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カテゴリー「012中原中也/「山羊の歌」の世界/「少年時」以後」の記事

2014年3月10日 (月)

亡びた過去/「心象」

(前回から続く)

「少年時」という章の最終詩が
「心象」です。

これも「白痴群」(第4号、昭和4年11月1日発行)に発表後
「山羊の歌」に配置されました。

「失せし希望」「夏」と配置された後での「心象」という配置は
タイトルを見ただけでは
連続性(つながりや関連)は見えてきません。

それぞれの詩は独立したものですから
連続性などないのかもしれません。

――とすれば
「少年時」という章を設けた意図が見えなくなります。

「少年時」とくくった意図は
やっぱりありそうです。

心 象

   Ⅰ

松の木に風が吹き、
踏む砂利(じゃり)の音は寂しかった。
暖い風が私の額を洗い
思いははるかに、なつかしかった。

腰をおろすと、
浪(なみ)の音がひときわ聞えた。
星はなく
空は暗い綿(わた)だった。

とおりかかった小舟の中で
船頭(せんどう)がその女房に向って何かを云(い)った。
――その言葉は、聞きとれなかった。

浪の音がひときわきこえた。

   Ⅱ

亡(ほろ)びたる過去のすべてに
涙湧(わ)く。
城の塀乾きたり
風の吹く

草靡く
丘を越え、野を渉(わた)り
憩(いこ)いなき
白き天使のみえ来ずや

あわれわれ死なんと欲(ほっ)す、
あわれわれ生きんと欲す
あわれわれ、亡びたる過去のすべてに

涙湧く。
み空の方より、
風の吹く

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「Ⅱ」に
亡(ほろ)びたる過去のすべてに
――とあり「夏」の「亡骸(なきがら)」と響き合っていることが
すぐに目につくでしょうか。

この行はリフレインされ
「涙湧く」を引き出します。

「城の塀」というのは
「城破れて山河あり」を思わせますが
この詩が向かうのは国の歴史ではなく
「白き天使」です。

泰子のことかもしれません。

「みえ来ずや」の「や」は反語の「や」で
「見えて来るわけがない」の意味でしょう。

見えるわけがないことを
観念しているのです。

涙湧く詩人に吹きつけるのは風。
み空の方向からやってくるのです。

「Ⅱ」が山野を背景とするのに呼応して
「Ⅰ」は海辺の光景です。

松林を抜け
波打ち際の防波堤のようなところに腰を下ろす詩人。

浪の音ばかり
星はなく
空は暗い綿。

そこへ一艘(そう)の小舟が通りかかります。
夫婦が乗っていて
船頭が女房に何かを言ったのですが
聞き取れなかった。

浪の音が高かったからですが……。

聞き取れない理由は
浪の音のせいばかりではなさそうです。

夫婦の何気ない会話のゆるぎなさは
詩人の手の届かぬところのものでした。

Ⅰは口語体、Ⅱは文語体という構成で
Ⅰは海辺、Ⅱは草原を背景にしながらも
心象であることをタイトルにしたのは理由があることでしょう。

「夏」に歌われた「心の歴史」と
「心象(心のかたち)」は同じもののようです。

Ⅰに「空は暗い綿(わた)」とあり
Ⅱに「み空の方より、風の吹く」とある「空」が
「心のかたち」に大きな位置を占めているのでしょう。

今回はここまで。

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2014年3月 8日 (土)

終わった心の歴史/「夏」

(前回から続く)

「血を吐くような」と
いきなり歌い出されて
いったい何が起こったのかと
息を呑んで読み進めれば
その正体は「倦(もの)うさ」とその「たゆけさ」です。

「倦(もの)うさ」と「たゆけさ」が
血を吐くようなグレード(段階)にあるということなのですが。

血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく
血を吐くような倦うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩(まぶ)しく光り
今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る
血を吐くようなせつなさに。

嵐のような心の歴史は
終焉(おわ)ってしまったもののように
そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののように
燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。

私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くようなせつなさかなしさ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「盲目の秋」にもありましたね。
「Ⅲ」に
とにかく私は血を吐いた!……
おまえが情けをうけてくれないので、
とにかく私はまいってしまった……
――というのが。

こちらは
恋心を受け止めてくれないので
参ってしまって血を吐いたというのですからわかりやすいのですが
今度は「倦(もの)うさ」と「たゆけさ」で血を吐くほどであるというのです。

その原因は何なのでしょうか?
その根っこにあるものは何なのでしょうか?

目前にしているのは
畑に陽は照り
麦に陽は照り
空は燃え
畑はつづき
雲浮び
眩(まぶ)しく光り
陽は炎(も)ゆる
地は睡る……光景です。

この光景が
誘発し喚起するのです。

「倦(もの)うさ」と「たゆけさ」を。
血を吐くようなのを。

元を辿(たど)れば
恋の喪失に行き当たるのは間違いありません。

第3連に「嵐のような心の歴史」ともあり
それは終わってしまったもののように
ばしゃーんと扉を閉じてしまって
手繰(たぐ)り解(ほど)くための糸口一つもないかのように
燃える日の彼方に眠ってしまっているのですから。

「心の歴史」に
恋が含まれないわけはありません。

けれど恋以外をも含んでいるかもしれません。
友情とか青春とか情熱とか。

「終焉(おわ)ってしまったもののように」はこれを受けて
「燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る」にかかっていくことにも注意したいところです。

亡骸になって「残る」というのは
「もぬけの殻」の状態ですが
それにもかかわらず(それであるからこそ)
「せつなさかなしさ」でいっぱいで
それが血を吐くように高じているのです。

「夏」は
昭和4年(1929年)9月1日発行の「白痴群」第3号に発表された後
「山羊の歌」に配置されました。

その第1次形態が草稿として「ノート小年時」に残り
末尾に「1929、8、20」の制作日があります。

同じように夏の昼下がりを歌った「少年時」が
昭和7年の「山羊の歌」編集時に作られていますが
それより前の作品になります。

今回はここまで。

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2014年3月 2日 (日)

空の彼方(かなた)に/「失せし希望」

(前回から続く)

「木陰」とタイトルが付けられて
青々とした楡の木立ちになぐさめられることがルフランで歌われれば
「後悔」は退く形です。

木陰の安らぎはしかし
つかの間のことです。

爽やかな夏の昼下がりの光景のようですが
茫然として空を眺めている詩人です。

続いて配置されている「失せし希望」にも
次の「夏」にも
次の「心象」にも空が現れ
「空4部作」を構成します。

あたかも恋(人)に入れ替わるように
「空」が現れます。

失せし希望
 
暗き空へと消え行きぬ
  わが若き日を燃えし希望は。

夏の夜の星の如(ごと)くは今もなお
  遐(とお)きみ空に見え隠る、今もなお。

暗き空へと消えゆきぬ
  わが若き日の夢は希望は。

今はた此処(ここ)に打伏(うちふ)して
  獣(けもの)の如くは、暗き思いす。

そが暗き思いいつの日
  晴れんとの知るよしなくて、

溺れたる夜の海より
  空の月、望むが如し。

その浪(なみ)はあまりに深く
  その月はあまりに清く、

あわれわが若き日を燃えし希望の
  今ははや暗き空へと消え行きぬ。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

恋(人)が暗い空へと消えていったわけでは
もちろんありません。

消えていったのは希望でした。
若き日に詩人の内部で燃えていた希望でした。

恋(人)が失われた時に
希望も失われたのです。

希望もろとも恋(人)は消えていったのです。
恋(人)もろとも希望は消えていったのです。

溺れた夜の海から見上げる「空の月」は
泰子のように見えてきはしませんでしょうか?

今回はここまで。

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2014年3月 1日 (土)

恋の過去/「木蔭」

(前回から続く)

「木蔭」は「夏」とともに
「白痴群」第3号(1929年9月1日発行)に「詩2篇」として発表されました。
その時は「夏」の後に配置されていますが
「山羊の歌」では逆になりました。

もとは「ノート小年時」に書かれ
末尾に「1929年7月20日」の制作日があり
「後悔」のタイトルが消されて
「木蔭」に変えられてありました。
(「新全集」解題篇)

木 蔭

神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭(こかげ)は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる

暗い後悔 いつでも附纏(つきまと)う後悔
馬鹿々々しい破笑(はしょう)にみちた私の過去は
やがて涙っぽい晦暝(かいめい)となり
やがて根強い疲労となった

かくて今では朝から夜まで
忍従(にんじゅう)することのほかに生活を持たない
怨みもなく喪心(そうしん)したように
空を見上げる私の眼(まなこ)――

神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭は
私の後悔を宥めてくれる

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

恋(人)はどこへ行ってしまったでしょうか?

神社の木蔭にたたずんで
詩人が見ているのは楡(にれ)の葉のさざなみばかりです。

初夏の真昼にここへやってきて
見慣れた光景である木蔭が
疲労を取ってくれることを発見したのです。

後悔に後悔を重ねても離れていかない
しつこい後悔を抱えて
幾日を過ごしてきたものか。

ああでもないこうでもないと繰り返し思い出しては
馬鹿馬鹿しくなって笑えてしまうほどの「過去」は
やがて涙まじりの黒ずんだ悔いの塊となり
ついには疲労となって積もってしまった。

こうして今では朝から晩まで
忍の一字の生活
怨みもなく心を失くしたように
空を見上げているだけの眼になっていたが。

あの青々しい楡の木立ちを見ていると
つかの間ではあるけれど
この後悔を忘れさせてくれるよ。

後悔の正体に
きっと恋(人)はあるでしょう。

しかし、それには
一言も触れません。

すべては「過去」なのです。
「過去」にすべてが含まれました。
「恋(人)」もその中に入っていることでしょう。

きっと
大きな比重を占めていることでしょう。

今回はここまで。

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2014年2月28日 (金)

恋の行方(ゆくえ)/「寒い夜の自我像」その3

(前回から続く)

「山羊の歌」の「寒い夜の自我像」(第3次形態)に戻りましょう。

「白痴群」の創刊号に発表した時にも
この形でした。(第2次形態)

寒い夜の自我像

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱(たずな)をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を我(われ)は嘆(なげ)かず
人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文(ぎぶん)めいた心地をもって
われはわが怠惰(たいだ)を諫(いさ)める
寒月(かんげつ)の下を往(ゆ)きながら。

陽気で、坦々(たんたん)として、而(しか)も己(おのれ)を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「白痴群」の創刊号(昭和4年4月1日発行)に発表した時に
第2、第3節をカットしたのは
巻頭に載せる詩としての役割を持たせたかったからでした。

「白痴群」は「ゆるい集団」でしたから
規約も方針も定まっているわけではないので
勝手な意思表明(マニフェスト)のつもりで
詩人は創刊号にそれらしきものを載せようとしたのです。

詩集「山羊の歌」としては
「わが喫煙」や「妹よ」の「恋愛詩」の流れがトーンダウンし
詩人のスタンスの表明が前面に出てきたようですが
「恋歌」が消えてしまったわけではありません。

「一本の手綱」をしっかりとにぎり
陰暗の地域を過ぎる
詩人として生きるという志は確かなものでしたから
たとえ
人々が憔懆だけで愁しんだり
(泰子が)憧れに引き廻されて鼻唄を歌ったりしても……
それは自分への罰と感じるものであるし
その罰が自分の皮膚を刺すに任せておく、と歌ったのです。

(原形詩では、ここのところをいっそう詳細に歌い、ついには「神」を呼び出します。)

「蹌踉(よろ)めくままに」は
「蹌踉(そうろう)として」という漢語をやわらかくしたもので
「よろよろとしながらも」という意味合いです。

「聊(いささ)かは儀文(ぎぶん)めいた心地をもって」も
「少しは礼儀正しくして」というほどの意味で
「怠惰」を諫(いさ)める気持ちを表明しているのです。

倦怠(けだい)に親しい詩人が
「怠惰を諫める」と言明するのは珍しいことです。

今回はここまで。

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2014年2月24日 (月)

恋の行方(ゆくえ)/「寒い夜の自我像」番外編その2

(前回から続く)

「寒い夜の自我像」と「詩友に」の原形詩を
並べて読んでみれば
見えてくるものはくっきりします。

それはまぎれもなく
「恋の現状」を明かしますが
「白痴群」創刊号に発表されたときに
多くが隠れてしまいました。

「白痴群」第6号や「山羊の歌」に発表されて
その根っこが見えたといえるでしょうか。

ここで二つの原形詩を
読んでおきます。

まずは「寒い夜の自我像」の原形詩です。

寒い夜の自我像
 
   1

きらびやかでもないけれど、
この一本の手綱(たづな)をはなさず
この陰暗の地域をすぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を、我は嘆かず、
人々の憔懆(しょうそう)のみの悲しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等の鼻唄を、
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)か儀文めいた心地をもって
われはわが怠惰を諌(いさ)める、
寒月の下を往きながら、

陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!……

   2

恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、
おまえの魂がいらいらするので、
そんな歌をうたいだすのだ。
しかもおまえはわがままに
親しい人だと歌ってきかせる。

ああ、それは不可(いけ)ないことだ!
降りくる悲しみを少しもうけとめないで、
安易で架空な有頂天を幸福と感じ倣(な)し
自分を売る店を探して走り廻るとは、
なんと悲しく悲しいことだ……
   
   3

神よ私をお憐(あわ)れみ下さい!

 私は弱いので、
 悲しみに出遇(であ)うごとに自分が支えきれずに、
 生活を言葉に換えてしまいます。
 そして堅くなりすぎるか
 自堕落になりすぎるかしなければ、
 自分を保つすべがないような破目(はめ)になります。

神よ私をお憐れみ下さい!
この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。
ああ神よ、私が先(ま)ず、自分自身であれるよう
日光と仕事とをお与え下さい!
         (一九二九、一、二〇、)

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

次に「詩友に」の原形詩です。
この詩「無題」は
「山羊の歌」第3章「みちこ」で再び読むことになるはずです。



無 題

   Ⅰ

こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまえと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまえのやさしさを思い出しながら
私は私のけがらわしさを歎(なげ)いている。そして
正体もなく、今茲(ここ)に告白をする、恥もなく、
品位もなく、かといって正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂い廻(まわ)る。
人の気持ちをみようとするようなことはついになく、
こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに
私は頑(かたく)なで、子供のように我儘(わがまま)だった!
目が覚めて、宿酔(ふつかよい)の厭(いと)うべき頭の中で、
戸の外の、寒い朝らしい気配(けはい)を感じながら
私はおまえのやさしさを思い、また毒づいた人を思い出す。
そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自(みずか)ら信ずる!

   Ⅱ

彼女の心は真(ま)っ直(すぐ)い!
彼女は荒々しく育ち、
たよりもなく、心を汲(く)んでも
もらえない、乱雑な中に
生きてきたが、彼女の心は
私のより真っ直いそしてぐらつかない。

彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に
彼女は賢くつつましく生きている。
あまりにわいだめもない世の渦(うず)のために、
折(おり)に心が弱り、弱々しく躁(さわ)ぎはするが、
而(しか)もなお、最後の品位をなくしはしない
彼女は美しい、そして賢い!

甞(かつ)て彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめていたかは!
しかしいまではもう諦めてしまってさえいる。
我利(がり)々々で、幼稚な、獣(けもの)や子供にしか、
彼女は出遇(であ)わなかった。おまけに彼女はそれと識らずに、
唯(ただ)、人という人が、みんなやくざなんだと思っている。
そして少しはいじけている。彼女は可哀想(かわいそう)だ!

   Ⅲ

かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがえば
なが心、かたくなにしてあらしめな。

かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ)
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの
うまし夢、またそがことわり分ち得ん。

おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂い心地に美を索(もと)む
わが世のさまのかなしさや、

おのが心におのがじし湧(わ)きくるおもいもたずして、
人に勝(まさ)らん心のみいそがわしき
熱を病(や)む風景ばかりかなしきはなし。

   Ⅳ

私はおまえのことを思っているよ。
いとおしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸っているよ、
まるで自分を罪人ででもあるように感じて。

私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。
いろんなことが考えられもするが、考えられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。

またそうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
そうすることは、私に幸福なんだ。

幸福なんだ、世の煩(わずら)いのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!

   Ⅴ 幸福

幸福は厩(うまや)の中にいる
藁(わら)の上に。
幸福は
和(なご)める心には一挙にして分る。

  頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、
  せめてめまぐるしいものや
  数々のものに心を紛(まぎ)らす。
  そして益々(ますます)不幸だ。

幸福は、休んでいる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでいる。

  頑なの心は、理解に欠けて、
  なすべきをしらず、ただ利に走り、
  意気銷沈(いきしょうちん)して、怒りやすく、
  人に嫌われて、自(みずか)らも悲しい。

されば人よ、つねにまず従(したが)わんとせよ。
従いて、迎えられんとには非ず、
従うことのみ学びとなるべく、学びて
汝(なんじ)が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

今回はここまで。

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2014年2月23日 (日)

恋の行方(ゆくえ)/「寒い夜の自我像」番外篇

(前回から続く)

「白痴群」創刊号に
「寒い夜の自我像」とともに発表されたのが
「詩友に」です。

詩集「山羊の歌」の「寒い夜の自我像」を読むために
遠回りのようですが
「詩友に」を読んでおきましょう。

といっても「詩友に」というタイトルの詩を
「山羊の歌」にも
「全集」のどこにも見つけることはできません。

「白痴群」創刊号に発表されただけで
「詩友に」は姿を消してしまったからですが……。

まず「白痴群」第6号(昭和5年4月)に「無題」(第3節)として発表され
次に山羊の歌」の「汚れっちまった悲しみに……」に続いて配置されて
「無題」として「よみがえり」ました。

「無題」の第3節が
「詩友に」だったのです!

「詩友に」は
あらかじめ作られてあった(または同時に作られた)長詩「無題」が
「白痴群」創刊号に発表されたときに第3節だけ取り出され
ソネット(4―4―3―3)として独立したものです。

隠された(未発表だった)ほかの節が
「白痴群」第6号で「無題」として現われ(復活し)
「山羊の歌」にもそのまま全行が現われました。

「詩友に」は
「白痴群」にだけ存在するものですから
ここでは「無題」第3節読んでその代わりとします。

Ⅲのところに
「白痴群」では「詩友に」のタイトルがあったわけです。

   Ⅲ

かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがえば
なが心、かたくなにしてあらしめな。

かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ)
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの
うまし夢、またそがことわり分ち得ん。

おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂い心地に美を索(もと)む
わが世のさまのかなしさや、

おのが心におのがじし湧(わ)きくるおもいもたずして、
人に勝(まさ)らん心のみいそがわしき
熱を病(や)む風景ばかりかなしきはなし。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰ「無題」より抜粋。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「な」は「汝(なんじ)の意味で泰子、
「われ」が詩人です。

「かたくなにしてあらしめな」は
「頑(かたく)なであってほしくない」の意味です。

詩人が泰子に直接訴えた詩を
「寒い夜の自我像」とともに発表したのです。



「詩友」には
友というより同志(同士)のイメージがありますが
内容は「愛の告白」をも含んでいます。

「言葉を失って」「熱病を病んだ現代人の」「悲しさ」を歌いながら
おおっぴらにこんな「告白」ができたのですが……。

今回はここまで。

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2014年2月22日 (土)

恋の行方(ゆくえ)/「寒い夜の自我像」その2

(前回から続く)

「寒い夜の自我像」の原形詩は
「ノート小年時」に草稿が残っています。

第2節(2)は、
恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、
――という泰子への呼びかけで、

第3節(3)は、
神よ私をお憐(あわ)れみ下さい!
――という神への告白(懇願)で、
それぞれ「恋」が歌いだされていることを知ります。

ともに、第1節(1)を受けた詩行といえますが……。

末尾に(一九二九・一・二〇)とある制作日の直後。

1929年(昭和4年)4月発行の「白痴群」創刊号に発表したときに
ばっさりとこれらを削除したのです。

このようにして
「寒い夜の自我像」は
詩人の決意表明のような詩である第1節が独立しましたが
「恋の歌」の片鱗を残しました。

これらのことを知った上で
「寒い夜の自我像」を読んでみれば
「わが喫煙」「妹よ」からの流れ(連続性と非連続性)は
自ずと理解できることでしょう。

寒い夜の自我像

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱(たずな)をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を我(われ)は嘆(なげ)かず
人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文(ぎぶん)めいた心地をもって
われはわが怠惰(たいだ)を諫(いさ)める
寒月(かんげつ)の下を往(ゆ)きながら。

陽気で、坦々(たんたん)として、而(しか)も己(おのれ)を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

公表された詩「寒い夜の自我像」は
「白痴群」のものであれ
「山羊の歌」のものであれ
「恋の歌」というよりも
「詩人のマニフェスト(宣言)」の意味合いを持つことになりました。

「わが喫煙」「妹よ」を読んできて
断絶感があるのはそのためですが
中也の「恋愛詩」には
単に「相聞」であるという以上のものが目指されてあることは
「盲目の秋」などで明らかですから
これは落差ではなく
「幅」と取ったほうがよいのかもしれません。

詩の来歴は複雑です。

「寒い夜の自我像」は
「白痴群」創刊号に
もう一つの詩「詩友に」とともに発表されましたが
この詩を併せて読むことで
詩の背景は一層すっきりと見えてきます。

今回はここまで。

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2014年2月20日 (木)

恋の行方(ゆくえ)/「寒い夜の自我像」

(前回から続く)

中原中也の恋の行方(ゆくえ)は
大岡昇平が書いた伝記などが
詳細にわたって追跡しているところですが。

伝記が詩の成り立ちについて
どんなに詳細に追求しても
それは詩の背景にしか過ぎません。

詩を味わうには
なんといっても詩を読むのに限ります。

その上で
詩の来歴を知れば
味わいは深まるということになります。

にょきにょきとペーブ(舗道)歩む
モガ(モダンガール)・泰子の足。
彼女との濃密な時間を歌った――「わが喫煙」

人っ子一人いない夜の野原で
風の音に泰子の幻の声を聞く――「妹よ」

実存的な「恋人」と非在(不在)の「恋人」を歌った後に
「寒い夜の自我像」が置かれました。

タイトルにある「自我像」は
「自らを描いた像=Self-portrait」であると同時に
「自我の像=Ego-images」という意味を含ませた造語です。

「恋人(泰子)」は姿を隠し
「詩人の決意」のようなものが歌われて
「恋愛詩」は途絶えたように見えますが
そうではありません。

寒い夜の自我像

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱(たずな)をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を我(われ)は嘆(なげ)かず
人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文(ぎぶん)めいた心地をもって
われはわが怠惰(たいだ)を諫(いさ)める
寒月(かんげつ)の下を往(ゆ)きながら。

陽気で、坦々(たんたん)として、而(しか)も己(おのれ)を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

第6行、第7行の、

人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を

――という下りに「泰子」は隠されていません。

ここに歌われているのは
泰子ですし……。

「寒い夜の自我像」の原形は
泰子を歌った3節構成の詩でした。

「白痴群」創刊号に発表されたとき
第2節と第3節をカットして
第1節を独立させたのです。

カットされた第2、第3節は
まぎれもなく「恋の歌」でした。

その原形詩は
「新全集」に「未発表詩篇」として収録されていますから
ここで読んでおきましょう。

寒い夜の自我像
 
   1

きらびやかでもないけれど、
この一本の手綱(たづな)をはなさず
この陰暗の地域をすぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を、我は嘆かず、
人々の憔懆(しょうそう)のみの悲しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等の鼻唄を、
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)か儀文めいた心地をもって
われはわが怠惰を諌(いさ)める、
寒月の下を往きながら、

陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!……

   2

恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、
おまえの魂がいらいらするので、
そんな歌をうたいだすのだ。
しかもおまえはわがままに
親しい人だと歌ってきかせる。

ああ、それは不可(いけ)ないことだ!
降りくる悲しみを少しもうけとめないで、
安易で架空な有頂天を幸福と感じ倣(な)し
自分を売る店を探して走り廻るとは、
なんと悲しく悲しいことだ……
   
   3

神よ私をお憐(あわ)れみ下さい!

 私は弱いので、
 悲しみに出遇(であ)うごとに自分が支えきれずに、
 生活を言葉に換えてしまいます。
 そして堅くなりすぎるか
 自堕落になりすぎるかしなければ、
 自分を保つすべがないような破目(はめ)になります。

神よ私をお憐れみ下さい!
この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。
ああ神よ、私が先(ま)ず、自分自身であれるよう
日光と仕事とをお与え下さい!
        (一九二九・一・二〇、)

今回はここまで。

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2014年2月19日 (水)

どこにもいない「恋人」/「妹よ」その2

(前回から続く)

死んだっていいよう
――という声が聞えてきても姿は見えず
夜風が吹いているだけ。

夜の彼方(かなた)の
「み空」は高く、
吹く風はこまやか……。

「み空」の下にいるのはわたくし(詩人)だけです。

そのために
わたくしには祈ることしかできないのです。

そばにいて
生きる執着を放棄しようとしている「妹」に
手を差し伸べることができない――。

「妹よ」の「よ」は呼びかけを表わしますが
相手はそこにいないのです。

妹よ

夜、うつくしい魂は涕(な)いて、
  ――かの女こそ正当(あたりき)なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
  もう死んだっていいよう……というのであった。

湿った野原の黒い土、短い草の上を
  夜風は吹いて、 
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
  うつくしい魂は涕くのであった。

夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
  ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

そこにいない女性(妹)は
長谷川泰子であるに違いありません。

死んだっていいよう、死んだっていいよう
――と「甘え」を含んだ声調で泣いているのは
泰子のはずです。

その泰子の「いいよう、いいよう」という声に応えて
詩人は兄になったのです。
「妹よ」と応じたのです。

何かの折にそういう応答が
2人の間にあったのでしょう。

それは危機の時ではなく
幸福な時であったのでしょう。

「いも(妹)」と「せ(兄)」の間柄のような。

あの時にも十分に応えられなかったではないか……。

いままた応えることができない……。

風の声を聞きながら
「み空」に向かって
詩人は祈るほかにありません。

今回はここまで。

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