳月が流れていました。

 

30年以上も詩を書いてきたということを

詩を書かない人が想像するには

自分で続けている趣味だとか習い事だとか習慣だとかと比べて

少しは類推できることかもしれません。

 

社会人なら

自分の仕事一つを思い浮かべてみれば

想像できることかもしれません。

 

30年も同じことを続ければ

どんなことでも熟練の域に達するものです。

 

 

詩とビジネスを同じ土俵に乗せるわけではありませんが

熟練するということにかかる時間の関係には

詩であれビジネスであれ左官の仕事であれ

共通するものがあることに間違いありません。

 

円熟の目利きである詩人・茨木のり子が

第1章にあたる「生まれて」の冒頭(この本の巻頭)に案内するのは

日本現代詩のトップランナー・谷川俊太郎です。

 

谷川俊太郎の名は

知らない人はいないといってよいほど広く知られていますが

「詩のボクシング」とか「ことば遊び」とか「合唱曲の作詞」とか

マルチタレントぶりを知っていても

詩を読んだ人は案外多くないのかも知れません。

 

「ネロ」だとか「二十億光年の孤独」だとかのタイトルを聞いたことがあっても

これらの詩をじっくりと読み

ほかの詩にも目を通した人は少ないのが実情のようです。

どんな傾向の詩を書く詩人であり

どのような来歴があり

どのように詩人として出発し現在に至っているかなどを知っていても

詩そのものをじっくり読んだ人はそう多くはないというのが実情のようです。
 

 

そうであっても

現代詩人の中で最もポピュラーな人気を得ていることは確かです。

 

詩のコーナーを設けているいるような大きな書店では

谷川俊太郎の詩集が犇(ひし)めいています。

 

 

最も知名度の高い詩人ということを

茨木のり子も意識したからか

詩の近しい仲間であり

住まいも近くであったからか

「詩のこころを読む」の1番目に選んだ理由は納得がいくものです。

 

「かなしみ」は

デビュー作「二十億光年の孤独」に収められています。

 

 

かなしみ

 


あの青い空の波の音が聞こえるあたりに

 

何かとんでもないおとし物を

 

僕はしてきてしまったらしい

 

 

 

透明な過去の駅で

 

遺失物係の前に立ったら

 

僕は余計に悲しくなってしまった

 

 

 

 

わずか6行2連の短詩ですが

こういう詩を書くのが谷川俊太郎かなどと

まずはグンと詩(人)が近づいてくるのを感じられるのも

一つには茨木のり子の眼差しの鋭さからくるものに気づきます。

 

独力でこういう詩に出会うまでには

多くの時間がかかることでしょう。

 

 

初めて読んだとき

あの青い空の波の音が聞こえるあたり――という「あの」にぎくりとさせられますが

自分にも「そこ」が見えるような気がすれば

この詩のよい読み手になったというものです。

 

じっとして青空を眺めるなんてことを

遠い昔の少年(少女)時代にしたことを

この詩は懐かしくも思い出させてくれますが

その時感じたものがこの詩のような気持ちであったことをも

この詩は思い出させてくれるようなところがあります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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