カテゴリー「中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション」の記事

2020年2月24日 (月)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション53/(短歌五首)

(短歌五首)

 

ゆうべゆうべ我が家恋しくおもゆなり

 草葉ゆすりて木枯の吹く

 

小田の水沈む夕陽にきららめく

 きららめきつつ沈みゆくなり

 

沈みゆく夕陽いとしも海の果て

 かがやきまさり沈みゆくかも

 

町々は夕陽を浴びて金の色 

 きさらぎ二月冷たい金なり

 

母君よ涙のごいて見給えな

 われはもはやも病い癒えたり

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年2月23日 (日)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション52/夏の夜の博覧会はかなしからずや

夏の夜の博覧会はかなしからずや

 

夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

雨ちょと降りて、やがてもあがりぬ

夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

 

女房買物をなす間、かなしからずや

象の前に余と坊やとはいぬ

二人蹲(しゃが)んでいぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ

 

三人博覧会を出でぬかなしからずや

不忍(しのばず)ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ

 

そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりきかなしからずや、

髪毛風に吹かれつ

見てありぬ、見てありぬ、

それより手を引きて歩きて

広小路に出でぬ、かなしからずや

 

広小路にて玩具を買いぬ、兎の玩具かなしからずや

 

 

その日博覧会入りしばかりの刻(とき)は

なお明るく、昼の明(あかり)ありぬ、

 

われら三人(みたり)飛行機にのりぬ

例の廻旋する飛行機にのりぬ

 

飛行機の夕空にめぐれば、

四囲の燈光また夕空にめぐりぬ

 

夕空は、紺青(こんじょう)の色なりき

燈光は、貝釦(かいボタン)の色なりき

 

その時よ、坊や見てありぬ

その時よ、めぐる釦を

その時よ、坊やみてありぬ

その時よ、紺青の空!

 

(一九三六・一二・二四)

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年2月22日 (土)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション51/(秋が来た)

(秋が来た)

 

秋が来た。

また公園の竝木路(なみきみち)は、

すっかり落葉で蔽(おお)われて、

その上に、わびしい黄色い夕陽は落ちる。

 

それは泣きやめた女の顔、

ワットマンに描かれた淡彩、

裏ッ側は湿っているのに

表面はサラッと乾いて、

 

細かな砂粒をうっすらと附け

まるであえかな心でも持ってるもののように、

遥(はる)かの空に、瞳を送る。

 

僕はしゃがんで、石ころを拾ってみたり、

遐(とお)くをみたり、その石ころをちょっと放(ほ)ったり、

思い出したみたいにまた口笛を吹いたりもします。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年2月21日 (金)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション50/初恋集 むつよ

初恋集 

 むつよ

 

あなたは僕より年が一つ上で

あなたは何かと姉さんぶるのでしたが

実は僕のほうがしっかりしてると

僕は思っていたのでした

 

ほんに、思えば幼い恋でした

僕が十三で、あなたが十四だった。

その後、あなたは、僕を去ったが

僕は何時まで、あなたを思っていた……

 

それから暫(しばら)くしてからのこと、

野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあったのを

あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、

それと、暫く遊んでいました

 

僕は背戸(せど)から、見ていたのでした。

僕がどんなに泣き笑いしたか、

野原の若草に、夕陽が斜めにあたって

それはそれは涙のような、きれいな夕方でそれはあった。

 

                      (一九三五・一・一一)

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年2月20日 (木)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション49/(一本の藁は畦の枯草の間に挟って)

(一本の藁は畦の枯草の間に挟って)

 

一本の藁(わら)は畦(あぜ)の枯草の間に挟(ささ)って

ひねもす陽を浴びぬくもっていた

ひねもす空吹く風の余勢に

時偶(ときたま)首上げあたりを見ていた

 

私は刈田の堆藁(としゃく)に凭(もた)れて

ひねもす空に凧(たこ)を揚げてた

ひねもす糸を繰り乍(なが)ら

空吹く風の音を聞いてた

 

空は青く冷たく青く

玻璃(はり)にも似たる冬景であった

一本の煙草を点火するにも

沢山の良心を要することだった

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年2月19日 (水)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション48/(なんにも書かなかったら)

(なんにも書かなかったら)

 

なんにも書かなかったら

みんな書いたことになった

 

覚悟を定めてみれば、

此の世は平明なものだった

 

夕陽に向って、

野原に立っていた。

 

まぶしくなると、

また歩み出した。

 

何をくよくよ、

川端やなぎ、だ……

 

土手の柳を、

見て暮らせ、よだ

 

             (一九三四・一二・二九)

 

開いて、いるのは、

あれは、花かよ?

何の、花か、よ?

薔薇(ばら)の、花じゃろ。

 

しんなり、開いて、

こちらを、向いてる。

蜂だとて、いぬ、

小暗い、小庭に。

 

ああ、さば、薔薇(そうび)よ、

物を、云ってよ、

物をし、云えば、

答えよう、もの。

 

答えたらさて、

もっと、開(さ)こうか?

答えても、なお、

ジット、そのまま?

 

 

鏡の、ような、澄んだ、心で、

私も、ありたい、ものです、な。

 

 鏡の、ように、澄んだ、心で、

 私も、ありたい、ものです、な。

 

鏡は、まっしろ、斜(はす)から、見ると、

鏡は、底なし、まむきに、見ると。

 

 鏡、ましろで、私をおどかし、

 鏡、底なく、私を、うつす。

 

私を、おどかし、私を、浄め、

私を、うつして、私を、和ます。

 

鏡、よいもの、机の、上に、

一つし、あれば、心、和ます。

 

ああわれ、一と日、鏡に、向い、

唾、吐いたれや、さっぱり、したよ。

 

 唾、吐いたれあ、さっぱり、したよ、

 何か、すまない、気持も、したが。

 

鏡、許せよ、悪気は、ないぞ、

ちょいと、いたずら、してみたサァ。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

            

2020年2月18日 (火)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション47/蝉

 

蝉(せみ)が鳴いている、蝉が鳴いている

蝉が鳴いているほかになんにもない!

うつらうつらと僕はする

……風もある……

松林を透いて空が見える

うつらうつらと僕はする。

 

『いいや、そうじゃない、そうじゃない!』と彼が云(い)う

『ちがっているよ』と僕がいう

『いいや、いいや!』と彼が云う

「ちがっているよ』と僕が云う

と、目が覚める、と、彼はもうとっくに死んだ奴なんだ

それから彼の永眠している、墓場のことなぞ目に浮ぶ……

 

それは中国のとある田舎の、水無河原(みずなしがわら)という

雨の日のほか水のない

伝説付の川のほとり、

藪蔭(やぶかげ)の砂土帯の小さな墓場、

――そこにも蝉は鳴いているだろ

チラチラ夕陽も射しているだろ……

 

蝉が鳴いている、蝉が鳴いている

蝉が鳴いているほかなんにもない!

僕の怠惰(たいだ)? 僕は『怠惰』か?

僕は僕を何とも思わぬ!

蝉が鳴いている、蝉が鳴いている

蝉が鳴いているほかなんにもない!

(一九三三・八・一四)

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

            

2020年2月17日 (月)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション46/(とにもかくにも春である)

(とにもかくにも春である)

 

     ▲

 

        此(こ)の年、三原山に、自殺する者多かりき。

 

とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポンである。花曇りの空は、その上にひろがって、何もかも、睡(ねむ)がっている。誰ももう、悩むことには馴れたので、黙って春を迎えている。おしろいの塗り方の拙(まず)い女も、クリーニングしないで仕舞っておいた春外套の男も、黙って春を迎え、春が春の方で勝手にやって来て、春が勝手に過ぎゆくのなら、桜よ咲け、陽も照れと、胃の悪いような口付をして、吊帯にぶる下っている。薔薇色(ばらいろ)の埃(ほこ)りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。乾からびはてた、羨望(せんぼう)のように、春は澱(よど)んでいる。

 

     ▲

 

        パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウワバミカー

        キシャヨ、キシャヨ、アーレアノイセイ

 

十一時十五分、下関行終列車

窓から流れ出している燈光(ひかり)はあれはまるで涙じゃないか

送るもの送られるもの

みんな愉快げ笑っているが

 

旅という、我等の日々の生活に、

ともかくも区切りをつけるもの、一線を劃(かく)するものを

人は喜び、大人なお子供のようにはしゃぎ

嬉しいほどのあわれをさえ感ずるのだが、

 

めずらかの喜びと新鮮さのよろこびと、

まるで林檎(りんご)の一と山ででもあるように、

ゆるやかに重そうに汽車は運び出し、

やがてましぐらに走りゆくのだが、

 

淋しい夜(よる)の山の麓(ふもと)、長い鉄橋を過ぎた後に、

――来る曙(あけぼの)は胸に沁(し)み、眺に沁みて、

昨夜東京駅での光景は、

あれはほんとうであったろうか、幻ではなかったろうか。

 

     ▲

 

闇に梟(ふくろう)が鳴くということも

西洋人がパセリを食べ、朝鮮人がにんにくを食い

我々が葱(ねぎ)を常食とすることも、

みんなおんなしようなことなんだ

 

秋の夜、

僕は橋の上に行って梨を囓(かじ)った

夜の風が

歯茎にあたるのをこころよいことに思って

 

 

寒かった、

シャツの襟(えり)は垢(あか)じんでいた

寒かった、

月は河波に砕けていた

 

     ▲

 

        おお、父無し児、父無し児

 

 雨が降りそうで、風が凪(な)ぎ、風が出て、障子(しょうじ)が音を立て、大工達の働いている物音が遠くに聞こえ、夕闇は迫りつつあった。この寒天状の澱(よど)んだ気層の中に、すべての青春的事象は忌(いま)わしいものに思われた。

 落雁(らくがん)を法事の引物(ひきもの)にするという習慣をうべない、権柄的(けんぺいてき)気六ヶ敷(きむずかし)さを、去(い)にし秋の校庭に揺れていたコスモスのように思い出し、やがて忘れ、電燈をともさず一切構わず、人が不衛生となすものぐさの中に、僕は溺(おぼ)れペンはくずおれ、黄昏(たそがれ)に沈没して小児の頃の幻想にとりつかれていた。

 風は揺れ、茅(かや)はゆすれ、闇は、土は、いじらしくも怨(うら)めしいものであった。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月16日 (日)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション45/小 景

小 景

 

河の水は濁(にご)って

夕陽を映して錆色(さびいろ)をしている。

荷足(にたり)はしずしずとやって来る。

竿(さお)さしてやって来る。

その船頭(せんどう)の足の皮は、

乾いた舟板の上を往(い)ったり来たりする。

 

荷足はしずしずと下ってゆく。

竿さして下ってゆく。

船頭は時偶(ときたま)一寸(ちょっと)よそ見して、

竿さすことは忘れない。

船頭は竿さしてゆく。

船頭は、夕焼の空さして下る。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月15日 (土)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション44/脱毛の秋 Etudes

脱毛の秋 Etudes

 

 

それは冷たい。石のようだ

過去を抱いている。

力も入れないで

むっちり緊(しま)っている。

 

捨てたんだ、多分は意志を。

享受してるんだ、夜(よる)の空気を。

流れ流れていてそれでも

ただ崩れないというだけなんだ。

 

脆(もろ)いんだ、密度は大であるのに。

やがて黎明(あけぼの)が来る時、

それらはもはやないだろう……

 

それよ、人の命の聴く歌だ。

――意志とはもはや私には、

あまりに通俗な声と聞こえる。

 

 

それから、私には疑問が遺(のこ)った。

それは、蒼白いものだった。

風も吹いていたかも知れない。

老女の髪毛が顫(ふる)えていたかも知れない。

 

コークスをだって、強(あなが)ち莫迦(ばか)には出来ないと思った。

 

 

所詮(しょせん)、イデエとは未決定的存在であるのか。

而(しか)して未決定的存在とは、多分は

嘗(かつ)て暖かだった自明事自体ではないのか。

 

僕はもう冷たいので、それを運用することを知らない。

僕は一つの藍玉(あいだま)を、時には速く時には遅くと

溶かしているばかりである。

 

 

僕は僕の無色の時間の中に投入される諸現象を、

まずまあ面白がる。

 

無色の時間を彩るためには、

すべての事物が一様の値いを持っていた。

 

まず、褐色の老書記の元気のほか、

僕を嫌がらすものとてはなかった。

 

 

瀝青(チャン)色の空があった。

一と手切(ちぎ)りの煙があった。

電車の音はドレスデン製の磁器を想わせた。

私は歩いていた、私の膝は櫟材(くぬぎざい)だった。

 

風はショウインドーに漣(さざなみ)をたてた。

私は常習の眩暈(めまい)をした。

それは枇杷(びわ)の葉の毒に似ていた。

私は手を展(ひろ)げて、二三滴雨滴(あまつぶ)を受けた。

 

 

風は遠くの街上にあった。

女等はみな、白馬になるとみえた。

ポストは夕陽に悪寒(おかん)していた。

僕は褐色の鹿皮の、蝦蟇口(がまぐち)を一つ欲した。

 

直線と曲線の両観念は、はじめ混り合わさりそうであったが、

まもなく両方消えていった。

 

僕は一切の観念を嫌憎する。

凡(あら)ゆる文献は、僕にまで関係がなかった。

 

 

それにしてもと、また惟(おも)いもする

こんなことでいいのだろうか、こんなことでいいのだろうか?……

 

然(しか)し僕には、思考のすべはなかった

 

風と波とに送られて

ペンキの剥(は)げたこのボート

愉快に愉快に漕げや舟

 

僕は僕自身の表現をだって信じはしない。

 

 

とある六月の夕(ゆうべ)、

石橋の上で岩に漂う夕陽を眺め、

橋の袂(たもと)の薬屋の壁に、

松井須磨子のビラが翻(ひるがえ)るのをみた。

 

――思えば、彼女はよく肥っていた

綿のようだった

多分今頃冥土(めいど)では、

石版刷屋の女房になっている。――さよなら。

 

 

私は親も兄弟もしらないといった

ナポレオンの気持がよく分る

 

ナポレオンは泣いたのだ

泣いても泣いても泣ききれなかったから

なんでもいい泣かないことにしたんだろう

 

人の世の喜びを離れ、

縁台の上に筵(むしろ)を敷いて、

夕顔の花に目をくれないことと、

反射運動の断続のほか、

私に自由は見出だされなかった。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

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