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カテゴリー「中原中也/「白痴群」のころ」の記事

2013年10月30日 (水)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩17「時こそ今は……」その2

(前回からつづく)

花は香炉に打薫じ、とは
花が香りの炉の中でくゆりはじめる、という意味のようで
ボードレールの「悪の華」にある「Harmonie du Soir」を
上田敏が「薄暮(くれがた)の曲」として訳出したものから採りました。

中也は
エピグラフにも
詩の本文にも
「時こそ今は花は香炉に打薫じ、」と手を加え
自作詩に摂取しました。

上田敏の翻訳は第1連

時こそ今は水枝さす、こぬれに花の顫えるころ、
花は薫じて追風に、不断の香の爐に似たり。
――というはじまりで
この第2行を第2連でもリフレインしています。
(山内義雄・矢野峰人編「上田敏全訳詩集」より)

時こそ今は……
 
         時こそ今は花は香炉に打薫じ
                 ボードレール

時こそ今は花は香炉に打薫じ、
そこはかとないけはいです。
しおだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。

いかに泰子、いまこそは
しずかに一緒に、おりましょう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情け、みちてます。

いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青(ぐんじょう)の
空もしずかに流るころ。

いかに泰子、いまこそは
おまえの髪毛(かみげ)なよぶころ
花は香炉に打薫じ、

花は香炉に打薫じ、
――と中也がしたのは
原典を生かしつつ新たに歌うという
和歌の「本歌取り」の作法に拠っていますが
見事にくっきりと翻訳原詩およびボードレールの原作のこころをつかんで
いっそう生々しく歌い直しました。

してやったり、と詩人が思っていたことが
想像できます。
詩語がきりっと立っています。

この詩を作ったころ
詩人と「泰子」との距離は縮まっていたかもしれないと見るのは
大岡昇平の「伝記」だけではありません。

「新編中原中也全集」は泰子の証言を
泰子へのインタビューをまとめた村上護「ゆきてかへらぬ」からひろっていますから
それをここで案内しておきます。

中原と私は相変わらずで、喧嘩ばかりしておりました。中原は西荻から東中野へ一番電車でやってきて、二階に間借りしている私を道路からオーイと呼んで、起こすこともありました。私が顔を出すと、夢見が悪かったから気になって来てみたのだが、元気ならいい、などといったこともありました。そんな中原をうっとうしいと思い、私はピシャリと窓を閉めたこともありました。だけど、私の態度も中原に対して煮え切らない面があって、喧嘩しながらも決して中原から離れていこうなどと考えたことありません。

言うまでもなく
これは詩の外の現実です。

詩の現在は詩の中にありますから
「恋心」のこの幸福な「時の時」を
たとえそれがこの詩を読んでいる時間の中だけに
感じられることであっても
感じることができれば
この詩を読んだことになります。

大岡昇平は
「幸福はなかったに違いないが、とにかく中原が一時でもこういう詩を書く気分になったことを、私は喜びたい」
――と記しています。

詩から離れて
冷静にこの詩を読むことができるのも
いったんはこの詩の幸福な「時の時」を感じた後でのことでしょう。

大岡が「伝記」を書いた時
すべては「過去」でした。

恋は「失われた恋」でした。

今回はここまで。

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2013年10月28日 (月)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩17「時こそ今は……」

(前回からつづく)

詩を読むために
ヒントとして詩の背景とか
詩が作られた状況とか
詩人の置かれていた環境とか
……を知っておいたほうがよいということはあるにしても
知らなければならないというものではなく
知っていることが時には
詩を読む妨げにさえなることがあるのなら
知らないほうがマシです。

といったところで
「時こそ今は……」には
固有名詞として「泰子」が現われます。

ああだこうだと
女性の実際上のモデルを詮索(せんさく)する必要もなく
「長谷川泰子」その人が「泰子」として
詩に現われるのです。

時こそ今は……
 
         時こそ今は花は香炉に打薫じ
                 ボードレール

時こそ今は花は香炉に打薫じ、
そこはかとないけはいです。
しおだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。

いかに泰子、いまこそは
しずかに一緒に、おりましょう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情け、みちてます。

いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青(ぐんじょう)の
空もしずかに流るころ。

いかに泰子、いまこそは
おまえの髪毛(かみげ)なよぶころ
花は香炉に打薫じ、

「しおだる」は
濡れて垂(た)れ下がる、
「なよぶ」は
なよなよとしてやわらかい、という意味です。

どちらも
中也の造語でしょう。

夕闇せまる頃に
花は開ききって絶頂を過ぎようとする瞬間
芳香を放ちはじめますが
何もかもがそこはかとなく
あたりは静もっています。

花は潮垂れ
暗河(くらごう)の水の音や
家路を急ぐ人々の立ち居ふるまいまでもがそこはかとない……。

第1連だけが「描写」の連で
第2連から4連までは
冒頭行を「いかに泰子、いまこそは」と呼びかけではじめる作りになっています。

第2連
しずかに一緒に、おりましょう。
第4連
おまえの髪毛(かみげ)なよぶころ
――と、
泰子がごく近くにいることがわかる詩でもあります。

詩は「時こそ今は花は香炉に打薫じ」る
「幸福」の瞬間を歌っています。

詩の中に過去形もありませんし
歌っているのは「時こそ今」です。
現在です。

とろけるような恋ではないにしても
「失われた恋」ではありません。

今回はここまで。

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2013年10月27日 (日)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩16「妹よ」その2

(前回からつづく)

恋の相手に
兄が妹を思う愛情が混ざっていて
恋人への愛情と妹への愛情との境界など見えないので
はっきり区別できないというようなことはありますし
二つの気持ちがかぶさっている領域があるかもしれないし……

恋人に「妹よ」と
感嘆の気持ちを抱いて呼びかけても
おかしいことではありません。

元始、「いも」は
「妻」であり「恋人」であり「姉妹」でした。

恋も色々な貌(かお)を持ちます。
色々な形があって当たり前です。

妹 よ

夜、うつくしい魂は涕(な)いて、
  ――かの女こそ正当(あたりき)なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
  もう死んだっていいよう……というのであった。

湿った野原の黒い土、短い草の上を
  夜風は吹いて、 
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
  うつくしい魂は涕くのであった。

夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
  ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……

そもそもこの詩には、

湿った野原の黒い土
短い草
夜風が吹いている

――という「舞台装置(背景)」が歌われているだけです。

ほかには、
「死んだっていいよう」と泣く女性らしき人
わたくし

――だけが現われますが
この女性は
ここにいるのかが判然とはしないで
風の中から声が聞えてきます。

やがて、ここに女性の存在はなく
風そのものの声のようなことがわかってきます。

いつかそう言うのを聞いたことがあるか
いまそう言うのが聞えているのか
女性の姿はなく
声だけが風の中から聞えているのです。

風が声になっているのです。

どのような理由があって
「死んでもいい」「よう」というのか。
なんの手掛かりはありません。

「よう」という「終助詞」だけが
女性の正体の片鱗を見せます。

「う」があることによって
幼児(年下)が使った言葉であることがわかります。

「妹よ」でなければならなかった
タイトルの由来がここにあります。

「妹」のような女性
「妹」のような恋人
――というほどの存在を想像するだけが
この詩を味わうのに必要であり
それで十分です。

今回はここまで。

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2013年10月25日 (金)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩16「妹よ」

(前回からつづく)

「みちこ」が歌っている女性は
大岡昇平によると
長谷川泰子ではなく
谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」のモデルとされる葉山三千子との記述がありますが
現実の女性がだれそれと特定することに
過度に集中してはいけません。

現実の女性が問題なのではなく
詩が表現(実現)した女性のリアリティーが
詩の命のはずですから
詩の「外部(背景)」をこの命の上位に置くことは邪道です。

「みちこ」という詩は
「みちこ」という詩で完結しています。
「みちこ」以外から読むことは避けたほうがベターです。

「みちこ」は
みちこという女性の美しさを
歌い上げていて完璧であるところで
詩の目的(存在価値)を達成しています。

「臨終」や「盲目の秋」についても
同じことが言えますし
「妹よ」も「時こそ今は……」についても
同じことが言えます。

「妹よ」という詩を読むには
モデルを想定することの無意味さが
はっきりとしてくることでしょう。

妹 よ

夜、うつくしい魂は涕(な)いて、
  ――かの女こそ正当(あたりき)なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
  もう死んだっていいよう……というのであった。

湿った野原の黒い土、短い草の上を
  夜風は吹いて、 
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
  うつくしい魂は涕くのであった。

夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
  ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……

中原中也には妹はいません。
みんな男の兄弟です。
なのに「妹」とはどういうことでしょうか?

この詩を読むために
「妹」を探したってムダですが
なぜ「妹」なのかを問うことは
詩を味わうことの醍醐味(だいごみ)に通じています。
だから面白いのです。

今回はここまで。

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2013年10月24日 (木)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩15「みちこ」その2

(前回からつづく)

みちこ

そなたの胸は海のよう
おおらかにこそうちあぐる。
はるかなる空、あおき浪、
涼しかぜさえ吹きそいて
松の梢をわたりつつ
磯白々とつづきけり。

またなが目にはかの空の
いやはてまでもうつしいて
竝(なら)びくるなみ、渚(なぎさ)なみ、
いとすみやかにうつろいぬ。
みるとしもなく、ま帆片帆
沖ゆく舟にみとれたる。

またその顙(ぬか)のうつくしさ
ふと物音におどろきて
午睡(ごすい)の夢をさまされし
牡牛(おうし)のごとも、あどけなく
かろやかにまたしとやかに
もたげられ、さてうち俯(ふ)しぬ。

しどけなき、なれが頸(うなじ)は虹にして
ちからなき、嬰児(みどりご)ごとき腕(かいな)して
絃(いと)うたあわせはやきふし、なれの踊れば、
海原はなみだぐましき金(きん)にして夕陽をたたえ
沖つ瀬は、いよとおく、かしこしずかにうるおえる
空になん、汝(な)の息絶ゆるとわれはながめぬ。

「みちこ」ははじめ
「白痴群」第5号(昭和5年1月1日発行)に
「修羅街輓歌」
「暗い天候三つ」
「嘘つきに」
――とともに発表されました。

「白痴群」誌上で「みちこ」を歌ったことは
「詩友」である泰子が「白痴群」に寄稿しているのを思えば驚きですが
「山羊の歌」では
「みちこ」の章を置いた上で
「みちこ」を
「汚れっちまった悲しみに……」
「無題」
「更くる夜」
「つみびとの歌」
――とともに配置するのですから
「山羊の歌」編集の時点では
泰子はより「客観化」されたといえるでしょう。

泰子を「一人の女性」として位置づけ
距離が置かれた印象です。

「山羊の歌」には
泰子らしき女性をモデルにした恋歌が
多様な「フォルム」の詩になって散りばめられているのですが
「みちこ」のように
泰子ではなさそうな女性がたまに登場し
「恋愛詩」の多面体に花を添えるのです。

胸(むね)
目(め)
額(ひたい)
項(くびすじ)
腕(かいな)
……

「みちこ」は
女性の肉体の一つひとつを
これでもかこれでもかと賛美しますが
いっこうにエロチックではありません。

よく読むと
胸を賛美して海
目を賛美して空
額を賛美して牡牛
……と女性を自然になぞらえて賛美していて
それが「擬自然法」という「技」であることに気づかされます。

詩人が意識していたかは分かりませんが

象潟や雨に西施が合歓の花
(きさがたや あめにせいしが ねぶのはな)

松尾芭蕉の名句で使われている
古典的詩法です。

大岡昇平は「みちこ」を
ボードレール風の感傷的淫蕩詩と評していますが(「朝の歌」中の「片恋」)
感傷的なところなど見当たらず
「みちこ」を淫蕩詩と呼ぶには
透明過ぎる気がします。

中原中也の肉体賛美は
自ずと精神の賛美で
倫理的なるものや
思想的なるものを
賛美したものではありません。

失われてしまった恋であるゆえにか
遠い日の恋であるゆえにか
人間くささがないのは
この「擬自然法」が利いているからでしょう。

今回はここまで。

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2013年10月23日 (水)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩15「みちこ」

(前回からつづく)

「夏は青い空に……」や
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」や
「身過ぎ」は
昭和4年(1929年)6月に作られた(推定)のですが
この年の終わり頃に
妖艶な女体美を歌った「みちこ」が作られ
昭和5年1月1日付け発行の「白痴群」第5号に発表されます。

この「白痴群」には
「修羅街輓歌」
「暗い天候三つ」
「みちこ」
「嘘つきに」の4篇が発表されますが

「山羊の歌」では
「少年時」の章の次の章に
「みちこ」の章が設けられ
「みちこ」
「汚れっちまった悲しみに……」
「無題」
「更くる夜」
「つみびとの歌」
――の5篇が配置されるのですから
眩暈(めまい)を覚えるほどの多彩な展開です。
クラクラしてしまいます。

これらすべてが
「恋愛詩」と呼んで差し支えない詩ですから
中原中也の恋愛詩は
恋愛詩に限りませんが
一本調子のものではなく
まことに「多面体」です。

みちこ

そなたの胸は海のよう
おおらかにこそうちあぐる。
はるかなる空、あおき浪、
涼しかぜさえ吹きそいて
松の梢(こずえ)をわたりつつ
磯白々(しらじら)とつづきけり。

またなが目にはかの空の
いやはてまでもうつしいて
竝(なら)びくるなみ、渚なみ、
いとすみやかにうつろいぬ。
みるとしもなく、ま帆片帆(ほかたほ)
沖ゆく舟にみとれたる。

またその顙(ぬか)のうつくしさ
ふと物音におどろきて
午睡(ごすい)の夢をさまされし
牡牛(おうし)のごとも、あどけなく
かろやかにまたしとやかに
もたげられ、さてうち俯(ふ)しぬ。

しどけなき、なれが頸(うなじ)は虹にして
ちからなき、嬰児(みどりご)ごとき腕(かいな)して
絃(いと)うたあわせはやきふし、なれの踊れば、
海原(うなばら)はなみだぐましき金にして夕陽をたたえ
沖つ瀬は、いよとおく、かしこしずかにうるおえる
空になん、汝(な)の息絶(た)ゆるとわれはながめぬ。

あなたの胸は海のよう
大きく大きく寄せ上がる。
遥かな空、青い波
涼しい風もが吹き添って
磯が白々と続いている。

あなたの目にはあの空の
果ての果てまでをも映し
次々に並んでやって来るなぎさ波が
とても速く移ろっていくみたい。

あなたの目は
見るともなしに、真帆方帆。
沖行く舟に見とれてる。

またその額の美しいこと!
物音に驚いて
昼寝から目覚めた牡牛のように
あどけなく
軽やかでしとやかに
頭をもたげたかと見る間に
打ち臥してまたまどろむ。

しどけない、あなたの首筋は虹
力ない、赤ん坊のような腕で
糸・唄・合わせ・速き・節。

歌曲の速いフレーズに乗って
あなたが踊ると
海原は涙ぐんで金色の夕日をたたえ
沖の瀬は、いよいよ遠く
向こうの方に静かに潤っている
空に、あなたの息が絶えようとする
その瞬間を
僕は見た。

ああ、みちこ
きれいだ。
――と末尾にあっては蛇足でしょうか。

今回はここまで。

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2013年10月22日 (火)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩14「身過ぎ」

(前回からつづく)

「夏は青い空に……」と
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」の2篇は
昭和4年6月27日付けの河上徹太郎宛書簡に同封されていました。

この2篇と「河上に呈する詩論」と
筆記具、文字の大きさ、筆跡、インクが同じなのが
「身過ぎ」という作品です。
「ノート小年時」に清書されてあります。

身過ぎ
 
面白半分や、企略(たくらみ)で、
世の中は瀬戸物(せともの)の音をたてては喜ぶ。
躁(はしゃ)ぎすぎたり、悄気(しょげ)すぎたり、
さても世の中は骨の折れることだ。

誰も彼もが不幸で、
ただ澄ましているのと騒いでいるのとの違いだ。
その辛さ加減はおんなしで、
羨(うらや)みあうがものはないのだ。

さてそこで私は瞑想や籠居(ろうきょ)や信義を発明したが、
瞑想はいつでも続いているものではなし、
籠居は空っぽだし、私は信義するのだが
相手の方が不信義で、やっぱりそれも駄目なんだ。

かくて無抵抗となり、ただ真実を愛し、
浮世のことを恐れなければよいのだが、
あだな女をまだ忘れ得ず、えェいっそ死のうかなぞと
思ったりする――それもふざけだ。辛い辛い。
 

「身過ぎ」の制作が
昭和4年(1929年)6月ということは
昭和4年7月1日付け発行の「白痴群」第2号が出る直前の制作ということになります。

「白痴群」第2号には
「或る秋の日」(「山羊の歌」では「秋の一日」に改題)
「深夜の思ひ」
「ためいき」
「凄じき黄昏」
「夕照」の5篇が発表されました。

最終連に現われる「あだな女」は泰子のことで
「まだ忘れられない」のですが
「えェいっそ死のうかなぞと思ったりする」などとくだけた調子で本音(?)を漏らし
すぐに「それもふざけだ。辛い辛い。」と本当の本音(?)を表出するので
いったい本気はどうなんだと疑いたくなる終わり方です。

ふざけた調子は
もちろん意図したものです。
詩にしたからには
ふざけた調子に「本気」が隠されていると読んで間違いないでしょうが……。

「女よ」
「かの女」
「無題」
「寒い夜の自我像」
「追懐」
「盲目の秋」
「木蔭」
「夏」
「失せし希望」
「老いたる者をして」(「空しき秋」)
「雪の宵」
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」
「夏は青い空に……」
「汚れっちまった悲しみに……」
「生い立ちの歌」
「冷酷の歌」
……

色々な「角度」から「恋」を歌うというところに
「現実の恋」は距離感をもって眺められ
「詩の素材」となりつつあるような流れが見えてきます。

今回はここまで。

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2013年10月21日 (月)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩13「夏は青い空に……」その3

(前回からつづく)

「夏は青い空に……」は
昭和4年(1929年)6月27日付け河上徹太郎宛の手紙に付されていたと
河上自身が昭和13年に「文学界」誌上で発表しています。

「中原中也の手紙」の題で発表された河上の評論は
「夏は青い空に……」のほかに
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」も入っていたとも記述しています。

この手紙に中原中也は
「河上に呈する詩論」のタイトルを付けていました。

「ああ、神様」と歌ったのと同じ時に
詩人がほかの詩で歌っていたのは
「倦怠」でした。

倦 怠
 
倦怠の谷間に落つる
この真っ白い光は、
私の心を悲しませ、
私の心を苦しくする。

真っ白い光は、沢山の
倦怠の呟(つぶや)きを掻消(かきけ)してしまい、
倦怠は、やがて憎怨となる
かの無言なる惨(いた)ましき憎怨……

忽(たちま)ちにそれは心を石となし
人はただ寝転ぶより仕方がないのだ
と同時に、果されずに過ぎる義務の数々を
悔いながら、数えなければならないのだ。

やがて世の中が偶然ばかりで出来てるようにみえてきて、
人はただ絶えず慄(ふる)える、木の葉のように、
午睡から覚めたばかりのように、
呆然(ぼうぜん)たる意識の中に、眼(まなこ)光らし死んでゆくのだ。

「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」は
後に「四季」の昭和10年7月号にも発表されました。
ここに掲出したのは
「ノート小年時」に清書された第1次形態です。

ああ、神様、これがすべてでございます、
 尽すなく尽さるるなく、
心のままにうたえる心こそ
 これがすべてでございます!
――と告白する詩を歌っている一方で
「倦怠=けだい」を歌っている理由が見えるでしょうか?

ここには
中原中也の詩作りの秘密が明かされています。
倦怠は「アンニュイ」であるばかりではなく
詩人の詩の生成をうながす触媒(しょくばい)のようなもので
「けだい」でなければなりません。

同じ頃に
「汚れっちまった悲しみに……」が歌われており
「倦怠(けだい)のうちに死を夢む」とあるのに
一直線に繋(つな)がっています。

京都のダダイストの時代から
詩人はすでに
倦怠を歌っています。

今回はここまで。

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2013年10月20日 (日)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩13「夏は青い空に……」その2

(前回からつづく)

「夏は青い空に……」の前後の作品で
神に直接、
祈り告白し訴え哀願し呼びかける詩句のある詩を拾ってみましょう。

発表詩篇では
「山羊の歌」に「生い立ちの歌」
未発表詩篇では
「ノート小年時」に
「寒い夜の自我像」
「冷酷の歌」
「夏は青い空に……」
――が見つかります。

「生い立ちの歌」では

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ながいき)したいと祈りました

――というように
直接訴えたといっても「過去形」で「説明的」ですが

「寒い夜の自我像」では

神よ私をお憐れみ下さい!
この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。
ああ神よ、私が先(ま)ず、自分自身であれるよう
日光と仕事とをお与え下さい!

――と神へ訴える言葉そのものが「詩の言葉(詩語)」となり

「冷酷の歌」では

ああ、神よ、罪とは冷酷のことでございました。

――と哀願するようであり共感を求めるようであり

「夏は青い空に……」では

ああ、神様、これがすべてでございます、
 尽すなく尽さるるなく、
心のままにうたえる心こそ
 これがすべてでございます!

――と全てをさらけ出す告白になります。

その都度、変化しています。

これを
「神」へより接近していくとか
「神の国」へ近づいたと読まないほうがベターでしょう。

あくまでも
「詩のために」神を登場させたと読んだほうが
詩に近づくことができるはずです。

中原中也が河上徹太郎に宛てた
昭和4年6月27日付けの手紙には
「河上に呈する詩論」という詩論が同封されていましたが
この詩論で
詩人自身が「詩と神」について言及しています。

全文を読んでおきましょう。

34 6月27日 河上徹太郎宛

  河上に呈する詩論
 
 幼時来、深く感じていたもの、――それを現わそうとしてあまりに散文的になるのを悲しんでいたものが、今日、歌となって実現する。

 元来、言葉は説明するためのものなのを、それをそのままうたうに用うるということは、非常に難事であって、その間の理論づけは可能でない。
 大抵の詩人は、物語にいくか感覚に堕する。

 短歌が、ただ擦過するだけの謂わば哀感しか持たないのはそれを作す人に、ハーモニーがないからだ。彼は空間的、人事的である。短歌詩人は、せいぜい汎神論にまでしか行き得ない。人間のあの、最後の円転性、個にして全てなる無意識に持続する欣怡(きんい)の情が彼にはあり得ぬ。彼を、私は今、「自然詩人」と呼ぶ。

 真の「人間詩人」ベルレーヌの如きと、自然詩人の間には無限の段階がある。それを私は仮りに多くの詩人と呼ぼう。

 「多くの詩人」が他の二種の詩人と異るのは、彼等にはディストリビッションが詩の中枢をなすということである。
 彼等は、認識能力或は意識によって、己が受働する感興を翻訳する。この時「自然詩人」は感興の対象なる事象物象をセンチメンタルに、書き付ける。又此の時「人間詩人」は、――否、彼は常に概念を俟たざる自覚の裡に呼吸せる「彼自身」なのである。

    ――――――――――――――

 5年来、僕は恐怖のために一種の半意識家にされたる無意識家であった。――暫く天を忘れていた、という気がする。然し今日古ぼけた軒廂(ひさし)が退く。

 どうかよく、僕の詩を観賞してみてくれたまえ。そこには穏やかな味と、やさしいリリシスムがあるだろう。そこに利害に汚されなかった、自由を知ってる魂があるだろう。そして僕は云うことが出来る。

 芸術とは、自然の模倣ではない、神の模倣である!(なんとなら、神は理論を持ってはしなかったからである。而も猶動物ではなかったからである。)

   1929年6月27日                      Glorieux 中也

※「新編中原中也全集」第5巻「日記・書簡」より。読み易くするために「行アキ」を加え、「新かな」「洋数字」に改めたほか、一部に傍点があるのを省略しました。編者。

中原中也には
「神」や「神様」も
詩の言葉です。

今回はここまで。

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2013年10月19日 (土)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩13「夏は青い空に……」

(前回からつづく)

「夏は青い空に……」が
昭和4年6月の制作とされるのは
中原中也が河上徹太郎に宛てた同年6月27日付けの手紙に
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」や
「河上に呈する詩論」とともに同封されていたことからの推定です。

この詩も元は「ノート小年時」に清書されていたものですが
河上に送った時に
もう1度清書していますから
「ノート小年時」のものとの間に若干の異同があるのは自然でしょう。

発表にあたって
現在の眼で過去に作った詩に手を入れるのは
詩人の常でした。

昭和4年6月という「季節」
中也は「白痴群」に力を注いでいました。

この年のはじめ、渋谷・神山町に引っ越したのは
「白痴群」同人の阿部六郎や大岡昇平の住まいが近くにあったからでした。

4月中旬、渋谷百軒店で飲酒した帰途
民家の軒灯のガラスを割り
渋谷警察署へ15日間留置されるという事件を味わったのも
「白痴群」時代の「元気さ」の反映といえるでしょうか。

この事件の直後
「白痴群」の打ち合わせを兼ねた京都旅行へ出ますが
泰子もこれに同行します。

小林秀雄が泰子から去ったのは
前年、昭和4年5月でしたから
およそ1年が経過しています。

これらの背景が
「夏は青い空に……」の制作にどのように影を落しているか
いないのかなどと追求するのは無理な話ですが
念頭に入れて読んで
詩の読みに過剰な意味づけを課さないかぎり
オーケーでしょう。

この詩の「わが嘆きわが悲しみ」が
これらの事実と無関係ではないかも知れませんし
まったく関係ないかも知れませんし
どちらと決めつけることはできませんが
これらの事実以外に起因しているかもしれないことを想定しながら向き合えば
これもオーケーということになります。

夏は青い空に……
 
夏は青い空に、白い雲を浮ばせ、
 わが嘆(なげ)きをうたう。
わが知らぬ、とおきとおきとおき深みにて
 青空は、白い雲を呼ぶ。

わが嘆きわが悲しみよ、こうべを昂(あ)げよ。
 ――記憶も、去るにあらずや……
湧(わ)き起る歓喜のためには
 人の情けも、小さきものとみゆるにあらずや

ああ、神様、これがすべてでございます、
 尽すなく尽さるるなく、
心のままにうたえる心こそ
 これがすべてでございます!

空のもと林の中に、たゆけくも
 仰(あお)ざまに眼(まなこ)をつむり、
白き雲、汝(な)が胸の上(へ)を流れもゆけば、
 はてもなき平和の、汝がものとなるにあらずや。


青い空
白い雲

……

わずかこれだけの「自然」を引いて
「わが嘆きわが悲しみ」が歌われます。

青い空が
悲しみに転じるために
どのような仕掛けがあるでしょうか。

悲しみが「はてもなき平和」にたどり着くには
どのような仕組みがあるでしょう。

この詩を読む度に
詩の不思議について思わせられますが
「世の中にどうにもならぬことがあるのを知ったのは、泰子を通じてである」(大岡昇平)という見方に立てば
詩に「ああ、神様」とあるような危機が
青い空や白い雲にインスパイヤー(吹き込まれ)されているからかもしれません。

中也の「神頼み」は
半端(はんぱ)じゃありませんでしたから。

心のままにうたえる心=詩が生れる秘密を
このように「神への告白」の中に明かしているのですから。

今回はここまで。

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