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カテゴリー「中原中也が使ったオノマトペ」の記事

2013年2月10日 (日)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ9「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」ほか

(前回からつづく)

「未発表詩篇」の残りの約半分は
「草稿詩篇(1931年―1932年)」
「ノート翻訳詩(1933年)」
「草稿詩篇(1933年―1936年)」
「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」
「草稿詩篇(1937年)」で
98篇の詩(一部短歌を含む)があります。

これらに出てくるオノマトペを
一気にピックアップします。

<草稿詩篇(1931年―1932年)>

「青木三造」
ゆらりゆらり
チャッチャ
とことん

「脱毛の秋 Etudes」
むっちり

「秋になる朝」
フラフラ

(辛いこった辛いこった!)
ガラガラ

「修羅街挽歌 其の二」
ギッタギダギダ

<ノート翻訳詩(1933年)>
キラキラ
ほのぼの

(土を見るがいい)
すっぽり

「小 景」
しずしず

<「草稿詩篇(1933年―1936年)」>

(風が吹く、冷たい風は)
チョコナン

(とにもかくにも春である)
チャンポン
パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウワバミカー
        キシャヨ、キシャヨ、アーレアノイセイ

「虫の声」
にこにこ

「蝉」
うつらうつら
チラチラ

「夏」
ギラギラ
ゴボゴボ
サラサラ

「玩具の賦」
チャンチャラ
トット

「狂気の手紙」
フーッ

「咏嘆調」
ギョッ

「秋岸清凉居士」
ほのぼの
すっかり
ヒラヒラ
ガックリ
ブラリブラリ

「月下の告白」
とんと

「悲しい歌」
わあッ
ギョッ

「星とピエロ」
ぞろぞろ
ジッ

「誘蛾燈詠歌」
ほのぼの
ゴー

(なんにも書かなかったら)
くよくよ
ジット

「坊 や」
さらさらさら

「僕が知る」
ぐっ

「僕と吹雪」
カラカラ

「十二月(しわす)の幻想」
ウー
ウウウー

「大島行葵丸にて」
ポイ
ぐるりぐるり
ゆるり

「桑名の駅」
コロコロ

(秋が来た)
サラッ
うっすら

「雲った秋」
しょんぼり
ゆったり
ポトホト
ぼんやり
どんどん
まざまざ

「雲」
まざまざ
やんわり

「砂 漠」
ゆら

「一夜分の歴史」
バリバリ
ゆっくり

「断 片」
けろけろ
ゴー
まざまざ

「暗い公園」
ハタハタ

<療養日誌・千葉寺雑記(1937年)

「道修山夜曲」
ジットリ

<草稿詩篇(1937年)>

「春と恋人」
びしょ

「少女と雨」
しとしと
ジッ

「夏と悲運」
カンカン
すっかり

(嘗てはランプを、とぼしていたものなんです)
にっこり
ガタガタガタガタ

「四行詩」
ゆっくり

オノマトペのありそうな「お会式の夜」「蛙声」にありませんでした。
はじめ不思議に思えましたが
よく考えて納得できました。
テンテンツクとかゲロゲロとかのステロタイプを排しているのですね。

「野卑時代」の「ガッカリ」はオノマトペか
迷った末、入れませんでした。
こういうのが幾つかあったかもしれません。
その逆も。

(とにもかくにも春である)の
パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウワバミカー
        キシャヨ、キシャヨ、アーレアノイセイ
――という呪文みたいな言葉に中には
きっとオノマトペがはいっていることでしょう。

(この項終わり)

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2013年2月 9日 (土)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ8「早大ノート(1930年―1937年)

(前回からつづく)

「未発表詩篇」に出てくるオノマトペを
見ていきます。
「早大ノート」には42篇の詩が収められています。

<早大ノート(1930年―1937年)>

「干 物」
しろじろ
ちろちろ
うとうと

「いちじくの葉」
ごちゃごちゃ

「カフェーにて」
ちびちび
しょんぼり
ひえびえ

(休みなされ)
グサグサ
せかせか

「砂漠の渇き」
グルグル

(風のたよりに、沖のこと 聞けば)
しらじら

(ポロリ、ポロリと死んでゆく)
ポロリ、ポロリ

「コキューの憶い出」
あかあか

(七銭でバットを買って)
ガタガタ

(僕達の記臆力は鈍いから)
ニコニコ

(他愛もない僕の歌が)
カチカチ

「嬰 児」
ノオノオ

(宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて)
ツト

「干 物」のオノマトペ「しろじろ」「ちろちろ」「うとうと」は
オノマトペではない「われわれ」「ひとびと」と共鳴し
韻律を作っています。

「いちじくの葉」のオノマトペ「ごちゃごちゃ」も
「黒々」の意味をもつ「くろぐろ」と呼応して
音韻を整え語呂をよくする役割を果たしています。

「カフェーにて」の「しょんぼり」はオノマトペか?
迷いましたが擬態語として入れました。
「ちびちび」「ひえびえ」と響きあっているようでもあります。

(風のたよりに、沖のこと 聞けば)の「そろそろ」は
オノマトペとして使う場合と
たんなる副詞として使う場合があり
ここではオノマトペではないと判断しました。

「夜空と酒場」の「だんだん」も
オノマトペではないでしょう。

42篇のうち13篇にオノマトペがありましたが
3割強が多いのか少ないのか
なんとも言えません。

(つづく)

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2013年2月 8日 (金)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ7・草稿詩篇(1925年―1928年)~ノート少年時

(前回からつづく)

「未発表詩篇」に出てくるオノマトペを
ひろい続けます。

<草稿詩篇(1925年―1928年)>

「退屈の中の肉親的恐怖」
ホロッホロッ

「或る心の一季節――散文詩」
チョコン

「秋の愁嘆」
かしゃかしゃ
かすかす

「少年時」
にこにこ
いらいら

「夜寒の都会」
ずたずた

「無 題」
つるつる

「屠殺所」
モー

「夏の夜」
うっすり

「間奏曲」
ぽたっ

20篇のうち9篇に
オノマトペがありました。

ダダ詩が混ざっている詩篇群にしては
多くなりつつありますか。

次の「ノート少年時」16篇も見ておきましょう。

<ノート少年時>

「寒い夜の自我像」
いらいら

「冷酷の歌」
ろくろく

「湖上」
ポッカリ
ひたひた

ここでもまだオノマトペは
非常に少ないことがわかりました。

(つづく)

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2013年2月 7日 (木)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ6「ノート1924」のダダ詩

(前回からつづく)

「未発表詩篇」に出てくるオノマトペは
オノマトペそのものだけを取り出していきます。

<ダダ手帖>
オノマトペはありません。

<ノート1924>

「不可入性」
ヒョッ

「自滅」
カシャカシャ

「春の夕暮」
ノメラン
ポトホト

意外なことに
ダダの詩にオノマトペはごくわずかでした。

オノマトペは
それ自体に意味を持たない場合がほとんどですから
「意味を隠すような詩」であるダダ詩には無用の長物なのかもしれません。

ですから「春の夕暮」の「ノメラン」と「ポトホト」は
大発見(大発明)だったということが逆にいえるということです。
もっといえばここ「ノート1924」に現われたオノマトペのすべてが
ダダ脱皮の萌芽(ほうが)であったと見ることもできるということです。

ダダイストとして出発した詩人は
オノマトペをわずかしか使わなかったのに
次第次第に使いこなすようになっていくのですから。

やがては「一つのメルヘン」で
「オノマトペの革命」を成し遂げてしまうのですから。

第1詩集「山羊の歌」のトップを「春の日の夕暮」とした理由の一つは
この詩のオノマトペが成功していると判断したからです。
その際に元の詩「春の夕暮」の「ノメラン」を「ヌメラン」と推敲しました。
このことは「山羊の歌」の完成期(編集期)には
詩人がオノマトペを重要な技と意識(自覚)していたことを証明しています。

(つづく)

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2013年2月 6日 (水)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ5発表詩篇まとめ

(前回からつづく)

「山羊の歌」「在りし日の歌」「生前発表詩篇」と
中原中也が公開(発表)した詩に現われるオノマトペを
順にピックアップしてきました。

実際にどのように使われているのかを見るために
前後の詩句を丸ごと取り出しましたが
ここで発表詩篇のオノマトペだけをおさらいしておきます。
修飾と被修飾の関係など詩の流れを省略して見ておきます。

「山羊の歌」から。

「春の日の夕暮」
ヌメラン
ポトホト

「サーカス」
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
劫々(ごうごう)

「都会の夏の夜」
ラアラア

「黄 昏」
こそこそ

「ためいき」
パチン

「秋の夜空」
すべすべ

「少年時」
ギロギロ

「盲目の秋」
なみなみ
うねうね

「わが喫煙」
にょきにょき
わんわん
むっと

「雪の宵」
ふかふか

「憔 悴」
ゴミゴミゴミゴミ

「在りし日の歌」から。

「夜更の雨」
だらだら だらだら

「六月の雨」
しとしと

「春の日の歌」
うわあ うわあ

「湖 上」
ポッカリ
ヒタヒタ

「秋日狂乱」
ヒラヒラヒラヒラ
とろとろ

「雲雀」
ぐるぐるぐる
ピーチクチク
あーおい あーおい

「思い出」
ポカポカポカポカ

「残 暑」
ブンブン

「曇 天」
はたはた

「一つのメルヘン」
さらさら

「月の光 その二」
こそこそ

「村の時計」
ぜいぜい

「或る男の肖像」
そわそわ

「正 午」
ぞろぞろぞろぞろ
ぷらりぷらり
 
「春日狂想」
ゆるゆる
パラパラ
ぞろぞろ

「生前発表詩篇」から。

「嘘つきに」
ビクビク

「ピチベの哲学」
イライラ

「倦 怠」 
へとへと

「秋を呼ぶ雨」
へとへと
つるつる
だらだら

「漂々と口笛吹いて」
漂々(ひょうひょう)
ゆさゆさ
ひょろひょろ
すれすれ

「現代と詩人」
ゴミゴミ
さんさん

「郵便局」
ガラン
クスリ
どっか
すっかり
ジックリ

「幻 想」
すっかり

「かなしみ」
ほそぼそ
ながなが

「北沢風景」
ジックリ

「聞こえぬ悲鳴」
しらじらじら

「道修山夜曲」
ジットリ

「渓 流」
ビショビショ

「道化の臨終(Etude Dadaistique)」
あわあわあわ
ジッと

「夏」
ミンミン

末尾に「と」がつく場合が多いのは
副詞的(連用修飾)に使っているからでしょうか。
動詞を修飾する場合がほとんどです。
ここではその「と」を略しました。

「する」「の」をつけて形容詞(連体修飾)として使う場合もありますし
「ビクビクする」「イライラする」のように動詞としても使われています。
ここでは「する」「の」も省略しました。
そのほうがくっきりと見えてくるものがありそうだからです。

「冬の雨の夜」のaé ao, aé ao, éo, aéo éo! は
オノマトペに分類するのは無理とわかりましたので削除します。
ほかにも無理矢理オノマトペとして採取したものがあるかもしれません。
その逆もあるかもしれません。

(つづく)

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2013年2月 5日 (火)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ4「生前発表詩篇」から

(前回からつづく)

「さめざめ」とか「しみじみ」とかはオノマトペか
「青々と」「白々と」「赤々と」「黒々と」はなぜオノマトペではないか
「ときどき」「しばしば」は? 
「寒々と」「ほのぼの」「ほそぼそ」「ながなが」は?
「おずおず」「なかなか」は?
――などと基本的な疑問をクリアしながら
ときには判断停止し留保しながらも先に進みます。

「ぱみゅぱみゅ」みたいな独創(造語)が
イキイキするところがオノマトペの自在な領域ですから
「ゆあーん」とか「ギロギロ」を現代詩の中に持ち込んだ詩人が
先進的だったことは確かなことで
だからといって無闇(むやみ)にこれを使う危険についても自覚していたようです。

オノマトペがピタリと決まれば
その詩を食ってしまうほどの威力があるので
食われてしまっては困る場合があるからです。
しっかり手綱(たづな)を握っていなければなりません。

この点は
「はたはた」(曇天)
「さらさら」(一つのメルヘン)
「ぞろぞろ」(正午)
――のようなありきたりのオノマトペを取り出して
生命(いのち)を吹き込んだ「技」に表れています。
これらの詩がオノマトペそのものの威力に負っているものではないことが
それを証明しています。

「一つのメルヘン」のオノマトペは
奇跡とさえいえるものです。

「生前発表詩篇」に出てくるオノマトペを見ていきます。

「嘘つきに」
そのくせビクビクしながら、面白半分(おもしろはんぶん)ばかりして、
それにまことしやかな理窟(りくつ)をつける。

「ピチベの哲学」
イライラしている時にはイライラ、
のんびりしている時にはのんびり、

「倦 怠」 
へとへとの、わたしの肉体(からだ)よ、
まだ、それでも希望があるというのか?

「秋を呼ぶ雨」
僕はもうへとへとなって、何一つしようともしませんでした。

トタンは雨に洗われて、裏店の逞(たくま)しいおかみを想(おも)わせたりしました。
それは酸っぱく、つるつるとして、尤(もっと)も、意地悪でだけはないのでした。
雨はそのおかみのうちの、箒(ほうき)のように、だらだらと降続(ふりつづ)きました。
雨はだらだらと、だらだらと、だらだらと降続きました。

だらだらとだらだらと、降続くこの不幸は、
もうやむものとも思えない、秋告げるこの朝の雨のように降るのでした。

「漂々と口笛吹いて」
漂々(ひょうひょう)と 口笛吹いて 地平の辺(べ)
  歩き廻(まわ)るは……
一枝(ひとえ)の ポプラを肩に ゆさゆさと
葉を翻(ひるが)えし 歩き廻るは
褐色(かちいろ)の 海賊帽子(かいぞくぼうし) ひょろひょろの
ズボンを穿(は)いて 地平の辺
  森のこちらを すれすれに
目立たぬように 歩いているのは

「現代と詩人」
さて希望を失った人間の考えが、どんなものだか君は知ってるか?
それははや考えとさえ謂(い)えない、ただゴミゴミとしたものなんだ。

さんさんと降りそそぐ陽光の中で、戸口に近く据(す)えられた食卓のことをかんがえる。

「郵便局」
私は今日郵便局のような、ガランとした所で遊んで来たい。

局員がクスリと笑いながら、でも忙しそうに、言葉をかけた私の方を見向きもしないで事務を取り
つづけていたら、

ストーブの煙突孔(えんとつこう)でも眺めながら、椅子の背にどっかと背中を押し付けて、

すっかり好(い)い気持になってる中に、日暮(ひぐれ)は近づくだろうし、

帰ってから今日の日の疲れを、ジックリと覚えなければならない私は、

「幻 想」
すっかり夜が更けると、大地は、此の瓢亭(ひょうてい)が載っかっている地所だけを残して、すっ
かり陥没(かんぼつ)してしまっていた。

空は晴れ、大地はすっかり旧に復し、野はレモンの色に明(あか)っていた。

「かなしみ」
悲しみばかり藍(あい)の色、ほそぼそとながながと朝の野辺空(のべそら)の涯(はて)まで、うち
つづくこの悲しみの、

「北沢風景」
車を挽(ひ)いて百姓(ひゃくしょう)はさもジックリと通るのだし、

「聞こえぬ悲鳴」
噛(か)んでも 噛んでも 歯跡もつかぬ
それで いつまで 噛んではいたら
しらじらじらと 夜は明けた

「道修山夜曲」
松には今夜風もなく
土はジットリ湿ってる。

「渓 流」
ビショビショに濡(ぬ)れて、とれそうになっているレッテルも、
青春のように悲しかった。

「道化の臨終(Etude Dadaistique)」
小児は池に仰向(あおむ)けに、
池の縁(ふち)をば 枕にて、
あわあわあわと 吃驚(びっくり)し、
空もみないで 泣きだした。

風に揺られる 雑草を、
ジッと瞶(みつ)めて おりました。

「夏」
戸外(そと)では蝉がミンミン鳴いた。

「生前発表詩篇」のオノマトペに
これといった特徴(傾向)があるとは思えません。

普通一般に使われるオノマトペが
詩の中でも普通に使われていることくらいは見えました。

(つづく)

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2013年2月 4日 (月)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ3「在りし日の歌」から

(前回からつづく)

「在りし日の歌」に出てくるオノマトペをひろっていきます。

「夜更の雨」
雨は 今宵(こよい)も 昔 ながらに、
  昔 ながらの 唄を うたってる。
だらだら だらだら しつこい 程だ。

「六月の雨」
たちあらわれて 消えゆけば
うれいに沈み しとしとと
畠(はたけ)の上に 落ちている
はてしもしれず 落ちている

「春の日の歌」
午睡(ごすい)の 夢の ふくよかに、
野原の 空の 空のうえ?
うわあ うわあと 涕(な)くなるか

「湖 上」
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。

「秋日狂乱」
今日はほんとに好いお天気で
空の青も涙にうるんでいる
ポプラがヒラヒラヒラヒラしていて
子供等は先刻昇天した

ではああ、濃いシロップでも飲もう
冷たくして、太いストローで飲もう
とろとろと、脇見もしないで飲もう
何にも、何にも、求めまい!……

「雲雀」
碧(あーお)い 碧い空の中
ぐるぐるぐると 潜りこみ
ピーチクチクと啼きますは
ああ 雲の子だ、雲雀奴だ

歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ
歩いてゆくのはあの山この山
あーおい あーおい空の下

「思い出」
沖の方では波が鳴ろうと、
私はかまわずぼんやりしていた。
ぼんやりしてると頭も胸も
ポカポカポカポカ暖かだった

ポカポカポカポカ暖かだったよ
岬の工場は春の陽をうけ、
煉瓦工場は音とてもなく
裏の木立で鳥が啼いてた

「残 暑」
畳の上に、寝ころぼう、
蝿はブンブン 唸ってる

「曇 天」
 ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
 はたはた それは はためいて いたが、
音は きこえぬ 高きが ゆえに。

 手繰(たぐ)り 下ろそうと 僕は したが、
綱(つな)も なければ それも 叶(かな)わず、
 旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処(おくが)に 舞い入る 如(ごと)く。

 かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶(おも)う。
 かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。

 かの時 この時 時は 隔つれ、
此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異(ことな)れ、
 はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かわ)らぬ かの 黒旗よ。

「一つのメルヘン」
秋の夜(よ)は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

「月の光 その二」
おおチルシスとアマントが
こそこそ話している間

「村の時計」
時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴った

「或る男の肖像」
剃(そ)りたての、頚条(うなじ)も手頸(てくび)も
どこもかしこもそわそわと、
寒かった。

「正 午」
       丸ビル風景  
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取(げっきゅうとり)の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空はひろびろ薄曇(うすぐも)り、薄曇り、埃(ほこ)りも少々立っている
ひょんな眼付(めつき)で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな
 
「春日狂想」
神社の日向(ひなた)を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)えば、にっこり致(いた)し、
飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒(ま)いて、

参詣人等(さんけいにんら)もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

一気に「在りし日の歌」を通し読みしてしまいました。

「雲雀」の中に
碧(あーお)い 碧い空の中
あーおい あーおい空の下
――とあり
ぐるぐるぐると
ピーチクチクと
――というオノマトペと混乱しそうになります。

あーおい あーおい、とルフランにし平がなにしたことで
限りなくオノマトペに近い「形容詞」が演出されているように感じられますが
文法的にはこれはオノマトペではないでしょう。

詩の言葉のルールをギリギリまで守りながら
文法より詩が大事と
詩人は最後に言うでしょうが。

繰り返し(ルフラン)にすればただちにオノマトペになるものではありませんが
とおくとおく(言葉なき歌)
寒い寒い 流れ流れて(冬の長門峡)
――なども形容詞の繰り返しがオノマトペ効果を生んでいます。

オノマトペでなくとも
ひえびえ(秋の消息)
ホラホラ(骨)
しらじら(骨)
いよいよ(秋日狂乱)
やれやれ(夏の夜に覚めてみた夢)
――のような形容詞・副詞、間投詞もあります。

「曇天」「一つのメルヘン」「正午」の3作は
全行を載せました。
これらの詩には、「オノマトペの技」の極致といってもよいものが見られます。
いわば「オノマトペ3部作」です。

「曇天」から「一つのメルヘン」へ
「一つのメルヘン」から「正午」へ。
中原中也が詩境を極めていった軌跡の
頂上部のホップ=ステップ=ジャンプがここにあり
その詩法のコア(中核)にあるのがルフランとオノマトペです。

(つづく)

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2013年2月 3日 (日)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ2「山羊の歌」後半部から

(前回からつづく)

「山羊の歌」に出てくるオノマトペを
後半部「少年時」「みちこ」「秋」「羊の歌」と章順に見ていきます。

「少年時」
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

「盲目の秋」
それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、
  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、

いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、
それで私を殺してしまってもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)を昇りゆく。

「わが喫煙」
おまえのその、白い二本の脛(すね)が、
  夕暮(ゆうぐれ)、港の町の寒い夕暮、
にょきにょきと、ペエヴの上を歩むのだ。

わんわんいう喧騒(どよもし)、むっとするスチーム、
  さても此処(ここ)は別世界。

「雪の宵」
ふかふか煙突(えんとつ)煙吐(けむは)いて、
赤い火の粉(こ)も刎(は)ね上る。

「憔 悴」
そして理窟(りくつ)はいつでもはっきりしているのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑(かいぎ)の小屑(おくず)が一杯です。

ギロギロする目
――が飛び抜けて強いインパクトを放っています。

うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)
わんわんいう喧騒(どよもし)
ゴミゴミゴミゴミ懐疑(かいぎ)の小屑(おくず)
――も味わいがありますね。

にょきにょきと、
――が、恋人・泰子の足の形容に使われているのも面白い。

使う数はそれほど多くはないことが確認できました。
今回はここまで。

(つづく)

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2013年2月 2日 (土)

ひとくちメモ/中原中也のオノマトペ「山羊の歌」前半部から

「色の詩人」であった中原中也は
詩の中にそして詩の外で
「音の詩人」としてもさまざま試みています。

外というのは
たとえば朗読、たとえば音楽集団「スルヤ」との交渉……。
中というのは
詩作になくてはならないほどの「技」として
語呂・語感・語勢を大切にしたり
韻律・音数律を駆使したり、
「ルフラン」や「オノマトペ」を多用していることなどです。

「色の色々」をピックアップした勢いで
今度はこの「オノマトペ」を見ていきます。
「色」が詩の全体から独立していることがなかったように
「オノマトペ」は詩全体の一部であり
詩の肉であり骨であり血であることさえありますから
これだけを取り出すことはナンセンスかもしれませんが
それをやります。

どのようなオノマトペがあったかな――
うろ覚えですっきりしないな――
一度頭の中を整理しておきたいな――
おさらいしておきたいな――
もう一度読み返したいな――
ビギン・ワンス・モア。
ビギナー・アゲイン。
再入門のつもり。

「文学」や「学問」や「研究」から遠く離れて
ひたすらにひたすらに「遊び」ですので
お気軽にお気楽にお読みください。

オノマトペとは
日本語では「擬態語」とか「擬音語」をひっくるめた「擬声語」の総称です。
音・声・ものごとの状態・心情などを具体的に感覚的に表す修辞法(レトリック)の一つ。
声喩(せいゆ)という場合もあり、喩(メタファー)の一つでもあります。
オノマトペには、ルフランが含まれているケースが多々あります。

語源は古代ギリシア語。
フランス語onomatopéeの発音ɔnɔmatɔpeがオノマトペに近いようです。


さっそく「山羊の歌」から拾っていきます。
370の詩篇を猛スピードで眺めることになるかもしれませんが
ここでもぶっつけ本番です。
寄り道するかもしれませんし
さっさと終わってしまうかもしれません。

「色」の場合は前後を無視して
「色」だけをフェティッシュ(即物的)に採取しましたが
「オノマトペ」は前後にも目を配ります。

ここでも「現代かな表記」にします。

「春の日の夕暮」
ただただ月のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く
荷馬車の車輪 油を失い

「サーカス」
頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
  汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やがい)は真ッ闇(くら) 闇の闇
      夜は劫々(ごうごう)と更けまする
      落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
      ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

「都会の夏の夜」
頭が暗い土塊(つちくれ)になって、
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。

「黄 昏」
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音をたてない。

「ためいき」
瘴気(しょうき)の中で瞬(まばた)きをするであろう。
その瞬きは怨めしそうにながれながら、パチンと音をたてるだろう。

「秋の夜空」
すべすべしている床の上、
金のカンテラ点(つ)いている。

以上「初期詩篇」を見ました。

ヌメランと
ポトホトと
劫々(ごうごう)と
ゆあーん ゆよーん
ラアラア
こそこそ
――などが際立っています。

「劫々と」は「こうこう」と読む人と
「ごうごう」と読む人に分かれます。
「こそこそ」は、擬音語カサカサがかぶさります。
ほかは、中原中也の独壇場。

意外に数は少ないのかもしれません。
今回はここまで。

(つづく)

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