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カテゴリー「021はじめての中原中也/在りし日の歌」の記事

2009年1月 4日 (日)

降りかかる希望/春・再読

「春」は、
「生活者」昭和4年(1929年)9月号に発表された
「在りし日の歌」10番目の作品です。

 

中也22歳。
この年に、同人誌「白痴群」が創刊されます。

 

一度読みましたが
「新春」を機に
もう一度読んでおきます。

 

春になると
土や草に光沢が出て
まるで汗をかいたようになる
その汗を乾かそうとするかのように
ひばりが空にまっすぐあがり
民家の瓦屋根は穏やかな陽をあびている
細長い校舎からは清らかな合唱の声が立ち上っている

 

ああ、静かだ静かだ
ぼくにも、めぐってきた
これが、今年の春だ
むかしぼくの胸を躍らせた希望は
今日というこの日
混じり気のひとつもない
怖いような群青色の青となって
ぼくに降りかかってきている

 

ぼくは、呆けてしまう
馬鹿になってしまい……

 

これは、藪かげを流れる
小川か銀のような小川か漣(さざなみ)か
目の眩む光の乱舞の中で
ぼくは幻を見る

 

すると
大きな猫が振り向いて
ぶきっちょに
ひとつの鈴を転がしている
ひとつの鈴を転ばしては
鈴を見ている
そして、また、転ばしている

 

最終連は
白日夢。
その中に現れる猫は
詩人。

 

 * 
 春

 

春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲(あが)る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舎から合唱は空にあがる。

 

あゝ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸摶(う)つた希望は今日を、
厳(いか)めしい紺青(こあを)となつて空から私に降りかゝる。

 

そして私は呆気(ほうけ)てしまふ、バカになつてしまふ
——薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?
薮かげの小川か銀か小波か?

 

大きい猫が頸ふりむけてぶきつちよに
一つの鈴をころばしてゐる、
一つの鈴を、ころばして見てゐる。

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
 *原文のルビは、( )内に表記しました。

2008年12月29日 (月)

大晦日の囚人/除夜の鐘

年も押し迫って
どうしても、今、年の明ける前に
読んでおきたい作品が
これ、「除夜の鐘」です。

 

いつ読んだっていいんだよ、と、
中也は穏やかな笑みを見せて
言うかもしれません。

 

俺の詩は、
季節を入り口にしているものが多いけれど
季節そのものを歌っているものは少ないのさ
季節の感情をきっかけにして
その向こうに目を向けている。

 

とはいうものの、
「除夜の鐘」は、
今、この時、読むのにぴったりですから
静かな心構えになって
読んでみよう。

 

近頃は、騒がしい年の瀬ですから
除夜の鐘に耳を澄ますなんてことは
あまりしなくなりましたが、
小学生くらいまで
それが鳴りはじめるのを待つ時間が、
大晦日にあったことを思い出します。

 

小さいとき、何度か引越しをしましたが
どんな土地へ行っても
大晦日に除夜の鐘が聞こえてくるのだ、と
知った時、
幼心に不思議な気持ちを抱いたことも
いま、思い出しました。

 

その音は
千万年も前の昔から、
つまり、ずーっとずーっと昔の、
暗ーい遠ーい空からやってきて、
この古びた時間が堆積した夜の空気を
震わせて、聞こえてきます。

 

それは寺院の森の
霧でかすんだような冬の夜の空のあたりで
鳴って、そこから響いてくるのだ

 

その時、子供たちは父や母の膝元で
年越しそばを食べていることだろう
その時、銀座や浅草は、
人出で大賑わいだろう
みんな、思い思いに
年越しを感謝し、祈り、喜んでいることだろう……

 

でも、年越そばを食べる家族たちや、
銀座、浅草の人波に揉まれている人々に
除夜の鐘は聞こえていないかもしれない。

 

私は、ふと思う。
除夜の鐘が鳴る、その時、
監獄の囚人たちは、
どんな気持ちでいるのだろうか、と。
どんなことを考えたりしているだろうか、と。

 

暗ーい遠ーい空から
鳴り響いてくる、この鐘の音を、
どんな気持ちで聞いていることだろう。

 

 *
 除夜の鐘

 

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。
千万年も、古びた夜(よる)の空気を顫(ふる)はし、
除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

 

それは寺院の森の霧つた空……
そのあたりで鳴つて、そしてそこから響いて来る。
それは寺院の森の霧つた空……

 

その時子供は父母の膝下(ひざもと)で蕎麦(そば)を食うべ、
その時銀座はいつぱいの人出、浅草もいつぱいの人出、
その時子供は父母の膝下で蕎麦を食うべ。

 

その時銀座はいつぱいの人出、浅草もいつぱいの人出。
その時囚人は、どんな心持だらう、どんな心持だらう、
その時銀座はいつぱいの人出、浅草もいつぱいの人出。

 

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。
千万年も、古びた夜(よる)の空気を顫(ふる)はし、
除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

 

*霧つた 「けむつた」「もやつた」という読み方が考えられる。古語では「きりつた」。
*食うべ 古語では「とうべ」と読み、昭和初年代の東京郊外の方言では「くうべ」。初出の「四季」1936年1月号では、「食べ」と表記。誤植の可能性もあるが、原本の詩集「在りし日の歌」の本文のままとした。

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)

2008年12月26日 (金)

詩人の孤独/或る男の肖像

「或る男の肖像」は、
はじめ、「或る夜の幻想」の一部でした。

 

「或る夜の幻想」は、
はじめは、6章仕立てで、
1 彼女の部屋
2 村の時計
3 彼女
4〜6 或る男の肖像
という構成でしたが、
中也は、
2を独立させ、4〜6も独立させ、
3個の作品としました。

 

したがって、
もととなった作品「或る夜の幻想」は
その1と3が残って、
これも独立した作品になったという経緯があります。

 

一つの作品が、
このような改竄(ざん)を受けたことを知るのは
「料理の裏側」を見るような驚きがあり、
創作の現場というもの、
詩人の現場での息づかいというもの、
創意と工夫と苦悩と悦楽と……
生誕の秘密と……

 

要するに
作品以前を垣間見ることができて
それなりに楽しいのですが、
それだけのことでもあります。
要するに、
そんなこと知っていても
知らなくてもOKです。
そんなことが、
素朴な読者のハンディであってはなりません。

 

「或る男の肖像」は、
詩人が、独立した作品としたのですから、
その作品を味わえばよい、
その歌を聴けばよい。

 

何かごそっと抜けたような感じとか
飛躍とか省略とか欠落とか……
もし、そのような感じがするのなら、
その飛躍とか省略とか欠落とかを味わえばよい
これらは、言い換えれば
ダイナミズムでもあります。
躍動感の源です。
何かしら、動的な詩になっている理由です。

 

1は、
ある洒落男、これは伊達男(ダテおとこ)と言えば分かりやすいか、の、
描写。
すでに死んでいる。
わずか5行で、ありありと、
その洒落振り、伊達振りが表される。
しかし、歳をとってもの洒落振りゆえに、
その男、あわれである。

 

2は、
その男の「在りし日」。
髪を撫でつけ、さっそうと遊びに出て行く男の
すーすーと風が吹き抜けていくような暮らし。

 

3は、
男の恋人が登場。
彼女は、「壁の中へ」去ってしまい、
だから、男は一人っきりで、
汚れの一つもない部屋の
真ん中にあるテーブルを拭いている。

 

この、立ち上ってくるような孤独。
きっと、ここに
詩人がいます。

 

 

 

 *
 或る男の肖像

 

   1

 

洋行帰りのその洒落者(しやれもの)は、
齢(とし)をとつても髪に緑の油をつけてた。

 

夜毎喫茶店にあらはれて、
其処(そこ)の主人と話してゐる様(さま)はあはれげであつた。

 

死んだと聞いてはいつそうあはれであつた。

 

   2

 

      ——幻滅は鋼(はがね)のいろ。
髪毛の艶(つや)と、ラムプの金との夕まぐれ
庭に向つて、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。

 

剃りたての、頚条(うなじ)も手頸(てくび)も
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。

 

開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。

 

読書も、しむみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏(たそがれ)の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。

 

   3

 

彼女は
壁の中へ這入(はひ)つてしまつた。
それで彼は独り、
部屋で卓子(テーブル)を拭いてゐた。

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2008年12月25日 (木)

もう一度会いたい女性/米子

「永訣の秋」16篇には、
女性の出てくる詩が
いくつかあります。

 

「ゆきてかへらぬ——京都——」
「あばずれ女の亭主が歌つた」
「或る男の肖像」
「米子」の4作。

 

「米子」は、女性の名前yonekoヨネコで、
「よなご」ではありません。

 

28歳の女性は、
肺病を病んでいて
ふくらはぎは細かった
(腓は、「こむら」と読み、
「ふくらはぎ」のこと。)
ポプラのように
舗道に立っていた。

 

ポプラという比喩が
病んだ女のひょろっとした
背の高い感じを表していて
中也独特です。
腓が細く、ととらえる
リアルな眼差しで細部を表し、
全体を、ポプラと鷲づかみにする、
表現力に強さがあります。

 

よねこという名前だった。
夏には、顔が、汚れて見えたが
秋冬になると、すっきりきれいになった
かぼそい声だった。

 

結婚すれば、
病気など、治ってしまうさ、
と、彼女を見ると、私はいつも思っていたが、
そう言ったことはなかった。
なぜだか、言えなかった。

 

雨上がりの午後の舗道に立っていた
あの女性のかぼそい声を
もう一度、聞いてみたい、と
このごろ
しんみりと、そんなことを思います。

 

「あばずれ女の亭主が歌つた」の

 

佳い香水のかをりより、
病院の、あはい匂ひに慕ひよる。

 

と似たような感情が
ここでも、歌われています。

 

もう一度会いたい女性を歌い、
失われた過去、過ぎ去りし日に思いを馳せ、
そして、
さらば青春!と、
失われた青春を惜しむ気持ちも託されているような作品です。

 

 *
 米子

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、
肺病やみで、腓(ひ)は細かつた。
ポプラのやうに、人も通らぬ
歩道に沿つて、立つてゐた。

 

処女(むすめ)の名前は、米子と云つた。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであつた。
——かぼそい声をしてをつた。

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なほ)るかに思はれた。と、さう思ひながら
私はたびたび処女(むすめ)をみた……

 

しかし一度も、さうと口には出さなかつた。
別に、云ひ出しにくいからといふのでもない
云つて却(かへ)つて、落胆させてはと思つたからでもない、
なぜかしら、云はずじまひであつたのだ。

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、
歩道に沿つて立つてゐた、
雨あがりの午後、ポプラのやうに。
——かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思ふのだ……

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2008年12月24日 (水)

止まった時間/村の時計

「四季」の昭和12年(1937年)3月号に載り、
昭和8年10月10日に制作されたことがわかっている
「村の時計」は
これが作られた、
なんらかの背景とか、状況とかを
探したって、意味のないことでしょう。

 

この村が、どこそこの村であるとか、
その村には、時計塔があるだの、ないだの、
そんな詮索をしたって、
無駄です。

 

大きな古びた時計がありました、
ひっきりなしに休む間もなく
その時計は動いていました、
というだけの事実を
ただ記録しているだけの詩であるかの
まるで叙景詩のようなこの詩のあじわいは、
時計は絶え間なく動いているのに、
止まってしまったかのような時間そのもの……
にあるのではないか。

 

どうして時間が止まった感じになるのか
わかりません。

 

文字板のペンキはつやがない
小さなひびがたくさんある
夕陽が当たっているけれどもおとなしい色
ぜいぜいと鳴る

 

これらが
静止した時間を
感じさせるのでしょうか

 

いかなる物語も
見当たりませんが、
数多の物語があった過去
過ぎ去りし日々を
思わせもします。

 

 *
 村の時計

 

村の大きな時計は、
ひねもす動いてゐた

 

その字板のペンキは
もう艶(つや)が消えてゐた

 

近寄つてみると、
小さなひびが沢山にあるのだつた

 

それで夕陽が当つてさへが、
おとなしい色をしてゐた

 

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴つた

 

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかつた

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)

言葉なき歌/詩論の詩

「在りし日の歌」の「永訣の秋」を読んでいると
この章の作品の選択や配列や編集に、
詩人が込めた様々な思いや
豊富な試み、実験、たくらみ……
様々な意匠=デザインに出会うことになり、
圧倒されます。

 

ここには、
終わりであることによって、
始まりを意味しようとする
編集上の意思のようなものが
くっきり現れます。

 

文也の死を悼む詩を中心に
その周りに、
女たちへの惜別の歌
都会の風景、田舎の風景を歌った詩
詩人の肖像や履歴を歌った詩
詩論や思想を盛り込んだ歌
これらのどれにも属さない「一つのメルヘン」……

 

中也詩の多様な流れが
ここにきて、
一所に集まり、
それぞれが、静かに声を挙げている。
そんなおもむきがあります。

 

東京滞在13年の生活に別れを告げ、
詩人は、
生地・山口に下る決意を固めていました。
そこで一区切りつけるための詩集の刊行でした。
原稿を、いまや、「文学界」の編集に携わっていた
小林秀雄に託します。

 

「言葉なき歌」は、
詩人の表現論の基底に流れる
独自の詩論を述べたもので、
「名辞以前の世界」
「身一点に感じる」
「エラン・ヴィタール」など
詩が伝えようするもの——あれが、

 

遠いところにあり、
遠いところではあるけれど、
夕陽にけぶっていて、
フィトルの音のようにか弱く、
煙突のけむりのように、
あかねの空にたなびいて……

 

なかなか容易にはとらえられないもので
しかし、あせらずに、
じっと、ここで待っていなくてはならないものだ、と
詩人のスタンスを述べ、
詩論を展開したものです。

 

「いのちの声」の
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。
の系譜にある作品
ということができるでしょう。

 

 *
 言葉なき歌

 

あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼(あを)く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡(あは)い

 

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女(むすめ)の眼(め)のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

 

それにしてもあれはとほいい彼方(かなた)で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音(ね)のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

 

さうすればそのうち喘(あへ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2008年12月22日 (月)

狐と狸/あばずれ女の亭主が歌つた

「永訣の秋」のトップが、
「ゆきてかへらぬ――京都――」で、
京都といえば、
中原中也が長谷川泰子と出会った地であり、
それならば、

 

 女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会ひに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。

 

と、ある「女たち」は、
「たち」と、複数形ではありますが、
長谷川泰子のことであり、
ほかに、中也の交際した女があったとしても、
泰子が含まれていることは間違いなく、

 

1937年(昭和12年)という、
詩人が、この世から去る年になっても、
泰子がここに登場するということに
驚く人がいるかもしれませんが、
それほど、驚くべきことではありません。

 

中也と泰子の関係は、
そのようなものだった、と、
余計なことを考えないで、
受け止めた方が自然というものです。

 

「ゆきてかへらぬ」の次の次にある
「あばずれ女の亭主が歌つた」には、
もっともっとヴィヴィッドに
泰子は登場しますし、
このタイトルの、
あばずれ女が泰子で、
亭主が中也であることは、
もはや、定説です。

 

そのような考証が行われてきたのですが、
これらのことを離れても
詩は読めるのだ、ということは、
強調されて過ぎることはありません。

 

あばずれ女がいたんだな、と、
読者は、まず、思い思いに、
あばずれ女をイメージし、
その亭主の口を借りて歌われている詩なのだな、と、
詩句を読み進めながら、
そのイメージを訂正したり、
ふくらませたりしていけば、
作品に近づくことになります。

 

ここに歌われている
あばずれ女とその亭主は、
その辺によくみかける
普通の男と女です。
「狐と狸」に比すことができそうに
俗っぽい男と女です。
ほとんど、普遍化された
男と女の関係です。

 

中也はそのように、
泰子との関係を思いなしたかったという
希望であると同時に
その関係の終わりを歌ったものでもありましょう。

 

 *
 あばずれ女の亭主が歌つた

 

おまへはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。
おれもおまへを愛してる。前世から
さだまつていることのやう。

 

そして二人の魂は、不識(しらず)に温和に愛し合ふ
もう長年の習慣だ。

 

それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があつて、

 

いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思ふのだ。

 

佳い香水のかをりより、
病院の、あはい匂ひに慕ひよる。

 

そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあふ。

 

そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。

 

あゝ、二人には浮気があつて、
それが真実(ほんと)を見えなくしちまふ。

 

佳い香水のかをりより、
病院の、あはい匂ひに慕ひよる。

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2008年12月20日 (土)

薄命そうなピエロ/幻影

「ゆきてかへらぬ」(四季)
「一つのメルヘン」(文芸汎論)
「幻影」(文学界)
「あばずれ女の亭主が歌った」(歴程)

 

「永訣の秋」冒頭の4作品は、
1937年11月の文芸誌に発表されている、
という共通点があり、
制作日時も同じころであろう、
と推測され、
各誌の原稿締切日が分かれば、
順番もある程度は明らかになってくるではないか、
という想定で、
考証され、研究されてきました。

 

原稿締切日は、
だいたいが、発行日の2か月前、
ということになっています。

 

ということで、
「幻影」は、
「文学界」1937年11月号に掲載されたのですから、
同年9月以前の制作ということになります。
ということは、
長男文也の死以前の作ということになります。

 

この作品で、
詩人は、自らをピエロになぞらえて
詩人のイメージを語るのですが、
第1連、
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、

 

と、そのピエロが、
薄命そうであることが、
のっけに歌われると、
ギクリとせざるをえません。
中也は、この時点で、死を予感していたのではないか、
などと、性急な読者のだれかが、思っても、
仕方のないことかもしれません。

 

元気のなさそうな
詩人のイメージは、
この詩を作っていた時点で、
単に体調が思わしくなかったことからくるのか、
すでに、死に至る病に冒されていたことからくるのか、
もっと、ほかのことからくるのか、
わからないことですが、
このピエロは、弱々しげです。

 

紗は、薄く透き通った絹織物のことで、
それで作られた服を着たピエロが、
月光を一身に浴びて、
パントマイムでもしているのですが、
そのパントマイムが伝わらないで、
観客に、あわれげに思われるだけだった

 

身振り手振りで、
くちびるを動かしてしゃべっている振りまでしているのだけど、
まるで、古い影絵を見ているようで、
音も出さないマイムなので
何を言っているのかが伝わりません

 

あやしく明るい霧の中に
浮かび上がるその姿は
ゆるやかに動いていて、
でも、
眼差しには、
なんともいえない
やさしさがこもっているのがわかりました。

 

この、最後の1行に
ピエロ=詩人への肯定があり、
その肯定は、オマージュとなっているのですが、
それも、まぼろしだったのか……。

 

 *
 幻影

 

私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、
それは、紗(しや)の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びてゐるのでした。

 

ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あわれげな 思ひをさせるばつかりでした。

 

手真似につれては、唇(くち)も動かしてゐるのでしたが、
古い影絵でも見てゐるやう——
音はちつともしないのですし、
何を云つてるのかは 分りませんでした。

 

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)

2008年12月19日 (金)

京都回想/ゆきてかへらぬ

詩集「在りし日の歌」の
「永訣の秋」に戻ります。

 

「永訣の秋」16篇中に、
中也は、
長男文也の死を悼んだ作品を
意識して、集めたようです。
しかし、それらは、
文也の死を固有に歌ったものとは限らず
文也の死に、必ずしも、結びつけなくても読める
普遍性をもった作品でもありました。

 

その上、
「永訣の秋」は
もちろん、
「死一色」では、
ありません。

 

冒頭の4作、
「ゆきてかへらぬ」(四季)
「一つのメルヘン」(文芸汎論)
「幻影」(文学界)
「あばずれ女の亭主が歌った」(歴程)

 

は、1937年11月の文芸誌に発表されている、
という共通点があり、
一括りにみることができますが、
これらは、「死」を歌っているとはかぎりませんし、
少なくとも、直接的には歌いませんし、
内容もそれぞれです。

 

各誌に見合った作品を発表したことがわかり、
バラエティーに富んでいます。

 

「ゆきてかへらぬ」は、
「往きて帰らぬ」で、往き去って帰らない。
「京都」とあるのは、
「京都にて」ではなくて、
「京都で過ごした青春」
ほどに受け取ったほうがよいでしょう。

 

山口中学を落第し、
京都の立命館中学へ転入した「詩人の卵」は、
親元を離れたことで、
自由を謳歌するように、
京都で暮らします。

 

詩集「ダダイスト新吉の詩」にふれ、
長谷川泰子と出会い、
富永太郎を知った京都です。

 

中也は、
16歳から約3年間、京都にいました。
その京都を、
約15年後に、30歳の詩人が
振り返るのです。

 

 *
 ゆきてかへらぬ
     ――京都――

 

 僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒(そそ)ぎ、風は花々揺(ゆす)つてゐた。

 

 木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々(あかあか)と、風車を付けた乳母車(うばぐるま)、いつも街上に停(とま)つてゐた。

 

 棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者(みより)なく、風信機(かざみ)の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。

 

 さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。

 

 煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。

 

 さてわが親しき所有品(もちもの)は、タオル一本。枕は持つてゐたとはいへ、布団(ふとん)ときたらば影だになく、歯刷子(はぶらし)くらゐは持つてもゐたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。

 

 女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会ひに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。

 

 名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。

 

           *             *
                  *

 

 林の中には、世にも不思議な公園があつて、不気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。

 

 さてその空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いてゐた。

2008年8月31日 (日)

後記/詩人生活15年

「山羊の歌」を読み終え、中原中也という詩人の魂に少しでも触れてしまった人は、いま、どのような気持ちを抱いていることでしょうか。

 

振り返って、あの詩がよかった、とか、あの、理解の届かなかった詩をもう一度読み直してみたい、とか、ここで少し間をおいて、じっくり味わい返しておきたい、などと、思いはさまざまであることでしょう。

 

その思いこそは、詩を読んだということの収穫というものであり、内実というものであり、読んだ人の心の中だとか、言葉の中だとか、さまざまな形で、血になったり、肉になったり、骨になったり……していることでしょう。そのことを想像するだけで、胸が広がる思いがします。

 

中也の詩作品は、「山羊の歌」「在りし日の歌」という公刊された詩集のほかに、詩誌や雑誌などに発表された作品(生前発表詩篇)や、原稿のまま残されていた未発表の作品や草稿(未発表詩篇)があります。これらを全部含めると、およそ300篇の詩の作品があり、「山羊の歌」は44篇、「在りし日の歌」は58篇ですから、全詩の約3割ほどしか読み終えていないことになります。

 

「山羊の歌」に3ヶ月かかりました。
サラリーマンが、仕事の合間を見つけて、少し努力して、このペースです。

 

というわけもありまして、
「在りし日の歌」を読み進んでいくことにします。

 

はじめに、中原中也が、後記に記した「自伝」をまず読んでおきましょう。

 

「もし詩を以て本職とする覚悟をした日からを詩生活と称すべきなら、十五年間の詩生活である。」と、詩人自らが言う「15年」を思ってみてください。幾分オーバーな言い方かも知れませんが、詩のことばかりを考えて15年、というのは、恐るべき、長い月日ではありませんか!

 

後記に記した日付の約1ヶ月後に、詩人は死んでしまいます。

 

 *
 後記

 

 茲(ここ)に収めたのは、『山羊の歌』以後に発表したものの過半数である。作つたのは、最も古いのでは大正十四年のもの、最も新しいのでは昭和十二年のものがある。序(つい)でだから云ふが、『山羊の歌』には大正十三年春の作から昭和五年春迄のものを収めた。
 詩を作りさへすればそれで詩生活といふことが出来れば、私の詩生活も既(すで)に二十三年を経た。もし詩を以て本職とする覚悟をした日からを詩生活と称すべきなら、十五年間の詩生活である。
 長いといへば長い、短いといへば短いその年月の間に、私の感じたこと考へたことは尠(すくな)くない。今その概略を述べてみようかと、一寸思つてみるだけでもゾッとする程だ。私は何にも、だから語らうとは思はない。たゞ私は、私の個性が詩に最も適することを、確実に確かめた日から詩を本職としたのであつたことだけを、ともかくも云つておきたい。
 私は今、此の詩集の原稿を纏め、友人小林秀雄に托し、東京十三年間の生活に別れて、郷里に引籠るのである。別に新しい計画があるのでもないが、いよいよ詩生活に沈潜しようと思つてゐる。
 扨(さて)、此の後どうなることか……それを思へば茫洋とする。
 さらば東京! おゝわが青春!
                           〔一九三七、九、二三〕

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
 *原文のルビは、( )内に表記しました。(編者)

 

 

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