「むさしさ」からはじまる<10>
「むなしさ」には
ポール・ベルレーヌの「ダリア」の影響がみられ
その日本語訳を参考にしたかもしれないということで
上田敏
鈴木信太郎
堀口大学ら
また、措辞や詩の調子の類縁という点から
宮沢賢治
富永太郎
北原白秋
岩野泡鳴らの名前が挙げられていますが
最も大きな特徴は
文語定型詩や
五七調(およびその破調としての七七など)へ
いはば回帰をみせているということがいえます
ダダイズムの詩から
もっとも遠い地平にあるのが
日本の古語の世界ではないか、と
詩人が考えた形跡は見つかりませんが
ダダからの脱皮を示す
目に見える形として
文語定型詩が存在することを見出すのに
たいした苦労はなかったはずでした
第1連第2行
心臓はも 条網に絡(から)み
この「はも」は
「古事記」に
さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも
とある有名な
オトタチバナヒメの詠んだ歌の末尾の
「君はも」の「はも」を
すぐさま連想させますが
中原中也が
この歌を思い描きながら
「むなしさ」を歌ったかどうかは別にしましても
上代の和歌で使用された接尾語を
このように駆使しているという事実は
最終連第1行
偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
の「そも」が
「雨夜の品定め」として有名な
「源氏物語」の「帚木の巻」の冒頭に
そもまことにその方を取り出でむ選びにかならず漏るまじきは、いと難しや。
とあるくだりの「そも」を
詩人が記憶していたことをも
推測させますが
これは想像の範囲を超えるものではまったくありません。
どちらのケースにしても
少年時代から
短歌制作に打ち込んでいた中原中也が
その過程で古語に親しんだことに間違いはなく
「古事記」も「源氏物語」も
一度くらい目に通しても
不思議なことではありませんから
自作の詩の中に使用するほどの
身についた素養であって自然でした。
このようにして
「むなしさ」には
昭和初期の中原中也の
からだの中にあった
全ての「詩の技(わざ)」が
投げ込まれてあった、と
見ることができます。
摂取や受容に
詩人は必死なのでしたし
摂取や受容を自己のものにするのにも必死でしたし
自己の詩が確立されるのは
もう一息というところにいました。
*
むなしさ
臘祭(らふさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
心臓はも 条網に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなち)も露(あら)は
よすがなき われは戯女(たはれめ)
せつなきに 泣きも得せずて
この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とほ)き空 線条に鳴る
海峡岸 冬の暁風
白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(くわべん)
凍(い)てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女の集(つど)ひ
それらみな ふるのわが友
偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
胡弓の音 つづきてきこゆ
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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