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カテゴリー「114戦後詩の海へ/茨木のり子の案内で/石垣りん」の記事

2015年3月20日 (金)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・石垣りん「幻の花」

(前回からつづく)

 

「詩のこころを読む」で

茨木のり子は石垣りん(1920年~2004年)の詩3作を紹介しています。

 

「峠」の章では「その夜」につづいて「くらし」を

最終章「別れ」で「幻の花」を読むのですが

「くらし」と「幻の花」は「表札など」という詩集に収められているもので

「その夜」より後の作品になります。

 

「その夜」が収められている「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」は

1959年発行の第1詩集で

「表札など」は1968年発行の第2詩集です。

 

 

茨木のり子の「その夜」の読みに

読者を心服(しんぷく)させるものがあるのは

ああ疲れた

ほんとうに疲れた

――などというつぶやきのような言葉が

どうして詩語になるのだろうか、と

おそらくプロの詩人として

真剣にその答えを見つけようとしてきた長い時間を経たからでしょう。

 

実作者ならではの眼差しが

「その夜」を案内する記述の中に

滲(にじ)んでいます。

 

そのうえ、

「ああ疲れた」などという言葉がめったに使われることがないのは

一種の見栄(みえ)のせいでしょうか

――とコメントを漏らすところに

独特の突っ張りみたいなものがあり

それは勇ましさと言ってもよい詩人の稟質(ひんしつ)なのでしょう。

 

 

「その夜」という詩が放つ輝きと

それを読むもう一人の詩人の感受性が

火花を散らしているような衝撃。

 

石垣りんという詩人が

名残り惜しくなってきて

もっともっと読んでおきたいという気持ちを抑えられません。

 

 

幻の花

 

庭に

今年の菊が咲いた。

 

子供のとき、

季節は目の前に、

ひとつしか展開しなかった。

 

今は見える

去年の菊。

おととしの菊。

十年前の菊。

 

遠くから

まぼろしの花たちがあらわれ

今年の花を

連れ去ろうとしているのが見える。

ああこの菊も!

 

そうして別れる

私もまた何かの手にひかれて。

 

 

この詩も

庭に咲いた菊の花を見るだけのことを歌ったものです。

 

なぜそれが詩になるのでしょうか?

――という眼差しでいつしか詩に向かうことになります。

 

そこのところを茨木のり子は

どのように読んでいるでしょうか。

 

 

最終連2行へ。

 

この詩が流れていく「飛躍」に

その秘密はあるようです。

 

飛躍でありながら

ちっとも飛躍と感じさせない言葉の流れについて

縷々(るる)、詩人の言葉が述べられています。

 

 

今回はここまで。

 

2015年3月17日 (火)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・石垣りん「その夜」その2

(前回からつづく)

 

「その夜」を読んだとき、ああお見舞いに行きたかったと、痛切におもいました。

――と、

茨木のり子は石垣りんの詩「その夜」を読んだ時のことを記しています。

 

これが第一声です。

 

 

そう記した理由を、

 

貧しければ親族にも甘えかねた

さみしい心が解けてゆく

――という第2連を引いて、

 

ここがぐっときて、胸が痛くなりました。

――と茨木はつづけています。

 

 

胸にぐっときたその後で

詩の作者をお見舞いしたかった、という気持ちを述べたのです。

 

「その夜」が作られたのは

詩人が回復してからのことでしたし

面識もなく病気入院中であることを知る由もなかったのですから

お見舞いする可能性はなかったこともつけ加えて

そう思ったことを一番にコメントしたのです。

 

 

ある一つの詩を読んで

このように思えるのが

詩を読むことなのではないかと感心して

「詩のこころを読む」の世界にはまります。

 

「その夜」を読むヒントを

このようにして

茨木のり子は教えてくれるのですし

「その夜」という詩がグンと近づいてきます。

 

 

このように思うことができれば

詩を読むことができたということにほかならず

それがそう容易ではないところに

詩がある、詩は存在すると思えてなりませんから

どのようにすればこのように思うことができるのか

感心するばかりです。

 

 

のほほんと育ってしまった、うどの大木の私にも、まちがいなく入ってきた何かで、それまでにもたくさん読んできたはずなのに、これが石垣りんの詩との、最初の出逢いでした。

 

 

茨木は、そう思ったいきさつについて

このようにコメントを続けます。
 

茨木にしても

詩と出逢うには時間が必要だったのです。
 

そして、詩との出逢いは

(偶然中の偶然であるような、必然中の必然であるような)

不思議な「えにし(縁)」によってもたらされるものであり

そのことは愛読書ができたり友人ができたりするのと同じようなものと述べるのです。

 

 

ありきたりのようなことのようですが

なかなかこうズバリと「御縁=ごえん」という人はいません。

 

 

好きになっちゃったり

思想的に共感しちゃったり

何かひっかかるものがあったり

面白いと思ったり

……

 

人はいつしか

ある詩(人)と出会うということがあるものですが

それを「縁=えにし」といい「ごえん」というところが

茨木のり子です。

 

 

「その夜」についての茨木のり子の鑑賞はまだまだ続き

石垣りんの生涯を簡単に紹介する中で

また詩にもどって、

 

ああ疲れた

ほんとうに疲れた

 

――の2行を引いてのコメントは

これほど真芯(ましん)を捉えた読みを他に想像できないほどに決まっています。

 

そのことをほかの言葉で伝える(パラフレーズする)ことはできません。

 

 

実に素直に、ふだん言うように投げ出されていて、かえってハッとさせられます。

一種の見栄(みえ)のせいでしょうか、

詩の中に「ああ疲れた ほんとうに疲れた」というような言葉が出てくることはめったになく、

破格といっていいほど大胆な使いかたです。

 

――と、やや長めに第2声を発します。

 

 

このように読むには

「縁」と呼べるような不思議な「おつきあい」を

詩(人)との間に必要とすることでしょう。

 

1行を書くために

詩人が費やす膨大な時間と労力は

想像する以外に知りようがありません。

 

詩人はほかの詩人の苦闘について

想像を絶する想像をすることでしょう。

 

 

小学生のころから詩作をはじめ

こつこつと作りつづけて

40代になって作った詩の一つが「その夜」ということです。

 

この頃、一斉に花を咲かせたように

詩人・石垣りんの詩は

もう一人の詩人に

ほれぼれするくらいの見事さでした。

――と言わせるのです。

 

 

今回はここまで。

 

もう一度、じっくり「その夜」を

味わいましょう。

 

 

その夜

 

女ひとり

働いて四十に近い声をきけば

私を横に寝かせて起こさない

重い病気が恋人のようだ。

 

どんなにうめこうと

心を痛めるしたしい人もここにはいない

三等病室のすみのベッドで

貧しければ親族にも甘えかねた

さみしい心が解けてゆく、

 

あしたは背骨を手術される

そのとき私はやさしく、病気に向かっていう

死んでもいいのよ

 

ねむれない夜の苦しみも

このさき生きてゆくそれにくらべたら

どうして大きいと言えよう

ああ疲れた

ほんとうに疲れた

 

シーツが

黙って差し出す白い手の中で

いたい、いたい、とたわむれている

にぎやかな夜は

まるで私ひとりの祝祭日だ。

 

              ――詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」

(「詩のこころを読む」からの孫引きです。編者。)
 

 

2015年3月16日 (月)

茨木のり子「詩のこころを読む」を読む・石垣りん「その夜」

(前回からつづく)

 

茨木のり子の「ですます調」の著作には

「うたの心に生きた人々」(1967年)のほかに

「詩のこころを読む」(1979年)があり

こちらは日本の戦後詩人を中心に

戦前の詩や外国の詩人も2、3取りあげ

茨木のり子の「好きな詩コレクション」の形の作品鑑賞となっています。

 

これから現代詩を読もうとする人々への 

絶好の入門書になっていて

わかり易く深いという点で

類書の中でもひときわ高く聳え立っています。

 

詩史や詩論(史)や詩人論が

ひたすら難解な方向へ向かってとどまるところのない趨勢の外で

茨木のこの書は

詩と出会った感動をそのまま伝えようとする情熱を失わずに

それでも「むずかしさ」ということを恐れずに書かれました。

(「はじめに」より。)

 

 

「もくじ」で数えると

ざっと30人近くの詩人を取り上げて

時には一人の詩人のほかの詩を異なる章で取り上げもして

茨木のり子の好きな詩の魅力が思う存分語られます。

 

たとえば目次は、

 

生まれて

恋唄

生きるじたばた

別れ

 

――という内訳になっていますが

「峠」とは何だろうと

そのページをめくれば、

 

岸田衿子

安西均

吉野弘

石垣りん

永瀬清子

河上肇

――の順に

「峠」に差し掛かった詩人の作品が味わわれます。

 

「峠」については

汗をながしながらのぼってきて、うしろを振りかえると、過ぎこしかたが一望のもとにみえ、これから下ってゆく道もくっきり見える地点。荷物をおろし、つかのま、どんな人も帽子をぬぎ顔などふいて一息いれるところ。年でいうと、40代、50代にあたるでしょうか。峠といっても、たった一つというわけではなく、人によっては三つも四つも越えてゆきます。

――と書かれていて

円熟期を指すことがわかります。

 

石垣りんは

「その夜」が紹介されます。

 

 

その夜

 

女ひとり

働いて四十に近い声をきけば

私を横に寝かせて起こさない

重い病気が恋人のようだ。

 

どんなにうめこうと

心を痛めるしたしい人もここにはいない

三等病室のすみのベッドで

貧しければ親族にも甘えかねた

さみしい心が解けてゆく、

 

あしたは背骨を手術される

そのとき私はやさしく、病気に向かっていう

死んでもいいのよ

 

ねむれない夜の苦しみも

このさき生きてゆくそれにくらべたら

どうして大きいと言えよう

ああ疲れた

ほんとうに疲れた

 

シーツが

黙って差し出す白い手の中で

いたい、いたい、とたわむれている

にぎやかな夜は

まるで私ひとりの祝祭日だ。

 

              ――詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」

 

 

さらっと読み流してしまいそうな詩ですが

茨木のり子がこの詩を読む読み方は

それ自体が茨木のり子にしかできない読み方であり

あっと思うような感激が

じわじわとこみ上げてくるような詩であることを気づかせてくれます。

 

そのような詩の読み方は

容易にはできないことを気づく経験となります。

 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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