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カテゴリー「0011中原中也のダダイズム詩」の記事

2011年5月17日 (火)

「ノート1924」幻の処女詩集の世界<51>無題(緋のいろに心はなごみ)

昭和2―3年(1927―28年)に
計画された処女詩集のために
「ノート1924」に記された7篇のうち
「無題(緋のいろに心はなごみ)」は
最後の作品です。
清書稿で完成作品です。
ということは
「ノート1924」の最後の作品です。

2行7連の構成で
各行は七五のリズムに統制された文語体
ダダ一辺倒の晦渋さが消え
定型の中で
伸び伸び歌う詩が完成に向かっています

内容は
都会の暮らしからの疎外
街の中での孤独
彷徨の果ての疲労感
それらの底に
泰子との離別の苦しみ・悲しみが
沈んでいるようで
詩人はいつしか
派手やかな緋の衣装に
心休まるものを感じています

歩きくたびれて
牡蠣殻みたいになったからだが
金色のコルセットを着けて
原色の街の路次をゆく女の後を追いながら
安らぎを覚えているのです

その街では
死神の黒い涙と
美しい芥(あくた)とを見ました

詩人はこの街に来ようとした
色々な理由が広がる中の
一つに女があることを
自らに許したのです

女たちの着る緋色の着物は
本当に心が休まります
その色は
まるで諦めの閃きというにふさわしく

その静けさに罪を覚え
罪をきざむことを善しと覚え

明るい土に射す光の中を
浮揚する蜻蛉になったのです

最終連は
3行に分けて記されていますが
七五の流れを壊すものではなく
アキツもしくはトンボと読めば
字あまりではなくなります

行を分けて
五七-五-七としたのには
転調で終わらざるを得ない
押さえ切れない叙情があったのかもしれません

すでに「むなしさ」を歌った詩人と
どれほどの時間が経過していたのでしょうか
両作品の基底に
ふるえるような孤独感が
流れています

ふと
19世紀末ペテルスブルグの
ラスコリニコフを思い出させるような……。

 *
 無 題(緋のいろに心はなごみ)

緋のいろに心はなごみ
蠣殻(かきがら)の疲れ休まる

金色の胸綬(コルセット)して
町を行く細き町行く

死の神の黒き涙腺
美しき芥もみたり

自らを恕(ゆる)す心の
展(ひろが)りに女を据えぬ

緋の色に心休まる
あきらめの閃(ひらめ)きをみる

静けさを罪と心得
きざむこと善しと心得
明らけき土の光に
浮揚する
蜻蛉となりぬ

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2011年5月16日 (月)

「ノート1924」幻の処女詩集の世界<50>秋の日

 「秋の日」は
 下書き稿であり
 ソネットである上に
 タイトルが付けられた
 完成作品です
 
 ここにきて
 ダダイズムの影は消え
 とって代わるのが
 文語体七五調の流麗感ですが
 
 黒き石 興ををさめて
 とか
 乾きたる 砂金は頸を
 とか……
 取っ付きにくい詩句が並びますから
 じっくりと時間をかけて読まないと
 詩を味わえません
 
 秋の日は
 灼熱の夏が嘘のように影形(かげかたち)もなく
 聞えてくる物音さえもが白く
 冴え冴えとしている
 それまでそこにあったことをだれも気づかないでいて
 剥き出しになった舗道の石の上に
 人の目が向けられるようになる
 ああ
 過ぎ去った秋の日の夢よ
 
 中原中也が
 長谷川泰子と離別したのは
 大正14年の11月。
 秋の日とは
 その別れの生々しい記憶が刻まれた季節です
 
 秋が巡ってくる度に
 詩人は
 その日の色褪(あ)せて白っぽくなった情景を
 思い出すのです
 
 やり場のない悲しみは
 空に行き
 人波に分け入り
 いまここにたどり着いて
 老人の眼(まなこ)が
 毒のある訝りを帯びたときのように
 黒い石になって静もりをもたらしてくれます
 
 訝る時の老人の眼が
 黒い石のような光沢を帯びて
 激情をなだめてくれます
 
 ああ
 どうやって過ごしていけばよいものやら
 乾いた砂金が首すじを
 すっぽりと覆うような
 悲しいつつましさよ
 
 たとえば
 夕日が砂金の輝きで
 首すじをあますところなく包むような
 悲しいつつましさです
 
 涙が落ちるのを見ては
 静かな気持ちが訪れ
 諦めて後退する今日の日を
 ああ
 天におわします
 神は見守ってくださいますでしょうか

 失恋の痛手が
 詩人を
 神に向かわせます
 
 
 
 
 
 
 
 
  *
 秋の日
 
 秋の日は 白き物音
 むきだせる 舗石(ほせき)の上に
 人の目の 落ち去りゆきし
 あゝ すぎし 秋の日の夢
 
 空にゆき 人群に分け
 いまこゝに たどりも着ける
 老の眼の 毒ある訝(いぶか)り
 黒き石 興をおさめて
 
 あゝ いかに すごしゆかんかな
 乾きたる 砂金は頸を
 めぐりてぞ 悲しきつゝましさ
 
 涙腺をみてぞ 静かに
 あきらめに しりごむけふを
 あゝ天に 神はみてもある
 
 (角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2011年5月15日 (日)

「ノート1924」幻の処女詩集の世界<49>(かつては私も)

(かつては私も)も
前作(秋の日を歩み疲れて)と同じ
下書き稿であり
詩形式もソネットであるという点で
両作品は
連続性を示していますが
(かつては私も)で
注目しておいたほうがよいのは
「処女詩集序」という詩との類似性です。
 
「処女詩集序」は
字義通り、
処女詩集の序のことで
序章とか序曲とかプロローグとか
本文(本節)の前に置かれる前置き(まえがき)に相当します

昭和2―3年頃に
計画し、編集作業を行った
初めての詩集の「序詩」が
「処女詩集序」とタイトルを付けられて
草稿として残っているのです

その「処女詩集序」の内容と
この(かつては私も)の内容が類似していて
未完の(かつては私も)を作ったあとで
同じモチーフで
「処女詩集序」を作ったものと推測されています

その昔私は
何にも後悔するようなことはなかった
実に頼もしく自分を信頼していたし
生きていることが無限のことに思えていた

けれども今は何もかも失ったのです
心苦しくなるほど大量にあった
真実の愛が
今は自分で疑うほどの夢になり
クラクラしている

偶然性、半端、木質
こんなものの上で
悲しげにボヘミアンよろしくとばかり
余裕をよそおったお世辞笑いだってできるようになりました

本当に愛していたから
ワルばかり言った昔よ
今どうなってしまったのか
忘れるつもりで酒を飲みにいって
帰ってくるなり
膝に両手を置いて
また思い出し
打ちのめされるのです

これを
詩集の序詩とするわけにはいきませんでした

やがて作られる
「処女詩集序」を
あわせて載せておきます

 *
 (かつては私も)

かつては私も
何にも後悔したことはなかつた
まことにたのもしい自尊のある時
人の生命(いのち)は無限であつた

けれどもいまは何もかも失つた
いと苦しい程多量であつた
まことの愛が
いまは自ら疑怪なくらゐくるめく夢で

偶性と半端と木質の上に
悲しげにボヘミヤンよろしくと
ゆつくりお世辞笑ひも出来る

愛するがために
悪弁であつた昔よいまはどうなつたか
忘れるつもりでお酒を飲みにゆき、帰って来てひざに手を置く。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 *
 処女詩集序

かつて私は一切の「立脚点」だつた。 
かつて私は一切の解釈だつた。
私は不思議な共通接線に額して 
倫理の最後の点をみた。
(あゝ、それらの美しい論法の一つ一つを 
いかにいまこゝに想起したいことか!)

     ※

その日私はお道化(どけ)る子供だつた。 
卑少な希望達の仲間となり馬鹿笑ひをつゞけてゐた。
(いかにその日の私の見窄(みすぼら)しかつたことか! 
いかにその日の私の神聖だったことか!)

     ※

私は完(まった)き従順の中に 
わづかに呼吸を見出してゐた。
私は羅馬婦人(ローマをんな)の笑顔や夕立跡の雲の上を、 
膝頭(がしら)で歩いてゐたやうなものだ。

     ※

これらの忘恩な生活の罰か? はたしてさうか? 
私は今日、統覚作用の一摧片(ひとかけら)をも持たぬ。
そうだ、私は十一月の曇り日の墓地を歩いてゐた、 
柊(ひいらぎ)の葉をみながら私は歩いてゐた。
その時私は何か?たしかに失った。

     ※

今では私は 
生命の動力学にしかすぎない―― 
自恃(じじ)をもつて私は、むづかる特権を感じます。
かくて私には歌がのこつた。 
たつた一つ、歌といふがのこつた。

     ※

私の歌を聴いてくれ。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2011年5月14日 (土)

「ノート1924」幻の処女詩集の世界<48>(秋の日を歩み疲れて)

(秋の日を歩み疲れて)は
下書き稿の一つです。

前作「無題(ああ雲はさかしらに笑ひ)」に比べれば
タイトルも付けられていないのに
定型への意図が明確で
4-4-3-3のソネットが奇麗に成り立っていますし
ダダの尻尾も見当たりません。

形が整っている分
内容も首尾一貫し
意味不明な詩句は
わずかです

秋の日に歩きくたびれて
とある橋の上を通っていたところ
アレチノギクかなにか秋の野草が
金の光を浴びて
そよぎもせずに眠っている
その草を分けて
足音について行く

だれの足音なのか
すぐにイメージが湧いてくるのは
長谷川泰子と川沿いの道を行く
詩人の姿です
泰子は
小林秀雄と別れた後でしょうか
中也と泰子は
別れた後にも
たまに逢瀬の時間をもちました

次の連の

我慢強い君は黙りこくり
わたしは叫んだりしたが
川の果ての灰は光り
感興は唾液に消されてしまう

これまでずっと耐え忍んできた君は黙りこくり
わたしは、時折、叫んだりしたが
川が果てたあたりの砂地は陽を受けて輝いていた
景色に見とれて感嘆してばかりいたが
生唾を飲むほかになかった

このデート
二人の意気は合わず
チグハグです
あるいは
幻だったのか
遠い日がよみがえったのか

人並に
わたしも呼吸してきたのだが
人見知りする子どもが
腰を曲げて走っていくのだった

夕方の薄暗い台所に
新しい生木の香りが漂っているが
わたしはまたもや夢の中にいるような
倦怠感に襲われている

普請して
生木の香りが鼻を打つ台所に
泰子はいません

この日
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
(「汚れつちまつた悲しみに……」)
と歌う詩人まで
そう遠くはないところにいるようです

 *
(秋の日を歩み疲れて)

秋の日を歩み疲れて
橋上を通りかゝれば
秋の草 金にねむりて
草分ける 足音をみる

忍從の 君は默せし
われはまた 叫びもしたり
川果の 灰に光りて
感興は 唾液に消さる

人の呼気 われもすひつゝ
ひとみしり する子のまなこ
腰曲げて 走りゆきたり

台所暗き夕暮
新しき生木の かほり
われはまた 夢のものうさ

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2011年5月12日 (木)

「ノート1924」幻の処女詩集の世界<47-2>無題(あゝ雲はさかしらに)

「無題(あゝ雲はさかしらに)」は
昭和2―3年(1927―28年)に作られたのですから
ビロードの少女が
長谷川泰子であっても
おかしくはありません

この詩を
雲と農夫とビロードの少女の物語――
と読めれば


農夫

ビロードの少女

これらが
指し示しているものが
おぼろげに
見えてきますが

びろうどの少女みずもがな
腕をあげ 握りたるもの
放すとよ 地平のうらに

ビロードの少女を見なければよかったものを
(見てしまった)
腕を挙げ
握っていたものを
放すのだと
地平の裏に

この3行は
何を言っているのだろうか
見当はついても
はっきりとはしません

遭わないで済めばよかったものを
遭ってしまった
ビロードの少女が
腕をあげて
握っていたものを
地平の裏に
放り投げた、という
握っていたものは何だったのでしょうか

泰子との別れのドラマの中で
詩人は
泰子が何かを放り捨てたのを
見たのでしょうか

では
雲はだれか
空はだれか
農夫はだれか
そもそも
これらを人間に置き換えてよいものか

なぞは残り
少しは
この詩に近づいたような気になりますが
間違いでしょうか
それも分かりません

さらに最終連の

心籠め このこと果し
あなたより 白き虹より
道を選び道を選びて
それからよ芥箱(ごみばこ)の蓋

この4行の

心を込め
このことを果たした、の主語はだれで

あなた(向こうの方)の
白い虹の方より
道を選びに選んで
それからゴミ箱の蓋を開けることになるのは、だれなのか

(そもそも、白虹は、「白虹、日を貫く」で有名な「白虹事件(はっこうじけん」と関係があるものか、ないとしたなら、単なる「太陽の暈(かさ)」のことなのか、不吉な事象一般の比喩なのか……)

これらの主格が詩人であるとするなら
心を込めて果たした「このこと」とは
何のことか
やっぱり
分かりそうなところまで来ている感じはあるのですが
最後まで
釈然としないままです

 *
 無 題(あゝ雲はさかしらに)

あゝ雲はさかしらに笑ひ
さかしらに笑ひ
この農夫 愚かなること
小石々々
エゴイストなり
この農夫 ためいきつくこと

しかすがに 結局のとこ
この空は 胸なる空は
農夫にも 遠き家にも
誠意あり
誠意あるとよ

すぎし日や胸のつかれや
びろうどの少女みずもがな
腕をあげ 握りたるもの
放すとよ 地平のうらに

心籠め このこと果し
あなたより 白き虹より
道を選び道を選びて
それからよ芥箱(ごみばこ)の蓋

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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2011年5月11日 (水)

「ノート1924」幻の処女詩集の世界<47>無題(あゝ雲はさかしらに)

「無題(あゝ雲はさかしらに)」は
清書稿であり
タイトルを付けられた
完成品です。

「むなしさ」「朝の歌」「臨終」を書いた詩人にしては
いかにも方向の定まっていない
色々な技が試みられている詩で
文語五七調を基調に
ルフランあり
ダダイスムあり
選ばれた言葉は
平明で
わかりやすいようで
わかりにくい
メリハリないものになりました

平明に歌おうとして
ダダから遠ざかろうとしたものの
最後に
ダダの尻尾を出してしまって
コントロールがきいていない世界。

何が歌われているかとなると
鮮明なイマージュが結ばずに
せっかくの文語体が
空回りして
ルフランも精彩がありません

主語は雲。
その雲はさかしらに(小賢しく)笑い
この農夫の愚かなこと
ちっちゃいちっちゃい
エゴイストだ
(などと嘲笑するので)
この農夫はためいきばかりついています
(農夫は詩人でしょうか)

そうはいっても結局は
この空の、胸の中は
農夫にも、
遠い家にも
誠意があります
実に誠意があるのです
(雲は空に浮いているのですから)

過ぎた日や
胸の疲れや
ビロードの少女をみないほうがよかったのに
(少女は)
腕を上げて、握ったものを
放すんだとさ、地平の裏に

心を込めて、このことをやり遂げ
あっちの、白虹(太陽の傘)から
(慎重に)道を選んで
それからよ
ゴミ箱の蓋(開けるのは)

昭和2―3年(1927―28年)に
計画された第一詩集の詩篇群は
1、 原稿用紙に清書されたもの
2、 長谷川泰子に宛てた「愛の詩」として清書されたもの
3、 清書されず、破棄するには愛着が残るものとして「ノート1924」の空きページに記されたもの

の3グループが推測されていて
「ノート1924」の7篇のほかにも
候補作品があったということです
(角川編集による)

「無題(あゝ雲はさかしらに)」は
破棄するには愛着が残る作品の一つになります

そういわれれば
捨てがたい魅力を放つ詩で
もう一つ
息を吹きかければ
見違える世界に化けそうな
不思議な詩です

雲と農夫とビロードの少女の物語――と
読めれば
不思議は不思議でなくなるのかもしれません。

もしや
ビロードの少女が
長谷川泰子であったらどうなっちゃうか
……

段々
あり得ないことではない
と、思えてきて
そうとなれば
目が覚めて
もう一度
冒頭行へ戻されていきます

やっぱり
やすやすとは捨てられない
不思議な魅力のある詩です。

 *
 無 題(あゝ雲はさかしらに)

あゝ雲はさかしらに笑ひ
さかしらに笑ひ
この農夫 愚かなること
小石々々
エゴイストなり
この農夫 ためいきつくこと

しかすがに 結局のとこ
この空は 胸なる空は
農夫にも 遠き家にも
誠意あり
誠意あるとよ

すぎし日や胸のつかれや
びろうどの少女みずもがな
腕をあげ 握りたるもの
放すとよ 地平のうらに

心籠め このこと果し
あなたより 白き虹より
道を選び道を選びて
それからよ芥箱(ごみばこ)の蓋

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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2011年5月10日 (火)

「ノート1924」幻の処女詩集の世界<46>涙語

「涙語」は
「ルイゴ」か「ナミダゴ」か
清書された完成品で
タイトルは詩人が付けたものです。

河上徹太郎を知り
その機縁で「スルヤ」を知り
「スルヤ」のリーダー格の諸井三郎を知り
ほかのメンバーを知り
辻潤や高橋新吉を訪問し
次第に交友関係を広げ

すでに
「むなしさ」「朝の歌」「臨終」を書いた詩人でしたが
ダダイズムから
完全に脱皮したわけではありませんでした
「涙語」にも
ダダが残っています

歌う内容がそもそも
都会人やその生活への疎外感ですから
ダダはいまだ有効とみたか
ついつい出てしまうのか
絶頂期とは異なりますが
半ダダってなところです

まづいビフテキは
暗喩のうちで
後ろのほうに
この生活の肩掛
この生活の相談、とある
都会の暮らしのことで

何か特定の事件があったものか
まったくわかりませんが
いまや泰子との共同生活ではありませんから
泰子のことではなさそうです

まづいビフテキを食べてしまったような
寒い夜だ、今夜は。
世間なれしたお調子もんに
このチカチカする灯りの
分析はピタリと決まっているよ!

どこかで飲んで食べて
議論して
その収穫を歌っているのでしょう

あれあの星
あのよくみんながいう星も
地球と人のスタンスによって
新しくも古くも見えるものさ

遠い昔の星ですら
いまの私には馴染めないものなんだから
あれあの星だって

私の意志が無くなるまで
あれはああして待っているつもりだろうけれど
私はそれをよく知っているが
ついつい歯向かっても
ここのところで折り合っておけば
神様への奉仕となるばかりの
愛でもそこで済まされるというものです

この生活のショールや
この生活の相談は
みんな私に叛くばかりです
なんという
安っぽい考えか

私は悲しくなりますが
それでも明日、元気です

馴染もうとしても馴染めない
涙ながらに
歌うのですが
だれも聞いてくれない

 *
 涙 語

まづいビフテキ
寒い夜
澱粉過剰の胃にたいし
この明滅燈の分析的なこと!

あれあの星といふものは
地球と人との様により
新古自在に見えるもの

とほい昔の星だつて
いまの私になじめばよい

私の意志の尽きるまで
あれはあゝして待つてるつもり
私はそれをよく知つてるが
遂々のとこははむかつても
こゝのところを親しめば
神様への奉仕となるばかりの
愛でもがそこですまされるといふもの

この生活の肩掛や
この生活の相談が
みんな私に叛(そむ)きます
なんと藁紙の熟考よ

私はそれを悲しみます
それでも明日は元気です

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2011年5月 9日 (月)

「ノート1924」幻の処女詩集の世界<45-2>浮浪歌

「浮浪歌」以下7篇は
昭和2―3年(1927―28年)に制作(推定)されていますが
4篇は清書原稿、3篇は下書き原稿です
清書原稿は
タイトルも付けられた完成品がほとんどで
下書き稿は未完成品のことです。

「浮浪歌」は
ダダの流れから逸れて
韻律をもった詩を目指そうとしたのか
この詩そのものも
はじめの部分がダダっぽく
後半に入る前から
調子のよい七五のリズムに変わる
おやっと思えるような作品です

(こんなに夜更けになっちゃって)
暗い山間の道(だけれども)、
簡単なことです

つまり急いで帰れば
これからまだ1時間後には
すき焼きを囲んで風呂につかり
赤ん坊のよだれかけを取り替えてやったり
それからあったか布団に入れます

川は罪のないおはじき少女ってなものです
なんのことかをちゃんと知っている
こちらの思いを知らないものと同じことで
後ろを振り返りながら帰っていくのさ
アストラカンのショールして
口角の突き出た叔父に連れられて
そんな風にいってはいけません

あんな空には額なものアンナソラニハガクナモノ
あなたははるかに葱なものアナタハハルカニネギナモノ
薄暗いのはやがて中枢なものウスグライハヤガテチュウスウナモノ

それではずるいあきらめかソレデハズルイアキラメカ
天才様の言うとおりテンサイサマノイウトオリ

崖が声出す声を出すガケガコエダスコエヲダス
思えばまじめ不まじめのオモエバマジメフマジメノ
けじめ分たぬ我ながらケジメワカタヌワレナガラ
こんなにぬくい土色のコンナニヌクイツチイロノ
代証人の背中の色ダイショウニンノセナノイロ

それは幸せぞ偶然のソレハシアワセゾグウゼンノ
されば最後に必然のサレバサイゴニヒツゼンノ
愛を受けたる御身なるぞアイヲウケタルオミナルゾ
さっさと受けて、忘れっしゃいサッサトウケテ、ワスレッシャイ
この時ばかりは例外とコノトキバカリハレイガイト
あんまり堅固な世間様アンマリケンゴナセケンサマ
私は不思議で御座いますワタシハフシギデゴザイマス
そんなに商売というものはソンナニショウバイトイウモノハ
それはそういうもんですのがソレハソウイウモンデスノガ

朝鮮料理屋がございますチョウセンリョウリヤガゴザイマス
目契ばかりで夜更けまでモッケイバカリデヨフケマデ
虹や夕陽のつもりでてニジヤユウヒノツモリデテ

あらゆる反動は傍径(わきみち)に入りアラユルハンドウハボウケイニイリ
そこで英雄になれるものソコデヒーロニナレルモノ

もうすでに、というべきか
詩人は世間と渡り合い
馴染もうとして馴染めなず
浮浪します浮遊します
その鬱憤(うっぷん)を歌うようです

七語調の流麗感を
聞き取るだけでもオモシロイ

 *
浮浪歌
暗い山合、
簡単なことです、
つまり急いで帰れば
これから一時間といふものゝ後には
すきやきやつて湯にはいり
赤ン坊にはよだれかけ
それから床にはいれるのです

川は罪ないおはじき少女
なんのことかを知つてるが
こちらのつもりを知らないものとおんなじことに
後を見後を見かへりゆく
アストラカンの肩掛に
口角の出た叔父につれられ
そんなにいつてはいけませんいけません

あんなに空は額なもの
あなたははるかに葱(ねぎ)なもの
薄暗はやがて中枢なもの

それではずるいあきらめか
天才様のいふとほり

崖が声出す声を出す。
おもへば真面目不真面目の
けぢめ分たぬわれながら
こんなに暖い土色の
代証人の背(せな)の色

それ仕合せぞ偶然の、
されば最後に必然の
愛を受けたる御身(おみ)なるぞ
さつさと受けて、わすれつしやい、
この時ばかりは例外と
あんまり堅固な世間様
私は不思議でございます
そんなに商売といふものは
それはさういふもんですのが。

朝鮮料理屋がございます
目契ばかりで夜更まで
虹や夕陽のつもりでて、

あらゆる反動は傍径に入り
そこで英雄になれるもの

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2011年5月 8日 (日)

「ノート1924」幻の処女詩集の世界<45>浮浪歌

「ノート1924」には
必ずしも1924年に作られた詩が記されているものではなく
「浮浪歌」以下7篇は
昭和2―3年(1927―28年)制作と推定されています。

理由は簡単で
「ノート1924」の使われていないページが
後になって使われたというだけの話です。
後に使われたのが
昭和2―3年で
この時詩人は
初めて詩集を作ろうと計画し
候補作の幾つかを
「ノート1924」に書き留めたのです。
その詩が
「浮浪歌」以下の7篇です。

1924年から
3、4年後の詩を
突然読むことになり
深呼吸する思いですが
富永太郎が京都を離れて後
中也と泰子は
どうしてしまったでしょうか

泰子が
中原中也の考えに
どれだけ影響力を持っていたかはよく分かりませんが
中也は富永太郎とまだ話し足りないと感じていて
東京行きの決意を固めたのは
富永を京都駅に見送った時であったに違いありません
富永太郎を追いかけるように
泰子を連れ立って上京した詩人が
東京市外戸塚源兵衛に下宿を借りるのは
1925年の3月でした

4月には
富永を通じて
小林秀雄を知り
5月には
小林の家の近くである高円寺に転居
11月には
泰子は小林との生活をはじめます
この月に、富永太郎は死去してしまいます。

1926年は
大正15年であり昭和元年である年ですが
2月には
「臘祭の夜の巷に堕ちて
心臓はも条網に絡み
脂ぎる胸乳も露は
よすがなきわれは戯女」
とはじまる「むなしさ」を書きます
孤独と絶望の底から
歌いはじめました。
4月、日本大学予科に入学し
フランス語を学びながら
「朝の歌」を作ったのは5月―8月でした。
泰子との別れの苦悩の中で
自分の詩世界を確立していったのです。

9月、親に無断で日大予科を退学。
しばらくして、アテネ・フランセへ通います
「臨終」もこの年のいつか作られました
11月には
「夭折した富永」を
富永、小林らが属していた同人誌「山繭」に発表しました

1927年は
春、河上徹太郎を知ったのを機に
諸井三郎を知り
「スルヤ」のメンバーとの交流がはじまりした
8月には
「富永太郎詩集」が私家版として発刊され
中也は自分の詩集発行のアイデアを得ます
9月には辻潤
10月には高橋新吉と
かねて計画していた
二人のダダイストへの訪問も果たしました

このような活動をする中で
第一詩集の構想は立てられ
候補作品の推敲・選定は進みました
その一部が
「ノート1924」にも
記されたのです。

(つづく)

 *
浮浪歌

暗い山合、
簡単なことです、
つまり急いで帰れば
これから一時間といふものゝ後には
すきやきやつて湯にはいり
赤ン坊にはよだれかけ
それから床にはいれるのです

川は罪ないおはじき少女
なんのことかを知つてるが
こちらのつもりを知らないものとおんなじことに
後を見後を見かへりゆく
アストラカンの肩掛に
口角の出た叔父につれられ
そんなにいつてはいけませんいけません

あんなに空は額なもの
あなたははるかに葱(ねぎ)なもの
薄暗はやがて中枢なもの

それではずるいあきらめか
天才様のいふとほり

崖が声出す声を出す。
おもへば真面目不真面目の
けぢめ分たぬわれながら
こんなに暖い土色の
代証人の背(せな)の色

それ仕合せぞ偶然の、
されば最後に必然の
愛を受けたる御身(おみ)なるぞ
さつさと受けて、わすれつしやい、
この時ばかりは例外と
あんまり堅固な世間様
私は不思議でございます
そんなに商売といふものは
それはさういふもんですのが。

朝鮮料理屋がございます
目契ばかりで夜更まで
虹や夕陽のつもりでて、

あらゆる反動は傍径に入り
そこで英雄になれるもの

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2011年5月 7日 (土)

ダダ詩「ノート1924」の世界<44-2>ランボーとの初対面は上田敏訳「酔ひどれ船」

「大正十三年夏富永太郎京都に来て、彼より仏国詩人等の存在を学ぶ」と
「我が詩観」の中の
「詩的履歴書」に記した中原中也でしたが
実際にどんなことを学んだのかを明らかにする一つの例が
「ノート1924」の空いていたページに書かれた
ランボーの翻訳の筆写です。

この頃詩人はまだ
フランス語の勉強をはじめていなかったものですから
富永がその一部を口ずさんだであろう
フランス語によるランボーやベルレーヌに
耳をそばだてて聞き入ったに違いありません

とるものもとりあえず
詩人は
「上田敏詩集」(玄文社)に収められていた
ランボーの日本語訳「酔ひどれ船(未定稿)」を
書き写したのです

詩人は
上田敏訳「酔ひどれ船」の筆写を
あわせて3回行っており
「ノート1924」の空きページに記したものが
1回目のものでしたが
詩の全部ではなく
第11連まででした

ここに
上田敏訳の「酔ひどれ船(未定稿)」を
引いておきます。
ダダイズムの詩から
脱皮を図る決意を固める
小さなきっかけに過ぎなかったかもしれませんが
やがては
ランボーの詩の翻訳に心血を注ぐことになる詩人の
ランボーとの初対面です。

酔ひどれ船(未定稿)
上田敏訳

われ非情の大河を下り行くほどに
曳舟の綱手のさそひいつか無し。
喊き罵る赤人等、水夫を裸に的にして
色鮮やかにゑどりたる杙に結びつけ射止めたり。

われいかでかかる船員に心残あらむ、
ゆけ、フラマンの小麦船、イギリスの綿船よ、
かの乗組の去りしより騒擾はたと止みければ、
大河はわれを思ひのままに下り行かしむ。

荒潮の哮(たけ)りどよめく波にゆられて、
冬さながらの吾心、幼児の脛よりなほ鈍く、
水のまにまに漾へば、陸を離れし半島も
かかる劇しき混沌も擾れしこと無かりけむ。

颶風はここにわが漂浪の目醒に祝別す、
身はコルクの栓よりも軽く波に跳りて、
永久にその牲(にへ)を転ばすといふ海の上に
うきねの十日、燈台の空(うつ)けたる眼は顧みず。

酸き林檎の果を小児等の吸ふよりも柔かく、
さみどりの水はわが松板の船に浸み透りて、
青みたる葡萄酒のしみを、吐瀉物のいろいろを
わが身より洗ひ、舵もうせぬ、錨もうせぬ。

これよりぞわれは星をちりばめ乳色にひたる
おほわたつみのうたに浴しつつ、
緑のそらいろを貪りゆけば、其吃水(みづぎは)蒼ぐもる
物思はしげなる水死者の愁然として下り行く。

また忽然として青梅の色をかき乱し、
日のきらめきの其下に、もの狂ほしくはたゆるく、
つよき酒精にいやまさり、大きさ琴に歌ひえぬ
愛執のいと苦き朱(あか)みぞわきいづる。

われは知る、霹靂に砕くる天を、龍巻を、
寄波(よせなみ)を、潮ざゐを、また夕ぐれを知るなり、
白鳩のむれ立つ如き曙の色も知るなり、
人のえ知らぬ不思議をも偶(たま)には見たり。

神秘のおそれみにくもる入日のかげ、
紫色の凝結にたなびきてかがよふも見たり。
古代の劇の俳優(わぎをぎ)が並んで進む姿なる
波のうねりの一列がをちにひれふるかしこさよ。

夜天の色の深(こ)みどりはましろの雪のまばゆくて
静かに流れ、眼にのぼるくちづけをさへゆめみたり。
世にためしなき霊波は大地にめぐりただよひて
歌ふが如き不知火の青に黄いろにめざむるを。

幾月もいくつきもヒステリの牛小舎に似たる
怒濤が暗礁に突撃するを見たり、
おろかや波はマリアのまばゆきみあしの
いきだはしき大洋の口を篏し得ると知らずや。
(「新編中原中也全集第3巻翻訳解題篇」より)

※ここまでが25連ある作品の、詩人が筆写した11連までです。

この筆写は、
(人々は空を仰いだ)が書かれたページの
前の4ページにわたって記されています。

 *
 (人々は空を仰いだ)

人々は空を仰いだ
塀が長く続いてたために

天は明るい
電車が早く通つてつたために

――おお、何といふ悲劇の
因子に充ち満ちてゐることよ

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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