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カテゴリー「0021はじめての中原中也/長男文也の死と詩人の死」の記事

2008年12月18日 (木)

長男文也の死をめぐって/中原中也の死

「草稿詩篇」(1937年)6篇のうち、
「夏と悲運」だけは、
 (一九三七・七)と
制作日が記されています。
中也が亡くなるのは
10月22日ですから、
死の約4か月前の作です。

 

小学校の音楽の授業で
オルガンを弾く先生が
アアアアアアアと音程練習をさせる光景は、
だれでも経験することでしょうが、
あの、なんとも言えない滑稽さに
少年は吹き出してしまって、
廊下に立たされた。

 

誰が見たって
可笑しいのに
なんでぼくが罰をうけなあきゃならないんだよ

 

遠い昔の
悲運を
詩人は
この時になって
思い出し……

 

30年生きてきたけれど
思えば、悲運ばかりが続いた……
と、あれこれ思い出す中に
文也の死がないわけがありません。

 

「少女と雨」の
最終行、

 

花畑を除く一切のものは
みんなとつくに終つてしまつた 夢のやうな気がしてきます

 

「秋の夜に、湯に浸り」の
冒頭行、

 

秋の夜に、独りで湯に這入(はい)ることは、
淋しいぢやないか。

 

このあたりにも
文也の死を
心の芯で受け止めている
詩人があります。

 

「秋の夜に、湯に浸り」と「四行詩」との間には
どれほどの時間が流れたことでしょうか。

 

おまえはもう
静かな部屋に
帰るがよい。

 

おまへはもう
郊外の道を
辿(たど)るがよい。

 

心の呟(つぶや)きを、
ゆつくりと聴くがよい。

 

あたかも、
自らの死に
したがうかのようでありながら、

 

自分の生存への
エールのような
うたを
きざみ……

 

その何日か後に
亡くなりました。

 

 *
 少女と雨

 

少女がいま校庭の隅に佇んだのは
其処(そこ)は花畑があつて菖蒲(しょうぶ)の花が咲いてるからです

 

菖蒲の花は雨に打たれて
音楽室から来るオルガンの 音を聞いてはゐませんでした

 

しとしとと雨はあとからあとから降つて
花も葉も畑の土ももう諦めきつてゐます

 

その有様をジッと見てると
なんとも不思議な気がして来ます

 

山も校舎も空の下(もと)に
やがてしづかな回転をはじめ

 

花畑を除く一切のものは
みんなとつくに終つてしまつた 夢のやうな気がしてきます

 

 *
 夏と悲運

 

とど、俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられない。

 

思へば小学校の頃からだ。
例へば夏休みも近づかうといふ暑い日に、
唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイー、
すると俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられなかつた。
格別、先生の口唇が、鼻腔が可笑しいといふのではない、
起立して、先生の後から歌ふ生徒等が、可笑しいといふのでもない、
それどころか俺は大体、此の世に笑ふべきものが存在(ある)とは思つてもゐなかつた。
それなのに、とど、笑ひ出さずにやゐられない、
すると先生は、俺を廊下に出して立たせるのだ。
俺は風のよく通る廊下で、淋しい思ひをしたもんだ。
俺としてからが、どう解釈のしやうもなかつた。
別に邪魔になる程に、大声で笑つたわけでもなかつたし、
然(しか)し先生がカンカンになつてゐることも事実だつたし、
先生自身何をそんなに怒るのか知つてゐぬことも事実だつたし、
俺としたつて意地やふざけで笑つたわけではなかつたのだ。
俺は廊下に立たされて、何がなし、「運命だ」と思ふのだつた。

 

大人となつた今日でさへ、さうした悲運はやみはせぬ。
夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。
やがて俺は人生が、すつかり自然と游離してゐるやうに感じだす。
すると俺としたことが、もう何もする気も起らない。
格別俺は人生が、どうのかうのと云ふのではない。
理想派でも虚無派でもあるわけではとんとない。
孤高を以て任じてゐるなぞといふのでは尚更(なおさら)ない。
しかし俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。

 

どうしてそれがさうなのか、ほんとの話が、俺自身にも分らない。
しかしそれが結果する悲運ときたらだ、いやといふほど味はつてゐる。
                      (一九三七・七)
 *
 秋の夜に、湯に浸り

 

秋の夜に、独りで湯に這入(はい)ることは、
淋しいぢやないか。

 

秋の夜に、人と湯に這入ることも亦(また)、
淋しいぢやないか。

 

話の駒が合つたりすれば、
その時は楽しくもあらう

 

然しそれといふも、何か大事なことを
わきへ置いといてのことのやうには思はれないか?

 

ーー秋の夜に湯に這入るには……
独りですべきか、人とすべきか?
所詮は何も、
決ることではあるまいぞ。

 

さればいつそ、潜つて死にやれ!
それとも汝、熱中事を持て!

 

 *
 四行詩

 

おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発(かんぱつ)する都会の夜々の燈火を後(あと)に、
おまへはもう、郊外の道を辿(たど)るがよい。
そして心の呟(つぶや)きを、ゆつくりと聴くがよい。

 

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

長男文也の死をめぐって/草稿詩篇1937年

「草稿詩篇」(1937年)は、
中也最晩年の作品6篇が
まとめられています。

 

「春と恋人」
「少女と雨」
「夏と悲運」
「(嘗てはラムプを、とぼしてゐたものなんです)」
「秋の夜に、湯に浸り」
「四行詩」

 

の、6篇ですが、
「夏と悲運」は、
すでに、「タイトルに夏のある詩」で読みました。
いずれも、
中也の「最終詩」です。
「四行詩」は、
中也「最期の詩」です。

 

以下に作品を載せます。
「(嘗てはラムプを、とぼしてゐたものなんです)」
「四行詩」の2作品を除いて、
文也の死の影が落ちているような、
そうとも断定できないような、
喪失感とか、悲運とか……
絶望とか、諦念とか……が、
感じられます。

 

 *
 春と恋人そこ
美しい扉の親しさに
私が室(へや)で遊んでゐる時、
私にかまはず実つてた
新しい桃があつたのだ……

 

街の中から見える丘、
丘に建つてたオベリスク、
春には私に桂水くれた
丘に建つてたオベリスク……

 

蜆(しじみ)や鰯(いわし)を商ふ路次の
びしょ濡れの土が歌つてゐる時、
かの女は何処(どこ)かで笑つてゐたのだ

 

港の春の朝の空で
私がかの女の肩を揺つたら、
真鍮(しんちゅう)の、盥(たらひ)のやうであつたのだ……

 

以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……

 

*オベリスク 古代エジプトで神殿の左右に建てた、四角い尖った石柱。
*桂水 「桂」は、香木の名。匂いの良い水の意か。

 

 *
 少女と雨

 

少女がいま校庭の隅に佇んだのは
其処(そこ)は花畑があつて菖蒲(しょうぶ)の花が咲いてるからです

 

菖蒲の花は雨に打たれて
音楽室から来るオルガンの 音を聞いてはゐませんでした

 

しとしとと雨はあとからあとから降つて
花も葉も畑の土ももう諦めきつてゐます

 

その有様をジッと見てると
なんとも不思議な気がして来ます

 

山も校舎も空の下(もと)に
やがてしづかな回転をはじめ

 

花畑を除く一切のものは
みんなとつくに終つてしまつた 夢のやうな気がしてきます

 

 *
 夏と悲運

 

とど、俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられない。

 

思へば小学校の頃からだ。
例へば夏休みも近づかうといふ暑い日に、
唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイー、
すると俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられなかつた。
格別、先生の口唇が、鼻腔が可笑しいといふのではない、
起立して、先生の後から歌ふ生徒等が、可笑しいといふのでもない、
それどころか俺は大体、此の世に笑ふべきものが存在(ある)とは思つてもゐなかつた。
それなのに、とど、笑ひ出さずにやゐられない、
すると先生は、俺を廊下に出して立たせるのだ。
俺は風のよく通る廊下で、淋しい思ひをしたもんだ。
俺としてからが、どう解釈のしやうもなかつた。
別に邪魔になる程に、大声で笑つたわけでもなかつたし、
然(しか)し先生がカンカンになつてゐることも事実だつたし、
先生自身何をそんなに怒るのか知つてゐぬことも事実だつたし、
俺としたつて意地やふざけで笑つたわけではなかつたのだ。
俺は廊下に立たされて、何がなし、「運命だ」と思ふのだつた。

 

大人となつた今日でさへ、さうした悲運はやみはせぬ。
夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。
やがて俺は人生が、すつかり自然と游離してゐるやうに感じだす。
すると俺としたことが、もう何もする気も起らない。
格別俺は人生が、どうのかうのと云ふのではない。
理想派でも虚無派でもあるわけではとんとない。
孤高を以て任じてゐるなぞといふのでは尚更(なおさら)ない。
しかし俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。

 

どうしてそれがさうなのか、ほんとの話が、俺自身にも分らない。
しかしそれが結果する悲運ときたらだ、いやといふほど味はつてゐる。
                      (一九三七・七)

 

*とど とどのつまり。結局。

 

 *
 「(嘗てはラムプを、とぼしてゐたものなんです)」

 

嘗(かつ)てはラムプを、とぼしてゐたものなんです
今もう電燈(でんき)の、ない所は殆どない。
電燈もないやうな、しづかな村に、
旅をしたいと、僕は思ふけれど、
卻々(なかなか)それも、六ヶ敷(むつかし)いことなんです。

 

吁(ああ)、科学……
こいつが俺には、どうも気に食はぬ。
ひどく愚鈍な奴等までもが、
科学ときけばにつこりするが、
奴等にや精神(こころ)の、何事も分らぬから、
科学とさへ聞きや、につこりするのだ。

 

汽車が速いのはよろしい、許す!
汽船が速いのはよろしい、許す!
飛行機が速いのはよろしい、許す!
電信、電話、許す!
其(そ)の他はもう、我慢がならぬ。
知識はすべて、悪魔であるぞ。
やんがて貴様等にも、そのことが分る。

 

エエイッ、うるさいではないか電車自働車と、
ガタガタガタガタ、朝から晩まで。
いつそ音のせぬのを発明せい、
音はどうも、やりきれぬぞ。

 

エエイッ、音のないのを発明せい、
音のするのはみな叩き潰(つぶ)せい!

 

 *
 秋の夜に、湯に浸り

 

秋の夜に、独りで湯に這入(はい)ることは、
淋しいぢやないか。

 

秋の夜に、人と湯に這入ることも亦(また)、
淋しいぢやないか。

 

話の駒が合つたりすれば、
その時は楽しくもあらう

 

然しそれといふも、何か大事なことを
わきへ置いといてのことのやうには思はれないか?

 

ーー秋の夜に湯に這入るには……
独りですべきか、人とすべきか?
所詮は何も、
決ることではあるまいぞ。

 

さればいつそ、潜つて死にやれ!
それとも汝、熱中事を持て!

 

 *
 四行詩

 

おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発(かんぱつ)する都会の夜々の燈火を後(あと)に、
おまへはもう、郊外の道を辿(たど)るがよい。
そして心の呟(つぶや)きを、ゆつくりと聴くがよい。

 

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

2008年12月17日 (水)

長男文也の死をめぐって/暗い公園

文也の死の11月10日から
7日後の日付の記された作品に、
「暗い公園」という詩があります。

 

「夏の夜の博覧会はかなしからずや」と同じく、
「在りし日の歌」にも選ばれず、
雑誌などにも発表されなかった作品です。
これらは、
「草稿詩篇(1933年~1936年)」と
分類されている中にあり、
この中では、この2作品だけが、
文也死後の作品と推定されているのです。

 

文也死後に、
中原中也が書き残した未発表詩篇は、
この他に、
「療養日誌・千葉寺雑記」(1937年)の中の詩篇と、
「草稿詩篇(1937年)」があります。
この中に、
文也追悼の詩があるとは断定できませんが、
ないとも断定できません。

 

そもそも、
中也のこの頃の作品は特に、
死をあつかったものがほとんどといってよく、
死と生の間の距離がなくなっていたりする作品さえありますから、
それが、文也の死と無関係かどうか、
容易には断定できません。

 

「暗い公園」は、
「ハタハタ」というオノマトペ(擬音語)にさしかかって、
ただちに、「曇天」を思い出させる作品です。

 

最終行の、
けれど、あゝ、何か、何か……変つたと思つてゐる。

 

ここに文也の死をあえて見る必要はありませんが、
見ることも可能です。

 *
 暗い公園

 

雨を含んだ暗い空の中に
大きいポプラは聳(そそ)り立ち、
その天頂(てつぺん)は殆んど空に消え入つてゐた。

 

六月の宵、風暖く、
公園の中に人気はなかつた。
私はその日、なほ少年であつた。

 

ポプラは暗い空に聳り立ち、
その黒々と見える葉は風にハタハタと鳴つてゐた。
仰ぐにつけても、私の胸に、希望は鳴つた。

 

今宵も私は故郷(ふるさと)の、その樹の下に立つてゐる。
其(そ)の後十年、その樹にも私にも、
お話する程の変りはない。

 

けれど、あゝ、何か、何か……変つたと思つてゐる。
(1936.11.17)

 

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

2008年12月11日 (木)

長男文也の死をめぐって/月の光2

「月の光」は、
「その一」「その二」とを
独立した作品としていますが、
内容は、連続していて、
二つに分けた
中也の意図がみえません。

 

その一の「お庭」「草叢」
その二の「庭」「芝生」「森」……
これらは、みんな、あの世のものでしょう。

 

あの世の「庭」の「草叢」に
死んだ子供が「隠れている」
まだ、あの世にも慣れていないのでしょうか。
死んだばかりの子どもは控え目です。

 

そこへ
チルシスとアマントが「出て来てる」。
どこからか「出て来てる」のが、
あの世的な感じがします。
その、どこかが、不気味です。

 

持ってきたギターは放り出されたまま……
この、無音の情景! 沈黙の世界!
チルシスとアマントも
こそこそと
話しているのです。

 

その間、
森の中では死んだ子が
蛍のやうに
蹲んでいるのです。

 

 *
 月の光 その一

 

月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた

 

  お庭の隅の草叢(くさむら)に
  隠れてゐるのは死んだ児だ

 

月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた

 

  おや、チルシスとアマントが
  芝生の上に出て来てる

 

ギタアを持つては来てゐるが
おつぽり出してあるばかり

 

  月の光が照つてゐた
  月の光が照つてゐた

 

 *
 月の光 その二

 

おゝチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる

 

ほんに今夜は春の宵(よひ)
なまあつたかい靄(もや)もある

 

月の光に照らされて
庭のベンチの上にゐる

 

ギタアがそばにはあるけれど
いつかう弾き出しさうもない

 

芝生のむかふは森でして
とても黒々してゐます

 

おゝチルシスとアマントが
こそこそ話してゐる間

 

森の中では死んだ子が
蛍のやうに蹲(しやが)んでる

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)

長男文也の死をめぐって/月の光

詩集「在りし日の歌」の章「永訣の秋」の16篇の、
発表メディア、制作年を見ておきます。

 

ゆきてかへらぬ—京都—    四季、昭和11年11月号
                          11年9月?
一つのメルヘン      文芸汎論、昭和11年11月号
                          11年9月?
幻影               文学界、昭和11年11月号
                          11年9月?
あばずれ女の亭主が歌つた 歴程、昭和11年11月号
                          11年9月号
言葉なき歌           文学界、昭和11年12月号
                          11年10月?
月夜の浜辺          新女苑、昭和12年2月号
                          11年12月?
また来ん春……        文学界、昭和12年2月号
                                 11年11月中旬~12月下旬?
月の光 その一        文学界、昭和12年2月号 
                                 11年11月中旬~12月下旬?  
月の光 その二        文学界、昭和12年2月号
                                 11年11月中旬~12月下旬?
村の時計              四季、昭和12年3月号
                              8年10月10日
或る男の肖像           四季、昭和12年3月号
                            8年10月10日
冬の長門峡             文学界、昭和12年4月号
                             11年12月24日
米子                    ペン、昭和11年12月
                             11年10月中旬?
正午 丸ビル風景         文学界、昭和12年10月号
                             12年8月?
春日狂想               文学界、昭和12年5月号
                             12年3月
蛙声                   四季、昭和12年7月号
                              12年5月14日

 

 * 「中原中也必携」調べ、吉田煕生編、学燈社、1979年
 * ?のあるものは、推定を意味します。

 

それぞれが雑誌などに発表されましたが、
そのうち、
文也の死んだ昭和12年11月10日より後に
作られたものが、
追悼詩の可能性がありますが、
追悼詩ではないものも、当然、あります。

 

文也の死以前に制作されたものを除くと、
追悼詩であろうと推定されるのが、以下、

 

「月夜の浜辺」  
「また来ん春……」
「月の光 その一」
「月の光 その二」
「冬の長門峡」  
「春日狂想」   
「蛙声」     
の、7篇に絞られます。

 

この他に、詩集に載らなかった
未発表詩篇にも、
いくつかの追悼詩はあります。

 

(この稿、つづく)

 

 *
 月の光 その一

 

月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた

 

  お庭の隅の草叢(くさむら)に
  隠れてゐるのは死んだ児だ

 

月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた

 

  おや、チルシスとアマントが
  芝生の上に出て来てる

 

ギタアを持つては来てゐるが
おつぽり出してあるばかり

 

  月の光が照つてゐた
  月の光が照つてゐた

 

 *
 月の光 その二

 

おゝチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる

 

ほんに今夜は春の宵(よひ)
なまあつたかい靄(もや)もある

 

月の光に照らされて
庭のベンチの上にゐる

 

ギタアがそばにはあるけれど
いつかう弾き出しさうもない

 

芝生のむかふは森でして
とても黒々してゐます

 

おゝチルシスとアマントが
こそこそ話してゐる間

 

森の中では死んだ子が
蛍のやうに蹲(しやが)んでる

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)

2008年12月 9日 (火)

長男文也の死をめぐって/月夜の浜辺

それ、と知らないで読んでいれば、
それなりに、いい詩だなあ、などと、
読んでいられるのですが……。

 

月夜の浜辺に落ちていたボタン、
となると、これは、
灰皿に落ちていた輪ゴム、
ほどの必然ではなく、
全くの偶然ですから、
そんな偶然は
文也以外の何者によってももたらされることはない、
と、詩人は思いたかったのでしょうから、
それは大事にしなければならない偶然です。

 

それを歌っているのですから、
やはり、これは、
文也の死を悼んだ詩であると思えます。

 

季節は暖かい頃のことでしょうか

 

 *
 月夜の浜辺

 

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

 

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

 

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

 

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛(はふ)れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

 

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。

 

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)

2008年12月 8日 (月)

長男文也の死をめぐって<11>文也の一生5

サーカスをみる。
飛行機にのる。
坊や喜びぬ。
帰途不忍池を貫く路を通る。
上野の夜店をみる。

 

みる。のる。喜びぬ。通る。みる。
と、トントントンと、リズムを刻んで、
7月、親子3人で行った万国博覧会の思い出を綴っていた詩人は、
溢れてくる悲しみに耐えかねたのか、
それとも……
ほとばしる詩情に誘われたのか、
それとも……
記録に飽き足りなかったのか、

 

ここで、日記を中止します。
そして、約2週間後に、
一つの歌をつくりはじめます

 

夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

 

と、詠みはじめたのです。
歌いはじめれば、とまりませんが……。

 

日記と詩の間に、
表面上の断絶はなく、
まっすぐに、繋がっていますが、
約2週間という長い時間を要したのであり、
深い断絶があったのです。

 

日記「文也の一生」は、
1936年12月12日に、
詩作品「夏の夜の博覧会はかなしからずや」は、
同12月24日に書かれました。

 

この2週間に
詩人が被(こうむ)った深い悲しみを
思わずにはいられません。

 

「夏の夜の博覧会はかなしからずや」を書き終えた後、
呼吸を整えた感じで、
今度は、「冬の長門峡」を歌いました。
同じ12月24日でした。

 

2作品を併せて載せておきます。

 

 *
 夏の夜の博覧会はかなしからずや
     1
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
雨ちよつと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

 

女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に僕と坊やとはゐぬ、
二人蹲んで(しやがんで)ゐぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ

 

三人博覧会を出でぬ、かなしからずや
不忍ノ池(しのばずのいけ)の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ

 

そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりき、かなしからずや、
髪毛風に吹かれつ
見てありぬ、見てありぬ、かなしからずや
それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや

 

広小路にて玩具を買ひぬ、兎の玩具かなしからずや

 

     2
その日博覧会入りしばかりの刻(とき)は
なほ明るく、昼の明(あかり)ありぬ、

 

われも三人(みたり)飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ

 

飛行機の夕空は、紺青(こんじやう)の色なりき
燈光は、貝釦(かひボタン)の色なりき

 

その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を
その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、紺青の空!
      (一九三六・一二・二四)

 

 *
 冬の長門峡

 

長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

 

われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。

 

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

 

水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

 

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。

 

ああ! ——そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。

2008年12月 6日 (土)

長男文也の死をめぐって<10>文也の一生4

「文也の一生」は、
昭和9年(1934)8月 春よりの孝子の眼病の大体癒つたによつて帰省。
と書き出されます。

 

このことから、詩人が、「文也の一生」を、
日記の一こまとして書いたということがわかります。
妻孝子が、当時患っていた眼病のことから
書き起こすのは、とても自然のことでした。

 

「文也の一生」を書きながら、
詩人は、それまでのように、普段通り、
自身の一生の日記を記していたのですから。

 

10月18日生れたりとの電報をうく。
生れてより全国天気一か月余もつゞく。
孝子に負はれたる文也に初対面。小生をみて泣く。
それより祖母(中原コマ)を山口市新道の新道病院に思郎に伴はれて面会にゆく。
12月9日午後詩集山羊の歌出来。それを発送して午後8時頃の下関行にて東京に立つ。小澤、高森、安原、伊藤近三見送る。駅にて長谷川玖一と偶然一緒になる。玖一を送りに藤堂高宣、佐々木秀光来てゐる。
その間小生はランボオの詩を訳す。
1月の半ば頃高森文夫上京の途寄る。たしか3泊す。二人で玉をつく。
9月ギフの女を傭ふ。
拾郎早大入試のため3月10日頃上京。
拾郎合格。
小生一人青山を訪ねたりしも不在。すぐに帰る。
7月敦夫君他へ下宿す。

 

以上のように、ざっと見ても、
「文也の一生」の半分近くが
詩人中原中也の日常の記述です。
その中に
長男文也の成長の記録が
挟まれているといってもよいくらいなことがわかります。

 

そして、
その年の6月、7月、8月……と日を追い、
また、書き忘れたことを思い出して、
7月に戻って、
7月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。
と、書き足します。

 

そして、
飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。
と、書いたところで、記録はプツンと切れてしまいます。

 

 *
 日記(1936年)文也の一生

 

昭和9年(1934)8月 春よりの孝子の眼病の大体癒つたによつて帰省。9月末小生一人上京。文也9月中に生れる予定なりしかば、待つてゐたりしも生れぬので小生一人上京。

 

10月18日生れたりとの電報をうく。八白先勝みづのえといふ日なりき。その午後1時山口市後河原田村病院(院長田村旨達氏の手によりて)にて生る。生れてより全国天気一か月余もつゞく。

 

 昭和9年12月10日小生帰省。午後日があたつてゐた。客間の東の6畳にて孝子に負はれたる文也に初対面。小生をみて泣く。

 

それより祖母(中原コマ)を山口市新道の新道病院に思郎に伴はれて面会にゆく。祖母ヘルニヤ手術後にて衰弱甚だし。
(12月9日午後詩集山羊の歌出来。それを発送して午後8時頃の下関行にて東京に立つ。小澤、高森、安原、伊藤近三見送る。駅にて長谷川玖一と偶然一緒になる。玖一を送りに藤堂高宣、佐々木秀光来てゐる。)手術後長くはないとの医者の言にもかゝかはらず祖母2月3日まで生存。その間小生はランボオの詩を訳す。

 

1月の半ば頃高森文夫上京の途寄る。たしか3泊す。二人で玉をつく。高森滞在中は坊やと孝子オ部屋の次の次の8畳の間に寝る。

 

祖母退院の日は好晴、小生坊やを抱いて祖母のフトンの足の方に立つてゐたり、東の8畳の間。

 

9月ギフの女を傭ふ。12月23日夕暇をとる。

 

坊や上京四五日にして匍ひはじむ。「ウマウマ」は山口にゐる頃既に云ふ。9月10日頃障子をもつて起つ。9月20日頃立つて一二歩歩く。間もなく歩きだし、間もなく階段を登る。降りることもぢきに覚える。

 

拾郎早大入試のため3月10日頃上京。間もなく宇太郎君上京、同じく早大入試のため。

 

坊や此の頃誰を呼ぶにも「アウチヤン」なり。

 

拾郎合格。宇太郎君山高合格。

 

8月の10日頃階段中程より顚落。そのずつと前エンガハより庭土の上に顚落。

 

7月10日拾郎帰省の夜は坊やと孝子と拾郎と小生4人にて谷町交番より円タクにて新宿にゆく。ウチハや風鈴を買ふ。新宿一丁目にて拾郎に別れ、同所にて坊やと孝子江戸川バスに乗り帰る。小生一人青山を訪ねたりしも不在。すぐに帰る。坊やねたばかりの所なりし。

 

春暖き日坊やと二人で小澤を番衆会館アパートに訪ね、金魚を買ってやる。

 

同じ頃動物園にゆき、入園した時森にとんできた烏を坊や「ニヤーニヤー」と呼ぶ。大きい象はなんとも分からぬらしく子供の象をみて「ニヤーニヤー」といふ。豹をみても鶴をみても「ニヤーニヤー」なり。

 

やはりその頃昭和館にて猛獣狩をみす。一心にみる。

 

6月頃四谷キネマに夕より敦夫君と坊やをつれてゆく。ねむさうなればおせんべいをたべさせながらみる。

 

7月敦夫君他へ下宿す。

 

8月頃靴を買ひに坊やと二人で新宿を歩く。春頃親子3人にて夜店をみしこともありき。

 

8月初め神楽坂に3人にてゆく。

 

7月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。

 

* 「中也を読む 詩と鑑賞」(中村稔、青土社)からの孫引きです。
* 漢数字を洋数字にし、改行を入れるなど、手を入れてあります。

2008年12月 5日 (金)

長男文也の死をめぐって<9>文也の一生3

長男文也の死の直後、
それを認めることのできなかった中也は
文也の亡骸(なきがら)から離れず、
納棺しようとする家人を押しとどめ、
荼毘(だび)にふされることを拒んだほどでした。
それから数か月後、ようやく「文也の一生」を書いたのです。

 

せめて、記録に残すことで、
文也とともに在り続けようとしたのでしょうか。
あるいは、悲しみの心を落ち着けようとして、
記録しようとしたのでしょうか。

 

文也の成長の記録や、
遊びに連れて行った日のことなどを、
一つひとつ日記に書き連ねることで、
普段の、変わりない、詩人であることを
維持する必要があったのでしょう。

 

日記は、冷静に、事実を振り返ります。
そのように、読み取れます。

 

書き溜めた日記のページをめくりながらでしょうか、
思いつくままのすべてを、
記録にとどめることによって、
死を確認し、
そうすることで、
文也の在りし日を永遠に刻み、
死を受け入れようとしたのかもしれません。

 

そうした日記が、
昭和9年(1934)8月 春よりの孝子の眼病の大体癒つたによつて帰省。

 

と書き出されます。

 

 

 

 *

 

 日記(1936年)文也の一生

 

昭和9年(1934)8月 春よりの孝子の眼病の大体癒つたによつて帰省。9月末小生一人上京。文也9月中に生れる予定なりしかば、待つてゐたりしも生れぬので小生一人上京。

 

10月18日生れたりとの電報をうく。八白先勝みづのえといふ日なりき。その午後1時山口市後河原田村病院(院長田村旨達氏の手によりて)にて生る。生れてより全国天気一か月余もつゞく。

 

 昭和9年12月10日小生帰省。午後日があたつてゐた。客間の東の6畳にて孝子に負はれたる文也に初対面。小生をみて泣く。

 

それより祖母(中原コマ)を山口市新道の新道病院に思郎に伴はれて面会にゆく。祖母ヘルニヤ手術後にて衰弱甚だし。
(12月9日午後詩集山羊の歌出来。それを発送して午後8時頃の下関行にて東京に立つ。小澤、高森、安原、伊藤近三見送る。駅にて長谷川玖一と偶然一緒になる。玖一を送りに藤堂高宣、佐々木秀光来てゐる。)手術後長くはないとの医者の言にもかゝかはらず祖母2月3日まで生存。その間小生はランボオの詩を訳す。

 

1月の半ば頃高森文夫上京の途寄る。たしか3泊す。二人で玉をつく。高森滞在中は坊やと孝子オ部屋の次の次の8畳の間に寝る。

 

祖母退院の日は好晴、小生坊やを抱いて祖母のフトンの足の方に立つてゐたり、東の8畳の間。

 

9月ギフの女を傭ふ。12月23日夕暇をとる。

 

坊や上京四五日にして匍ひはじむ。「ウマウマ」は山口にゐる頃既に云ふ。9月10日頃障子をもつて起つ。9月20日頃立つて一二歩歩く。間もなく歩きだし、間もなく階段を登る。降りることもぢきに覚える。

 

拾郎早大入試のため3月10日頃上京。間もなく宇太郎君上京、同じく早大入試のため。

 

坊や此の頃誰を呼ぶにも「アウチヤン」なり。

 

拾郎合格。宇太郎君山高合格。

 

8月の10日頃階段中程より顚落。そのずつと前エンガハより庭土の上に顚落。

 

7月10日拾郎帰省の夜は坊やと孝子と拾郎と小生4人にて谷町交番より円タクにて新宿にゆく。ウチハや風鈴を買ふ。新宿一丁目にて拾郎に別れ、同所にて坊やと孝子江戸川バスに乗り帰る。小生一人青山を訪ねたりしも不在。すぐに帰る。坊やねたばかりの所なりし。

 

春暖き日坊やと二人で小澤を番衆会館アパートに訪ね、金魚を買ってやる。

 

同じ頃動物園にゆき、入園した時森にとんできた烏を坊や「ニヤーニヤー」と呼ぶ。大きい象はなんとも分からぬらしく子供の象をみて「ニヤーニヤー」といふ。豹をみても鶴をみても「ニヤーニヤー」なり。

 

やはりその頃昭和館にて猛獣狩をみす。一心にみる。

 

6月頃四谷キネマに夕より敦夫君と坊やをつれてゆく。ねむさうなればおせんべいをたべさせながらみる。

 

7月敦夫君他へ下宿す。

 

8月頃靴を買ひに坊やと二人で新宿を歩く。春頃親子3人にて夜店をみしこともありき。

 

8月初め神楽坂に3人にてゆく。

 

7月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。

 

* 「中也を読む 詩と鑑賞」(中村稔、青土社)からの孫引きです。
* 漢数字を洋数字にし、改行を入れるなど、手を入れてあります。

2008年12月 3日 (水)

長男文也の死をめぐって<8>文也の一生2

以下、「文也の一生」の、後半です。

 

1行1行読み進んでいくと、
これを書いている詩人の呼吸が、
聞こえてきます。

 

あんなこともあった
こんなこともした……

 

文也との短い時間を、
一つひとつ思い出しては、
書き付けようとしている詩人……、

 

万国博覧会の日までたどりつき、
突然、筆は折られます。

 

 *
 「文也の一生」(後半)

 

9月ギフの女を傭ふ。12月23日夕暇をとる。

 

坊や上京四五日にして匍ひはじむ。「ウマウマ」は山口にゐる頃既に云ふ。9月10日頃障子をもつて起つ。9月20日頃立つて一二歩歩く。間もなく歩きだし、間もなく階段を登る。降りることもぢきに覚える。

 

拾郎早大入試のため3月10日頃上京。間もなく宇太郎君上京、同じく早大入試のため。

 

坊や此の頃誰を呼ぶにも「アウチヤン」なり。

 

拾郎合格。宇太郎君山高合格。

 

8月の10日頃階段中程より顚落。そのずつと前エンガハより庭土の上に顚落。

 

7月10日拾郎帰省の夜は坊やと孝子と拾郎と小生4人にて谷町交番より円タクにて新宿にゆく。ウチハや風鈴を買ふ。新宿一丁目にて拾郎に別れ、同所にて坊やと孝子江戸川バスに乗り帰る。小生一人青山を訪ねたりしも不在。すぐに帰る。坊やねたばかりの所なりし。

 

春暖き日坊やと二人で小澤を番衆会館アパートに訪ね、金魚を買ってやる。

 

同じ頃動物園にゆき、入園した時森にとんできた烏を坊や「ニヤーニヤー」と呼ぶ。大きい象はなんとも分からぬらしく子供の象をみて「ニヤーニヤー」といふ。豹をみても鶴をみても「ニヤーニヤー」なり。

 

やはりその頃昭和館にて猛獣狩をみす。一心にみる。

 

6月頃四谷キネマに夕より敦夫君と坊やをつれてゆく。ねむさうなればおせんべいをたべさせながらみる。

 

7月敦夫君他へ下宿す。

 

8月頃靴を買ひに坊やと二人で新宿を歩く。春頃親子3人にて夜店をみしこともありき。

 

8月初め神楽坂に3人にてゆく。

 

7月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。

 

* 「中也を読む 詩と鑑賞」(中村稔、青土社)からの孫引きです。
* 漢数字を洋数字にし、改行を入れるなど、手を入れてあります。

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