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カテゴリー「191合地舜介の思い出シネマ館2」の記事

監督別の作品論や鑑賞ノート。

2021年8月18日 (水)

モフセン・マフマルバフ監督作品「カンダハール」(イラン、2001年)メモ

「合地舜介の思い出シネマ館2」より再掲載

■メモその1
モフセン・マフマルバフ監督の「カンダハール」が、東京フィルメックス特別招待作品として、東京・朝日ホールで上映されたのを見た。カナダに移住したアフガニスタン女性ナファスが、カンダハールに住む妹からの手紙に込められた絶望を聞き取り、単身、アフガンに入り、カンダハールへ向かう旅を追うという構成の、ロードムービーの形を借りた反戦映画だ。

時(とき)まさに、カンダハールは、タリバーン撤退の報道で溢れかえり、刻々、変動する情勢が伝えられている。しかし、なにもかもが、本当のようでなく、メディアのフィルター、情報操作というフィルターにかかっているようでしかたなく感じられるのである。そこにあるのは、その時々の事実の断片か、その断片を強引に繋ぎ合わせた一方的解釈かである場合が多く、モヤモヤがとれないでいる。

見たばかりで、考えをまとめきれないでいるが、映画「カンダハール」は、断片としてのアフガンであることを極力、排除し、すくなくともここ数十年のアフガンを流れた史的時間を、アフガン女性の眼差しからとらえ返そうとしている、とは言えるであろう。ナファスを手助けするブラック・アメリカンであり、ブラック・ムスリムである男性医師の眼差しや、貧しさゆえに貧しさを取り除こうとするためのことならなんでもする優しいアフガンへの(監督の)眼差し――なども、強く印象に残った。
(2001.11.19記)

■メモその2
映画「カンダハール」は、アフガニスタンの人びとが、世界の各地で暮らす貧しき人びとと同じように、見放されてはならないことを強く訴えている。

モフセン・マフマルバフ監督の最新作「カンダハール」は、「9.11」以前に撮了していたらしいが、ユネスコのフェデリコ・フェリーニ・メダルを受賞し、10月3日、パリのユネスコ本部での授賞式では、特別上映会も行われ、監督はその場でスピーチした。そのスピーチは、11月19日の朝日ホールでの東京フィルメックス特別招待作品上映会でも紹介された。

朝日ホールで紹介されたスピーチを聞き書きしたが、当日、頒布されていた「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」(モフセン・マフマルドフ著、武井みゆき+渡部良子訳、現代企画室)の冒頭部にも掲載されているので、聞き書きを補うために、全文を引用させていただく。映画「カンダハール」の、作品としてのメッセージとともに、その作者の肉声のメッセージは、この時に及んで、切実であり、より多くの人に伝えられるべきものである。

映画は、映画人だけに閉ざされるものでもなく、バーミヤン石仏群は仏教徒のためにだけ開かれているものでもなく、(いまやこの世から消えてなくなった)世界貿易センタービルは富める者だけに機能していたものではないはずであるように、映画「カンダハール」は、アフガニスタンの人びとが、世界の各地で暮らす貧しき人びとと同じように、見放されてはならないことを強く訴えている。

【神にさえ見放されたアフガニスタン】
 アフガニスタンは、何年もの間、空からは人びとの頭上に爆弾が降り注ぎ、地にあっては人びとの足もとに地雷が埋められてきた国です。アフガニスタンは、人びとが路上で毎日のように自分たちの政府によって鞭打たれている国です。アフガニスタンは、逃げ場のない難民たちが、その隣人たちによって追い返されている国です。アフガニスタンは、旱魃によって、人びとが飢えと渇きに苦しみながら死に向かわされている国です。この国では世界のどこよりも神の名が語られるというのに、神に見放されているかのようです。

 アメリカでの9月11日の事件が起こるまで、アフガニスタンは忘れられた国でした。今でさえも、アフガニスタンに向けられる関心は、そのほとんどが人道的なものではないのです。

 もしも過去の25年間、権力が人びとの頭上に降らせていたのがミサイルではなく書物であったなら、無知や部族主義やテロリズムがこの地にはびこる余地はなかったでしょう。もしも人びとの足もとに埋められたのが地雷ではなく小麦の種であったなら、数百万のアフガン人が死と難民への道を辿らずにすんだでしょう。

 このような状況の中、アフガンについての映画に<フェデリコ・フェリーニ>メダルが与えられることは、ひとつの希望の徴(しるし)です。しかし、この賞に与えられるものがパンであったなら、飢えたアフガニスタンの人びとに分け与えることができたでしょう。もしこの賞が雨であったなら、アフガニスタンの乾いた地に降らせることができたでしょう。もし自由の風であったなら、アフガン女性のブルカに向けて吹かせることができたでしょう。

 この賞はパンではなく、雨ではなく、自由の風ではなく、一つの希望の徴にすぎませんが、私は、この希望を、アフガニスタンの苦しむ人びとに捧げられた希望とともに、私のもとに預かっておこうと思います。そして、世界の文化大使の方々の前で、私はアフガニスタンの人びとに約束します。アフガニスタンが自由になったら、カンダハールの町にフェリーニの名をとった学校を建てることを。皆さんからいただいた、このメダルは、その学校の生徒たちに捧げます。
*改行を1行空きに、ルビを( )に、漢数字を洋数字に変更しました。
(2001.11.24記)

■メモその3
イランの監督モフセン・マフマルバフの映画「カンダハール」の冒頭、難民キャンプで、地雷から身を守るための教育が行われているシーンがある。

人形を見つけても、無闇に近づいてはいけない。こうして、踏んづけてみて、ぶーっという音がしたら、私が踏んづけた足はなくなっていると思ってください。

教えているのは、高校生くらいの年頃の女性だ。地べたにしゃがみ込んで、耳目をそばだてているのは、小学生くらいの少年少女である。足を失う、という実態が、人形を踏みつけるという行為の結果生じる、ということを、いたいけない子どもたちに実感させるために、子どもたちの遊び道具を使わねばならない戦場。

頬擦りし、キスし、抱っこして遊ぶべき人形が、殺戮の武器になっている、というおぞましい現実を、なんと理解したらいいか。

悪質な、あくどい、悪知恵が働いている……。

「日本の皆さん、もう戦争は終わりました。はやく、防空壕から出てきて、みんなで遊びましょう」という米兵の声に、ゾロゾロ出て行った日本人は、みな殺された――という話を、幼時、聞かされた憶えがある。ぼんやりとした記憶なのだが、「鬼畜・水雷・大将」という遊びが、原っぱで遊ばれていたころのことだから、その遊びの合い間の、大人たちのデマゴーグだったかもしれない。はっきりだれだか覚えていないが、だれかから、聞いた言葉が残っていて、この地雷人形のシーンを考えているうちに、思い出された。

あくどい、悪質な、人間の仕業(しわざ)というものがある。

人間のあくどさを見て、無神論者であっても、「神よ!」と祈りたくなる瞬間である。
(2001.11.25記)

メモその4
見わたせど、見わたせど、褐色の砂丘が続く地を、1人の女性が行く。故国アフガンを離れ、いまは、カナダに暮らす女性ナファスはジャーナリストである。妹の住むカンダハールへ、単身で乗り込む勇敢さは、ジャーナリストであるという理由からだけなのではない。妹が発信してきた手紙に、「(アフガンの生活の悲惨さに)絶望して、今世紀最後の日蝕の日に自殺する」とあったからである。

日本でいえば高校生ほどの女性が、人形に仕掛けられた地雷を避ける訓練を、小学生ほどの子どもたちの群れの中で行っている難民キャンプ。イラン国境らしい。カンダハールやヘラートへと、帰還する難民である。難民にも、国外へ脱出するものもあれば、脱出できずに否応もなく故郷へ引き返すものもある。ナファスは、この帰還難民の一行の一つに便乗し、カンダハールを目指すのである。一行の老家長の第4夫人と偽る算段が立てられ、ロバに揺られた旅がこうしてはじまる。

出発後すぐのシーン。タリバーン兵数人に取り囲まれ、泣き叫ぶ少女、幼児の声。「女、子供たちが何をしたというんです」というナファスの抗議は通じない。無言で、子どもたちが持っている身の回り品を略奪する男たちは、それ以上のことをしない。それが不気味であり、タリバーンが単なるならず者ではないことを物語っているかのようである。老家長は、抗議を諦めるのに素早く、アラーへの祈りを一行に促し、カンダハールへの帰還をあっさりと中止する。

ナファスを、今度、案内するのは、中学生ほどの少年である。この少年は、コーランの朗誦ができなかったために、マリッサ(神学校)を強制退学処分にされたばかりである。文字が読めず、先生からコーランの朗誦を命じられてもアカペラでしか応答しない少年の素朴さが、他の優等生たちの必死さと対照されるシーンが、深刻な背景を考えさせつつも、微笑を誘う。

少年は、日々の糧(かて)を得るために、いまや砂漠の中で金になることならなんでもする、貧しき人びと=アフガンの1人である。ナファスをカンダハールへ案内する替わりに、幾ばくかの金を得る仕事の途中でも、骸骨化した人間の指から、指輪を抜き取ることも厭(いと)わない。これも仕事である。ナファスに売りつけようとするが、ナファスは断じて、受け取らない。(ナファスとの旅の終りで、少年は指輪を、カンダハールの妹にあげてくれるようにナファスにプレゼントする。これを、ナファスが受け取ることにしたのは、少年=アフガンへの理解という意味をもつのだろう。)

井戸水を飲んで、食べられず、食べても吐き出す症状に陥ったナファスを、少年は野戦病院に連れてゆく。診察・治療にあたっているのは、ブラック・ムスリムのアメリカ人男性であった。素性を隠し、医師と偽って治療を続けてきた男性は、ナファスの無謀を一瞬にして理解し、少年との危険な旅を止めさせるために力を貸す。近くの(といっても、車で半日はかかるのだろうか)赤十字の支援センターへ同行し、そこの職員にカンダハールへの便乗の手立てを相談することにした。

医師は、ムジャヒディーンとしてアフガンに乗り込んだのだろうか、来歴を語るには、多難な道を辿ってきたことをナファスにほのめかすだけである。アメリカ人であり、イスラムであり、医師である――という設定で、この男性の眼差しを映画に持ち込んだマフマルバフの創意がここにある。その眼差しは、ナファスへは伝わったものであろうが、観客には充分には聞きとれない。

地雷で手足を失った男たちが行列をつくる、赤十字の支援センターへ、医師はナファスを連れてくる。支給は、年に1度ほどしか行えない支援センターでは、義足の奪い合いを制する赤十字の看護婦たちでおおわらわ。遥か上空を、小さなパラシュートをつけた支援物資(あれは、米英軍のものなのか)が落とされるのを見つけた傷痍兵たちが、いっせいに、落下地点へ松葉杖をついて駆け出す。

カンダハールへの便は3日後にしかなく、日蝕の2日後にカンダハールへ辿り着かねばならないナファスを、今度は、右腕を失った青年がエスコートすることになる。この青年は、義足を必要としないが、支給の列の中に混ざり、妻のための義足が要ると言って、赤十字との交渉をしつこく行っている貧しい民の1人=アフガンである。自分の義足を、今、必要としないが、来年には必要になるかもしれないとも言い、ひょうきんにねばる青年の虚言に、看護婦は、ビッグサイズの旧式の義足を与えることにする。

50と5000(フラン)の違いを知らない、この青年との旅。いったんは、断った青年が、ブルカで顔を隠した婚礼の行列の中から現れる。最初の老人、2番目の少年、4番目のこの青年と、アフガンの貧しさから形づくられた無知やずるさの底には、必ず、この実直さがある。それは、賢さである。監督は、そう言っているようである。婚礼集団の列に紛れ込み、カンダハールを目指すナファスの脳裏にも、この賢さへの愛がある。しかし、日蝕には死ぬという妹の声も飛び交っている。

ジャーナリストであるナファスは、携帯録音機を離さず、カンダハールへの途上での見聞や、脳裏を掠める思いを、その小さな文明の利器に向かって語りつづけるのである。タリバーンのチェックを受けたとき、ブルカに身を隠した青年が言う「携帯を捨てて!」の言葉にも、揺らぎなく、ナファスは自らの思いを、語り続ける。カンダハールは間近である。妹の声が聞こえる――。
(2001.11.25記)

※紹介パンフレットもなく、約1時間半の上映を1回見ただけの記憶で記しました。ストーリー紹介に間違いがあるかもしれませんが、ご了承ください。

2020年10月16日 (金)

野蛮と紙一重で絡み合っている土俗的エネルギーの側に立ち、皇軍への復讐を命令する造り酒屋のおかみさんの思想が美しい

紅いコーリャン
1987
中国

張芸謀(チャン・イーモウ)監督、莫言(モー・イェン)原作・脚本。
鞏俐(コン・リー)、瞭汝駿(トン・ルーチュン)、姜文(チャン・ウェン)

1920年代、中国・山東省での物語。数奇な運命をたどり、コーリャン酒造りに命をかけた曽祖父母の生涯を、孫の語り手が語る。

日本軍の残虐さ、野蛮さが、たどたどしい日本語(あれを演じているのは、日本人俳優ではない)であるゆえに、深度を深めている。奇怪(きっかい)な民族がいるものだなあ、と思う。外国人がイメージする日本人には、いつも、滑稽といえるほどの奇怪さがつきまとっているが、そう見えるのは事実なのであろう、と推測するとき、背すじが寒くなるようなリアリティさえ感じる。「ぼくも、あのように見られている」と言ってしまえば、「あんたは、ああではない」と心ある外国人は同情してくれるかもしれないが、それは、うわべのことだ、きっと。

コンリー演じるチュアルの美しさは、コンリーが美しい女優であるということだけを指すのではない。野蛮と紙一重で絡み合っている土俗的エネルギーの側に立ち、皇軍への復讐を命令する造り酒屋のおかみさんの思想が美しいのだ。思想とはこの場合、自らが生まれ育ってきた紅いコーリャンの平原、そのコーリャンを原料にして酒造りに精を出す人々の汗、その汗によって長い間支えられてきた土地の経済や文化への愛である。変革されなければならない文化や経済を、その内側に立ち、愛しながら、守り続けようとする意志であり、理性のことだ。その美しさが、一瞬にして、皇軍によって踏みにじられる。

悪病もちの主人・李大頭は何者か(語り手は、下手人を祖父と想定する)に殺され、旧時代は終焉するかに見えた。羅漢(ルーハン)や夫ユイらと力を合わせて、新しい酒・十八里紅=シーパーリーホアンの製造に成功し、息子も誕生して、村に平和で活気のある生活が訪れた矢先、日本軍が村を襲う。チュアルは、息子の前で銃弾に倒れ、盗賊・三炮(サンポウ)は、生きたまま皮はぎにされる。脅迫されて手を下すのは、村の肉職人だった。画面いっぱいに血しぶきがあがる。その色が、民衆の命そのものであるコーリャン酒の紅にかぶさる。
(2000.10.29鑑賞&記)

2020年10月15日 (木)

革命初期~建国直前の内部矛盾が民衆の呼吸の内にとらえられていることを知るのである。

黄色い大地
1984
中国

メモその1
「1937年9月、蒋介石は、陝、甘、寧の共産党の辺境根拠地を承認。国共合作が成立した。しかし、陝西省北部では、国民党の古い体制が残存し、人々は苦しい生活にあえいでいた。そのころ、八路軍の文芸工作隊が来て、陝西民謡の源を探そうとした。この古(いにしえ)の大地には、いつも”信天遊”の調べが流れている。」

映画「黄色い大地」(陳凱歌=チェン・カイコー監督)の冒頭に流れる字幕である。

八路軍兵士の顧青(ホーチン)が、文芸工作隊の任務で陝西省北部の貧しい村へ入り、翆巧(スイチャオ)、憨憨(ハンハン)姉弟とその父親の家に暮らし、人々から歌を聞き書きする。翆巧の中に芽生える革命(=命を変革する)への意志は、顧青の革命とのすれ違いを見せて映画は終わるが、それは男女の悲劇を感じさせない。ハンハンも、翆巧も、顧青も、革命の端緒に立った――。

長征後の毛沢東が延安に根拠地をつくり、規律ある革命を目指していたことは歴史に名だたる出来事だが、演劇家であった江青とは、すでに出会った後のことなのだろうか。識字率が30%に満たない農村工作への古謡収集は、後の文化革命へも連なっていく革命戦略の一つだ。そのようなことどもを考えつつ、1984年に作られたこの映画を見ていくと、革命初期~建国直前の内部矛盾が民衆の呼吸の内にとらえられていることを知るのである。
(2002.4.14発)

メモその2
陳凱歌(チェン・カイコー)監督作品「黄色い大地」に使われた歌は10曲を超えていたが、見ている最中も、見て後も、ずっとしっくりいかないものを感じていた。なぜ、かくも高音で甲高く歌われねばならないのか、と。中国語、ことさら中国北部地域の言語の発声法に起因することだから、あれが自然なのだ、とは考え難かったのである。

これは、白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)とか黄塵万丈(こうじんばんじょう)とか怒髪(どはつ)天を衝(つ)くなどの中国語の誇張法に、初めて接したときに似ている感覚である。なんと、おおげさな!と、だれしもが、これらの言葉に触れたとき感じたことであろう。

今になって思えば(と言っても、これが正鵠を射ているかどうかはわからないが)、歌は甲高いわけでもなく、白髪は三千丈以外に表現しようにない――というのが、大陸中国の自然なのではないか、ということである。誇張は誇張であっても、誇張しないことによって実態を矮小にしてしまうことがある。それでは、実態をつかんだことにならないし、表現し得ていない。そういう大いさが中国大陸的なものなのではないか、ということである。

「血涙(けつるい)をしぼる」なども、似ている。「絶叫する」などもそうだ。つまり、表意文字としての漢字には、もともと、誇張があるといってよい。誇張するくらいでないと、対象をつかまえられないのだ。

「黄色い大地」のエンディングで、翆巧が歌う歌は、地獄の底から湧きあがってきたような悲しみ」(これは日本語的形容)を表わし、しぼられた血涙そのものなのである。それは、絶叫であり、囁(ささや)くようであってはならない。囁きであっては、黄塵万丈の前に無に近い。

陳凱歌監督は、中国5000年の歴史の中に存在し続ける、中国的な様式への意志、フォルムへの意匠(デザイン)という方法を、ごく自然に使用しただけのことである。
(2002.4.16)

2020年10月14日 (水)

「阿Q」(魯迅)のその後、阿Qの甦りとしての「ボンクラの秦」を、この作品に感じないわけにはいかない。

芙蓉鎮
中国
1987年

監督:謝晋( シェ・チン)、原作:古華 、脚色:阿城(アー・チョン)・ 謝晋( シェ・チン)、撮影:慮俊福、作曲:葛炎、美術:金綺芬、編集:周鼎文( チョウ・ティンウェン)録音:朱偉剛 、

キャスト:劉暁慶(リュウ・シャオチン)=胡玉音(フー・ユイイン)、 姜文(チァン・ウェン)=秦書田(チン・シユーティエン)   鄭在石(チョン・ツァイシー)=谷燕山(クー・イェンシャン)、徐松子(シュー・ソンツー)=李国香(リー・クォシャン)、祝士彬(チュー・シーピン)=王秋赦(ワン・チウシャー)、張光北(チャン・クァンペイ)=黎満庚(リー・マンコン)、劉年利(リュウ・リーニェン)=黎桂桂(リー・クイクイ)

日本語字幕:白井啓介

「芙蓉鎮」は、第三世代の監督と呼ばれる謝晋( シェ・チン)、1987年の作品。文化大革命=文革(ぶんかく)を真っ向から批判している。

1963年、1966年、1979年という三つの時間を切り取って、文革批判に正面から切り込んだ。1963年は文革が始まった初期、66年は紅衛兵全盛の時代、79年は文革終息宣言後である。狂気がはびこったとも、悪魔が蹂躙したともいえる激動の時代を、湖南省・芙蓉鎮という名の、地方のある村を舞台に描いている。

検閲をくぐり抜けての作品であることは、他の中国の映画作品と同様だが、改革・開放政策を背景に、文革という過去への怒りや悲しみばかりではなく、現代中国へつながる負の部分への批判も随所に見られる作品になっている。

いわば、民衆史・庶民史の視点が全編を通じて流れ、中心に胡玉音(フー・ユイイン)と秦書田(チン・シューティエン)の愛の物語(と呼ぶには、悲惨極まるが)を置きながらも、谷燕山(クー・イェンシャン)、李国香(リー・クォシャン)、王秋赦(ワン・チウシャー)、黎桂桂(リー・クイクイ)、黎満庚(リー・マンコン)ら、周辺人物の行動ぶり・人間的営為のそれぞれにも看過ない眼差しを向け、扱っている時間は16年だが、大河ドラマと呼ぶに相応しい構造を持つ。

特筆すべきは、「ボンクラの秦(チン)」とレッテルを貼られた秦書田(チン・シューティエン)への眼差し。秦は、1957年には民話を収集し、歌曲や舞曲を作る芸術家・知識人といってよい存在だったが、映画がはじまる1963年にすでに労働改造の刑に服し、村の看板書きとして下放している。ニセの革命と知りながらレッテルに甘んじ、ボンクラであることを一身に引き受けている、実は、覚醒した人物であるという一点だ。

紅衛兵の時代、秦は、村の石畳の清掃役(えき)に従事させられているが、この時に出会った玉音との愛を育んで子どもをもうけた罪で10年間の獄入りを命ぜられる。服役後、玉音と再会がかない、没収されていた玉音の米豆腐の店が再び繁盛する3年後には、党中央(県)からの復権通達(文化館長への就任)がもたらされるのだが、秦はこれを拒否するのである。玉音との時間を一刻でも長く共有していたい秦は、ほうきを持って石畳を清掃する仕事が、歌曲・舞曲の保存・創作の仕事になんら劣るものではないことを訴えたのであった。

「阿Q」(魯迅)のその後、阿Qの甦りとしての「ボンクラの秦」を、この作品に感じないわけにはいかない。
(2004.3.21)

【「芙蓉鎮」受賞歴】
1988年 カルロビ・ヴァリ映画祭グランプリ
1989年 モンペリエ映画祭金パンダ賞
1987年 百花賞最優秀作品賞
           最優秀主演女優賞(劉暁慶)
           最優秀主演男優賞(姜文)
           最優秀助演男優賞(祝士彬)
1987年 金鶏賞最優秀作品賞
           最優秀主演女優賞
           最優秀助演女優賞(徐松子)
           最優秀美術賞

 

2020年10月13日 (火)

「女欲しがって悪いか。共青団が殴るのか。殴れよ、旺泉、お前は家にも外にも女がいるから。やりたい放題、どちらとも寝られる。俺なんか、この年になっても、女の一人も知らない。これがまっとうかよ。さあ、殴れ、ぶっ殺してくれよ。」

古井戸
1987年
中国

呉天明(ウ・ティエンミン)監督
キャスト:張芸謀 (チャン・イーモウ)=孫旺泉、粱玉瑾 (リャン・リュイチン)=趙巧英、牛星麗(ヌー・シンリー)=万山、呂麗萍 (リュイ・リーピン)=喜鳳

呉天明(ウ・ティエンミン)監督作品「古井戸」が描く三角関係は、実は、正確に言えば四角関係である。孫旺才という名の支部長の息子は、村で6人しかいない高卒の一人であるため、旺泉、巧英らとともに井戸掘りに指名されるが、この旺才が巧英に好意を寄せ、その鬱屈はブラジャー泥棒という事件を起すことになる。この事件が明るみになった時、旺泉に問い詰められ、顔面を殴打された旺才は、伴侶がありながら巧英との愛を育む旺泉への恨みつらみをぶちまける。

「女欲しがって悪いか。共青団が殴るのか。殴れよ、旺泉、お前は家にも外にも女がいるから。やりたい放題、どちらとも寝られる。俺なんか、この年になっても、女の一人も知らない。これがまっとうかよ。さあ、殴れ、ぶっ殺してくれよ。」

旺才は、こう言い放ち泣き崩れた直後、崩落で死ぬ。井戸の底には、旺泉と巧英の二人がとり残されることになり、二人は結ばれる。

ここで注意深く見なければならないことは、映画は、旺才の短い生涯の中で起こった下着泥棒という事件を性的変態として暴くものではなく、この時代の中国のねじくれた婚姻制度や家族制度の結果として、そして現代中国辺地の抱える矛盾の集中的表現としてさりげなく描いている、という点である。ことさら辺地の閉ざされた村に否応もなく暮らさざるを得ない青年一般の鬱屈としてとらえられている点にあるであろう。

旺才が恋慕する巧英は、旺泉を恋慕する。その巧英こそは、この村に見切りをつけ、外へ、都会へと目を向ける自由人である。巧英は、外へと鬱屈を解放してゆくのに比べ、旺才はその願いを持ちながらも、巧英と結ばれることの不可能を知り、挙句に、あえない悲運の死を遂げてしまう。

旺才は、一見ひょうきんで、現代っ子で、アメリカ音楽に合わせてダンスするような若者として登場しているが、名誉挽回を目論む村の支部長であり、父の井戸掘削の悲願に協力しているのは、旺泉や巧英と同じ姿勢であった。旺才が負わせられているこの作品の中の役割は、性にまつわる事件の主役級ばかりが際立っているかのようにとらえられがちであり、自由とか欲望とか性とかのシンボリックな存在としてのみ見られがちであるが、それは十分な見方ではない。

確かに、奥山深く分け入っての地質調査の困難さに泣きを入れ、ひとときの休暇を提案したのは旺才だったし、その休暇に行われた祭りに盲目の芸人を呼んだのも旺才だったし、その盲目の芸人に猥褻(わいせつ)な芸を演じさせたのも旺才だったし、官から猥褻幇助の罪を科せられたのも旺才だった。

社会主義建設の表から見れば、旺才には、負のレッテルが貼られる側面は否めないものの、井戸掘削の一兵士としてのエネルギーは、旺泉の指導力に比してこそ影が薄いものの、もっともっと大きなものがあった。それは、大衆のエネルギーと呼べるような無秩序で無統制で無名で奔放な力である。

エンディングの集会で旺泉の妻・喜鳳は、「もし井戸から水が出なくとも、村から離れるのはやめてください」と村人たちに呼びかけ、掘削の成否を夫・旺泉一人への毀誉褒貶に帰する考えを制した。巧英は、花嫁道具を掘削の費用として供出し、村を去る。エンディング・ロールは、「古井戸村井戸掘削史碑」が流れ、その1979年、1982年の項には、「犠牲者、孫高貴、孫旺才」の名が刻まれたことを明らかにしている。

四角関係を構成する4人のそれぞれが古井戸と深く結びつき、それぞれの出自によって井戸との距離感は異なるが、それぞれが水の出ることを願ってやまなかった。旺才の死んだ翌1983年正月、「機械式一号井完成、出水量、毎時50トン」と史碑は記す。

中国の近代化はかくて行われている。小さな山村の井戸掘削においてこのような血涙が流され、このような井戸掘削の歴史が中国大陸全土に繰り広げられたことを思うとき、秦・始皇にはじまる国家建設、その基盤・インフラ整備事業が、いまだそしていまも続けられているという事実に頭を下げざるを得ない。鄭義原作・脚本のこの映画は、国家暴力の負の側面を誇大に宣伝するものでなく、民衆の側の土俗的エネルギーの矛盾を含んだ現実を衒(てら)いなくとらえ、すこぶるコンテンポラリーに地方中国の村を描いた、と言えるのかもしれない。
(2004.4.30)

【古井戸メモ】
呉天明(ウ・ティエンミン)監督 「古井戸」(1987年)は、第4世代の監督、呉天明(ウ・ティエンミン)の作品。2004年現在、「今を時めく中国の監督」と呼ぶにふさわしい張芸謀が主演している作品、と言ったほうがわかりやすいかもしれない。呉天明は、張芸謀をこの作品の主演男優として起用したほか、陳凱歌、田壮壮ら第5世代の監督を育成したことでもよく知られている。

英題は「Old Well」、原題は「老井」(ラオチン)。山西省の山岳地帯にある太行山という村で、手掘りの井戸の掘削に挑んだ民衆の物語である。第2回東京国際映画祭グランプリ受賞作品。原作・脚本は鄭義(チョン・イー、1947年~)がアメリカに亡命する前の1986年に発表した中編小説「老井」で、山西省の寒村を舞台にした村と村の水争いがテーマになっている。

映画前半のクライマックスで、この隣村との水争いのシーンが描かれる。しかし、冒頭から、主人公・孫旺泉の婿入り話に端を発する喜鳳、巧英の三角関係に焦点が合わされ、水争いは古井戸掘削の歴史的背景として遠のく。物語の中心にはそえられず、映画(呉天明監督)の眼差しは太行山村の内部へ、内部へと向けられる。古井戸の掘削にかかわった太行村の人々のエピソード=物語をつむぎ出していくその中心には、孫旺泉、趙巧英、喜鳳の三角関係の、どうしようもなく膠着し、解決の糸口の見つからない緊張感が随所にとらえられるのである。

2020年10月12日 (月)

父母の恋の時代から、40年の歳月が流れたのである。ということは、文革の時代も、40年前のことだったのである。

初恋が来た道
2000年
中国・アメリカ

監督: チャン・イーモウ、撮影: ホウ・ヨン、美術: ツァオ・ジュウピン、サウンド: ウー・ラーラー、編集: チャイ・ルー、音楽: サン・パオ、脚本: パオ・シー。
出演:チャン・ツィイー

「初恋が来た道」(チャン・イーモウ監督)は、文革(ぶんかく・文化革命)さなかの中国農村に住む薄幸の18歳の娘と、その村に赴任してきた20歳の教師の恋物語を、二人の間に生まれ、いまや成人して町の教師になった息子が回想する作品である。高齢の父は、学校建設の資金繰りのために町へ行った際、心臓病で倒れ、その報を受けた息子が帰村したところから映画ははじまる。

文革で切り裂かれた青年の恋、ではない。見初めあった二人が、文革の影響で一時的に離れ離れになることがあるが、その被害者性は前面に出されることはない。むしろ、再会し、結婚生活に入った二人の、苦難はありながらも、村人たちから敬われ、慕われた、質実で、希望に満ちた暮らしが暗示されている。(終盤、村長が、棺担ぎの労賃を村人たちが拒否していることを告げ、村人たちが続々と棺を担ぐ列に参じる場面が挿入される。)

父母の恋の時代から、40年の歳月が流れたのである。ということは、文革の時代も、40年前のことだったのである。その間、どんな開放が進み、どんな民主化が進み、どんな自由化が進んだにせよ、あるいは、苛烈な農村生活が残存しているにせよ、父母は、清冽に、まっすぐに、深い絆で結ばれて生きてきた、ということが、映画の前面に出てはこないけれど伝わってくる。

初恋の純情といったものが、この夫婦(語り手の息子の父母)によっては、40年間も継続した。夫を失い悲嘆に暮れる母を労わる青年の息子が、父と二重写しになって見えてくる。息子もまた、父のようにまっすぐに生きている。この家族のみならず、二心(にしん)のない、まっすぐな人々の営みが、この作品には充満している。

それ故か、爽やかである。心地よい涙を味わえる。悪人は、いっさい登場しない。「初恋」(というのは邦題だが)の爽やかさもあるが、善良で誠実な人々の充満という意味でも、爽やかな出来上がりになっている。
(2002.12.28未完)

2020年10月11日 (日)

そんなことどもを思い出し、1950年ころの台湾と日本は、なんと似通っているのだろうか! と、懐かしさとともに親しみをも抱くのである。

童年往事
台湾
1985年
侯孝賢監督

メモその1
「童年往事」(1985年)は、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の家族の思い出であり、亡き父母、祖母へのレクイエムであり、それらを通じた幼時の自己記録(自伝)である。

冒頭、タイトル・ロールにかぶせて、長いナレーションがある。このナレーションが、この作品自体を語っている。全文を引用しておく。

この映画は、私の子供時代の思い出である。父の印象が特に強い。

父は広東市梅県出身で、1947年、私が生れて40日目に、チームを率いて広州の競技会に行った。当時、父は広東省梅県の教育課長だった。広州で父は、中山大学の同級生李槐に会った。李槐は当時、台中市の市長だった。彼は、父を台湾に迎え、主任秘書にした。1年後、父から手紙がきた。”ここの生活は大変よい。全員で来なさい”と。

1949年、父は台北教育庁に転任して督学官になり、新竹に住んだ。だがそこは湿気が多く、父がぜんそくになったため、私が小学校1年のとき、家族で鳳山へ引っ越した。

祖母は銀紙でお金を作っていた。”死んだらエンマ様の所で使うんだ”と。祖母は80歳を過ぎていた。父は親孝行で祖母抜きでは食事をしようとしない。祖母は、食事の度に私を呼びにきて大切にしてくれた。小さいころ占いで、将来は大臣になると言われたからだ。

鳳山で私のあだ名はアハ。祖母が私をそう呼んだからだ。
*以上、句読点を追加するなどの編集を行っています。

ナレーションが終わると、祖母が、「アハ、アハ」と呼びながら、「私」を探す場面に入っている。夕餉(ゆうげ)を報せる家族の声である。この声に、この映画を見ている観客は、自身の幼少時代を重ねて、懐旧ムードにいきなり入り込むことになる。原っぱで遊び呆けて、夕闇が迫るころのこの声の主は家庭によって異なり、母親だったり、ばあさんだったり、理由があって同居している親の姉妹であったり、いずれにしても女性の声であった。「ご飯ですよ~」という声が、缶けりや馬とびや鬼ごっこ……が、その頂点に達している時に野原に起こるのをうるさがって、なお遊びに興じたものである。そんなことどもを思い出し、1950年ころの台湾と日本は、なんと似通っているのだろうか! と、懐かしさとともに親しみをも抱くのである。

ドラマを期待して見はじめた者は、やや拍子抜けした気分を味わいもするのだが、人の幼少時代の普遍性みたいなものに感じ入り、次の瞬間、すでに、映画の時間の中に入り込んでしまっているのに気づく。

メモその2
映画前半に、突然挿入される幻想的なシーン
――今も時々思うのだが、祖母の大陸へ帰る道は、きっと、私と一緒に歩いた青ザクロを拾ったあの道なのだ。

これは、台湾の監督・侯孝賢(ホウ・シャオシェン)、1985年の作品「童年往事―時の流れ」のエンディングでのナレーションである。青ザクロを拾ったあの道とは、「私」=アハ(阿孝)が、80歳を過ぎた祖母の望郷への思いに応えて2人で行った遠出のことで、映画前半に、突然挿入される幻想的なシーンを指している。大陸中国で生まれ育った祖母は、いつか、自分が生れ故郷の広東省梅県へ帰る日があることを夢見ていた。その道連れに、孫のアハ(私=侯監督の分身)を誘っていたが、ある日、それが実現した。実際には、大陸へ行けなかったが、アハとの小さな旅は、のんびりとしていて、どこか、故郷を思わせる風景に満ち、青ザクロの実る田舎道では、アハがもぎ取ったいくつもの青ザクロでお手玉をしてみせるほど童心に帰ることができて、満ち足りた時間になった。

それで十分だったとは、祖母も思わなかったに違いなかったが、監督=私は、父を失い、母を失い、そして祖母を失った来し方を振り返る時、祖母の思いを、自分の思いに重ねて二人で通った青ザクロの道に託した。今ここに生きているこの国・台湾は監督の故郷であることに変わりなく、大陸・中国も父母、祖母ら、そして私=監督の家族の故郷であることに変わりなく、しかし、その故郷を思う強度・深度には微妙に異なるものがある。その異なりを承知しつつ、祖母の大陸を思う時、青ザクロの実ったあの道は大陸へつながっている。

(2004.3.22 未完)

2020年10月10日 (土)

切ないのは、失って初めてワンが知る魂であり、魂であると同時に肉である女ではなかったか。

恋恋風塵
1987年
台湾

スタッフ
監督:侯孝賢、製作:徐国良、脚本: 呉念眞・ 朱天文、撮影:李屏賓、音楽:陳明章、美術:劉志華・ 林鉅、編集:廖慶松

キャスト
王晶文:ワン・ジンウエン(ワン)
辛樹芬:シン・シューフェン(ホン)
李天祿:リー・ティエンルー(祖父)
林陽:リン・ヤン(父)
梅芳:メイ・フアン(母)

日本語字幕・あらいすみこ

ホウ・シャオシェン 「恋恋風塵」は、台湾の監督ホウ・シャオシェン(侯孝賢)、1987年の作品。「冬冬(トントン)の夏休み」、「童年往事」(ドウネンオウジ)との3部作を構成する。英語のタイトル「Dust in the wind」は、恋のニュアンスを含まず、風の中の塵に過ぎないから、人の世のはかなさ全般に作品の眼差しは向けられているのかもしれない。にもかかわらず、「♪風の中の羽根のように、いつも変わる女心……」という恋のテーマへ、ホウ監督流の一石が投じられている。人の世のはかなさを、恋を通じて描いてみせた映画ともいえそうなのである。

成人になりかかった幼馴染のワンとホウが結ばれているのは、恋とも呼べない、男女の原初的な感情である。気が合う友だちのまま成長し、いたわりあい、時には、考えの違いからぶつかることもあるが、嫌いになることもない。やがては肉のつながりをもつに至るであろうと、微笑ましく見守る観客は、結末の劇に一瞬、裏切られた感覚に陥る。しかし、ワンがホウを失って初めて、それ(=恋)に気づくというような経緯に、やがては納得する。女心は、風の中の羽根……と。兵役中のホウを待ちきれず、郵便配達を仕事にしている男の確実な生活感、安心感を、女心は選んだのだ、道理だ、と。

こう読んで、よいものか。

号泣するワンの耳に、「職業に負けた」という父の言葉がかぶさる。ワンは、将来の堅実な生活をしっかりと描いているような青年である。軍人になるわけではなく、郵便配達になるかもしれないという未来をも描いている、つまり、多様な選択枝の中からこれから選択しようとしているしっかり者である。たった今、兵役中の身であるだけで、これは、ワンの職業ではない。父の言葉の意味は、貧しく、苛酷な炭坑の仕事に就いている自分、その家族とその家族の一員であるワンが選ばれなかった事態への憤懣であり、情なさである。

その感情が、ホンに向けられているかといえば、そうではなく、むしろ、そうした事態に至らしめた現実、敢えて言えば、兵役制度や家族制度に向けられた。ホウ監督は、そのことを、ほとんど前面に出すことはない。どころか、滔々(とうとう)と流れ行く時間を、慈しむかのように、ありのままを受け入れるだけだ。除隊後、帰郷したワンが見る風景は、以前とちっとも変わっておらず、しかし、ゆったりと流れていることだけは確かである。

女心の豹変(ひょうへん)に、裏切られた思いがするのは、観客の側にある。切ないのは、失って初めてワンが知る魂であり、魂であると同時に肉である女ではなかったか。

ホウ監督は、これ以上静かではない世界がないというほどに静かに、古典的テーマといえる劇を生み出した。灼熱の恋ではなく、肉のイメージがない青年男女の、いかんともし難い断絶。肉=現実への認識の、わずかな狂いの差から生じる、事故に限りなく近い別れ……。

【侯孝賢フィルモグラフィー】
川の流れに草は青々 1982
坊やの人形 1983
風櫃の少年 1984
冬冬の夏休み 1984
童年往事-時の流れ 1985
恋恋風塵 1987
ナイルの娘 1987
悲情城市 1989
戯夢人生 1993
好男好女 1995
憂鬱な楽園 1996

2020年10月 9日 (金)

でもどこへ行こう 教えてくれませんか 幸せになれる場所を

戦争の後の美しい夕べ
1997
カンボジア・フランス

監督:リティーヌ・パニュ、脚本:イブ・ドゥボワーズ、リティーヌ・パニュ、撮影:クリストフ・ポロック、音楽:マルク・マルデール。
出演:チェアリア・チャン、ナリト・レウン

翻訳:前田陽子、日本語字幕:嶋田美樹

カンボジア映画「戦争の後の美しい夕べ」(リティー・パニュ監督、RithyPanh)は、1992年のプノンペンでのできごとを、1997年現在の目で、当事者である女性スライ・パウが回想する形の作品である。ドキュメンタリーではなく、映画であり、脚本もリティー監督が手がけているが、フランスのスタッフのサポートが入った。

ポル・ポト率いるクメール・ルージュが山岳地帯に退き、首都プノンペンには、シアヌークによる自由選挙が行われ、外出禁止令も解かれた状況下。雲間から小さな光がさしたかのような時代だったが、民心は疲弊しきり、街は混乱を極め、スラム化したアパートで人々は寄り添うように暮らしている。内戦は終わってはいなかった。国連(UN)平和維持軍が街に入り、日本のPKOも派遣されていた頃のことである。

サバンナーは、同僚のマリー・ボルらと、死の列車と呼ばれる帰還列車で、プノンペンの町に着き、バー勤めでかつがつ暮す女性スライ・パウを見初める。マリーは、ヤクザな暮らしにしか糧を見出せず、日々、カード・ギャンブルに明け暮れるようになった。サバンナーも、安定した職が見つからず、時折、キックボクシングの試合に出て、日銭を稼ぐ暮らししかできないため、パウを水商売から離れさせることができない。

パウに同行して、パウの故郷を訪れたサバンナーは、幼児の息子の身代わりになって戦争へ拉致された夫が死んだことから、精神を病んでしまったパウの母と会い、深い悲しみに襲われる。街に戻った二人が目にしたのは、ポル・ポト派によるアパートの撤収だった。

そんな中で、パウが身ごもった。サバンナーは、マリーと組んで、町外れの宝石店強盗を決行、追っ手に追われる中、マリーに狙撃され、命を落す。泣き叫ぶパウ……。

それから、3年も経っていないだろうか。ウェイトレスの仕事に変えたものの、パウには希望のひとかけらもない。そのパウが、以上のように回想する最後に語る。傍(かたわ)らで、娘ポパナーが遊んでいる。

私たちは戦争と共に生まれ
戦争はすべてを粉々にしてしまった
母親が子供を抱くように
私たちは希望を胸に抱き
夢と流血によって
その希望を育てた
今の私には恐れるものは何もない
運に身を任せるだけ
でもどこへ行こう
教えてくれませんか
幸せになれる場所を

(2002.12.31)

2020年10月 8日 (木)

余命幾ばくもない主人公ジョンウォンのナレーションで進む物語が、監督の眼差しとシンクロし、両者がほぼ同一の視点になっていることからくる静けさである。

八月のクリスマス
1998
韓国

監督ホ・ジノ、脚本オ・スンウク、シン・ドンファン、ホ・ジノ、製作チャ・スンジェ、撮影ユ・ソンギル、美術キム・ジンハン、音楽チョ・ソンウ。
ハン・ソッキュ、シム・ウナ、シン・グ、イ・ハンウィ、オ・ジヘ、チョン・ミソン。

韓国の映画「八月のクリスマス」(ホ・ジノ監督、1998年)は、いつごろの設定なのか。ノ・テウの選挙支援をやっていたこともある友だちと酒を飲むシーンがあり、その選挙が10年前のことだったと、主人公のジョンウォンが語るから、時は今の今、現在にかぎりなく近いある年ということと推測する。

それにしては、ゆったりとした時間が流れている。穏やかで、静謐(せいひつ)な時間が、この映画のテーマとも言えそうなほどに、もの静かで優しい時の流れが作品の中にある。余命幾ばくもない主人公ジョンウォンのナレーションで進む物語が、監督の眼差しとシンクロし、両者がほぼ同一の視点になっていることからくる静けさである。

この静けさは、どこかで見たことのあるような、懐かしいような、夢見るような、過去のできごとのような、これからやって来るような、だれしもが経験するに違いないこと=死と深く結びついている時間のことである。

主人公ジョンウォンは、あらゆる経験が思い出と化してゆくことの空しさを感じ、愛すらも思い出となってゆく人の世のはかなさを感じている。ところが、タリムへの愛は思い出ではなかった。今まさにその中にある悦びであった。そうジョン・ウォンは感じた。ジョンウォンは、手紙でその悦びをタリムに伝え、死んでいった。ジョンウォンの切なさが伝わってくる理由は、だれしもが、この時間の中に在るということからくるのであって、理由のないことではない。
(2002.6.10発)

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